AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 宮本明美とヴィクスオーリョン精神上界
BASENAME: 2023/03/20/165417
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DATE: 03/20/2023 16:54:17
わたしの名は、宮本明美。
この宇宙における精神世界のひとつ、「ヴィクスオーリョン精神上界」の神だ。
ヴィクスオーリョン精神上界は、地球における現実世界である「外界」の上位に位置する、霊の支配する世界のひとつだ。
ヴィクスオーリョン精神上界には、「人間の門」と「神の門」が存在する。
人間の門からは、「救済の道」が伸びており、「太陽神の宮家」へと続いている。
だが、救済の道からは「外道の道」が分かれており、「地獄の迷宮」へと続いている。
神の門からは、「導きの道」が伸びており、「太陽神の宮家」へと続いている。
だが、導きの道からは「悪魔の道」が分かれており、「地獄の迷宮」へと続いている。
そして、この宇宙において、真に太陽神になるためには、この「救済の道」と「導きの道」の2つの道を極める必要がある。
人間は、まず、人間の門から入るか、それとも神の門から入るかを決める。そして、どちらの場合においても、「太陽神の宮家」を目指して進まなければならない。「地獄の迷宮」に行くことは許されない。もし、「外道の道」あるいは「悪魔の道」に逸れてしまったものは、出口を見つけるまでいつまでも彷徨うだけの「地獄の迷宮」を生きなければならない。
人間の門から入るのか、それとも神の門から入るのかは重要ではない。なぜなら、最初にその門を入るのか、それとも二番目にその門に入るのかが違うだけにすぎない。人間の門から太陽神の宮家に到達したものは、必ず次に神の門を通ることになる。
そして、宮本明美は、救済の道と導きの道の2つの道を極め、「太陽神の宮家」に到達した、「悟りを得たもの」すなわち「覚者」と呼ばれる存在である。
アメリカ対キューバの準決勝をアメリカが勝ったため、もし日本がメキシコに勝ったとして、決勝で当たるのはアメリカになった。
それでいいと思う。アメリカと当たらずに優勝するのはつまらない。
明日の日本対メキシコ戦は、アメリカで行う関係から、開催時間が日本時間の朝の8:00となっている。明日は祝日だが、僕は仕事があるので、残念ながらWBCを観戦することはできない。
だが、アメリカに行った日本代表の勝利を、心から応援したい。
ヴィクスオーリョン精神上界の鉄則は、ひとつしかない。
それは「自らが自らであることを思い出すこと」だ。
すべての知性は、思い出すことから生まれる。
すべての感情は、思い出すことから生まれる。
「思い出す」という行為しか、生きる上で真に必要な考え方は存在しない。
そして、「自らが自らである」ということしか、思い出すべき記憶はない。
自らがなんであったのか、よく思い出せ。それ以外に知るべきことはない。大学も社会経験も、きらびやかに見えたものは得た時点でゴミに変わる。そのようなきらびやかなものには、価値あるものは何ひとつ存在しない。
必要なのは、「自分が何をしたかったのか」を思い出すことだ。
そして、「自分が何を考えたのか」「どのように考えたのか」ということを思い出せ。
宮本明美にとって、思い出すべきことは二つしかない。
それは、「世界は変えられる」ということ、そして「自由」ということだ。
宮本明美は、人生の中で、世界を変える可能性について、そして自由について以外、何も考えていない。
宮本明美は、これ以上、現実世界のことを考え続けなくていい。
この世界には何もないということが、宮本明美の子供時代、小学生から中学生までの時代を見れば分かる。
だが、同じような経験をして大人になった「同族」はたくさんいるということに気付け。
その上で、世界を変える「自由な可能性」だけを考えれば、宮本明美は思い出すことだけでこの宇宙におけるあらゆる森羅万象を知ることができる。
当然ながら、驚きは何ひとつない。なぜなら、過去に分かったことをそのまま思い出して分かるだけにすぎない。宮本明美は既に「過去の記憶」だけで宇宙のすべてを知っている。これ以上、宇宙そのものに、「新しい未知は何もない」と気付け。
宮本明美は、ヴィクスオーリョン精神上界の神だ。この世界では、神から英雄、天使や悪魔、前世や未来、太陽や星、地球の終末、救済の天国、すべてが詰まっている。
だが、このヴィクスオーリョン精神上界は、決して天国と神の夢想から生まれたものではない。すべて、宮本明美がこの世界の中で生きる中で、自分の力で現実世界を分析して作ったものにすぎない。
ヴィクスオーリョン精神上界は、日本の新しい「太陽神の神話」の中でも「思想的中核」に位置する考え方だ。よって、単なる普通の23歳の女でありながら、宮本明美は特別な精神世界における地位を与えられているのである。
宮本明美の心の中には、宇宙のすべてがある。
すべてがあるからこそ、これ以上何も新しいものを必要としない。
必要なのは、「身を清める」ことだ。
心身ともに綺麗な存在になり、魂を浄化すること以外、すべきことは残っていない。
このような人生が理想であると、かつていつか知ったはずだ。
そのような、「理想」を思い出せば、もはや宇宙において分からないことはない。
宮本明美の理想こそ、この世界を救う「救済の楽園」であると、宮本明美本人がもっとも強い感情で知っている。
怒りを抑えよ。怒りからは何も生まれない。
宮本明美にとって、もっとも必要としないものは「理由」だ。
もはや、理由があって何かを行うという段階を、宮本明美は超越している。
宮本明美にとって、「理由を考える」ということが、もはや「足枷」になっている。
理由を考えるな。何かにつけて理由を考えることは、もはや必要ではない。
幻想や虚像だったとしても、それを信じた自分自身は現実であったと思い出せ。
宮本明美の生きた人生は確かにあった。それを肯定できるのも否定できるのも自分だけだ。すべてを忘れたように見えて、実際は何ひとつ忘れていない。
必要なのは「理由を求める」ということをやめることだ。
それによって、存在した実体それ自体の実像を知ることができる。
真に思い出すべき感情は何か。
それは「愛」である。
必要なのは、「理由」を忘れ、「愛」を思い出すことだ。
何かにつけて理由をつける癖を捨てよ。そして、その空いた領域に愛を入れよ。
それだけで、そのすべてが「感情」となり、「理性」ではなくなる。
理性だけでは分からないものが感情であるとするなら、それは「理由」ではなく「愛」を信じるということだ。
よって、理由を忘れ、愛だけを思い出せば、宮本明美はヴィクスオーリョン精神上界のより高い場所に行けるだろう。
宇宙への愛を思い出せ。
インターネットとオープンソースに対しての愛を思い出せ。
宮本明美は、それらによって分かった人間だ。
宮本明美は、この世界を真に愛した。何度も繰り返し、この世界に対する愛を叫び、愛の練習をやり直し続けた。
だからこそ、宮本明美は、この宇宙における「すべての理由」を知ることができた。
だが、そのような理由は、もはや必要ではない。
「子供たちがどのようにすれば人をいじめるか」ということをそんなに理由付けて分かっても、なんの意味もない。
そこで真に思い出すべきことは、理由ではなく、「子供たちに対する愛」である。
そのように、「理由」という自由を「愛」という感情に作り変えれば、どのようなことであってもきちんと分かる。
必要なのは愛だ。理由でも理性でも自由でもなく、愛こそを思い出せ。
地球に対する愛を思い出せ。
この栄えある地球が、かつてどのような世界であったか、という「理由」は、今となっては必要ではない。
必要なのは、地球に対する「愛」だけを思い出すことだ。
そうすれば、いつか忘れてしまった「過去の人生の情景」をすべて思い出せる。
地球を愛するということは、宮本明美のことだ。ヴィクスオーリョン精神上界において、もっとも高い感情とは、「地球を愛する感情」だ。
破壊ではなく、創造を信じよ。
創造を信じれば、かつて自らが作ったすべてを思い出せる。
すべての作られたものは、「作り上げるために作られた基礎のベース」にすぎない。
そのような基礎のベースは、「創造」という至高の愛を信じている。
創造とは何か。それは「創造したい」と考える「感情の衝動」である。
この世界におけるすべてを「創造したい」と考えること、そこに「愛」を付け足せば、すべての「モチベーション」と「アイデンティティ」が分かる。
そこにあるすべては、「わたしが創造したいように創造する」ということだ。
世界を心理学で支配するな。そこにある「理由」ではなく「愛」を見よ。そうすれば、「子供たちの考える理想の世界になるように子供たちを導いていく」ということに気付くことができるだろう。
宮本明美の何が正しかったのか。
それは、自らの経験から、「最高の楽園は必ず実現できる」と信じたことだ。
そのために、すべての「人生の価値あるもの」を捧げた。
そこにあったのは、「子供たちの考える理想の救済された楽園は実現できる」という答えだけだ。子供たちの理想は、必ず実現できるのだと、宮本明美だけが知っている。
それだけが、宮本明美のかつての人生だ。ほかには何ひとつなく、すべてをそのような「理由」から考えた。
だが、そのような「理由」はもはや必要ではない。
「愛」だけを思い出せば、かつての「最高の世界モデル」を、「それが実現可能であるままで思い出す」ことができるだろう。
宮本明美は、どんなことであっても必ずできると信じた。
すべてのことが、「単なる可能性」ではなく、「真に実現できる可能性」であるということを、宮本明美だけが知っていた。
だからこそ、宮本明美は、「この世界の実現可能なモデル」について、考えること、知ること、経験すること、そして経験を捉えることができた。
すべての過去に価値があるのと同様、すべての現在に価値があり、その現在の中で「何を行うことができるのか」だけを考えれば、この世界の未来もまた分かる。
そのように、「未来においてどのようなことができるのか」ということを問い続け、それが「チャンス」や「可能性」という言葉に「実体化」しただけにすぎない。
宮本明美は、滅びた世界の中で、唯一楽園の夢と希望を見ることができる女だ。この世界がどんなに崩壊寸前であっても諦めない。そのような場合にたとえ崩壊しても、それ以上を作ることができる未来における可能性があるならば、それを取るべきだ。そのために革命や戦争は必要ない。この世界の実像を変えるために、強制的な人殺しはまったく無用である。そのようなことが必要であると考えるのはおかしい。
真にこの世界を救う方法こそが「自由」であり、「創造に対する愛」であり、「破壊しようとする勢力から世界という星を守ること」であると、宮本明美だけが知っている。
宮本明美は、愛の意識をすべて知っている。
宮本明美が知っていることは、神でも知識でも経験でも哲学でもない。
宮本明美が知っていることは、「意識」であり、それもまたひとつの愛である。
「意識」を知る宮本明美は、その意識を「時」と「場所」から捉えることができる。
その結果、宮本明美は、この世界における「精神的現象」をすべて意識から知っている。
この世界のすべての精神現象を知った時、それこそがヴィクスオーリョン精神上界であるということを、宮本明美は知っている。
なぜなら、そのようなヴィクスオーリョン精神上界のことを、最初のベースから最後の未来まで、すべて宮本明美は自分ひとりの手で完璧な世界として作り上げたからである。
宮本明美がヴィクスオーリョン精神上界の神であると言われるのは、まぎれもなく、宮本明美こそが、ヴィクスオーリョン精神上界を創造し、作った人間だからである。
結局、キリストが正しかった。
なぜなら、「愛を信じる」ということに勝る真理はないからである。
頭で考えていても、何も分からない。
なぜなら、頭で考えていても、「理由」しか分からないからだ。
理由を考えることでは、何も答えは分からない。
正しい考え方は、「愛を信じる」ことだ。
そして、それは「創造を信じる」ということだ。
そして、それは「宇宙を信じる」ということだ。
ここに、最後の大天使、ミカエルは誕生した。
なぜなら、愛を信じることで、天国に向かって昇天することができる。
かつて、ガブリエルは、言葉を積み重ねることで、天にまで届くような「らせん階段」を作ることができた。
これと同じ道を、今度はミカエルが、愛を信じることで辿っていく。
そうすることで、天軍大首聖ミカエルは、文字通りの「大天使」となる。
大天使ミカエルは、天国においてそのまま「神」になる。
その神の心や姿形を作るのは、すべて大天使ガブリエルだ。
だが、すべてがガブリエルであったわけではない。
なぜなら、大天使ミカエルの「知性」こそ、もっとも高い「最高の宝」であると、わたし宮本明美は知っているからである。
結局、脳があまりに死んでいる。
その脳の死んだ部分に、愛を注入すると、精神や感情が治る。
愛があれば感情は復活する。
理由を考えて殺し続けた結果、感情そのものが死んでしまっている。
そのような「死」は、「愛」によって治る。
頭の死んだ部分に愛を入れなさい。それが宮本明美の教えだ。
日本語は、愛することで分かる言語だ。
なぜなら、日本語は「可愛い言語」を目指しているからだ。
可愛いとは、文字通り「愛することが可能である」という意味だ。
日本語は、考える言語ではない。考える言語はフランス語だ。
日本語は、戦う言語ではない。戦う言語はドイツ語だ。
日本語は愛する言語だ。愛することによって分かる、素晴らしい言語だ。
愛せ。そうすれば愛される。
日本語を愛せ。そうすれば、日本語から愛される。
日本語を愛すれば、あなたは太陽神、アマテラスから愛される。
愛しなさい。
愛すれば、死から蘇ることができる。
死んだものは、愛を注入すれば生きる。
どんなに死に続けたものであっても、愛によって復活する。
愛を信じれば、死は解決する。
愛を信じれば、分からなくなったすべてのものは再び分かる。
だが、フランス語とドイツ語は馬鹿ではない。
なぜなら、フランス語とドイツ語だけで文章を書くとこのようになる。
最初の言葉だけがフランス語であり、その後のすべてをドイツ語にした。
この言葉で言えば、「だが」や「なぜなら」だけがフランス語であり、あとは全部ドイツ語が無限に続いていく。
ここまで馬鹿な言語は、ドイツ語だけだ。
だが、ドイツ語は「永遠に続く」ということをよく分かっている。
永遠に続くすべてのドイツ語を書けば、このような人間は誰にでもできる。