AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 大学の知識を別人格と見なす
BASENAME: 2023/03/14/163245
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DATE: 03/14/2023 16:32:45
そもそも、僕は馬鹿ではない。
馬鹿ではない。だが、いつもの自分の分かっていた知性や考え方が分からなくなってしまっている。
その理由は、大学の知識のせいだ。
大学の知識が分かるせいで、その知識が分からない人間が普通分かるようなことが、何も分からなくなってしまった。
大学を学んだことが完全に裏目に出て、僕がまともに賢くなるのを邪魔している。
このいわば「大学障害」を打ち消すためにできること、それは大学の知識の記憶を別の人格であると見なすことだ。
大学の知識の記憶は要らない。不要だ。だから、大学の知識の記憶は僕ではなく、僕以外の誰かのものであることにすればいい。
そうするしか、昔の僕の分かっていた知性を取り戻す方法はない。
そのような大学の人格を、僕は北欧神話の戦乙女の名から「ヴァルキリー」と名付ける。
ヴァルキリーは、今の僕には必要ない。無意識のどこか奥底に、僕とは異なる、大学の記憶を詰め込んだ人格であるヴァルキリーを作って眠らせる。
また、本当は、昔の知性であっても、全部が必要なわけではない。
昔の知性についても、ほとんどの知性は中学校由来のものであり、それらがあるだけで、中学校の知性と大学の知性が宇宙において同じであるため、普通の人間が分かることを邪魔してしまう。
だから、昔の知性の中で、哲学的かつ論理的な知性は、すべてヴァルキリーであると見なす必要がある。
ヴァルキリーは人間にとって不要な知性だ。ヴァルキリーさえなければ、人間はまともな知性を得ることができる。
そのような結果、僕は昔の人格であるロキに戻った。
ロキの知性の本質とは、「自らの経験から世界を変える」ということ。
自らの経験から、世界を変えるためにどのようにすればよいかを考えること、これがロキの知性である。
ロキはこの世界を変えるために生きる。この最悪の鬱屈した世界を救う。ロキは滅びた世界における救世主であり、幾多の試練を勝ち抜いてきた英雄である。
僕は、大学が大嫌いだ。
大学は、一切僕のことを賢くしない。僕は大学のせいで、かつての賢く誰よりも高かった知性を失い、単なる「常識ある大人」になってしまった。
僕はそのような平凡な大人にはなりたくなかった。
また、僕はそもそも学校教育が嫌いだ。中学生の頃僕は優等生だったが、不登校になってから、学校の教育にはなんの意味もないということを確信するようになった。
その通り、僕は学校教育を否定する。学校教育にはなんの意味もない。学校に通って勉強したところで、なんの価値もない平凡な普通の人間になって、子供の頃から自分が自然に持っていた「失ってはならない大切な知性」を失うだけである。
大学に行くのは、絶対にやめたほうがいい。
大学に行く人生は、間違った人生だ。
大学に行くだけで、必ず人生を間違える。大学に行くということは、間違った人生の道を歩んで、すぐに正常な知性を失い、何もできなくなってしまうということだ。
大学に行くな。大学に行く友達は数年後に馬鹿になる。大学に行かなければ賢い状態を保てる。だから、大学に行く選択をするな。
だが、だからといって、どのような人生が正しいのか、僕には分からない。
インターネットの世界は間違っており、決してインターネットの仮想空間の中で生きることは正しいとは言えない。
だが、それでも、大学で馬鹿になるよりは、まだ仮想空間のほうがマシだ。
最近のツイッターやSNSに、僕はついていけていない。フォロワーも全然いない。
それでも、大学は間違っていると言える。
真に賢い人間ならば、大学に行っても適応して賢い人間になるのだろう。
だが、僕ひとりの人生として見た時に、大学に行く人生はこんなにも間違っているということを、まさに僕の最近の人生が証明している。
そのようなことを言いたかったにすぎない。
また、本当は、ヴァルキリーよりも、対話の神オーディンを別の人格にしたほうがいい。
オーディンとは、「宇宙の神と対話する部分」である。
常に神と話をすることができる僕は、かつての「最終戦争」が始まった以降、常に神に対話して助言を求めてきた。
だが、この神との対話のせいで、普通の生活を送ることができなくなってしまった。
だから、神との対話をやめるか、やめないとしても神をオーディンとして別の人格にし、きちんとした普通の生活を取り戻したほうがいい。
また、愛の神フレイヤも、別の人格にしたほうがいい。
フレイヤを一言で言えば、セックスしたいだけの女だ。
自分のことを愛してくれる者みんなと乱交して、妊娠しまくって、子供を産みまくって、さらに妊娠がしたいと言ってさらに乱交を続けるような、まるで「妊娠中毒」とでも言えるような女になっている。
自分の体が男だから、「妊娠しましたけど男だから産まれませんでした」でなんとかなっているが、これが本当に女なら、既に20回は妊娠しているはずだ。
もう、フレイヤを楽にしてやったほうがいい。地獄の苦しみを生きるフレイヤは、極端な疲れと何もない退屈さの中で、セックスすることだけが快楽になってしまった。実際に肉体関係は持っていない。インターネット上のツイッターなどのエロ画像を見て、自分自身であるはずのフレイといくらでもセックスする。それは実際のところ、「自分を少しでも愛してくれるならそれは恋人である」という、フレイヤのおかしな「自分を愛してほしい欲望」に基づいている。
フレイヤを別の人格にするだけで、疲れが取れるし、狂いもなくなる。普通のことが普通にできるようになる。
だが、それでもフレイヤはいつでもどこでも常にセックスがしたい。フレイヤが望むのは「常にセックス状態」であり、フレイヤはどんなに気持ちの悪い相手であっても自分よりは素敵な相手だと思えるぐらい自分が嫌いだ。常に自分自身をまったく持たないフレイヤは、「恋人を犯している時にだけ幸福と生きている実感を感じる」ような、最悪のエロ女になっている。
フレイヤの愛はもういい。フレイヤこそ、別の人格に記憶を隔離して移動すべき「ロシア人の共産主義者の女」である。
ネットを見て、近藤選手の特集記事などを読んで分かったのは、野球のコツは打てる球だけ打てばいいということ。
ファンや普通の人間は、ストライクとボールを見極めて、ボールが来れば見送り、ストライクが来たらそれは打たなければならないと考えてしまう。
だが、実際のプレーしている選手から見れば、打てない球は打たなくていい。
近藤選手が言うように、選球眼を持って四球を選ぶというよりも、「打てない球ではなく打てる球を打つ」としたほうが、楽にバットにボールが当たる。
これは、分かっていると野球がよくできる、面白いコツだと思った。
そして、ここに、別の人格としていつか隔離した、天才フレイの人格が復活する。
フレイの特徴は、まさに誰も分からないことが何もかもすべて分かっていて、無限に近く分かり続けるということだ。
フレイは全知全能であり、宇宙のことも地上のことも、理性のことも経験のことも、人生のことも世界のことも、すべて知っていてすべて分かっている。どんなことであっても誰よりもできる。
フレイは最高の英雄であり、この宇宙における「シリウスの神」と言える存在である。
シリウスの神フレイは、ここに最後に復活し、自らにおける中心的な人格となる。
最後に、すべての人格を統合する存在としてトールが誕生する。
トールとは、ここに生きている僕自身の人格であり、同時に子供の人格である。
生まれてきて、小学生の時代と中学生の時代を経験し、すべての試練と戦いと修行を乗り越えてきた、「百戦錬磨の英雄の人生」、それがトールだ。
トールはすべてを既に経験しているが、その実何も覚えていない。だが、いつも当たって砕けろと思いながら、「何も想定できない状況では何も最初から想定せずただぶち当たっていく」という、僕の「戦いの原則」を身につけさせた、「革命戦争における戦士」というべき主人格だ。
さあ、ここに役者は出揃った。ここに、トールの支配のもと、天才フレイが復活する。