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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: スピカ
BASENAME: 2023/02/12/105248
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DATE: 02/12/2023 10:52:48

スピカは美しい

スピカは、美しい星である。
スピカの生物は、美しい。
スピカにおいて、生物の基本となる色は「カラフルでありながら透き通るように透明」である。
スピカの生物は、光が透き通るような透明の肌をしている。
透明でありながら、赤や青、黄色や緑のような、カラフルな肌をしているスピカの生物たちは、全部が芸術作品のように美しい。
そして、美しいだけではなく、スピカの生物は悲しい。
それは、スピカにおいては、人生に「悲劇」が起きるからである。
スピカの生物は、全員が悲劇を生きている。この悲劇は、とても感動できる、面白いシナリオだが、それでなおかつ、とても不条理で、とても悲しい。
そのようなスピカの教えは、「継続して努力せよ」ということである。
何か特別なことはしなくていい。
単に継続して、常に努力し続ければ、必ず未来は開ける。
スピカでは、悲しみと努力を愛する。悲しみと努力こそがスピカのすべてである。

スピカには古代文明が栄える

また、スピカは単なる美しいだけの星ではない。
スピカには、偉大な古代文明が栄えるからである。
実際、スピカには、地球における現代の民主主義のような、近代文明は存在しない。
だが、スピカには、地球で言うところの、古代文明が存在する。
そして、スピカは、古代文明のまま、何も変わらないままを、何千年のレベルで保ち続けている。
そこにあるのは、「すべての文明を完璧に知っている」ということである。
スピカの文明は、ヨーロッパでいえば古代ギリシャや古代ローマに相当するものであり、きちんとした人間の生活できる文明がある。
そのような古代文明のままを、長い間常に保ち続けている。
そして、ただ保ち続けているだけではなく、そのような古代文明のすべてを記録し、「星の文明の歴史」を完璧に知っている。
よって、古代文明といえども、地球の現代文明よりも、ある意味では進んでいると言えるのである。

スピカには理科がない

スピカには、偉大な芸術が多い。
スピカでは、文学、歴史、美術、音楽を重要視する。
スピカには、理科や自然科学のようなものがない。理科や自然科学のような、「文明を進歩させる」という発想が、スピカにはそもそもないからである。
スピカは、伝統を守り続けることを重視する星であり、文明を進歩させて豊かになる、ということが、おそらく生物の遺伝子レベルで存在しない。
なので、スピカは、まるで動物が何も進歩せず原始的なサバイバルを生き続けるのと同じように、まったくの古代文明のままを生き続ける。
だが、それでも、スピカには歴史がある。なぜなら、スピカには、「芸術作品を作って美しい世界にする」という意味での文明の進歩や発展が存在するからである。
スピカには、偉大な芸術家が多い。スピカは、文学と美術と音楽を重要視する。そのような、「生物をより美しくする」という意味での発展を、スピカは好む。
スピカの都市は、まるでローマのキリスト教寺院のように美しい。すべてが美しいスピカでは、誰もが幸福な人生を生きている。スピカにおける幸福とは、「美しく生きること」だ。美しく生きるというスピカの理想が、「悲劇の文学」を多数生み出すのである。

スピカは生物とともに暮らす

なぜ、理科や自然科学のような文明の利器が存在しなくても、スピカが幸福に生きられるのか。
それは、スピカは生物とともに暮らすからである。
かつての日本の農家が、牛や馬のような生物とともに暮らしていたのと同じように、スピカの人々もまた生物とともに暮らす。
そもそも、スピカでは、人類に相当する古代文明の住人と、それ以外の生物種の間に、あまり違いが存在しない。
美術や音楽や文学を好み、知性を持つということ以外に、それらにあまり違いが存在しないのである。
スピカは、生物とともに暮らす。そして、芸術を好む。そして古代文明のままを維持し、とても美しく悲劇の人生を生きているのである。

スピカは分からない

また、スピカには、「分かる」という発想がない。
地球の現代人が、大学を学んで「分かる」というような発想が、スピカにはない。
スピカの生物は、「分かる」ということを好まない。
逆に、スピカの生物は、「自ら考える」ということを好む。
スピカの生物は、すべての知識を網羅的に包括して分かるような、大学のような発想をしない。
スピカの生物は、分からない中で、自ら自身の力で考えることで、なんらかのことを知ろうとする。
これが、スピカとベガの決定的な違いである。
ベガは、大学の学長であるオーディンと、完璧な先生であるヴァルキリーが、宇宙のために成熟した文明とすべての知識を教える。
だが、スピカは、そのような「分かる」という発想を嫌う。
すべての知識を教わって、すべてを分かったところで、それ以上がなくなってしまい、いわば「終わり」になってしまう。
スピカの人生は、そのように大学では終わらない。
自らが考え続けること、いつまでも分からないままで継続して努力することこそ、真に賢く人生を生きることであると、スピカは知っているのである。