AUTHOR: schwarz1009
TITLE: ロキ
BASENAME: 2022/12/26/081448
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DATE: 12/26/2022 08:14:48
ロキは妖怪の長であり、もっとも低い人間とともに歩む。
ロキは、この世界で、もっとも低い人間とともに歩む。
ロキは、自らを、世界の中でもっとも成熟レベルが低い人間に合わせる。
これは、まるで、遠足の時の学校の先生が、最後尾の子供と歩むのによく似ている。
ロキは、最後尾の子供と一緒に歩む。そうすることで、この世界の全員をひとりで見守ることができる。
同時に、もっとも低い人間に精神のレベルを合わせて、あらゆる病気を治すことで、この世界のすべての病気が治る。
ロキは、この世界で、もっとも辛く、もっとも愚かで、もっとも馬鹿な人間たちとともに生きる。
だが、そのようなロキ自身は、賢さのレベルや限界を抑えているものの、その世界をその制限された精神の中で、誰よりも超越できる神である。
同時に、ロキは、宇宙に存在するさまざまな妖怪と通信し合うことで、宇宙のすべてを知っている。
この宇宙において、神の存在しない、あまり重要でない星には、妖怪と呼ばれる、神でも天使でも悪魔でもない存在が居て、ロキと常に通信し合っている。
ロキは、それによって、宇宙のすべてを監視している。
ロキが宇宙を監視する目的は、決して独裁的な支配をするためではない。最後尾以外のすべての子供たちを、見守るためである。
ロキは、常に最後尾の子供につきながら、妖怪と通信し合うことで、最後尾以外のすべての子供たちのことを見守っている。
そのために、宇宙の妖怪の長として、すべての星を見守っている。
ロキは全宇宙の妖怪たちと「妖怪警備隊」を結成しており、宇宙の治安と平和を守っている。見守り部隊の先生でありながら、警察や警備隊も兼任しているのである。
妖怪は、地球にも存在する。それが、3,000年の寿命を持つ、井上茜である。
井上茜は、その3,000年の長い寿命から、人間の手によって育てることができなかった。
井上茜は、幼くして、妖怪たちに連れ去られ、妖怪小豆洗いによって育てられた。
このような井上茜が、地球の現状を、常にロキと通信し合っている。
井上茜が見るに、この地球という星は、極めて正常に、滅びへと向かっている。
しかしながら、その地球の現状を、ロキが極めて正確に把握している。
ロキは、地球を救うことはしない。地球を滅びの運命から変えることができるほどの力をロキは持っていない。
だが、地球を救うことのできる星をロキは知っている。それはシリウスである。
シリウスならば、滅びゆく地球を救うことができる。
よって、そのうち、本当に地球の危機が訪れた段階で、地球はなんらかの手段でシリウスとやり取りをするようになるだろう。
そう、シリウスが、最後に滅びゆく地球を救うことになる。
最後に登場する神は、正義の神、トールである。
トールは、もっとも力の強い神であり、悪人に対して正義の鉄槌を下す。
それが、人間であろうと、天使であろうと、悪魔であろうと、神であろうと、トールは容赦しない。
そのため、フレイとかフレイヤが相手であっても、トールは相手が悪であると判断すれば、その相手に正義の鉄槌を下す。
フレイが地獄を生きたのは、フレイがあまりに悪いことばかりするため、天界からトールがフレイに対して鉄槌を下すからである。
トールは、間違っているものに容赦しない。それがどんなに正義のためであっても、本当の正義はトールのほうにあるとトールは分かっている。
戦うことでトールに勝つことはできない。トールはすべての神のうちでもっとも強い。だから、正義と誠の人生を生きなければ、必ずトールに打ち倒される。
トールが居ることによって、宇宙は平和になる。悪人はすべてトールに負けていく。トールは、悪人が善人に変わるまで、必ず悪を懲らしめる。
だが、トールは、本当は悪人に「善人に変わってほしい」と願っている。トールにとっては、「本当の成長とは、賢くなることではなく、悪人が善人に変わることである」と言える。悪人が善人に変わること、それこそが本当の成長である。そして、この世界は、天上であっても地上であっても、それによってしか、平和にならないのである。
今まで、自由を否定するような発言をしてきたが、これはまったく意味がないということに気付いた。
自由を否定したところで、何も賢くないし、面白くも正しくもない。
よって、自由な国を僕は否定しない。
普通に、自由な国でいい。平凡な、民主主義的な、普通の自由の権利が許されるような、自由の国のほうがいい。
自由とは、どんな信条を持っても許されるということであり、その中には不自由な思想や国家主義や社会主義の思想も許される。
かつての自由主義者は、「あなたが言うことには反対だが、あなたがそれを言う権利をわたしは死んでも守る」と叫んだ。
そのように、どんな信条を持っても、自由においては許される。
よって、自由を否定する考え方があったとしても、それを否定するべきではない。だが、それでも、それを表現する権利だけは、必ず守らなければならない。
善良であれ。
善良であるものには、必ずいいことがある。
愛や手助けに、見返りを求めるな。見返りを求めることなく、この世界のすべての人間を愛せ。
奪われても、取り返そうとするな。いじめられても、反撃しようとするな。
自らの敵を愛せ。自らを愛してくれるものだけではなく、自らを攻撃してくるものを愛せ。迫害者を、敵を、批判してくる群衆を愛せ。それらをすべて、自らのもっとも愛するべき人と同等に愛するのだ。
そのように生きれば、罪を赦される。キリストは、そのように生きるもののことを、「愛を信じよ」と表現したのである。
僕の職業は、グラフィックデザイナーだ。
かれこれもう6年の間、デザイナーの見習いをやってきた。
僕は、今でも見習いであり、プロ並みの絵は全く描けていない。
それでも、アドビのデザインソフトの使い方には詳しくなった。
もっと頑張って、きちんとしたプロのデザイナーになれたらいいなと思う。
このデザイナー見習いの今の僕のことを、大天使ラファエルとする。