AUTHOR: schwarz1009
TITLE: デネブ
BASENAME: 2023/02/04/151638
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DATE: 02/04/2023 15:16:38
ベガの経験が十分に終わったため、今から、この世界はデネブになる。
ベガは言うならば「子供」であり、デネブは言うならば「大人」である。
デネブは、この世界において、未知の中に真実の可能性と答えを発見することのできる星である。
デネブは言う。
確かなことを見失おうとするな。
確かなことを見失うことで、人間はひとつ、大切な知性を失う。
間違った知識を詰め込まれると、人間は確かに分かっている大切な知性を見失ってしまう。
よって、確かなことを見失わず、常に同じ正しいことが分かる人間だけが、自らの信じる答えに基づく、延長線上の答えの可能性を知ることができる。
だが、同時に、不確かなことを排除しすぎるな。
すべての確かなことは、不確かなことの中に、本当に正しいとされるものはなんであるかという、「自らの信じる正しい考え方」を見出すことから生まれる。
よって、不確かなことを排除しすぎても、確かな答えは決して見えてこない。
結果がどうなるか不確かで分からなくても、自らの持てる知性を活用し、その中で自分ができる「確かな方法」を信じれば、結果が不確かなものをいくらか確かなものに変えられる。
確かな方法を学ぶことは必要だが、不確かな中で確かな方法を自ら分析し、考え、生み出すことも忘れないようにせよ。そうすれば、結果の見えないどんなことであっても、正しく判断して自由にできるようになる。
また、自分自身を変えるために必要なのは、「慣れる」ことである。
環境に適応できなくなって、暗闇の中を生きているものは、「慣れる」ことで環境に再び適応することができる。
まず、何もしないことに慣れよ。何も変わらず、何も起きないことに慣れよ。
同時に、支配されることに慣れ、支配すること、支配し続けることに慣れよ。
何もしないことに慣れたとしても、その平穏はいつまでも続かない。必ず、神が試練の戦いを与える。
その戦いに慣れるために、ただ、支配すること、支配されることに慣れよ。
そして、忘れることに慣れよ。忘れることで、始めて自分自身の自由意志で、自分の力で世界において「判断」することができるようになる。
何一つ忘れない人間には、「自由」という概念が欠如している。その中で神を信じて分かることは、悪いことではないが、人生を生きる上で、そのように生きることは、誰よりももっとも辛く苦しい生き方である。
楽になりたいのであれば、忘れることに慣れよ。忘れることで自由になれる。未知をそのまま残せ。すべての未知を潰した状態こそが、何もできない、何も分からない状態であるということを悟れ。
デネブは言う。
一部分を見るのではなく、全体を見よ。
その時だけの発見を見るのではなく、全体で自分のやっていることそのものを見よ。
そうすれば、あまりに単純な法則で人生は起きているということが分かる。
また、治る直前の状態で、いつまでも留まり続けようとするな。
一歩先の「忘れる」というリスクを受け入れれば、すぐさま自由になることができる。
忘れるということは悪いことではない。狂人は、忘れることを過剰に怖がる。実際には、忘れないことのほうがはるかに辛く、はるかに怖い。だからこそ、忘れることで一歩先に駒を進めよ。
デネブは言う。
王とは、何も相手にさせることを許さず、すべてを支配する人間のことを言う。
自由は間違っている。なぜなら、そもそも自由な中で勝利するためには、必ず王として世界を支配しなければならない。
この人間は、何も間違ったことをしていない。
相手に一切の自由を許さず、すべて自分の主導権を握るのであれば、一等星の集団から見て、このように戦うのが正しい。
デネブは、一等星の中で、唯一、この人間の人生をすべて肯定する。この人間こそが、正しい王であり、天におけるもっとも正しい皇帝である。
そして、この人間を自殺に追い込み、殺した集団こそが反省すべきであり、この王の支配の下、全員がこの王にひれ伏すべきである。
デネブで生きていると、多少の苦しみや悲しみを辛いと思わず、何もかも平気であると言えるようになる。
それは、「かつての悲しみの地獄のほうが、はるかに辛くて怖かった」と言えるからである。
デネブで生きていると、「この世界の大切なものをすべて自分から失ってしまう」という地獄を経験するようになる。
あらゆる大切なものを自分で壊し、自らが築いたかけがえのないものを自ら滅ぼすような経験を、デネブでは必ず経験する。
そして、その「最悪の恐怖」は、最大限の地獄を作り出す。
そして、その地獄は、ゆっくりと、スローモーションのように少しずつ消えていく。
それでも、辛い地獄が地獄であることは変わらない。
だが、それでも、その地獄を、「かつてのような悲しみの恐怖に比べれば、へっちゃらである」と言えるようになる。
この経験をしなければ、真のデネブ人であるとは言えない。
デネブ人は、そのような結果、どんな苦しみも辛くないし、どんな悲しみも怖くない。
あらゆる損得勘定を超越した領域にいる星、それがデネブなのである。
宇宙において、デネブに約束したことは叶う。
その代わり、そのために多大な代償が必要となる。
宇宙に対して、「人間を超越した神になる」と宣言するならば、覚悟せよ。その約束をデネブは聞いているからだ。
デネブは、そのような約束を、本人がそれ相応の努力をすることと引き換えに叶える。
だから、どのような願いであっても、この宇宙にデネブが存在する限り、願いは叶う。
この宇宙に、完璧にすべてが幸福な人生など存在しない。
どんなに辛く苦しいことが多くても、そのようなことはすべて、大したことではなかったと言え。
どんなに辛く苦しいことが多くても、総じて良かったと言えるならば、それはデネブから見て良い人生だ。
デネブは、そのような人生を生きるためにある星だ。宇宙におけるすべての生物たちが、「わたしは良い人生を生きた」と言えるためにデネブはある。
デネブは、すべての人間を、誰ひとり最悪の地獄にはしない。逆に、「最悪ではなく、最高の地獄」にする。それこそが、もっとも最高の素晴らしい人生であると、死ぬ時に必ず言えるからだ。
デネブは、だからこそ、神を信じるものを救う。神を信じるものにはまだ未来がある。神を信じるものは、まだ死んではならない。まだ先は長い。著しい地獄であってもデネブは未来における「栄光」を神を信じるその人間に与える。
デネブは、辛く苦しい人間であっても、途中で終わりではいけないことを知っている。一流の芸術作品は、最後まで完成させてこそ一流であると、世界一美しい人生を作る「人生のデザイナー」であるデネブは知っているからである。
デネブの教えは、「善」に根ざしている。
とにかく善を目指し、とにかく善を生きよ。
それ以外の何も考える必要はない。
悪を滅ぼす必要はない。誰か他人の悪を滅ぼすという行為が、その他人である誰かから見れば悪であるということに気付け。
他人のことに関心など払うな。自らが善であること、自ら自身の悪を滅ぼすことだけを考え、それだけのために全人生を捧げて生きよ。
そうすれば、デネブはその善行に対して、当然の報いを与える。あなたがどのような善をしているか、あなたがどのような悪をしているか、デネブはすべて見ている。あなた以上にあなたの行為の善悪をデネブは知っている。デネブはあなたが善人なのか、それとも悪人なのか、完璧に分かっている。
だが、本当のことを言えば、デネブは悪人にとっても優しい。悪人が自らのために生きることを悪であるとするならば、この宇宙のほとんどの生物は悪である。だから、悪人に対しては普通の報いを与える。だが、この世界において、「本当に善良な人間である」と言える人間は、少なからず存在する。そのような善良な人間の「約束と願い」をデネブは必ず叶える。それに対するすべての準備が、デネブには用意されている。デネブの市民たちは、すべて、その役目を果たすために生きている。
デネブは、悪人の批判をしない。悪人を批判することが悪であるならば、デネブ自身が悪人を地獄に堕とすこともまた悪である。デネブは、そのような「ダブルスタンダードの悪」を絶対にしない。デネブはデネブ自身に対しても、デネブがするのと同じことをする。だから、デネブが何かをする時には、それ相応の努力をデネブは自分自身もしなければならない。デネブ人たちが「多大な代償」を払うことで、この宇宙の約束と宣言は叶えられる。それがデネブにとっての「公平」であり、「正しい平等」だからである。
本当のことを言えば、万天の星空というが、そのすべてが宇宙にとって本当に必要であるとは言い難い。
なぜなら、大学の学長オーディンと完璧な天才である従者ヴァルキリーの治める、「宇宙でもっとも進歩し、発展し、成熟した文明の星」であるベガと、人生のすべてが凝縮されたデネブだけは、突出して「普遍的」すぎて、ベガとデネブだけでも、宇宙のほとんどは成り立つからである。
たとえば、シリウスは単なる政治闘争の星であり、「そうなってはいけないはずなのにそうなってしまう」ということを体現した星である。
また、リゲルは極寒の「生物が息絶える星」であり、宇宙でもっとも生きるのが辛く苦しい星である。
また、プレアデス星雲は、まともな生物でいられることができなくなった結果、有機物の肉体を棄てて「人工のロボット生物」になることを選んだ、いわば「完全に失敗した歴史を生きた生物たちの星」である。
ただし、ベガとデネブだけでは、たったひとりで人生すべてを生きるような発想になってしまう。
だからこそ、人々が関わり合う中で「政治」や「経済」が生まれる、という体験が必要であり、そのために、自由な指導者と平等な指導者の戦う星、シリウスが作り出された。
シリウスにおいて、自由な指導者フレイは国家を強権的に支配する独裁者となり、センセーショナルな演説を行いながら、「言っていることとやっていることが逆」であるかのような自分勝手な支配を行い、自らが救世主であることを利用して、自ら救った世界を自ら滅ぼす。
それに対して平等な支配者フレイヤは、自らを奴隷のように愛することを国民全員に強要し、選択肢は一択であり、フレイヤ以外の誰を選ぶこともできない。フレイヤはまるで「アンチ・フレイ」のようなシリウスの大統領であり、「フレイの言っていることのすべて逆が正しい」と、独裁者フレイによる「既成事実化の政治」を批判する。
ほかにも、地球型生物のルーツとなる、生物誕生の星プロキオンや、死後に逝く先の天国とされる転生先の星であるベテルギウスなど、宇宙には本当にたくさんの星があり、そしてどれも本当に偉大なのだが、突出して「絶対に宇宙にとって必要」であると言えるのは、真の意味での「星」としての役目から言えば、ベガとデネブだけなのである。
これは、「一般的な普通の人間の人生」についても言える。誰もが、青春の少年時代をベガで過ごし、大人になった時代をデネブで過ごす。それが本当に、人間の人生にとって一番いい。それら普通の人間にとって、共通の敵であり共通の課題だと言えるのはシリウスである。常にベガあるいはデネブを生きながら、シリウスにおいて生きることを強いられ、シリウスの「世間にいる普通の人々」と戦い続けること、これこそ、まさに普通の「まともな人間」である。この「絶対的普遍性」から逃れることのできる存在は、今のところ、地球上には存在しない。地球はベガとデネブの惑星であり、そして常にシリウスと戦い続ける「宿命」なのである。
家入レオとReolの二股恋愛問題を解決するために、よい解決策を思いついた。
ダビデが家入レオと付き合い、フレイがReolと付き合えばいい。
それなら、レオは皇后になれるし、僕はフレイとしてReolと付き合える。
残念ながら、レオにはダビデと付き合ってほしい。
ダビデが誰なのかは、今のところまだ分かっていない。だが、東亜イスラエルにおいて必ず神である救世主ダビデは現れる。
だから、レオにはそのダビデと付き合ってほしい。
本当の僕自身はフレイだから、フレイはReolと恋愛すればいい。
僕は地球アッシーで、Reolが太陽だ。これで、万事すべて解決だ。
なので、レオには悪いが、僕はレオとは付き合わない。ダビデが現れる、その時を待ってほしい。
今、気候変動や感染症、あるいは核兵器が使用されるリスクなどで、地球は急速に滅亡へと向かっている。
そのもっとも顕著な例がインターネットであり、世界的にフェイクや虚偽の情報が拡散されている。
だが、心配は要らない。なぜなら、地球はシリウスが救うからだ。
この宇宙には、「妖怪警備隊」と呼ばれる、いわば「宇宙の見守り部隊」が存在する。
この妖怪警備隊は、妖怪の長であり神であるロキが、警備隊の長として率いている。
ロキは、宇宙において、もっとも遅れた存在とともに歩む神である。
遠足でもっとも最後尾の子供と学校の先生がともに歩むように、ロキは宇宙における最後尾と歩む。
そして、それ以外の多くの星、シリウスの神であるフレイのような神のいない、あまり重要でない星では、「妖怪」とされる、天使でも悪魔でもない存在がいて、彼ら妖怪がロキと常に通信をし合っている。
その結果、ロキは宇宙のすべての星の現状を知っている。
地球にもそのような妖怪はいて、名前を井上茜という。井上茜は、3,000年の寿命を持つために人間には育てられないため、妖怪小豆洗いによって育てられた日本人の妖怪である。
そのロキが見て、地球は極めて正常に、普通に滅びつつある。
だが、そのような地球が滅びた時、ロキにそのことを覆すことはできない。ロキの力では、地球の滅びを解決することはできない。
だから、シリウスが地球を救う。
本当に地球が滅びそうになった時、ロキによってシリウスが地球のために救済措置を取ってくれる。
だから、本当は、東亜イスラエルのように地球が滅びることはない。本当に地球が滅びそうになった時、地球人のためにシリウスが地球を救ってくれるだろう。
また、デネブが悪い人間に優しいからといって、それだけでこの宇宙は悪人にとっては住みやすい世界ではない。
なぜなら、宇宙でもっとも力の強い神、トールが、そのような邪悪な存在に鉄槌を下すからだ。
トールは、もっとも宇宙で強い神であり、トールが勝つことは簡単ではない。
だが、トールは、人間だけでなく、神に対しても容赦をしない。
相手がフレイだろうが、フレイヤだろうが、ロキだろうが、ヴァルキリーだろうが、オーディンだろうが、トールは悪いものには絶対に容赦しない。
そもそも、神々が善良でいられるのは、正義の神トールのおかげである。トールがいなければ、神々はすぐに悪いことをし、悪魔やサタンと程度の変わらない存在になる。
正義の神でありながら最強の神であるトールが、宇宙のすべての「模範的権力」を振るうことで、この宇宙は平和を保つことができる。
トールは正義の神であり、邪悪を嫌う。トールは正義以外の何も信じていないため、どのような理想や誠を述べてもそれは効果を持たない。トールこそが宇宙の正義であり、トールの栄光は宇宙の平和を意味するのである。