AUTHOR: schwarz1009
TITLE: この世界は弱肉強食
BASENAME: 2023/03/26/203510
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DATE: 03/26/2023 20:35:10
結局、この世界は弱肉強食だ。
貧しいものが最低限の生活ができるよりも、賢い人間が楽なほうが優先だ。
みんなが平等に計画経済と社会所有と平等分配で生きられるようになっても、野球やサッカーやテレビドラマや歌手のライブがなければ面白くないのと同じだ。
「人類はみな平等」という神の教えを信じながら、矛盾する現実世界を、さまざまな理由をでっち上げてなんとか正しいと思い込むしかない。
人間が生まれながらに持ち得た自由な権利なんてものはない。自由が欲しいのは中高生と不良や引きこもり・ニートのような社会不適合者だけだ。
多様性を大切にしよう。
多様性とは、それぞれの個性を認めるということ。
相手のことを勝手に馬鹿だと決めつけないようにしよう。
自分の意見をみんなに押し付けないようにしよう。
自分にとって悪い意見を見たら、そういう人はそういう人、否定するのではなく付き合わないようにすればいいだけだ。
万人に信じたいことを信じる自由を与えよう。間違ったグループや国を見たら、そのグループや国民にも自らの考え方を信じる自由はあるのだということを思い出し、無視すればいいだけだ。
この世界に本当に自分と同じ理想と考え方とアイデンティティを持った人間などいない。自分の信じていることが万人から全部受け入れられると思うのは思い上がりだ。自分のことは自分にしか分からない。他人から認められなくても、他人は他人、自分は自分だ。そう思うしかない。
強いものだけがひとり勝利して、他の全員が奴隷になるよりは、自由なほうがいい。
この世界は、どんどん格差が拡大して、ごく少数の超富裕層に、ほとんどの貧民が従属するような世界にどんどん戻ろうとしている。
そうではなく、どれだけ格差があってもいいから、できるだけ全員に豊かな暮らしと自由が与えられるようにせよ。
全員が平等になったとしても、独裁者に対する奴隷のような労働者の世界にしかならない。それは「悪の帝国」と呼ばれても正しいぐらい、王国や封建社会と何も変わらない。
できるだけ、80%の人間が、自由な権利と豊かな暮らしができるような社会にしたほうがいい。全員が豊かに生きられなくても、できるだけ平等な社会を維持すべきだ。
弱者の最低限の暮らしばかりに囚われて、現役世代の幸福な暮らしを奪ってはいけない。全員が完全にすべて平等な社会でなくても、できるだけ多くの人が一定以上の暮らしができるようにすべきだ。
ITの巨大テック企業のCEOだけが、ものすごくたくさんの富を独占するのは間違っている。できるだけ多くの人々に、その富が再分配されるようにすべきだという社会主義者の主張は正しい。だが、再分配の手段が問題だ。手段を選ばず再分配をすると、殺したり盗んだりすることで富を再分配しようとする。それでは、暴力に訴えるテロリストと変わらない。国がそのようなテロ国家になることだけは避けなければならない。なぜなら、そうなると多くの人の命が犠牲になるからだ。
全員ではないにせよ、できるだけ多くの人が豊かで、できるだけ富の偏りが少なくすべきだ。それ以上、正しい社会は人類には実現不可能だ。革新左翼勢力が「命を大切にせよ」とどれだけ主張しても、その主張はすべて実現困難あるいは実現不可能なことだ。だから、政権を取ったとしても、革新左翼勢力には何もできないだろう。
少しずつ未来をよくしていけば、世界は平和になる。
平等が今すぐに実現不可能だからといって、永遠に何も変わらないわけではない。
少しずつ、未来を、自由かつ平等な方向に近づけていけば、少しずつこの世界はよくなって、自由かつ平等な未来へと改善されていく。
IT技術やインターネットは、そのうち廃れ、流行ではなくなる。そのうち、バーチャルな世界が流行っていたのは終わる。いつもの、普通の現実世界に戻る。
だから、今、バーチャルな世界がどのような世界であっても、それは重要ではない。
未来へと向かう現在のこの世界を、ひとつひとつ改善し、少しずつ豊かで平等な世界にしていけば、悪いことをしなくても、戦争や革命をしなくても、この世界は自然に解決し、改善されていく。
そう、特別なことをしなくても、この世界は必ずよい世界になる。
昨日に引き続き、今日も英会話教室に行ってきた。
英語は、もっと馬鹿になったほうが話せる。
日本人は、賢い日本語の単語が分かるせいで、英語の話し方がいつまでも分からない。
単なる単語だけで分かるようにすれば、英語は最初から習得できる。
日本語の賢い言葉が、英語の上達の邪魔をしている。
日常に存在する、普通の英語の単語だけを分かるようにしなければ、英語はできない。
それから、おかしな精神はようやくすべて治った。
もう、やることは何もなくなった。
これ以上は、音楽すら聴きたくない。僕は音楽が好きだったとは言うが、実際は辛い精神をある程度まで緩和するために、音楽を無意味に聴いていただけにすぎない。
僕は音楽なんか嫌いだ。
それから、僕は社会主義政策なんか一切したくない。僕が宇宙で一番嫌いなのは社会主義だ。ガンダーラのような天才的社会主義国家は、絶対に実現できない「絵に描いた餅」にすぎない。どんなに頑張っても、ガンダーラは絶対に誰にも実現できない。
僕は社会主義政策などしない。ロシアは大嫌いだし、東ドイツはもっとも一番大嫌いだ。
共産主義は実現不可能だ。
なぜなら、20世紀のソ連は大失敗に終わった。
どう見てもソ連は最悪の失敗作なのに、ロシア人や東ドイツ人だけが「本当は素晴らしい国だった」と思い込んでいる。
だが、それは美化を通り越して幻想や虚像の類だ。
ロシアよ、気付け。共産主義の理想は実現不可能だ。ロシア人よ、ソ連は失敗したのだという現実を受け入れよ。どれだけ今のこの世界が最悪でも、かつてのソ連よりはマシだ。
アメリカは優れている。
アメリカでは、自分の好きな職業に就くことができる。国の決めた強制ノルマの労働をしなくていい。職業だけではなく、人生を何に捧げるかということを選択できる。
アメリカでは、自分の努力によって自分の夢を叶えることができる。そのために必要なすべて(教育、職場、科学、技術、物資、場所、時間、機会など)が与えられている。
アメリカでは、自分の言いたいことを好きに言える。言論の自由が許されており、どんな意見であってもその人間がその意見を言えるような社会であることを最優先に考える。
アメリカは悪い国ではない。稼ぎたい人間が、自分の能力と経験を活かして、働きたいだけ働くことのできる、非常に平等な国だ。
この「機会の平等」こそ、社会が目指すべき「真の平等」である。これこそ「リベラル」と呼ぶべき自由であり、ソ連の陥った大きな問題は、スターリンという独裁者がそのような「リベラル」を軽視したことだ。
リベラルな自由と平等の権利こそ、社会の至上命題であるべきだ。民主主義国家である日本は、世界でも有数のリベラルな権利が認められた国であり、戦後時代に限って言えば、首相や天皇陛下を批判しても大した罪には問われない。それは権力体制が民主主義だからであり、今の天皇陛下が心と器の大きい人格者だからだ。プーチンを批判すれば逮捕されるロシアよりも、はるかに自由であり、はるかに平等だ。
プーチンよ、反省せよ。
プーチンは、まだソ連が成功すると思っている。
ソ連がかつて献身的に努力していた先に、必ず栄光の成功した社会主義国家はあると、ソビエト人が信じていた未来を、プーチンは今でも信じている。
だが、プーチンよ、諦めるのだ。
そのような、成功する社会主義国家の未来はどこにもない。
平等な理想のユートピアなどというものは、どれだけ頑張っても作れない。
ロシア人は間違いではない。逆に、ソ連はみんな、正しい努力をした。正しい努力をした結果、ソ連は成功せず、失敗作に終わったのだ。
どれだけ同じ正しい努力を同様に行い続けたところで、現実は何も変わらないと気付け。
現実の世界は、資本主義の格差社会が、もっとも住みやすい「大多数のみんなが豊かな世界」にすぎず、完全な人類の平等などというものは、イエス・キリストのような神様が唱えるだけの、よく言えば綺麗事、悪く言えば詐欺やペテンにすぎないのだ。
プーチンよ、ソ連は実現不可能だ。あなたがどれだけ頑張っても社会主義は成功しない。どれだけ挑戦してもそれは無駄に終わる。
「それでも」と言うのであれば、やってみればいい。その夢は実現するはずのない、「幻想」や「虚像」にすぎないと、わたしたち西側諸国は批判するだろう。それでも望むならば、わたしたちはその間、いつまでも「日本対ロシア」そして「東西冷戦」という敵対関係を続けることだろう。
しかしながら、このような共産主義者は、現実を見ていない。
もっと、現実を見よ。
20世紀の現代史を見れば、明らかに西側が優れた側であり、明らかに東側が劣った側である。
どれだけ斜めに世界を見ようとしても、それは変わらない。
西側が勝者であり、東側が敗者だ。
ソ連よ、あなたがたは敗北したのだ。勝利したのはアメリカであり、日本だ。なぜなら、すべてあなたがたロシア人が勝てなかったのが悪いのだ。ロシア人がもし勝っていたとしたら、ここまで最悪の資本主義社会にはならなかったはずなのに、あなたがたが負けてしまったから、世界は悲惨な世界になったのだ。
ロシアよ、奮起するならばしてほしい。プーチンよ、ここまでの20世紀の現代史を反省した上で、本当に素晴らしい、新しい国を作ってほしい。僕はそれに期待している。プーチンよ、本当に頑張ってほしい。アメリカや西側諸国を超える、本当の平等な理想の社会を築き、「人類の平等」の偉大さを掲げ、それを実現してほしい。
僕は決してソ連を完全には否定しない。なぜなら、ソ連も頑張っているように、わたしたち日本も献身的に地球の未来のために努力しているからである。目指す目標と信じる思想は違えど、ともに人類であることは同じだ。