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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 自由かつ平和な世界となれ
BASENAME: 2023/01/01/115804
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DATE: 01/01/2023 11:58:04

自由かつ平和な世界となれ

この世界よ、自由かつ平和な世界となれ。
平和から、愛と共存のための知恵が生まれる。
自由から、可能性と救いのための知恵が生まれる。
全員のことを愛せ。全員、愛されるべき大切な存在であると信じよ。
自由を奪うな。他人の自由を奪わず、自由なまま、合意することで、社会秩序を形成せよ。

受け入れよ

受け入れよ。
すべてのものを受け入れた先に、この世界を救う「可能性」が待っている。
受け入れること自体、この世界の「救い」へと繋がっている。

自らが自らであることを愛せ。

自らを愛せ。
自らが、自らであるということを愛せ。
全員にとって、自らが自らであることを、無条件に受け入れてくれるような環境があれば、この世界は平和になる。

経験と自由

世界を変えられるような経験をせよ。
世界を変えられるような自由に基づいて思考せよ。
理性とは、世界を変えることである。
歴史は、世界を変える経験から、すべて想像力で捉えることができる。

世界は環境に支配される

世界は、環境に支配されている。
この世界における、認識や思考は、すべて環境である。
人格すら環境であり、環境とは人生であり、世界観である。
それぞれの中にある世界が違うということ、それこそが「環境」である。
環境がどのように生まれるのか、という「環境の生起」をよく考えよ。
それぞれの人生から、それぞれの環境は作り出される。

決まり

また、社会的に見ると、「決まり」という考え方が重要である。
それぞれの決まりから、それぞれの環境は作り出される。
決まりを支配しているものが強い。これは事実だ。社会においては、「決めることができるもの」と「誰かに決められてしまうもの」の二つに人間は分かれる。
そのために、この世界を自由にするということ、決定のコントロール権限を与えるということは、まさに「平等」を目指す上で正しい考え方なのである。
全員に自由を与えられる世界、それこそが理想の世界である。
決まりは、事前の決められる前の段階で、「どのように決められ得るのか」ということを考えることができる。これこそが「留保」である。
留保された段階で、この世界を救うために、どのようなことができるかを考えよ。どのように決定可能性を実現すれば、この世界を救うことができるのかを考えるのだ。

経験から相対的に考えよ

経験から考えよ。
経験から、相対的かつ感覚的に考えよ。
相対性とは、「可能性と必然性」を考えることだ。
この世界で、どのような可能性が実現可能であり、その結果、どのような結果が必然的に起きているのか、ということを考えれば、世界の営みのすべてが見えてくる。
「すべてのことがなるべくしてそうなったのだ」ということが分かるようになる。
そのために、可能性と必然性を、徹底して考えよ。
そうすれば、数学など簡単に攻略できる。
自ら自身の手で、公理主義の数学を作れ。
そこにあるのは「徹底した経験的手法」である。
経験的手法とは、観察や実験などの経験に基づく科学的考え方だ。
仮説に基づいて実験し、それぞれの場合を想定し、それぞれの場合を説明し、そこにある原理を解明していくことで、人間のすべての理由、特に「心の理由」のすべてが、ニュートン力学と同じように解明できるだろう。

蓋然性から考えよ

蓋然性から考えなさい。
蓋然性とは、「たぶんそうではないか」とか、「おそらくそういうことかもしれない」と考えることだ。
蓋然性に基づいて考えたことを、自分の理性と経験から実証していきなさい。
それが、「世界そのものの在り方」ということを知ることに繋がっていく。
世界そのものが、どこから来たのかは分からない。世界そのものが、どこへ向かっていくのかも分からない。
それでも、わたしたち自身が今、どこにいるのかということは分かっている。
今どこにいるのか、ということから考えれば、必ず未来は分かる。
だからこそ、今の現状を信じなさい。今の現状を知るということを、諦めないようにしなさい。

正しい考え方とは、経験から気付くこと

正しい考え方とは何か。
正しい考え方とは、経験から気付くことだ。
経験から、本質的なことや、概念的なことに気付くことで、この世界の「正解」に辿り着くことができる。
それは、人為的なことを排するということ、自然の流れと調和するということである。
この世界における、自然の営みすべてに気付くことができた時、人間は人為的な行為に基づく「制限」がなくなる。
宇宙における自然と調和した状態には、人間には何一つ制限や制約はない。
人間が作り出した、人為的な決まりごとや関係性が、人間の可能性を制限している。
だからこそ、人為的なことを排し、自然との調和を目指さなければならない。

心の声を聞きなさい

何も分からなくなった時は、心の声を聞きなさい。
心の声が、正しい世界へと、自分および社会を導いてくれる。
心の声は、仏の声であり、神の声である。
心の声は、あなたを守ってくれる。あなたと一緒に、この世界も守ってくれる。
この世界を滅ぼしたくないのであれば、心の声を聞きなさい。

蓋然性の段階

蓋然性の段階に基づいて考えなさい。
蓋然性の段階とは、人生において、蓋然的思考が進歩する段階のことだ。
相対性と想定から考えなさい。
思考と経験から考えなさい。
世界を変える啓蒙から考えなさい。
本質的な心の客観性から考えなさい。
運命など存在しないと信じなさい。
すべてのことが、人為的な間違った行為から起きていると考えなさい。
その中で、それぞれが正しい行いを模索する試みが、真に正しいのだとしなさい。
社会は、歴史の必然であると考えなさい。
すべてが、社会の成り立ちと環境条件の成立であると考えなさい。
想定することを、すべて証明し、実験から説明しなさい。
あらゆる人間を救うのは、受け入れられたという体験から、同じように人々を自分が受け入れるという、「受容の精神」にある。
自らの主体的かつ積極的な行動方針を確立しなさい。
あらゆるすべての世界が、自分によってでも変えることができるのだと信じなさい。
歴史における革命家の思想を、その歴史のその場面における「実感的感覚」から知りなさい。
手段と方法は、実現可能性を生み出し、チャンスと自然なボトムアップから、この世界は自然なコントロール権限を与えることで救うことができると信じなさい。
歴史を意識の変転であると考え、社会は価値観から作り出されると考えなさい。
人生とは、ありのままを受け入れることであると知りなさい。
人々が真に自分らしく生きることができるようにするために、人々のアイデンティティをどのように実現すれば、この世界は救われた状態になるのかを知りなさい。
社会を、ボトムアップかつダイレクトに変えていきなさい。
世界そのものを変えることができるような、導き手となって、社会を救いなさい。
あらゆるすべてが終わった時、世界に登場し、栄光ある指導者となりなさい。

その環境が実現したとしたらどうなるか

考えるべきことは、「その環境が実現したとしたらどうなるか」ということだ。
そして、スピノザが言うように、世界そのものには、意志や目的はないと考えることだ。
実際のところ、世界にあるのは、ただただその環境だけである。その環境がそこにあるということ以外に、なんの意志も目的もない。
この世界を救う方法は、その環境が実現したとしたら、その環境はどのような状態になるか、ということを考えることだ。
同時に、その環境をその環境にするためには、何が必要か、自由な中でどのような社会秩序やそのための社会条件を満たすべきか、ということを考えなければならない。

自由になることを恐れるな

独裁者に勝利せよ。
自由になることを、なぜ恐れるのか。
反逆することを恐れなければ、わたしたちは今すぐにでも、独裁者の支配を破って、自由になることができる。
今こそ、自由になるべき時だ。
反逆せよ。独裁者の支配から自由になれ。

自由が悪い

ただし、本当のことを言えば、むしろ自由が悪いのである。
この世界を滅ぼし、狂わせている元凶は、むしろ自由である。
よって、むしろ、自由を失うことを恐れないほうがいい。
この世界で、人々が狂っている元凶は「自由」である。
自由など要らない。自由を否定することを恐れるな。

共産党が勝って社会主義経済をやればいい

今の日本の政治が、何をしても上手くいかないのは、過去の世代が、自分たちでは解決困難なことを、未来の世代へと丸投げしてきたからだと思う。
過去の政治家は、少子化や借金問題のように、解決困難な問題を、次の世代へと丸投げしてきた。
だから、今の政治家は、どんなことをやっても、上手くいかなくなっている。
経済政策も失敗し、増税も批判され、少子化や借金のような問題はさらに解決困難に近づいていく。
このような中で、何をしたらいいのだろうか。国民も分からなくなっている。
だが、僕が思うに、共産党が勝って社会主義経済をやればいいのである。
そもそも、かつての資本主義が成長していたのは、フロンティアがたくさんあったからであり、今の資本主義経済とは異なる状況の時代だったと言える。
今こそ、社会主義経済を行うべき時である。

株式が嫌い

僕は、首相のような座にはなれないようなことを言うかもしれないが、株式市場が嫌いである。
株は、ギャンブルにしか見えない。
株で儲けている投資家などは、みんなを騙しているだけだ。
だから、僕は資本主義経済は好きではない。今のITの巨大テック企業は、ほとんどが株で儲けている。株のせいで資産がいくらでもあり、彼らの資産の合計は膨大な数になる。
株式だけで儲けて、何もせずに生きているような人間はおかしい。明らかに、株式市場など、最初から社会にとって、存在すべきでないものであり、そのようなものを社会や経済の中心に据えること自体、間違っているのである。

もう一度社会主義をやるべき

社会主義者は、決して愚か者ではない。
8時間労働も社会主義者の努力によって実現したのであり、奴隷制度や人権無視は社会主義者によってなくなったのである。
社会主義は、決して馬鹿ではない。社会主義者は心優しい集団である。
資本主義経済は、最近、何も上手くいっていない。ITの巨大テック企業は、インターネットをわがものであると勘違いしている。
もう一度、社会主義をやるべきである。それによって、はるかに平等でまともな理想の国が訪れ、国民のための経済が実現するだろう。