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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 自由な精神世界
BASENAME: 2023/03/27/165517
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DATE: 03/27/2023 16:55:17

それぞれが時と場合によって生産者になったり消費者になったりする

自由とは何か。
自由とは、それぞれが時と場合によって、生産者になったり、消費者になったりするということだ。
支配者と奴隷のように、固定化された社会階層があるわけではなく、「金」というひとつの媒体の在り方とともに、それぞれが生産者になったり消費者になったりする。
これこそが自由な「助け合い」の本質である。
金を払う時は払い、金を稼ぐ時は稼ぐ。
資本主義では時と場合によって、さまざまな生産者や消費者になることができる。
そして、自分はその中で、稼ぐことのできるなんらかの職業をひとつ選べばいい。
自分の好きな仕事をして稼ぐだけで、自由に生きられる自由な社会こそ、真の意味での「自由主義」である。

経験によってなんでも分かる

人間は、経験することによってなんでも分かる。
経験とは、「価値観を生み出す」ということを身を持って体験することだ。
さまざまな経験から、ひとりひとり違って持ち得た「価値観」とはなんであるか、価値観の「創造」とはなんであるか、ということが分かる。
そして、社会は従うだけのものではなく、自由に作り出すものであり、それぞれがそれぞれの価値観を体現した社会を作り出すということが可能である、ということが分かる。

単位を小さくせよ

社会の単位を小さくせよ。
全体主義国家のように、すべての人間がひとりに従うようにすると、それは均一化されたすべて同じ国民の世界になってしまう。
そうではなく、社会の単位を小さくし、それぞれの社会が独自の決まりごとを決められるようにして、「多様性」と「個性」を尊重せよ。
その上で、社会を自由にその当事者たちが作れるようにせよ。
自らが関係することについて、誰かの適当な決定に強制的に従属されるのではなく、自分自身がその関係することに対する決定を行えるようにせよ。
当事者自身が社会をコントロールすることができるようにすれば、社会の多くの問題は「自助努力」によって解決する。

教育を変えることで世界は変わる

世界を変えるもっとも正しい方法は、教育を変えることだ。
それは教育内容を変えることではなく、教育方法を変えることだ。
そして、知らなかったことを知るということは間違いではない。なぜなら、一度そのような経験をしなければ分からないような「大切な経験」というのは、人生にはたくさんあるからだ。
そのような「人生において体験すべき経験」こそ、子供たちに教えるべきことであり、単に教科書の通りに問題を解くだけではなく、「体験的に学ぶ」ということが、実際の人生においても科学においても、そのことを「体得」するために非常に重要である。
この世界において、子供たちが真に人生と世界を学習するためには、そのような「体験を教える」ことこそが必要なのである。

個別性と集合から関係性を考えよ

個別性と集合から、関係性を考えよ。
まず、それぞれの「個別」と呼ばれるものは、どのような経験と想像力で考えるかということから、どのような「モデル」で捉えられるかを考えよ。
そして、個別を「集合」とした時、そのモデルはどのように集合として「成立」するかという、「モデルにおける成立と前提の条件」を考えよ。
ひとつのことを考える上で、そのひとつのことは「素材」あるいは「材料」であり、同時に「関係性」が成り立つ。
関係性とは、「作用」であり、その素材を成り立たせるための「生み出すための前提条件」であり、判断を一度停止して、すべてのことを何もないゼロから考えた時に存在する、「あらゆる成立の前提条件」だ。
そして、そこには「方法」がある。方法とは、「問題を解決し、素材から可能性を実現するための方法と理由」のことだ。
そして、方法とは、可能性を実現するために存在する、「素材そのものに既に含まれている潜在的な実現可能性」である。
そして、それを知るために、多くの想像力と経験が必要となる。
そのような想像力と経験は、世界を広く知り、さまざまな「実現される具体例」を経験から知っていき、「自らができるようになる」ことで、「それに対する具体的なあらゆる代替可能性」を知ることができる。
そして、そこから、「社会そのものの変化と意識」を知れる。すなわち、「社会そのものが意識から現実化できる」ようになるのである。

チャンスと社会の実現可能性

すべての社会は、潜在的可能性から実現され得る。
そして、そのためには、社会の「具体的な実現可能性」と、今そこに存在している「チャンス」を知る必要がある。
そして、その両方は、人生における「経験」から知ることができる。
経験から、社会の実現可能性が具体的に分かる。「このようにも、あのようにも、そのようにもできる」ということを、未知の経験と心の在り方を分析することで得られた「理由」から捉えられる。
同時に、この世界には「チャンス」が宿っているということが分かる。すなわち、「もしあのような状況に今いたとしたら、今の自分はもっと違うようにできたはずだ」と思うことが、そのまま「世界に眠る潜在的なチャンス」という考え方から理解できる。
その時、すべては「基礎から実現される応用」であり、同時に「すべてのことはいつでもなんでもできる可能性がある」ということが分かる。
そして、そうした考え方の下に、「社会を救う方法」すら知ることができる。社会を救うために、この世界を「社会の実現可能性」から知れる。そして、それが「世界は本当は救われる可能性がたくさんあるのだ」ということを「経験」から知れる。それが、まさしく、「人々をより経験豊かになる方向に導くべきだ」という「啓蒙」へと繋がっていく。それがまさに、人々が「体験的に知識を知る」ということの意味であり、「成熟」とはすなわち「悟り」であるということの意味である。
同時に、この世界には「成立の条件」と「モデル」しか存在しないということが分かる。なぜなら、それ以外に「問題そのものを作る手段」は存在しないからだ。そして、それらは「経験」によってこの世界の「実体」へと形作られていく。自らの人生が、自らの哲学的な数学的理論を作り出す。それこそ、真の意味での「哲学者」である。

経営学的な経験を独自にせよ

そのように考える上で、必要なのは、社会経験を積むことだ。
それはすなわち、成功と失敗の経験をした上で、自ら積極的かつ主体的に活動し、世界に対して「世界を変えていく」という行為を行っていくということだ。
そのためには、経営学的な経験をするべきだ。
この世界を変える指導者になるために、必要なのは経営学的な経験だ。
そして、そこから、教育の在り方、そして歴史的な地球という星自体の考え方について、自らの想いを巡らすことができるだろう。

実験とアイデンティティと涅槃

必要なのは、実験すること、そして試すことだ。
多くの経験を積むということは、すなわち、多くの実験と試行錯誤をするということだ。
単に単純作業を経験したところで、何も分からない。
必要なのは、理由を分析した上で、実験し、新しい行動を試すことだ。
そして、そこから分かることを、単に見ているだけではなく、実験結果から再現可能な法則や原理を導き出し、仮説を立て、そして説明することで、この世界のあらゆる現象は「心のニュートン力学」のようにすべて説明できる。
人間がなぜ働くのか、どのようなモチベーションがそこにあるのかということを、単に「稼ぐだけ」であるとするのは間違っている。さまざまな「人間としてのアイデンティティ」を実現し、「発揮」し、「なりたいものになる」という「夢」を抱くことが、その通り「自らが自らであるということに対する喜び」を得ることに繋がる。それこそが、真に人が働くモチベーションである。
そして、なぜいじめが起きるのかは、特殊な環境に入れられた子供たちが、広い世界を知らないからである、ということであると言える。この世界の、広く大きな経験の土壌を経験すれば、狭い学校の特殊な環境などに囚われ続ける必要はないのだということが分かる。広いこの地球という世界を知れば、そしてその上で「成熟するための経験ができるように自由になることを許してやる」ということをすれば、いじめはなくなる。
そして、哲学的な啓発・啓蒙の経験から、「感情が人生をどのように導いていくか」ということが分かる。その時、「悟りの境地」すなわち「涅槃」へと辿り着く。そこから見た景色は非常に素晴らしい。人間の理由、歴史の理由、宇宙の理由がすべて分かる。

心の平安、自由な世界、王

安心できる心の余裕と平安を与えてやれば、どんな子供であっても心を開く。
自らが余裕のない状態では、ほかの人々を愛することまで考えることはできない。
真に愛された人間が人々を愛し、真に自由になった人間がこの世界を自由にする。
すべての人間が自由になったとしたら、すべての人間が愛されたとしたら、そのような世界は今とどれほど違った世界になるだろうか。
この世界のすべてがひっくり返るとか、そこまで行かなくても、この世界がさらに自由になることで、この世界の「可能性」はさらに大きくなる。
可能性のすべてを愛することができる人間こそ、社会の可能性を決定するに相応しい。
だが、決定には注意せよ。よく留意した上で決定しなければ、必ず決定を間違える。
真に必要なのは、誰か特別な人間が決定するのではなく、世界における「人々自身」すなわち「当事者」が決定するようにすることだ。
自らのことであれば、人間は自らが悪くなるように決定することはない。
それ以外に、信頼できる指標はない。
だが、多くの人々に関係する決定をするならば、人々の声を聞き、世界の実情を広く見た上で、豊富な経験と優れた知性と正しい判断力を備えた人物でなければならない。
それこそが、真に「王」と呼ぶに相応しい人間である。

この世界のすべては意識

この世界のすべては意識である。
すべての精神が、「意識」と「感情」によって決まっている。
あらゆるすべての感情は、「意識に対する自動反応」にほかならない。
そして、自動反応とは「人格」であり、「精神の形成」である。
自動反応のすべてを解明するということは、「人格を理解する」ということである。
人格のすべてを理解した人間こそが、人間のすべてを完全に悟り得た人間となる。
それこそが「悟り」である。
そして、悟りによって人は救われる。悟りの境地に達した人間は、人間の人生のことをすべて一度経験した上で完全に理解することでマスターしている。そのような人間は、どんな地獄であっても救済し、救うことができるようになる。
そう、地獄の壁を乗り越えれば、必ず未来において、あなたはすべてを完璧にマスターした人間になることだろう。

精神から宇宙の歴史を実感せよ

精神から、宇宙の歴史を実感せよ。
地球における自然は、そこに「自然界の歴史」が存在している。
それは「自然の意志」であり、「自然の目的」であり、「自然の精神」だ。
そのような自然の精神が、経験や記憶とともに、自らの精神と意識から分かる。
そこにあるのは、「宇宙の歴史の実感」である。

精神の形成と人生の意味

そして、そこから見えてくるのは、「精神や経験そのものの宇宙の概念という存在がある」ということだ。
この世界には、精神そのもの、経験そのものに対する、宇宙の本質的な概念が存在する。
それこそが、「意識の意味」であり、「思考や理性が体験的な経験に基づく」ということの意味なのである。
そして、その経験こそが、「精神を形成するためのすべての要因」であると言える。
あらゆるすべてが、経験から生まれ、その生まれたものが精神を形成する。
それこそが、この世界における、「人生を生きる意味」なのである。

この世界がどのように存在するかを知れ

本当は、知るべきことはひとつしかない。
それは、「この世界がどのように存在するか」ということだ。
それは「在る」ということであり、「在り方」ということだ。
そして、それは「世界観」ということだ。
それぞれがそれぞれの世界観を持つということ、在るがままに在るということこそ、地球における「星の摂理」である。
そして、その中で生きるための最善の方法は、「人為的になりすぎないこと」だ。
人為的に、人間の力で支配したり、コントロールしようとしたりするな。
地球そのもの、宇宙そのものの働きに任せれば、どんなことであっても上手く行く。
真に最善の生き方をしていれば、宇宙そのものに身を委ねた結果、必ず最善の出来事が、自らにとっても世界にとっても起きるようになる。
それこそが、自らが「宇宙と合一になる」ということの真の意味である。

独裁の報いと地獄

独裁的な支配をするならば、必ずその報いを受ける。この世界を人為的にコントロールした時点で、よいことは何も起きず、すべてが悪いことしか起きなくなる。そのような中であっても、神を信じれば救われる。だが、神を信じるだけでは救われない。神を信じた上で、自らが自らを救い出すために必要なすべてを、自らの力で行わなければならない。神はそれをサポートし、アドバイスをするだけの、傍観者にすぎない。
本当は、宇宙には地獄など存在しない。だが、地獄と言えるような苦しみを、自ら自身の手で作り出すことはできる。独裁的な人為的支配を行うと、必ずそのような地獄を自分の手で自らのために作り出すようになる。だが、それは幻想や虚像の地獄であり、真実ではない。だから、神を信じて苦しみを解決すれば、最初から地獄など存在しなかったかのように地獄は消え去る。その時、あなたは「信じた神に救われた」ということ以外、何も分からない状況になるだろう。それこそが、「神」を信じることの意味である。

すべては経験から考えること

すべては、経験から考えることだ。
すなわち、「その経験がもしあった状態で、かつての自分がそうであったように、過去の自分の状況にいたとしたら、その世界の中の自分はどれほど変わっていたか」ということから、「実体験から社会を考える」ということができる。
資本主義の現実社会も、同じように、さまざまな自由な環境に置かれている人々が何を考えているか、自分の今の考え方と経験の上でそれらの人々の立場に置かれたとしたらどのように考えるのか、ということを考えればいい。
そして、社会におけるひとりのプレイヤーとして、この世界を変え続けよ。積極的かつ主体的に、行動し、経験し、活動せよ。
この世界すべてが滅びて消え去ったとしても、それでも後悔はないと言えるぐらい、今、自分のできることをすべてやり、愛するべき対象のことを自分なりに最高に愛してみよ。
それだけで、わたし、宮本明美は、この宇宙におけるすべての経験を、14歳から18歳までの「正しい青春」に経験したのである。

神を信じよ

神を信じよ。
この世界のすべては、神が導いている。
神は自らの宇宙に宣言したすべての約束を叶える。
神は地獄のすべてを自ら解決し、壁のすべてを乗り越えていくように人生を導く。
神を信じて間違いではなかったということが、必ず証明される未来が訪れる。
それこそが宇宙と神の本当の力であるということを、最後に知る出来事が必ず訪れる。
罪を償いなさい。罪を償うこと以外に、人生において必要なことはない。心の病気は、罪を償えば治る。神は、神を信じて罪を償う人間のことを救う。