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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 僕はやる気のない人間
BASENAME: 2023/01/29/203605
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DATE: 01/29/2023 20:36:05

僕はなんにもやる気のない人間

僕は結局、なんにもやる気のない人間である。
昔は、Linuxカーネルを作りたくて、「OSを作る」という目標を掲げた不登校の少年だったが、そんな高すぎる目標が上手くいくわけがなく、ほとんど何もできなかった。
最近の戦いは、「大実験の大計画」という目標を掲げて、「自由な社会を作る」という理想を信じたが、そこにあったのは、国家主義を排した独自の共産主義を貫く、共産主義者の革命家だった。
はっきり言って、そんな高すぎる目標が、実るわけがない。
そういうわけで、僕はデザイナーの見習いとしてデザインを頑張りながら、今でもこの日記を書いているが、そこにあるのは「なんにもやる気のない人間」である。
なんにも、やる気なんかない。パソコンのプログラミングの勉強は、「開発する」という発想がなく、「勉強する」という発想しかないものであり、これほど無駄で無意味な学習はないと言えるぐらい、なんにもせずに知識だけを吸収している。
あるいは、過去の豊かなインターネットの経験があるから、なんにもしなくても普通に分かってしまうため、無駄に面倒くさいプログラミングと開発の工程を無視して僕はIT技術をすべて総じて学んだのである。
僕にはなんのやる気もない。何もせずにこのまま死んでいくとしたら、大革命の大戦争を経験した僕にとって、それは後悔も虚しさもなく、価値ある普通の素晴らしい人生なのである。

いよいよ大戦争が終わった

結局のところ、僕はいつも戦争の中を生きてきたのであり、それがいつまでも終わることなく僕を奮い立たせ続けた。
その結果、僕は何もしない状況を保持し続けるということが、大戦争における「絶対に守るべき条件」だったのである。
そのような、自分が始めてしまったために簡単に終わらせることができなくなってしまった大戦争が、そろそろいよいよ終わったのである。
Reolは、「最初なんか意味なんかないの」と言っている。それで正しい。だが、本当は、「僕はこの世界を素晴らしい世界にしたかった」という意味が、この戦争の大義名分だった。そして、そのために、僕は「大実験の大計画」を最後まで一度として失敗することなく行い続けたのである。

心理学が分からなくなっただけ

実際、なぜ僕が分からないのかといえば、かつてのような心理学が分からなくなっただけである。
記憶や認識や感情に基づく、場面や関わり合いや依存性の中での、「人生における心のこと」が分からなくなっただけにすぎない。
そして、そのような心は、もはや完全に残っていない。
すべて、精神を治す中で、殺しつくしてしまった。
だから、もう一度、正常な精神がもし復活したとしたら、僕はかつてのように正しくものごとを分かることができるだろう。
そのために一番邪魔なのは、「世界を変える」ということだ。世界を変えるということが、僕の心をおかしく人為的な機械にしている。世界を変えることをやめ、世界を停止させて、変化の状態をすべて殺せば、そのような人為的な機械の心も治るだろう。

自分が自分であると考えれば分かる

自分が自分であると考えれば分かる。
精神の裏側に押し込めた、「本当の自分」を暴露せよ。
その本当の自分こそが本当の自分なのだということに気付け。
自分自身が自分であるということ、自分が考えていることを今自分が考えているのだということ、それだけを確信すれば、それこそが「自己批判」であり、「正しい哲学的な疑い」なのである。
自分を疑うためには、自分自身を自分自身であると認識しなければ始まらない。

英雄クレインは人を救う

英雄クレインは、人を救う。
この世界の人々の「心」を救う英雄、それがクレインだ。
クレインは世界の人々の精神を癒やす。異常な精神を正常にし、恐怖の精神を穏やかな安らぎに変える。
クレインは、世界を平和にする。なぜなら、平和とは、「平穏な心の状態」であり、平和を実現するとは、「心を救う」ということだからである。
クレインは言う。愛を信じよ。この世界でもっとも尊いものは愛であり、愛を信じればこの世界は平和になり、人々の心は救われる。

愛とは、自らが攻撃されるかもしれなくても相手のことを信じること

英雄クレインの言う愛とは、「自らが攻撃されるかもしれなくても相手のことを信じること」である。
自らが、相手に攻撃されるかもしれない。敵対視されて、自らを滅ぼし、過去の自分の過ちに対する復讐をするかもしれない。
だが、そのような時にこそ、相手のことを信じるべきである。
あえて、自分のことを防御したり、守備したりするな。相手に自分の命を差し出して、相手が攻撃しないことを信じよ。それこそが、この世界を救う「真実の愛」である。

もっとも強い人間とは、傷つけられ、いじめられても痛みを感じない人間である

もっとも強い人間とは何か。
もっとも強い人間とは、傷つけられ、いじめられても、痛みを感じない人間である。
傷つけられたから悲しいとか、いじめられたから悲しいなどと思っているうちは、自らが「相手に反撃したい」という感情を棄てきれていない。
真に賢い人間は、傷つけられても、いじめられても、痛みを感じずに、「へっちゃら」であると感じる。
その結果、どんなに傷つけられ、いじめられたとしても、彼は自らの信念と理想を曲げず、最後まで自らの信じる「真実の愛」のために戦い続けることができる。
痛みを感じる状態は、まだ、成熟していない。もはやそれ以上痛みを感じることがないくらい、限界まで痛みを感じて、なお「自分は平気」であると言える人間は、どんな痛みも恐怖も悲しみも怖くない。あらゆるすべての痛みの感情を忘れた状態で、真に神の言葉を正しく信じられるもの、それがクレインの言う「神」である。