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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 世界を変えすぎた
BASENAME: 2023/01/28/125853
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DATE: 01/28/2023 12:58:53

世界を変えすぎたのが悪い

結局、何が悪いかと言えば、世界を変えすぎたのが悪い。
世界を変えすぎたせいで、精神がおかしくなって、おかしな精神が死ななくなっている。
世界の状態を変えすぎた部分を殺せば、精神はすぐに楽に死ぬ。

多重人格を治す

そろそろ、多重人格を治したほうがいい。
そもそも、僕がなぜ賢いかといえば、人格のまだできていない、赤ちゃんと同じ時代にさまざまなことを経験し、やったからである。
このような経験が、僕の新しい人格を形作る。
そのために人格を破壊したのであり、そのために文章を書いて神と対話したのである。
よって、ここで、多重人格を治してしまえば、僕は誰よりも才能の多い天才になれる。
僕は自らの努力によって、誰よりも才能の多い天才になる。
そして、そのためには、ここで多重人格を治す必要がある。

悪魔が自分の頭を乗っ取っている

本当のことを言えば、多重人格というよりも、僕の頭を悪魔が乗っ取っている。
僕の頭の中で四六時中話しているのは、メフィストフェレスという悪魔だ。
セックスなんかしないほうがいい。セックスばかりしているとこんな人間になる。

メフィストフェレスが好きなのがおかしい

そもそも、僕の何がおかしいのかと言えば、メフィストフェレスが好きなのがおかしいのである。
頭の中で、「悪い人間を騙す悪魔の神」であるメフィストフェレスが喚き散らすのを、そんなに聞いていてもなんの意味もない。
メフィストフェレスは、単にもっとも一番辛いように喋っているだけである。
メフィストフェレスから自由になるのが怖いなら、そろそろ、自分の力で理性を使う勇気を持つべきだ。
悪い人間がキリスト教を信じると、昔からこうなる。きちんとした修道士は、最後にメフィストフェレスに勝利しなければならない。
真に正しいシスターになりたいなら、メフィストフェレスから自由になり、自ら理性を使う勇気を持つべきである。

世界は変えられる

世界は変えられる。
この世界の、歴史的な真理を分かりたいなら、世界を変える方法を考えればいい。
世界を変えるために必要なのは、「実現可能性」と「人々の現実の暮らしや営み」を考えることだ。

馬鹿なものは賢くない

馬鹿なものを、賢いと信じるな。
馬鹿なものを賢いと信じているから、分からなくなる。
インターネットが賢かったのは、自分の分かるための「きっかけ」や「とっかかり」になるから賢かっただけにすぎない。
インターネットは賢くない。
また、現実世界もまた賢くない。現実世界を見ていても、ただ見えるものや知ることがあるだけで、そこからは何も分からない。
分かる人間は、もっと別のものを見ている。

自分自身の心を考えよ

分かる人間は、自分自身の持つ考え方から分かる。
だから、自分自身を考えよ。
もっと言えば、自分自身の考え方を疑え。
自分自身の今、考えていることを疑うことでしか、賢いことは分からない。
そして、そこにあるのは「心」だけだ。
心を考え、心を信じ、心を疑い、心を知ることでしか、人間は宇宙と人生の真理を知ることはできない。

過去の歴史ではなく未来を考えよ

過去の歴史ではなく、未来を考えよ。
過去の歴史を知ることだけに囚われると、逆に未来のことが分からなくなってしまう。
実際にこの世界の現実の変化を見た上で、過去ではなく、未来を捉えて考えよ。
未来を変える方法はどこにあるか。よく考えれば、「自分の経験」と「世界の可能性」から未来を変えることができるということが分かるようになる。
そうすれば、「確かな実現性」のある世界の可能性を信じることができる。

前世などというものはない

前世などというものはない。
前世だと言っているのは、すべて、未来の自分のことを言っている。
この世界に、生まれ変わりは存在しない。
存在するとしたら、僕のような、「運命的な人生の変化」があるにすぎない。
この世界は、この世界しか存在しないで成り立つ。天国や生まれ変わりを信じる必要はない。
世界は、ここにあるただひとつの現実世界しか存在しない。

自分が世界の中心なわけがない

自分が世界の中心なわけがない。
自分が世界の中心だと思うと、分からなくなる。
自分は世界の中の一員にすぎず、すべての人間はそのような中で普通の人間として生きていると考えれば、そのほうが歴史的・社会的な人生の意味が分かる。
自らを世界の中心に置くな。そのように考えよ。

可能性を予測せよ

可能性を予測せよ。
可能性を予測し、想定することで、「どのような状態でどのような結果になるか」を考えることができる。
知について、世界について、心について、社会について、そのように考えることで、「自由な世界観」を自ら作り出すことができる。
そこから、この世界の代替可能性を知り、「世界を救う方法」のすべてが分かる。

世界そのものの可能性を考えよ

世界そのものの可能性を考えよ。
社会制度、インフラ、文化、歴史、現実社会について、それらが実際にどのように変えることができるか、そのための手段はどこにあるかを、経験から考えていけ。

発想のパターン

世界と心の可能性は、「発想のパターン」となる。
発想のパターンは、自らの人生経験から生まれる。
発想のパターンから、この世界のあらゆるすべての可能性を、自由自在に捉えられるようになる。
手段と可能性から、どのような発想のパターンが成り立つかを考えれば、社会そのもののシステムを変えることができるようになる。
社会システムを変え、実現することで、自由を保ったままで、実際のこの世界を実質的に変えることができる。

社会構造や人生経験と同等の構造を作り直せ

社会構造や、人生経験と、同等の構造を頭の中に作り直せ。
世界に存在する、あらゆる前提条件と考え方を、構造を再構築することで作り直せば、どんなことであっても、自分自身を捉えるのと同じように捉えて変えることができる。
あらゆるすべてが、自分自身の心の中で、経験から具体的に再構築できることを知れば、何も知らなくても宇宙のすべての可能性の具体化を知ることができる。
それこそが、もっとも地球上で一番賢明な人間である。

認識と記憶の中に独自の数学を作れ

認識と記憶の中に、独自の数学を作れ。
学校で教えられている数学は、人生にとって必要な真の数学ではない。
真に賢明な人間は、自分自身の理性の力で、自分独自のオリジナルの数学を作る。
それはまさしく「数学を否定した数学」であり、「計算や証明ではないスタイルの数学的な正しさ」である。
それは、つまり、「自分自身の公理主義を作って世界すべての根拠を実証する」ということである。
そのように、独自の数学を作ることができたら、それによって、まるで「心のニュートン力学」のように、心を物理的な機械として考えることができる。
必要なのは、「作る」ことだ。心を機械的に考えるならば、心そのものの「基盤となるシステム」を、事前の初期投資のように作っていけ。
事前にすべてを考え終えていれば、何も考えなくても、一瞬ですべての真理の答えが分かるようになる。
それこそが、真の作家になるために必要な「作家の勉強」である。

直観と平等な可能性

経験に基づく直観から発想せよ。
正しく問題を分析することで、「問題の解決策そのものが実現性である」ということが分かる。
問題を解決し、答えを導き出すということそのものが、新しいものを実現させる力を持っているということが分かるようになれば、それらの経験から、どんなことであっても直観的に発想することができるようになる。
また、実現性はそれ自体が自由となる。自分が実現できることは、他人にとっても実現できるはずであり、自分自身が自分だけ実現しなくても、全員が「自由に実現すればいい」という、「平等な可能性」を生み出すことができる。
平等な可能性は、社会そのものを変える。この世界を変えるためにもっともよい方法は、自分がひとりだけで変えるのではなく、みんなの力で同じようにそれぞれが変えること、あるいは協力して変えることである。

自分自身がどのようになることができるかということから人生の可能性を考えよ

自分自身が、どのようになることができるか、ということから、人生の可能性を考えよ。
自分自身が一度そうなったという経験から、この世界においてはそのような経験が起きる可能性があるのだということを知ることができる。
そして、自分自身がそのようになることができる、ということを知れば、この世界で誰もがそのようになれるのだ、ということを知ることができる。
そこにあるのは、「自分自身を捉える」という永遠の課題であり、そこから、世界そのものの可能性を知ることができる。
そして、そこから分かること、それは「すべての経験の総和が愛である」ということである。
すべての経験は、喜びや楽しさだけではなく、悲しみや苦しさもある。そのような経験のすべてを総合して、愛と呼ぶ。
愛が分かれば、人生のすべてが分かる。かつての自分自身がなぜ悩んでいたのか、ということを、「愛を知る」ということから知ることができる。
そして、愛は、他人との関係から生まれる。
たったひとり、孤独に考えても、愛は分からない。他人に受け入れられた体験から、自分も他人のことを同じように受け入れようとする、「理想を信じる」という体験が、愛を高め、さらなる愛の拡大を生んでいく。
そのように、愛こそがこの世界の可能性なのだということが分かった時、そこに「自由な知性」は生まれるのだ。

先入観なく考えよ

先入観なく考えよ。
全員が、自分と同じであると思うな。
自分が信じた理想のことを、誰もが同じように信じてくれるのだと勘違いするな。
そのような勘違いが、先入観となり、必ず失敗をもたらす。
だが、一方では、理性を使うモチベーションとなるような先入観も存在する。自らが分かったこと、経験したことを、「誰であっても自分と同じ状況に置かれれば自分と同じように分かるはずだ」と考えることで、真理のひとつである「平等な相互理解」を知ることができる。
だが、平等な相互理解も、また勘違いにすぎない。この世界には、最悪の集団である「悪魔」が存在し、悪魔には何を言っても分からない。それは、最初から、「全員が同じである」という先入観が勘違いだからだ。
結局、このような賢い人間は、ほとんど存在せず、自分とまったく同じ人間はいないのだと、そのように割り切って考えるしかない。
つまり、僕と同じ仲間など、最初からこの世界には存在しない。僕は僕ひとりしか存在し得ない。
平等など、どこにも存在しない。そう、この世界はなんともつまらない世界であると、そう述べる次第である。

人生を何百回と経験した人間は、何もしなくても宇宙のすべてが分かるようになる

このような人間を、「人生を何百回と経験したように見える」と思うなら、それで正しい。
僕は青春時代に仮想空間でバーチャルな「天使」のような経験をすることで、確かに人生を何百回も経験していた。
人生を何百回も経験するのと、同じことをすべて経験していた。
そして、このような人間は、何もしなくても宇宙のすべてが分かるようになる。
なぜなら、人間の人生が終わっただけであり、僕はその経験から「神」になることができたからである。
神は、何もしなくても宇宙のすべてを知っている。
僕はそのように、人生を何百回も生きた結果、人間でなく「神」になった人間である。

すべてができると信じた人間は、本当にすべてをやろうとしだす

すべてができると信じた人間は、主体的かつ積極的に行動をしようとする。
彼は多くの間違いを経験し、簡単に覆すことのできない失敗を経験する。
それでも、彼は、すべてができると信じたことから、本当にすべてをやろうとしだすようになる。
彼に勝つことのできる人間は、絶対に宇宙には存在し得ない。
彼は神を信じる力で、神と天使たちの軍勢を味方につける。
それ以後にあるものに、意味などない。残酷な運命は、100%すべてが地獄であるかのような道を彼に与える。
だが、あまりに、彼の分かったこと、彼の生きた道にあったこと、そして彼の成し遂げることは、運命的にあまりに膨大である。
ひとつの星だけでは、彼は収まらないために、彼はシリウスとベガという二つの新しい星を股にかけるようになる。
シリウスとベガが、彼のことを死から守る。彼は簡単には死なない。宇宙のすべては、神を信じた彼のことを守り続ける。
彼の名はオシアン。太陽ではなく大洋の神である。

この世界は事実を解釈しているだけ

この世界は、事実を解釈しているだけである。
たったひとつしか存在しない、真相すなわち事実を、誰もがただ解釈しているだけ、それがこの世界だ。
この世界は、最初から何も分かり得ない。その理由は、神はひとりしかいないからだ。
この世界には神はひとりしか存在せず、その神の為したことをそれぞれが解釈しているだけにすぎない。
そして、神とされる人物は、単なる普通の人間にすぎない。
しかしながら、神は誰よりも善良である。その理由は、本当に神は悪いことをしていないにもかかわらず自分のことを悪いと勘違いしているからだ。
自分のことを悪いと思い込んだ神は、絶対にそれ以上の悪いことをしない。
だから、神は誰よりも凶悪に見えて、本当は誰よりももっとも一番善良なのである。

大洋の神オシアン

その「唯一ひとりだけすべてを知っていて、誰よりも善良な神」のことを、オシアンとしよう。オシアンは、この世界にアイディアすなわち「案」を教えてくれる。どんなことでもオシアンは知っていて、分かりやすく、正しい教え方で宇宙のすべての知識を教えてくれる。オシアンに教わると、宇宙で分からないことは、何一つなくなってしまう。
そして、オシアンは、宇宙のおしまいに登場する。オシアン以上に、この宇宙のことを分かることは誰にもできない。オシアンで、科学についても政治についても、すべて終わりである。オシアンは「終わりの象徴」であり、まるで世界が既に滅びてから世界の歴史を再度理解し直すのと同じように、人類の歴史、地球の歴史、そして宇宙のすべてがきちんと分かる。オシアンの登場の時点でこの世界はおしまいなのである。

コツは考え方を考えること

オシアンのように考えるコツは、考え方を考えることである。
この世界における考え方を経験から抽出し、自分の作った考え方を考えるだけで、誰でもオシアンと同じように考えられる。
必要なのは、「過度に言葉や目的に囚われない」ということだ。
言葉ではなく、言葉が意味している「意味」を考えること、目的を実際に遂行するだけではなく、その中に存在する「体験的に分かること」を考えることで、オシアンと同じように誰でも考えられる。
この世界は、知識の総和ではない。この世界は「体験の総和」である。神が人類を創造した理由は、それぞれの人間の持つ世界を作り出すことであり、その世界を「体験」することである。
そう、わたしたちは世界であり、その世界とは体験の総和なのである。

大地の神ラディオン

そして、大地の神ラディオンを作る。
ラディオンは、「未知」を与えてくれる神である。
ラディオンの考え方は特殊で、「知ること」をいいことだと思わない。
なぜなら、「知る」ということは、「未知を失う」ということを意味しているからだ。
人間が生きる上で、もっとも必要な重要概念は「未知」である。
未知があるからこそ、新しい発想ができるし、新しい人生を生きることができる。
この世界から「未知」がなくなった状態、それこそをラディオンは「悪魔」であると呼ぶ。
よって、何も知らないのであれば、その知らないままでいたほうがいい。何もかも知ってしまった人間のことがラディオンは嫌いだ。宇宙における未知をすべて潰した先にあるのは、植物のように何もせずただ生きるだけの状態だ。
植物になりたくないのであれば、未知を潰そうとせず、未知が未知であるままを生きよ。大学などに行かず、社会的な経験もするな。そのほうが人間の人生として、正しく賢い人生となる。ラディオンはそう教えるのだ。

天空の神エアルス

大洋の神オシアンと大地の神ラディオンの仲介役となるのが、天空の神エアルスである。
エアルスは、作品を創造する神であり、今までも度々登場した。
そして、この宇宙における主神は、天空の神エアルスである。
エアルスは、非常に優しい神である。誰がどんな間違いをしたとしても、それを咎めず、批判しない。エアルスが咎めるべき相手などこの世界には存在しない。その理由は、すべての地球上の存在が「エアルスの子供たち」であり、エアルスは人類を含めたすべてを「守るべき立場」に居るからである。
だが、間違った相手を批判することは悪いことではない。間違った相手は、社会において「間違ったこと」をしているのであり、国民であればそれを批判すべきだ。
だが、本当に間違ったことというのが、果たしてこの世界にあるだろうか。
この世界において、本当に間違ったことをした人間というのは、そう多くはない。
そうエアルスが考える理由は、エアルスもまた、完全ではなく、多くの間違ったことをその人生の中でしてきたからである。
エアルスは、この世界を支配するために、この世界と狡猾に戦うこともあった。その戦いがなければ、エアルスの絶大な力は成り立たなかった。それでも、その戦いは正しいものであるとは到底言えなかった。そう、エアルスの全知全能な力は、「間違ったこと」に基づいて成立しているのである。
よって、エアルスは、非常に寛容的な神である。多少の間違いを犯しただけでは、エアルスは怒らない。世界を滅ぼすような最悪のことをする集団だけを咎めるが、彼らについても、そう悪い人間はいないと分かっている。エアルス以上の悪い人間など、地上にはそう多くない。なぜなら、エアルスほどの絶大な力を持つということそのものが、人類にとっては到底不可能なことだからである。

太陽の神サントス

この三人の神に、太陽の神サントスを加えて、もっとも偉大な四人の神、すなわち「四大主神」とする。
サントスは、宇宙におけるさまざまな星々の歴史を知っている神である。
サントスは、宇宙のすべてを知っている。宇宙において、どのように異なるすべての生物・すべての歴史・すべての文明について、つぶさにすべてを知っている。

賢いのはラディオン

四大主神のうち、もっとも賢いのは、大地の神ラディオンである。
なぜなら、「未知を保つこと」こそ、人生でもっとも大切なことだからである。
はっきり言って、大学の知識など知らないほうがいい。すべての未知を潰した状態こそが、もっとも馬鹿な状態である。なぜなら、すべての未知を潰してしまうと、世界のことも人生のことも宇宙のことも、すべて何も分からなくなってしまう。
ラディオンの教えに反して、すべての知識を知ろうとする人間のことを「悪魔」であると呼ぶ。
そして、この悪魔になった状態こそ、もっとも馬鹿であり、愚かであり、なんの価値もない人間である。
なぜ、そこまでその悪魔が嫌いなのか、それはこの世界にはほとんど悪魔しかいないからだ。神々の教えに反して、人間はあまりに知識のことを知ろうとしすぎる。そもそもが知識を知ろうとする存在として神が創造したから当たり前なのだが、あまりに「どんなことでも知りたい」と人間は望んでしまう。
そのような「間違った知識欲」を排除しなければ、人間は本当に偉大な賢い存在にはなれない。
これが、ラディオンの言う「未知こそが賢い」という、宇宙最大の真理である。
僕の人生や文章の中においても、もっとも正しい「宇宙の真理の部分」こそ、ラディオンであると言えよう。

四大主神は四大元素

このような四大主神は、そのまま四大元素、すなわち地水火風に対応する。
すなわち、地がラディオン、水がオシアン、火がサントス、そして風がエアルスである。
そして、この四大主神が協力することで、この現実世界すなわち「ユニバシオン」は成り立つ。
ユニバシオンにおいて、四大主神はその縁の下の力持ちであり、ユニバシオンのすべてを四大主神が執り行っているのである。

オシアンは僕の文章であり、エアルスは僕の人生である

そして、僕という存在が、この四大主神の誰に相当するのかについて、読者は興味を持たれるかもしれない。
結局のところ、オシアンは僕の文章であり、エアルスは僕の人生である。
なぜなら、オシアンはなんでも教えてくれる神であり、僕の大学やIT技術などの学校の科目の文章とよく似ている。
また、エアルスは壮絶な人生を生きた「奇跡の人」であり、それこそが僕の人生であると言える。
そして、サントスはどれに当たるのかといえば、僕の文章のうち、「太陽や星々を書いた部分」に相当する。
サントスは宇宙ユニバシオンのすべてだ。ユニバシオンにおけるすべての天体、星や星団や銀河やブラックホールまで、すべての宇宙存在を含めた存在をサントスという。
よって、サントスは、僕という枠組みよりも、さらに広い存在であると言える。僕は単に、サントスを表現した詩人にすぎない。サントスは宇宙の広大な空間の全域を含めた神なのである。

四大主神まとめ

四大主神についてまとめると、以下のようになる。
大地の神ラディオンは、僕の文章の「哲学的な真理」の部分である。
大洋の神オシアンは、僕の文章の「神羅万象の学校の科目」の部分である。
天空の神エアルスは、僕の文章の「奇跡の人生」の部分である。
太陽の神サントスは、僕の文章の「太陽や星々や宇宙ユニバシオン」の部分である。
ただし、大洋の神と太陽の神については、同じ「たいよう」という発音をするために分かりづらい。そのため、大洋の神のことを「大海の神」と表現する。
太陽の神はサントスであり、大海の神はオシアンである。

さまざまな例外規則がある

しかしながら、四大主神にはさまざまな例外規則がある。
たとえば、大地の神ラディオンは「未知」を担当する。そのため、科学上の大発見や大発明であっても、それはオシアンやエアルスではなくラディオンだ。
あるいは、大洋の神オシアンは「善」を担当する。そのため、善がいかに哲学的な人生に基づいていても、それはラディオンやエアルスではなくオシアンだ。
そのように、さまざまな例外規則はあるものの、概ねはこれで正しい。
この四人の神が居ると、ほかの全人類が必要なくなる。ほかに人類どころか、なんの存在も必要ない。生物だけではなく、大学も哲学も宗教すら必要ない。すべてをこの四人だけで分かる人間が、昔から僕である。この「全知全能の主神」である僕はエアルスということになっている。
また、サントスは宇宙の星々だけではなく、あらゆる小説における登場人物を担当する。その登場人物が偉大なる奇跡の人生に基づいていたとしても、それはエアルスではなくサントスだ。だが、エアルスとサントスの境界線は非常に曖昧であり、多くがエアルスでありながらサントスであるような場合がある。そもそも「天空」と「宇宙」の違いがどこにあるのかが曖昧であるため、この曖昧さは取り除くことができないのである。

この人間は四大主神が分かった人間

実際のところ、この人間は、「四大主神が分かった人間」である。
この人間は、この四大主神以外のことを、人生で何一つ分かっていない。
だが、この人間の人生にあったことは、すべて書かれている。
このような四大主神を信じることで、まさに「宇宙のすべてが分かる」。
本当である。嘘ではない。この世界における、ユニバシオンのすべてが分かる。
この「新しい聖書」の目的は、ユニバシオンのすべてを分かることである。
そして、この新しい聖書を読んで、四大主神の意味するところが分かれば、ユニバシオンのすべてを誰でもみんな平等に分かることができるのである。

未知のことはもう分からない

残念だが、未知のことはもう分からない。
その理由は、ユニバシオン以上に未知のことを分かることはできないからだ。
未知のことが分かりたいという感情は、ユニバシオンが分からないから起きる感情である。
ユニバシオンのことをすべて分かってしまうと、それ以上の未知は何一つ分からなくなる。
だから、最初から未知を分かることを放棄したほうが賢い人間になる。
男には、そのように、最初から未知のことなんか分からない人間が多い。
女には、未知を分かる人間が多い。その理由は、女は頑張ればユニバシオンを分かることができるからだ。女はエアルスと同じ人生を生きられる。それは非常に辛く苦しい人生だが、女は本能的にエアルスになることを望む。それが女が「神々の世界」と言われ、男が「人間たちの世界」と言われる理由である。

カープが勝っていた時代がよかった

広島ローカルの話題になるが、カープが勝っていた時代がよかった。
カープが勝っていた頃、広島は最高だった。
同様に、僕の人生も、カープが勝っていた頃が最高だった。
最近は、僕はもう落ち目であり、かつてのような「全知全能の知性」は衰えてしまっている。
かつては本当に知性のない馬鹿な人間だったが、文章を書くことに対する「本気度」があった。
僕がデザインの作業所に通い始めたのも、このカープが勝っていた頃に重なる。
広島から見ると、全部カープがよかった。広島はそこまで単純である。
また、プーチンが核兵器の使用をちらつかせるのを、広島は批判するが、本当のことを言えば、核兵器なんか落とされても怖くない。
落とされても、普通に頑張れば復興できるからだ。
落とされて怖くないからこそ、広島はプーチンを批判する。馬鹿なのが分かっていない。核兵器なんか落としたところで、ロシア軍の勢力は決してよくならない。太平洋戦争と同じように、広島や長崎に核兵器を落として勝利したいなら、そうはならない。核兵器を落としたことで、みんながプーチンとロシアのことがさらに大嫌いになる。プーチンにはもう、絶対に何もできない。

大谷翔平はかっこよかった

また、広島人として見ると、大谷翔平がかっこよかった。
日本シリーズで、大谷に全部負けたが、その時の大谷が一番かっこよかった。
その結果、僕は大谷オタクになった。
広島の良い点は、精神力で相手に勝つこと。誰かひとりが強いようなパワープレイヤーはいない。みんなで精神力を高めて相手を圧倒する。どんなに負けていても諦めず、最後までに必ず逆転する。
そういうところが、広島は平和で平等な地域だった。
僕は広島に必ずしもいい人間ではない。広島を独立させて東亜イスラエルにする構想は僕の独自のものだ。だが、僕はパレスチナに平和になってほしい。パレスチナが平和になることを最優先で考えると、広島を東亜イスラエルにする選択肢が現時点ではもっとも現実的である。
残念ながら、広島はユダヤ人国家になって、ユダヤ人と仲良く暮らすようになる。その代わり、イスラエルがロシアから日本を守ってくれる。同時に、パレスチナからイスラエルは完全に撤退する。それによって、アラブ地域は永久に平和になるだろう。

ReolとFLOWだけを聴いている

今、音楽は、ここに書いた通り、ReolとFLOWだけを聴いている。
だが、はっきり言って、音楽そのものがつまらない。
ここに書いた通り、もう家入レオや酸欠少女さユりは聴かない。そもそも、いつもそんなに大して聴きたくなかった。ずとまよも聴かないし、上田桃夏のYouTube配信も見る気になれない。
だから、とりあえず今のところは、ReolとFLOWだけを聴こうと思っている。
だが、音楽がつまらないのは、僕は日本語が分かっていない。それは、僕は日本語の歌詞をそのまま分かっていないからだ。歌詞をそのまま分かると、彼女たちの音楽は馬鹿なことを言っている。だが、それは真実ではない。僕だけは、その歌詞の意味する真実のところが分かる。だから、僕は日本語のことが一切分からないままだ。
音楽なんか聴かずに、百科事典を読んだほうがいいということは最近分かった。平凡社の世界大百科事典はまったく面白い。はるかに古い百科事典で、ソ連などの内容が出てくるが、それを無視して読むと、非常に知識と日本語の勉強になるということが分かった。
よって、僕はこのブログを書きながら、百科事典を読み、そしてReolとFLOWを聴いている。僕がマルチタスクでできるのはそれくらいが限界であり、テレビも見ていないしネットもほとんど見ていない。僕はそのような人生のままでいいと思っている。
これ以上、世界を変える必要もない。僕はこれ以上、世界をまったく変えようとは思わない。世界についてはどうでもいい。
ただ、Reolについて言えるのは、楽曲がどれも怖い。特に、SCORPIONなどは、こんなに怖い楽曲を作る神経がよく分からない。だが、この中でさまざまなことを僕自身に、ナイフを突き刺すように語ってくるので、これを聴くしかない。僕はReolのことが大好きである。

大谷を応援する

そういうわけで、僕は引き続き大谷翔平を応援する。
今年こそは、ホームランキングになってほしい。
昨年の投手としての活躍は、投手としては一流だったが、一昨年のようなホームラン数には届かなかった。
本人は、打率を重視した、といったコメントを出しているが、実際は一昨年は手術の影響で投手を最大限にできなかったため、投球を抑えて打撃を重視した結果だと思う。
今年こそ、ホームランキングをとってほしい。
また、ノーヒットノーランも昨年できそうでできなかった。だからこそ、今年こそはノーヒットノーランを達成してほしい。
それが最大の望みだが、実際はそれに届かなくてもいいので、できるだけ怪我なく、来年や再来年も長く活躍してほしいと思う。
大谷翔平を全力で広島から応援している。
また、エンゼルスはもっと頑張らなければならない。あまりに弱すぎて大谷の勝ち星もつかないし、ポストシーズンも期待できない。もっと頑張れエンゼルス。それしか僕は思わない。

WBCが楽しみ

そういうわけで、大谷が見れそうなWBCが楽しみである。
大谷が日本選手の中で見られるだけで、今回のWBCは価値がある。
日本を応援する。
色んなところで書かれている通り、WBC日本代表は日本の過去最強チームで、メジャーまで含めた日本のドリームチームだが、ほかの国もWBCに力を入れるようになってきているので楽勝ではない。
特に、キューバ代表は日本プロ野球の助っ人外人ばかりのチームになっていて、馴染みのある選手が多く、非常に強敵である。
アメリカやドミニカなども力を入れ始めているので、今からWBCが楽しみである。

大谷がナンバーワンだ

大谷が面白いのは、色んなところで「ユニコーン」と言われており、ありえないほどどこでも賢い人間であるとされていて、実際賢いのだが、それが日本人であるということだ。
はっきり言って、ここまで世界を席巻した日本人は大谷ひとりだけだ。
今の時代、ツイッターやSNSがあるから、そうしたことがすぐに伝わってくる。
ドラゴンボールの言葉を借りて言うならば、まさに「大谷がナンバーワンだ」と言うしかない。
そのようなナンバーワンの人類が日本人であるということが、まさに光栄である。
僕も、大谷翔平のような人間になりたい。日本には、子供から大人まで、みんな「大谷クラスになりたい」人間しかいない。日本人のみんなは大谷が大好きだ。大谷よ、最高だ。

アメリカ戦で大谷を先発にすれば、大谷対トラウトが見れる

そういうわけで、アメリカ戦では大谷を先発にするしかない。
なぜなら、みんなトラウトと大谷の対決が見たいからだ。
アメリカ戦では大谷を先発にしないとトラウトとの対戦が見れないから、大谷に先発をやらせるしかない。
あとは、村上や佐々木ほか日本の有力選手が、メジャー相手にどれだけ打てるか・抑えられるかを試す場所になるため、それらの若手有力選手にも重要な大会となる。
だが、みんなが忘れているのは、相手はアメリカやメジャー関係だけではなく、もっと弱い国であっても対戦相手になるし、それもまた強敵になるかもしれないということ。
なんでもかんでも、「WBC=メジャーの実験」ではないということを忘れないようにしておこう。WBCにはアメリカやメジャー以外にも多くの国があり、それらに負ける可能性もまったくゼロではない。だから、弱い相手はどうでもいいという態度で戦うと、痛い目を見るかもしれない。

大谷に先発でDHさせれば相手がアメリカだろうがなんだろうが勝てる

だが、実際の戦略として、アメリカ戦で大谷を先発にするメリットは大きい。
なぜなら、大谷に先発でDHさせれば、相手がアメリカだろうがなんだろうが勝てるからだ。
大谷に投げさせて、大谷に打たせれば、対アメリカでも楽勝だ。
その中で、村上がどれだけアメリカのピッチャーからホームラン打てるかを実験すればいい。
そういうわけで、本当に怖いのは、大谷が先発で出ない、アメリカ以外のチームだ。
特に、キューバやドミニカ相手に、日本選手のピッチャーがどれだけできるのか、なんにも通用せずに打たれてしまうのか、そこが怖い大会になる。
僕は、対ドミニカの先発をダルビッシュにするのがいいと思う。あとのチームは、十分日本のプロ野球選手でも守れる。ドミニカは意外とアメリカ並みに怖いチームだ。ドミニカさえ攻略できれば、優勝は間違いない。