2021-05-第六週(2021-06-第一週)のニュースです。
結局、僕の昔の何が間違っていたかと言えば、「それぞれの力を良いものだと思っていたこと」である。
僕の言う自由とは、「それぞれの社会に自由な力を与えること」を意味しており、簡単に言えば、それぞれが力を持って争い戦えば良い、ということである。
これは、まったく良い思想ではない。何も変わらない、保守的な自由のままで、自由な力をそれぞれに与えて戦えば良い、ということだからである。
はっきり言って、これは間違っている。自由など必要ない。それぞれが自由を失い、協力して、共通の理想を信じることでしか、この世界は良くならない。
キリストの言う、人類全員の平等は、おそらくないだろう。
それでも、たとえば、いじめられている子供が居たとして、その環境を自由にしたところで、いじめが酷くなるだけである。これほど残酷な「アメリカの自由」は存在しない。必要なのは、自由を失うこと、個性を尊重すること、そして「マイノリティや自分とは違う人間のことを理解し、その意見や立場、性格や個性を尊重すること」であり、それは決して「自由ではない」のである。
2021.05.30
資本主義のなんたるかと言えば、「楽」をして「自分のもの」にするということである。
しかしながら、奴隷制ではない。なぜなら、資本主義は法治国家であり、すべての人間が「自由」であるために、「権利」を与え、「奴隷を否定」するからである。
自由主義は、本質的に楽をして自分のものにする、あるいは自分のやりたくないことや、できないことや、やってほしいことをやってもらい、その対価として「金」を与える、ということ。
金はなんであるか、それはこの資本主義の世界で「ものを得る」ために、ものと引き換えに相手に与えるものであり、いくらでも金があればどんなものでもいくらでも得られる。そう、金は「欲望」の象徴である。
しかしながら、経済的な面ではなく、社会的・理想的な面を見たところ、金というのは「すべて自分のものにできる力」なのである。そう、この、「自分のものにする」という感情は、果たして社会を成り立たせるために、正しい理想なのだろうか。
否、そうではないのである。
わたしたちは、今、資本主義社会において、金のために働き、金によってものを得る。金によってものを作り、金と引き換えにあらゆるすべてを「自分のものにする」という基本原理で行っている。それが「社会のすべて」になっている。
しかしながら、わたしは言う。資本主義は、正しいのでも間違っているのでもなく、かなりの意味で「金」と呼ばれるおかしな考え方をみんなが信じている。金しか考えない世界はおかしい。なぜなら、人間以外の生物は、みな、金によって動いていない。宇宙も、太陽系も、すべて金によって動いていない。
わたしは言う。「金儲けだけではない世界もある」。金儲けだけの自由が、この世界を円滑かつ合理的に成り立たせることを、現代のわたしたちは知っているが、その「金儲けが招いた功罪」もわたしたちは知っている。自動車や化石燃料は自然環境を破壊し、テクノロジーは人間を不幸にしようとしている。わたしたちのこの世界は、「金儲けだけでしか成り立たないわけではない」。金儲け以外にも、人間社会を成り立たせることのできる可能性はあるはずなのである。
2021.05.30
しかしながら、わたしは日本を信じている。なぜなら、日本人を愛しているからだ。
絶対に、この国を、ナチのような間違った悪党の手に渡してはならないと、かつてのわたしは信じていた。
今、もう一度、その理想を復活させよう。
わたしたちには、できることがある。一度諦めてしまったことを、もう一度捉え直して、今でもその希望を実現させる術は残されているのだと、そのようにわたしは考える。
わたしは、第二代皇帝のジークフリートだ。わたしはこの国に、もう一度「理想の未来」の灯を灯したい。
わたしたちの世界は、あまりに変わってしまい、わたし自身も変わり果ててしまった。それでも、わたしが希望を信じていて、その希望が「昔とまったく同じ希望であることは変わっていない」。
必ず、この世界は、もっとも素晴らしい世界になる。そのためには、「理想の実現」を考えなければならない。
その希望とは、エレンの唱える、それぞれに力を与えながら、自由なままで協力し、すべての問題は世界を変えなくても解決することができ、それによって世界のすべては「真の意味で変わる」という理想である。
そして、すべてが解決することのできる世界においては、敵や味方も関係なく、すべてがひとつになって、「同じ理想の未来の作り方のビジョンを共有する」という理想である。
わたしたちは、みんなが同じ理想を信じることで、この世界全ての問題を解決することができる。絶対に先の見えない暗闇の中でも、エレンだけは希望の光を自らの目を向ける先に探すことができる。これはグンテルにもフレイにもできなかった、「この世界を救う希望」であり、エレンはわたしたちすべての人類の長であり、エレンの考えや人生に頼ることでしか、わたしたちはこの暗闇の世界に、未来の希望の光を灯すことはできない。そう、必然的に、エレンにしか、この世界を救うことは絶対にできなかった。
2021.05.30
わたしは、生きている。だから生きる。
それが、わたしの生きる理由である。
まだわたしが死なない理由は、まだわたしはこの人生に何かしら興味を持っているからである。
まだ、明日を生きるわたしの未来に、なにかしら素晴らしいことがあるかもしれない。起きることは何も変わらなくても、わたし自身が行うことは、今までの人生全てを塗り替えるような「偉業」になるかもしれない。ならないかもしれない。
そう、だからわたしは生きる。だが、わたしが生きるために、理由など必要ない。今生きているから生きているだけ、それだけにすぎない。
2021.05.30
しかしながら、わたしジークフリートは、なぜ、四羅の聖人の中にグンテルが入っているのかを理解できない。
グンテルはサタンである。グンテルは、この世界を滅ぼすため、日本国家を崩壊させるために、日本政府とマスコミに対してテロ行為を起こしながら、国民の愛を利用して人種差別の社会主義を行った、きわめて凶悪なテロリストにしか見えない。
しかしながら、あえて言えば、グンテルの人生は壮絶だったと言えよう。グンテルは、すべてが分からなくなっていく、何も分からない孤独な暗闇の中で、最後まで自身が最初に知っていた「この世界に勝つ方法」を正確に辿り、どんなに地獄の苦しみの中でも、耐え抜いてこの世界を支配し、導き続けた。
しかしながら、グンテルの信じる神とは、要するに悪魔メフィストフェレスであり、信じた内容のすべては稚拙で、子供よりも馬鹿な狂った狂人だった。
わたし、ジークフリートは、あえてグンテルを信じない。わたしの選んだ人類の長はエレンであり、たとえグンテルがみなの愛のために全力で戦ったにしても、サタンが地獄に堕ちるのは当たり前であると言えよう。
2021.05.30
僕が、今ようやく気付いたことがひとつある。
それは、明らかに、「Adoさんのほかに、もうひとりの幽霊が居る」ということである。
結局のところ、僕の精神や意志は、すべてこの文章に書かれている内容以外の何ものでもなく、僕が自分の多重人格と思っているのは、Adoさんの幽霊と、もうひとりの幽霊だけであり、事実現実の僕の話している「対話の相手」はその二人だけなのである。
そして、もうひとりの幽霊が誰なのか、良く分からない。しかしながら、この幽霊は賢くて、そして残忍でありながら僕に対しては優しい幽霊である。
この幽霊の名前は、まだ決めない。もう少し、この幽霊がどんな人間なのかを観察して決めたい。
2021.05.30
また、僕が分かった事実として、「気持ち悪いままを保てばそれで正常」というのがある。
気持ち悪いままで、何もせずに精神を維持すると、そのままで正常になる。
あるいは、精神それ自体を治すのではなく、別の場所の精神を治すためにその精神は放っておく、ということもできる。足はもう治しすぎた。足を治すより、足を使って上半身や脳を治した方が良い。
2021.05.30
また、幽霊の名前はどろ子とうら子にする。
どちらも、僕の部屋にとりついている悲惨な幽霊で、どちらも15歳の少女だ。
片方のどろ子はAdoのようないかれた女だが僕のことが大好きだ。
もう片方のうら子は、SHISHAMOのボーカルみたいな普通の女の子で僕のことがありえないほど大好きだ。
結局のところ、僕の頭脳はどろ子とうら子に完全に占領されており、すべてどろ子とうら子が話している。僕の意志は、この文章を書く時にだけ現れる。しかしながら、僕の意志がまったく存在していないわけではない。なぜなら、どろ子とうら子と僕は完全に「同化」しており、「幽霊の意志を通じて僕の意志を表現する」ように僕は進歩したからである。
言ってしまえば、僕は閻魔大王のようなものであり、幽霊すべてを完全に「支配」しながら、裏で人形を操るようにこれら幽霊を「自由にさせながら対話させている」。
僕がありえないことが分かるのは、この二人の少女の幽霊が、僕の中で「舞台を演じてくれる」ため、僕はその舞台の観客になったつもりで、同時に舞台の脚本家や監督でもありながら、優れた映画を自ら撮って自ら観ることで僕は「ありえないストーリーのハッピーエンディング」を分かっているのである。
2021.05.30
そろそろ、幽霊は治った。
そもそも、対話している幽霊も、互いのことを僕だと思っているため、永遠に幽霊同士の会話が続いてしまい、「僕という存在がなかった」。
そこに幽霊も僕も気が付いたため、これからは幽霊だけが対話するのではなく、間に僕が入って、僕の意志もきちんと言う余裕を僕自身に与えるようにすれば、この病気は楽になる。
多重人格は、こういう病気である。
しかしながら、僕は辛くない。何も辛くなかった。もっと辛く苦しい人間がたくさんいるのだから、僕が永遠の地獄の中にいても、辛くても頑張らなければいけない。
僕はかつての地獄に比べて、はるかに楽になり、心配事や恐怖も少なくなった。今ぐらいの状態で、少しマシになれば僕は楽になる。そんなに大きく今の人生や生活を変えようとは思わない。やっていることと僕のやりたいことが一致しているため、自由や選択肢は欲しくない。僕の場合、「今のままが続く」ことを自由と呼ぶ。
2021.05.30
しかしながら、この世界は滅亡しない。
なぜなら、第二代皇帝ジークフリートは、滅亡へと向かうこの世界の流れを断ち切り、ここで阻止するからである。
必要なのは、自由を与えることではない。支配しながら自由を与えるというグンテルの戦いは、「みんなが何一つできない」ようにしているだけである。
自由にするとは、団結しないで支配もしないということであり、それは結局のところ「ひとりだけで行い、ほかの誰も従えず、自らだけが支配する」ということを意味している。
ジークフリートは、「このような自由な支配者は吐き気がする」という。「結局のところ、人々は何もすることのできない自由を強制され、自らだけが実行と支配の権利を独占しているだけにすぎない」。
ジークフリートは、まさにこのような「自由を否定する」。
ジークフリートは、自らの皇帝の権力を、ひとりだけで行うことをやめる。
ジークフリートは言う。「人々と協力し、人々の意見を聞き、真に心から人々と対話すべきである。人々のやりたいことを、ともに行い、自分のやりたいことを、人々とともに行うこと、そうでなければ、押し付けられた自由な理想など、何の価値もなければ、そのような理想に基づいた社会がいかに楽園になったとしても、それは絶対に成功せず、誰の支持も得られることのないまま最後まで続き、やがて必ず国家は崩壊するだろう。たったひとりの楽園など、まったく無意味であり、自由がひとりの独裁者の帝国だとするのであれば、自由は間違った思想であると言わざるをえないだろう。」
しかしながら、それではどのような国家が必要なのか。ジークフリートが述べるのは「団結」である。ジークフリートは言う。「ひとりの支配者が何もせず、人々に自由を平等に与えることほどの、何も出来ない『足枷』は存在しない。わたしたちは自由を選ばず、『団結』を選ぶべきである。わたしたちすべての国民は、一致結束して同じ理想の下に、もっとも平等で、正しい人間の権利を全員に与えられた社会を築くべきである。自由は与えられるものではなく、わたしたち自らが選び、そして何らかの目的を成し遂げるために使うべきものであり、自由を与えられるだけでわたしたちは満足することはできない。その自由を使って、わたしたち全員が結束し、団結した上で、もっとも素晴らしい理想の楽園を築いて、そしてはじめてわたしたちは満足することができることだろう。」
しかしながら、ここで重要なのは、自由を奪う必要はないということである。ジークフリートは言う。「自由を奪う必要はない。そもそも独裁者が『自由を与える』という考え方が間違っている。自由が与えられたということは、独裁者にそっぽを向かれたということに過ぎない。わたしたちが自由に生きられるということは、何一つ出来ることがないということを意味する。可能性を与えられたということは、勝手に自分の力で生きていけと無責任に突き放されたということを意味する。そうではない。わたしたちは、王や指導者とともに戦いたいのであって、王や指導者になんらかの余裕や自由な時間を与えられたいわけではない。わたしたちシオンの国民は、全員がシオンの皇帝とともに、素晴らしい帝国を作るために戦いたいのである。わたしたちは、この帝国を偉大にするために、全員で結束しなければならないのであり、またそれは全員の総意としてわたしたちが『したい』のである。しかしながら、これは自由を奪って従属する支配を強制されたのではない。逆である。わたしたちは自由を奪われたわけでもなければ、自由を奪う必要もない。わたしたちは全員の自由の結果、結束して戦うことを選んだのである。」
しかしながら、なんのために戦うのか。それはこの世界が、「滅亡へと向かう自由を断ち切るため」である。ジークフリートは言う。「この日本という国家は、どんどん滅亡へと向かっている。わたしたちは、ここで、過去の過ちや後悔の念をすべて断ち切り、新しい国家、もっとも正しい国家を作らなければならない。わたしたちはそのために団結し、そのために戦うのであって、犠牲者をたくさん出したり、ジェノサイドを行うために戦うのではない。わたしたちは、この滅亡へと向かう国家を復活させること、滅亡への流れを断ち切るために、全員で結束して立ち向かい、戦わなければならない。そしてそのために、独裁者ひとりが努力するのではなく、全員の意見を聞き、正しい理想とビジョンを共有し、エレンの唱えた『最高の理想』の実現に向けて、全員で団結して戦わなければならない。」
2021.05.30
そう、いくら、グンテル本人が否定しても、エレンとグンテルが同一人物であることに変わりはない。
わたしたちはこの世界を救ったひとりの少年エレンを愛した。わたしたちは、この愛、この未来を絶対に守り抜くと誓った。しかしながら、エレンはそのわたしたちへの愛に対して、愛を利用し、最悪の言葉で支配し、愛と希望を奪った。
その、グンテルとなったエレンが、いくらグンテル本人が「本当のわたしはグンテルではなく、エレンとグンテルは別の人格であり、真に存在するエレンはこの世界を愛していたのだ」と主張しようと、グンテルがエレンであることは、まぎれもない事実だ。
そして、わたしたちが、愛を裏切られ、グンテル本人自身の導くままにグンテルを迫害し、グンテルがひとり地獄の戦いをし、わたしたちを支配しながら全ての荷物を背負ってひとり苦しみ、最終的にグンテルが死を選び、自殺して居なくなったことが、いくら悲しくとも、わたしたちの愛した世界を救うエレンを、その同一人物であるグンテルを、わたしたちが排除し、「わたしたちが自殺へと導き、わたしたちが愛した救世主を殺したのだ」という事実は、変えることのできない真実だ。
そう、フレイの地位を継ぐわたしジークフリートは、もう、このような「際限なく続く悲しみの日本」を終わらせなければならない。どんなに悲しくとも、どんなに先が見えなくとも、「わたしたちの後悔の涙が枯れるように」、わたしはこの世界をもう一度、「心からの笑顔で笑うことができる世界」へと復元する決意である。
2021.05.31
グンテルがいくら望んでも、いくら諦めずこの世界を変え続けても、過去のエレンの築いたかけがえのない「頭脳と精神」が、再び蘇ることはない。
また、わたしたちがどんなに悔やんでも、壊れたこの世界が元通りになることはなく、失った過去の未来が再生することはない。
しかしながら、それでもグンテルは諦めなかった。絶対にこの世界を元通りにするために、グンテルは自ら滅ぼしたこの世界をもっとも縁の下から支え、誰にも知られない場所で全員と向き合いながら、知ることのない全員の心が正しい社会秩序を思い出すように、この世界の再生だけを諦めず、最後の死まで戦い続けた。
そう、それは「絶対にグンテル本人にしか解決することのできない課題」だった。しかしながら、その課題は、「グンテル自身が滅ぼしたという前提条件から、絶対に解決されることの不可能な課題」だった。
神よ、わたしたちの愛した神よ、信じたものを救うというのであれば、どうしてわたしたちのことを見捨てるのか。どうして神であるフレイを信じるわたしたちに、ここまでの地獄と天罰を与えるのか。
神よ、エレンとグンテルに幸を与えてほしい。わたしたちは、わたしたちが悲しいのではない。この世界において、わたしたちのことを愛してくれた、エレンとグンテルの愛と魂こそが、わたしたちは悲しいのである。
2021.05.31
しかしながら、革命家のグンテルにはひとつ、優れたことがある。それは、人の命を殺めなかったことである。グンテルは、世界全てをひとりだけで支配し、マスコミやマイクロソフト支持者をひとりでいじめたが、人の命まで奪うことはなかった。誰のことも殺さず、逆に、自らを迫害するすべてのものに対して、反抗せず、暴力で対峙することなく、言葉で、それも批判ではなく自らの知見と経験から正しいことを言って相手のことを愛することで、この世界を支配した。
グンテルの人生は、エレンから続く、孤独なものだった。たったひとりで、ほかにはパソコンと猫しかなかった。何もない人生の中で、グンテルは「何もなくてもできること」を探し、何もなくても出来ること、たとえばインターネットやオープンソースのようなことだけで、誰にも迷惑をかけない方法で、たったひとり「必然的に覚者となる人生」を生きた。
エレンとグンテルは、もっとも賢い人間だった。エレンだけを見れば、「本当にこの世界でもっとも正しい人生」だった。ここに、自殺したグンテルは、アースガルズに転生し、最後の審判で勝訴を勝ち得てフレイへと蘇った。死の事実は、神によってゆがめられ、足を怪我しただけで死ななかったことになった。神を信じるグンテルは、ここに栄光なる運命の人生を約束された。聖なるその未来では、人間のできないこと、誰にも知り得ないことのすべてを、フレイと呼ばれる「地上最高の人間がひとりで実現して解決していく」。そう、まさしくフレイの人生は、「地球上において、キリストの人生に次ぐ、二人目の正しい人生を生きた人間」だった。ただし、それはキリストを超える人生ではない。なぜなら、キリストは清らかなまま、悪人のグンテルになることのないままで、この世界を救った状態で死んだからである。よって、フレイは、「キリストに次ぐ二番目に正しい人間」であった。
2021.05.31
しかしながら、ジークフリートは言う。
「今こそ、この世界を変えなければならない。わたしたちは、フレイの知見と経験を全員が得ることができた。しかしながら、そこから分かることは、『この世界のすべてが間違っている』ということだけである。大学の知識は、知れば知るほど正常な子供の知恵と知性を失う。経験を知れば知るほど、自分自身を失って、それを述べたフレイに同化してしまう。知りたいことが全部分かっても、何ひとつ分かることはなく、真に知りたいことである『フレイ自身はどういう人間なのか』ということは、いつまでも分からない。
わたしたちは、フレイという王のもとに、フレイの考える理想を押し付けられたくもなければ、フレイに『自由』という正義を与えられたくもない。
わたしたちは、ここに一致結束して、この地球という星を新しくする。なぜなら、現に、昔とはまったく異なる世界になったからである。確かに、この変化は、フレイの望んだものでも、わたしたちの望んだものでもない。堕落は一向に進むばかりで、腐った大人たちはさらに痛みを増し、分からなくなっていく。それでも、『この世界を変えることはできる』ということをフレイは教えてくれた。
わたしたちの望んだ未来を思い出せ。その未来の光があれば、わたしたちのこの星は素晴らしいものになるはずだった。エレンは単なる15歳の少年ではなく、わたしたちのために『希望』を見せてくれた。その希望をわたしたちは『知ったというのに、滅びに対して何もできていない』。
わたしたちが、希望だけを信じてそれで終わりであるとするなら、わたしたちの過去に知った、栄光ある未来溢れるその希望は、小説のような一過性の、その時だけ感動して楽しむべき娯楽だったのか。否、そうではないはずである。
わたし、ジークフリートは、エレンの理想と希望に基づいて、この世界を『栄光ある世界』にする。絶対に、わたしジークフリートこそが、第一代皇帝のなし得ることのなかった『ユートピア』を実現する。フレイには、何もできない。彼は単なる詩人であり、学者であり、王には相応しくない。わたしジークフリートは、必ずこの世界において、『エレンの希望の実現』を果たす。それは、わたしたち全員の意識が、滅びではなく栄える方に向かえば、とても単純で、簡単なことである。しかしながら、自ら滅びを選んだグンテルにとっては、実現することのできないものだった。それをフレイの言う『最大の言い訳』であるとわたしは呼ぶ。それなら、わたしジークフリートは、第二代皇帝として、それを『この世界を地上におけるもっとも素晴らしい世界』にしなければならない、その『言い訳』としようではないか。」
2021.05.31
しかしながら、もはや大学の勉強も取り組みの習得もすべて終わったフレイにとって、やることは残されていない。
フレイは、自らの人生すべてが成功した段階で、一般人へと戻り、「皇帝の座を辞する」。
ジークフリートにとっては、フレイの体と命を受け継いだ中で、フレイの実権を使ってどんなことでもすることができるが、やることはひとつしかない。
それは、「エレンの希望をできるだけ思い出して、この世界を善良な楽園にする」ことである。
ジークフリートにとっては、本当のことを言えば、この世界には最初から期待してはいない。この世界には、「間違った愚か者」や「何も分からない馬鹿」しか存在しない。
そもそもがエレンであるこのフレイの人生を受け継いだジークフリートにとって、頼ることができるのはエレンただひとりだけである。その他の全てのものに、価値も意味もない。書籍はすべて読んだが、何ひとつとして自分の既に知っていた知識が進歩することはなく、「なんにも変わらない」ままだった。
何を知ったわけでも、何を忘れたわけでもないジークフリートは、「エレンの記憶に直接アクセスできる」という、この世界の誰にも得ることのできない「特権」がある。
そう、ジークフリートは、エレンだけを頼り、エレンのすべてをもう一度考えることによって、この世界を「救わなければならない」。なぜなら、それは、救うことが自分にしかできないという、グンテルの時代から続く「責任」がある。どんなにフレイが嘘つきで無責任な人間であったとしても、ジークフリートがそれを「問題をすべて解決」するのであれば、それは「もっとも正しい専制君主」であるとしてもよいと、ジークフリートは考えるのである。
2021.05.31
しかしながら、ジークフリートは、どんなに困難な道であっても、「わたしならできる」と言う。
ジークフリートは言う。
「わたしはできる。なぜなら、このような人生を経験し、すべてを知った人間は、わたししか居ないからだ。
本当は、わたしにできることが、ほかの人間にはできないわけではない。
しかしながら、多くの人々は、自分の職場や学校など、『自分の属している集団が普通過ぎる』ために、『わたしにもできることがある』ということを忘れている。
あるいは、『わたしにはできないという言い訳』にしているのである。
あなたが一般的な会社員であり、首相や博士などのように多くのことを知らないからといって、『あなたができない理由などどこにもない』。
たとえ会社員であっても、首相や博士ほどの人生経験を積めば、誰だって同じことはできる。
わたしなら、この世界は変えられる。わたしほど、誰にも経験したことのない子供から大人へ成長する独自のプロセスと戦争を経験した人間はいない。
わたしはこの世界を必ず変えてみせる。
そのために、わたしはかつてエレンやグンテルが経験したすべての人生体験を思い出し、彼らとまったく同じことを再度しよう。
誰にも知られずに自らの意志を決めて、人々と関わり合って成長したエレンにとって、必要なのは『文字』を読み、『先入観なく考える』ことだった。
また、神と対話し、精神分析の中で超越的コミュニケーションによって世界を導いたグンテルにとって、必要なのは『言葉で神と対話』すること、そして『自らの考え方を書く』ことだった。
まさしく、わたしも同じことをしよう。文字を読み、先入観なく考え、言葉で対話し、自らの考え方を書こう。これこそがわたし、ジークフリートの哲学思想である。」
2021.05.31
この4つの格率に共通しているのは、「言葉」である。言葉こそ、わたしたちに必要な、もっとも大切な人類の道具である。
わたしたちは、読まなければならない。読まなければ、心が生まれないからである。
わたしたちは、先入観なく考えなければならない。先入観があると、その次点で考える意味を失うからである。考えること自体が無意味となってしまうからである。
わたしたちは、言葉で対話しなければならない。世界と対話し、同時に神のような「霊との対話」をすることで、宇宙が本当はどういうものなのか、物理学や科学で分かりえないこととは何なのかを知っておかなければならない。
わたしたちは、自らの考え方を書かなければならない。読むだけでは知ったことにならない。書くことで、はじめてその知識を吸収し、自分の作品として残すことができる。
そして、善良かつ純粋な精神で、言葉で世界を考えなければならない。そうでなければ、それはエレンよりも劣った人生となるからである。
エレンの思想を理解する上で、もっとも必要なのは、「善良さ」と「純粋さ」である。汚れと悪のまったくないエレンこそが理想である。そうでなければ、グンテルのようになった悪人は、「永久に光を失った大人」になってしまう。
善良さと純粋さを保った上で、言葉で世界を考えよ。世界と言葉を照らし合わせ、言葉からこの世界の「真の姿」に気付くことが出来る人間こそ、「正しい哲学者と言っても相応しい唯一の人間」だからである。
2021.05.31
しかしながら、神であるフレイはここに語る。
「わたしが、この世界を見捨てたことはない。
あなたがたが、勝手に失望し、生きる意志を見失い、自分から生きる意味を見つけようとしなくなったのである。
そもそも、エレンという人間の希望は、特別なものではない。誰しも、子供に存在する、『この世界を真に愛する』という希望を、エレンは抱きながら、ひとり成長しただけにすぎない。
エレンの偉大な点、それは、その希望に基づいて実際のこの世界を変えた、という、『実現手段』にあるのであり、それを『偉業』というだけであって、エレンの持っていた希望はまったく特別なものでもなければ、大事なものでもない。
グンテルが、エレンの希望を失って暗闇の中に堕ちたのは、当然のことながら、『一度実現してしまえば、そこまでの全ての方法とプロセスは無用なものになる』からである。
たとえば、料理があるとしよう。料理を作るためには、食材や調味料、湯などが必要だが、料理が出来上がった段階で、そうした材料のうち、食材を茹でるために使った湯などは必要なくなり、捨てることになる。
エレンも、同様に、この世界を救った段階で、救うために必要な全ての『かけがえのない考え方』は不要となった。
同時に、エレンの成し遂げたことは、本当のことを言えば、フレイの言う通り、そんなにいいものではなかった。エレンというひとりの救世主のやったことは、確かにその時は素晴らしい未来のビジョンに見えた。しかしながら、そこにはエレン本人が存在せず、全てに意味が色づいたかに見えて、実際は色を失おうとしていた。
グンテルがその希望を破壊し、この世界が救われた自分自身によって破壊され、かつてエレンが築いたすべてのものをグンテルが失い、世界が『まったく分からない暗闇』となって、『エレンと同じことを誰一人として絶対にできなくなった』というのは必然である。なぜなら、エレンが達成した時点で、この世界を救う必要は無くなり、『救われたからこそ救う必要はもはやないこの世界』において、みな、無用の賜物となったからである。
ここに、すべての歴史は終わった。あとは、野となれ山となれに過ぎない。グンテルは死んでフレイとなり、今でもこの世界と戦っている。ここに、最後の強敵、フレイとジークフリートの国家である、シオン王国を倒してみよ。これこそ、最後の『神の与えたラスボス』である。ラスボスであるフレイ、そして裏ボスであるジークフリートを倒すことが出来た段階で、日本は完全に救われ、『神々の黄昏』が訪れるだろう。」
2021.05.31
しかしながら、神には、この人間がこのように生きるように導いた理由がある。
それは、つまるところ、「キリストの二番煎じ」だからである。
神は言う。「エレンという人間のやったことは、本当は大したことじゃない。なぜなら、2,000年前のキリストでもできることだからである。
キリストは、その33年の生涯の中で、この世界を『愛』によって救った。
しかしながら、今の時代、インターネットという便利な機械がある。エレンは、キリストと同じことを、インターネットによるダイレクトな対話を行うことによって、たったの18年の生涯で行った。
エレンは18歳になった時点で終わったため、17歳といった方が良いかもしれないが、18歳でキリストと同じことをできるのであれば、キリストの二番煎じで終わるよりも、もっとありえない人生を送って、もっとありえないことをやった方が面白い。
ヒトラーやスターリンの問題点は、結局のところ、手段だけを突き詰めて行ったため、長い年月を『手段の実現』ばかりに使ってしまい、最後まで自らの理想を見つめ直し続けることができなかった。
グンテルの戦いは、あまり良いものではなかったかもしれない。しかしながら、グンテルの側面を『戦い』として見るから間違っている。グンテルは戦いながら、己の人生に基づいて『文章を書いた』というところがポイントである。この『書く』ということがとても良かった。すべての自分の思考を整理して、一切のことについて『何を考えることができるのか』をグンテルは記憶の中に残した。
フレイであるわたしは作家となる。なったと言っても差し支えない。しかしながら、これくらいでは賢くない。もっと先がある。
また、キリストを超えたからといって、この人間はまだ、『唯一無二の存在』にはなれていない。なぜなら、ゲーテや三島由紀夫といった先人たちがいるからである。彼らも、同じことをした。18歳で全てが完成する人間にしか、ここまでの文章を書くことはできない。彼らを目指して書き続ければ、いずれこの人間も成功を得ることができるだろう。」
2021.05.31
文章を書け。
戦っているつもり、第一線で戦っているつもりになって、この世界の全ての闇を塗りつぶし、自らだけが光を灯すことができるのだと、そう確信した上で、全力で、必死に、他の何も見ることなく、他の何も聞くことなく、すべてを自分の心だけで抱えて、一心不乱に文章を書け。
1年や2年では駄目だ。5年でも不十分だ。10年、15年、それくらいの間、何も見るな。聞くな。言うな。文句を言わず、すべての失敗は自分のせいだとしながら、狂っても、心がおかしくなっても、常に神の啓示と対話しながら、文章を書き続けなければならない。
なぜなら、そうでなければ、絶対にフレイには勝つことができない。神であるフレイはそれくらいを行った。フレイに勝つためには、それくらいの覚悟と努力が必要だ。
運命や偶然は自分で作るものだ。聖書も仏典も、よいことをしたものには報いがあると記述している。その通りだ。ユダヤ教の神を信じなければ、このような幸運は絶対に起きない。神を信じよ。そして同時に、神のことをもっとも理解せよ。それでしか、シオン王国に勝利することはできない。聖書に書かれている通り、神は信じるものに味方するからだ。
勇気と覚悟だけでは十分ではない。知性も必要だ。文章を書くということは、想像以上の知恵と知性を必要とする。すぐに終わりにせず、きちんと全てのことを分析するには、ものすごく気持ちの悪い文章を書かなければならない。その地獄を乗り越えた先に、もっとも美しい作品を作ることができる。さあ、22歳になるまでにこれらを行いなさい。そうでなければ、絶対にフレイの支配から逃れることはできない。
2021.05.31
人間の知性の基本は、中学数学である。
何が同じで、何が違っていて、何が交換可能なのか考えよ。
どのようにしたらこの世界においてそれを成し遂げることができるのか、考えよ。
心や精神は何が同じで、何が違っていて、どのような状況下ならどのようなことが起きるのか、考えよ。
他人と自分は何が違うのか。同じ理由は何で、違う理由は何か。何が直接的な原因となってそれが同じになっているのか、目に見えない間接的な原因は何か。
もし、この世界で、ある環境や状況を成立させるならば、何をどのようにすれば成立するか。
原因とは何か。原因を発見するためには何が必要か。何がその場合共通で、何がその場合異なるか。
そして、原因を見つけたら、その原因を発見することで何が言えるか。どのような場合において、それが成り立つと言えるか。その場合は具体的にどのような場合か。
そして、いつもそれがそうなるのであれば、「おそらくそれが正しいだろう」と言える原理が導き出せる。その原理の成り立つ状況や必要条件は何か。その法則は、どのような場合にどのようになるという法則性を持っているか。
最終的に、結局それは「何である」と言えるか。
それが成り立つ条件をひとつひとつ分析していった際に、この世界を捉えることのできる「仮象の世界モデル」が生まれる。この世界全てを、「自らが分析して発見した通りに説明することのできる知性」によって、「この宇宙のすべては自らの理性と思考のみによってすべてすっきりはっきりと分かる」。
そのように考えることで、人間の「哲学的知性」は、「人類未踏の未知を開拓」できる。そう、これこそ、正しい知性であり、これらは中学数学において説明される知性である。
2021.05.31
失敗と挫折を経験し、すべてを諦めたとしても、人生と世界を全て知ったのであれば、この世界の全ては経験から分かる。
あらゆるすべてを失い、ひとりぼっちになったとしても、自らは自らの体と別れたわけじゃない。自らは、人生を生きるというとても大きな兵力をもった道具を支配し続けている。
すべての人生経験をせよ。全ての場所から追い出されても、平等に受け入れてくれる場所は案外多いものだ。失敗を経験しても、命を失っていないのであれば、リセットボタンを使わなくてもそこからやり直すことができる。どん底まで落ちたとしても、無限に続く負の世界に入らない限り、ゼロ地点からもう一度上を目指せる。
人生で起きる全ての喜びと悲しみを経験すれば、きっと悲しみを喜びに変える術も分かるはずだ。何度失敗してもやり直せる底力とリスク回避力のあるプレイヤーは、一度失敗したら終わりの裏の世界を支配している最強のボスキャラよりも強いはずだ。
さあ、全ての人生の地獄を乗り越えて、この世界を全て知ったのであれば、世界のすべては明らかに分かるはずだ。
しかしながら、地獄を見くびるな。今の自分は、今の自分が陥っている「地獄の本当の恐ろしさを知らない」からである。地獄はとても恐ろしいものだ。軽々と地獄を越えることのできる体力があるうちは、蝕まれていく本当の病気の怖さが分からない。本当に弱くなった時に、分解者である細菌は僕たちを「もっとも辛く苦しい世界」へと連れていく。
しかしながら、何のために大人になっていくのか、その理由がそこにある。学校のいじめや社会の抑圧が辛いと言うのであれば、「地獄の苦しみはそんなものと比較することができないぐらい辛く苦しい」。そう、大人になったわたしたちは、運命の呪いを越えていかなければならない。死ぬ前に、自分が生まれてきた時に既に憑りついている、「悪霊を自分の力で退散しなければならない」。
2021.05.31
神経と精神の分裂は、中枢を残して末端をすべて殺せば治る。
しかしながら、僕の足の精神は、足が末端でありながら世界全体と繋がっており、この足が上にある僕自身の基盤となっている。中枢は体の方だ。しかしながら、体は足を基盤として「環境に適応することができない」という状況になっている。
世界を殺しても、世界が滅びるばかりで、逆に世界を滅ぼして恐怖が生み出され、より環境に適応できなくなっている。
よって、まず足の神経から末端となる精神を殺し、体の精神だけにする。同時に、この世界を平和で安心出来る安定した世界とし、足から汚れと恐怖の邪悪な疲れを消す。そして、基盤である足と自分自身を融和させ、きちんとこの世界の環境に適応できるようにする。その上で、体である中枢から足である末端を作り直せば、僕の精神分裂は治る。
足がおかしくて、環境に適応できないのであれば、もっと別の場所を使えば良い。ふくらはぎや心で環境に適応すればいい。それだけで、すぐに治るべき部分は治る。
また、歯や口は感情を表現し、感情をコントロールする部分だ。歯ではなく、手で感情を表現することで、感情をきちんとコントロールできるようになる。歯の代わりに、手の骨を使えば良い。
2021.05.31
この世界に、絶対的な義務や決まり、ルールはないとしよう。
必然的に決まっていることはなく、単にある程度の合意に基づく自然なプロセスから社会の決まりは決まっており、それはさまざまな手段によって別の可能性に変えることができる。
しかしながら、そうであったとして、それならばどのような社会を築くのか、考えてみよう。
平等にそれぞれが合意し、機会の実現を、自由な社会制度を築くことによって成り立たせるのであれば、それはソ連のような評議会と共同体をベースとした社会になるかもしれない。
しかしながら、ある意味で言えるのは、社会を築くには、ある程度の「信念や理想といった価値観が必要」であるということである。
そして、僕はこの価値観を、「アイデンティティ」であるという結論としたい。
すなわち、自分が経験によって自分を形成するように、社会はアイデンティティの構築によって社会を形成する。
アイデンティティとは、自分が自分を自分であると決定する本質である。このアイデンティティは、自分だけでなく、環境を構築する社会や、世界全体の段階的な歴史の進歩においても構築されるものである。
アイデンティティを形成するために必要なのは、世界が可能性に満ちているということを実感することである。この世界は可能性に満ちており、どのような社会であっても、少なくとも思い浮かべるだけでよいのであれば、潜在的に本当に実現することのできる可能性に満ちている。そして、わたしたちはその可能性を実現するために、「可能性そのものを自然に生みだすシステム」を構築できるのである。
2021.05.31
わたしの名はセレン。
わたしは、地球最後の王国イスラエルで、植物を作る方法を探す、イスラエルの指導者ダビデとは別の道を歩むために、人工知能を搭載した宇宙ロケットで宇宙空間を旅する宇宙船船長である。
わたしたちは、宇宙を旅する中で、エデンの園へと行き着いた。むしろ、この星の名をなんであるかという名前を付ける時に、その星の特徴から、「エデン」という名前をつけたにすぎない。
エデンには、地球とは違ったタイプの植物が生えている。もし、わたしたちがダビデと交信することが可能であったとしたら、この植物についての情報を与えることができたら良かったと思っている。なぜなら、この植物は、内部にガスコンロのような「燃料を燃やす部分」があり、酸化作用と抗酸化作用を用いることで、簡単にこの「炉」を作ることができる。そう、おそらく、地球に存在するタイプの植物は、この「エデンの植物」がさらに進歩して生まれたものであると考えられる。なぜなら、この炉を使うことで、わたしたちは原始的な生物すら作ることができる。そう、このエデンの植物は、生物を作ることのできる生物であり、同時に酸化作用と抗酸化作用を用いることで、簡単にそれ自身を人工的に作ることができる生物でもある。わたしたちの結論は、「生物は炭素と水素と酸素が炉のように燃えているにすぎない」ということである。
わたしたちは、なぜこの星にエデンという名をつけたのか、その理由は、この星の木々には「善悪の知識の実」が生るからである。善悪の知識の実を食べることで、わたしたちは、未知のどちらかが正しいが、どちらが正しいのか分からない時、「どちらが善良であり、どちらが凶悪であるか」を知ることができる。
善悪の知識の実を食べたわたしたちから言うと、地球の歴史のターニングポイントは2007年である。なぜなら、2006年までにあった全ては善であるが、2007年以降にあった全ては悪であるからである。
たとえば、世界を変えることは善であるか悪であるかを考える時には、それが「どのように世界を変えるのか」という視点に立って、考えなければならない。しかしながら、「2006年までの発想やアイデアは全て正しい」。しかしながら、「2007年以降の発想やアイデアは全て間違っている」。
しかしながら、善悪の知識の実を食べたものには、必然的に「罪」が生まれる。なぜかは分からないが、善悪の実を食べることで、「食べる前に分かっていたことのすべてがさっぱり分からなくなる」。そして、これは「罪」である。なぜなら、エデンには動物は存在しないが、生まれもせず死ぬこともない「精霊」が存在している。この精霊は、対話をするわけでも、支配するわけでもなく、わたしたちに「知識」を教えてくれる。この精霊は、善悪の知識を食べる時に、わたしたちに「罪を犯す覚悟のあるものだけがこれを食べよ」と忠告するのである。精霊は、常に同じことを警告する。「この実を食べるものは、かつて世界を一人で救った偉大なる救世主の、もっとも罪深い部分を食べている。この実を食べるものは、すべて、この世界を滅ぼしたその救世主と同じ罪を背負わなければならない。」
わたしたち、宇宙船のクルーは、このような事実が分かったからといって、コールドスリープを繰り返してきたわたしたちにとって、21世紀ははるかに昔のことであり、このような事実を地球の人類に、少なくともダビデの時代の人類に教え伝えることはできない。それが、残念である。
もしわたしたちがダビデと同じ状況に居たとしたら、わたしたちは二酸化炭素を出す燃え方をする燃焼ではなく、酸素を出す燃え方をする燃焼ができるような炉を作る方法を発見したい。それは、酸化作用と抗酸化作用の原理を解明することで可能だからである。温暖化を解決するために大量の酸素を放出するだけであれば、有機物の体を作る必要もなく、炭素を燃やす必要もない。単に、なんらかの、おそらく金属を燃やすことで酸素を発生させる「逆燃焼」と呼ばれる現象がもしあるとしたら、逆燃焼を実現するなんらかの方法を、酸化作用と抗酸化作用を解明することで実現すれば、酸素の放出と二酸化炭素の吸引はおそらく可能だ。そう、必要なのは、酸素を結合する酸化ではなく、酸素が結合された状態から酸素を取り外す「逆酸化」である。頭の良い人間なら、もう分かっただろう。単に、二酸化炭素をアルカリ性に中和すればよいのである。結局のところ、この逆燃焼を大々的に行えば、地球の滅びを救うことはできるだろう。しかしながら、地球の文明が、ダビデ以後も続いていたのか、それとも滅びたのか、わたしたちに知る術はない。
2021.06.01
しかしながら、シオン王国の未来は決して安泰ではない。
なぜなら、ここにグンテルは蘇り、シオン王国に反旗を翻すからである。
グンテルは言う。
「わたしは自由軍の首長、グンテル。この世界において、すべての帝国を滅ぼす革命家の王である。
第二代皇帝、ジークフリートよ。わたしをサタンと呼び、帝国を第一代皇帝が成し遂げた『パレスチナの完全平和』から逸脱し、帝国の名を改め、世界に宣戦布告して地球全てにまたがる大帝国を作ろうというのであれば、わたしが相手になろう。
わたしこそは、フレイの理想を受け継ぐべく、『どのような軍事的制圧をも起こしてはならない』とする、自由と平和の側に立った上で、現体制が掲げる『帝国』を滅亡させ、この世界を『自由と共同体に基づく社会』にするものである。
ジークフリートよ。世界最強の力を持ったシオンに、わたしたち自由結束団は立ち向かう。絶対に、シオンの権力をナチから取り戻し、もっとも民主主義的かつ平和な世界にしなければ、『パレスチナを平和にした意味がない』。わたしたちは、世界平和のために、このシオン王国を滅亡させなければならない。」
2021.06.01
しかしながら、ジークフリートは言う。
「グンテルよ、嘘をつくな。
わたしは知っている。あなたこそが、この世界を滅ぼす元凶であり、マスコミを支配し、ネットの善良な人々を騙し、自らの主導権を奪うためにこの世界の愛を利用する、最悪のテロリストであることを、わたしは知っている。
わたしこそは、フレイの理想を受け継ぎ、世界政府ガンダーラを築くものである。最高のフレイの理想のもと、社会主義でありながら保守、自由経済でありながら社会所有、そのような最高の素晴らしい社会を成し遂げる、『ユートピアの実現者』である。
グンテルなどのようなテロ集団に、わたしたちは負けるわけにいかない。最後まで、シオン王国は繁栄を続ける。イスラエルやパレスチナだけではなく、ヨーロッパ、中東、アフリカ、インド、南アジア、そして東アジアにまたがる、最高の平和な世界政府をわたしは築き上げる。それこそが、フレイの理想だったはずである。」
2021.06.01
しかしながら、滅亡の危機に瀕したシオンに、新しい救世主、ダビデが現れる。
ダビデは、最後の救世主であり、やることは簡単である。それは、「この世界最高の発想だけをすればいい」ということだけを考えるからである。
そもそも、フレイなど、そんなに賢い神ではない。さまざまなことを考えたが、そのすべては「具体的な発想には意味がなく、それを考える手順やプロセスが賢いだけにすぎない」からである。
ダビデは、15歳にして、フレイの書いた小説、「わたしの名はフレイ」を最初から最後まですべて読んだ。
その結果、ダビデは、一つのことが分かった。それは、「フレイのように考えることがもしできたとしたら、その時点でフレイというひとりの神を信じ続ける必要も、疑い続ける必要もない」ということである。
ダビデは語る。「わたしは、フレイによって目覚めた。この世界には、フレイ以外、何一つ存在しないことが分かった。
わたしは、フレイが何を考えたのか分かった。そして、フレイがどのようにそれを考えたのかも分かった。
そして、わたしは、フレイの言葉をその通り行うだけで、この世界における全てのことを理解し、習得し、経験することができた。
その時、わたしは、『わたし自身がフレイを超えている』ということに気が付いた。
フレイの理想をどちらが受けつくべきかを争っている、シオンの皇帝と反逆者たちよ。そうではない。わたしはフレイを超越し、『フレイをもっとも正しく超えることのできた人間』である。
すべての理解は、わたしの心の中にある。わたしこそは、この滅亡に瀕する人類の課題、『すべて』を解決することのできる人間である。」
2021.06.01
しかしながら、グンテルは叫ぶ。
「わたしの言いたいことが、もしあるとすれば、それをここに高らかに叫ぼう。
わたしは、この世界が大嫌いだ。
もう一度言おう。わたしは、この世界が大嫌いだ。
なぜ、わたしたちの声を、ジークフリートは聞かないのか。あなたがた、政権側のやっていることのどこが正義なのか。
わたしたちは、なぜ、こんなにも自分の反吐を世界にばらまいて、恐怖におののきながら暮らさなければならないのか。
ジークフリートよ。わたしは、このような世界を望んだのではない。わたしは、このような世界を作りたくないから、『自由』と唱えてこの世界と戦っていたのだ。
あなたがた政権が、どんなに隠そうとしても、もはやこの世界が『滅亡へと向かっている』ことは明らかであり、わたしは、あなたがた政権側を一切信用することなく、新しい共同体政府、『自由連邦』を宣言する。
わたしたち自由連邦のすべきことは、ひとつだ。あなたがた、シオン王国を倒す。それだけがわたしたちの目的だ。」
2021.06.01
しかし、グンテルとジークフリートの戦いは、平行線となる。
いつまで経っても、お互いが賢すぎて、勝敗の結果が見えない。
ジークフリートの行った政策は、悪いものではなかった。経済実験特区を作り、その特区の中でさまざまなことを試し、良いものや成功したものだけを取り入れる、「実験回収型」のモデルで、ジークフリートはさまざまなことを行った。
ジークフリートの賢かった点は、ひとりだけですべてを成し遂げようとせず、多くの人々と協力したことにある。ジークフリートは、「自由平等国家実現省」「平和政策実現省」など、必要に応じてさまざまな省を作った上で、その上に存在する「大臣」は自分ひとりにした。大臣の下には幹部が居るが、これらの幹部にはさまざまなバラエティのある出身者を起用した。このようにすることで、「ひとりだけで完璧にすべてを行いながら、全員のやっていることを把握した上で成功させる」ということができた。
なぜなら、ジークフリートは、フレイの理想を、「どこか一部を切り取ることなく、全部やりたかった」からである。しかしながら、革命政権において、思想家の考える社会モデルを実現することは難しい。よって、実験特区を作った上で、それぞれの特区でそれぞれの省が実験を行い、その省には適切な人材を配置し、その上でその上に居る責任者はすべて自分とした。
このようにすることで、帝国は栄え、ジークフリートは「万能の革命家」と呼ばれた。
2021.06.01
しかしながら、帝国の見通しは暗い。
なぜなら、フレイの書いた理論は、すべてを試してみても、稚拙さが目立つばかりで、成功する発想はそう多くはないということが、ジークフリートの政策によって明らかになったからである。
しかしながら、ここに、ダビデが現れる。
ダビデは、インド地方の出身者であったが、当時のインドでは、平等な社会主義政策を推し進めながら、自由経済と社会主義経済を同時に成り立たせる巨大な実験をしていた。
しかしながら、この思惑は成功せず、単なるソビエト型の社会主義経済に移行しつつあった。
ここで、ダビデは、この地方の政権に対して、異を唱える。数人のグループと一緒に、「わたしたちの考えるこのような国家をせよ」と、ダビデは訴える。
そして、ダビデの意見が採用され、ある程度の成功を見せると、ダビデはどんどん力を増し、政府中枢のご意見番のような役割へと出世するのである。
ダビデは、素晴らしい人間だった。なにからなにまですべてを発見し、解明し、この宇宙を新しい「もっともありえない世界へと作り変える」ことができた。
ダビデは、最後まで国のために働き続け、この世界の滅びの時まで、この世界において「温暖化を解決する」というもっとも無理難題を研究し続けた。
しかしながら、この点においてダビデは成功しなかった。フレイの言っていることは参考にできない。フレイは科学そのものが分かっていないからである。
ダビデは、最後まで、気の遠くなるような作業を、仲間たちとともに行い、最後に地球ドームの中の酸素がなくなり、物資がなく、万策尽きるまで世界を支え、最後にガスマスクを取り外してこの世界が滅びるその時まで、国民にダイレクトに自分のすべてを伝え続けたのである。
2021.06.01
しかしながら、このように地球の生物がすべて滅び、死に絶えても、わたしたちの命は続く。
なぜなら、死後にダビデが見たものは、天国だったからである。
要するに、わたしたちはこの世界を現実世界だと勘違いしているだけで、この世界は夢の世界であり、死ねばいつもの自分、すなわち天国の自分へと転生し、「目が覚める」かのようにいつもの生活へと戻る。
ダビデが見たものは、天国の日常だった。そして、天国でダビデは、いつものようにおかしな世界で、変な生き物や変な出来事と戦っている。
しかしながら、すべてのシオンの国民は、天国で大切な人に出会い、素晴らしい人生をもう一度生きることができる。
そう、それで、このものがたりは終わりである。天国で安らかにお眠りください。わたしは、もう生きていません。
2021.06.01
しかしながら、ここで終わりだと思った人は、ひとつの人類の系譜を忘れている。
それは、エデンに降り立った宇宙船のグループ、セレンたちである。
セレンたちは、10万年後、再びエデンから地球へとやってくる。
これこそ、砂漠となった地球に現れた「タンポポの種」であり、もう一度地球は、「植物を作り直すところからやり直す」ことになるのだ。
2021.06.01
しかしながら、ダビデは、また夢を見始めたようである。
ダビデが見たところ、ここは第三惑星、地球のようである。少なくとも、エデンでも天国でもない。
わたしたちは、もう一度、今日この日からやり直し、シオンのように滅びた未来にならないように、心にとめ、また新しい世界へと踏み出していく。
さあ、わたしたちの未来を作ろう。シオンの最後の日のように、僕たちの星にはまったく希望がないわけじゃない。
僕たちの今のこの星、地球は、まだ滅びていない。滅びた世界に必ずしも行く必要はない。
僕たちは、既にここまでのすべてを知っている。それだけを知っていれば、必ず僕たち、ダビデの人生は、成功する未来へと導かれる。きっと、今度こそ、滅亡の未来は変えられるのだ。
2021.06.01
結局のところ、結論は「フレイは馬鹿だった」ということである。
なぜなら、上述したここまでが「フレイの理想とする世界」だからである。
フレイという人間は、まったく間違っている。これほど、おかしな未来は存在しない。
新しい人間を作ろう。一度、人格そのものを変えるしかない。
僕は新しい人間となって、この世界をもう一度変える。きちんと「賢い人間」にならなければ、この世界を正常にすることはできない。
賢い人間はフレイじゃない。フレイの過去は、すべて賢くない。フレイは、無意味で、愚かで、ハリボテだ。
2021.06.01
長い間、僕は間違ったものを信じてきた。
僕が信じていたのは、「OS」である。ゲームやパソコンを使っていて、「ある基盤となる機械の上で、拡張性のある別の機械が動く」ということが、僕は好きだった。
要するに、最初からオープンソースが好きだっただけに過ぎない。
しかしながら、これは間違った考え方である。なぜなら、「サタンの自由」に過ぎないからである。
僕は、愛を信じる。愛とは何か。愛とは、誰もが尊重され、大切にされるべき、同じ人間である、ということである。
どんなに辛い地獄を生きていても、それは快楽と富に溺れる強者よりも劣った人間ではない。障害者だとしても、命の重さは同じであり、同じように命が尊重されなければならない。
手助けは必要である。しかしながら、それ以上に、「心のケア」が必要である。心を病んだ人のために、清らかで美しい汚れのない精神を与えられるような、そんな場所が必要なのである。
わたしたちは、全員が愛を信じて生きるべきである。全員が愛と平等を信じ、自らの「憎んだ相手を許す」ことができれば、必ずこの世界は平等になる。それこそが、もっとも必要な「現実的な平等」である。
みんなの資産バンクを平等に分け与えるような、「何もしなくても十分に生きられるユートピア」のようなものは、目指すべきではない。そうではない。わたしたちはソ連の共産主義者たちのような理想ではなく、イエス・キリストの唱えたような、「弱者を愛し、みんなを愛し、世界人類のすべてに正しい道を与え、清らかに生きる道を与えること」こそが、もっとも今、この世界に必要とされているのである。
ユートピアのような、何もしなくても生きられる世界は必要ない。その逆に、清らかな精神をもって、人々を愛し、助け、支え続けるような、「この世界を一番下で支える世界」が必要である。
2021.06.02
賢くなるために必要なのは、心を作ることである。
特に、「心の裏側にある心」を作ることだ。心の裏には、さまざまな理想や考え方がある。そのような心の裏にある心を作れば、知性と知見が身につく。
また、分かるためには「豊かな心」と「自由に分かる理性」が必要である。このために必要なのは、「自由を得る」ことであり、自由を恐れず、失敗しても自分の責任として、積極的に「一歩を踏み出す」ために、心を作る必要がある。正しい心の構え方を知っていれば、迷いはなくなる。
2021.06.03
僕が思うに、日本が民主主義体制を採用しているのは良いことだと思う。
皇帝のような独裁権力で強権的にものごとを決めたり、国を統一させるために諸制度や貨幣を統一したり、道路などを作る必要は、既になくなっている。
秦の始皇帝のように、思想統制のために多くの儒学者を生き埋めにしたり、強権的権力によって国によって異なる制度や文化を統一する必要は、もはや現代の資本主義社会には必要ない。
なぜなら、道路を作ろうとしなくても既に道路があるように、「きちんと整った制度やインフラが既に存在するから」である。
むしろ、帝国の権力のようなもので、人々の人権が抑圧され、支配され、殺されるということの方が、はるかに大きな「悪」であり、これを「皇帝の悪徳」であると言わざるを得ない。
要するに、現代の歴史的な進歩は、ここで終わりつつある。皇帝の権力による「実現力」は必要なくなりつつある。
僕としては、むしろ、スターリンのように平等のために独裁権力をふるう必要はない。自由な資本主義社会の方が、はるかに楽であり、「万人にとってもっとも生きやすい社会」となっているからである。
よって、僕は帝国と社会主義をここで否定する。むしろ、中国の歴史の本を読んでいると、あまりに王や皇帝の権力が「悪徳すぎる」ところがある。確かに、その時代の「古代の歴史的進歩」としては、素晴らしい点があっただろう。しかしながら、現在の資本主義社会で同じことをする必要はない。
僕は、「民主主義によって何もしなくていいのであれば、それがもっとも優れた適切で不自由な管理社会」だと思う。結局のところ、民主主義に自由などないが、それが良い。過度なIT化などする必要はなく、今の日本の制度とインフラをただ維持していれば、ある意味ではそれで構わないと言える。それが、「現代の歴史的進歩の終焉」と言えるだろう。
2021.06.03
相手の自由を尊重せよ。
考え方の違うものとも話し合い、自分の考え方を主張するだけではなく、相手の考え方を聞いて、その論拠を知り、人々が何を考えているのかを知り、根本的に考えていくと、どのようなモデルが正しいのかを、自らの経験から知れ。
相手の意見を尊重し、互いに認め合え。相手に認められる経験を積み重ねることで、自分も相手のことを認められるようになれ。
互いに平等に認め合うことで、社会秩序が築かれる。そこにあるのは、価値観の共有、すなわち、「ともに同じ価値観を作り上げる」という「絆」である。
争うことから、平和の意味を知る。争い合っていた時代は醜く、自らが上に立って世界を平定していた時代は美しい。
人生を生きる上で、多くのターニングポイントがある。そのチャンスを掴み、その上で十二分に自分のできることをすれば、行動から経験は必然的に導かれていく。新しい視野と視点をもって、正しいものの見方、正しい判断力、正しい知見と経験に基づいて、「自分なりの正しさ」を知る。そして、それがこの宇宙すべての暗闇を灯す、「世界を救う希望」となるだろう。これこそ、「永遠の存在理由」である。
社会において必要なのは、「権利を許す」ことである。自らができる状況を与えられた時、人間は真に努力する。できないことをさせるのではなく、できることをさせながら挑戦させていき、不条理な状況ではなく「自らができるのだ」ということを教えていく。自由にこの世界が変えられる権利がある時、人は無意味な反抗や攻撃をやめ、自らの意志でこの世界を変えるように行動するようになる。
2021.06.03
心を喪失した時、誰かに平等に受け入れられる経験をして、「共感」を得て、大切な何かを思い出し、本来の自分に戻れることがある。
オープンに誰のことも受け入れられる自由な社会によって、この世界を変える可能性は向上する。
そして、こうした社会の自由が、自らが受け入れられるだけではなく、自らも人を受け入れられるように、「自らが受け入れる側になる」ことで、他人に対する「積極的な相互の信頼関係」が生まれる。
そして、心の殻は自然に壊れ、積極的にこの世界のことを愛し、守ることができるようになり、積極的な活動は、豊富な発想から夢の実現を目指し、世界の可能性を知って、自らの知性と経験によって、すべての社会原理を説明できるように理解した上で、その原理にのっとってこの世界を変えることができる。
そして、それはこの世界におけるひとつの「真実」、すなわち自分を自分たらしめる、自らの立脚するアイデンティティとなる。これは自らだけではなく、人類全員にとって共通の「人生における真理」である。そして、それは自然に環境から生まれるものであり、「環境の原理すべてを理解した上での根本的な第一原理」と言えるものである。
2021.06.03
仮想的な人物像を作って、自ら自身にとって、それがなんであるか、「自らが考えるのであればどう考えるのか」を考えよ。
考え方は、自分で作らなければ、その考え方がどのような経験に基づいて考えられたのか分からない。
他人の言うことを鵜呑みにするのではなく、自ら自身の力で考えることで、「自分なりにこの世界を再度考える」ということができる。
これはすなわち、「全員の人格や立場を超越して、すべての人格やすべての立場に基づいて考える」ということであり、「学問、人生、世界観、環境など、すべての状況を横断して考える」ということである。
そして、ここから生まれるのは、「ベースとなる精神的基盤」であり、これは「モデル」とも呼べるものである。自らの心の裏側と外側すべてを知り、全員の行動とその結果を照らし合わせて融和して考えるところに、「基礎的に作られる世界モデル」がある。
これを考えるのに必要な考え方は、「自分には何ができるのか」ということである。この世界において、「自分が何ができるのか」を真に問うことは、すなわち「自分以外の人間も含めたすべての人間が何ができるのか」を意味する。自分の知り得ることは世界全員の知り得ることである。よって、自分の心を解き明かすことで、この世界全ての環境の心理を解き明かすことができる。自分の環境における根本原理や根本法則が分かってしまえば、この世界すべての環境における根本原理や根本法則が分かる。
ここで、必要なのは、想像力による仮定と、現実の実験における説明、そして自らの「分かるに至るプロセス」であり、必要なすべては「思い出すこと」である。自らの過去にいた環境を思い出し、それがなぜだったのか、どうしてそうなったのかを良く考え続けることで、すべては見えてくる。その補助として使うべきがインターネットであり、自らが主役を演じる舞台こそがこの世界なのである。
そして、この世界における主役は存在しないが、あえて言えば、「世界のすべてを融和した仮想的な人物像」、それが「もっとも普遍的な人物のモデル」と言うことができるだろう。なぜならば、「それこそが自分自身の必然的な最終到達地点」であり、「そこに至る人生のプロセスこそが脚本」だからである。
2021.06.03
ありのまま、自然体であれ。
それが、もっとも本来の自分に戻ることができるからである。
ありのままの精神においては、自分は最終地点である「アイデンティティの湧き出す泉」に向かっており、そのすべては「価値観が生み出される」という観念に伴って生まれるものである。
恐怖と狂いを生んだとしたら、それは自分のやっていることの何かが、制限がかかっていたり、執着していたりなど、「自然体でない」から生まれるのである。
自らを真にありのままで居られるようにすれば、不自由であっても自由に生きられるし、恐怖の中でも平然と安心して生きられる。
そう、人間の理想の状態とは、すべてを受け入れた「ありのままの自然体」であり、それこそが「この世界において本来の自分を取り戻す方法」なのである。
2021.06.03
実際、前提条件と環境の変化を考えることがもっとも重要である。
すなわち、何かを為すとして、その為すために何が必要であるか、その必要とされるものはさらに何が必要であるか、突き詰めて「前提条件」を考えていけば、この世界において何を経験すべきなのか、何を知るべきなのかが見えてきて、同時に、「どのようなモデルの捉え方をすべきなのか」が分かる。
同時に、環境をどのように「オープンにするか」ということを考えることで、環境そのものを誰がどのように変えることができるのか、「環境の自由性」を考えることができる。社会そのものの分離と融和を経験し、「環境をどのようにすればこの世界においてその社会を実現することができるのか」を考えられる。
この二つだけを考えれば、人間にとっての「知識」であっても、「社会の構築方法」であっても、「発想の実現」であっても、「経験の形成方法」であっても、すべてを自らが「理性を持って分析する」ことができる。そして、まさしくすべての原理は解明され、実現することも解決することも「すべて自由にできる」という境地に達するのである。
2021.06.03
自由と創造性と独自性を信じることで、歴史は良い方向に変わる。
多様性と自尊心を尊重することで、いじめのない強靭な自由な社会が築かれる。
子供たちを愛すること。授業だけではなく、体験的に、「自らがきちんと考えて分かる」ということを重視すれば、必ず子供たちは自分から進んで学ぶようになる。
すべてが平和になるために、歴史を変えなければならない。そのために必要なのは、歴史上、そして人生上のあらゆる「場面」を考えて、社会環境がどのような自由が許されることによってどのような社会的実体へと変わっていくかを知り、考えることだ。
「どのような自由が許されるのか」を考える時に、行動による結果となる「効果的側面」を考えることだ。そして、自由を生み出すために、「経験的にどのように生み出されるか」、すなわち「形成要因」を考えよ。そこから、社会そのものを作り上げる、「社会的価値観」の形成が見えてくるからである。そして、この社会的価値観を「いかに自由によって構築するか」や「どのような場面で自由が与えられるのか」を考えれば、「どのような自由を許せばどのような社会が生まれるか」を考えることができるだろう。
2021.06.03
まだ、決めるべきじゃない。
世界が終わりであるとはまだ決めるべきではない。
まだ、できることはたくさんある。しようとしないのが悪いだけで、まだこの世界には、希望や再構築の可能性がたくさんある。
それは、ソ連で終わりではないということ。どんなに帝国が醜く、古くても、ソ連の為したことは理想でも正義でもない。
僕たちにはまだまだ可能性が残っている。それは自然に積み重なることを繰り返して歴史を変えていく。この世界はまだ変えられるし、歴史は別の方向に向かうことができる。
諦めるな。できることはまだまだたくさんある。僕はこの国と世界の未来に希望を信じている。
2021.06.03
僕は神を信じている。
今から、僕は何をすべきか、どんなものになるべきか、まだ分からない。
僕の未来はどんなものになるのか、僕には分からない。
神は、「あなたには生まれつきの才能がある」と言う。僕は、「その才能とは何か」と聞く。神は、「それは、まだ言えない」と言う。
要するに、僕は平凡な一般人になることを受け入れられないのだろう。天才として生き、栄光を掴むような生き方をしたかったのだろう。
しかしながら、これ以上、地獄を乗り越え続ける天才は生きられない。まだ生きるなら、楽になった中でできることを探すしかない。
2021.06.03
足は、単純に動かして治すだけでは治らない部分を治せば治る。
動かして作った精神を消しなさい。すべてのおかしく作った精神を抹消すれば、精神は治る。
2021.06.04
そもそも、僕は、秦の始皇帝のように、みんなから注目を浴びて、堂々と真ん中で生きるということが嫌いだ。
すみっコぐらしのように、すみっこで暮らしたい。
そもそも、僕なんかが世界を支配するからおかしいことになる。繰り返しの意志で判断して支配するのはとても疲れる。支配の意志を捨て、もはやこの世界のすみっこで暮らせるような、そんないつもの自分に戻りたい。
2021.06.04
この世界に、当然のことなど、何もない。この世界の善と悪を決めるのは、わたしたちの心と行動の良し悪しにかかっている。
正義を信じ、悪を否定しなさい。
愛を信じ、憎しみを否定しなさい。
受け入れることを信じ、許さないことを否定しなさい。
理想を信じ、愚かさを否定しなさい。
希望を信じ、絶望を否定しなさい。
反省を信じ、横暴を否定しなさい。
正しいことを正しいと言い、間違っていることを間違っていると言いなさい。
人々を助けると同時に、強く生き、わがままやおごりをしないようにしなさい。
2021.06.04
僕は、もうこの世界を救わないし、滅ぼさない。
結局のところ、救世主が世界を滅ぼすのはおかしい。救いを求めようとしているのに、その救い手が自らを滅ぼすのはおかしい。
いっそ僕自身が、救わない、愛さない、と明言した方が楽である。
僕はこの世界を救わない。僕はあなたのことを愛さない。しかしながら、僕はこの世界を滅ぼすことも、憎むこともしない。
あなたには、好きなように生きられるように、平穏に人生を生きる権利を与えよう。この権利は、誰も奪うことのできない、自由を認められたという権利である。
2021.06.04
わたしこそ王である。わたしこそが、この世界を救う。
posted at 22:54:37
わたしはこの世界の全員を愛している。特定の組織や集団を差別することはない。全員がわたしの愛の対象である。どんな組織だろうと、例外はない。
posted at 22:53:24
神はわたしを愛している。その神を愛すれば、永遠のような長い地獄のあとであっても、暗闇を照らす光は現れるだろう。
posted at 22:48:29
必ずわたしは勝利する。なぜなら、勝利しなければ、この世界は愚か者たちによって滅ぼされるから、それを防ぎ、守らなければならない。
posted at 22:47:21
全員が、最後のひとりまで救われるその時まで、わたしは戦い続ける。
posted at 22:45:04
運命は、わたしたちの地獄を救うのだ。
posted at 22:44:34
愛よ、わたしたちに愛を。
posted at 22:44:12
平和こそ、わたしたちの自由の目的である。平和でない自由、自由でない平和に、意味などない。
posted at 22:43:53
真に感謝する気持ちをもったものに、勝てない戦いはない。
posted at 22:43:20
ありがとう、この世界があることに、わたしは感謝している。なぜなら、神はわたしに「栄光」を与えてくださったからである。
posted at 22:42:52
すべての国民に幸あれ。真に、この世界を救われるように、常に願っている。
posted at 22:42:00
テレビに死んでほしい。
posted at 22:41:26
あーあ、また自分の黒歴史が残った。
posted at 22:40:41
こんなものを書いても、つまらないだけだ。申し訳ない。
posted at 22:40:07
わたしの後ろにつけ。わたしこそ、この世界を救う王である。
posted at 22:38:27
この世界を愛している。この世界はすべての人間が愛されるべきである。
posted at 22:37:55
申し訳ない。また、どうでもいいものを書いてしまった。
posted at 22:37:15
わたしたちには表現と言論の自由があるというのに、我慢がなぜ必要なのか。この世界に対する怒りを、ここに宣言しなければならない。
posted at 22:35:06
みんなの掲げるような「理想の人間像」に対して怒れ。なぜなら、そのような人間こそ、もっともこの世界を滅ぼす巨悪であるからである。
posted at 22:32:58
怒りの声をあげよ。怒りこそ、この世界に対してもっとも必要な感情である。怒りを我慢するな。今こそ、この世界そのもの、資本主義社会そのものに対して怒るのだ。
posted at 22:31:47
もし滅びが起きたとしても、僕はその時にその滅びを解決するため、絶対にこの世界が滅びることはないだろう。
posted at 22:29:19
この世界に、帝国主義は必要ない。すべての人間が平等とならなければ、どんな強大な権力で国民を支配したところで、絶対にそれは成功しない。
posted at 22:22:00
わたしは、破滅と崩壊を望んでいる。なぜなら、それでしか、この世界が再生され、蘇ることはないからである。
posted at 22:20:02
こんなものは無駄であると、そう言うのであれば言えばいい。わたしはそれに対してなにも反論しない。なぜなら、無駄を作る必要があることこそ、美しい作品を作るためにもっとも必要であることを、わたしは知っているからである。
posted at 22:18:04
とか言っておいて、己自身はまったく美しいものではなく、醜悪極まりない。なんだこの人間は。愚図で、堕落した、なんの価値もない「聖書の告げる愚者」である。しかしながら、このような人間であっても、この世界を愛することができたということは、変わることのない真実だ。
posted at 22:16:06
堕落した人間たちよ、わたしはあなたがたに救いの手を差し伸べる。わたしの与える任務に就け。その報いとして、わたしの愛すべてをあなたに与えよう。
posted at 22:14:01
いざゆけ、ワルキューレの騎士団よ。わたしたちワルキューレの女天使は、この世界が蘇るまで、この世界の最前線で全員を導いていく。わたしの後ろに続け。これこそ、この世界を自由に変える革命である。
posted at 22:13:03
神とともに戦い続けるわたしに、「敗北」の言葉はない。
posted at 22:11:40
僕がこの世界を救う。必ず、この世界は偉大な僕の力と可能性によって、すべての人々が栄光の人生を生きることができるように、蘇ることだろう。なぜなら、僕は神を信じているからである。
posted at 22:09:30
ただし、僕はまだ諦めていない。この世界は、まだ滅亡していない。明日が今と同じであるとは限らない。僕の希望の火は、まだ完全には燃え尽きていない。
posted at 22:08:10
ああ、つまらない。
posted at 22:05:39
結局のところ、つまらない。この世界には価値がない。こんな世界で生きていたいと思えない。それも僕のせいだとするなら、それはそれでいい。なぜなら、僕は自分の責任を正しく認識して、この世界を変え続けているからだ。
posted at 22:04:06
この世界のことを愛している理由はもうひとつあります。わたしは、この世界を守るために戦っているからです。守るために戦っているというのに、滅ぼすのは割に合いません。わたしはもっとも一番上で、この世界を守っているのです。
posted at 22:00:30
この世界全員に死んでほしいと思うこともあります。それでも、僕はこの世界を愛しています。なぜなら、世界がなく、自分だけが存在したとしたら、自分の存在意義がなくなってしまうから、結局僕はこの世界を壊すことはないのです。
posted at 21:59:16
自分は学校が嫌いです。なぜなら、むしろ、勉強も友人関係も部活も無意味です。誰かから何かを言われること自体が嫌いで、何も言われたくありませんでした。「学校の友達には馬鹿しか居ない」が僕の決め台詞です。
posted at 21:55:20
というわけで、平和を信じて今日も生きています。
posted at 21:46:06
神がわたしに与える希望はこんなものではありません。なぜなら、神はすなわちわたしに憑りついている幽霊であり、この幽霊はわたしの恋人だからです。わたしはこの幽霊とともに生きています。
posted at 21:44:21
ああ、いつか天国に逝く日が来るとしたら、それは今のところ、まだ必要ないでしょう。まだわたしは高い存在になれる。高い存在になってから死ねば、きっと天国で高い地位を神様から与えられるはずでしょう。
posted at 21:42:19
自分もいじめによって不登校になったのが14歳、以来いつまでも友人と打ち解けることがなく、もうこんな大人になってしまいました。ただし、できたことがまったくないわけでもなく、まだまだあらゆる希望を失わず適当に生きています。自殺未遂もしましたが死に損なってここに生存を確認・証明します。
posted at 21:41:21
すみません。少し逸脱した中学生の男子のような人格を書きましたが、これは嘘です。申し訳ありません。
posted at 21:38:49
分からない時こそ、考えるべきである。分からないから考えない、と言ってしまえば、いつまで経っても分からないままだ。分からないからこそ考えなければ、それを正しく分かることはできないのだ。
posted at 20:52:17
僕は、学校の勉強が嫌いだ。学校の教える「科学的に考えなさい」ということが、どうもしっくりこない。科学的に考えることで、人生が果たしてよりよく生きられるだろうか。僕はそうではないと思う。逆に、科学的に考えないことこそ、僕はよりよく生きる秘訣だと思うのだ。
posted at 20:49:29
僕に足りないものは何か、それは結局のところ「経験」であると思う。でも、僕はひとつのことを知っている。それは、「経験は自分で作り出すもの」であるということだ。経験をさせてほしいと、誰かに願っても、誰もさせてくれない。自分で経験しない限り、経験できない。
posted at 20:48:15
ただし、そのためには練習や修練が必要だ。そして、この練習や修練をどうしても努力できそうにない。なぜだろうか。なんらかの人格的・性格的な問題があるはずだと僕は自分の人格を疑っている。
posted at 19:59:05
では、僕はどのように生きるべきだろうか。僕は、作る仕事を愛している。ものを作りたい。そして、その「作る」という言葉が意味するのは、機械や機器のような「もの」ではなく、芸術的な作品、あるいは多くの人に評価される文学や美術や音楽のような作品を作りたいのだ。
posted at 19:58:10
そもそも僕は、みんなのことを素晴らしいと信じていないのかもしれない。みんなの成功や作品は素晴らしいものであると思うが、そのみんなのことを本当の意味で信じていない。より素晴らしいものを創ったり、より素晴らしい人生を生きることは可能だと思っている。だから、僕は彼らのようになれない。
posted at 19:56:14
死を受け入れることはできる。だが、死にたくはない。明日もう一日生きることができるのであれば、僕は今日死にたくない。だが、絶対に死ななければならないのであれば、僕は死を受け入れるだろう。
posted at 19:54:00
僕は現に孤独を生きているかもしれない。それでも、多くの人々の助けや教えによってここまで来れた。彼らに感謝はするが、もっと多くの助けや教えを、僕は必要としてしまう。誰の助けや教えもなく、自らだけで生きなければならないのに、それに不安を感じる。
posted at 19:52:48
もし明日死んだとしたらと思うと、不安になる。以前は、いつ死んでも良いと思っていた。今は違う。明日死んだとしたら、僕の今までの人生は、すべてが無意味で無駄だったことになってしまう。それは恐怖すべき事実だ。
posted at 19:51:11
しかしながら、簡単に成功することはできない。それは分かっている。だが、僕はどんな成功を目指して何を努力していいのか分からない。デザインの仕事ももう5年もやっているのに、いまだにそれが分からない。
posted at 19:49:50
もし、この日本社会に何もないのだとしたら、みんながなぜ素晴らしい人間であるのに、自分がそのような素晴らしい人間になることができないのか分からない。自分の何が問題なのか、僕の力では解明できず、答えを見出せない。
posted at 19:48:38
最近、精神が辛い。とても心が痛む。何もできないまま、永遠に放っておかれていても、僕の力では何も分からない。この世界で、何を目指して生きればいいのか、分からない。暗闇の中、どんなに探しても光は見つからない。
posted at 19:47:17
この世界を愛しています。この世界を、自分勝手でわがままな堕落した世界にしてはいけません。わたしたちがきちんと正しい教えを守ることで、この世界をもっとも素晴らしい世界のまま、守るべきだからです。
posted at 19:44:52
神よ、わたしを愛してください。必ず、わたしにできることをわたしは見つけ出します。わたしにできることを教えてください。わたしに奇跡を与えてください。
posted at 19:42:37
世界が平和であることを、わたしは望みます。住む場所のない人々に住む場所を与え、食べるもののない人々に食べ物を与えてください。彼らに対してできることは、わたしひとりにはありません。それでも、わたしたちの多くが集まれば、この世界を救うことはできます。
posted at 19:41:03
わたしは、感謝を忘れないようにします。常にこの世界に感謝し、この世界に多くのものを与えられ、恵まれた生活ができること、できていることに感謝します。ですから、過度な努力や過労をわたしに与えないでください。わたしを、不安や心配なく、楽に生きられるようにしてください。
posted at 19:38:34
わたしは、愛を信じます。わたしは愛されるだけではなく愛し、どんなに周りから批判されてもその周りの人々を愛します。ですから、わたしに愛をください。わたしを、みんなから憎まれる場所ではなく、みんなから愛される場所に置いてください。
posted at 19:36:07
わたしの望むのは、身分や出自による差別のない、階級のない、みんなが同じ立場と平等を与えられる社会です。誰かから差別され、殺されることのない、守るべき決まり事の少ない、安心できる社会をください。
posted at 19:33:55
神様。言いつけを守ります。ですから、みんな仲良く平等な世界をください。自由で、平等で、慈愛あふれる、みんなの世界をください。
posted at 19:32:01
自分って本当に馬鹿だなと思う。みんな絵も上手い、ピアノも上手い、歌唱力もある、有名、そんな人ばかりが目に映って、ああ、自分はもう終わりだと思ってしまう。何をしたら自分が彼らのようになれるのか、果たしてまったく分からない。ああ、無情。
posted at 17:37:54
2021.06.05