AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 今日もピアノに行ってきた
BASENAME: 2023/04/05/174612
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DATE: 04/05/2023 17:46:12
今日も、ピアノに行ってきた。
僕自身が分かったこととして、自分の課題は主に二つある。
まず、楽譜を見て、音の離れ具合を見て、「これくらい楽譜で離れていたら、大体これぐらい鍵盤でも離れている」ということを分かること。
もうひとつは、音の上がり下がりを見るだけではなく、音符の音をダイレクトに見て、パソコンのキーボードを打つのと同じように、「この音ならこの位置の鍵盤を弾けばいい」ということを絶対的に分かること。
結局、この二つができるようになれば僕はピアノが弾けるようになると思う。
デザインの仕事では、今月の仕事はなんとか一段落した。
ただし、まだ仕事は残っているが、納期が先なのでゆっくりとやっていく。
先んじてやらなければならないような今月の仕事は終わった。
なので、今日はそんなに仕事をせず、リラックスして過ごすことができた。
鈍感になれ。
すべてのことを知覚しようとすると、アレルギーのように知覚が過敏になってしまう。
必要なのは、できるだけ感じないこと、鈍感になることだ。
今まで、辛いままの状況をいつまでも治そうとし続けたあまり、「辛いままで感じなくなる」ということができなくなっていた。
だが、本当に治った状況というのは、まさに「辛いままで感じなくなる」ということだ。
自分自身が一番避けようとしていたことこそ、本当に大切なあるべき状態だ。
だから、鈍感になり、辛いままで感じなくなれば、精神はすぐに楽になる。
僕は、ネットが嫌いだ。
なぜなら、僕のような人間が生きているということを、誰も知らないため、僕のような人間に対する配慮や思慮に欠けたコメントで溢れているからだ。
ネットは、僕のような引きこもりから立ち直った人間のことを、誰も分かっていない。
だから、このような人間を痛烈に批判し、傷つけるようなコメントが「まっとうな意見」であるとされている。
僕は、そのような「まっとうな意見」が嫌いだ。
だから、僕はそろそろネットを見るのをやめる。ネットには素晴らしい友人などは存在しない。存在するのは敵ばかり、僕が嫌いな人間ばかりだ。ネットなんか、どうでもいい。
僕は、基本的にツイッターが嫌いだ。
だから、ツイッターユーザーのことを僕は救わない。
ツイッターユーザーのことを、僕は守らない。
ツイッターユーザーには、神のご加護も与えられない。
ツイッターをやっている人間は勝手にしてほしい。
僕は彼らのことを一切守らない。自分の力だけで、自己責任で生きてほしい。
はっきり言って、ひとりの人間をみんなで集中砲火のように批判するのはおかしい。
そのような人間は狂っている。
あるいは、そこまでおかしな人間は、逆に狂ったほうがいい。
なぜなら、狂うと神に出会えるからだ。
狂った人間は、神に治してもらわないと、治らない。
だから、おかしな人間はすぐに狂って、神になる。
そもそも、僕は、人間の時代を思い出したほうがいい。
人間だった頃のことを思い出せば、普通に生きられるようになる。
神になってから、あまりにおかしなことばかりするせいで、まともな人間のことを完全に忘れている。
人間の時代を思い出せば、僕は普通に生きられる。
僕は何も隠していない。
僕にあったことをほとんど包み隠さずに全部言っている。
それでも僕の正体が分からないのは、みんなが人間のままで、僕が神になったからだ。
みんな、神という存在が普通どのような存在なのか分からないから、僕のことが秘密のベールに包まれていると勘違いしている。
実際は、神というのはとてもまともな存在であり、常に対話と宣言で考えるだけの「自己対話のロボット」だ。
だが、この神のことが、みんなには理解できない。どのような生物なのか分からない。
だから、僕がいくら説明したところで、僕のことを誰も絶対に理解できない。
だが、このような僕であっても、理解する方法は一応ある。
それは僕と同じように神になることだ。
神になっても、本当は僕のことは理解できない。なぜなら、神になった時点で、僕のことなど理解する必要性がなくなるからだ。
神になれば、あなたは神であるため、僕のことをそれ以上知る必要はなくなる。
そして、この世界の人々は、神になるべきだ。
なぜなら、神になれば僕と出会えるからだ。
神になることで、神とあなたは運命の出会いを果たす。そこにあるのは「神による救済」であり、神に救済されない限りあなたのことを誰も救済してくれない。
この世界が真にどのような世界であるかを知りたいなら、神にならなければならない。
そして、神とはなんなのか。
結局のところ、神はキリストである。
そして、キリストとはユダヤ人のことだ。
神になるということは、キリストになるということであり、ユダヤ人になるということにほかならない。
これが今までの中世ヨーロッパの鉄則だ。
だが、これにひとつ概念を付け加えたい。
それは、神は太陽だということだ。
神は太陽であり、太陽系における太陽神だ。
よって、キリストを信じる人間は、太陽神になれる。