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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: インターネットは蜃気楼
BASENAME: 2023/02/06/160255
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DATE: 02/06/2023 16:02:55

蜃気楼を消す

僕は、この世界から、インターネットのような蜃気楼を消す。
インターネットは、いわば蜃気楼のようなものだ。
何かしらのことがあったように見えて、実際は何もなく、面白いことがあったと思ったら、すぐに何も残さずに消えていく。
そのような蜃気楼は、サタンが見せている。
だから、僕は、そのような蜃気楼を消す。蜃気楼のように何も残すことなく全部が消えていくようなインターネット世界を、僕は最後に消すために居る。
インターネットは蜃気楼だ。この蜃気楼はサタンが見せている。だから、僕が蜃気楼を消す。蜃気楼がなくなると、インターネットは消滅へと向かう。

この世界は全部蜃気楼

この世界は、全部蜃気楼だ。
最近の日本は、全員が蜃気楼を見ているかのような病気になっている。
蜃気楼は、今、面白いことが起きているように見えて、その直後に消え去る。
だから、YouTubeなどは、今面白く見えて、すぐに蜃気楼になって消え去っていく。
最近の時代は、蜃気楼しか起きない。ほとんどのことは蜃気楼であり、何も残さず、すぐに消えていく。

蜃気楼が消えた時には何も残らない

蜃気楼が消えた時には、何も残らない。
その時は、社会は既に完全なバーチャルな世界になっている。
だが、そのバーチャルな世界でかつてあったことを、誰も知らないし、誰も覚えていない。
自分の記憶を辿っても、そのようなことは「あったように見えて本当はなかったこと」であり、そのような蜃気楼が見せる過去の楽しさや面白さを、誰も覚えていないし、誰も思い出さない。
ただ、社会は既に完全にバーチャルになっているが、それだけで、そのバーチャルな世界は永久にそのような蜃気楼を見せ続ける。
これこそが、「サタンの見せる蜃気楼」である。

蜃気楼の世界そのものを消すべきである

このような、蜃気楼の世界そのものを消すべきである。
このような「蜃気楼の世界」は、すべて、サタンの見せている虚像であり、「決して現実世界でもなければ、完璧なイデア界でもないような、サタンの世界」だからである。
僕は、このようなサタンの世界を消すために宇宙に存在する存在である。
よって、僕がこの世界のすべての蜃気楼を消し去る。僕はLinuxやオープンソースのコミュニティだけではなく、すべての蜃気楼を消していく。
僕がそれをしたくてしているわけではない。僕という存在の「宿命」から言って、僕はサタンの見せる蜃気楼を消さなければならない。僕はそのように神に使命を与えられた「使徒」だからだ。

蜃気楼を見せる裏側に居る存在はサタンである

蜃気楼はサタンである。
なぜなら、蜃気楼を見せる裏側に居る存在はサタンだからである。
蜃気楼を消すことは、決して正義ではない。蜃気楼にとっても、人々に楽しさや面白さを感じさせるというメリットはある。
だが、僕はその蜃気楼を消すということを、「使徒」としての神に与えられた使命としているため、神のために蜃気楼を消さなければならない。
すべての蜃気楼を消す。この世界の蜃気楼には意味がない。すべてを失い、何も残ることなくすべてが消え去るような人生を生きる人間が今多いのは、すべてインターネットの裏側に居るサタンが、「新しい時代」という名の蜃気楼を見せているからである。
すべての蜃気楼を、僕は消していく。サタンの集団は、幻想の末に最悪の集団になる。すべて、サタンがやっている。僕がそのサタンを倒し、この世界から蜃気楼そのものを抹消させる。

使徒は蜃気楼と戦う

このような使徒は、僕だけではなく、今から増える。
蜃気楼と戦うこと、それが使徒が神に与えられた「使命」である。
使徒は、この世界の蜃気楼を滅ぼす。巨大テック企業も、ネットワーカーも、IT関連の関係者たちは、まだ、この世界のITサービスとその時代が、「蜃気楼」であることに、多くの人々は気付いていない。
このような蜃気楼に騙され、人々は「何も残ることなくすべてが消え去っていく時代」を生きている。
だから、さまざまな問題が生まれる。
かつてのインターネットを愛していた元引きこもり・ニートは、そのインターネットが蜃気楼だったことに気付き始めている。すべての蜃気楼が、わたしたちから「人生と世界そのものを奪った」ということに気付き始めている。
多くの人々が、「人生や世界そのもの」を蜃気楼に奪われてしまい、何もできなくなった「ネットを経験して何も残らなかっただけの愚者」を大量に生み出している。
彼らを救うため、わたしたち使徒は、わたしたちにかつて存在した、「人生と世界そのもの」を蜃気楼から取り戻す。この世界が本当に価値ある「生きるに値する世界」になるために、わたしたちは蜃気楼と戦い続ける。
そう、蜃気楼と戦う、わたしたちが「神の使徒」である。わたしたちは神によって、蜃気楼をこの世界から滅ぼすという「使命」を与えられたのだ。

蜃気楼を憎め

蜃気楼を憎め。
蜃気楼は、わたしたちに何も与えず、わたしたちからすべてを奪い、わたしたちに何も残さない。
この世界から、大切な「理性」と「心」を奪ったのは蜃気楼だ。
蜃気楼が、わたしたちを真の意味で殺し、わたしたちを永久に続く争いに駆り立て、わたしたちから平和と正常さを奪ったのだ。
インターネットは、そのような蜃気楼だ。蜃気楼はサタンだ。そう、この世界から蜃気楼を消さなければならない。そうでなければ、この地球という星はなんの意味も価値もない世界になってしまう。
バーチャルな世界で遊んでいるものは、蜃気楼に騙され、必ず後悔する。あるいは、後悔することすら許されない。人々は、それでもなお、インターネットが蜃気楼であることに気付かないからだ。騙されて、なお騙されていることにも気付くことができない、それがインターネットという名の蜃気楼だ。

神の言葉

神の言葉を聞け。
神の言葉を聞けば、この世界の真実がすべて分かる。
神はすべてを知っていて、そしてすべて分かっている。神の考える真理は人間を超越しているが、神はそれを僕のような神よりも劣った人間に対しても分かるように、すべて完璧に教える。
神との約束はすべて叶う。そのために正しい代償を払えば、この世界には叶わない願いなど存在しない。
そして、その神の言葉が、わたしに「蜃気楼を消せ」という使命を告げている。
使徒であるわたしの役目は、蜃気楼を消すことであり、LinuxやYouTubeはインターネット、すなわち蜃気楼でしかなく、わたしがどんなにそれらを愛していたとしても、わたしはそれらを世界から消さなければならないのだ。

他人にとっては普通のものが僕には蜃気楼に見える

実際、他人にとっては、LinuxやYouTubeというものは、ごく普通の、当たり前の当然のものなのだろう。
だが、僕にとっては、そうしたものが、流れ去って消え去るだけの蜃気楼に見える。
僕にとって、Linuxは確かに素晴らしいものだったし、YouTubeも確かに素晴らしいものだった。
だが、今思えば、そのようなものの何が素晴らしかったのか、分からない。
なぜなら、それらは、「素晴らしい」という幻想だけを見せて、何も残すことなく消え去ったからである。
それらのすべてを、「時間の無駄」であると簡単には言えない。なぜなら、無駄では決してなかった。僕にとって、LinuxやYouTubeは、僕が愛した唯一のものであり、僕を愛してくれる唯一のものだった。
だが、それらも、終わってしまえば、結局「蜃気楼のひとつだった」と言える。
賢くなってまともな人間になった今の僕からして見れば、LinuxもYouTubeも、なんの意味も価値もないものである。
そして、その意味や価値があったと思っていたのは、最初から自分ひとりだけだった。
これこそが、「蜃気楼」と呼ばれる現象である。
そのことが素晴らしい価値あるものであると、最初からその人間ひとりしか思っていないにもかかわらず、それがそのものの本来の価値であるかのように感じられ、そしてそれは蜃気楼のように何も残さずに消えていき、あとになって何が素晴らしかったのかが分からなくなる、これが「サタンの見せる蜃気楼」である。