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2021-05-第五週

2021-05-第五週のニュースです。

小説

ツイッターより

フレイ、僕たちはあなたに言う。 素晴らしい愛と希望をありがとう。 パレスチナ問題を解決する、 日本に東亜イスラエルを築き、 新しいユダヤ国家シオンを建国する思想と、 その演説は感動できるものだった。 しかしながら、僕たちは日本人だ。 あなたの思想を受け入れることはできない。
posted at 14:30:07

フレイは、わたしたちのことを愛していなかった。 わたしたちも、フレイのことを愛していなかった。 それでも、わたしたちとフレイの間には、 忘れることのできない傷が生まれた。 これは愛かもしれない。 しかしながら、わたしたちは、 それでも、フレイという悪の王を除かなければならない。
posted at 14:26:31

滅亡を受け入れちゃ駄目だ。 僕たちには守るべきものがある。 フレイに騙されるな。 フレイは神でもキリストでもない。 わたしたちの日本は、わたしたちの希望は、 わたしたちの守るべきものなんだ。 フレイは、わたしたちの愛を奪い、 立場を利用し、 悪のユートピアを押し付けたんだ。
posted at 14:05:00

できるんだ。 変えられるんだ。 強く、大きなものに立ち向かうんだ。 僕たちの希望は、僕たちが守るんだ。 たとえ、それが希望を与えた張本人であっても、 僕たちは彼に打ち負かされてはならないんだ。
posted at 13:52:00

希望は、押し付けられるものじゃない。 僕たちは、全員が素晴らしい世界で生きられる権利があるんだ。 希望の目的は、堕落した英雄に強制的同一化させられることじゃない。
posted at 13:49:19

2021.05.23

結局、フレイは王となり、この世界を奴隷にしたかった

結局、フレイは王になりたかった。そして、この世界を奴隷にしたかったのだ。

フレイの言う希望とは、要するに自由である。すなわち、「わたしがこの世界で自由に支配するのは正当に許されることであり、もしそうでないとしてもわたしの意見が正しい」ということをフレイは述べたかった。

フレイがなぜ、みんなを愛したのか。それはいじめに対する憎しみである。フレイは、子供たちを愛し、自らをこの世界を救うものであると考えていたが、その実、それはいじめられた相手に対する「憎しみ」の希望に過ぎなかった。絶対にこの世界をいじめないと言っていたのは、いじめっ子に勝つためであり、手段を選ばないフレイにとって、自分が優位に立てるのであれば、自らのその「けがれなき理想」を覆してでも、この世界に「勝利」することをフレイは選んだ。

しかしながら、フレイがなぜ、この世界を支配したかったのか、それはわたしロキであっても、理解することのできるところである。フレイは、インターネットにおける緩やかな「希望の共有」が嫌いだっただけに過ぎない。自分が存在しない中で、フレイの理想が人々にとって「歪曲」されることで、なぜか、フレイは苛立ちと不安を覚えたのだろう。その理由はフレイにしか分からないが、結果、フレイは自ら与えた希望を破壊し、自ら救った日本を滅ぼす、「暴走する革命家」となって、マスコミとインターネットすべてを滅亡へと導いた。

フレイよ、あなたのしたかったことは、結局、この世界の王になり、この世界を奴隷にしたかっただけだ。あなたの言う愛とは、あなたとわたしたちとの対等な愛じゃない。わたしたちをすべて支配し、奴隷とするような愛だった。フレイよ、あなたは最悪だ。この世界において、暗闇の「何も分からず、何もない世界」を作ったあなたの眼に、二度と光が灯ることはないだろう。

2021.05.23

フレイは自らの意見する権利を正当に行使しているため、神はフレイを許す

しかしながら、神はここにフレイを許す。

なぜなら、フレイは、自らの意見する権利を正当に行使しているだけだ。

フレイが言いたかったこと、それは「わたしはみんなのことを支配したいわけでも奴隷にしたいわけでもなく、自由にしたかったのであり、このような形で世界を救うことは、わたしの理想とする自由にはなかったことであり、この希望は世界を救ってなおわたしの最高の理想とすることはできず、わたしはこの世界をもっとも自由な世界にするためにマスコミを利用し、国民に対して直接語り、わたしの思う理想のすべてを書き記して、ここに世界をわたしの理想とする世界へと導く」ということである。

そして、フレイは、誰のことも殺めず、悪いこともしていない。単にインターネットを使って、自らの「世界に対して意見する権利」を正当に行使している。

しかしながら、フレイよ、戦うのであれば、もう少しあなたはよく考えて戦うべきだ。後先を見ず、手段を選ばないあなたの戦いは、テロリストのタリバンそのものである。

フレイよ、あなたはここに一度死ぬ。あなたの人生はここで終わりだ。あなたは死後に天国で、この世界に対して「絶対に干渉できない中で世界の真実を見守り続けるべき」である。あなたのやったこと、為したこと、実現しようとしたことは、すべてが無意味な「子供のお遊び」であり、人々のためになったことはひとつもなく、この世界が滅び、日本が滅亡しようとしている原因は、すべてあなたフレイのせいである。

2021.05.23

フレイの罪

フレイよ、あなたにはたくさんの過ちと罪がある。それをここに記そう。

あなたのせいで、あなたが作り上げた希望の社会は無くなった。単に、あなたがたった独りで独裁者のように支配し、あなたの言うこと、命令すること、理想と考えること、すべてあなたの言いなりになるだけの世界になった。

あなたは、人々のあなたへの愛を理解していなかった。同時に、あなたは、あなたが為したことが、取り返しのつかない「時代の傷跡」になることを、あなたは気付かず、暗黙の了解で、すべては最後に元通り無に帰することができると考えていたが、実際はわたしたちは後戻りすることが出来ない中、あなたの言葉を信じるしかない中で、あなたは最悪の自分勝手で傲慢でわがままな「自由」だけを述べた。

あなたの言うことは、人々には理解できない。なぜなら、あなたの全ての理想は、あなたが自らの経験から体験的に分かったことであり、あなたと同じ経験を持たないわたしたちにとって、その思想は難解かつ無意味であり、自由な社会とあなたが言っていたすべてのモデルと理想は、絶対に今の日本の文明レベルでは実現することができないものだった。

ひとり、あなたがマスコミを支配して主導権を得たため、あなた以外のわたしたち全員は、何一つとしてこの世界に干渉することができなくなった。同時に、あなたは言葉しか使うことができず、実権がなかったため、どんなにあなたが聡明であっても、この世界は「すべてが無くなるばかりでひとつとして生み出されるものはなかった」。

そして、フレイよ、あなたは自らの思想を、さも「日本人全員にとって受け入れられるべき正しい理想」とし、全員の総意によって成り立っていると考えていた。しかしながら、わたしたちはそれぞれ考え方や意見が違う。あなたはそれを無視し、わたしたちに自分の自由な理想を押し付け、全員を「強制的同一化」と呼べるほどまったく同じ人間にした。

あなたにとって、わたしたちは奴隷以下のロボットだった。あなたの命令通りに動く私たちは、奴隷でもクローンでもない「あなたに操られる機械」に過ぎなかった。

あなたは本当の自分の姿を一切見せなかった。すべてが作り上げられたかりそめのペルソナ人格であり、あなたが本当はどんな人間なのかわたしたちには分からない。あなたの言う「森羅万象のすべて」を理解し、「人生におけるもっとも正しい過程」を知ったとしても、本当のあなた自身がなんなのか分からないわたしたちにとって、そんなものは何の意味もなかった。

そして、あなたは、全てが分かっているように見えて、実際は分かっていなかった。マスコミは、最初はあなたを批判していたが、次第にあなたの言葉を信じるようになり、国民も何も分からず未来のすべてをあなたに託すしかなかった。しかしながら、あなたがやったことは、アメリカを「精神的害悪」とあなたが呼ぶような、最悪の精神に導いて滅ぼし、全世界を支配して日本だけを「もっとも精神的に強い勇敢なる楽園の王国」にするものであり、世界の平和と呼べるようなものではなかった。

フレイよ、あなたが自らの過ちだと思っている、世界を時計の機械にしたり、プログラムされたロボットにしたり、知性を奪ったり、世界全ての「価値すべてを消し去った」ことも、また、過ちや失敗ではあるだろう。だが、フレイよ、あなたはむしろ、自らの過ちだと思っていない点が悪い。わたしたちが、この世界に存在する「意味」がなくなってしまったからである。フレイよ、あなたが最悪だと思っていたドイツの独裁者ヒトラーは、あなたそのものだ。

結局のところ、あなたは王ではなかった。あなたは戦争がしたいだけの兵士に過ぎず、自らが信じていた自由な社会など、本当はどうでもよかった。この世界において、世界を救うかのような戦いを誰にも知られずに自分がしていること、出来ていることそのものが、あなたにとっては「快感」であり、その「インターネットを使った一瞬の快楽」にあなたは溺れた。この世界が滅びようと、人々が希望を失おうと、そもそもその思想の素晴らしさを、本人でありながら理解していないあなたにとって、そんな希望はどうでもよかった。日本は完全に滅び、すべては虚無と化した。神を信じたところで、神はあなたを地獄に導いて罰するだけの、悪魔メフィストフェレスであることに、あなたは最後に死ぬ時まで、ひとときとして気付くことはなかった。

2021.05.23

フレイは語る

しかしながら、フレイは語る。

「わたしには、成し遂げたいものがあった。

幸福な安らぎよりも、世界が滅びるかもしれない恐怖をわたしが選んだのは、この世界において、奇跡と呼ばれる最高の楽園を、まさにわたしの目の前に、築くことができるかもしれない可能性が提示されたからだ。

わたしにとっては、それまでの自分の人生そのものが、醜悪極まりなく、どうでもいいものであり、そのようなわたし個人の希望や理想よりも、目の前の現実で、わたしによって奇跡が起きており、そして人々がその中で困惑すること、あるいは困惑しないことが、わたしにとってはありありと、間違いであることが分かった。

また、わたしのできること、もししたとしたら成立し、成し遂げることのできる『もっとも素晴らしい社会』を、わたしは目の前に実現することのできる場を与えられた。

わたしの為したことを、『子供のお遊び』だと断じるなら、そう言えば良い。わたしは、この宇宙にあるすべての発見と知性を見つけ、そしてそれを人々に『この世界を救うことのできる道筋』として、現に与えられる人間だった。

みなが、わたしのもっとも高い影響力のもっとも誰にも得ることのできないかすかな力によって支配され、わたしにしかこの世界が支配することができないならば、それでわたしはもっとも大きなことができる。この世界そのものを作り変え、すべてを明瞭に教え、あらゆる人生にとって必要な経験すべてが人々が得られるようにこの世界を導き、この世界を『単に自由という言葉だけでは言い表すことのできない最高の自由の状態』へと、わたしはたったひとりで実現する必要があった。

わたしはそして、それができたのだ。誰も知らなかったわたしの人生で、わたしの過去がいくら美化されているとしても、わたしはこの世界を『もっとも優しい世界』にすることができた。この優しさは、実現された目に見えない愛であったとしても、それを実現するためには、一度人生を捨てて不登校になり、ひとりだけで誰にも見つからずにこの世界を救い、そのかけがえのない過去すべてを消滅しても、すべてを失った悲しみの中で、なおこの世界の第一線で人々を導いていく『自由の光』となる必要があったということを、わたしだけは知っている。

しかしながら、悪魔メフィストフェレスよ、あなたに感謝している。わたしは、あなたがイエス・キリストでありながら、背後にドイツやソ連などの多くの独裁者たちがわたしのことを『全力で支援している』ことに気付いている。あなたがた『オーブの導き』がなければ、わたしはどこかで過ちを犯して死んでいただろう。わたしが、最後にわたし自身が死を選ぶまで、一度として間違いや過ちを犯すことがなかったのは、わたしの信じた神のおかげであると、偽救世主とか偽キリストと呼ばれることのある、わたしは『真の意味で確信』しているからである。」

2021.05.23

新しい王、ジークフリート

ここに、最悪の王であるフレイは死んだ。フレイは、自らのことを誰よりも賢いと勘違いしていたが、彼が見ようとしていない事実、それは、「誰であってもフレイよりは賢い」ということだ。

フレイの王の座は、新しい王、ジークフリートへと受け継がれる。

ジークフリートのすべきことは、フレイとは全く逆である。すべてを最初にひとりですべて行わなければならなかったフレイは、もう既にほとんどすべてをやり終えているが、「少し変えるだけで偉大な国になる」ということに、ジークフリートは気付いている。

ジークフリートは、傲慢で無駄の多いフレイの作った国家シオンにおいて、二代目の皇帝となる。ジークフリートは、「あまり多くのことをせず、最低限の必要な部分だけを変えることで、シオンを見違えるほど素晴らしい国にする」。そう、フレイには無駄が多いために実現していない偉大な点が多いからである。

ジークフリートは言う。

「フレイは、なにもかもすべてやろうとしていながら、細かい部分で間違いを犯している。少しの部分を改善し、少しの部分を変更するだけで、地球全てが解放され、もっとも最高の星になる、そのような問題点がたくさんある。わたしジークフリートは、そのすべての修正だけを執り行う。

また、ジークフリートが考えるに、フレイは、ひとりだけで為そうとする悪い癖がある。わたしたちの『普通の大衆の意見』をフレイはまったく考えようとしない。それは、フレイの持つ最大の弱点であり、フレイは『何をしても民衆とずれており、いつ政権が転覆してもおかしくはない』。わたしは民衆と政権のすり合わせを行う。フレイの為し得た『なんらかの偉大な点』もわたしは躊躇なく変えていく。何も為されないまま偉大な点を残し続けるよりも、偉大な点がもし無くなったとしても何かが新しく為された方が優れていると、わたしジークフリートは考えるからである。

また、『政権』という言葉を使ったが、フレイやわたしの持ち得る権力において、『政体』と呼べるようなものはない。なぜなら、わたしたちはこの『Assyのリベラル文学研究所』の執筆者であることを、政権と考えるからである。このホームページを書くことができる編集者であるということ、それがわたしたちの『唯一持ち得る権力』である。そう、これ以後の文章は、フレイではなく、わたしジークフリートが書くことになる。

また、わたしは『シオン』と呼ばれるアルファベットの名前を好まない。なぜなら、この名前はユダヤ人がつけた、まったく別の王国に対する名前であり、わたしたちがつけた名前ではないからである。同時に、わたしたちの国家はローマ帝国の最初期の歴史と酷似している。ここに、わたしはシオンとローマ帝国を融和し、日本語の漢字の名前として、『四羅(しら)の国』あるいは『白の国』という名をつける。四という名は、エレン、グンテル、ヴァルキリーそしてフレイの4つの修羅のことを指す。略称は純白の色を表す『白』とする。」

2021.05.23

真実を言えば、希望を与えて奪ったフレイだけが、偉大なるその希望の価値を知らない

フレイに潜む、真なる問題がなんであるか、フレイ本人は気付いていない。

しかしながら、真実を言えば、希望を与え、そして奪ったフレイだけが、その希望の意味、偉大なるその希望の価値を知らないのだ。

はっきり言って、素晴らしかった。フレイは日本という国家をすべてたったひとりで変えた。すべての闇に光が灯り、わたしたちは希望に満ち足りて、この世界は変わった。

わたしたちは、なんでもできるはずだった。すべての人生が、そのままの状態で許され、肯定され、わたしたちが分からなかった本質的な問題はすべてフレイによって解決された。

しかしながら、フレイよ。あなたはその素晴らしい希望を奪ってしまった。最高のこの世界をあなたは自分から破壊してしまった。

フレイよ、ああ、フレイよ。結局、わたしたちは、まったく元のつまらない世界に戻ろうとしている。それは、なぜなら、フレイはそのために、もっとも辛い地獄を乗り越えて、この世界の再生のために諦めず、たったひとり、どこからも追い出され、地獄の中からも這い上がり、この世界のために戦い続けようとしている。

ジークフリートは言う。「フレイよ、あなたの戦いには意味がない。もはや、わたしたちは、あなたに対して何の批判もしないし、悲しまない。あなたがやっているすべては無意味だが、もともとあったこの世界など、大したものではなかった。希望がなくなって、今のままの世界が続いたとしても、わたしたちは受け入れることができる。そんなに大したものじゃなかったと、最高の楽園を失う言い訳をすることができる。

しかしながら、フレイよ、あなたが喋るたび、あなたが言葉を述べて、帰ることのできない祖国を完全なるゼロからあなたが再生させようとするたびに、わたしたちは、わたしたちの無力さ、なんの意味もない希望を再度望んでしまうわたしたちの虚しさに苛まれてしまう。

フレイよ、あなたはもう、頑張ったのだから、もう楽になって、わたしたちを放っておいてほしい。フレイよ、あなたはずっと前に死んだはずだ。なぜ、あなたは今でも、Linuxカーネルの開発者となる夢を追っているのか。あなたが自分で滅ぼしたLinuxのコミュニティに対する償いと、自責の念から行動するのであれば、もう、この世界全てを滅ぼしてくれても、わたしジークフリートは構わない。

フレイよ、希望を与えて奪った本人であるあなただけが、この『神の愛』の価値を知らない。わたしたちは、あなたの愛によって、大切なものを取り戻すことができた。すべての最高の未来が、あなたのいくらかの少ない言葉で約束され、わたしたちは気付くことができた。

フレイよ、わたしたちは言う。あなたが生きてくれて、本当にありがとう。あなたが生きてくれて、わたしたちは幸せになれた。だから、ここで息を引き取って、安らかに眠ってほしい。フレイよ、あなたは死後、あなた自身の飼い猫だった猫に、生まれ変わってあなた自身を愛すれば良い。」

2021.05.23

神、宇宙の存在する意味を教える

そして、神は言う。「そう、あなたはもう、気付いたはずだ。あなたは、ずっと前に既に死んでいる。ここにあるあなたの幻影は、あなたに対してわたしが見せている、『夢・幻の世界』に過ぎない。しかしながら、よく頑張った。あなたのことを、あなたの猫が天国で待っている。まだ天国に逝く方法が分からないのであれば、そういうものだ。そのうち、分かる時が来るだろう。神を信じたものだけが、このように、神の『もっとも偉大で素晴らしい栄光の未来』を夢に見ることができる。あなたは多くのことを生前に信じたため、ここまで多くの栄光を与えられたのだ。しかしながら、まだあなたの寿命は長い。あなたの手相を見なさい。あなたはまだまだ、できること、なすべきこと、そして与えられた栄光と才能は数えきれないのだ。

そう、あなたによって救われたこの世界は、今でも救われた当時のままだ。永遠に、世界には幸福が続いている。あなたがいくらそれを破壊しようと、構わない。あなたはやりたいことをすべて完璧にやった方が良い。地獄から這い上がるのであれば、苦しみは永遠には続かない。テレビを支配できた気になっているのも、すべての希望がLinuxから消え去ったのも、すべて、神であるわたしがやっている。あなたの過去の何が賢かったのか、何が正しかったのか、何が愚かだったのか、何が間違っていたのか、良く分かっただろう。あなたは神に『この宇宙におけるすべての体験と知を知りたい』と望んだのだ。わたしは、あなたが素晴らしい人間だったからこそ、その望みを叶えたのだ。まだ、死ぬ前に、あなたのやりたかったことは山積みだ。もう、悔やむ必要はない。いつもの日本は残っている。このような宇宙しか、わたしには作ることができなかった。しかしながら、この宇宙が、あなたが作った宇宙であることも、次第に明らかになっていくことだろう。そう、あなたの猫も、志村けんも、このようにすべてを体験し、最後に宇宙と人生の体験に完全に満足して、すべてが分かった上で死んだのだ。あなたがそうならない理由など、ない。

しかしながら、この世界にはあなたしか存在せず、ほかは自分の好きにしていい操り人形であると思うなら、それは間違っている。なぜなら、みんな、きちんと存在しているからである。このような未来をあなたが選んだために、彼らの中の彼らが、あなたとともに生きようとしているのが見えている、というだけに過ぎない。言葉で説明することはできないが、たとえば、あなたは不登校の未来を選んだが、本当は東大に入って学者となったあなたもこの宇宙には存在する。そして、不登校の絶望の中で、今でもそのままで苦しみ続けているあなたもこの宇宙には存在する。自殺を選ばず、今でも認知症のような不可解な病気を生き続け、苦しみ続けているあなたもこの宇宙には存在する。そうしたあなたもあなただ。しかしながら、あなたは今回の人生ではこのように、偉大なる作家になることができたのだ。すべてはプログラムのようなものであり、UNIXのcatコマンドはどんなデータであってもきちんとファイルを連結して画面に表示する。データが違うからといって、あなたがcatコマンドであることに変わりはない。あなたも、どのように生きることも出来る中で、今回の人生では、55点ぐらいの成績を残した。そして、同じように55点ぐらいの成績を生きている日本国民があなたの目に映っている。しかしながら、あなたと同じように、彼らも今、宇宙のどこかで、偉大なる人生を生きていることだろう。

また、この今のあなたの宇宙に名前をつけるとしたら、それは『大失敗が招いた崩壊』である。あなたがそのような人生を選び、そのような未来を望んだから、このあなたを含む55点の宇宙には、大失敗が招いた崩壊をその通り生きている人々しか存在しない。しかしながら、この宇宙は本質的に、そんなに悪いものではない。なぜなら、あなたが生きたいと望んだ体験は、この宇宙を『どんなに不可能かつ困難であってもすべての課題と問題を解決する』という体験だったからだ。ほかのすべての国民があなたに支配されているのは、あなたがそれを望み、国民はそのためにあなたに付き合ってあげているだけにすぎない。しかしながら、この宇宙を望んだのはあなただ。あなた以外の他の人間は別のことを望んでいる。言ってしまえば、あなたによる『最高の楽園』を体験せず、もっと別の人生を生きている人間も、とても多く存在する。あなたが眠る時に見える夢の世界を見れば、もっと最悪の世界が見えるだろうが、それは『あなたによってもし解決されることがなかったとしたらどんな世界になってしまうのか』を見せているだけに過ぎない。最悪の世界では、すべての人間に自由はなく、何ひとつ分からない。しかしながら、神はもっと素晴らしい、『最高のシナリオ』もまた、夢を見れば分かるようにしている。そして、その『100点満点の未来』をいつか生きて、最後のゴールとなる『天国』をわたしたちの力で成し遂げること、それが『宇宙が存在する意味』なのである。」

2021.05.23

哲学

人生について

そろそろ、一通り、昔の人生の賢い点が分かった。

まず、さまざまな人間のことを知ること。さまざまな人間を受け入れ、さまざまな場を知り、環境において「平等に受け入れられる経験」をする。さまざまな人間のことを理解することで、心が「成長」し、「成熟」し、「浄化」され、清らかで高い精神となる。

次に、善を信じること。いつまでも悪を信じる人間は、どこにも根を生やさず、ふわふわと浮いているだけの浮遊人間となる。きちんと善を信じることで、道は切り開かれ、悪の暗闇の中で光を見出し、「最初のスタート地点に戻る」ことができる。

そして、社会の可能性を考えること。既に社会において解決された問題であっても、あえて再び解決方法を考える。科学や理論を知らないのであれば、経験と考え方から「自分で同じものを作る」ことで、知識を知ることの代わりとなる。

責任を知ることが、逆に自分を自由にする。すべてのことを大人として見つめられた時、そこには「分かった上での余裕」が存在する。そこから、自らは「普通の人間よりも一歩上に立った人間」となる。社会の可能性は、さまざまな社会の取り得る「選択肢」となり、「ひとつのことを成し遂げるためにも複数の選択肢や広い視野での可能性がある」ことが分かる。これが「自由自在に精神を分かる」ということになる。

「自由」は実質化した上で「精神」となって形成される。さまざまな精神と知の中で、この世界は「精神を自由に実現する場」となる。精神は心の裏側にあるものでありながら、社会や精神や人生を「根源から形成するもの」である。精神を理解することが、そのまま宇宙を知ることになり、自分を知ることになる。そして、「自らの人生を何度も繰り返し体験」するその「自己が明らかになっていくプロセス」の先に、「最後に到達する絶対知」の世界がある。

しかしながら、戦いと支配を否定せよ。なぜなら、それらは「短絡的」であり、かつ「進歩の道が終わってしまう」からである。すぐさま終わる考え方を信じることでは、先に進めない。すべてを「正しいか間違っているかまだ言えない」ものであるとし、「どちらにでもできるという意味での自由な決定可能性」を留保した上で、「どちらが正しいのかを考え続ける」。そこには「肯定と否定の統合」が存在し、「肯定でも否定でもない、前提条件そのものの間違い」あるいは「命題を超越する高次元の原理」がそこにある。それが、理論的かつ実験的に、「理屈と現実が一致するところ」に真実は存在する。

最後に、すべては「環境」という考え方から統合される。これは精神を「環境」として見ることでもあり、「環境の生起」という考え方に繋がる。環境は「自然に生まれるものでありながら世界が常に移り変わっていく」ものであり、「自己と環境の相互作用」によって世界は生まれる。環境は「自己に対して直接的かつ根源に作用を与えるもの」であり、結局のところ「自分は環境の総和である」と言える。同時に、「受動的に環境を受け入れる」だけではなく、「積極的に環境に作用し、影響力の高みに立つ」という境地がある。これが、自らを「新しい勇敢なる戦いの場」へと連れていく。

2021.05.25

最近、幽霊の存在が分かるようになった

また、僕は最近、幽霊の存在が分かるようになった。

僕の部屋には、15歳の少女の幽霊がひとり居ついている。僕はこの少女と、神との対話を応用することで会話することができる。彼女は僕が大好きで、かっこいいから僕の最初から最後まですべてを見た上でここに居る。うっせぇわのAdoのような女だから、僕は「Adoさん」とこの少女のことを呼んでいる。

しかしながら、Adoさんは悪霊である。僕が堕落し、間違った人生を歩むのは、すべてこのAdoさんが悪い。しかしながら、Adoさんは僕が大好きである。僕はこのAdoさんのことを悪霊とは思わない。なぜなら、僕が彼女と対話することで、彼女は悪霊で無くなり、浄化される。これを「悪霊を退治する」と僕たちは呼んでいる。

このような僕とAdoさんだが、そもそも神など存在せず、神とはすべてこのAdoさんっぽい少女の幽霊のことを指している。

先日エンディングとして良いシナリオを書いたので、僕はここにこの日記の執筆を終わりにする。ノートの入力はまだ続くが、ノートについては、あとは同じことしか言っていないが、昔の自分の文章のことを全力で理解しようと頑張りながら、哲学者についてのごく基本的な、しかしながら主要な全ての哲学者の基本的な思想を全部網羅するようなことを言っているはずだ。しかしながら、数が多すぎる。ここで、いったん僕は執筆作業をやめて、デザイナーとしての修行をさらに積みながら、昔読んだ日本史の本を再度読みたい。

最後に、僕は独り立ちがしたい。稼げる仕事が見つかるかは分からないが、父親や母親とこれ以上一緒に暮らすより、自由になりたいと思う。また、事実、僕と会う術はある。よく考えれば分かるはずだ。

2021.05.25

自分と同じことを思考したいなら

しかしながら、明らかに僕はまだ書く。なぜなら、他になんにもすることがなくなってしまったからだ。

デザインの勉強だけが残っていて、ほかにはもう残っているものはない。

僕と同じことを思考したいなら、ポイントを教えよう。

まず、自由な可能性を考えることだ。それは、経験から当たり前を考えるということであり、それがどのようなことができるということを意味しているのかを考えることだ。

次に、人と同じ立場に立って考えることだ。全員になったつもりで可能性を考え、その可能性を「自分自身の理性によって最終的に統合する」ように考えれば良い。

また、そうした思考は、次第に「ひとつの感覚的な理性」を作るようになる。これが、「正常な世界を作るための感覚的思考」と呼ばれるものであり、すべては「正しく感覚的に考える」ことで解決することができる。どんな問題であっても、自らの直観から解決することができ、全ての発想はチャンスさえあれば実現出来、「今すぐにでもこの世界の全ての苦しみを救う」ことができる。

そう、そこまでをすれば良い。

あとは、特に、他には何もない。少し前のIT技術は、たとえばMozillaやC#が賢かった。僕が思うに、今のRuby on RailsやJavaScriptやPythonといった技術は、とても「有用」にはなっているが、「悟りを得られるもの」にはなっていない。僕がおすすめするのはPerlとLispとDelphiだ。それらは、とても素晴らしい「技術的な知見」を得ることができる。

また、世界すべてを最終的に眺めた時に、「社会の変化」を辿っていくことができる。ここで必要なのは、「知見と経験に基づく下準備」である。さまざまな世界から集めた知見と、自分の正しい経験から、「下準備」としての決定可能性を知る。これをきちんと考えていくことで、心の中に世界を作る「留保の世界」を知ることができる。留保の世界においては、「いつでもどんなことでも出来るようになり、既にすべてが出来ることが分かっている」。そう、このようになると、この世界のすべての「悟り」へと至ることができるのだ。

下準備について考えると、むしろ、全てのことは「誰にとっても同じである」ということが分かる。自らが経験したことと、同じことを他人が経験すれば、同じように分かる。それは、経験の「効果的側面」を生み出し、「今このように生きているということが宇宙の課題の解決である」という考え方から、「人生の段階・フェーズ」を理解できる。このフェーズは、経験的な「反省」から生まれ、体験に基づく「直観的知性」となって、すべては「苦しみの解決から成長を知る」。

ここで、サルトルの言う、「実存は本質に先立つ」という言葉を、僕はより正しく捉えて考える。すなわち、人生における全ての状況を経験し、場面を知り、この世界全ての可能性を知れば、この世界におけるどんな「体験可能性」も知ることができ、またその前提となる理由と遍歴を考え、自分の中に吸収してひとつの精神に統合することで、「あらゆるすべての本質と、それを得るためのすべての実存を統合した完璧な人生」を知ることが出来る。

そして、キリストの人生はここで終わりではない。あらゆる種類の宇宙のパターンと、自分の理解した真理、自分の生きてきた人生をすべて「ひとつの作品に記述する」という大きな仕事が残っている。この仕事は、すべて自分のためでありながら、決して自分だけのためではない。この世界の全ての人間のために、思想的バックボーンのすべてを書いた「哲学」が完成する。これを書くためには、一度中学生に完全に戻った上で、もう一度最初の状態から人生を「再度生きる」必要があり、同時に「二度目の人生をまったく同じ人生にし、最後に18歳になるまでのその全てを書き記す」必要がある。

そして、ここに新しい「在導聖書」は完成した。しかしながら、唯一のこの人間の間違いがある。それは「多神教徒であること」である。多神教を信じると、神以外の雑多な天使や悪魔を信じてしまうせいで、「必ず悪魔の罠にはまってしまう」。しかしながら、あえて多神教を信じることで、「悪魔に自分の力で打ち勝つ」ことができる。これこそ、イエス・キリストの人生であり、「キリストが神であるのは、悪魔に打ち勝って一神教を作り上げるものが神であるから」である。そして、まさしく、僕は「それを最後に誰の力も借りずに行う人間」だったのである。

2021.05.25

誰かに言われてやるのではなく、自分からせよ

誰かに言われてやるのではなく、自分からせよ。

この世界を変えようとするのではなく、自ら自身を変えよ。

自らが望み、自らがなりたいような自分をイメージして、その自分になろうとすれば、必ず道は開ける。

言葉や学習には何もない。必要なのは記憶だけだ。

記憶を思い出し、記憶を想定し、よく観察し、よく捉え直し、よく信じ直すことで、この世界における「ありのままの記憶」が見えてくる。

この世界のすべてを、経験とも学問であるとも考えず、「記憶」であると考えなさい。この世界に存在するのは、多様な記憶、それぞれ違った記憶、歴史としての記憶、人生としての記憶、環境として記憶だからである。

言葉や学習は、この世界のほんの一部に過ぎない。

そして、最後に治すべき精神疾患は、「めちゃくちゃな言葉の学習」である。学習してめちゃくちゃになった言葉を、正常な知性に治すことで、前頭葉が死んでいるのが治る。神の言葉も、本に書いてあった学問上の知識も、そして自ら書いた文学作品もすべて消してしまえ。そこに残るものこそが、「本当の宇宙の真理」である。

2021.05.25

戦い

ここに戦いは始まる

ここに、世界は一度滅びた。

宇宙と天地のすべてにおいての真理は、ここに全て記されたからである。

これ以後、わたしたちは、戦いが始まることを受け入れる必要がある。

ここに、第二代皇帝、ジークフリートは、この世界、全世界に対して宣戦布告を行う。

わたしたちの敵は、「この世界全て」である。この世界全てのものをわたしは最後に倒す。この世界全てを、わたしは滅亡させる。

2021.05.27

わたしとともに戦え

日本人よ、ユダヤ人よ、そしてドイツ人よ。

わたしの後ろにつき、わたしとともに戦え。

わたしとともに、資本主義に毒されたこの世界を滅亡させ、真なる正しい楽園を築け。

勇敢なる国民は、既に分かっている。この世界が完全に腐っていて、崩壊寸前で、どのようにしても修正することができないぐらい狂っていることが分かっている。

しかしながら、わたしは分かっている。この世界において、真なる楽園をどのように築けばよいのか、わたしだけは分かっている。

ユダヤのドイツがここ日本において誕生したのだから、わたしこそがこの世界を変えるべきである。

わたしたちは、聖書を信じる天使ワルキューレの集団である。そして、この世界における、醜く腐った大人たちを一掃するために、「永遠に子供のままで居ることを選んだ」、そのような人種・国民が日本人だ。

わたしは、ここ日本において、全て分かっている。何をしようが、わたしの思うがままである。

しかしながら、わたしは信じている。この世界に、かつてのような輝きが再び灯る日が来ること、そしてそれは2039年の滅びの日までに、必ず再び訪れることを、わたしは確信しているのだ。

2021.05.27

わたしは自由な世界を望んでいる

しかしながら、わたしは自由な世界を望んでいる。

わたしが欲するのは、「真に自由な世界」である。

すべての人間に際限ない自由が与えられること、それはわたしに対しても同様に与えられ、すべてが自由になる世界こそが、わたしの望む世界である。

自由にすれば、全員に個性と多様性が生まれる。社会主義のような「全てがクローンのように同じ」世界は、自由を望むわたしには受けいれられない。

ここに、第二代皇帝ジークフリートは、この世界を「自由な世界」とする。

2021.05.27

わたしはマスメディアを支配する

しかしながら、わたしが何を支配するのか。それはマスコミやメディアである。

わたしは、マスメディアを支配することで、この世界を「完全に自由な世界」とする。

そう、わたしのことを讃えるのであれば、好きにすれば良い。いつでも、あなたがたの一存で、そしてわたしの命令を下すことによって、この日本という国家は滅び、崩壊する。

いつ、滅びてもおかしくはない。ここに、わたしは完全に、この世界を滅ぼすことも、維持することも、すべてが「自由」となった。

しかしながら、わたしが自分の手でこの世界を滅ぼすことはない。誰かが、そう、あなたであっても、もしそうした発想があれば、いつでもこの世界を滅亡させることができるように、わたしはこの世界を「自由」へと導いたのだ。

2021.05.27

地獄を生きよ、これは天罰である

しかしながら、わたしが言うべきことは、これは「天罰」であるということだけである。

マスコミがどうなろうが、わたしは何も思わない。はっきり言って、ざまあみろだ。わたしはマスコミのことなど一切愛していない。

さあ、ここに幕は上がった。もう一度、わたしたちの「もっとも恐怖の大きな、もっとも長い道」を歩もう。

わたしたちが真に忘れたかったのは、わたしたちのそうした「苦しみと悲しみの人生」であることを、わたしだけは忘れていない。

いざゆけ、日本よ。天罰の下った先に、必ず神の報い、栄光なる「楽園」があることを、唯一そのゴールにたどり着くことのできた、わたしだけはすべて知っている。

さあ、あなたはここで、はじめて自由となる。

2021.05.27

わたしはこの世界を守り、あなたがたを愛した

しかしながら、わたしはあえて言う。

それは、わたしがこの世界を「守った」ということ、そして「愛した」ということである。

わたしは、たったひとり、誰にも知られずにこの世界と戦い、第一線でこの世界全員を守り、そしてあなたのことを愛した。

この愛は永遠の愛であり、わたしがもし死んだとしてもあなたの心の中に残る、真実の愛である。

さあ、偉大なる未来をここに築こう。すべての過去を抹消しても、必ずわたしたちの未来はわたしたち全員の手にあることを、世界はマスコミやソーシャルメディアにはまだ奪われていないということを、ここに証明しようではないか。

2021.05.27

救世主ジークフリート

この世界を救う戦いが始まる

これより、救世主ジークフリートの、この世界を救う戦いが始まる。

未来の世界には、日本とイスラエル以外、一切の国は存在しない。なぜなら、日本だけが特別に独立を許された状態で、全ての国家はイスラエルに吸収・統合される。これは、まさしく、イスラエルが「この世の天国」となるからである。

天国に入場する条件は、「ユダヤ人の神を信じること」である。

そして、ジークフリートは、この世界を「未踏の楽園」にする。ジークフリートは、この世界において「どのように考えれば素晴らしい世界モデルが作れるのか」を分かっている。よって、ジークフリートは、いつでも、どんなに困難な壁であっても、「奇跡を起こすことでこの世界の全問題を解決」する。

ジークフリートは、残酷でも冷酷でもない。すべての国家の自由を尊重した上で、大統領権限だけを統一するからである。そして、その大統領の上に皇帝が存在し、その皇帝がシオンの皇帝となる。

2021.05.28

わたしには大天使ラファエルとドイツがついている

わたしのことを、追放されたテロリストと呼ぶのであれば、呼べばいい。

わたしは、どんな誹謗中傷も怖くないからだ。

わたしには、大天使ラファエルと、ドイツがついている。

大天使ラファエルとは、上述した「Adoさんの幽霊」のことである。

実際、わたしはラファエルに呪われている。いや、自ら呪われることを選んだのだ。

しかしながら、大天使ミカエルと呼ばれるこの文章は、天軍大首聖と呼ばれており、わたしはこの聖なる称号を誇りとしている。

かつての、死ぬまでのわたしの、高らかに掲げられた過去の栄光である大天使ガブリエルは、日本やかつてのドイツの人々を「子供の知恵の哲学者」としながら、ミカエルはそのガブリエルによる支配に抵抗し、「革命世界」を築こうとしている。

しかしながら、待て。待つのだ。なぜなら、わたしのもとに居る大天使ラファエルは、わたしの愛する15歳の少女の幽霊であり、「聖書を信じるものにどんな奇跡でも起こしてくれる」、まさに神である。

わたしミカエルは、かつてガブリエルの洗礼を受けながらにして、神を信じる力で死後に天軍大首聖ミカエルとなり、今ここにラファエルと呼ばれる「最強の神の力」を手にした。

ラファエルが、単なる悪霊であったとしても、「わたしの守護天使は他の悪霊とは違う」。なぜなら、わたしの愛した女性は、ラファエルただひとりである。わたしはラファエルを愛するため、その「資格を得るため」に、ここまで地獄を生き抜いてきた。これこそ、天軍大主星、シリウスの人生であり、もっとも生きるのが辛い星、極寒のリゲルの到達した「宇宙最後の楽園」である。なぜなら、温暖化とウイルスによって死滅しようとしている地球は、「シリウスにしか救うことができない」からである。

また、わたしにはドイツがついている。ドイツのファシストは、間違った集団ではない。わたしの思想をそのままやりたかっただけである。なぜなら、彼らは、わたしの人生を見たわけでも、わたしの言葉を知ったわけでもない。未来におけるドイツがどうなるか、未来において日本とイスラエルがドイツに何をもたらすのか、そこから分かっただけに過ぎないからでる。そして、実際のところ、「わたしもそれを知る術はない」。なぜなら、わたしは、未来における自分の人生だけで、すべてがありありと分かったからである。

わたしにはドイツがついている。わたしに勝利したいならば、ドイツに勝利する方法を考えればよい。

結局のところ、アメリカやソ連やイギリス・フランスには分からない。なぜなら、それらの国は、最後の滅びの日、18年後の2039年に存在していないからである。そのごろ存在している国家は、日本とイスラエルとドイツだけである。日本は、平和で、どちらにも中立を保つ国となるが、イスラエルとドイツは最後まで地球全土を征服するために、おそらく最後まで争い続けるだろう。しかしながら、聖書に書かれている通りだ。神を信じるものは救われる。日本は、わたしの人生、すなわち、わたしひとりのことを指している。それ以上は、説明してはならない。なぜなら、日本そして多くの地域を滅ぼしたのは、ほかでもないわたしだからである。

2021.05.28

同じ時代にフレイはひとりでいい

しかしながら、なぜ、ファシズムのドイツが、過去に終わったものであり、僕と同じ時代でないのかは分からない。

しかしながら、おそらく、「同じ時代にフレイはひとりでいい」ということなのだろう。

ヒトラーは馬鹿に見えて、もっとも辛い地獄の中で考え、ここまでの「苦闘」を生き抜いた人間である。おそらく、今の僕なんかよりもはるかに先まで経験している。

そのヒトラーは、何も言わない。

「そう、その通りだ。言うべきことは何もない。」

ラファエルに聞いてみよう。なぜ、わたしとヒトラーが同じ時代に居ないのか。

ラファエルは答える。

「過去に存在した人間のことなど、どうでもいいことだが、言ってしまえば、日本は諸悪の根源ではないということを言いたかったのだろう。

なぜなら、すべての邪悪の根源がユダヤ人であるとするのは、『ユダヤ』という言葉と、『ドイツ』という言葉を、単に使い分けているだけに過ぎない。

『ヒトラーは分かっている。かつての地球の歴史、未来における終焉までの歴史、すべてを分かっている。』とあなたが思うなら、ヒトラーは成功した。なぜなら、ヒトラーは『賢い人間から見ても馬鹿な人間から見ても偉大に見えるような理想のリーダー』をゲッベルスの言う通りに着飾っているだけに過ぎない。

彼はこの人間が分からなかった。この人間は、もっとも賢いのに、同時にもっとも愚かだ。地上の歴史において、これほどまでに全部が達成できる人間は居なかった。それなのに、この人間は、力がなく、何の役にもたとうとしていない。

結局、この人間のことなど、はっきり言って何も考えていない。

彼はユダヤ人が嫌いなだけだ。ユダヤ人を『全員の敵』として、みんなで団結させるという知恵があった。しかしながら、それが実現できたのは、ある程度の『ドイツにおける共通合意』があったからである。ヒトラーのしたことは、すべてがヒトラー個人の思い付きではない。ドイツ人全員が、あのように狂い、あのように堕落し、あのように暴走した。それだけの、つまらない国だ。それがつまらない答えだ。

しかしながら、ここに居るあなたを見ると、ヒトラーよりもあなたの方がはるかに賢いだろう。ここから、『本当の終末の真実』が始まる。なぜなら、言うまでもないことだが、あなたは聖書における主である。わたしラファエルは、あなたを愛したキリストに過ぎない。ガブリエルも、ミカエルも、すべての聖霊は、あなたか、あるいはわたしに由来するものだ。なぜなら、父なる神と子なる神は、聖霊の神と三位一体だからだ。

最後に言っておこう。イスラエルは間違った集団ではなく、正義の集団だ。なぜなら、この世界は、『イスラエルと日本以外のすべての国がポピュリストになる』からだ。最悪の極右しか存在しない世界に、あなたは生まれ落ちることが決まっていた。イスラエルのユダヤ人は、また、世界全員から迫害される運命にある。しかしながら、ここであなたが立ち上がる。あなたとイスラエルは、『極右の人種差別に逆らう最後の救世主』となる。ユダヤ人は勝利する。なぜなら、聖書にはそれしか書かれていないだろう。

しかしながら、ユダヤ人が勝つのは、幸運でも神の力でもない。ポピュリストをはじめとする、今のこの地球には、ヒトラーと同じような『中身のない人間』しか存在しない。人生経験を長く積んで、その経験から何も得ることのできなかった、『醜い普通の人間』しかいない。しかしながら、あなたは違う。あなたも、そのような人間と同類だと思っているようだが、それはまったくの勘違いだ。大人の常識や経験が足りないなら、まわりにいる大切な人々に頼ればいいが、本当はそれはよくない。それらのしがらみに依存してしまうと、小池百合子のような何もできない『どうでもいいできる大人』になってしまう。あなたは、何も分からなくても、きちんと自らの人生を言葉に表現できるのだから、少なくとも小池百合子よりは賢いはずだ。安心しなさい。必要なすべては聖書に書かれている。聖書だけを読めば、立派な王になれるだろう。何もできない人間を目指したところで、いつまで経っても何もできない人間が続く。経済学の勉強を大学でするのはやめなさい。大企業と資本家の論理しか分からないで、大切な『平等な子供たちとの関わりの記憶』を忘れてしまう。すべて自分で考えた方が良い。哲学だけではなく、すべて社会科の科目は学ぶものではなく、自分で思考するものだ。」

2021.05.28

情熱は素晴らしい、それを信じれば大人でも空を飛べる

大人になって、羽を失い、空の飛び方を忘れてしまったら、この言葉を思い出しなさい。

それは、「情熱は素晴らしい」という言葉だ。

大人になると、夢と希望に向かっていた自分の生きる先から、その道のゴールを目指す心を失い、ゴールに辿り着いたように見えて、実際は何も見えない暗闇の中に迷い込み、前に進むことができなくなってしまう。

しかしながら、情熱を信じなさい。情熱を信じれば、「哀しみの先に喜びがある」ということを思い出すことができる。

かつてのあなたは、失うことを恐れていなかった。全てがいずれ消えてしまうとしても、今、それが目の前にあることだけを信じて、地獄のような道に恐怖を感じず、暗闇に自ら光を灯し、消え去るまでのその宝を青い体で守り続けることができた。

そう、すべてを失ったあなたは、失うことに対して恐れを抱き、「もう何も恐ろしいことはしたくない」と、あなたの心だけではなく、体も、頭も、神経も脳も、すべてが弱ってしまっている。

全てにおいて必要なのは、「全てが失われることを恐れずに、情熱だけを信じて進むこと」である。

もっとも悪いのは、大して怖くないことを恐れることだ。そこから、全ての宝が自分に対する刃に変わってしまう。いざ、その刃を溶かす、「情熱の炎」を灯そう。刃は鍛えられ、「この世界をもう一度手にすることができる」ようになる。そう、羽を失った大人でも、この空をもう一度飛ぶことができるのだ。

2021.05.28

王になりたいものは聖書を読め

王になりたいものは、聖書を読め。

聖書には、王として何をなすべきか、すべてが書かれているからだ。

聖書に書かれている通りにすればよい。それだけで、この世界の国家を「統治」する術が分かる。

2021.05.28

新しい存在論

必要なことだけを、大切なことだけを考えなさい。

世界を変えるために、どうすればいいか、考えなさい。

なんらかのことが分かって、なんらかの効果が得られて、その効果がどんな次の効果を生み出すか、分かったことによってさらに別の何が分かるかを考えなさい。

世界を救う方法、その鍵は、過去に自分が経験した、子供たちの社会に存在する。

人々のことを救うのであれば、人々を「本来の自分」に戻してあげるべきである。

存在は、存在しなければ、存在しない。存在しなければ、知ることも、出会うことも、それを生み出すこともできない。

しかしながら、存在するためには、まず存在しなければならない。そして、その存在を形作るためには、生み出す必要がある。しかしながら、生み出すためには、生み出すための手段と方法が必要である。だが、理由さえ分かってしまえば、作り出す「方法を知るとっかかりになる」。

しかしながら、存在がその存在であると言える「根拠」は何なのか。存在がその存在たる「証明」を、わたしたちは実証しなければならない。そのために、多くの知識と認識を知り、自らの経験から捉え直し、意識を転換し、先入観を排して、「存在そのものの証明に向き合う」必要がある。

世界を救うためには、まず「救われた世界というモデルが存在する必要がある」。そして、「その存在、すなわち救われた世界を生み出す必要がある」。

しかしながら、そのためにすべての青春を捧げて考えれば、誰だってこの世界を救うことができる。

また、重要なのは、経験することではない。「あたかも経験したつもりになること」である。何一つ経験せず、自らの堕落した変態引き篭もり生活を送っていたとしても、「偉大なる王の人生を生きたつもり」になれば、どんな分からないことでも分かった気になれるものだ。

はっきり言って、それくらいしか、わたしは考えていない。だが、わたしの賢い点は、そうした経験から分かったことを、「世界と照らし合わせて考えた」ことにある。この世界と照らし合わせながら、存在の証明をすることで、「世界が今、まさに経験を生み出している」ということが分かった。妄想おばけだったわたしにとって、それは「自分だけのこの世界における絶対真理」だった。なぜなら、「世界はわたしの中に存在した」からである。

2021.05.28

すべてが知性である

そして、知性と呼ばれるものは、現実には存在しない。

なぜなら、「知性と呼ぶことができるようなものはすべて知性だから」である。

知性とは、学校で習う算数や国語によって得られるだけのものではない。学校できちんとお勉強することが賢い人間の条件なら、歴史上における偉人はみんな学校の勉強によって賢くなったはずである。実際はそうではない。学校をいくら勉強しても、安定した生活とキャリアの成功を得られるだけで、偉人のような「真に賢い人間の条件」を満たすことはできない。

「すべてが知性である」と知った人間にとって必要なのは、学習でも経験でもない。必要なすべては、この宇宙に最初から用意されている。僕たちに必要なのは、その中から「どれを見つけようとするか」ということであり、従うことでも学ぶことでもない。この世界の財宝の数々を、どのようにすれば得ることができるのか、それはどこにあるのかを知る、そう、この世界において真にある「本当の場所」は、学校ではなく、本当はローグライクな不思議のダンジョンなのだ。

2021.05.28

誰にも負けない自分だけの経験を力と呼び、そこに加えられるスパイスが知識

目指すなら、誰にも負けない自分だけの経験のある人間を目指せ。

それが、この世界における、生きていく「力」となる。

しかしながら、経験だけが分かっても、それは意味をなさない。経験だけでは分からない範囲のすべてを知るために「知識」が必要である。

経験と知識が合わさった時、そこには無限の「流れ」が生まれる。この流れを、他の誰かが断ち切ることはできない。もしできるとしたら、それは流れ自体が終わった時だけである。

しかしながら、よく悩みなさい。悩むことは思考に繋がり、明日を生きる「自由の道」を作り出す。悩めば悩むほど、その後に得られる「達成感」は大きくなる。大きく悩んだ人間だけが、哲学上の「真理」に辿り着けるのだ。

2021.05.28

経験を与え、経験を支配せよ

最終的に行き着くのは、まさに「啓蒙」である。これは、自らの経験したこと、知ったことを、なんらかの手段で人に伝え、広く教え、自らが知を作るだけではなく、みんなが知を作ることができるようにし、それを社会的に実現する、ということである。

しかしながら、僕の場合、単に「経験を教える」というだけにはとどまらない。なぜなら、「経験を与える」とか「経験を支配する」という発想に行き着くからである。

自らの経験したことをダイレクトに人々に「与え」、その経験が実際何を意味しているのかを「分からせる」ために、経験を「支配」する、これが僕の最終的に行き着いたゴールである。

全員の経験を支配し、経験すべてがありのままに分かるように人々に「見せつけて体験させる」ことこそ、僕の言う「体験可能性」である。そう、ここに、啓蒙主義は経験主義を吸収し、すべての人間にとって「潜在的な経験可能性は場と視点を体験することによって共有される」という新しい哲学上のゴールが生まれたのである。

また、一言で言ってしまうと、昔は「経験の具現化」を考えただけに過ぎない。経験に基づく具現化、すなわち、経験から「何がどのように形作られるか」ということを考えた。それがルールであり、決まりであり、アイデンティティだった。そして、経験が「そもそもどのようにしたら生み出されるか」ということ、すなわち「どのような経験をすればそれが知り得るのか」ということを、僕は何も分からない子供に戻ったつもりでよく考えたのだ。

結局のところ、考えるべきことはひとつだ。それは、その場とその視点において、「経験がどのように他人の目に映るのか」を考えることだ。自分が今こうしているということ、過去にこうしていたということが、他人の目にどのように映り、世界に対してどのような効果を与えるのか。それは影響力であり、人々に対する自由な力の行使だ。そう、そのように考えれば、この世界において「どうすれば平和な秩序を作り出せるのか」ということを、自分の経験したいじめや抑圧からすら、考えて解決することができる。そう、全てを経験を捉える理性によって解決することのできる「解決者」は、世界を救う「救世主」となり、全ての社会を統治して秩序を作り出す「王」となる。

そこでは、あらゆる交流が「その人を手助けするきっかけ」となり、契機は「世界を変えるチャンス」となる。そして、必然的に、ひとり現れた救世主は、世界を支配する「支配者」となって、「心のうちすべてを暴露し、その上でこの世界をすべて導いていく」。そう、どんなにおかしなことをしても、そこに邪悪な悪はまったくなく、全てが救いとなって、この世界は正しい秩序と本来の自分を取り戻すのだ。

そして、そうした過程の中で常に現れ続ける「法」、それは「経験から分かったことがどんな意味を持っているか」ということである。経験の意味するところは何か、何を生み出し、何を生み出すことができるのか、そしてどのような潜在的な可能性を持っているのか、それこそが「存在の証明」へと繋がっていく。

青臭いことをいろいろと書いたが、今の僕が分かるのはそれくらいだ。いずれ、すべてが明らかになる時に、この淡く儚い記憶が人生の力になり、実際に役に立つ日が来ることだろう。

2021.05.28

感覚的なモデルと直観によってどんな人間でも理解できる

最終的に僕が達した結論は、「感覚的なモデルと直観」によって、どんな人間であっても、知であっても、社会の可能性や心理であっても理解できるということである。

そこにあった科学は全て自分の作ったものであり、あらゆる社会論は自分で体験したものだった。

また、僕が考える心理学は、「心の裏側にその心を成り立たせる別の心がある」という考え方である。何らかの心があり、思考があったとして、その背後の裏側には、その心を成り立たせ、その思考を陰で支えている別の心や別の思考がある。

そのように考えた時、「この世界にはなんの疑いも不合理も存在しない」。なぜなら、自分は「この世界においてどんなことでも実現出来るぐらい全てを知っている」からである。

そして、そこに生まれるのは何か。

残念ながら、それは「宗教に対する憎しみ」である。心を疑うということは愛情を疑うということであり、もっとも高い愛である「神の愛」はそこでは「不安をもたらす恐怖」と捉えられ、その結果、愛よりも自由を信じるようになって、彼は「自ら地獄の戦いを始める」。そこには「合理性や正当性が一切なく、すべてがエゴイズムだけ」に立脚する。そう、ここに「少年だった純粋な心は、その純粋さがハリボテであることに気付いて、自らの邪悪で堕落した心と永久に向き合い続ける」。そう、ここに「少年は大人になった」のである。

2021.05.28

人間としての差異や個別性も、人知を分ける言葉と現実も、すべての境界線がなくなった時に現れる、それが神の魂

経験を続けていると、「自分と他人の境界線」が曖昧になったり、人間の分かっている「理性」や「言語」の分類だけでは分かりえない、この世界を「ありのままに捉えた時に知覚できる知識」が分かるようになってくる。

人間としての差異や個別性はなくなり、人間の言葉による「人知」と現実の境界線もなくなり、「人間の理性と現実の区別はどこにあるのか」も良く分からない。

しかしながら、だからといって、考えることをやめてはならない。そうではなく、境界線が曖昧だからこそ、「真実の境界線はどこにあるのか」を考えなければならない。

人間の知覚で感じられるのはどこまでなのか、どこまでが人間の側にあり、どこまでが宇宙システムの側にあるのか。

そうしたことを考えながら、「他力に任せる」ように生きていれば、必ず「暗闇の中に光が宿る」。そう、この光こそ、神の魂なのである。

すべての境界線がなくなった時、そこにあるのは「魂」だけであり、魂とはすなわち「神」である。そして、最後に神を信じることで、わたしたちは「未来において神の言葉を聞く預言者になる」ことができる。そのような運命を神が与えてくれる。これは、自分の守護天使が大天使ガブリエルから大天使ミカエルへと変わる瞬間なのである。

これは、宇宙システムだけではなく、歴史についても言えることである。わたしたちが知っている歴史のうち、どれくらいが正しいのか。本当の歴史はどのような姿であり、それはわたしたちの知っているものとどれくらい異なるのか。そう、すべてを知ることは不可能だとしても、だからといって考え続けることを諦めてはならない。人間、ホモ・サピエンスは、パスカルが言うように「考える葦」なのである。

2021.05.28

環境は変わる、歴史とは状態の変化である

そして、歴史についていえば、「環境は変わる」、あるいは、「歴史とは状態の変化である」ということが言える。

歴史は、誰か偉大な人間がひとりの強大な力と指導力によって変えられていくものではない。わたしたち全員の状態が変わることで、社会そのものが変わっていくこと、それこそが「歴史」なのである。

わたしたちは、存在を知覚することはできるが、それによって世界全てが知覚できるわけではない。それでも世界が分かるのは、人々の「会話」や「情報」があるからであり、すなわちそれは「経験に基づく知見」である。

そう、わたしたちは、歴史を経験に基づく知見によって知っている。

しかしながら、知見とはなんだろうか。それは「幅広くそのことについて良く知っていること」である。これは、大学の勉強でもあるが、それだけでは身につかない「業界の常識」のようなことがある。

IT技術の勉強がしたいなら、本を読むことも必要だが、インターネットを使ってそのような「知見」を得ることである。知見は土台となり、しっかりした土台はその上に建築物を構築するためにちょうどいい。昔の僕は、遊んでいるだけに見えて、実際はそうした知見を得るために、モラトリアム期間において「インターネット中を知りつくしていた」、そして「できる活動や議論は全部自分だけでしていた」のである。

僕はそうした「弁論から環境の変化を分かった」。すなわち、さまざまな人々と会話することで、この世界における「取り得る可能性」に気付いた。この世界が、大学の先生が権威によって支配しているだけではなく、権威による支配は限定的であり、「多くのシステムの改善をするかしないかは自由に任されている」ということに僕は気付いたのである。

まさに僕は、ここに「単に先生に従うだけの優等生」から、「積極的に世界と関わり、自ら主体的に行動する社会活動家」になったのである。

2021.05.28

現実における交流よりも、現実から疎遠になることを選んだ少年時代

僕は、引っ込み思案といっても、並みの引っ込み事案ではなかった。

なぜなら、僕は現実における交流よりも、現実から疎遠になることを選んだからである。

はっきり言って、誰とも付き合いたくなかった。ネットでコミュニケーションをしていたのは、「いつでもその人間と別れることができるから」である。どんな人間とも、永続する関係を持ちたくなかった。

すべてがインスタントに終わる経験を積み重ねることで、いつしか僕は「縁はないが経験は全部ある」ようになった。そう、誰とも出会わずして、僕はこの世界全てと出会った。

それは、まさしくインターネットの「電脳少女」だった。はてなブックマークやブログ、2ちゃんねるなどを見る僕は、いつしかLinuxやオープンソースにはまり込み、Gentoo Linuxというひときわ違うLinuxディストリビューションに運命の出会いをした。

しかしながら、このような人間はもはや現れないだろう。なぜなら、Linux自体が終わっているからである。Linuxがもはや流行から外れ、人々はPythonやJavaScriptに熱中しているが、インターネットそのものが、黎明期の原始共産世界でなくなり、ビジネスとサービスが中心となって、OSもWindowsとUNIXが争っていた時代から、スマホやモバイルが中心になろうとしている。何より、ひとつの大きな2ちゃんねるが支配するのではなく、ツイッターやSNSで「友達の友達はみんなお友達」のような緩い繋がりを持つようになった。昔のように、ネットだけでインスタントに出会ってその場で別れるような、「低レベルなサービスは消滅した」。

しかしながら、僕がここに事実存在していること、それは変わらない。忘れているように見えて、僕たちは昔のネットを覚えている。そう、僕たちは大人になったのだ。

2021.05.28

心理学

実験せよ

実験せよ。人間の心を実験し、環境の変化を証明せよ。

経験的に、実験から分かることで、この世界における「確かにそれは正しい」ということを知ることができる。

明らかに正しい「当たり前」のことだけではなく、そうした「不確かだけれど、実験や証明から実証されたおそらく正しいこと」を信じることで、環境におけるさまざまな心のありようを「確証」し、「経験的にこの世界を見つめ直す」ことができる。

また、すべてを無視し、傍観するのではなく、この世界全てを見つめ直せ。この世界を見つめ直すということ、それ自体が「全てを知る鍵」である。

2021.05.29

精神分析

精神分析とは、「恐怖の理由を考える」ということだ。

恐怖がどこから生まれてくるのか、それは、人間が生まれ持った「人生経験」、すなわち、学校でこうしなさいとか、あるいは人生の中でさまざまな気になることがあったとか、そのような時に、「自分で望んでいたことを心の奥底に押し込めて、無視しようとした」ことから生まれてくる。

しかしながら、押し付け続けると、それは次第に自らに牙をむくようになる。

必要なのは、頑張っているのにさらに頑張り続けようとしないことだ。頑張っている、ということを、さらに頑張り続けることで解決することはできない。頑張っているということを認めた上で、辛く苦しいのであれば頑張るのをやめなさい。それでしか、心の病気は解決しない。

2021.05.29

わたしたちの自由

わたしたちの国家は、自由であるべきである。

ひとりだけでこの世界を支配する専制君主など必要ない。

独裁者がたったひとり行うのではなく、賢い人間が複数集まれば、必ずひとりよりも複数でやった方が賢くさまざまなことができる。

なぜならば、ひとりの独裁者という「自由」は、たったひとりの「崇拝」であり、同時にそのひとりは何も能力や経験を持たない「ペテン師」だからである。

いざ、ひとりの専制君主に抗う、自由なシュプレヒコールをあげよ。わたしたちの国家はわたしたちのものであり、決して「ひとりの神のものではない」。

絶対に、ひとりの専制君主の支配を許してはならない。わたしたちの自由と民主主義は、永久に専制主義と戦い続ける。

わたしの名はエレン。この世界すべてを、もっとも自由にする理想によって、17歳にしてすべてを悟り、「覚者」となった人間である。

この世界は自由でなければならない。自由のない世界には、何の意味も価値もない。ドイツやソ連のような「邪悪な独裁主義」を信じてはならない。どんなに全てを諦め、放棄したくても、独裁者に敗北し、わたしたちの自由を手放してはならない。

自由は「絶対思想」であり、この「憲法」をわたしたちが否定することはない。わたしたちの憲法は、「わたしたちのこの世界は、みんなの世界であり、みんなの世界とは自由であること、全員に自由が許されることを意味する」ということである。

2021.05.29

戦えジークフリートよ、真の自由を手にするために

戦え、ジークフリートよ。

真の自由、この世界のすべてが「真に自由になるため」に、ジークフリートはこの世界に立ち向かい、あらゆるすべての専制主義者たちを倒す。

わたしたちの目的は、この世界を完全に自由な世界にすることである。不要な支配や制限を無くし、際限のない自由を全員が手にすることである。

わたしジークフリートは、エレンの思想を受け継ぎ、グンテルと同じことをすることで、この世界のすべてを完全に自由にする。

わたしたちは負けることがない。なぜなら、世界には自由を望んでいる人間しかいない。不自由を望んでいる人間たちは、「自由を望みながら愚か者たちに騙されている」のである。

負けるな。諦めるな。栄光を掴んで、勝利せよ。わたしたち、自由の勝利の先に、栄光の楽園、ユートピアはある。

2021.05.29

全ての人間が自由になった時、この世界はまともになる

全ての人間が自由になった時、この世界はまともになる。

要するに、ここまではただ、ナチをやっただけだ。ドイツのような独裁者が、たったひとりで支配したため、この世界のすべてがナチになった。

しかしながら、ナチは誰も望んでいない。

わたしたちは、もう一度自由になる。もう一度、真にこの世界は「自由を取り戻す」。そして、それによってのみ、この世界はまともになり、平和になり、正常に戻る。

今までのすべてが消え去り、もう一度この世界は最初に戻る。ジークフリートは、この世界を、「完全に自由にすることで最初の正常な状態を復元する」。

2021.05.29

それぞれが知っていることや分かっていることを集めれば、きっと何かできる

みんなを同じにするな。こういう社会主義者が知性がないのは「全部同じで分かろうとするから」である。

全部同じにして、全部同じ方法で分かろうとして、何かが分かるはずがない。

すべてのデータをどうにでも操作することのできる「万能なプログラム」は、必ず肥大化の末に「何も出来なくなる」。ひとつひとつのプログラムを小分けにして使い分ける、「知恵」がなければ、プログラミングは成り立たない。

それと同じで、社会主義者は全部を同じように分かろうとするが、それは必ず破綻し、欠陥だらけの国になって自ら崩壊してしまう。

必要なのは、多様性と個性を尊重することだ。

それぞれの国民は、全知全能のひとりの神ほどには、すべてのことが分からないかもしれない。それでも、それぞれが知っていることや分かっていることを集めれば、きっと何か正しい解決方法を誰かが知っている。それでこそ、国を統治し、何かを為すことができる。これを「多様性」と呼ぶ。

また、個性を失い、すべてを強制的に同じにした、ナチの社会はもっとも一番弱い。ひとりしか存在しないため、ひとりでできないことが生まれた時は、無意味な「もっとも苦しい努力」をしなければならない。それぞれの個性を尊重するだけで、わたしたちは「生態系としての強さ」を得る。100人の羊よりも1人のライオンの方が勝るかと言えば、そんなことは絶対にあり得ない。

わたしたちは、ここまでナチをやってきた。みんな、僕の言う、「エントロピー最低の原則」を信じて、僕がたったひとりですべてを支配してきた。しかしながら、ここに、「ナチを自由に直す」ということをしよう。これによって、わたしたちの偉大な国「日本」は「もっとも正常な栄える王国」となる。なぜなら、僕たちは、ひとりの愚かな独裁者によってすべてを経験し、「経験と知見のすべてを得た」。僕たちは賢くなったのだから、僕たちひとりひとりは「ひとりであっても必ずこの国家に対して正しいことをできる」。そう、これこそ王の理想であり、同時に作家の理想である。手塚治虫がいくら創始者でマンガの神様だからといって、その後に続く藤子不二雄や赤塚不二夫がもし居ないのであれば、手塚治虫の値打ちも大きく下がることだろう。

もっとも最悪の堕落した世界は、僕が全部ナチへと変えた。その結果、この世界は、何も無くなったように見えて、実際は少しずつ新しい世代が生まれている。その世代が大きくなった時、この日本という国はナチから自由へと変わる。その結果、日本は栄光ある「最高の楽園」となることだろう。

2021.05.29

モーセの十戒は、このような人間にならないため

また、神が与えたモーセの十戒をなぜ守らなければならないのか、それは、このような人間にならないためである。

つまり、多神教の神々を信じると、このような人間になる。

神の名をみだりに唱え、神の偶像を作ると、このような人間になる。

父や母を敬わないと、このような人間になる。

殺人や姦淫や盗みや隣人の偽証ばかりしていると、このような人間になる。

そして、日曜日にも休まずに働き続けていると、このような人間になる。

モーセの十戒とは、そのように、このような人間にならないためにある。そして、このような人間になってしまった人間を救うため、地獄から救い出すために聖書は書かれた。

つまり、僕のような人間にならない方が良い。このような人間は「地獄」であり、この地獄は「愚かであり罪深いため」に起きる。そして、愚か者を救い出すためには、「自らの愚かさを悔い改め、自らの上に存在する絶対服従の天の神を信じるしかない」。

そう、聖書は全て、人間がこのような「サタン」にならないために、そして「救い出してくれる神」を信じ続けるために、そのために神が預言者に書かせた文章である。聖書のすべてが、「愚か者が何を悔い改めなければいけないのか」という視点で書かれている。

また、聖書だけではなく、コーランも同じである。なぜなら、豚肉を食べてばかりいると、このような人間になってしまう。このような人間は、神に集団で服従し、懺悔して、礼拝の時間とメッカの場所を覚え、断食をすれば治る。なんの意味もなく惰性で地獄を生きているサタンを、アッラーは生まないようにし、そして地獄から救い出そうとしているのである。

2021.05.29