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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 世界にあるすべてがつまらない
BASENAME: 2022/12/30/160258
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DATE: 12/30/2022 16:02:58

嫌いというよりはつまらない

僕は、世界が全部嫌いかと言えば、そういうわけじゃない。
嫌いなのではなく、つまらないのである。
そもそも、昔は漫画もアニメもゲームも好きだった。
今の自分は、そうした「昔面白かったもの」自体は、まったく嫌いじゃない。
その証拠に、過去に読んだドラえもんなどは今でも好きだ。
今のこの世界には、つまらないものしかない。漫画やゲームは、一切やる気になれない。
漫画を僕は一切読まないし、ゲームを僕は一切しない。漫画やゲームはつまらない。

学校で教えることの逆が正しい

学校は間違っている。
学校で教えることの逆が正しいのである。
「白は白であり、黒は黒であり、少しでも正解と違うことを書いたら間違いです」と学校は教える。
だが、実際の人生では、白がはっきりとした白であり、黒がはっきりとした黒であるということはない。
それはどうでもいい数学の世界だけであり、人生では、白が黒に見えることもあるし、黒が白に見えることもある。
その色を黒だとも白だとも言えない状況で、自分なりの黒と白の判断基準を探していく、これが人生である。
最初から黒は黒であり、白は白であると教えることは、そのような曖昧な判断を最初から否定している。
そのような曖昧な判断こそ、人間の本来持ち得る「生まれ持った知性」であり、曖昧なこの世界の中で、自分なりに「これは正しいかもしれない」とか、「これは間違っているかもしれない」とか考えて、自分なりに白は白、黒は黒であると学んでいくことでしか、「正解を知る手段」というものはない。
そう、まさに、学校で教えていることの逆が正しいのである。

学校による知性の統一は間違っている

そもそも、何が白で何が黒なのかということは、自分の人生の中で、自分なりに決めることができるべきである。
それぞれの人間は、それぞれの判断基準を持つ。その中で、自分なりに、白と黒の判断を行えばいい。
なのに、学校は、何が白で、何が黒であるかということを、統一し、自分の思考で考えられる余地をなくしてしまう。
その結果、子供たちは画一的になり、自分の力でものごとを判断できなくなってしまう。
だから、最初から学校の教えることなど、信じないほうがいい。学校で教える内容を覚えると、全部学校の定めるクローン人間になってしまう。

自分で考えて正解を出すべき

そもそも、科学の何が面白いかと言えば、自分で考えることが面白いのだ。
だから、中学数学などは間違っていない。中学数学では、まだ、自分の力で考える余地がある。
高校に入ると、自分の力で考えなくても分かるように、既に分かっている正解を全部詰め込もうとする。結果、「自分の力で考える力」を失う。
そのような「最初から正解を分かる」という勉強ほど、つまらないものはない。

今の漫画やゲームは、昔に比べてなんの目新しさも面白さもない

今の漫画やゲームを、僕がなぜ嫌いかといえば、「昔に比べてなんの目新しさも面白さもない」からだ。
僕が子供だった時代は、ドラえもんやガンダムが流行っていて、子供たちはみんなドラえもんやガンダムが好きだった。
その頃の漫画やアニメが好きだという人の意見は、僕はよく分かる。
昔は、ドラえもんはみんなの期待の大筆頭だった。新しい映画が発表されるたびに、「次はどこへ行くのだろう」と子供たちはワクワクしていた。
藤子・F・不二雄は、子供の期待を裏切らない。映画ドラえもんは見る前から、絶対に面白い映画だということが子供たちはみんな分かっている。
僕が最初に見た映画ドラえもんは雲の王国だった。今でも、僕が一番好きなのは雲の王国だ。次点で好きなのは宇宙小戦争だ。特に、宇宙小戦争のテーマソングである武田鉄矢(海援隊)の「少年期」は音楽としても最高だ。
そのような、かつての漫画やアニメほど、今の漫画やアニメは面白さもないし、目新しさもない。
ゲームも同じだ。昔のファミコンやスーパーファミコンやプレステのゲームは面白かったのに、今では、3DCGのグラフィックス技術だけが進歩して、ゲームとしてはなんにも変わっていないし、なんにも面白くない。
よって、僕は今の漫画を読まないし、今のアニメも見ないし、今のゲームもしない。それらの時代ははるか昔に黄金期を経験したのであり、今ではまったく見劣りするばかりであると、僕は評価する。

平成ブームが起きるのは当たり前

最近の若者の間では、平成時代の音楽などの文化に回帰するような「平成ブーム」が起きているらしい。
僕が思うに、それは当たり前である。
今の日本社会に、面白いものなんか、はっきり言って何もない。面白いものは全部平成までの日本にあったのだ。
今の日本がつまらないのも、平成が面白いのも当たり前である。
僕は平成をよく知っている。僕は平成時代の漫画やアニメやゲームは好きだった。

音楽

僕はYouTubeの音楽を長らく聴いてきたが、本当のことを言うと、それらにも飽きてきた。
そもそも、ずとまよ(ずっと真夜中でいいのに。)の動画などは、音楽ではあるものの、どちらかというと短編アニメのような動画になっている。
そのようなアニメ表現は、嫌いではないが、どっぷりとは浸かりたくない。
なので、昨日は、部屋のスピーカーに備え付け状態のiPodを使って、CDアルバムの音楽を聴いていた。
その結果、一番よかったのは、第九とさだまさしだ。
第九と言えば、恒例行事のように年末の時期に演奏されている。紅白歌合戦などを見るよりも、年末は第九を聴いている人間が多い。
その第九を先んじて聴いたところ、まさしく「ベートーヴェンは最高」だということが分かった。
そして、第九を聴いたあとに、そのままさだまさしのCDアルバムを聴くと、まさにこれも最高だったのである。
僕はこのiPodを、僕が特別好きな歌手であるFLOWや、家入レオなどの音楽を聴くために使っている。
僕が本格的に音楽を聴くきっかけになったのはFLOWである。
その最初に聴いたFLOWが、今でも僕が一番大好きな歌手である。
ただし、FLOWを聴くようになったのは20歳ぐらいからだ。中学生の頃はBUMP OF CHICKENを聴いていた。今でもバンプは大好きだ。
20歳になった時、カラオケで酒を飲もうとして(本当はこれが目的)、自分は歌手をほとんど知らず、その直前にテレビでやっていたFLOWのWORLD ENDを、とりあえずカラオケで歌ってみた。
結局、まともに歌えずに、酒を飲んでも吐いてしまってカラオケ店を出た。
その後にFLOWのアルバムである#5を音楽CDのレンタルショップで借りた。僕の音楽好きはそこからスタートしている。
その後に多くの歌手の音楽を聴いてきたが、結局FLOWほど好きにはなれなかった。
僕がおすすめするFLOWのアルバムは、「FLOW THE BEST」というベストアルバム(アニメ縛りじゃないやつ)と「#5」だ。FLOW THE BESTには最高の曲がたくさん入っているので、まずこれをおすすめする。ベストアルバムでないアルバムの中で最高のアルバムは#5だ。それから、「Golden Coast」と「アイル」も大好きだ。また、「WORLD END」のシングルには素晴らしい曲が二曲カップリングで入っているので、それらをおすすめする。
また、中学生の頃は、インターネットでバンプの「K」という曲をFLASHアニメで知って、感動して泣いてしまって好きになった。ほかにも「グングニル」や「ラフメイカー」や「ダンデライオン」などのFLASHアニメを見て、バンプが好きになった。
だが、その当時はあまり音楽自体に興味がなく、宇多田ヒカルやポルノグラフィティなどの歌手のいくらかの音楽しか知らなかった。
昔は僕は音楽に興味がなかった。漫画やゲームが好きだったのを除くと、むしろ小説を読むのが好きだった。小学校の高学年の頃、僕はズッコケ三人組という小説シリーズを読破しようとしていた。結果、当時出ていたズッコケ三人組を何十巻と読んだ。ノートに読んだ巻のタイトルを入念にメモしていたから、おそらく当時書店で売られていたズッコケ三人組はほとんどすべて読んだはずだ。中学生ぐらいになると、ハリーポッターやネシャンサーガなどの小説をよく読んでいた。
昔はCDアルバムを借りてきて、iTunesにインポートしてiPodに同期させていたが、YouTubeを使うようになって、無料でたくさんの音楽を聴けるようになった。そのため、僕の音楽の知識も広く浅くなった。
僕が好きなのは、家入レオ、酸欠少女さユり、Reol、ウォルピスカーター、703号室、Ado、YOASOBI、ReoNa、藍井エイル、MY FIRST STORY、miwa、鈴木愛理、AAA、Perfume、BUMP OF CHICKENなど。ほかにもナユタン星人やピノキオピーやこぴやTOMOOや上田桃夏など、たくさんのYouTubeの歌手の音楽をよく聴いている。以前はコバソロというYouTuberのチャンネルにより、半素人のような歌手によるカバーのたくさんの曲をよく聴いていた。
僕は同じ音楽を繰り返し聴くのが好きなため、本当はそんなにたくさんの曲を知っているわけではない。それでも、人並み以上に最近の音楽を知っていると思う。

今のネットより昔のネットが好き

また、僕は今のネットより、昔のネットが好きだ。
昔は、今よりも本当はネット世界自体は低レベルだった。たとえば、2ちゃんねるはほとんどアングラのような場所であり、ほかにはブログやWikiや個人ホームページぐらいしか存在せず、ゲームはPerl/CGIで作られたブラウザゲームで遊んでいた。
だが、そのような、低レベルなネットのほうが、面白かったのではないかと思う。
今のネット社会は、商売でやっている金儲けの企業が、まるで「ネットは自分たちの私有物」であるかのように、Webサービスとしてネット社会を支配している。
だから、悪くないのにBANされたりする。BANされた時点でそのサービスが使えなくなり、友達の情報にもアクセスできなくなり、好きな歌手の動画ライブなどにも参加できなくなってしまう。いわば、その会社のサービスからBANされただけで、「ネット社会から締め出されてしまう」のだ。
あるいは、ネットの参加者自体は大幅に増えたものの、ユーザーのモラルについては変わっておらず、友達づきあいの延長線上のようになってしまっているため、誰か自分の好きな人に敵が現れたような際には、暴徒のようにその人物を集団で攻撃するような、そんな「SNSいじめ」のような集団も多い。
昔は、それが少なかった。荒らし自体は確かに居たが、そんなに深刻ないじめは昔は多くなかった。今のネットよりも2ちゃんねるは低レベルだったかと言えば、そうでもないと思う。昔は2ちゃんねる専用ブラウザというフリーソフトがあって、専ブラを使えば、むしろ今のネットよりも柔軟性や利便性は高かった。専ブラには巡回や更新チェック機能があって、どこかで新しいニュースがあると、それがすぐに分かったし、今のようにフォローをたくさんしなくても、スレッドだけを見て更新チェックすればよかったため、見通しは昔のほうがよかった。掲示板のスタイルとしても、誰かが立てたスレッドに対してレスがつくタイプのスレッドフロート型の掲示板は、自分の好きなアカウントだけを選別してフォローするタイプの今のツイッターやSNSよりも、みんなを平等に誰でも受け入れるという意味では「自由・平等かつオープン」だったのではないかと思う。
結局、僕はそのような2ちゃんねるの世代であるため、今のネットにはまったくついていけていない。ニコニコ動画が流行っていたあたりから、僕はネットをまったくしなくなった。再度ネットをするようになったのは最近であり、ツイッターやSNSなどの流行には僕はまったくついていけていない。フォロワーもまったく増えないし、みんながなんのためにフォロワー獲得競争をやっているのか、さっぱり分からない。
また、昔は個性的なブログが多かった。切込隊長さん、真性引き篭もりさん、X51.ORGさん、なんでも作るよさんなどはめちゃくちゃ面白かったし、僕が好きだったLinuxやオープンソース関係のたくさんの面白いブログがあった。特にGentooのなかのさんのことを僕は非常にリスペクトしていた。RubyのMatzさんのブログも面白かったし、Monoの日本人開発者の方、GNOMEの翻訳者の方、GRUBの開発者の方、OpenOffice.orgのメンバーの方、Mozillaの拡張の開発者の方、さざなみフォントの制作者の方など、名前は失念したが、たくさんの面白いブログがあった。
それらが僕にとっては「特別な青春」だった。
今から考えれば、あの頃分かっていたITやプログラミングの知識は、まったく何も分かっていなかったとは言える。それでも、今の僕がITを勉強できたのは、当時のベースと世界観があったからであり、あの頃の多くのネットワーカーたちの言葉で、僕は今、現在地点に導かれたのである。

昔のほうが日本も賢かった

また、昔のほうが日本も賢かった。
日本という国が、昔のほうが今よりも、賢くて強い、重要なプレイヤーだった。
そもそも、スマホやRuby on Railsが流行った辺りからが、本当の「日本のITの衰退期」だったのではないかと思う。
昔は、SONYとか日立とか富士通といった日本の会社が、今よりも革新的で、今よりも強くて、今よりも「世界において戦うことのできるプレイヤー」だった。
また、日本のネットの技術は、たとえばはてなとかMixiのような会社があったように、今よりも昔のほうが最先端を行っていて、「日本は世界にとっての脅威」と言えるような賢い国だった。
今のネットは、GoogleもMeta/FacebookもTwitterも、全部アメリカの会社で、中国や韓国のサービスと一緒に、あるいはより低い勢力として日本のサービスがある。
それから、Rubyというプログラミング言語は確かに日本で生まれたが、Railsというフレームワークのせいで、プログラマなんか誰でもできるような仕事になってしまった。実際のエンジニアの業界を知っているわけではないが、「Rubyなんか誰でもできる」とか「RailsなんかGemsを使ってRubyを数行程度書くだけのどうでもいい仕事」になってしまった。
確かに、スマホが若者やそれ以外の全世代向けに広まったため、参加者自体は増えたのだが、まさに玉石混交で、石が増えすぎたために玉がどこにあるのか分からなくなってしまっている。
そもそも、ネットの仮想世界を、現実世界の友達づきあいの延長線上にして、何が楽しいのだろうか。昔の2ちゃんねるが、「現実世界とはまったく違うファンタジーのような世界」だったのは分かるが、今のツイッターやSNSは、現実の友達づきあいと何も変わらない。はっきり言って、何が楽しいのか分からない。確かに、昔の2ちゃんねるで雑談していたのと同じことが、ツイッターでネットの友達と一緒にできるというのは分かる。だが、それ以上の進歩や発展がない。いつまでもチャットとブログと同じことを永久に続けるなら、なんのためにツイッターやSNSは昔のネットサービスを高度に進歩させたのか、意味が分からない。
そのような結果、僕は今のネット社会が大嫌いだ。だから、Reolのような最近のネット社会に完全にカスタムされた若者のことは分からない。いわば、ネット社会がおかしな方向に向かったことで、僕自身が「ネット上級者からネット初心者へとランクダウン」してしまった。だが、僕はそれでも構わない。そもそも僕はネットなんか好きじゃない。僕が好きなのはLinuxとオープンソースであり、昔はその情報を2ちゃんねるから得ていたが、今はもう十分に知識を得たために2ちゃんねるは必要なくなった。ネット初心者、大いに結構。だが、明らかに僕のような人間は日本にたくさん居るはずだ。
そして、日本はおそらく、そんなに弱小にはなりすぎていない。確かにかつてのように「日本は脅威である」とは言えなくなったが、一応NTTドコモのような分かる会社はあるし、そもそもMetaなどが提唱するような、メタバースの新しい世界が必ず来るとは限らない。僕はメタバースは大嫌いであり、その理由は「テキストのメッセージが動画に進歩したのと同じように仮想現実に進歩する」とは言えないからだ。人々は現実世界が好きだから動画サービスを受け入れたのであり、それを仮想現実の3DCGに戻すようなメタバースはMetaの目論見通りには流行らないと思う。

バズるという現象がよく分からない

また、僕はバズるという現象がよく分からない。
そもそも、僕は自分のツイートがそんなにバズった経験もないし、なんらかのバズった情報を取り入れた経験もほとんどない。
だが、この「バズる」という現象が、おそらくツイッターの醍醐味であり、面白いことなのだと思う。
バズるとは、要するに拡散のことで、誰かのツイートをほかの人間がリツイートして、フォロワーを通じて友達のその友達へとどんどん広まっていく、という現象である。
僕はそもそも、このバズるという現象に、あまり遭遇したことがない。その結果、「ツイッターで面白い情報を広める」とか「ツイッターで最新の情報を知る」ということがあるということが、よく分からない。
ネットにおける最新情報を、僕はまったく取得していない。結局、そのことに対する「劣等感」が僕にはあるのだろう。ネットにおける最新情報が分からない。仕方ないが、残念ながらまさに僕はネット初心者に戻った元ネット上級者であると言える。