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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 数学とプログラミングと神は嫌い
BASENAME: 2023/02/13/160013
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DATE: 02/13/2023 16:00:13

数学やプログラミングなんかしたくない

はっきり言って、僕は数学やプログラミングなんかしたくない。
僕はインターネットやWebサービスも嫌いだが、それ以上にゲームやWindowsが嫌いだ。
僕はそもそもパソコンやIT技術が嫌いであり、プログラミングなんか学びたくない。
同時に、僕は数学の何が賢いのかよく分からない。
数式を見ると、僕は理解できない。僕と数式はまったく相性が悪い。
僕は、数学やプログラミングなんか、これ以上学びたくない。

神など信じたくない

また、僕は、神など信じたくない。
僕が神を信じているのは、「神と対話したらどうなるだろうか」という好奇心から、神と対話しただけにすぎない。
確かにアッラーは僕を救ってくれたが、僕は神など信じたいとは思わない。
そもそも、一神教を信じている人間は、神など信じない。神を信じない人間は、一神教を信じている人間が多い。
多神教の神々などを信じたところで、何もない。悪魔になって地獄に堕ちるだけが、神を信じる人間だ。
僕はもう、神を信じない。

この世界を救いたい

このような僕が、では一体本当は何をやりたいのか。
僕は、唯一、この世界を救いたいだけだ。
この世界を救いたい。かつての楽園のような救済された世界を取り戻したい。
かつての救済と同じではなくていい。同じではなくていいから、もう一度、この世界を救いたい。
僕はそれしか望んでいない。
本当は、小説が書きたいわけではない。かつての自分、この世界を救うことができた自分自身のことを、思い出そうとしているだけにすぎない。
忘れてしまったこと、隠したままで見つけられなくなってしまったことを、僕は今でも探し続けている。
その理由は、この世界の人々を愛しているからだ。
僕は、この世界を愛している。この世界が、再び救われてほしいと、心からそう願っているのである。

放送大学の勉強をすることにした

放送大学の勉強をすることにした。
新学期の授業科目について、コンピュータ系の科目を2つ、英語の科目を1つ登録した。
これらをきちんと勉強して、放送大学をいずれ卒業したい。

基礎のあるものを分かればその上に積み上げられる

知性とは、「基礎のあるものを分かれば、その上に積み上げられる」ということだ。
基礎的なこと、すなわち、何かをするとしたらどのようなことがあるか、ということを分かって、それを覚えてしまえば、その分かっていることの上に、目的と理由に基づく「応用的な知性」を構築することができる。
これはたとえば、プログラミングにおいて、ライブラリ関数のAPIの上にプログラムを構築するような考え方に近い。
あるいは、低水準レイヤーの上に高水準レイヤーを作っていくような考え方だ。
子供が数学を学ぶのも同様で、基礎をひとつひとつ知って、その基礎を使った応用をコツコツと積み上げていくのを、すべて自分で行うのに、この知性は相当する。
そのように考えることで、この世界を自由自在に知性と具体例で考えられる。そして、「頭のいい人間」になることができる。

支配と制限が悪

悪とは何か。
悪とは、支配と制限だ。
誰かが勝手に、それはそういうものであると決めて、そうでない可能性を制限し、思慮の足りない知性で世界の可能性を制限するな。
できるだけ自由にし、できるだけ支配せず、解放せよ。
それこそが自由であり、可能性であり、人々を「尊重する」という考え方である。
支配者は、国民の意志に決定を委ねよ。
勝手に決めず、国民が自由に決められるようにせよ。

人生は治るだけ

はっきり言って、人間の人生など「治るだけ」である。
辛く苦しい病気にかかって、何をしても治らない中で、もがき苦しんで、どうにかして治らないかと可能性の限界まですべてを考えて、失敗と地獄をいつまでも経験しながら、少しずつ楽になって治るだけ、それが人生だ。
苦しみはいつまでも変わらず続くが、永久には続かない。15年ぐらいすれば、そのうち普通に治る。
どんなに辛くても、もがき苦しみながら頑張るしかない。頑張ればいつか、楽が訪れる。その楽を最後に知った上で、僕たちは死ぬのである。

事前に考えよ

それがもしそうなるとか、それをもしするとか、そういう時の前に、事前に考えるべきことは何かを考えよ。
問題とリスクへの対処策から考えれば、「問題の解決方法」という真理を知れる。
そして、潜在的なその可能性が、いつ成り立つか、その成立する条件とは何かを考えよ。
あらゆるすべての現象と可能性を予測した上で、その予測に対処するように考えれば、どんなことであっても事前に対策することができる。

イスラム教が多神教のことを嫌う理由

イスラム教の神アッラーが、なぜ多神教が嫌いなのか。
それは、僕の多神教を信じていた時代が、あまりに悪くて馬鹿だからである。
一神教を信じている、今からの時代が、あまりにまともで賢い人間なのに対して、過去の多神教を信じていた時代が、あまりに馬鹿で悪い。
だから、イスラム教の神アッラーは、「多神教徒を殺せ」と言う。
多神教が間違っているとされたのは、すべて今までの、過去の僕のせいである。