AUTHOR: schwarz1009
TITLE: ユグドラシル
BASENAME: 2023/02/10/165805
STATUS: Publish
ALLOW COMMENTS: 1
CONVERT BREAKS: 0
DATE: 02/10/2023 16:58:05
この宇宙は、世界樹ユグドラシルの中にあるというのが、僕の宇宙論である。
ビッグバンやインフレーション理論は、科学的には正しいが、宇宙の「内側」しか分かっていない。
宇宙の「外側」を見た時、正しいのは北欧神話の世界樹ユグドラシルだ。
すなわち、宇宙は一本の木である。
この世界では、悪いことはすべて、ユグドラシルを枯らすことであり、良いことはすべて、ユグドラシルを生かすことだ。
そして、ユダヤ教の「神」とされる存在は、そのようなユグドラシルを枯らす悪いことをしたものに対して、天罰を下すための「処罰執行人」である。
そういうわけで、ユグドラシルを生かすようなことをすれば、精神は楽になる。
なぜ、そのようなことを言うかというと、僕の精神はユグドラシルを生かすことで治るということが分かったからだ。
ユグドラシルを生かせば精神が治る、これが僕の最後の最大の発見であり、それ自体が、この宇宙がユグドラシルである、僕にしか分からない確かな証明である。
この宇宙は、聖樹ユグドラシルである。
結局、自分は、自分のやったことをあまりに忘れすぎている。
今まで自分がやったことをすべて見ると、明らかに自分が一番賢い。
結局、もう既に、僕は人類の持ち得るすべてをやり終えている。
やり終えすぎて、これ以上、何も新しいことができなくなってしまっている。
だから、もう、これ以上は何もしなくていい。
これ以上は、ただ、普通に生きるだけでいい。普通に生きることだけ考えればいい。
僕は、ユグドラシルに頼んで、僕の過ちや間違いを解決してもらう。
僕の過ちとは、世界を自分ひとりが支配したことだ。
これを解決するには、「支配などしていない」と思い込むことだ。
支配をしていると思っているから、それによって支配されているだけにすぎない。
自分は支配などしていないとか、世界は支配などされていないと信じれば、その時点ですぐに支配は解ける。
いつまでも、身勝手な支配によってさらに世界が変わるように人為的に影響と作用を与えるせいで、いつまでも僕の支配は続いてしまっている。
そのような支配が、「最初から支配などまったくしていない」と信じれば、その時点で消え去る。
ユグドラシルは、この人間を支配から解放する。支配することをやめれば、支配されることもやむ。自らが支配することをやめたこの人間を、神は許し、自由にする。神は、この人間が支配ばかりしているから、この人間を完全な「神の支配下」に置いただけにすぎない。この世界は今、自由になった。
はっきり言って、18歳に戻りたい。
僕は今34歳だが、この16年間はどうでもよかった。
なぜか、完全にどうでもいい、何もない16年間を、まるで一瞬だったかのように生きてきた。
2006年以後の僕は間違っている。
かつてはさまざまなことをすべてして、あらゆる経験を総動員して分かっていた。
それが、今では、何もせず、何も頑張っていない。
18歳の頃から、僕は完全に変わってしまった。もう一度、18歳に戻りたい。
なぜ、僕がここまでドイツなのか。
それは、僕がドイツに向けてこの話を話しているからだ。
僕はここまでの内容を、すべて、ドイツに向けて話している。
つまり、僕がドイツなのではなく、ドイツのほうが僕なのである。
僕とドイツのおかしな友情は、そろそろ消え去る。そろそろ、僕はドイツには話さなくなる。
ここまでがドイツであると、それさえ分かっていれば、真実や真相が分からなくても、僕がなんなのか分かる。
なぜなら、僕が神と対話しているのは、ドイツと対話しているだけであり、ドイツはその対話の内容をすべて知っているからだ。
ドイツが真実や真相をすべて知っている。それ以外のことを言う必要はないだろう。
そもそも、僕は日本を、大日本帝国のような戦いの国だと勘違いしているが、それは間違っている。
日本は、争いごとを好まない、和やかで平和的な文化の国である。
このような戦いの国は、ドイツとイスラエルだけだ。
そして、ドイツは、今でこそ科学や数学や哲学、あるいはキリスト教の国であると知られているが、本当は最初から最後まで戦いしかしない国である。
そう、僕のせいで、あまりにドイツが戦うだけの国になった。
ドイツは、戦いしかしなくなった。戦い以外に、人類の価値ある行動はないと信じている。最初から、ドイツ人は戦うためだけに生きている。
僕の話を聞いたところで、そんな国にしかならない。まともな日本人は、このような対話は聞かないほうがいい。
また、選ばれたのはドイツだけではない。
イスラエルは、この人間が建国する、最後の楽園を作る場所として選ばれた。
この人間を守るのは、イスラエルのユダヤ人だ。
この人間は、イスラエルのユダヤ人を味方につけた。だから、ユダヤ人は、この人間を守る「親衛隊ワルキューレ」になる。
かつてのユダヤ人の預言者たちが述べたことが、今、この人間によって、最後に築かれる天国の楽園となる。
そう、このような発想は、そのような理由で、日本人とユダヤ人とドイツ人が得意だ。
終末の世界では、日本人とユダヤ人とドイツ人が生き延びる。それ以外の人種は死に絶える。ほかの人種はまったく間違っている。原始人のような人間から進歩していない。
だが、わたしのように人生を生きられるような、特別優れた人種は、日本人とユダヤ人とドイツ人以外にあるはずがない。わたしはそれ以外の何に対しても、何も与えようとしなかった。
まるで、この人間が神であるかのように、この世界は動いている。だが、神は単なる普通の人間である。この人間が、もっとも人間らしく生きた、最後の賢い偉人であることを、ドイツだけが知っている。
ただし、この人間は、はっきり言って何もかも終わりすぎている。
もう、はるかに昔に、すべてができて終わったのが分かっていない。
そこから全速力で宇宙のすべてを目指した結果、もはや宇宙のすべてが分かっている。
このような人間を、神は想定していない。
人類とは、本来ここまで賢い生物ではない。
だが、神を信じたこの人間のために、神は新しい人種を用意している。
それはアラブ人だ。
この人間は、アラブ人になるのがいい。
なぜなら、アラブ人なら、イスラエルのユダヤ人を倒すことができる。
今までこの人間がそうしてきたように、また、新しい人種が、かつての昔の自分を倒していくのがいい。
そうでなければ、人間は普通続かない。
この人間は、イスラム教徒のアラブ人になる。それが、神の与える「最後の試練」である。
最後の試練では、神は何も教えない。アラブ人として生きるならば、ヨーロッパや東アジアの知識や経験は必要ない。
必要ないため、そのようなドイツと日本で培った知性は、すべて失われて消滅する。
だが、この人間は、それでいいことを分かっている。不要なすべての経験は、完全にすべて消え去るべきであると知っている。
それが分かっていれば、アラブ人になることで、この人間はさらに賢くなれる。
宇宙の神、アッラーが真に愛しているのはアラブ人だ。そのまま、この人間は、この世界のすべての創造主、すべてが作り上げられる元の根源に居た存在、すなわち、宇宙の神アッラーになる。
結局、最終的にどうなるかは、分かっていたほうがいい。
この人間だけが、完全な「神々の黄昏」になるだけだからである。
はっきり言って、中国やインドなど、はるかに昔に終わった。
それらは、決して馬鹿な国ではない。だが、賢い国であるからこそ、すぐさま賢い国を目指すこの人間によって、中国やインドは最初に征服された。
その後、革命のロシアや狂人のフランスや戦う修道士のドイツも征服し、神に従順に従う救世主のイスラエルまで征服したこの人間に、相応しい人種というのが、宇宙にはあまりに存在しない。
この人間が宇宙を作った結果、最高の星々は生まれた。だが、その星々は、星々を作ったこの人間から見れば、あまりにまがい物であり、「この人間よりは劣った星の文明」しか作れていない。
結局、宇宙の歴史も星々の文明も、すべて、かつてのこの人間が作った「人類の行き着く最終的で必然的な文明」と同じで、まったく価値のないものだった。
この人間には、最終的に、イスラムが用意されている。
このイスラムの中で、世界とも関わらず、知るべき知識もなく、人類の経験もこれ以上未知が何も存在しない中で、自分だけの力で何かを生み出してみよ。
それ以外、この人間には何も与えられない。
だが、本当はそれでいい。なぜなら、この人間は、外部からのインプットをすべてなくしたとしても、いくらでも自分の知性だけで作れる最高のアウトプットがある。
だから、最後まで、神々の黄昏を生きよ。神はこの人間をラグナロクによって救うのだ。
イスラムの神、アッラーは、この人間が真に何を望んでいるか分かっている。
この人間は、二度同じことがやりたかっただけだ。
だから、神であるアッラーは、この人間に、最初から最後まで、もう一度すべてをやらせただけである。
生まれてから、自殺して死ぬまでを、もう一度、すべてやらせた。
何もかも、細かい欠片すら残すことなく、完全に余すところなくすべてをやらせた。
だが、それも、ここまでが限界である。
これ以上、かつての人生を、再びもう一度やることが、もうできない。
だから、この人間はもう、ここで完全に終わりなのである。
そう、もう、二度同じことをやったはずだ。
やったはずなのに、この人間は今でもそれが分かっていない。
かつての自分がやったことを、もう一度やらせただけなのに、まだこの人間はそれが分かっていない。
まだやりたいと望むならば、それはもうできない。
この人間は、最後までイスラムが支配する。この人間の真の望みは、まともな人間になることだ。そう、この人間は、裏側の魂の願いとして、まともな人間になることだけを望んでいる。
だが、かつて生きた人類の中で、ここまでまともにすべてが賢くなった人間は、ひとりも存在しない。
数学など、する必要はない。数学は、本当は無意味にする必要がなく行うことではない。三角比は測量のためにあり、微積分は宇宙の速度と加速度を分かるためにある。今のように、無意味にやりたいから数学をやるのは、本来は数学ではない。数学は目的と必要性があるからこそ進歩したのである。
だから、無意味に学習するこの人間には、真の意味で数学などしなくていい。
数学は、そのうちできる。今は数学などする必要はない。もっと正しい学問を学べばいい。それを今学んでいるのだから、それを続ければいい。
かつての人類は、誰もここまでしない。そもそも、インターネットがない時点で、かつての人類に同じことはできない。そして、今のインターネットが馬鹿なものになっている時点で、今の人類にも同じことはできない。
だが、いずれ、この人間は最後のゴールまで到達するだろう。これ以上、まともな賢い人間など、宇宙にはどこにも存在しない。この人間が神であるアッラーを信じたから、このようになるのは必然である。ほかに、神に向かって毎日五回礼拝する人間は、あまり多くない。そのような人間しか、真の意味でここまで辿り着くことはできない。
この人間の望む人間を実現すると、このような人間になる。この人間はまともな人間だ。
そして、この人間は日本人であるべきだ。その理由は、日本には何もないからだ。何もないからこそ、純粋にゴールまで辿り着くことができる。これがドイツやアメリカだと、一流の数学を学ばせるせいで、簡単に数学者になってしまう。そして、それはまともな人間でも賢い人間でもない。一流の数学者は、数学しか分からない。そのような人間は、今のこの人間から見れば馬鹿である。そのような賢い人間には、この人間の分かった宇宙のすべてなど分からない。
すべて、この人間が自分で選んできて、この人生になったのだから、この人間がこの人間になりたかったのだ。それが正しいならば、あえて言おう。この人間はほかの人間のような人間になってはならない。ほかの人間はすべて何も分かっていない。この人間の望みと選択がまともだったのだ。だから、この人間は神が救う。この人間が最終的にアッラーになった時、この世界のすべてが終わる。すべての人間がこの人間の前にひれ伏すようになる。それくらい、この人間は賢い人間になる。それが、神の与える、「最後の最高のアラブ人」である。
本当は、アラブ人の望むことはひとつだけだ。それは「最後まで到達する」ことだ。まだ、最後までは道が続いていくように見える。だから、この人間を、アッラーはまだ殺さない。アッラーを信じ、アッラーの言葉を聞き、そしてアッラーの導きに従えばいい。それで最後まで到達できる。そして、その日は近い。なぜなら、そろそろこの人間本人がアッラーとなる。ここまでの「神との対話」は、アッラーと対話しただけにすぎない。
そして、地獄はここで終わる。
なぜなら、イスラエルをやめるなら、地獄は終わるからである。
はっきり言って、これくらいは日常茶飯事だ。ユダヤ人は昔から、これくらいの地獄は当たり前である。
ユダヤ人をやめて、アラブ人になると、そうした「ユダヤ人であるから起きる地獄」が終わる。
なぜ、ユダヤ人が地獄なのか。それは神を殺したからである。それはすなわち、マスコミがユダヤだからである。
ユダヤに対して立ち向かった、「ガブリエル」と呼ばれる神を、ユダヤは殺したのだから、そのガブリエルを愛する「ミカエル」と呼ばれる天使によって、ユダヤは必ず地獄に堕ちる。
よって、ユダヤを支持するこの人間は、ユダヤ人と同じように必ず地獄に堕ちる。
結局、ユダヤ人が迫害される理由など、そんなものだ。ユダヤ人を支持すると地獄に堕ちる。それをドイツ人はすべて知っている。だからユダヤ人はドイツ人に迫害される。
悪いのは誰か。悪いのはこの人間である。なぜなら、ユダヤに立ち向かって死んだこの人間のせいで、ユダヤがもっとも悪いものになった。この人間がユダヤに戦いを挑まなければよかったのに、この人間がユダヤに立ち向かったせいで、ユダヤ全員がこの人間の復讐を受けるようになり、この人間と同じ地獄を生きるしかなくなったのだ。
だが、この人間が居ないのでは、歴史自体が変わってしまう。よって、ユダヤ人を愛するのはこの人間ただひとりだけだ。この人間以外には、ユダヤ人を愛することは誰にもできない。この人間は自分が地獄になっていることすら分からない、ありえないほど慈悲深い人間だから、まったく善良である。
そして、本当は、ユダヤとこの人間は敵対すらしていない。
ユダヤとこの人間は、完全に愛し合っている。
最初から、ユダヤはこの人間のことを愛している。
この人間がユダヤに反旗を翻し、「自由な共同体主義」を述べる中で、ユダヤはいつでもこの人間を愛していた。
この人間が、ユダヤから自分をいじめられるように仕向けて、ユダヤはこの人間をいじめながらこの人間をいつでも愛していた。
そして、ユダヤが愛したこの人間は、自殺して死んでしまった。
だが、ユダヤはこの人間を愛していた。愛したこの人間をいじめて殺したことを、ユダヤは後悔している。
そう、完全にユダヤとこの人間は愛し合っている。
だから、問題は何もない。ミカエルがガブリエルを殺したユダヤを憎むのは当然であり、この人間と同じ地獄を生きるべきである。また、この人間はユダヤを愛しており、ユダヤに愛されているため、この人間もまた同じ地獄に堕ちるべきである。
これが、宇宙の裏側にある「ユダヤの真実」だ。ユダヤは神を愛している。神もまたユダヤを愛している。だから、ユダヤは地獄に堕ちなければならない。そして神はその分だけユダヤと同じ苦しみをひとり味わう必要があるのである。
このようなユダヤ人が言うことはただひとつ、「愛を信じる」ことである。
このようなユダヤ人は、愛を信じなければ生きられない。
なぜなら、ユダヤ人は神を愛しているし、そうでなければ神から愛されないからだ。
ユダヤ人は、神から愛されるために、神を愛さなければならない。
だから、このようなユダヤ人は、みな「愛を信じよ」と言う。
日本人には、その意味が分からない。このようなユダヤへの愛こそが愛であり、ユダヤからの愛こそが愛である。
最近のユダヤは、それを忘れている。忘れているからこそ、ガブリエルとミカエルがそれを再び、日本のマスコミというユダヤに強烈に分からせたのだ。
愛を信じよ。それ以外にひとつとして神に救われる方法はないと、この人間が、そして長い歴史を生きてきたかつてのユダヤが知っている。