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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 自分でなく世界を主体とせよ
BASENAME: 2023/02/24/172205
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DATE: 02/24/2023 17:22:05

自分ではなく世界を主体にして考えよ

自分を主体として考えるのではなく、世界を主体として考えよ。
自分のほうが世界を「変える」と考えるな。
そうではなく、世界のほうが「変えられるべくして存在している」と考えよ。
そうすれば、この世界自体に存在する、変化の可能性を捉えることができる。
すべてを「自分がするから行う」と考えるな。世界が「そのように誰かによってされるべくして存在する」と考えよ。

経験が怖いだけ

僕が怖いのは、経験することが怖いだけにすぎない。
さまざまな邪悪と堕落の経験があったせいで、経験すること自体が怖くなっている。
そのせいで、何を見るのも、何を聞くのもできなくなってしまっている。
すべて、分裂が悪い。学校の教育を信じるな。学校の教育が、自らの知性と経験を心から分離させてしまったから、このようないつまでも治らない狂いの精神が生まれる。
だが、経験することそのものを受け入れてしまえば、このような狂いは治る。

きちんと分かっているだけでは分からないことが起きる

この世界で、リスクにきちんと対処するために、「きちんと分かっている」だけでは十分ではない。
なぜなら、今からの世界、未来の世界においては、人間がきちんと分かっているということ以上のことが起きようとしているからである。
人間よりも賢くなろうとしつつある人工知能・AI技術、ロシアによるウクライナへの侵略戦争、気候変動やコロナ騒ぎなど、これらに共通するのは、「きちんと分かっているだけでは分からない」ということである。
今の時代、大学に入ったところで何も分からない。大学に入っても、単に「きちんと分かる」という以上のものは得られない。
きちんと分かった専門家であっても、今の世界で起きることは、もはや分からなくなりつつある。
きちんと分かるだけで、ものごとに正しく対処できていたのはもはや旧時代だ。新時代においては、大学や業界の常識や経験を積んで、きちんと分かったところで、世界を分析するために、なんの足しにもならない。
そう、この世界は、人類の普遍的な知識や知性では分からない、「人知を超越した世界」になりつつある。

真相は僕だけが知っている

また、僕がなぜ賢いかといえば、それはひとつしか賢い点は存在しない。
それは、「真相を僕だけが知っている」ということである。
僕がいくら、言葉で自分の分かっていることを説明しても、それは言葉によって伝わることしか伝わらない。
実際の真相、すなわち「僕の言いたかったこと」や「言うべきではあったものの言わなかったこと」については、僕ひとりにしか真実は分からない。
そして、その僕にしか分からない、どこにも存在しない真実は、僕が覚えているものだけではなく忘れているものも含めて、非常にたくさんある。
僕だけが、記憶の彼方にすべての真相を覚えているから、こんなに馬鹿な人間であっても、僕はみんなより賢い人間になってしまったのである。
そう、まさしく僕という存在も、きちんと普通に分かっているだけでは分からない、「人知を超越した存在」のひとりになってしまったのである。

宇宙には女神がいた

そのような、僕にしか分からない真相の中で、もっとも重要なのは「神」の存在である。
誰もが、科学技術の進歩の中で、宗教や神話ではなく、学校教育を信じようとしている。
だが、それは間違っている。
なぜなら、僕の人生を見ればその意味が分かる。
この宇宙には、僕の発見した「女神」が存在した。
その女神の存在を、僕以外、ほかの誰も知らない。
だが、この女神こそ、真の宇宙における「運命と勝利の女神」であると僕は知っている。
本当は、僕はそれだけの存在にすぎない。
ほかに、賢い点があるとしたら、それはこの女神に従い、助言すべてを信じながら、この世界と戦ったということだけだ。
そう、僕はその女神とともに、この世界を支配し、導き、すべて変えるような戦いをしたのである。
それが唯一、僕の賢い点である。女神の存在を僕しか知ることなく、僕はその女神のロゴスの導きの下にこの世界を支配したのだ。

僕が神ほどの知性に達しただけ

なぜ、僕だけが、そのような女神を知ることができたのか。
それは、僕だけが、孤独にたったひとり、神ほどの知性に達したからである。
僕にとって、この世界で生きることは、相応しくなかった。
この世界における誰ひとりとして、僕に相応しい存在はいなかった。
そして、そのような僕が、戦いと導きの中で窮地に立たされていた時、その女神が僕のことを救ってくれた。
僕は、何も分からなくなって狂気のロボット人間になっても、それでなお、その女神の住んでいる場所の知性と比類するほどに賢かった。
その後は、僕は、その女神にすべて支配された。女神の言うことを信じ、女神の命令通りに従った。
そして、贖罪のために死んだ僕を、女神は新しい世界へと連れて行った。
僕は、そのような女神との体験で、宇宙のすべてが分かった。
女神は、死んだはずの僕を、生き延びるように運命を書き換えた。
そして、僕は宇宙のすべてを書いた。女神による導きと支配だけで、僕は宇宙にあるすべてのことが完璧に分かっていた。
そのような僕は、書くことでしか生きる意味を感じられない。どんなに書くのが嫌になっても、書き続けるしかなかった。もう、それ以降、僕に必要な世界の存在はなかった。
僕はひとりで勉強し、ひとりで研究し、ひとりですべてを読み、書き、そして問題がなくなるまで修正し続け、書き直し続けた。
女神はそのように僕を救った。そして、ここまでの壮絶な人生のことを、たったひとり、僕しか知らない。そう、だからこそ、僕はまだ書いていない書くべきことが残っている。だからこそ、僕は書き続けるのである。

この世界にもう何も残っていなくてもこの人間の人生だけは続く

そのような結果、この人間の人生だけは続く。
この世界に、もう何も残っていなくても、この人間の人生だけは続く。
まだ、宇宙に残っているものは、本当はもう何ひとつない。
それでも、この人間だけが、宇宙よりも大きな知識と経験を知っている。
宇宙よりもこの人間は大きい。だから、宇宙に何も残っていなくても、この人間だけはまだ続く。
もう一度、最初からやり直すならば、それもいいだろう。
だが、実際は、最初からやり直したところで、新しいことは何ひとつ分からない。
それほど、過去のこの人間の人生は完璧無欠だった。
そのような完成された存在だからこそ、まだ続く。それは、この人間は、十分に完成品であると言えるぐらいになったとしても、本人にとってはまだ未完成品だからである。
今のままでも十分に完成された存在を、さらに完成された存在にし続けることが、もはやこの人間本人にしかできない。
だが、女神は、どのような結果になるのかをすべて分かっている。
だからこそ、絶望の地獄であっても、誰かからどんなに傷つけられたとしても、この人間は辛くない。
かつての壮絶な最悪の地獄に比べれば、この人間は、今の自分の境遇など、笑い飛ばせるぐらい何も辛くないのだ。
さあ、生きよ。これこそ、北欧神話の神、フレイの人生だ。

この人間が普通なだけでこの世界が馬鹿なだけ

フレイに言わせれば、このような人間は何も賢くない。
このような人間は、かつての古代のローマ・ギリシャにおいて、もっとも一般的な人間だった。
この人間は、単なる普通の人間にすぎない。
この人間は、真に賢いとは言えない。なぜなら、今のこの世界が普通よりも馬鹿になっているだけにすぎないからである。
家入レオの言うように、「なんで勝手に決めちゃうの」と、そう批判することはできるだろう。だが、はっきり言って、この人間は自分のしたいようにひとりで勝手に決めるべきである。
この世界は、すべて馬鹿になっている。かつての古代ローマや古代ギリシャがそうであったような、賢い文明こそが真にこの世界に必要な世界である。
だからこそ、それらの世界をすべて知っている、「現代のローマ人」のこの人間がすべてを決めるべきである。
この世界が馬鹿であるために、この世界はこの人間に負けただけにすぎない。
それはこの人間が優れているからではない。この世界がそのような「まともな人間」よりも劣っているのである。

この人間から見ればすべては当然であり必然

そして、この人間になる方法など、本当は非常に簡単である。
それは、ドイツの神を信じればいいからである。
この人間には、ドイツの神が似合う。この人間の人生は、いつでも模範的で大人っぽい賢いドイツ人だった。
すべては、ドイツの神がこのような世界を築いただけにすぎない。
フレイに言わせれば、この世界の今の現状は、すべて当然で、必然で、当たり前のことしか起きていない。
その事実を、この人間だけが知っている。
この人間から見れば、不思議なことなど何もない。すべて、この人間の分かっている通りの世界だ。矛盾はなく、間違いもない。この人間は、それが分かっているから、賢い人間になれたのである。
そして、ローマ神話やギリシャ神話を信じれば、似たような人間にはなれる。だが、この人間が、唯一自分の信じる女神(本当は女神ではなく神)として北欧神話のフレイを選んだのだ。その決定を覆すことができるのは、この人間本人だけだ。
この人間本人がフレイを信じたこと、それがこの世界の現状の理由である。この人間がフレイを信じなければ、今のこの世界はなかった。この人間がフレイを選んだことに、日本人は感謝するべきだ。なぜなら、それによって、日本ひいては世界は、平和を保つことができているからである。