AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 物理は嫌い
BASENAME: 2022/12/31/144414
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DATE: 12/31/2022 14:44:14
僕は、物理が嫌いだ。
物理程度の知性では、何も分からない。
物理は、分かっていないにもかかわらず、「分かった」と勘違いしてしまう、おかしな学問だ。
数式や証明で分かるだけでは、人間は正しく分かっていない。「なぜ」や「どうして」だけでなく、「何を」を考えなければならない。
また、対象と作用だけでは何も分からない。「世界」や「人生」を分からなければ、人間は何も分からない。
物理は間違った学問であり、物理を学ぶと、よく大切なことを忘れる人間になる。
ここに、僕と同じことは、永久にできなくなる。
そもそも、僕と同じ人生を生きられるようにしたせいで、世界は何も分からなくなった。
みんなそれぞれ違った人生を生きれば、きちんと分かる知性をこの世界は取り戻す。
だから、もう、僕と同じことは誰にも分からなくなる。
僕だけが、宇宙の真実を全て知っている。
僕と同じことは、永久に、絶対にできない。
また、昔の僕は、自動反応を考えただけだ。
まるでロボット人間のように、人間の自動反応を考えただけにすぎない。
あのような人間は、はっきり言って馬鹿だ。
そもそも、昔の僕なんか、馬鹿な人間である。似たようなことは、馬鹿な人間になるのであれば、誰でもできるだろう。
物理を否定すると、認知症が治る。
物理を信じている人間は、何も分かっていない。
みんな、物理が正しいと勘違いしているが、それは騙されているだけだ。
物理が分かる大人は、子供の質問が、「何を本当に知りたいのか」が分かっていない。だから、物理が分かる大人よりも、物理が分からない子供のほうが、はるかに知性があるし、はるかにきちんと分かっている。
物理はみんなを馬鹿にしているだけの価値のない学問であり、物理を信じていると、心が機械的なロボットのような心になってしまう。
また、僕はICが嫌いだ。
ICが入り込むと、機械がブラックボックスになってしまう。
ICがなければ、仕組みが誰でも分かるようになっていた機械が、ICが入るだけで、仕組みがそれを設計した会社の社員以外、誰にも分からなくなる。
つまり、所有権を買うのではなく、所有権は会社にあるままで、使用権だけを買うのと同じになってしまうのだ。
僕は、そうした理由で、オープンソースが好きだ。オープンソースでない電子機器は、全てクズである。
FSFが言う通り、ソフトウェアのソースコードの公開を義務付けたほうがいい。ソフトウェアのソースコードを非公開にすると、技術の進歩や発展が阻害される。ソフトウェアが公開されない時点で、コンピュータを真に自由に使うことができなくなる。公開したくない金儲けのIT企業は糾弾するべきだ。
クズのような機械を発明しないでほしい。
自動車のような石油や化石燃料を使う機械は、何万年の間に溜まった化学エネルギーをいっぺんに使うため、二酸化炭素を莫大に出し続けて、温暖化をもたらした。
そもそも、一番悪い発明は銃である。昔の剣や槍や弓で戦っていた社会は、戦争といえどもレベルの低い戦争をしていたのであり、銃、戦車、戦闘機、ミサイルなどのせいで、大量に人間を殺傷する兵器が可能になった。
そして、極めつけは核兵器だ。本当にアインシュタインは最悪の天才である。
はっきり言って、人間はまったく進歩などしていない。全力で滅亡に向かって一直線に歩んでいる。
なんの意味のない、クズのような発明をしないでほしい。クズのような発明がしたい人間は、死後に地獄に堕ちるだろう。
はっきり言って、人類などにはなんの価値もない。
このまま行けば、人類は地球を月や火星のような砂漠の惑星にしてしまう。
そうなるよりも前に、人類のほうを滅亡させるべきである。
人類は地球においてもっとも不要なゴミのような生物であり、地球を滅ぼそうとしている生物種は人類だけであるため、地球が滅びる前に、人類のほうを先に滅ぼすべきだ。
悪い国は、イギリス・フランスである。
イギリス・フランスを信じるな。彼らはかつて地球上を植民地にしまくった集団であり、すべての滅亡の本質的な元凶だからである。
イギリス・フランスを滅ぼせば、この世界は必ず救われる。
イギリス・フランスこそが、もっともこの地球上で最悪の「悪党」であり、サタンの資本帝国主義白人国家である。
僕はドイツを支持する。
ドイツは、賢い国家である。徒弟制度であるマイスター制度や、理論と実践に基づく二元性システム、子供の進路を考えるためのオリエンテーション期間、かかりつけ医であるホームドクターなどの考え方のもとに、正しい産業と教育と社会福祉を行っている。
この世界で正しい国家はドイツである。
ドイツを支持すれば、この世界はよくなる。
だが、僕はイスラエルのユダヤ人をホロコーストのように虐殺することは決してしない。なぜなら、僕はゲルマン文化と同じぐらいユダヤ文化が好きだからである。
僕はユダヤ人とイスラエルが好きだ。だから、僕はドイツとともに、イスラエルもまた愛している。
だが、イスラエルはパレスチナから撤退してほしい。イスラエルがパレスチナから撤退すれば、世界の戦争のもっとも大きな火種はなくなる。
だが、白状すると、僕はアメリカを精神的害悪国家にした張本人だ。
本当は、昔はアメリカが好きだった。ある意味、アメリカの理想である「自由」という考え方を、もっとも体現したような人間だった。
だが、僕はそのアメリカを、精神的害悪国家にした。
今のアメリカは、まさに「恐怖の王国」そのものだ。僕はそのようなアメリカを決して好きになれない。
アメリカを最悪の国にした張本人がそれを言うのは、無責任に聞こえるかもしれないが、アメリカは単なる「失敗国家」だ。アメリカのような国家はないほうがいい。アメリカはもはやガラクタになりつつある。ひとおもいに消滅させてやるべきだ。
確かに、イギリス・フランスは、「民主主義の最前線」と呼ばれる国であり、「民主主義の祖国」であるとはよく言われる。イギリス市民革命、フランス革命、産業革命などはあまりに有名だ。
だが、果たして民主主義はそんなにいいものだろうか。民主的であるということ、政治がクリーンであるということはいいことだが、日本が戦後に民主主義で発展したのを、日本人はあまりに盲目的に信じすぎている。
実際は、日本がものづくり王国になったのは、バブルのおかげであり、「いつまでも株価が上がり続けるとみんな信じていたから株価が上がり続ける」という、もっともおかしな「資本主義の幻想」を見ていただけにすぎない。
実際は、科学技術の進歩とフロンティアの開拓が終わって、アナログな機械がデジタルな機械に置き換わって、IT技術が普及したぐらいから、民主主義は「格差しか生み出さない世界を不安に陥れている元凶」になったのである。
よって、ロシアのプーチンは間違っていない。そもそも、ウクライナのゼレンスキーが正義に見えるのは劇場型の報道のせいであり、実際は親ロシア勢力のプーチンと反ロシア勢力のゼレンスキーが対決しているだけにすぎない。親ロシア勢力が必ずしも反ロシア勢力よりも間違っているとは言えない。ロシアを批判するのと同様、ウクライナも批判されるべきである。
賢い国はイタリアである。
古代ローマにおいて、イタリアは、世界人類の全員が共通に持っているような、世界の基盤となる技術や文化を多く生み出した。
ギリシャが哲学的知性のような「目に見えない分野」の発展であるとしたら、ローマは土木建築のような「目に見える分野」の発展だった。
ローマは、「真に自由なのは皇帝ひとりだけ」と言われるように、皇帝にすべての権限が集中する帝国だった。
そして、長いローマの歴史において、さまざまな皇帝が現れた。
特に有名なのは、皇帝制度を作ることを努力したカエサルや、初代皇帝のアウグストゥスだ。
彼らをはじめとする、さまざまな皇帝がローマを長い期間に渡って作り上げた。このため、「ローマは一日にしてならず」と言われる。
そして、もうひとつのローマにおける重要な思想、それはキリスト教である。
キリスト教は、最初ローマでは迫害されたが、それでも信者たちが信仰を改めなかった結果、ローマにおける「国教」となった。
キリスト教では、来世的な「終末」の考え方を教える。宇宙において、最後にこの世界がどうなるかということをキリストと弟子が教えている。
そのため、ローマは、ローマ帝国という「最初」と、キリスト教という「最後」の、どちらも分かる国になった。
ローマ帝国が滅びてから、長い中世が続く。ローマ時代の自由な社会は、より旧来の封建社会へと戻った。
そして、中世都市の中で、ヨーロッパの中心だったのは、やはりイタリアだった。
中世が終わると、イタリアはルネサンスを経験する。ルネサンスの人文主義は、いわば「人間中心主義」であり、ダヴィンチやミケランジェロやラファエロなどは、ルネサンス時代の北イタリアの美術の巨匠である。
人間中心主義の人文主義において、イタリアは、神ではなく人を世界の中心に据えるような、「現代」すら経験したのである。
ルネサンスの人文主義は、芸術家だけではなく、科学についても新しい進歩を成し遂げた。
それは、「観察や実験などの経験的手法に基づく科学革命」である。
デカルト以後、ヨーロッパでは科学革命が社会を席巻する。コペルニクス、ガリレオ、ケプラーなどによる地動説は、ニュートンにより、宇宙の秩序をすべて説明できるほどの数学的物理学に進歩した。
ニュートンは、ニュートン力学、万有引力、そして微分積分学により、物理学を完成させた、と当時は見られていた。
ニュートンにより、単なる物体から宇宙の星に至るまで、すべての運動は統一的に正しく説明できるようになった。
ニュートン力学とともに主要な分野だったのは、ファラデーやマクスウェルによる、電場・磁場や力線による遠隔作用の学問である電磁気学だった。
だが、電磁気学において、電磁波は光と同じものであること、光の速度が一定であること、などが分かってきた。
だが、光の速度が一定であるということは、疑念の対象だった。
たとえば、音は止まっている人と動いている人から見て、観測される速度が変わってしまう。音と同じように、光の速度も、止まっている人と動いている人から見て変わるのだろうか。
この考え方のもとに、科学者たちは、音にも空気と呼ばれる媒体があるように、光にも媒体があるはずだと考えて、宇宙全体を満たすようなエーテルを発見しようとした。
だが、エーテルはどれだけ探しても見つからなかった。
ここに、アインシュタインは、「光の速度は一定であり、慣性座標系(ニュートン力学の運動する物体の座標のこと)では物理法則は変わらない」という考え方のもとに、相対性理論を提唱する。
相対性理論では、光の速度に近づくと、時間の流れが遅くなる。これは、静止しているように見えるものであっても、実際は地球とともに動いているように、「物体は必ずしも静止しているとは言えない」という考え方に基づいている。
たとえば、普通に移動しているものが加速した時、その加速した分だけスピードを足してやればいい。宇宙船の中にある物体だとしても、光の速度に近くないのであれば、スピードを普通に足せばいい。だが、宇宙船が光の速度に近い速度で移動していた場合、光の速度以上に速いものは宇宙には存在しないため、簡単にスピードを足すことができない。このような時には、なんと時間の流れそのものが遅くなってしまう。宇宙船の中の世界は、外側の世界よりも時間の流れ方そのものが遅くなる。これが、相対性理論の「光の速度に近い状況では時間の流れ方が遅くなる」という考え方である。
また、アインシュタインにより、「重力とは空間のゆがみ」であるということも分かった。相対性理論では、空間そのものがゆがんで変わってしまう。ニュートンの言うような「絶対空間・絶対時間」のようなものはないことが分かった。
このような相対性理論は、通常地球のような光の速度に近くない現象の世界では、あまり意味がない。普通は、ニュートン力学で考えればほとんどの場合計算が成り立つ。それでも、宇宙の大きな世界を見る時に、アインシュタインの考え方のほうがニュートンの考え方よりも正しいということが分かってきた。
そのため、「ニュートンは絶対に正しい」とした過去の科学者たちの考え方も、間違っていたということが分かったのである。
僕が、紅白歌合戦について思うのは、若者の音楽の「パーソナル化」である。
最近の若者の音楽は、YouTubeなどでそれぞれがそれぞれの好きな歌手を聴くような感じになっていると、僕は思う。
このため、かつての紅白がそうだったような、「国民みんなに流行した歌手」というのが、そもそも少なくなっている。
僕が知らないだけかもしれないが、そのような歌手はAdoぐらいではないかと思う。
僕は、僕の好きな歌手が全然出ないので、今年の紅白は見ないことにした。
そもそも、万人受けするような歌手という発想が、最近は、僕の好みの歌手から言っても、まったく少なくなっている。
紅白の問題として、「年寄り向け」と「若者向け」が混在していることが、両者ともにアンバランスな番組構成にしているのだと思う。
いっそ、年寄り向けの紅白と、若者向けの紅白の、二つの紅白を作って、番組をその二部構成にしてはどうだろうか。
年寄りは演歌や歌謡曲を聴き、若者は新しいネットで流行した歌手の音楽を聴くような感じにしたらいいと僕は思う。
ただし、僕は今の年寄りが、本当に演歌を聴きたいかというと、そうでもないと思う。演歌を聴きたいのは本当に高齢な上の世代だけで、ほとんどの50・60代の年寄りは演歌なんか聴きたくないと思う。
なので、僕は紅白は見ない。だからといってほかにやることもないので、適当に何もしないで過ごしたいと思う。