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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 社会よ、自由であれ
BASENAME: 2022/12/30/204909
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DATE: 12/30/2022 20:49:09

自由を制限するな

自由は、必ず勝利する。
この世界において、もっとも正しい思想とは自由である。
自由とは、人々に最大限自由を与えるということであり、この世界のインフラそのものを向上させ、この世界そのものを進歩させ、この世界の可能性を向上し、人々がより立場やしがらみから解放されるような自由を与えるということである。
この世界において、制限されたしがらみの中では言うことができないようなことを、インターネット上で言うことができるようにするべきだ。
そして、人々の意見するメッセージを、できるだけ制限せず、社会不安のようなことや国家や思想に反するようなことも、できるだけ禁止しないべきだ。
人々が、自らの言いたいことを自由に言うことができるべきだ。
そこから、さまざまな社会問題の「実像」を知ることができる。
現実の社会がどのような社会であるか、マスコミや企業に属している大人たちには分からない。若者の声を発信し、若者の声をできるだけ加工せずにそのまま公開するべきである。そこから、現実の社会の「問題」が実際はなんであるかということを知ることができるのである。

この世界の人々が何を考えているかを知れ

この世界の人々が何を考えているか、ということを知れ。
それを知ることで、今自分が陥っている状況が、特殊な環境であることに起因することであると分かる。
あまりに、意味のないことを悩みすぎるな。
世界の人々がどのようなことを考えているかを知ることで、自分の悩んでいることが「意味のないこと」であるということが分かるようになる。
その上で、過去の自分のいた環境で、もし今の自分がそこにいたとしたら、何ができたのか、ということも分かるようになる。
環境のすべての「真理」が分かった時、もはやあなたを邪魔する人間はいない。ひとりだけで過去を回想することで、どこまでもあなたは「人間の真理探究」を続けることができるだろう。

十分に受け入れられた経験があれば、あとはひとりで歩み続けられる

青春時代、仲間に「十分に受け入れられた」という経験があることは、大きな力となる。
なぜなら、十分に受け入れられた経験があれば、あとはひとりだけで歩み続けられるからだ。
十分に受け入れられた経験を、たとえ一か月であってもすることがあれば、それ以後、まったく友人も恋人も親もいないような孤独な一人ぼっちの地獄であっても、あなたはその地獄を乗り越えられる。
だから、たとえ一か月でもいいから、十分に受け入れられたような経験をしなさい。学校が難しいなら、インターネットでもいい。そのような経験がもしあなたにあったならば、あなたは「それ以上何も必要としない」という、もっとも満ち足りた人生を生きることができるだろう。

人間はみんなそれぞれ違う

人間は、みんなそれぞれ違う。
それぞれに個性があるのだから、それぞれに価値観があってしかるべきであり、それぞれに自由が与えられるべきである。
それぞれ、好きなことも、やりたいことも、夢も希望も理想も信念も違うのだ。
それぞれが社会を築く上で、もっとも正しいのは、できるだけそれぞれが民主的であることだ。
ひとりの独裁的な王の意見を強制的に受け入れさせるような社会は、もっとも間違った社会であり、そのような王はもっとも恥ずべき人間だ。
それぞれに思想信条の自由を認めよ。その上で、それぞれの社会を民主的にせよ。

法律を決めすぎるな

法律を決めすぎるな。
法律を決めすぎることは、すなわち、社会から自由を奪うということだ。
同時に、自由を奪う法律ではなく、自由を与えるような法律を決めよ。
法律を決めた時点で、社会がなんらかの規則の通りに「統一」されてしまう。これは「可能性を奪う」という行為にほかならない。
できるだけ、可能性を奪うな。悪い可能性に使われるだけではなく、良い可能性に使われるような状況を想定し、悪い可能性は排除しながらも、良い可能性は制限しないような法律を定めよ。
だが、複雑にするな。複雑なルールや仕様は上手くいかない。できるだけ、ルールや仕様は単純にし、複雑な仕組みがほしいならば、政治家や役人が決めなくても、国民が自由に複雑で高度な仕組みを作ることができるような、そのような社会の制度を決めよ。

自動化されたシステムを作れ

単に政治家の権限を決めるだけではなく、社会システムとして、放っておいても上手くいくような社会の仕組みを作れ。
政治家や役人が経済政策をするだけではなく、その経済政策をするのと同等の行為を、人為的な政策決定をしなくても、常に自動的に社会システムの一部として行われるような、そのようなシステムが成り立つような仕組みを作れ。
要するに、いちいち人間の手でその場しのぎの政策決定をしなくても、それと同等の効果を自動的に生み出し続けるようなシステムを作れ、ということだ。
できるだけ、人為的な決定をするな。人間の支配に基づくようなルール体系ではなく、法律や文書に基づくようなルール体系を作れ。人間が行うべきことがもしあるとしたら、その人間が何を行うべきかということを憲法などに明文化せよ。

理想のシステムZaidowsの設計

以下は、この世界における理想のシステムである、「Zaidows」の設計方針である。
システムの部品を再利用せよ。
システムを、できるだけ細かく小部品に分割せよ。そして、そのそれぞれの小部品を、どこからでも再利用するような仕組みを作れ。
その上で、そのシステムを共有せよ。同時に、そのシステムの中で行われるすべてを集積的に共有し、外部から簡単に利用できるようなインターフェースと、共有リソースにどこからでもアクセスできるような仕組みを作れ。
システムには、「エンジン部分」と「ユーザーランド部分」が存在する。エンジン部分を、できるだけ簡単に小部分を再利用できるようにした上で、バックエンド部分を全体で共有せよ。そして、ユーザーランド部分は、どんな人間でも手軽に、まるで使い捨てのように、あとに何も悔いが残らない形で捨て去ることができるような形で、簡単に自由に利用することができるようにせよ。いつでも簡単に環境を作ることができて、いつでも簡単に環境を削除することができるようにせよ。
また、最初からすべてを想定した完璧なエンジンを目指すのではなく、あとあと自分の必要に応じて拡張可能であるかのような、最小限のエンジンを目指せ。完璧なモノリシックなエンジンを作るのではなく、モジュールによって拡張可能であるような、マイクロなエンジンを作れ。
また、フロントエンド部分は、自由かつ、多種多様であれ。どのようなデザインやどのようなスタイルでの利用も可能であるようなフロントエンドであれ。それは拡張可能という発想の極みであり、誰もが自分のスタイル、自分の仕様、自分の自由な使い方で、その環境をカスタマイズして、自らの思い通りに簡単に利用できるようであれ。
また、変更するのではなく、新しく作るような拡張性とせよ。設定パラメータをいくら作っても、複雑な設定プロパティの体系ができるだけで、まったく管理しづらくなってしまう。必要なのは、変更するのではなく、新しく作り出すことだ。そして、その新しく作られるものについては、あらかじめシンプルで分かりやすいルール体系を決めよ。そのルール体系に基づいて、どんな新しいパラメータを持ったインスタンスができても構わないようにせよ。そうすれば、シンプルなルール体系のもとに、最小限の設定パラメータで、モジュラー化された拡張性のあるシステムを実現できる。
ひとつひとつのモジュールは、最小限の単純な、もっとも小さいものであれ。それ以上、小さくすることができない、単機能で必要とされる機能以外何もないようなオブジェクトをベースとせよ。その上で、そのオブジェクト同士の関連を、メッセージで繋ぐような形で、リレーションシップの関連性によって応用的に結合することで、複雑で高度な機能を実現せよ。
必要とされる機能は透過的であれ。メソッドの種類は共通の、単純で少ない命令形態とし、複雑な機能をその命令形態の中で、透過的に実現せよ。ローカルであってもネットワークであっても、同じ命令形態から操作できるようにせよ。どんなにそれが複雑なやり取りになったとしても、同じ共通のメソッドからそれが仮想的に実現できるようにせよ。そうすれば、最小限の命令形態しか考えなくても、どのような場合においてもメソッドのやり取りが成立する。それが結果的に、もっともさまざまなことがなんでもできるような、パーフェクトなシステムを作り出す。
ひとつの完璧な低レベルレイヤーを作り出せば、どんな高レベルの操作をそのレイヤーに与えても、単純に低レベルレイヤーが完璧に処理をこなす。設計の分割は、そのようなものであれ。レイヤーを分割した上で、ひとつのレイヤーは与えられた仕事を単純かつパーフェクトにこなすことができるようにせよ。ひとつの完璧なシステムは、単純なことがひとつ実現できれば、そのパラメータを変えることで、どのような複雑なことであっても完璧にこなすことができる。だからこそ、ひとつひとつの機能は、単純かつ単機能でありながら、その与えられた単純な機能だけを完璧にこなすことができるようなものであれ。なんでもかんでもこなすことのできるシステムは、ひとつのことを単純かつ完璧にこなすことのできるシステムから生まれるのだと知れ。