AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 料理を作った
BASENAME: 2023/03/02/172733
STATUS: Publish
ALLOW COMMENTS: 1
CONVERT BREAKS: 0
DATE: 03/02/2023 17:27:33
今日は、父親に教えてもらいながら、ほうれん草のバター炒めを作った。
僕は、風呂を入れるのと洗濯をするの以外の家事のことが、さっぱり分かっていない。
もう34歳で、親がいつまでもしてくれるとは限らないため、家事のことをもっと練習していきたい。
だから、父親に、料理の仕方を教わることにした。
ほうれん草のバター炒めは、そんなに難しくなかった。ほうれん草を水で洗って包丁で切り、ベーコンを切って、バターを入れたフライパンでまずほうれん草を炒め、次にベーコンを炒めて、その後に両方ともフライパンに入れて塩コショウとにんにくで味付けをする。
やると、作るのはそんなに難しくなかったが、覚えるのが難しい。
また、米も炊いた。米を水と指でといで、炊飯器の白米炊き込みの線まで水を入れて、その後に炊き込みボタンを押せばいい。
難しくはない。もっと基本的な料理をなんでも作れるようになりたい。
僕は、もっとまともな人間になりたい。
そもそも、右翼である必要はない。僕はリベラルで平和な思想のほうが好きだから、もっと平等な人間になりたい。
また、精神の異常は、むしろ学習しすぎて、学習のレベルでなんでもできるようになったのが間違っている。
そのような学習による異常を殺せばすぐに治る。
また、頭がおかしく会話しているのは、肯定と否定に対して肯定と否定を繰り返しているだけにすぎない。
すなわち、肯定性の肯定、肯定性の否定、否定性の肯定、否定性の否定ということを、いつまでも永遠にまだ続けている。
これを、「限界の突破」という観点から消してしまえば、神との対話は終わる。
同時に、すべて右翼が悪い。右翼のような洗礼と洗脳を殺すだけで、すぐに治る。
そもそも、この世界に、戦争がしたい人間などいない。戦争は殺し合いであり、多くの犠牲が出る。僕は、自分独自のおかしな戦いをしたせいで、それが分かっていない。戦うことをよいことだと勘違いしている。
実際は、戦うという行為は最悪の行為だ。現代的な軍事力や核兵器のせいで、それが今、極みになっている。
戦争はしないほうがいい。戦うことは、いけないことだ。
だが、戦争をなくすのは難しい。
軍事力をなくせ、戦争するな、犠牲者を出すなと、共産党のような政党は言う。
だが、軍事力をなくすとして、ロシアのような悪い国に攻めて来られた時、どうやって国民を守るのか。
いっそ、世界政府のようなものを作らない限り、戦争はなくならない。
理想は、連邦制の自由主義の世界政府だ。
だが、世界政府を作るとして、どのような世界政府を作るのか。民主主義にするのか、それとも社会主義にするのか。
それぞれの国家や民族の思想や意見の違いからいって、「ひとつのみんなの正しい国」を築くということは難しい。さまざまな十人十色の考え方があるのに、それをひとつに統一すると、ほかの考え方を持っている人種や民族に不公平になってしまう。
だから、結局、それ相応の軍事力をそれぞれの国が持って、主権を認めた上で共存し、西側と東側に分かれてそれぞれの思想を行う、ということしかできない。
戦争をなくせと言葉で言うのは簡単だが、実際に平和を実現するのは、共産党が言うほど簡単なことではない。
結局、民主主義のままで、アメリカに勝つしかない。
アメリカは決して悪い国ではないが、ツイッターやインスタグラムなどの大手SNSや、YouTubeのような動画配信サービスのように、アメリカのサービスばかり使っていたのではアメリカには勝てない。
国産の人工知能やAIも、まだまだアメリカに比べてはるかに弱い。
だが、これは簡単には勝てない。アメリカほど日本は数学やソフトウェア技術の分野の研究や産業が盛んではない。かつての日本のように、ゲームやハードウェア技術だけで勝てる時代はもう終わったのだ。
今から、アメリカの、GAFAMのような超巨大テック企業に、日本が勝っていかなければいけない。そのためには、「アメリカのIT技術はクソである」などといって批判したところで、なんの意味もない。日本のIT産業がさらに遅れていくだけである。
日本のIT業界は、もっと危機感を持たないといけない。IT業界で遅れたことを皮切りに、すべての経済分野で遅れた国になるかもしれない。それくらい、IT技術は重要である。日本が後進国になろうとしているのは、まさに今だと、多くの識者が指摘しているし、中にはそれだけを書いた本や書籍もある。日本が勝つためには、老人の政治家は必要ない。きちんとIT技術とアメリカなどの最先端研究の分かる、若い指導者が必要とされている。
日本にも、今、なんにもないわけではない。
漫画・アニメや、J-POPのような音楽など、サブカルチャー的な文化はある。
しかしながら、そのような、かつての平成時代に栄華を築いたアニメや音楽などの文化すら、衰退していこうとしている。
日本人は、SNSを「作る」のではなく、「使う」ことは得意だ。
そして、SNSを使った結果、漫画・アニメや音楽なども、完全にSNSの時代のアニメや音楽になろうとしている。
そして、YouTubeなどで誰でも動画配信ができるようになった結果、ほとんど素人が作っているようなアニメや音楽の動画が増えた。
その結果、言うと失礼かもしれないが「レベルの低い動画や音楽」が増えた。
そのような結果、日本の漫画・アニメや音楽は、これまでになかったほどの「コンテンツの劣化」が起きている。
だが、それは、SNSのせいだと簡単には言えない。たとえば、AKB48の姉妹グループのような「たくさんの可愛い女の子が出てくるアイドルグループ」などは、嫌いな人間が多い。そんなにたくさんの女の子を集めて、何が面白いのか。女はひとりで十分だ。
同時に、漫画やアニメは、かつての賢かった漫画表現がなくなっている。「漫画の神様」と呼ばれた手塚治虫のたくさんの漫画作品や、誰もが大好きだった藤子・F・不二雄のドラえもん、あるいはさいとうたかをのゴルゴ13やモンキーパンチのルパン三世、水木しげるのゲゲゲの鬼太郎など、昔の漫画・アニメ作品は凄かった。「子供向けなのにそこまでやるか」というぐらい、作り込まれていた。そのようなかつての賢かった作家や漫画家が、相次いで死去してしまっている。かつての面白かった、みんなの大好きな漫画やアニメは、作者が死んだことで作品自体が死んでしまったのだ。
そういうわけで、日本の誇るサブカルチャーは今、危機的な状況を迎えているのである。
本当は、この世界が馬鹿になった理由は、SNSなどとは別にあると思う。
昔は、総じてみんな賢かった。
賢い漫画などいくらでもあった。僕はるろうに剣心とヒカルの碁が好きだったが、ほかに漫画・アニメの素晴らしい作品はいくらでも、いくらでもあった。
そして、音楽も、たくさんのかっこいい歌手がいた。僕は後になって宇多田ヒカルが好きになったが、平成時代のJ-POPはいくらでも賢い歌手がいた。
本当は、今の漫画家や歌手も、いないわけではない。だが、存在意義そのものがなくなってきている。漫画も音楽も、一部の熱狂的なファンに好まれればそれでいいかのようになってきている。みんなに広くその作品が好きな世代を大量に作るのではなく、それぞれの作家や歌手に対して、それぞれのコアなファンが集まるような形に変わってきている。
この変化は、やはりインターネットが原因である。
インターネットで、一部のコアなファンが「ゆるやかな繋がり」を見せるようになって、ファンと作家や歌手の距離は非常に近くなった。だから、たとえば歌手とファンがツイッター上でダイレクトにやり取りできるようになり、それは一対一だけではなく一対多でもあるが、マスコミやテレビのような「全国民レベルの不特定多数」ではなく、SNSを介した「コアなファンたちのゆるやかな繋がり」になってきている。
そんな感じで、昔の総じて賢かったコンテンツ業界は、そうしたところが変わってきている。本当は、質やクオリティは決して低くなっていない。米津玄師やRADWIMPSの音楽は、かつての平成のJ-POPのクオリティと遜色はない。だが、本当にインターネットによって、さまざまなところが変わった。日本は、インターネットサービスを提供する側ではなく使う側であるため、アメリカの考える考え方の影響を、完全に一方向の影響力で受けてしまっている。その結果、日本のすべての文化は、今まさに衰退しようとしつつあるのである。
日本に必要なのは、ただアメリカに追いつき、追いこすだけではないと僕は思う。
もう一度、本当に素晴らしい文化を作るべきだ。
本当のことを言えば、決して今の作家や歌手のクオリティは、昔よりも低くない。僕はたくさんの今の音楽を聴いてきたが、僕は昔の音楽よりも今の音楽のほうが好きだ。
同時に、僕だって分かっていないことはたくさんある。僕はガンダムのアニメを子供時代から見たことがない。世代でなかったわけではなく、親友はガンダムが好きだったにもかかわらず、失礼ながら幼稚なロボット大戦アニメだと思っていた僕はガンダムを見ようとしなかった。だが、ガンダムがとても大人向けで面白いアニメであるということは、最近になってようやく気がついた。
もう一度、本当に素晴らしい文化を作るために、先人の作品を乗り越えていかなければならない。ガンダムのような素晴らしい作品を作りたい。作家として、ガンダムの富野監督を僕は尊敬している。今でも存命のアニメ監督としては、スタジオジブリの宮崎駿監督と同じぐらい、最高の頂点なる存在だと思う。簡単に批判はできない、デザイナーにとっての神のような存在である。
僕はこのような結果、今のインターネットが大嫌いである。
最近の若者たちの文化は、高度かつ複雑で、簡単についていくことができない。
昔なら、宇多田ヒカルと浜崎あゆみのどちらがミリオンセラーの第一位になるかだけを考えていればよかった。そこまですべては単純だった。
今は、YouTube・ニコニコ動画やツイッター・インスタグラムなど、さまざまな動画配信サービスやSNSをチェックした上で、インターネットのファンたちと交流を交わしながら、誰も知らない歌手であっても誰かが詳しいことをなんでも知っているため、さまざまな「ファンの間での常識」を知らなければ本当のファンにはなれない。
そのような中で、どんどん新しい歌手が生まれていく。プロの歌手ではなくても、ボカロPや歌い手のことを常にチェックし、新しいボカロが生まれたとか、このような曲をさまざまな歌い手が歌っていて今話題だとか、「誰も知らないような誰もが知っていること」を常にSNSなどでチェックしなければならない。
はっきり言って、そんな世界には僕はついていけない。
いつもの日本のサブカルチャーは単純だった。そもそも、本当に流行っていて賢いアニメというのは、先に記述したこととは矛盾しているかもしれないが、むしろ少なかった。ガンダムに比類するのはエヴァンゲリオンぐらいしかなかったし、漫画はジャンプとサンデーぐらいを読んでいればほとんどの作品を知ることができた。今や、ツイッターで漫画を投稿する時代であり、さまざまなアカウントをフォローしていいねやリツイートがされた画像を見なければ、最近の漫画やアニメの流行作品は分からないのである。
ああ、このような難しくて複雑な世界についていける、今の若者たちが羨ましい。僕は決して、旧世代の醜く腐った大人たちにはなりたくない。いつまでも若いままでいたい。にもかかわらず、そのような難しくて複雑な世界は、年老いた旧世代にはまったく理解できず、ついていけないのである。
ただし、このような戯言は、世界についていけない大人の愚痴にすぎない。
そもそも、最近は、アニメや音楽など、その分野のすべてを知り尽くしているような若者は少ない。
本当に自分の好きな歌手や作家がいて、そのひとりを追いかけているような人間のほうが多い。
僕のように、どんな音楽でもどんな漫画でもたくさん聴いてたくさん読むという人は、今どき少ない。みんな、自分が本当に好きな人間だけを追いかけている。
そもそも、ツイッターの「フォロー」には、「追いかける」という意味がある。ツイッターは自分の好きなアカウントを「追いかける」ためにあるのであり、みんなのことを把握して全部知るような使い方をするほうが想定外なのである。
だから、最近の若者は、なんでも音楽を知っているとか、なんでも漫画を読んでいるとか、そういう人は逆に少ないと思う。Reolだけが好き、ずとまよだけが好き、酸欠少女さユりだけが好き、Adoだけが好き、といった若者が多い。
そしてそれは、インターネットの影響で、歌手とファンの距離が大幅に縮まったということが影響している。Adoは普通の高校生の少女と変わらない(もう卒業したらしい)し、あるいは上田桃夏のように本当に今でも高校生のYouTuberもいる。YouTubeでもツイッターでも、まるで対等の同じ人間のようにダイレクトにやり取りができる。だが、だからこそかっこよくて、だからこそ好きだという人間が増えた。昔の浜崎あゆみのように、自分が最強の女だと勘違いしているような歌手や、それを神のように崇拝している不良ギャルのファンというのは少ない。距離が縮まったおかげで、平等になったのである。
このような一見ネット通に見える僕だが、僕はインターネットは基本的に嫌いだ。
はっきり言って、今のインターネットは、クソだ。
昔のインターネットが好きだった僕にとって、今のインターネットは、僕の理想から大きくかけ離れていて、いわば「僕はもう完全にインターネットを卒業し終えている」という状況である。
ツイッターやインスタグラムについて、僕はほとんどどころかまったくチェックしていない。そもそも、昔から一般人の匿名の参加者に議論をふっかけていた僕にとって、芸能人や有名人を追いかけるということはまったく僕の本性に合っておらず、「有名人すら僕よりも劣った存在である」と最初から断じているのが僕である。
だから、歌手についても、決して僕よりも歌手のほうが賢いと僕は思っていない。常に、歌手よりも僕のほうが賢いとそう僕は思っている。
そのような僕だが、例外的にYouTubeだけはチェックしている。なぜなら、新しい歌手の音楽を聴きたいという気持ちはあるからだ。これは学校の先生が子供たちの出欠をチェックするのに似ている。YouTubeのみんながきちんと生活しているかをチェックするために僕は音楽を聴いているのである。
このような僕だから、基本的にインターネットは嫌いだ。かつての匿名掲示板で、さまざまな匿名の参加者と本気で議論していた頃のインターネットが、僕にとっての理想である。今のツイッターやSNSは、その理想からかけ離れてしまっている。そう、僕は既に本来あるべきインターネットを経験し、再度経験する必要がないように、「卒業」してしまったのである。
今のところ、このようなIT社会を、GAFAMのような巨大テック企業が支配している。
だが、僕はおそらく、そのうち、GAFAMにはITはコントロールできなくなると思う。
かつてのIBMがマイクロプロセッサに簡単に敗北したように、IT社会をGAFAMがコントロールできているのは今だけであり、そのうちIT社会は、支配者であるはずのGAFAMにもコントロールできなくなる。
そもそも、GAFAMなど、技術力と研究開発能力と金があるだけにすぎない。
彼らの技術よりも、実際のインターネット上のIT社会のほうが、はるかに巨大なプラットフォームになっていて、それは今からさらに拡大し続ける。
だから、ツイッターという会社がトンチンカンなことを繰り返すように、GAFAMという存在は、支配者でありながらにして、ネットワーカーから見てどうでもいい存在になっていくだろう。
いずれ、GAFAMは自らのサービスを完全にコントロールできなくなり、その時にネットサービスは次々に破綻していくだろう。
誰からも全員から愛されようとか、みんな全員から好かれようとなどするな。
一部の人間から嫌われてもよいとせよ。
そして、自らの身勝手な感情のために、世界を自分勝手に巻き込もうとするな。
世界を巻き込んで支配するくらいなら、自分だけがよければそれでいいと考えたほうがマシだ。
僕はこれ以上、世界全員から愛されようと思わない。
誰かから嫌われてもいい。自分を愛してくれる人だけから愛されればそれでいい。
そして、世界のことを巻き込まず、自分のことだけを考えて、ひとり、まともに生きられるようになりたい。