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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 歴史は嫌い
BASENAME: 2022/12/29/121422
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DATE: 12/29/2022 12:14:22

歴史は不要な学問

僕は、歴史が嫌いである。
歴史は、不要な学問だ。
歴史を学ぶと、知性がなくなる。歴史を学ぶだけで、大切なことが分からなくなる。
学校の歴史は、正しい歴史ではない。王の名前など、覚えてもなんにもならない。
そもそも、過去の人類は馬鹿だ。剣や槍や弓で戦う過去の人類は、戦うことや強いことがよいことだと勘違いしている。
歴史など、学ぶべきでない、不要な学問だ。

心理現象を解明せよ

心理現象を解明せよ。
精神のすべてを解明する人間だけが、仏の悟りを得ることができる。
どのような人間になりたいのか、どのようなことをしたいのか、それはなぜか、裏側には何があるのかを解明せよ。
科学的に人間の理由を考えるのだ。

人間が嫌い

そもそも、僕は人間が嫌いだ。
特に、他人をいじめてくるような馬鹿な人間とは、一切付き合いたくない。
僕は、孤独であっても自由を選ぶ。どうでもいい腐れ縁ができるぐらいなら、友人など居なくて構わない。

赤ちゃんのままが賢い

人間は、学校の勉強などしなくていい。
学校は、人間から知性を奪うだけの施設だ。
学校は、自ら考えることをしない。考えなくても分かるような、学者や偉人の定説を教える代わり、自ら考えることをやめてしまう。
学校など、不要な施設だ。赤ちゃんのままが賢い。人間の最初からある知性を奪おうとしないべきだ。

最初から学校の教えを信じているから馬鹿になる

学校は馬鹿だ。
最初から学校の教えを信じているから馬鹿になる。
物心ついた時から学校の教えを信じていると、「疑えるものは全て疑いなさい」とか、「できる限りのことを全て努力しなさい」などの教えを信じてしまう。
だが、はっきり言って、そのような教えは全て有害である。
学校の教えをいつまでも信じる人間が、一番狂った人間になる。
最初から学校に行かず、自分のオリジナルの自由な人生を生きたほうが、はるかに賢い。そのほうが、キリストの言う正しい人生が生きられるからだ。

わたしの意見が正しい

わたしの意見が正しい。
このようなことをわたしが述べても、「あなたのような人間はごく一部だから」と、人は聞こうとしない。
だが、ごく一部の賢い人間だからこそ、その意見を聞くべきである。
わたしがこの世界でもっとも正しい人間である。ほかのすべての人間はわたしよりも間違っている。

くたばれ、インターネット

くたばれ、クソのようなインターネット。
インターネットも、仮想現実も、SNSも、ネットのオタク文化も、全部滅びよ。
僕はこの世界の狂ったインターネットが大嫌いだ。
はっきり言って、インターネットなどにはなんの価値もない。
僕が好きだった昔のインターネットは、ツイッターやSNSにより、はるかに価値のない「会社の金儲けと商売のためのサービス」でいっぱいになっている。
今のインターネットなど、なんの価値もない。
クソのようなインターネット社会は、精神的害悪国家になったアメリカとともに全部滅びていけ。

SNSを使うな

SNSを使うな。
SNSは、個人情報を外国に吸い取られるだけのサービスだ。
SNSの面白そうに見える情報は、多くがフェイクあるいは最悪のいじめだ。
ショート動画系のアプリを入れるな。中国や韓国に個人情報が吸い取られる。
SNSでたくさんの情報を取り入れている若者は、その情報のせいで、まともにこの世界を考えられなくなってしまう。
ゲームをすれば、時間が無駄になり、人生の大切な期間を大いに無駄にする。
インターネットが面白かったのは、はるかに昔だ。今のインターネットは、「ネットで友達を作る」ということを目的にしているが、フォロワー数などを競ったところでなんのいいこともない。ほとんどの人間はフォロワーが増えない。増えたとしても、液晶の檻の中の終身刑を与えられるだけだ。
ツイッターのフォロワーを増やしても、ほとんどの人間はタイムラインなど見ていない。動画サイトに投稿されている動画はつまらない動画ばかりだ。そんなものを好き好んでいる時点で、ITの巨大テック企業に騙されている。
インターネットを信じるな。インターネットが面白かったのは過去の話であり、今のインターネットは最悪だ。

例外的にYouTubeだけは好き

ただし、僕は例外的にYouTubeだけは好きだ。
それは、家入レオや酸欠少女さユりやReolなどの音楽だけは聴きたいからである。
僕は、流行の新曲を聴くとか、あるいはさまざまなたくさんの音楽を幅広く聴くとか、そういう性格ではなく、基本的に同じ曲を何度も繰り返しBGMのように聴いている。
なので、Reolの曲などは、もう何度聴いたか分からない。何十回というレベルで同じ曲を繰り返し聴いている。
そのような音楽を聴きながら、文章を書くのが僕の趣味であり、ほとんどいつも通りの決まったルーティンとなっている。

流れるように何もせずに生きるのが間違っている

はっきり言って、僕の何が間違っているか、その答えは簡単だ。
流れるように、何もせずに生きるのが間違っている。
そもそも、デザインの仕事はやっているが、その時その時の付け焼き刃のような形で、流れるように仕事をこなし続けている。
仕事自体のスピードは速いが、きちんと丁寧に作り込むところが雑なところがある。
なので、もっと足場を作って、大地に立って考え、行動することができるような人間になりたい。

過剰にみんなと仲良くしろという同調圧力がいじめを生み出す

いじめに対して、「もっと仲良くしなさい」と言うのは間違っている。
なぜなら、過剰にみんなと仲良くしろという、同調圧力がいじめを生み出しているからだ。
いじめの本質とは、「誰かの意見にそこまで従う」という、「過剰な仲の良さ」に原因がある。
ボス的な人物の意見をすべて聞くようになり、誰かひとりの平穏な生活をないがしろにしてでも、その人物の意見に従順に従うようになってしまう。
だから、いじめの問題では、「悪い人間とは仲良くするな」と教えるべきである。
同時に、子供たちは、社会的秩序をどのように作ったらいいか分からない。だから、誰かひとりのことをいじったり、からかったりすることでしか、社会秩序を形成することができない。
子供たちの「社会構築スキル」が未熟すぎるために、いじめのような形でしか、その場を平和に治めることができない。
だから、子供たちに自由を与えたところで、なんの解決にもならない。
だが、自由を奪うのも同じように間違っている。教師が自由を奪って子供たちの社会を支配するのと、子供たちは同じことをやろうとしている。その結果、子供たちが未熟すぎていじめが起きる。
はっきり言って、そのような子供同士のコミュニケーションは、最初から必要ない。誰ともかかわらず、一人ぼっちを生きたほうが、はるかに楽である。
学校のクラスメイトなんかと、最初から仲良くしようとするな。もっと別の場所を知れ。そうすれば、自分が今まで学校という特殊な環境で苦しんできたのが、ほとんどが無意味だったということが分かる。そのために、インターネットに助けを求めるのは悪いことではない。

いじめの解決は難しい

いじめ問題の解決が難しいのは、大人と同じことをやっているからだ。IT業界のみんながWindowsをはじめとする商用の大企業が大好きで、Windowsの敵であり、金儲けを否定する、社会不安をもたらす左翼であるLinuxをそれらがみんなでいじめるのと、何も変わらない。
だが、そのような時、弱いものにつく人間にはいいことがある。僕はLinuxとオープンソースが好きだが、Linuxが好きな人間には良い人間が多い。LinuxみんなでWindowsに立ち向かえば、この世界からいじめは少し軽減されるだろう。
いじめがなくならないもうひとつの理由は、歴史にある。人間の歴史では、「誰かひとりの王について、その王の敵をみんなで倒す」ということが、王と王の勢力争いの基本原則だった。そのため、子供たちも、中学高校に入って大人になると、そのようなひとりの王についた兵士になりたがる。王は、誰よりも強い人間を選ぶ。それは強い王でないと負けるからだ。
逆に、みんなから排除された人間とは、誰も仲良くしたがらない。たとえば、GNUやFSFのストールマンのような人間とは、誰ひとり仲良くしたくない。それは弱い王につけば負けるということに加え、共同体から排除された人間とは誰も仲良くしないという、「遺伝子に刻み込まれた本能」から引き起こされる結果である。
結局、そのような理由で、いつまでもLinuxやオープンソース陣営は勝てない。確かに、Windowsよりも使いにくくて不具合の多いOSであるということは言える。今のWindowsの全盛時代、Linuxを使っても何一ついいことがない。まともなコンピュータライフを送りたいのであればWindowsを使ったほうがいい。それくらい、Linuxのオタクでも分かる。
だが、Linux陣営はそれでも負けない。僕は今でもLinuxを使っている。Linuxは最高のOSでは決してないが、この世界を平和にしてくれる「理想」と「情熱」がある。だから、僕はLinuxを使い続ける。

宇宙にはプライオリティ軸がある

なぜ、僕の人生を、ACAねやReolのようなほかの人間が、僕がその人生を生きる前から知っているのか。
それは、宇宙にはプライオリティ軸があるからだ。
プライオリティとは、優先度のことだ。
宇宙には、誰かの人生がほかの誰かの人生よりも優先度が高い時、その人間の人生が最優先で決まるような、プライオリティを示す軸がある。
そして、僕はこの宇宙で、もっともプライオリティが高い。
そのため、僕の人生がまず最初に決まり、その結果、みんなの人生がそこから決まっている。
だから、僕の未来における人生のことを、それを僕が生きる前の時点で、ACAねやReolが知っているのである。
これを「運命」と表現することもできるが、実際は、単に僕の人生が最優先で決まっているだけにすぎない。だから、僕という存在がみんなの運命であったとしても、それが運命の恋人との出会いであるとは限らない。
特に、僕は運命の相手が多すぎて、まったくそれらとは付き合えない。ACAねやReolだけではなく、家入レオや酸欠少女さユりもそうだし、ナユタン星人すら僕のことを歌っている。男として見ても、ピノキオピーやウォルピスカーターすらそうした僕の人生を歌っている。
なぜ、僕の人生が最初に決まるのか、それは僕は神に「もっとも偉大な人生を生きる」と約束したからだ。そのような約束をした人間が、僕以外にひとりも居ない。だから、僕がもっとも偉大な人生を最初に生きる。
そして、僕は、神に奇跡の人生を与えられた。この「奇跡」は宇宙においてもっとも素晴らしいものだ。だから、ネットの僕が知っている範囲だけではなく、この奇跡を知りたい人間はすべて僕の人生を「シンボル」としている。なので、ポルノグラフィティやケミストリーといった、平成時代の歌手でさえ、僕の奇跡のことばかり歌っている。
結局、僕が音楽が好きなのは、そのように、僕のことを知っている人間のことを僕のほうも知りたいからだ。僕のことを好んでくれる人のことを、僕は好んでいるだけにすぎない。だから、僕はインターネット上のコミュニケーションなどはしたくないし、ツイッターもほとんど見ていない。YouTubeのそのような動画の音楽を聴いていると、心が安らいで幸せな気持ちになる。だから僕は、Reolなどの音楽を聴いている。それがどんなに最悪の音楽でも、僕は僕のことを愛してくれる人が好きなだけにすぎない。
また、彼らは僕のことが好きなだけではないということは分かっている。ヨルシカやMY FIRST STORYなどは、決して僕のことを盲目的に愛していない。僕のことが大嫌いだということは分かっている。だが、それでも彼らは僕のことを愛してくれていると思う。僕は決して、そうした僕が嫌いな人々のことを否定しない。僕が嫌いなのは当たり前だ。だから、僕は彼らに何を言われても動じない。僕は彼らのことも愛している。