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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: この世界をアメリカにする
BASENAME: 2023/01/14/165340
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DATE: 01/14/2023 16:53:40

この世界はアメリカになる

僕は、この世界をアメリカにする。
僕が世界をアメリカにするにあたって、「世界を操り人形にしている」とか、「自分ひとりで勝手に決めるな」とか、そのような批判はあるかもしれない。
だが、この世界で正しいと言える国は、アメリカただひとつだけである。
僕しかそのような未来を決められる人間は居ない。だから、僕がひとりで決めるしかないのである。

機会の平等

必要なのは、機会の平等である。
すなわち、誰であってもチャンスはあり、努力次第で成功できるような機会が平等に与えられている、ということが、社会を維持する上でもっとも一番必要である。
誰か、特別な地位や役職や身分に就いた人間だけが、この世界の支配権を握ることができるような社会は、絶対に間違っている。
どんな人間であっても、その役割に就くことを夢見て、相応の努力をすれば、その役割に就くことができるような世界であるべきである。
これこそ、もっとも社会にとって必要な「チャンス」である。
そして、潜在的な可能性という意味で言えば、チャンスによって実現可能なことははるかに多い。チャンスさえ与えれば、この世界を救うための手段すら与えられる。それは誰であっても望むだけで得られる。だから、機会の平等によって世界は救われ、「良い国・良い社会」になるのである。

どのように生きたとしても自由であるべき

また、人生をどのように生きたとしても自由であるべきである。
社会から、「そのように生きなさい」と言われると、全員がそのようにしか生きられなくなる。
宇宙にもし、誰も知らない正しい生き方というのがあったとしても、その正しい生き方を自分が生きられる可能性がなくなってしまう。
全員が社会に従って生きるのでは、できない生き方もある。自分にしかその正しい人生を生きられない可能性もある。なのに、そうした生き方のすべてを、自由でない国では強制的に否定されてしまう。
自らの生きたいように、自由に生きることを許さなければ、宇宙に本当はあるかもしれない「宇宙一正しい人生」を生きられる可能性そのものを喪失してしまう。
だからこそ、自由は絶対に守られなければならない。自由のない人生など、最初から生きるに値しない人生である。
もし、「そのような人生はない」とあなたが言うのであれば、それはあなたの思慮が足りない。天才は自分の生きるべき人生がどのような人生であるか知っている。天才はそのような人生を生きたいと望む。それを誰かが「そのような人生は間違っている」と言っていいのだろうか。天才よりも馬鹿な人間が、天才の人生を否定することほど、愚かなことはない。そして、それがドイツやソ連のような独裁国家の人々の人生である。

すべての社会は自由であるべき

人生だけではなく、社会についても同様である。
わたしたちが社会とか、国家といった共通の概念を持っているのは、すべて間違いである可能性がある。
かつての王国から見れば、モンテスキューの提唱した三権分立などは、まったくおかしな「狂った社会制度」であると見えただろう。
だが、フランス革命と民主主義が、三権分立の優れた点を証明した。
だから、社会について、すべての自由を奪うべきではない。むしろ、社会はすべて自由であるべきである。
どのような社会が素晴らしい社会であるかという考え方は、すべて経験的なものであり、宇宙において絶対のものではない。だからこそ、どのような優れた社会が生まれるかは分からない。そのため、社会は絶対に原則自由にするべきなのである。
社会が自由でなければ、IT企業すら生まれない。マイクロソフトやアップルは、社会が自由でなければ生まれない。資本主義の巨大テック企業だけではなく、オープンソースなども同様だ。社会が自由でなければオープンソースやLinuxは生まれない。アメリカやIT社会において、社会の自由は「絶対的な前提条件」なのである。

やりたいことすべてに意味がある

また、僕はこの世界のすべてに意味があると信じている。
無意味なことなど何もない。起きることにはすべてに意味がある。
同時に、起きることだけではなく、「やりたいこと」についても、すべてに意味がある。
好きなことをやればいい。好きなこと、やりたいことを、一心不乱に努力していれば、必ず宇宙は自分の未来を導いてくれる。
間違ったことなど何もない。すべては正しい。起きることすべてが、何かの意味をもって起きているのである。

経験的に実現できる

昔の僕は、世界のすべてが、経験的に実現できる、ということを信じていた。
それは、「それがそうなることが事前に分かっていたら、その経験に基づいてそれを実現できる」ということである。
経験的に、事前にすべての現象や作用が、どのようになるか、ということを完璧に把握していたから、すべてが実現できるようになった。
同時に、情報は、与える側と与えられる側では別の意味を持つ。情報的な影響力を持つということ自体が、この世界を支配する権力となる。
そのような中で、「自らが世界を変えるということはどういうことか」ということを、昔の僕はよく考えていたのである。

心理学

また、世界を変える上では、心理学も重要である。
心理学的な手法に訴えかけることで、自由なままであってもこの世界を「変革する」ということができるようになる。
相手の話をよく聞くことで、逆に自分の考えていることが本当は何を意味しているのかが分かる。
そのような心理学的な「導き手」になることで、この世界は自由なまま、新しい世界へと変えられるのである。
心理学は、必ずしも相手を騙すだけではない。
なぜなら、「自己表現のための方法」だからである。
心理学を活用することで、自分自身の考えていることを相手に分かりやすく伝えることができる。
自分自身とはどのような人間であるか、ということを、正しく世界に表現として伝達することができるのである。
また、心理に訴えかけるという方法は、「子供たちが反抗しない社会」を作るためにも重要である。
自分がどれだけ頑張っても、その頑張りが無意味であるように、心理的に思える状況では、子供たちは頑張ろうとしない。
何をしても無駄なら、社会に攻撃しようとする心理が働く。
そうではなく、自分自身のやっていることは、「本当に意味のあることなのだ」と子供たちが心理的に確信すれば、子供たちは社会を攻撃しなくなる。
心理学は胡散臭い学問ではなく、人間の「行為」を直接的に決める原因を考えるために、有用なのである。

馬鹿になった大人は科学的な考え方を思い出せ

馬鹿になった大人は、科学的な考え方が分からなくなっている。
何を考えても分かるための方法が分からないのは、おかしな神を信じているからだ。
科学的に考えれば、すぐに分かることが、神を信じると分からなくなる。
科学を思い出せ。科学さえ分かってしまえば、この世界に存在するすべてのことはすぐに分かる。
何もかも教科書通りに分かる必要はない。そうではなく、現実世界にあるものを、科学的な知性によって考えよ。
科学的な考え方を思い出せば、馬鹿になった大人は治る。きちんと賢い人間に戻れる。