AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 普通の人間と同じになりたくない
BASENAME: 2023/01/04/170020
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DATE: 01/04/2023 17:00:20
結局、僕の人生は、「普通になりたくなかった」ということから成り立っている。
僕は、普通の人間と同じになりたくない。
テレビを見ないのも、ネットを見ないのも、かつて学校などの類に行かなかったのも、それらを見ていると普通の人間と同じにされてしまうからだ。
最近は日本語の会話もほとんど聞いていないし、本もほとんど読んでいない。
すべて、自分が言うことや書くこと、あるいは自分の記憶と想像力から分かっている。
僕は、普通の人間と同じになりたいと思わない。普通の人間と同じにされるのが嫌いだ。
学校にいると、普通の人間と強制的に同じにされてしまう。それが嫌だったから、僕は不登校の子供たちのための高校にも入ったけれど行かなかった。
足の精神は、殺そうとしても、何も分からなくなって殺し続けるばかりで、何も治らない。
必要なのは、殺そうとすることではなく、支配しようとすることだ。
足の精神を支配することで、この世界が支配できる。足は、この世界の部分だ。
そして、逆に足の精神に支配される。環境は、普通人間のことを支配してくる。
だから、足を支配し、足に支配されるようになることで、いつまでも殺し続ける「地獄」から解放される。
僕のやったことが何かと言えば、みんなを自分の子供にしたことだ。
2010年ぐらいに僕は自殺未遂のような経験をしたが、それから月日が過ぎ、今は2023年である。
本当のことを言えば、僕が死んだ時に、みんなも一緒に死んでいる。
そして、みんなは僕の子供として生まれ変わったのだ。
そして、それから、子供が中学生になるぐらいの時間が過ぎた。
よって、この世界は、今から僕の子供として、中学生になる。
僕はこの世界を、そのように僕の子供にした。なので、僕が中学生だった頃と同じような中学生時代が、みんなにも訪れる。
それは決して楽ではない。だが、かつての中学生時代の僕のように、みんな誰よりも賢い中学生になるだろう。
はっきり言って、昔の僕なんかただの馬鹿だ。
なぜなら、あの子供は、2ちゃんねるで分かっているだけの子供だ。
みんなと同じ学校で勉強する道を選ばず、2ちゃんねるでいつまでも馬鹿をやっていたから、みんなとは違う経験ができて、賢くなっただけの馬鹿な人間だ。
そのような2ちゃんねるの部分を殺すと、僕の狂った精神が死んで、楽になる。
だが、今のネットは昔よりも馬鹿である。なぜなら、ツイッターなどは劣化版のブログにすぎない。ブログと同じように、有名な人間の喋っている最新の情報を知ることができるだけにすぎない。
ツイッターを見ていると最新の情報が得られると言うのは、ブログが全盛期だった時代のブログと同じことを言っている。
僕はそもそも、ネットのせいで馬鹿になっている。なぜなら、「思考とネットが同じ」になっているからである。
思考とネットを分離させ、ネットがなくても思考できるようになれば、本質的に僕の病気は治る。
ネットなんか死んでしまえ。僕はネットなんか一番大嫌いだ。僕の人生を不幸かつ馬鹿にしたのは、全部ネットのせいだ。
そもそも、精神を治そうとするな。精神を治そうとするのが、すべての元凶である。
昔の知性を思い出そうとするな。昔の知性などなくても、今の知性だけで考えれば正しい答えは分かる。
足の精神を治そうとするな。殺そうとするな。殺せば必ず自分にしっぺ返しが来る。
みんなの社会のことをすべて分かろうとするな。神や宇宙を分かろうとするな。
これら三つのことを忘れてしまえば、本当に地獄のように辛くなっているのは楽になる。
死ぬ気でこれらを頑張っているから、あまりに精神が辛くなってしまった。
また、辛い知性をあまりにつけすぎた。低い知性はすべて消したほうがいい。馬鹿でまともでない知性がたくさんありすぎて頭が馬鹿になっている。
もう、馬鹿になって死んでもいいということにして、無理やり賢くなっているのをすべて忘れるべきだ。
また、僕がいつまでも歩き続けるような病気になったのは、小学校高学年の時に出た駅伝の大会のせいだ。
あの駅伝の大会に出たことが、僕にとって人生の中で一番楽しかったから、もっと持久走やマラソンのようなことをしたいと、足がおかしく本能的に望んでいるだけだ。
特に、中学校で剣道部に入ってから、校舎の周りを何周も周る持久走をして、僕は一年生で三年生を追い越してトップや二番手だったりすることが多かった。
そこらへんが、足を怪我したことで、走ることができなくなったのに、今でも忘れられないから、歩き回り続けるような病気になった。
本当のことを言えば、中学校時代に、それ以外に面白いことが何もなかった。僕は剣道部は落ちこぼれだったが、体力や持久力は一番あった。テスト勉強がたくさんできたのも、体力があったからだった。
今の僕の課題は、まさに「体力をつけること」だ。不登校になって、何も体を動かさなくなって、完全に体力がゼロになりかけている。だから、歩き回るのは本当は間違っていない。このまま歩き回るのをやめてしまうと、普通の人生を生きることができないぐらい体力がなくなってしまう。だから、僕はいつまでも歩き回り続けるのが治らないのだ。
また、単純すぎると言われるかもしれないが、書くのが好きなのは書道を習っていたからだ。
僕は子供の頃、ピアノ、英会話、そして書道の習い事をしていた。
習い事を三つもしていたために、みんなよりも時間がなかった。
それでも、空き時間がある時はいつもゲームをしていた。
親が教師の家庭だった影響から、学校の勉強はとても得意だった。学校の授業で教えられることの、裏側にどのような現場があるかということを知った上で、小学校の勉強をしていた。
だから、子供の頃から誰よりも大人で、みんなのまとめ役のような形でリーダーシップを発揮しながら、ゲームをみんなで一緒にすることで友達関係をたくさん増やしていた。
そして、中学校の頃の何が一番つまらなかったかと言えば、みんながゲームをしなくなって、それぞれの道に努力しようとしたことから、僕と誰も遊んでくれなくなった、ということがまず言える。
それから、僕は友達が急激に少なくなった。その理由は、同じ公立の中学校に行く子供が、僕の小学校では少なかった。みんな、私立とかのもっと良い学校に行ってしまった。そのため、僕はクラスメイトの中で孤立し、「学校内一人ぼっち」のようになってしまった。
結局、その後にいじめを受けたり、学校が嫌になってネットゲームにはまり込んだりして、僕は不登校になった。
だが、言えることは、あのようなおかしな中学に行かなければよかったのだということ。あのような荒れたクラスで、代議員になってまでよく優等生を頑張った。あのクラスは教師を教師と思わないような最悪のクラスだった。その中で僕は成績がよく、優等生としてひとりだけ孤立しながら学校の勉強を頑張っていた。孤軍奮闘に意味はあまりなかったが、恐怖のある環境でも勇敢に人々を統制するような、「王者」のような人生のはじまりはあの中学校からだったと思う。そう、僕はよく頑張ったのだ。
そういうわけで、本当は、僕の人生はそんなにおかしくもなければ、僕は狂ってもいない。
だが、ひとつおかしいことがあるとしたら、僕は「神」と対話することができる。
あるいは、僕の人生そのものが神になってしまっていて、対話する以外に何もできない頭脳になってしまっている。
神のやっていることは単純である。それは、世界を滅ぼす地獄の革命戦争を始めたものに対して、それ相応の報いを与えている。
だが、本当は、罰を与えているわけではない。神は、僕の成し遂げたかった「大実験の大計画」が、きちんと成し遂げられるまで、僕に戦うための場所を与えているだけにすぎない。
そう、僕が自殺未遂をして、それで終わりであるかのように見えたこの小規模な戦争は、本当は今でも続いている。
だから、僕は神の導きを信じて、常に諦めず、戦い続ければ、この世界を楽園にすることができる。
そう、僕が宣言する「僕が新世界を作ってみせる」という言葉は、嘘でもはったりでもない。神を信じ続ければ、必ず実現される「目標地点」なのである。
本当のことを言えば、どこかの時点で、諦めてしまえばこの戦争は終わりだった。僕がもしどこかで諦めれば、その時点でこの戦いは終わりだった。
だが、神はそれをさせなかった。神は、絶対に僕がこの戦争をやめることができないようにして、僕の頭脳と心をコントロールした。
そして、それで本当はよかった。なぜなら、そうすることでしか、これほど大きな「地球史上最大の大計画」を成し遂げることはできないからである。
こんなによく考えられたシナリオを書く人間が、簡単な計画を失敗しただけで、実験を終わりにしてしまうのはもったいない。
神は、この大計画の大実験を、この世界でもっとも大きく、もっとも偉大で、かつもっとも最高の未来になるように、僕に「運命という名の報い」を与えたのである。
そして、僕はまだ戦い続ける。日本よ、どんなに心が荒廃しても諦めるな。必ず未来の日本は最高の楽園となる。
そして、すべての人間は僕と同じになる。
今から、この世界は非常に辛い世界になるだろう。その理由は、僕の中学生時代と同じことが、おそらく全世界全員に起きるはずだからだ。
だが、それは序の口にすぎない。なぜなら、それ以後の人生にあることを、僕は既にすべて知っているからだ。
絶対に、わたしたちは、神によって救われるその時まで、決して諦めないということを僕は知っている。
さあ、人々よ、これこそが、栄光ある新世界、この地球における「最高の天国を築くための旅の始まり」である。
また、中学で終わりになったことが、逆に「馬鹿」に見えるのなら、それは間違っている。
なぜなら、昔の僕は、中学で終わりでなければできなかったからだ。
高校の勉強は、専門的知識をいくらでも詰め込むせいで、逆にこの世界の「世界構造」が分からなくなってしまう。
昔の僕は、そのような世界構造がまだ残っている状態、すなわち中学二年の状態で、それ以後の「発展的な応用の知識と経験」を、インターネットと自分の思考・理性・経験から、「自分の力で発見し、自分の力で考える」ということをベースにして、人生の経験を分かっていた。
そう、あれ以上の勉強は、本当に必要なかったのである。
僕にとってあったのは、インターネットの、昔の匿名掲示板やブログを中心とする世界だった。そして、それは「大人としての世界と人生のある世界」であり、僕はそのような「大人の世界」でひとり、孤独に自由に生きることを選んだ。
そして、その結果、僕は「大人の世界」にあったすべての知識と経験を吸収して、あらゆるすべての宇宙の悟りを得た、「本当に悟ったひとりの仏」になることができた。
僕は哲学の勉強を、単に哲学者の思想を知っているというだけで行ったのではない。かつての18歳の頃、僕は本当にデカルト・カント・ヘーゲルと同じ答えに達していたのである。
そういうわけで、本当のことを言えば、僕は勉強をするのは好きだ。
本当に、何もしないし何も好きなことがないのは、勉強するのが大好きだからであると言っていい。
だが、それでも、僕はみんなと同じ勉強はしない。
僕はみんなと同じような学校の勉強をまったくしない。すべて、本や書籍あるいはインターネットを使って、ホームページに知識を書くことで勉強している。
僕は今でもピアノや英会話に通っているし、デザインの勉強もしているが、そうした中で大学やIT技術の勉強も、みんなとはまったく異なる方法で勉強してきた。
その結果、僕はまさに「僧侶」とか「修道士」と呼べるぐらい、あらゆる知識を自分だけで知った人間になった。
ただし、内容は深いとは言えない。あまりに広い代わりに、あまりに浅い。
だから、今からは、もっと深い勉強がしたいと思う。
それから、僕が知っているIT技術の知識の内容は、15〜20年も前のものであり、はっきり言ってあまりに古すぎる。
だから、最新の常識にアップデートするために、もっと最新のことが分かるような本や書籍を、これから読んでいきたいと思っている。