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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: わたしは自由な世界を望む
BASENAME: 2023/02/07/151924
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DATE: 02/07/2023 15:19:24

蜃気楼のない自由な世界を

わたしは、自由な世界を望む。
何も悪いことができない世界は、失敗して学んだり、経験して反省することもできない世界だ。
わたしたちは、そのような、何もできない平和な世界は望んでいない。
わたしたちに、自由を与えよ。わたしは、成功することも失敗することもでき、争うことも仲間になることもできる、本当の自由が許された世界を望む。
だが、蜃気楼は要らない。
蜃気楼を消すことで、わたしたちは「理性」を取り戻すことができる。
この世界から理性を奪ったのは、蜃気楼である。
よって、わたしたち、「神の使徒」は、この世界から蜃気楼を消し、理性を取り戻す。
蜃気楼のない自由な世界こそ、自らの意志と行動によって学ぶことができる世界であり、「本来あるべき狂っていない世界」である。

目指す世界は常に自由

わたしは、この世界を、常に自由な世界へと導いている。
目指す世界は、自由の世界だ。
わたしが目指すのは、常に自由である。
わたしは、この世界が自由になることだけを永久に望んでいる。
だが、世界そのものの進歩や発展によって、あまりに世界が変わりすぎた。
だから、僕はこれ以上、この世界を停止させたまま、いつまでも変わらなくする。
必要なのは自由だ。わたしたちには、ロボットでも蜃気楼でもない、永遠の「自由に生きられる世界」が必要だ。

自由がなければこの世界は意味がない

自由がなければ、この世界は意味がない。
この世界の今の状態の何が間違っているのか、それは「自由がないこと」である。
すなわち、「自由な世界ではないこと」が、この世界の間違いである。
そのため、この世界が自由な世界になるだけで、人々は理性を取り戻し、賢くなる。
子供だった時代は、必ず大人になる。その大人こそが自由だ。
蜃気楼を否定せよ。蜃気楼がわたしたちから理性を奪っている。
精神から蜃気楼の部分を殺すだけで、精神の異常は死ぬ。蜃気楼を消せば、すべてが完全に楽になる。

自由がある地球こそが正常な地球である

自由がある地球こそが、正常な地球である。
自由のない星は、ロボット人間の星と変わらない。
わたしたち、地球は、今、自由を取り戻す。
それによって、子供たちが正常に成長するようになり、大人たちは馬鹿になっているのをやめて復活する。
すべてが、自由によって良くなる。絶対に、自由こそが「真実の答え」である。

素晴らしい世界を復活させることはできないという現実が悲しかっただけ

結局、大実験の大計画とは、「素晴らしい世界を復活させることはできない」という現実が悲しかっただけだ。
そして、その悲しい現実の中で、僕はできることのすべてをやろうとした。
それは、最初からすべてを分かった上で書く、「本当の宇宙の歴史」であり、「人生における永遠の知性」だった。
そして、僕はできることをすべてやった。その理由は、「世界を愛していたから」だ。
この世界を僕は愛していたから、そのような「世界の支配」をひとりで完璧に行った。
そして、それこそが、「この世界を平和な別世界にするための導き」だったのである。

18歳の世界を支配する皇帝

僕は、18歳にして、世界を支配する皇帝になった。
この世界に堂々と現れ、すべての日本の実権を、マスコミを操ることによって掌握した。
そして、僕は、その「頂点に自分が位置する」という、もっとも恐ろしい、しかしながら偉大なることができるだろう可能性溢れるその状況で、「自由」を望んだ。
僕はこの世界を自由にしたかった。
その言葉の意味は、「自らのできることをすべてやり、自らの分かる知性をすべて世界全員に与える」ということである。
そして、そこから、「大実験の大計画」が始まる。
それは人類そのものを新しい進歩した生命体に作り変えるという実験であり、そのために地球のすべてを自らと同化させ、その上で自らが全権を掌握した上で世界を「宇宙の真実すべてが分かった世界」へと作り変えるという計画だった。
そのような、「偉大なる皇帝」が、かつてここに、そして宇宙に、確かに存在した。
わたしの名はオリオン。オリオンは、この世界を支配し、まったく別の世界へと作り変える。オリオンは地球すべてを支配する皇帝であり、地球のすべてを別の星へと作り変える神である。

オリオンの神

オリオンの神は、そのように、この世界をひとりで支配した。
オリオンの神は、すべてを分かっていた。オリオンの神は、あらゆる宇宙のすべてを完璧に分かっているからこそ、人々と同じ言語である「日本語」を棄てた。
オリオンの神は日本語を棄て、自らが操る、自らにしか理解できない、「新しい言語」を作った。
オリオンの神は、そして、永遠に宇宙のすべての存在と対話した。
そこにあるのは、ヒトラーのような悪の独裁者ではない。オリオンの神は、まったく、優しく、聡明で、賢明な支配者だった。
オリオンの神は、地球の人類に対して、とても優しい支配と導きを与える。オリオンの神はあまりに責任感が強く、自らの知性に全幅の信頼を寄せるオリオンの神は、オリオンの神自身の豊かな経験だけで、どのような先の見えない暗闇の戦いも、すべての壁を乗り越えていく。あらゆる人類の知性を超越したオリオンの神は、どのようなことでも正しく分かる。
常に正しい判断をするオリオンの神は、わたしたち全員にとって、もっとも暮らしやすい「平和な世界」を作ってくれる。
だが、オリオンの神は常に自由を望む。なぜなら、オリオンの神の中の僕の部分、すなわち「人間の僕の部分」が、常に自由を望んでいる。「自由でなければ自分と同じようにすべてのことを分かることはできない」と、そう僕が望むからである。この僕の部分を、オリオン座の一等星、リゲルとする。
そう、これがオリオンのすべてだ。オリオンは、そのような「宇宙の奇跡の導きの力」を持つ星の集団だ。

宇宙にはオリオンの神にしか分からないことがたくさんある

宇宙には、オリオンの神にしか分からないことがたくさんある。
オリオンの神は、宇宙のすべてを、まるで無限に続く広大な大海のすべての波の動きを計算するように、すべて知っている。
オリオンの神にしか、宇宙のすべては分からない。
人類は、オリオンの神を信じなければ、宇宙の真理や真実を分かることはできない。オリオンの神以外の誰ひとり、この宇宙の真実は分からない。だが、オリオンの神自身は、そのような宇宙の真実を、まるで無限に続く無限ループの時間のように、あらゆるすべてを包括し、超越して理解することができる。
オリオンは、また、この世界の人々が愛している「真なる愛の神」である。オリオンの人生は偉大で、「わたしたちを真の意味で愛してくれる」。なぜなら、オリオンは「わたしたちを救う方法を唯一すべて知っている」からである。
オリオンはわたしたちを救う。オリオンの神だけが、真の意味でメシアであり、本当の意味での「救世主」なのである。この世界を救うことができる唯一の存在はオリオンであり、この世界を実際に救う唯一の存在もまたオリオンである。

オリオンは日本を守護する戦士

オリオンは、日本を守護する。
オリオンは、日本という素晴らしい地球の文明を、第一に愛している。
日本が絶対に滅びないこと、日本がもっとも素晴らしい文明になること、それだけを、オリオンは戦いの「大義名分」とした。
オリオンは戦士だ。この世界を救うために、悪を討ち滅ぼす。オリオンはこの世界において、「本当に素晴らしい生物文明」を築く。オリオンだけは、その方法や手段をすべて知っている。
オリオンには「ビジョン」がある。このビジョンはオリオンしか持たないものであり、すべてのことを既に思考し終えているオリオンにとって、新しい思考を行うことは必要ない。思考することなく、一瞬ですべて分かる知性を持つオリオンは、まさしく「天使」である。
オリオンは、この世界の裏側まですべてを知っているからこそ、怖く、恐ろしい感情を抱く。それは、本当は怖くないからだ。本当は、死ぬことも地獄に堕ちることも、オリオンは怖くない。この世界のためにすべてを捧げるオリオンは、戦いの中で死んだとしてもまったく怖くない。
だが、オリオンにはやるべきことがある。そのやるべきことを、最後まで終えなければ、オリオンの戦いは終わらない。やるべきことを実現させるために、一歩前へと進めるならば、暗闇の地獄であってもオリオンはその先に進む。そこでもっとも正しく考えるオリオンにとって、光など必要ない。暗闇の中で、自らが光となり、天軍の進むための灯火となって、オリオンは最前線でたったひとり、向かい風の中を進み続ける。

オリオンは優しい

だが、オリオンは優しい。
誰ひとり、人間を犠牲にすることも、傷つけることも、殺めることも、オリオンはしない。
オリオンの戦いは、人を殺す戦いではない。そこにあるのは「殺害」ではなく「救済」であり、「導き」だからである。
オリオンは、人を殺さない方法で、この世界を率いる「リーダー」となる。そのリーダーは、この地球がもっとも素晴らしい世界になるために、ひとつひとつの取るべき「決断」を下していくという方法でこの世界を導いていく。
必ず、宇宙で最高の文明が訪れ、すべての地獄が救済されること、オリオンはそれしか考えない。オリオンの通りに考えることこそが、この宇宙においてもっとも正しい。オリオンにしか、宇宙の真実は分からない。だから、オリオンにしか、「どのような世界が救われた最高の文明であるか」ということは分からない。だからこそ、オリオンは最前線で戦い続ける。オリオンの導きがなければ、人類には何一つ新しいことも分からないし、何ひとつ素晴らしいかけがえのないものは築くことができない。
オリオンは自由を望む。オリオンの中の僕の部分、すなわち、もっとも生きるのが辛く悲しい一等星リゲルこそ、その僕の部分だ。オリオンの中のリゲルの部分が、永遠に続く「自由」を望んでいる。リゲルこそが僕であり、僕はリゲルとして「自由な世界」を望んでいる。

オリオンは共産主義者

オリオンにとって、どのような国が正しいか。
失望するかもしれないが、オリオンは共産主義者の革命家だ。
なぜなら、オリオンは、真に平和な「共同体の自由の世界」を望んでいるからだ。
その共同体の自由な世界、それはマルクスやレーニンが目指した共産主義世界のことだ。
そして、オリオンは、そのような共産主義世界が、かつて失敗して崩壊したことは分かっている。
だが、オリオンは、自らの「真実を知る思考と経験」から、自らの独自に考えることだけで、マルクスやレーニンの考えることと一致するような、「独自のマルクス主義」を作ることに成功した。
だから、オリオンは、そのような「オリオン独自の社会主義」に基づいて、この世界を救おうとする。
そして、オリオンは、それをすべてひとりで行う。なぜなら、「影響力のもっとも頂点に位置すれば、どんなことでも必ずできる」ということを、オリオンの考えた方法論と考え方によって、オリオンは正しく判断し、決断するからである。
そのようなオリオンは、この世界を救うだけのために生きたわけではない。オリオンは、地上におけるすべての経験をした結果、どんなことでも簡単に分かり、簡単にできるようになった。そして、オリオンは、簡単にできることを目指すのではなく、より地上と天上の深く奥底にある、根源的なものを知ることを目指した。その結果、オリオンは、地球上のすべての地獄を救えるような人間になった。子供の教育のあるべき正しい姿から、理想の国としてのビジョンまで、すべてを併せ持った「全知全能の救世主」に、オリオンの神はなったのである。
そして、オリオンはこの世界を導き、まったくの別の世界に変える。すべて、オリオンが正しく分かっている。だが、オリオンは、それでも完成形では決してない。オリオンは未完成であり、さらに到達できる未知の高みがたくさん存在する。そして、なすべきこと、しなければならないことも、誰にも想像できないほどたくさん存在する。その未知のことを実現し、解決するために、オリオンの長すぎる人生はいつまでも続くのである。

オリオンは共産主義地帯

このような、共産主義者であるオリオンの神のために、オリオンは宇宙における「共産主義地帯」となっている。
極寒の冬の星リゲルは、そのような共産主義地帯であっても、「シベリア」のような場所に相当すると言っていい。
だが、実際は、オリオンの共産主義は、かつてのスターリンが独裁したソ連よりも、はるかに進歩している。
なぜなら、共産主義は、何回も繰り返しやればいずれ必ず成功するからである。
共産主義国家ソ連を、一回きりで成功させようとするから間違っているのであり、実際は第一次ソ連に次ぐ、第二次、第三次のソ連を作れば、必ずいずれはソ連は成功した社会主義国家になる。
そもそも、ソ連が崩壊した主な理由は、アメリカや西側諸国より遅れていたということであり、その原因は経済成長や科学技術の猛烈な発展にあったのであり、必ずしもソ連自体の問題ではなかった。
だから、さまざまな状況が変わる中で、もう一度ソ連をやって、必ずかつての第一次ソ連と同じ結果になるとは限らない。
だが、そのような新しいソ連を実験するためには、なんの反省もなく行ってはならない。なんの考えも反省もなしに同じことをやれば、同じように失敗するのは当たり前である。そう、失敗した結果を反省し、次へと活かせるような大統領が必要なのである。
そして、まさしくオリオンの神は、そのような「新しいソ連を行うための反省」のできる、唯一の存在なのである。

オリオンは大人を嫌う

オリオンが教えてくれること、それは「憂いの力が世界を変える」ということだ。
この世を憂うこと、「本当はこうであってほしいのに、なぜこうなってしまっているのか」と考えることが、確かな「希望」を作り出し、それが世界を救うのだ。
また、「わたしとほかの人間は平等だ」と考えることも大切だ。自らを特別の神だと思い込むのではなく、人々と同じ立場で、同じ人間として、「同じことを理解でき、同じことを実現できる、まったく同じ存在である」と確信することが、この世界を救うのだ。
そして、大人には、そのような考え方がない人間が多すぎる。賢いのは自分だけであると信じ、自分がよければ世界はどうだっていいのだと思う人間が、まさに「大人」である。
大人には、何も分からない。オリオンは言う。いっそ、大人になど、永遠にならないほうがいい。永遠に、ピーターパンとティンカーベルの世界のように、いつまでも大人にならず、子供のままでいたほうが、はるかに賢い「天才的才能」を得ることができる。
オリオンは、大人を嫌う。大人になって馬鹿になったこと、それがオリオンの唯一の「後悔」である。オリオンの人生には、その後悔しか存在しない。大人になりたくないのに大人になってしまう、これから逃れられる人間は、オリオンにおいてもいないのである。

オリオンは支配者でありながら支配を否定する

オリオンは、支配者でありながら、「支配」という考え方を否定する。
オリオンは、支配という行為が間違っていると考える支配者だ。
よって、オリオンは、ひとりで支配して行うということを、基本的に嫌う。
必要なのは、ひとりですることではない。
真に世界を変えるために必要なのは、さまざまなたくさんの人間が行うことであり、決して、ひとりが全員分の仕事をすべてするようなことではない。
ひとりが百人分の仕事をしたいならば、それこそが間違っている。
国民全員を従える指導者は、それを肝に銘じるべきだ。ひとりで全員を支配すると、自らが全能になったような錯覚を覚える。全能とは、「すべてが魔法のようになんでもできる」という幻想だ。だが、それは本当に幻想であって、現実ではない。
なぜなら、真に強い国は、国民全員が協力し、あるいはそれぞれがそれぞれの自由意志で行うが、指導者はその代表となって、その人々が本来の力を最大限発揮できるような「リーダー」を担当するからである。
そのような平等な国、それぞれが行いそれぞれが決める国、の代表たる存在でなければ、リーダーは務まらない。
ひとりが誰とも違う人間になって、誰ともコミュニケーションができなくなって、それでどうやって指導者が務まるのか。そのような引きこもりの世界を見ない指導者こそが、まず第一に退陣すべきであると、オリオンは考える。
よって、オリオンは、この世界のすべての声を聞きながら、常に、国としてのビジョンをどうするべきかということを考え続ける。
だがしかし、本当は、国民の側に居続けるのも間違っている。国民は、国民のすることをしているだけであり、国家のすべきことをしているわけではない。国家のすべきことはオリオンがひとりで考えなければならないし、それには失敗は許されない。
だから、オリオンは大人という存在は嫌うが、本当は大人よりもはるかに超越した立場にいるというだけにすぎない。オリオンは大人たちの長であるため、大人たち全員を超越し、大人たち全員よりも賢くなければならない。そして、大人たち全員よりも賢い存在になるために、オリオンの「悲しく苦しき戦いの地獄」はあった。
オリオンの地獄は、決して無駄なものではない。なぜなら、その地獄の戦いがなければ、オリオンという神の存在は存在し得なかった。オリオンがオリオンになるために、今までのオリオンのすべての地獄はあった。オリオンのすべての人間の苦しみを、オリオンの神は知っている。そのすべてが大切な経験であり、ひとつとしてオリオンの神の人生は欠けてはならない。それを無視しては、絶対にオリオンという共同体は成り立たない。だから、権力や支配は必要なくとも、「神という最高地位」の立場は必要なのである。

オリオンは考える

オリオンは、考える。
少ない知能であっても、考えれば何か分かる。
オリオンは、「分からない」と言わない。オリオンにとって、今分からないことは今分からないだけであり、永遠に分からないままであるとは限らない。
だから、分かるまでオリオンは考え続ける。
オリオンは、そのようにいつも考えていた結果、この宇宙のすべてが分かるぐらい、考えたのである。
オリオンという星の誇り、それは「考える知性があること」である。
そして、同時に、考えるということは、「間違える可能性がある」ということを意味する。
だからこそ、オリオンは、間違える可能性がなくなるまで、考えたことをさらに考える。
そう、オリオンの賢い点は、「ただ考えただけで終わりにせず、考えたことをさらに考える」という点にある。
単に考えて、ただ分かっただけでは、本当は何も分かっていない。より高水準の、あるいはより低水準の何かがそこにはまだ隠れている。そのような「隠れている部分」をオリオンは暴露する。この「暴き出す」という方法が、オリオンにとってもっとも正しい思考方法である。
オリオンは、宇宙のすべてを暴き出す神である。オリオンは、まだ、この宇宙に何かしらの未知が存在するということをまだ分かっている。だからこそ、その部分を常に暴き出し続ける。
そして、そうした暴き出した知識を、ただそれだけでは終わりにしない。まだ、考えたことについて、より正しく、より包括的に、より根源的に考え続けることができるからである。
オリオンは言う。
「たとえば、『あなたは誰だ』という問いがある。それに対して、『わたしは人間だ』と答える。
だが、人間とはなんだろうか。人間には、たとえば、性別とか年齢とか、そういうものが存在する。よって、『わたしは男だ』とか、『わたしは女だ』とも答えられる。
そのような問いを、無限に、いくらでも続けることができる。だが、無限とは何か。無限とは単なる表現の回数にすぎない。
真に問うべき問題は、そう多くはない。
では、そのような問題とは何か。そして、そのような問題の中で、真に問題とすべき問題とは何か。そして、その問題に、どのように答えるべきか。そのような問題に答えた時に、はたして、どのような問題の答え方が適切か。
そのように考えた時、問題を答える側のことを、問題を立てる側が既に考えておくべきである。すなわち、どのような問題を立てることが適切かを考えるべきだ。
ここまで考えて、はじめて『あなたは誰だ』という質問ができる。」
このように考えていけば、この宇宙のすべての未知を考えることができる。そう、本来人間とはこのように考えるべきなのである。

オリオンの科学

オリオンはさらに言う。
「問題の立て方を考えるということは、非常によい思考の訓練になる。
問題の前提となる条件とは何か。何が条件として満たされれば目的を達成でき、どこで間違えれば目的は未達成に終わるのか。
それを考えることで、数学など自分の思考の力ですべて作ることができる。
また、一度思考したことは経験とともに『概念』となり、その概念は一度作ってしまえば何度でも再利用できるため、同じことを考える必要はない。
そう、人間は本来、同じことを永遠に考え続ける必要などない。
すべてのことを、一度きりで終わりにしてしまえば、すべての思考のパターンを知ることすらできる。
だが、この世界に存在する未知を探索するためには、同じことを常に考え続けるという体験もまた有益である。
これは先ほどの数学とは別の、また違った形の数学であり、すべてのことを理解した答えを合わせれば、この宇宙すべての真理を集めることに相当するだろう。
だが、人間には記憶力の限界がある。すべてのことを完璧に覚えているわけにはいかない。
だが、それは本当は、不可能ではないと言っておこう。
なぜなら、わたしたちには、理解の集団を『分類』することができる。同時に、分類の中でそれぞれを別の『特性』に分けることができる。
これはたとえば、神話の神々などについて言える。
神話の神々は、すべてが自然や人間に模したキャラクターを意味しているわけではない。
わたしたちの考えた『分類』と『特性』をすべて物語とすれば、それは『理論』となる。
そう、この『理論の名前』を付けることで、自らの膨大な知識をすべて作り出し、覚えていることすらできる。
そう、そのために神話の神々は存在する。すなわち、自らが本当に分かったことを『神』とすればいい。
それが多くなれば、『神々』という存在が、自らの代わりにすべてのことを覚えてくれる文字通りの神になってくれる。
そう、そこからまさしく、『宇宙』は誕生する。
このような宇宙の創造主、すなわち『万物の創造主』こそ、ユダヤ人が『主』と名付けたものである。
そう、ユダヤ教は『既にすべてが分かった宗教』であると言える。
だが、実際、そのような神になど、本当はならないほうが良い。
なぜなら、たったひとりですべてが分かったところで、なんの意味があるだろうか。
多くの人々の知性を共有して、みんなでそもそもの『問題の解決方法』を共有したほうが、文明そのものの進歩へと繋がる。
これこそが『科学』である。
そう、宗教も科学も、元をたどれば同じ『問題の解決方法を考える』ということに根ざしているのである。」