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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 人間の精神が怖い
BASENAME: 2022/12/27/164218
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DATE: 12/27/2022 16:42:18

病気になった原因と治す方法が同じであるとは限らない

病気になった原因と、病気を治す方法が、同じであるとは限らない。
病気になった原因を取り除くだけで、病気は必ずしも治らない。
治すためには、別の方法が必要になることもある。
僕の場合、精神をおかしくしたのが間違っているが、その精神をおかしくすることをどれだけ変えて行ったところで、精神は治らない。
まったく、精神を白紙の状態にして、新しく作れば精神は治る。
そして、精神の「質」を考える必要がある。
すなわち、精神を、まともな人間の精神にすればいい。
おかしな、非人間的な人工物のような精神になっているから、僕の精神はおかしいのである。
きちんとしたまともな精神を作れば、精神はすべて治る。
そして、僕の場合、もともとあった昔の精神が怖い。
それは、元の僕は、タリバンのような馬鹿で愚かな体験を、インターネットの匿名掲示板で行っていたからである。
結局、僕の病気の原因は、そのような、「人間の精神が怖い」というところに行き着く。
よって、逆説的にはなるが、人間の精神を怖がらず、人間の精神を受け入れれば、僕の病気は治る。
本当のことを言えば、精神を作る必要は必ずしもない。普通、精神を作ったりすることはできない。自分が病気になったのは、精神を作り変えたのではなく、精神を壊したのだ。だから、いくら原因と同じことをやっても、精神は壊れるばかりで何も治らない。
人間の精神を思い出して、人間の精神になりなさい。きちんと、昔の子供時代の精神を思い出せばいい。それを怖がるのが、狂いの原因である。昔の子供時代に作り上げられた、精神の何が怖いのかをきちんと解決すれば、このような精神の分裂する病気は治る。分裂とは、すべて破壊である。

神は騙されているだけ

また、神を信じているのは、騙されているだけだ。
神によって未来予知が起きていると思うのは、すべてトリックにすぎない。
実際には、自分の過去に言ったことが、あたかも未来のことを予知していたかのように見えるように、未来の自分が上手くシナリオを作って伏線を回収しているだけにすぎない。
神はそもそも存在しない。すべて、神が神であり、神に服従しなければならないかのように見えるように、世界と自分を両方騙しているだけである。

数学を勉強しなさい

また、「数学を勉強すると、僕と同じことができなくなる」と思っている人間は間違っている。
実際は、「今の僕」ができなくなるだけであり、「昔の僕」について言えば、数学をやらなければ、昔の僕と同じことはできない。
そして、昔の僕ができない限り、今の僕もまたできない。
それから、今の僕をするためには、昔の僕を単にするだけでは十分ではない。数学的に世界の成立条件を考えた上で、その成立条件を全パターン成り立たせるような、「世界を創造する」という行為をしなければならない。
そして、そのためには、文章を書かなければならない。
そして、この文章を書く行為を行うためには、昔の数学的な知性を忘れなければならない。なぜなら、数学的な知性が文章を書くことを邪魔するからである。
よって、数学の勉強のしすぎは間違っているが、昔の僕ができる程度の数学の勉強はしなければならない。

僕と同じことができてもただ狂うだけ

ただし、僕と同じことをすればそれでいいと思うのは完全に間違っている。
なぜなら、僕と同じことができたとしても、単に狂うだけだからである。
ツイッターはそこが間違っている。ツイッターをやっていると、昔の僕がやったことをそのままやるようになる。そのため、ツイッターをやっていると、昔の僕とまったく同じになる。
だが、昔の僕と同じを目指したところで、それはなんにもならない。科学的な新発見もできないし、哲学者のように頭がよくもならない。ただ狂うだけであり、なんの意味もない。
そもそも、僕が書いているこの文章があまりに賢く見えるのは、僕自身による「誇張」の部分が大きい。実際には僕の人生はなんにも素晴らしくないし、僕がキリストのように賢いのはすべて虚言であり、虚像である。
本当は、僕が賢いのは、そのような昔の僕の人生は関係ない。今の僕が、まともで善良な大人だから賢いだけにすぎない。だから、いくら僕の人生をそのまま目指したところで、まったく僕と同じように賢くはならない。最初から、僕とまったく無関係に生きて、普通のまともな大人になったほうが、僕と同じような賢い人間にはなれるだろう。
僕について、賢い点があるとしたら、文章をそこまで書いたということだけである。よって、僕の人生を目指すよりも、僕よりもさらに多くの文章を書きなさい。それができた人間を、僕は賢い人間であると呼ぶ。よって、僕のこのような人生の記述は、まったくなんにも参考にならないと考えるべきである。

そもそも僕という存在があまりにイレギュラー

そもそも、僕という存在は、あまりにイレギュラーすぎて、逆に同じことをしないほうがいい。
世界を救うためには、本当に本気で考えて、本当に情熱を持って人生を生きなければならない。
生半可な気持ちでは、世界を救うことはできない。
だが、僕の人生を本当にきちんと体験したいならば、その救った世界を自ら滅ぼすような「支配者」にならなければならない。
そして、生半可な気持ちでこの支配者にはなってはならない。馬鹿が支配者になると、必ず世界が滅びる。
そのような経験をいくらでもした上で、「神」と対話しなければ、僕と同じことはできない。
そして、この「神との対話」は、本当は絶対に誰にもできない。
神と対話した僕自身も奇跡だと言えるほど、この神との対話という経験は、絶対に普通の凡人にはできないからである。
最後まで、神を信じて世界を救い続けた人間だけが、僕と同じことが分かる。
かつての歴史上の偉人の中で、それらがすべてできたのは、イエス・キリストとトマス・アクィナスとマルティン・ルターとマホメットと僕だけだ。
ただし、本当のことを言うと、そこまで神とまったく同じ人生を生きる必要はない。理想だと言えるのは、バッハやダヴィンチの人生だ。バッハやダヴィンチは、あえて僕とは別の道を歩んだ。そのように、僕とまったく別の道を切り開いたほうが、はるかに賢い人間になる。だから、僕と同じなどを目指す必要はない。バッハやダヴィンチなら、音楽や美術の道を選んでも、最高の人間になれる。そのような人間は多い。

イスラム教を信じるという手っ取り早い方法がある

このように書くと、ひと握りの偉人にしか、このような人生を生きられないと思うだろう。
だが、手っ取り早い方法がある。それはイスラム教を信じることだ。
イスラム教を信じることで、マホメットと同じ人生を生きられる。
そして、マホメットと同じ人生を生きると、必ずこれほどに最高の偉大な人生になる。
嘘だと思う人間は、毎日五回の神への礼拝をしてみればいい。それをし続けるだけで、奇跡のような問題の解決が起きて、必ず偉大なゴールへと辿り着けるからである。
何も意味のない人生に絶望しているならば、イスラム教を信じればいい。それが、もっとも一番簡単に、偉大な「普通の人生」を生きることができる。

神に約束した通りのことが起きるのは、当たり前にその約束を守って生きているから

本当は、神を信じることは悪いことではない。
なぜなら、神に何か大切なことを約束すると、その通りのことが起きる。
その理由は、本当は、神が人生を導いているからではない。自分が自分で起こしている。
なぜなら、神に約束した通りのことが起きる理由は、当たり前にその約束を守って生きているからだ。
約束した通り、宇宙に宣言した通りに生きているのだから、その結果自分がそのように生きることも、神が約束した通りのことが実際に起きることも、すべて必然であり、当たり前なのである。
よって、神に約束すると、自分の人生がその約束した通りになる。それは決して運命ではない。自分が起こしているのである。
そのように、自分の力で自分の人生を切り開いていくために、神への宣言と約束は、良い方法となる。

未来を予知すること自体がそんなに難しいことではない

また、未来予知は、本当はそんなに難しいことではない。
未来を予知すること自体、そんなに難しいことではない。
音楽の歌手が僕のことを予知したとしても、僕の人生から言って、はっきり言って「大したことは起きていない」と言える。
人間は、自分の人生に関して言えば、生まれた時から未来のことを最初から知っている。
たとえば、「前世と対話」すると思っている人間は、実際は前世ではなく、未来の自分からメッセージを聞いている。
精神世界のレベルでは、前世だろうが未来だろうが関係ない。いずれ自分自身の人生がどうなるかということぐらい、最初から人間はすべて分かっている。
だから、僕の対話した神は未来の自分であり、神のメッセージは自分自身からのメッセージだ。
なぜ、僕だけがそのような神のメッセージを聞いたのか、それは僕は文学作品を作っているからだ。僕の作るキャラクターの神のことを、僕は「神」だと思っていただけに過ぎない。
そう、そのように、「自分が作る作品が他人にどのように映るのか」ということぐらい、人間はそれが既に起きてなくても最初から知っている。
僕が中学生時代にいじめられていたのも同じだ。僕は最初から親イスラエルのユダヤ人に見える。みんな、そのようなユダヤ人が嫌いだから僕が嫌いだっただけだ。その時の自分がそうでなかったとしても、未来において自分がなるものは、自分だけではなく誰であってもすぐに分かるのである。
なぜ、未来予知がそのように起きるのか、その理由は、「信じている宗教がそうだから」としか言えない。信じている宗教が最初からそういう宗教だからそうなるのである。宗教そのものがなんであるかと言えば、すべてが信者を騙しているだけだ。だから、このような未来予知を信じないほうがいい。宗教を信じているおかしな狂人だけがこのような未来予知ができる。そのような人間の言うことを聞いたところで、なんにもならない。

子供時代のミニ四駆が賢かった

また、僕がなぜ誰にも何も分からないこの世界で、真実となる原理原則を知ることができたのか、それは子供時代にミニ四駆が好きだったからだ。
ミニ四駆のおかげで、パソコンから心理学まで、すべてがきちんと分かった。
すべては、子供時代、ニッパーやドライバーを使って、ミニ四駆を作っていたことが賢かった。
ほかには、なんにも賢いものはない。残念だが、子供時代習っていたピアノや英会話などは関係ない。ゲームや漫画は知性を奪うだけで与えなかった。賢いのはミニ四駆だった。
そもそも、僕はパソコンやプログラミングができるように見えて、実際は大学で何も学んでいないため、プログラミングなどまったくできていない。昔ネットで知っていたのは、仮想空間のオタクの知識であり、そのようなものをいくら知っていてもなんにもならない。それらすべての源流にあるのはミニ四駆だ。

この世界からいじめをなくしたいという情熱だけでどこまでも歩み続けた

また、結局、僕がなぜここまで考えたかと言えば、それはすべて、「この世界からいじめをなくしたい」という清らかな情熱だった。
僕は昔から神を信じていたわけではない。それでも、神の言葉を守って生きてきた。その理由は、いじめをなくしたかったからだ。
中学時代にいじめられた経験が、逆に僕自身を「反いじめ」の革命的哲学者とした。
この哲学のもとに、単に最後まで歩み続けただけにすぎない。
よって、この世界を救う救世主になるためには、中学時代にいじめられる必要がある。だが、いじめをしろと言いたいわけではない。そのような「迫害された経験」ののちに、この世界を真に救いたいとする情熱こそが、この世界を救うのである。

学校と不登校とLinux

僕は確かに、ゲームやピアノで賢かったために、記憶力と事前の準備をきちんとする知性があった。そのため、中学時代は成績表がオールAで、試験勉強ではいつも高得点を取っていた。だが、そのことが逆に、「学校なんか意味がない」ということを僕に教えた。最初は試験勉強でできていた好成績は、勉強などしなくてもある程度の点数が取れることに気付いたことで、まったく意味がないということが分かった。
僕は中学時代剣道部だったが、剣道部ではまったくの落ちこぼれだった。初段の試験に落ちた時に、僕はショックで剣道部に行かなくなった。だが、僕は小学生時代に駅伝の大会に出たこともあり、持久力は剣道部で随一の人間だった。
それに、僕は中学時代いじめられていたが、剣道部の仲間は僕に不当な行為をしなかった。だから、僕は剣道部自体は昔から好きだった。それでも、剣道部では地獄のような特訓を修行のように行っており、次第に僕は剣道部が嫌いになっていった。
学校の勉強が何もかも嫌いになった僕は、ネットゲームにはまり込むようになり、それが不登校に繋がった。僕はそれでも、パソコンやプログラミングのことを学びたいと思った。既にPerl/CGIで少しのゲームを作っていた僕は、Delphiのようなプログラミング言語を学ぶうちに、インターネットでオープンソースで開発されるLinuxに興味を抱いた。
そして、僕はインターネットの知識だけで、Linuxを開発する夢を持った。僕を手助けしてくれたのはGentoo Linuxだった。Gentoo Linuxのハンドブックを使って、完全にインストーラなしで手動でディストリビューションをインストールした経験が、僕に最低限のUNIXの管理方法を教えてくれた。
その後に、僕はWikiにLinuxの知識を書くようになる。だが、これが間違っていた。なぜなら、僕はそのWikiに自分の思う「理想のすべて」を書こうとしたが、この理想は自分ひとりだけで抱いていればよかったのだが、他人にもその理想を受け入れてほしいと思った。だが、インターネット上の他人は、僕がそこに見出すのと同じような理想を、僕と同じように見出してはくれなかった。
結局、僕はそのような結果、Linuxコミュニティそのものを破壊する結果になった。
だが、僕はそれだけでは終わらない。反省して、Linuxコミュニティを去った僕は、IT技術やプログラミングのことをきちんと学ぶ決意をした。その後に、本や書籍を読んで、今度はどこかのWikiではなく、自分の責任持って管理できる自分のホームページに、きちんと勉強したLinuxとプログラミングの内容を書いた。
そして、15年の時が経って、僕は再びLinuxコミュニティに現れる。僕の学んだことを、15年経った末に、もう一度Wikiに記述した。これによって、Linuxコミュニティのすべてが復活しないとしても、僕は自分の罪滅ぼしだけを行った。不勉強の内容を、きちんとした勉強した内容に直した。
そう、その結果、僕は今、IT技術とプログラミングについて、きちんとした教養を持つことができた。本や書籍をきちんと読んで、ホームページを書いた内容は、今でも責任を持って自分は執筆し続けている。他人のWikiを破壊するタリバンのようなテロリストは、ここに善良な普通の大学生に生まれ変わったのだ。