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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 平和を信じるべきである
BASENAME: 2023/01/25/220825
STATUS: Publish
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DATE: 01/25/2023 22:08:25

戦争や虐殺を書くのはつまらない

本当は、平和を信じるべきである。
なぜなら、戦争や虐殺を書くのはつまらない。
もっと、この世界が平和になるようなことを書きたい。

自分で未来を決める必要はない

この世界に、どんな未来があるのだろう。
本当は、必ずしも、自分ひとりが未来を決める必要はない。
未来など、決めなくていい。未来はみんなで決めるべきものだからだ。
一度、「未来はこういうものである」という、おかしな未来像を消してしまおう。
その上で、本当に未来を変えていくとはどういうことか、ということを書こう。

ここにあるのは呪われた未来

ここにあるのは、いわば「呪われた未来」である。
このような呪われた未来など、信じたところでなんにもならない。
未来において青空が失われるという、おかしな幻想を信じている人間が、この世界には本当に多い。
そのような呪われた未来は必要ない。
わたしたちが、そのような呪われた未来を変えていくのだ。

本当はこの世界に平和であってほしい

僕は、本当は、この世界に平和であってほしい。
戦争や滅亡の未来など、本当は僕は書きたくない。
そもそも、僕は保守的な思想は嫌いである。僕は昔からリベラルな革新派でありたいと常に思っている。
よって、僕は保守的な思想をここで排し、リベラル派に変わる。
この世界が自由な世界であること、それが僕の望みであり、そのような自由な権利を誰も奪うことができないような世界にしたい。
僕が僕らしく生きられるのは、そのような自由の認められたリベラルな社会であり、決して帝国でもファシズムでもない。
僕は僕らしく生きるために、リベラルな革新思想を信じている。その「僕が僕らしく生きる権利」を、誰にも批判されたくない。
だが、批判が怖いから言わないのでは、それが僕の本心であるということが誰にも分からなくなってしまう。
だから、批判を恐れず、僕はリベラルな革新思想を今から述べていこうと思う。

みんなのものという考え方の何が悪いのか

そもそも、「みんなのもの」という考え方の何が悪いのか。
誰かがそれを「欲しい」と言い、ほかの誰かが「僕も欲しい」と言った時、もっとも公平な解決策は「平等に半分に分割して与える」ということかもしれない。
だが、簡単に半分に分割できないものもある。
そのようなものは、最初から「誰かのものである」という考え方を排し、「誰のものでもないみんなのものである」としてしまえばいい。
すなわち、ものを最初から誰も自分のものであると言えないようにして、みんなのものにした上で、平等に分配できるものは平等に分配する、これこそが「正しい資産の分配の方法」なのである。
平等は正しい。ソ連は間違っていないのである。

オープンソースはデジタル共産主義

また、オープンソースはデジタル共産主義である。
なぜなら、ソースコードを誰かのものではなく、みんなのものにしているからである。
特に、ソフトウェアというものは、「独占」という考え方がついて回る。誰にもソースコードを公開しない時点で、それは「所有権を与えるのではなく使用権を与える」というものになっている。
ソフトウェア製品を売ったとしても、プログラムの設計図であり大本のプログラムであるソースコードまでは売らない。ソースコードを見て書き換える権利だけは保持したまま、所有権ではなく使用権だけをライセンスして販売する、という考え方に基づいている。
オープンソースは、このような考え方を受け入れない。ソースコードは誰のものでもなく、みんなのものである。だから、ソースコードはGPLで公開すべきであり、GPLから派生したソフトウェアであってもGPLが保たれるべきである。すなわち、GPLから派生したソフトウェアのソースコードは公開しなければならないと義務付けるべきなのである。
これこそが、「みんなのソフトウェア」という新しい理想である。
そして、オープンソースはソフトウェア産業と極めて相性がいい。なぜなら、ソフトウェアはソースコードという設計図とコンパイラさえあれば、どのような環境でもコンパイルして実行できる。道具も必要なければ工場のような生産施設も労働者も必要ない。パソコンさえあれば、それだけで動く。ソースコードは単なるテキスト情報であり、誰でも自由に変更して実行できる。すなわち、「誰でもオープンに開発に参加できる」という特性を持っている。だから、インターネットで不特定多数が繋がったバザール開発も有効に機能するのである。

人工知能によるシンギュラリティの世界が訪れる

だが、僕が思うに、人工知能によって世界は滅びるだろう。
あるいは、「滅びる」という言葉は間違っている。なぜなら、シンギュラリティによって、この世界は完全に別の世界へと進歩するはずだからである。
シンギュラリティによって、人類よりも人工知能のほうがはるかに賢い知能となるような世界が必ず訪れる。
そこでは、今までの世界のほとんどすべてが成り立たなくなり、コンピュータの進歩自体が制御できなくなる。
だが、それは悪いことばかりではない。よいこともたくさんある。人類は何もしなくても、人工知能に管理された状態で、楽に、消費するための金も、その金を得るための労働も必要ない世界になる。「人工知能技術による本当の楽園」が訪れる。
進歩した人工知能は、医学的に人間の肉体を完全に解明し、完全なロボットや人工臓器を作ることができる。それによって、わたしたちは不老不死の力を手に入れる。
だが、シンギュラリティによってこの世界は一度消滅する。そのような最高の素晴らしい世界が訪れる代わりに、この世界のすべては完全に消滅することだろう。
シンギュラリティの世界、これが新しい日本、新しい世界、新しい地球になるだろう。