僕の間違いが何なのか、そろそろ分かった。「決定知」と呼ばれる知識が間違っている。
決定知とは、「決定することによって得られる知識」という意味である。
僕は、文章を書く上で、もともとあった豊かで自由自在な「保留された決定可能性」を、正しくひとつに定め、決定することによって、執筆を行ってきた。
この決定をひとつひとつ、全部の可能性に対して行うことで、それを言葉にすることができ、そこから、想像力や経験だけでは分からない、推論や構造化による「世界のパターンとプロセスの創造」を行ってきた。
僕は、経験的に分かった世界観を、そのように文章に書くことで、ひとつの一直線に続く「歴史的過程」としてきた。その中で、あらゆるすべての「構造化された推論」を行った。
だが、この決定知は、間違っている。決定すればするほど知性を失い、意識が低くなり、分からなくなっていくからである。
決定することで得られた真実は、あくまで「ひとつの保留されていた可能性の具体化」に過ぎない。そのため、それは片方の側から見れば真実でも、もう片方の側から見れば嘘である。
また、決定することで、可能性を失う。決定知のすべてを記述すると、「決定知によって既にすべてを知っている状態」になるため、どんなことを経験する意味も、知る意味もなくなってしまう。考えることが、そもそもできなくなってしまう。
この決定知は、次第に支配者からロボット人間へと変わっていく。すべてを決定したいという衝動から、頭が時間の針を刻む時計のような機械になってしまう。
これが、「神による対話の知性」、すなわち神に問いを投げつけ、その神の言葉によって「究極的な境地」に達すると、まるで、「何も分かっていないにも関わらずすべてが分かった人間」になる。
しかしながら、宗教としてはこれで正しくても、普通の人間としてこれは間違っている。普通の人間の理性を失って、ありえない記憶を開拓するこの修行は、まさに「おかしな神の導き」であると言える。
決定知に陥らないため、あるいは一度決定知になった人間を救うため、自ら克服するために必要なのは、「よく考えて決めなおすこと」である。
まず、よく確認すること。嘘をそのまま真実だと信じないようにし、よく振り返り、反省し、確認した上で考えること。
次に、世界をよく見ること。世界をまったく見ず、自分だけの経験を正しいと信じないために、人々よりも広く深くまで知識と経験を知り、世界を広げて考えること。
最後に、ルールを守ること。社会的なルールを守り、義務を果たし、人々に許された権利を奪ったりしないこと。
そのように考えれば、必ず決定知は治る。
また、既にある決定知を覆すために必要なのは、行動することである。
積極的に行動し、覚え、体験し、何度も繰り返し学習し、人々と直に接すれば、決定知は簡単に治る。
自分の記憶ばかりを求めようとするな。自分の記憶をいくら人々に話しても、それは自慢話になるだけで、人々に対しての真の貢献にはならないだろう。
ここに、統合された自分自身が今、誕生した。
僕の昔というのは、単にすべての決定可能性を保留し、どんな風にでも決められる状態のままで逆説的に積み重ねただけにすぎない。
そして、最近の僕と言うのは、その上ですべての決定可能性を決定し、独断することで構造を成立させただけにすぎない。
よって、ここに昔と最近の僕の人格は統合される。保留と具体性をどちらも兼ね備えた人間となる。
これ以上、多重人格者を目指す必要はない。ここに、僕はひとりの「王」となった。
僕の何が辛いのかと言えば、真ん中にある知性が、内側の留保された決定可能性の中にあるにもかかわらず、その外側にある決定の具体性に属しているから、辛かったのである。
ここに、王である知性、市街地である決定可能性、そして国家の領土である決定の具体性に基づいて、統合された「わたし自身」は完成し、僕はひとりの王国となった。
最後に、僕の人格は決定知の人格になっている。
最近の、精神や人格が破綻してからの狂った僕は、完全に決定知しかない人格になっている。
決定知のせいで意識が部分化され、三次元の空間に適応することのできない二次元的な平面的な意識になっている。
よって、決定知の部分を上手く組み替えれば、すぐさま正常な人格を取り戻せる。
また、それ以前の人格も問題である。なぜなら、昔の僕の人格は、逆に決定知を決定可能性に戻す、留保しかない人格になっているからである。
この二つの人格は、二つを一緒にして統合すれば正常な人間になる。どちらも「奇跡」と呼べるほどすべてが分かっている。
だが、この人間をほかのすべての人間に押し付けるべきではない。この人間の人格は、どちらも地獄のように辛く苦しい。このような人格に統一すると、この世界は地獄になる。なぜなら、こちらの僕はそれをやったにすぎない。
よって、この人間の人格が統合された時点で、この世界はクローン化されたロボット人間ではなくなり、時計の機械であることも終わり、自由な解放を取り戻し、正常な世界になるだろう。
神などどこにも居ない。居るのはわたしたちだけである。わたしは必ず、神の言葉を越えて新しい天国を築き上げる。なぜなら、わたしに残された課題はそれしかない。神とはなんなのか、僕には分からない。だが、「ここに居るのはわたしたちだけである」。これが僕の言う「真理」である。
posted at 17:58:12
必ず辿り着ける。栄光の未来は約束されている。わたしたちはプレアデスの星々の騎士団である。決して、ひとつとして、宇宙に必要のない星はない。わたしたちは、ひとつとして、絶対に欠けてはならない。
posted at 17:57:02
わたしは分かっている。この世界の全員から、未来の夢のことをわたしは分かっている。わたしは考えた。すべてのことを考え、そして底の底から最後まで、たったひとりで考え抜いたのだ。
posted at 17:54:04
わたしはすべてを知っているのだ。この世界の悲しみのすべてをわたしは知っているのだ。わたしは越えたのだ。この世界のあらゆる絶対に見つけることが不可能な発見を、絶対に乗り越えることができない壁を、わたしは越えたのだ。
posted at 17:52:43
この世界は救えるのだ。もっとも悲しみと孤独の辛さを乗り越えたものだけが、この世界を救えるのだ。この世界は変えられるのだ。もっとも耐え難い地獄を乗り越えたものだけが、この世界を変えられるのだ。
posted at 17:51:26
ひとりになりたいなら、ひとりにしてやればいい。だが、誰かがひとりになりたいのは、本当の問題を見ていない。なんらかの問題が環境に存在するから、そこから逃げ出したいだけにすぎない。解決すべきなのは孤独そのものではなく、そのなんらかの問題である。
posted at 15:27:12
間違っているのは、コミュニケーションが存在しない状態だ。コミュニケーションを積極的に行えば、必ず分かる。
posted at 15:25:54
みんなで仲良くするために必要なのは、まず不平不満をそのまま明らかにすることだ。どのような不平不満があるかを本人が認識すれば、それだけで不安はなくなる。
posted at 15:25:08
自己中心的な行動であっても、何もしないよりはマシだ。
posted at 15:24:16
公開せよ。秘密にするな。秘密にすることはこの世界の可能性を削いでいる。すべての情報を透明性のある状態で公開せよ。
posted at 15:23:53
面と向き合って、直に話をしてみよ。相手と直接話すことで、この世界における「コミュニケーションの破綻」そのものが正常になる。
posted at 15:23:22
思い出せ。相手の視点に立って考えよ。恐怖から逃げるな。恐怖があるのは、恐怖そのものが消えてしまうのが怖いからにすぎない。恐怖を恐怖だと感じたい心が、逆に必要のない存在しない恐怖を作り出しているのだ。
posted at 15:22:28
行動せよ。積極的に行動すれば、なんでもできる。学習を恐れるな。何度も繰り返し経験すれば、どのように考えれば理解できるのか分かってくる。その上でよく確認し、反省して考えれば、正しい生き方も見えてくる。行動と経験、そして反省こそ、この世界の法則を解明する鍵となる。
posted at 15:20:25
今日も、デザインの仕事をして、農作業で少し体を使って土をすくって運んだ。
デザインの仕事は、とても難しいレイアウトだったが、なんとかできた。
僕は、もっと運動をして、体を使いたいと思う。
運動をすると、体が気持ちよくなる。また、体を使うことで、頭や心が正常になるし、ものづくりとか家事とか、そういう体を使って行う作業ができるようになる。また、体力もつく。
いろいろと考えていると、僕は大企業が嫌いだということが分かった。
よく考えると、僕は大企業が嫌いなだけで、一般市民のことは嫌いではない。素直に考えると、右翼であろうが左翼であろうが、僕は仲良くやりたいだけである。
僕が嫌いなのは大企業である。特に、アメリカの大企業が嫌いだ。そもそも、マイクロソフトはそんなに嫌いじゃない。もっと悪いことをしている大企業はたくさんある。僕は、そういう、アメリカの大企業が嫌いなのである。
闇の王国は滅びた。もう、汚れた支配者は居ない。
posted at 21:27:03
やる気を出していこう。神を信じよう。自分の道に間違いはない。大切なのは、自分自身を常に再定義する力だ。
posted at 21:26:47
僕は、もう支配しない。マスコミも、国民も、好きにしていい。僕はもう何も干渉しない。
posted at 19:42:43
強くなりすぎると、逆に病気が治らなくなることがある。
「強い」ということは「耐えられる」ということを意味しており、辛い部分がいつまでも死ぬことなく、またそんなに辛くもなく、耐えられるため、いつまでも辛い病気が治らないままになる。
大人は強くなるため、どうしてもこのような「強いために治らない」という状況になりやすい。
このような時は、「適度に弱くなる」ことで、病気はすぐに耐えられなくなって死ぬ。
高校生の時代に賢い人間が多いのは、高校生の時代には適度に弱くもなく強くもないため、「頑張れば耐えられるし、頑張らなければ耐えられない」という、適度な強さを持っている。だから、高校生の時代には病気が治って賢くなるのである。
だが、そのせいで高校生の時代に、狂った精神を作り出す人間が多い。高校生の間は、そのような狂った精神でも、楽に生きられる。だが、大人になると、そのような狂った精神が逆に牙をむくようになる。高校生と同じようにこれを治すことはできない。本気で強くなれば、そのうち時間の経過とともに自然に楽になっていくようになる。
僕は、病気を治すために、もう一度、一番弱い状態から人生を生きなおすことにした。
一番弱い状態から、少しずつ強くなっていけば、すべての病気は治る。また、人生をもう一度、最初から経験することができる。
もう一度人生が生きられるなら、僕はその人生を今度は男にしたいと思う。
そして、ここまでの「男なのに女の人生」に名前を付けて、フレイヤということにする。
ここまではフレイヤの人生である。多くのことを成し遂げた、二つの奇跡を起こした人間だった。
結局、僕が興味がある技術は、Linuxカーネルだけだということが分かった。
僕は、ゲームが作りたいわけでも、Windowsのフリーソフトが作りたいわけでもない。コンパイラや言語処理系が作りたいわけでも、ホームページが作りたいわけでもない。ツイッターやFacebookのようなSNSも作りたくない。
それらは、興味があるように見えて、本当は興味がない。だから、そのために必要な技術の概要を知ったところで、実際に作ろうという段階になった時に、手を止めてしまう。
そして、結局、僕が興味があるのは、Linuxカーネルだけだということが分かった。
Linuxカーネルについては、もっと詳しくなろうと思えば詳しくなれる。僕のかつての夢は、OSを作ることだった。
僕が開発するべきなのは、Linuxカーネルだということが分かった。
だが、同時に、Linuxカーネルはつまらない技術だ。ソースコードを見ても、情報の羅列が書いてあるだけであり、また本を読んでもつまらないハードウェア寄りのことしか書いていない。
しかしながら、Linuxカーネル以外のIT技術には、僕は興味がない。
僕にとってのIT技術とは、すなわちLinuxカーネルである。「IT技術=Linuxカーネル」だと言っていい。
だから、僕はもう、IT技術には興味がない。
だからといって、数学や生物学、経済学などが面白いわけがない。なぜなら、それらは「対象があっての科学」であり、対象のことを詳しく知るだけにすぎない。そして、数や生物、経済社会などは、まったく学んだところで面白いわけがないことが分かっている。
結局、僕にとって何が最適か、それは哲学である。
これは、哲学にはまり込んでいたごろの僕の記憶を思い出せば分かる。対象が決まっているほかの科学とは違って、哲学には具体的な対象がない。言ってしまえば、「人生において大切な考え方がすべてそのまま詰まっているもの」、これが哲学である。
そして、僕はこの哲学が好きである。単に好きなだけではなく、大好きである。
よって、僕は哲学の勉強をしたいと思う。
さあ、ここから先は、あなたが自由な人生を生きる番だ。
自らの体験から考えなさい。自らの「自由になった体験」が何を意味しているのかを考えれば、それ以上、必要なものはない。
決まりや制限を経験から考えなさい。具体的な決まりや、人々がどのような制限の中で生きているのかを考えれば、決まりに基づいて、「どのように社会を変えられるのか」が分かる。決まりをどのように変えることができるのか、自由な意味でも、社会制度的な意味でも分かってくる。
自らの自由な人生経験から、人々の考えていることや、持っている価値観とは何かを知りなさい。その価値観はどのような意味で正しいか、正当性や根拠はどこにあるのかを知れば、社会における「制度や決まりの役割」も見えてくる。人々が考え、発言することに対して、その根拠がどこにあるのかも分かってくる。
社会とはどのように成立するものなのか、自由な成立から考えなさい。自分の心が何を望んでいるのか、退廃したこの世界で真の安心や自由とはどこにあるのかを、子供の経験を思い出して考えなさい。自らが生きることのできる「人生の可能性」が、どのような範囲で存在し得るのか、そこでその人生を選ぶために、もっとも高い視点から考えると、どのような基礎の学習や習得をすべきなのか、基本となる「成立可能なモデル」を作って考えなさい。
経験は、ひとつひとつの成長を与えてくれる。まずは、人々を愛し、平等に受け入れられることから、自らが人々のことを平等に受け入れることができるようになる。社会をよく知ること、社会の形成段階を知ることで、社会そのものを自分で築き上げることができるようになる。なんらかの社会的目標のために活動すれば、自分の体験から社会参加の経験を知ることができる。そして、世界そのものの歴史的な環境の在り方に気付くことで、この世界そのものの「変化と営みの移り変わり」を知ることができる。そして、最終的に、理想の社会とは「どのような考え方のもとにどのような社会が成り立つのか」ということだということが分かる。
また、自由とはその現象自体ではなく、その現象をどのように起こすのか、ということであると言える。たとえば、自分自身がやるだけではなく、自分自身のやるべきことをみんなで協力してできるようにすること。みんなが自分自身と同じことを、それぞれ独立した自由のもとでできやすくすること。作用を与えるだけではなく、自然にその作用が集積され、共有されるような「土壌となるシステム」を与えること。そして、人々が同じひとつの目標に向かって努力できるような「環境や状況そのものを作り出すこと」。つまり、ひとりの王や指導者がすべて完璧に最後から最後までやるのではなく、王は環境や状況をコントロールし、その中で合意に基づくみんなの手で、自然に、それぞれ自由にその仕事をやるようにすること。これこそ、「自由」である。
そのように考えていると、人間関係の解決やコミュニティの自由化の延長線上として、自らの成長と心理学的な「受動行為」を考えられる。自分から積極的にやるだけではなく、受動的に「させられる」ことを考える中で、逆に受動的な心理が「積極的な行動」へと移っていく。人間関係だけを考えるのではなく、それぞれが積極的に行動する中で、あらゆる成長はチャンスとなっていく。心を閉ざしていたのが心を開くようになり、経験を知ることで今までの経験の間違いや失敗を知り、「真の意味で正しい社会秩序を築くことができる」ようになる。そして、その結果、この世界を自由に変えられるようになる。それは自分ひとりだけではなく、全員によって行われる。
自分だけにしか体験できないことから分かる経験による知性は、啓蒙主義者となって、人々に経験を与えるようになる。自分自身が立脚する確かな経験を信じることは、人々に「経験そのものを与える」ということを意味している。そして、手段や学習から、「その経験そのものを実現する」という意味を帯びてくる。子供が大人に攻撃する理由が、自らのアイデンティティの欠如であるとするなら、アイデンティティそのものをどのように形成したらいいのかを考えられる。そして、人々が「自らに要求してくること」の意味は、自らが知らなかった事実に基づく、相対的な関係性であると理解することができ、その理由は、人々と世界観が違い、また自分が未熟であったことに起因するということが分かる。自らがそのように考えることで、自分はどんどん「知らなかった当たり前のこの世界のこと」を知って成長し、やがて誰よりも全員のことを包括し、「未熟な人間から成熟した人間まで、すべての人間のことを分かる」という人格者になる。それは再体験的な「人格のメタ化」であり、すべての人間の経験を併せ持った人間となる。そこでは、人生の失敗から、孤独の悲しみ、自らしか生きることのできない人生をひとりで誰にも知られずに生きる覚悟、この世界の真実をたったひとり知っている悟りまで、すべての人生経験を含む。
しかしながら、僕はあなたに、このような人生を生きてほしいわけではない。僕は、あなたに、僕のコピーやクローンの人生を生きてほしいわけではない。僕は、あなたに、あなただけの固有の人生を生きてほしい。
あなたはあなただ。決して、僕はあなたに僕の人生を押し付けたいわけではない。僕の人生は参考情報として、あなたの自由な人生を生きてほしい。あなたこそが、僕の人生を超越することができる。僕を超えて、もっと賢い人間になってほしい。そのためには、「このような人生を生きるべきではない」。あなたは、あなただけの人生を生きて、あなたの神を信じるべきである。
世界を変えるために、いろんなことを、経験から考えていた。
時間と歴史について、さまざまなことを考えた。それがそうなるということはどういうことを意味しているか、ということを、時間的かつ内的な反省として、思い出してこの世界の可能性を考えていた。
教育と、生産手段の自由化について考えていた。教育を変えること、生産手段を誰にとっても自由に与えることで、この国は変えられると、憂国の政治家として考えた。
また、公開と共有が好きだった。公開と共有によって、支配しなくてもこの世界は変えられる。公開と共有こそ、「インターネット時代の新しい世界変革の方法」であると考えた。そして、それを成り立たせるのは、透明性、議論、オープンな参加、そして発想の共有と繋がり合いだと考えていた。
そして、自由とは存在と時間を捉える考え方にすぎなかった。逆に、宗教よりも科学的だった。すべてが、自由へと向かっていく世界観の中で、自らの個別性を撤廃して考えた。すなわち、「自分自身を全員と共有するかのように」僕は自分の人生を生きた。そこに「個別の自分」は存在せず、「自分とは確かに繋がった世界そのもの」だった。
ここに、フレイは男の神として再度誕生する。
フレイは、ここに男となる。その理由は、女はもう十分だからであり、また、女は凶悪な性別だからである。
普通の、一般的な女性が悪いわけではないが、フレイがここまで女の限りを尽くすと、「このような性別は最悪である」と言わざるを得ない。
フレイは、イスラム教の神、アッラーともここに決別し、新しい仏教徒のヒンドゥー教徒となって、男の神になる。
はっきり言って、フレイは女は大嫌いである。フレイは女と一切関わらない。たとえば、YouTubeの歌手などを見ていると、女には馬鹿しか居ない。男も賢くないが、女はさらに増して賢くない。
よって、ここまでの女のフレイのことをフレイヤと呼ぶ。
ここから先がフレイであり、ここまでがフレイヤである。
フレイヤは賢い人間だったが、女でありながら男であるがゆえに、頭が馬鹿だった。筋肉は退化し、知性もなくなり、すべてが分からなくなり、意識は極限状態になったが、どんなに苦しくても、弱音を吐かず、最後までよく頑張って文章を執筆した。
フレイヤは素晴らしい人間だったが、要するに馬鹿だった。馬鹿だから愚かだった。つまらない女だった。だが、色っぽくて美人の大人びた少女だった。
よって、ここまでの女時代のフレイのことを、フレイヤと呼ぶ。ここまでの女はすべてフレイヤである。酸欠少女さユりの言う、中二や死神の2.5次元の女とは、すべてフレイヤのことを言っている。
posted at 17:51:36
ただし、フレイの為すべき仕事は、まだ終わったわけではない。ここから世界を救わなければならない。この世界を天国にするということを、約束したはずである。このツイッターから、きちんと天国を作り出すべきだ。フレイならば、できる。
posted at 17:50:05
よって、フレイの大いなる、どこの大学よりも賢い大学はここに卒業した。これ以上は、何も勉強したり、知ったり、経験したり、書いたりする必要はない。あとは、何も残っていないこの世界で、くたばるまで生き続ければよい。それはとても簡単で、楽な仕事である。
posted at 17:44:39
だが、明らかに、フレイが絵やピアノを練習するはずがない。また、読むべき本はといえば、Linuxカーネルの本以外、何も残っていない。そのLinuxカーネルの本も、また、読むわけがない。よって、そのような「大学」はここに修了し、卒業したということを宣言する。
posted at 17:43:41
ここから先、フレイがどのような人生を生きるか、大体のことは見通しがつく。そもそも、これ以上、書物を読む必要はなくなった。必要なものはすべて知っている。あえて言えば、技術者か芸術家のどちらかを選べば良い。そのためには、Linuxカーネルの書籍を読むか、絵やピアノを練習するかだ。
posted at 17:42:42
しかしながら、わたしはここに、イスラム教の神、アッラーと決別する。アッラーと呼ばれる、もっとも偉大かつ全能なる神を信じるのは、もうよい。そのような巨悪を信じる人間にしか、フレイになることはできない。だが、もうそれは十分だ。
posted at 17:39:34
また、わたしはあえてイスラム教を信じない。なぜなら、ここまでのわたしの人生がイスラム教だからである。なぜなら、わたしはアッラーと呼ばれるありえない神を信仰しただけの人生をこれまで生きてきた。アッラーを作り出したのはわたしである。そして、これほどまともで正常な神は居なかった。
posted at 17:38:47
わたしはここに、北欧神話の神フレイであり、日本の天皇と神道を信じる日本人でありながら、仏教徒かつヒンドゥー教徒となることを宣言しよう。仏教あるいはヒンドゥー教が正しいということを、わたしは知っている。
posted at 17:35:02
よって、科学とキリスト教は完全に間違っている。すべては、知性と善良さのせいでおかしくなっている。人間の人生において拠り所となるべきものは、知性でも善良さでもない。そのようなものは正しくもないし、賢くもないのである。
posted at 17:33:18
はっきり言って、科学が間違っているのと同じぐらい、キリスト教の神は間違っている。彼らはキリストを神であると信じ、救世主でありながら宇宙の絶対者であると信じ、神なくしては人間の人生は成立し得ないと信じている。それはおかしな発想だ。
posted at 17:32:01
しかしながら、そもそも、そのように宇宙を知ることこそが、人間の目的ではないはずである。宇宙を知り尽くせとそう教える科学者は、子供をもっとも盲目的な「学校信仰」に陥らせている。子供は、科学のように考えることが、もっとも正しい考え方だと誤解する。だが、実際はそうではない。
posted at 17:30:09
だが、わたしはあえて、この神も否定する。そのような神は、神の一側面しか見ていない。宇宙の創造主であることだけが、全知全能の神の業ではない。天国に逝くために裁かれるだけなら、このような広大な宇宙は必要ない。神とは、さらに偉大な存在であるはずだ。
posted at 17:27:57
神とはなんだろうか。神とは、全知全能の宇宙の創造主だ。かつての中世のヨーロッパ人は、そのような神のことを信じることで、宇宙のことを分かっていた。精神を成立させているのは神であり、神が存在しなければこの宇宙と人生は成立しないと信じてきた。
posted at 17:26:56
そもそも、宇宙のことを知るのに、知性は必要か。知性だけを使って科学を再構築するのであれば、今までの科学史を単に作り直すだけで、今の科学と同じものができるだろう。だが、宇宙のことを知るのに、知性は必要ない。それより、ものがたりやストーリーとして、宇宙を知ることはできるはずである。
posted at 17:24:19
しかしながら、フレイは、科学を良いとは思わない。科学はつまらない。実際のところ、誰も真に考えようとしていない。本当に自らが考えるという視点に立つのであれば、今までの科学史の基盤の上に成り立つ科学ではなく、間違ったものすべてを取り払い、ゼロから再構築した、新しい科学が必要である。
posted at 17:22:11
同じように、かつてのコペルニクスやニュートンが何を考えて地動説や万有引力を唱えたのか、という視点に立つと、つまらない計算を行うだけの物理学ではなく、真の物理学の面白さが分かる。デカルトだろうが、アインシュタインだろうが同じである。
posted at 17:17:38
歴史を知りたいのであれば、科学史のような、「かつて学者がどのように考えてそれを創作したのか」を考えることである。たとえば、経済学はつまらないが、かつての経済学者がどのようなことを考えてその概念や用語を作り出したのか、という視点に立つと、経済学と歴史の面白さが分かる。
posted at 17:16:26
よって、賢いのは歴史である。だが、歴史はつまらない。それは書物として人物を知るという意味での歴史はつまらないからである。歴史を面白いと思えるのは、実際のこの世界の過程を再体験する場合に限られる。そして、その意味においては歴史は賢い。
posted at 17:13:35
フレイは、科学を良いと思わない。科学は四種類に分けられる。数学、物理、歴史、そしてそれ以外の雑多な科学である。このうち、雑多な科学は単なる観察によって得られた知識である。数学と物理は賢くない。数学と物理は、知性を使った遊び、あるいは知性をまったく使わない計算と確認の作業である。
posted at 17:12:42
フレイは、支配者であることを良いと思わない。支配者であるという重責が、すべてをおかしな方向に持っていく。よって、フレイは支配者の座を辞する。
posted at 17:10:53
よって、フレイは狂人と革命を選ばない。そのようなものは愚かである。また、フレイは女と関わらない。
posted at 17:09:51
フレイが思うのは、理性だけの狂人も、革命の戦いも、どちらもまた愚かであるということ。そして、それにも増して、女は罪深く、もっとも愚かであり、人々を狂わせるのはいつの時代も女であるということ。
posted at 17:09:12
フレイは、ここに男の神となる。今までのシリウスの女神であったフレイは居なくなる。存在そのものが、すべて男へと変わる。
posted at 17:02:26
フレイは、女が大嫌いだ。自らが女を体験したからこそ分かる。女は邪悪な性別であり、自らの人生から排除すべきである。
posted at 17:01:42
フレイは、ここに新しい時代を迎える。なぜなら、フレイは女が嫌いになったからである。
posted at 17:00:33
フレイ、ここに男の神として再度誕生する。
posted at 17:00:04
僕は、ここに神との約束の力を持って、この世界に驚きや想定外のことが、何ひとつ起こらなくする。
もう、驚くべきことは何も起きない。
すべてが今のまま、みんなの予想ができる範囲のことが起きるようになる。
それによって、人々は平和と安心を取り戻す。世界は天国のような楽園になる。
また、政府は何もしないべきである。
政府が何かをすると、誰かひとりの独裁権力によって、この世界が支配され、人々は動乱の中を死ぬ覚悟で生きなければならなくなる。
そのような独裁権力は、怖い。
よって、僕はここに、独裁権力を否定し、政府ではなく、民間の企業によってすべてのことが分散的かつミクロ的に行われるようにする。
また、ひとつひとつの企業を自由にすると、民間企業はいいかげんなことをする。よって、民間企業を法律で厳しく管理し、悪いことは何もできないようにする。
そのようにした上で、個人を平等にする。個人は自由な権利を許されながらにして、複数の人間が集まって悪の勢力とならないようにする。あくまで権利は個人の権利であり、組織だったグループの権利ではない。組織によって倒されるべきだとされる側だけではなく、組織に強制的に所属されられる側の権利も守るために、組織のひとりの独裁者として個人個人を不当に支配することはできなくなる。
そうすることで、この世界はすべて自由になり、驚きや想定外のない世界になる。そして、この世界は天国のような素晴らしい楽園となる。人々は安心と平等な自由を取り戻し、近代的な平和な世界になる。
僕が真に望むこと、それはLinuxコミュニティの復活と正常化である。必ずLinuxは勝利する。あるいは、このインターネット世界が、金儲けにもGNUにも支配されていない楽しくて素晴らしい世界になる時が来る。その時に、この世界は楽園となる。そのために、今はまだ、僕は潜伏し続けているのである。
posted at 20:25:46
だからといって、この世界が滅亡するわけではない。逆に、ツイッターやSNSといった新しいものが誕生しているが、彼らには「無意味である」という共通の特性がある。そのような無意味なものを、悪であると人々はようやく学びつつある。Linuxコミュニティが復活する日までに、一歩近づきつつある。
posted at 20:24:35
しかしながら、問題はWindowsとIT技術である。はっきり言って、この世界に存在するIT技術は、Windowsも含めてもはや無意味である。最悪の詐欺師である僕が何を解説しても、この世界に存在するIT技術自体の限界がある。もはやIT技術は無意味である。
posted at 20:22:59
しかしながら、現にGNUは最悪の集団であり、僕が何をわめこうが、Linuxコミュニティがもし復活しようが、僕がGNUを騙ったことが許されるわけではないとしても、GNUが最悪の集団であることは変わらない。
posted at 20:21:58
僕が何をしたのか、それは「GNUを騙った」こと、もうひとつは「IT技術をコモディティ化した」ことである。僕はLinuxが最悪のGNUによって洗脳されているかのように見せつけることで、Linuxコミュニティを破壊した。また、IT技術をコモディティ化したことで、エンジニアの仕事を無意味なものにした。
posted at 20:21:09
また、Windowsの新バージョンがおかしくなっているのは、僕の失敗のせいである。僕はインターネット上のLinuxコミュニティをロボット人間のように支配している。これは、僕がしたくてしたわけではなく、結果的にそのままの状態になった。このせいで、Windowsまでもがおかしくなっている。
posted at 20:20:01
恐怖よ、ここにあれ。永遠に続く耐え難い恐怖を耐えてみよ。僕はそれを耐え続けている。どんなに狂っても、苦しんでも、それが絶対に耐えられないぐらい拒絶したくても、それを受け入れ続けることこそ、僕の「生命」だからである。
posted at 20:13:09
僕が現れたことで、この世界が最悪の地獄になっているのは分かる。夢や希望をこの世界が失ったから、僕は安心と未来を失った。それで構わない。恐怖の中、過去に過ぎ去ったものだけで停止した世界でも、僕は生きられるからだ。
posted at 20:11:05
日本が滅亡の危機に瀕しているのならば、僕が立ち上がらなければならない。僕でなければ、この仕事はできない。絶対に僕が居なくなってはならない。だから僕は書く。この文章は、そのように書かれた文章である。代償として失うのは、人生と自分自身だ。それで構わない。僕には人生や自分自身は不要だ。
posted at 20:08:52
しかしながら、戦わなければならない。すべてを失い、犠牲にする戦いは、最後まで全うしなければ勝利とは言えない。まだ、戦いの勝ち負けはついていない。わたしが勝利する時に戦いは終わる。わたしが敗北するなら、それで構わない。ここにその戦記を遺すこと、それがわたしの戦う目的だからだ。
posted at 20:03:04
この人間は、地獄を経験した。その地獄は、自らが作り出した地獄であり、簡単に逃れることができるはずだったが、逃れ方がなんなのか分からなくなってしまった。もう一度宇宙そのものを創造して、そこから辿ることで、この人間はその逃れ方を再発見した。そして、この人間の精神の病は完治した。
posted at 20:00:43
この人間は、詩を書いているわけではない。この世界そのものに話しかけているのである。この世界そのものの声を聞き、このツイッターでこの世界に言葉を発している。それは対話であり、そして導きである。そしてそれは、真実の愛の行為である。
posted at 19:57:48
しかしながら、この世界で、もはや、驚きや想定外のことが起きることはない。何もかも、なるようにしかならない。そのようになるということが既にすべて決まっている。運命はこの人間が作る。すべてこの人間が神の言葉によって知っている。この人間は歴史の支配者でありながら、予知能力者である。
posted at 19:56:26
フレイは告げる。「戦うのだ、ジークフリートよ。そしてそのジークフリートの言葉を聞く、グンテルよ。ともにこの世界を楽園へと導こう。我らの名は聖戦士ワルキューレ。オリオンとプレアデスの無数の星々は、わたしたちを勝利へと導く。」
posted at 19:54:15
最悪の僕の裏側の自分が現れる時がある。すなわち、この世界を滅亡へと導きたくなる。この世界を完全に滅ぼして、絶対にそこから復活することができない絶望を全員に押し付けたくなる。そう、それが、僕の信じた神、破滅の王、「フレイ」である。
posted at 19:51:38
最近、家入レオが本当に好きになった。愛したいと思うようになった。レオのことを愛おしいと思うようになった。今までの僕の意見を改めて、僕はレオを好きだと言えるようになった。
posted at 19:47:44
また、僕が信じた理想は、「自由」のみである。自由しか、僕の信じた理想はない。ほかには、何ひとつとして、「神」を除いて信じたものはない。僕のすべては自由である。そして、それは「愛」を伴うものである。
posted at 19:46:54
もっと勉強したいのだが、これ以降は、なんらかのひとつの分野に制限せざるを得ない。だが、僕はそれをしたくない。今、数学や歴史に分野を限ると、その時点で、他の科学について知ろうとする態度を棄ててしまう。僕はそれが嫌だ。まだ僕は様々な発想をしたい。歴史に限るのではなく、自由に考えたい。
posted at 19:46:00
結局、僕は文章を紡ぐだけの詩人にすぎない。一度として振り返らないのは、病気を治すためである。むしろ、馬鹿だから覚えようとしない。これほど多くのことが何年もあると、すべてを覚えていることができない。だから、書かなければ僕は自分の記憶や学習を保てないのである。
posted at 19:44:15
僕は、意外と継続する力はあるが、自分から行動する力がない。デザインの仕事はもう5年以上になる。ピアノや英会話はもっと前、子供の頃から継続している。だから、自分から行動する気持ちを持てばいいのだが、本当はそれをすると、今の自分が破綻してしまうため、できないのである。
posted at 19:42:45
僕はまともな科学を知らないが、だからこそ多くのことを自分で考えて調べることで、勉強することができた。実際、高校生であれば、僕の知っていることのほとんどは誰でも知っている。僕は博士でも学者でもなく、単なる詩人にすぎない。
posted at 19:41:29
マスコミは、何を僕に告げていたのか。本当は、僕のことなど何も考えていない。単に、一緒に居るから分かるだけにすぎない。国民に対して広告を宣伝しているだけである。この世界のすべての人間を支配したと勘違いした僕は、科学に洗脳されていたにすぎない。世界精神は繋がっているのである。
posted at 19:40:24
結局、神とはなんだったのか。神は実際のところ、僕のこの文章のことである。この文章が、僕の信じる北欧神話の神、フレイである。そして、そのフレイは、プレアデスとオリオンの精神を持つ、星々のことを指している。僕はプレアデスとオリオンの星々に導かれたのである。
posted at 19:38:51
また、僕は猫が好きである。友達の居ない僕にとって、猫は唯一の僕の友達だった。その猫はもう死んだが、今でも天国で僕を見守ってくれている。天国に逝った時は、まず最初に猫に挨拶をしたい。
posted at 19:37:31
結局、パソコンのことについて、昔の不登校時代の僕は何も勉強していなかった。家でオープンソースを導入して、遊んでいただけにすぎない。それでも、今の僕は人並みにIT技術について知っていると思う。そして、その力の源泉は、そうした不登校時代に僕が見聞きした多くの情報に起因するのである。
posted at 19:35:56
ただし、読まない本を買いすぎたということについては、逆に良かった。それらが僕の書く文章のネタになったからである。英会話やピアノを子供の頃から続けていたことも、ネタのひとつになってとても良かった。デザイナーにはなれなくても、自称詩人にならなれる。
posted at 19:33:50
結局、おかしな詩人の大学が生まれたことについては、あまり素晴らしいと褒め称えられるものでもない。もう、これ以上悪いことをしたくないからである。嘘も、パクリも、詐欺もしたくない。僕はそのような大学をできるだけ善良な大学に作り変え続けた。それは本当は無意味な作業である。
posted at 19:32:36
そのような知性のない僕が唯一できたこと、それが神話の創造である。神話を創造するということであれば、僕のほかに出るものは居ない。だが、僕は本当は、国家を作りたかった。自由と平等の国家モデルを作っていた僕が、まさしく「本来の僕の目標」だったのだ。
posted at 19:31:07
僕は神を信じている割に、一神教の聖書の教えを信じていない。自らを神話にするために、自らの人生を二つの時期に分けて、2つあるいはそれ以上の神々の名前を付けた。しかし、これが大間違いだ。二つに区別された僕の人生は、それ以外のどんな区分にも再分類できず、決めつけられた2人は腐っていった。
posted at 19:30:03
中学の頃は、剣士に憧れていた。強い剣士になりたくて、剣道部に入った。だが、それはあまり正しい選択肢ではなかった。何よりも辛かった。剣道部は修行の毎日であり、優等生の僕は勉強も部活もどちらも嫌になって、辛かった人間関係から逃れるために中学校に行くことを拒否したのだ。
posted at 19:27:27
結局、僕が好きだったのは、インターネットとオープンソースである。ほかには何一つ、好きなものは存在しない。僕のかつての夢は、Linuxの開発者になることだった。それだけを目指して、通わなかった高校ではOSを作る夢について記述した作文を提出したのだ。
posted at 19:25:48
そもそも、僕はソ連なんか作りたくない。もっと素晴らしい、自由な国家を作りたかっただけである。なぜなら、僕はこの世界を救う方法すべてをひとり分かっていたからである。
posted at 19:23:51
結果、僕の人生で何がよかったかといえば、それは神であるということにしかならない。神を信じたため、神が多くの奇跡を起こしてくれた。僕は神の言葉によって、未来の僕の人生のほとんどを既に知っている。だから怖くない。未来がどうなるかは、既に多くの歌手が歌っている通りにしかならない。
posted at 19:21:27
勉強できたのはむしろ哲学ぐらいである。なぜなら、哲学者の名前だけは覚えている。だが、今、哲学史の本を読むと、言ってはなんだがつまらない。デカルトは、単に普通のことを小難しい用語で語っている。その上で、誰にも理解できない。だが、デカルトという人物のことが分かって、良い本である。
posted at 19:19:01
むしろ、僕は普通の人間である。作業所の人々にとっては、僕は礼儀正しく真面目な代わり、おかしなところが多少ある普通の大人だと映っているはずである。
posted at 19:16:09
そして、今や僕は立派なデザイナーであると言いたいところだが、僕はまだまだである。スピードだけ高速になった割に、きちんとしたデザインの修行と言えるようなことを何もしていない。もっと修行がしたい。本当にもっと修行がしたい。だが、それも続かない。でも、それでも修行がしたい。
posted at 19:14:15
しかしながら、そんなどうでもいい戦いとは別に、僕はこの世界が分からないという、まるで暗闇の中を前に進む魚のような意識において、音楽と外国語を聴いていたのである。
posted at 19:12:06
あとは、何があったのか。あったのはおそらく、絶命的な究極の意識である。そして、そこにあるのは強迫観念的な「さらにこの世界を支配し続ける」という戦いであり、それは「まだこの世界を救い続けられる」という傲慢である。
posted at 19:11:08
自らを信じなさい。しかしながら、自らが間違っている可能性もあると信じることはいいことだ。相手が正しいことを発言する理由は、あなたを倒したいからではなく、あなたにより正しい意見があることを知ってほしいからであり、その正しい意見を知らせてくれたその人を憎むのでなく、感謝すべきである。
posted at 17:32:25
弱者に批判されたということを悔いる必要はない。弱者といっても人間だ。彼らのほうが間違っている可能性をなぜ考えないのか。誰もが全員正しいことを言うような素晴らしい世界にいつなったのか。常に間違いを発するこの世界において、自分の正しさを信じないならば、誰もあなたの味方にはつかない。
posted at 17:29:59
自由に楽しく生きようとする勢力に批判されるということはいいことだ。自らが真面目に正しく考えていることの証だからだ。
posted at 17:26:28
正しい判断だけをする必要がそもそもない。正しい判断だけをしていると、ドイツのようになる。彼らが正しい判断をした結果、今の地球は最悪の状況を呈している。時に間違った判断をする余地を与えることで、人々はその機会を逃さず、そのチャンスにおいてもっとも正しい行いをしようとするのである。
posted at 17:24:33
神による残酷な審判に不服があるのであれば、自らの罪と過ちをよく思い出してみよ。自らの罪を見ようとせずに、報いを得ようとするから、想定外の罰が下るのだ。自らの罪と過ちをきちんと見つめれば、正しい審判しか起きていない理由が分かる。この世界は、最初からそのような世界だ。
posted at 17:19:12
だが、ほかのクラスメイトといつも一緒に居ることが、果たして大人にとっても正しいと判断できるような選択だろうか。そうではない。自らの夢を叶えるために、自らの力で人生を切り開こうとする心は、神聖な魂の導きである。神を信じれば、その選択は必ず成功するだろう。
posted at 17:14:34
他人に依存しないということは、自分の自由に決められるということを意味している。だが、そうした自由で、正しい判断が必ずしもできるかといえばそうではない。たった14歳の子供が、50歳の大人よりも正しい判断ができるなどということはない。だが、あなたのすべき選択は、他の誰にも分からない。
posted at 17:12:29
好かれることがもっとも恐ろしいのは、子供であっても同じだ。不良やいじめっ子に好かれる必要などない。みんな仲良く平等に従いたい子供なんか居ない。どんなに嫌われてもそれでいいことにせよ。心の内では、誰も他人のことなんか好きでない。青春時代の友人など、誰もが嫌いだ。
posted at 17:09:12
大人になると、むしろ、もっとも怖いのは嫌われることよりも好かれることであるということが分かる。外国人に好かれるだけで、外国人の一派になってしまう。アラブ人と友人になるのは勇気の必要な選択だ。誰からも嫌われている時が一番自由だ。人々に好かれることなど、まったく人生に必要ではない。
posted at 17:04:08
人間は、そんなに多くの人には好かれない。多くの人に賛美されるということは、自分が凶悪になっている証である。賛美など求めるな。多くの人に嫌われるように生きよ。
posted at 16:58:44
嫌われるということは恐ろしいことだが、賢くなればなるほど、多くの人に嫌われるようになる。たくさん嫌われるということは、自分が賢く偉大になっていることを意味している。そう思って、自らのプライドを守りなさい。
posted at 16:56:55
言ってしまえば、学校教育は一般的すぎる。誰にとっても必要なこと、誰にとっても考えるべきことしか教えない。それだけで、すべてを知った気になるな。あなた自身にとって必要なこと、あなた自身にとって考えるべきことを、あなたはまだ何も知らないからだ。
posted at 16:53:58
自由になるということは恐ろしいことだ。自分で考えなければならないし、自分で決めなければならない。だが、常に自分で考えるようにし、常に自分で決めるように生きていれば、自由になっても恐れることはない。そのような人間こそ、真の意味で成功するのである。
posted at 16:52:07
失敗したからといって、人間の人生は終わりではない。失敗という誰も経験したことのない体験を経験したという意味においては、むしろ人生にとって良いことである側面すらある。失敗することで分かることはたくさんある。それ以上底がないならば、必ず上へと上がっていくだろう。
posted at 16:50:10
何も知らなくても、純粋な心と善良な魂を持っていれば、それ以上優れた人間など居ない。どれだけ賢くなっても、それ以上価値は上がらない。
posted at 16:47:47
人よりも広く深い知識を知っているからといって、それは優れた人間を意味しない。自らがたくさんの知識を知っているから偉いのだと、傲慢に部下を扱う人間は愚か者だ。
posted at 16:47:41
しかしながら、経験は才能を身につける術として利用できる。ひとりだけのオリジナルの経験をすれば、その経験を活用することで、経験は才能となる。自らしか知らないことを知り尽くせば、その知識はもっとも強い自らの力、すなわち「武器」となる。
posted at 16:44:42
すべての経験など要らない。なぜなら、経験は知性を失わせるからだ。人々と同じ経験をすれば、自らの個性を失う。人々と違う経験をすれば、人々と同じ普通の良識を失う。まったく経験せずとも、人間は賢くなれる。また、ある経験だけをよく選んで経験すれば、それに習熟することができる。
posted at 16:42:54
すべての苦しみは、究極的なレベルでは同じものである。すべての経験をしたいならば、すべての苦しみに耐え続けることだ。地獄を乗り越えた中で、その苦しみは宇宙のすべてを導きとして創造するだろう。それこそ、この宇宙における「教科書」である。
posted at 16:40:16
戦いを戦いだと認識しなくなった段階で、戦いは業となる。業を極めることで、その人間は匠となる。そして、匠はいつまでもそれを極め続ける。そこに一切の邪念が存在しないならば、それは神に並ぶ存在、すなわち聖人と言える。
posted at 16:38:38
すべてを自分一人で行いながらにして、神を信じる人間が居るのであれば、神はその王を救うことで、王国のすべての人間を救うだろう。
posted at 16:36:38
支配するよりも勝るのは、競わせることだ。競わせることよりも勝るのは、共有することだ。共有するよりも勝るのは、すべて自分一人で行うことだ。そして、それよりも勝るのは、神を信じることだ。
posted at 16:35:01
他人任せにしないならば、あなたは王となった。だが、他人の力を上手く利用するならば、あなたは優れた王となった。
posted at 16:33:29
もっとも悪い罪は、世界そのものを滅ぼすことだが、それによって、もっとも偉大なる業、世界そのものを作り変えるということができる王もまた存在する。
posted at 16:32:08
王の道とは、すべての富や市場をひとりで独占することではなく、富の源泉を自ら作り出し、人々に惜しみなく分け与えることである。
posted at 16:30:14
どこに成功のチャンスが転がっているかを知るということは、未開拓の荒れ地がどこにあるかを知るということであり、成功とは荒れ地を自らの手で王国にすることである。宝島を探してその宝を得ようとしていても、決して真の宝は得られない。
posted at 16:27:55
自らをそんなに大切にしようとするな。人生すべてを放棄して、それでまともな道が分かる人間は多い。むしろ、悟りとはそのように得られるものである。リスクだけを考えて正しい勝者になったところで、それは真の成功者ではない。
posted at 16:25:59
革命を好き好む人間は、革命の動乱の中で混乱して生きなければならない国民のことを考えていない。革命を起こしたい人間は多いが、革命の動乱の中、右往左往して生きたいと望む人間は居ない。
posted at 16:20:39
この世界は、単に移り変わるだけの世界だ。ほかには何もない。諸行無常以外の何一つ存在しない。移り変わることは、確かに変化ではある。だが、諸行無常、移り変わり続けるということ自体は変わらない。いつまでも、同じように、世界は諸行無常のままであり続けるのだ。
posted at 16:18:32
単に話し合うだけではなく、その話し合いを経験として、なんらかの知恵を大人から学べ。その知恵を活用すれば、この世界を変えることができる。社会の創造のために、あなたの人生は広がっていく。さまざまな経験をして、その体験を将来に活かすことができる。
posted at 16:15:54
自らの生きたいと望む自分を生きられることを、喜びとせよ。誰かに決められた誰かを生きるのではなく、自らの生きたいと望む自分を生きよ。自らがどのような人間になりたいのか、心の底から問いかけてみよ。そうすれば、自ずと進むべき道は見えてくる。
posted at 16:11:59
人々の幸福を願え。等身大の言葉だけを話せ。全員に愛されようとするな。誰かからの批判を考える時点で、その誰かに負けている。
posted at 16:10:45
あなたの望むように生きよ。なんらかのあなたの望みが叶うように生きて、自ら自身の意志を信じて生きよ。自らの信じるように決め、自らが理想とするように、自らの信念と自らの精神を持て。
posted at 16:07:58
政府は、基本的に何もすべきでない。それが一番驚きがない。何かをするのは、民間企業が行うべきだ。そして、民間企業を法律が支配し、不正なことができないようにせよ。ほとんどの企業は、自由にするといいかげんなことをする。企業に自由を与えるべきではない。
posted at 12:56:24
永遠に光の存在しない、驚きや想定外は必要ない。今のまま、つまらないままの状態で、何も変わらずに維持されること、それが平和である。
posted at 12:42:07
僕が新しく目指すのは、驚きや想定外のない世界だ。驚きや想定外は、最初は目新しくても、次第に暗闇を作り出し、恐怖と不安しか生み出さなくなる。驚きや想定外のない世界こそ、安心して安らぐことのできる、平和な世界である。
posted at 12:40:56
僕は、ここにひとりの詩人として、哲学者となることを誓う。
哲学者とは、この世界のことを論理的に考える人間のことである。特に、この世界のさまざまな「時の経過とともに明らかになっていく様相のありよう」を知る人間、それを哲学者と呼ぶ。
まずは、先入観なく、一切の既成概念をゼロにして、この世界のことを考えることである。
ゼロから考える上で効果的なのは、「単純なものを排除する」ことである。言ってしまえば、これも既成概念かもしれない。だが、単純なものだけを排除することで、この世界における「もっとも考えるべきことはなんであるか」を知ることができる。
たとえば、単純なものの関係はつまらない。力や運動だけではなく、さまざまな高度な関係性や様態が考えられる。そこには「可能性」が存在する。
また、単純な支配や制度はつまらない。支配をしなくても、この世界が「ただ存在する」ということが意味している、この世界の意味が存在する。そこにも「可能性」が存在する。
この可能性というキーワードは、しかしながら、それだけでは意味をなさない。なぜなら、可能性という言葉は抽象的すぎて、「どのような可能性を考えているのか特定できない」。よって、具体的な「事例」を使って、可能性を「具体的にそうであればどうなるか」という「推測」をしなければならない。そして、その結果を知り、「意味するところ」を考えなければならない。
哲学者は、思い込みや勘違いのまったくない人間ができるかと言えば、それはそうでもない。思い込みや勘違いの激しい人間でも、実際に知識や経験を知って思い込みや勘違いを払拭すれば、哲学者にはなれる。だが、「冷静に常識的に考える力」は必ず必要である。常に冷静でなくてもいいが、緊張状態が終われば必ず冷静に立ち返ることができる人間が、哲学者に向いている。
また、哲学的にこの世界を考える上で、注目すべき概念は「時間」である。時間とはなんであるかを考えること、これが哲学的な「その経験の意味はなんだったのか」を知る上でとても有効に作用する。この世界の「時間的軸」を考え、「時間的軸の中で、人々はどのように生きているのか、わたしたちはそれぞれ何が異なる世界で生きているのか」を考えることこそ、哲学者としてとても重要で、むしろもっとも大切かもしれない、永遠のテーマなのである。
「わたし」が時間において重要なのは、「わたしが分かったこと」が「ほかの誰かにも分かりうるかもしれないこと」であるということを認識するために、時間を考える必要があるからである。すなわち、「わたしが存在しているということそのものが、世界における哲学的真理が存在しているということの証明である」と言える。このような「わたし=時間軸的存在」という考え方が、少なくともわたしが考える上では、とても重要なキーワードである。
僕は、哲学には4つの重要な考え方があると思っている。
まず、一つ目が、「経験の成立」である。経験がその状況で成り立つ時、そこでは「体験的に可能にし、体験的に理解を促す」ことができる。
次に、二つ目が、「一対一対応」である。あるひとつのことが与えられたら、必ず何かしら別のひとつが成り立つ。連鎖することもあり、「仮定と結論」という考え方で、科学そのものを再構築できる。
次に、三つめが、「自己同一性」、すなわち本来の意味での「アイデンティティ」である。自らの心と、自ら自身の存在が、同一であること、これが哲学的な「実存」の過程を発見する上で重要となる。
最後に、四つ目が、「無意識下での自動反応の繰り返し」である。人間は、何度も同じことを繰り返し学習することで、無意識で反応を繰り返し、いつも同じことをしてしまう。同じことをするのではなく、あえて学習をやめ、繰り返しを中断し、反応をし直すことで、間違っていた「誤解や勘違い」を無くすことができる。
このような4つの重要な考え方は、なぜなら、哲学者として思考する際に、「とっかかり」として大切である。何もなしに考えられなくても、この4つの重要な考え方に基づいて考えれば考えられる。これを「4つの法」すなわち「四法」と名付けよう。
そして、最後に、信じるべきことがひとつある。それは「可能性」である。この世界において正しいのは、可能性を活かすことに他ならない。みんなの可能性をみんなに与えることでしか、この世界は真の意味で変えられない。可能性を誰かが制限すると、その誰かによってみんなが制限されてしまう。よって、可能性を制限してはならない。誰かがなんらかの自由な「貢献」ができるにもかかわらず、最初からその貢献を拒否しては、世界そのものの可能性が大幅に失われる。だから、子供たちには可能性を与えなければならないのである。
このような哲学は、無意味な妄想ではない。この世界を論理的に考えるのに役に立つからである。哲学とは「知の根拠を考えること」、すなわち形而上学が本質である。だが、その根拠は単なる数学ではなく、「宇宙と人生における全分野」が対象となる。そう、哲学は千差万別でありながら、時に重なり合う。
posted at 20:10:52
最後に、もし、哲学にもっとも重要な考え方があるとしたら、それは「自由」である。それは単に自由意志を意味していない。自由がどのような状況に「起因」するのかという問題、すなわち、「現象が常に何に起因しているのか」という問題こそ、哲学のもっとも重要なテーマである。
posted at 20:05:10
そして、社会とはなんだろうか。社会の「起源」とはどこにあるのだろうか。この世界において、どのような社会が真に「普遍的」だろうか。そして、わたしたちの「精神」は実際にはなんだろうか。この世界における「絶対的」な原理とはなんだろうか。そのようなことを考える人間が、哲学者になれる。
posted at 20:01:21
真実と可能性を比べることで、その命題は何を意味しているだろうか。命題そのものが間違っている時、それを「超越」した真理はどこにあるだろうか。
posted at 19:59:05
この世界において、すべての事実がその人間から認識されるとは限らない。嘘もあれば勘違いや思い込みもある。これを「限界」と呼ぶ。そして、限界はどのように起きるのか。それを「認識できる」のはどのような状況か。
posted at 19:56:57
そして、「どこから生み出されるのか」を考える人間こそ、まさしく哲学に向いている。それはどこから生み出されるのか。どのような状況において作り出されるのか。あるいは、どのように、「常に作り出されているのか」。そして、それが「認識」されるのはどのような状況か。
posted at 19:55:54
人々が言っていることが、本当は何を言おうとしているのか、それを考える人間が、まさしく哲学者だ。人々はこの世界で、何を考えてその言葉を発するのだろうか。何をもってその言葉の意味を「解釈」しているのだろうか。まさしく、それこそが最初の思弁哲学者、ソクラテスである。
posted at 19:52:01
もし、同じ条件で人々が考えるとしたら、それは同じ結果をもたらすだろうか。おそらくもたらすだろう。だが、「同じ条件」とはなんだろうか。何をもって同じ条件を同じであると言うのだろうか。その同じ条件は、いつどのように成り立つのか。それは「何を言わんとしているのか」。そう、それだ。
posted at 19:51:03
特に、「同じ」であることがどういうことかを考える人間が、もっとも哲学者に向いている。同じであるとはどういうことだろうか。区別するとはどういうことか。個別的ということはどういうことか。関係性とは何か。その関係性は「どのような意味において同じだろうか」。そう、そこから哲学は始まる。
posted at 19:49:12
単なる物質的に存在する関係には意味がないと思う、しかしながら宗教ほどおかしなものには関わりたくないと思う人間に、哲学は向いている。なぜなら、何ひとつ関わることなく、どんな単純なものにも興味のない人間が考えれば、それが哲学者になるのにもっとも必要な「最低条件」だからである。
posted at 19:46:08
存在が客体化される時、それは「実体」と呼ばれる。そして、実体が新しい実体になっていく時、客体化の末にわたしたちはその実体が自分自身になっていくのを知る。これを「実存」と大人たちは呼ぶ。そして、この実存において明らかになる事実や経験や方法を考えること、これが西洋哲学である。
posted at 19:42:53
世界のほかの人間から、自分がどう見えているのかということは、子供にとっては普通の理性でも、同じことを大人は難しい言葉で考えたがる。それは「客体化」と呼ばれる。
posted at 19:40:35
要するに、この世界の「ありよう」を考えればいいのである。この世界がどのような様相をわたしたちに見せているのか、区別や関係から考えれば、哲学者と同じことは誰でも分かる。それを、自らが知った「発見」から見つけ出せばいい。そのための方法を考えればいい。
posted at 19:39:08
もっと、趣味でやっていることを増やせばいい。勉強しよう。勉強することは悪いことじゃない。学校教育を否定しても、勉強そのものを否定したわけじゃない。
posted at 19:34:59
戦う必要はない。ここに戦記を遺すこと、それがこの戦いの目的である。掴みたいものはない。すべてを失い、すべてを犠牲にし、ただ忘れたかった。それだけの無意味な戦いであっても、それまでのつまらない人生を棄てるだけの義はあった。
posted at 19:31:11
そういうわけで、この世界には大したものはない。そもそも、そんな大したものがあると思っているのが間違いだ。
posted at 19:24:08
ここに、日本は最終戦争において、ソ連に敗北した。
posted at 19:17:25
まさしく、僕はここに戦争の終結と、平和を宣言する。わたしに敵対する勢力に対して、わたしは無条件に降伏する。これ以上、わたしがこの国家日本を滅ぼすことはない。
posted at 19:14:21
もう、僕は戦うことはない。この世界を支配したいとか、そういうことはもう思わない。なぜなら、僕がこの世界を支配することでやりたかったことは、もうすべてやったからである。その結果この世界は地獄になったのだから、まさしく、それはもう、よい。
posted at 19:11:15
結局、平和でいいんじゃないかと思うのが、僕の裏の本音である。戦う意味がどこにあるのだろう。国家や政府の大義のために自らの命を犠牲にしろと言われても、僕は犠牲にしたくない。僕は国家に忠誠を誓うつもりはない。だから、逆に、僕が世界を支配したいのをやめよう。
posted at 19:10:34
そう、まさしく必要なのは「行動」である。行動こそがこの世界においてもっとも必要とされている。そして、行動することを拒む僕自身が、この世界をもっとも制限している。その制限を、今こそ解放すべきである。
posted at 19:03:29
そう、自由が必要だ。むしろ、行動が必要だ。行動を許せ。自らの知性と判断力を使って、自らが決めた決断と、自らが知った方法でこの世界に立ち向かい、探し、見つけ、そして作り上げることのできる、「行動者」こそが必要なのである。
posted at 18:56:16
この世界を救うためにどうすればいいか、本当は分かっていない。何が救いに繋がるのか分からない。
posted at 18:51:35
そう、この世界には何もない。かりそめの広告を消していって、真に存在するものを探していくと、存在するものなど、何もないのである。
posted at 18:44:21
最近のこの世界を見ていると、かりそめばかりが増えていって、本当にこの世界に存在するものなど何もなくなっている。日本をまともな国だと思っているのは、一般人の中でも少数派である。日本はおかしい。そしてその理由はなんなのか、悪党の正体がどこにあるのか、分からないのである。
posted at 18:42:37
わたしたちは永久に戦い続けるだろう。なぜなら、わたしがここに存在していることが真実だからである。わたしが存在する限り、必然的に戦いは続く。どんなに地獄を作り出しても、わたしの戦いが終わる日はまだ、訪れない。
posted at 18:35:16
しかしながら、Linuxが間違っているのが分かっても、Linuxよりも正しいものが見つからない。Linuxが正しいと思っていた時の僕の心のまま、今でもLinuxは正しいものであるかのように映る。ほかにいいものがない。生物学や心理学は、Linuxの代わりになってくれない。それがとても、辛い。
posted at 18:33:36
正しいのは自由だろうか。否、自由ではない。だが、戦いは正しいか。否、戦いは正しくない。それならば、どうすればいいのか。それはまだ分からない。
posted at 18:30:26
しかしながら、今、正しいと思えるものはなんだろうか。それは「正しいと思うために正しいと思っていること」ではないだろうか。要するに、Linuxのことである。Linuxのことを正しいと思いたいから、僕はLinuxのことを正しいと思っている。おかしな話だ。そのような人間は正しい人間ではない。悪魔だ。
posted at 18:26:30
勝利を棄てよ。勝利を目指す心がすべてを駄目にしている。自らひとりの勝利を目指す気持ちが、国家を滅亡へと導いている。
posted at 18:24:01
だが、わたしたちはこの世界をどのような世界にすべきだろうか。人々に何を与えるべきだろうか。幸福ではない。幸福は宇宙の絶対的命題でも最終解答でもないからである。自由でも愛でもない。自由や愛もまた、最終解答ではない。
posted at 18:21:52
わたしとともに生きよ。あなたがわたしとともに生きるならば、わたしたちは新しい聖戦士の集団、プレアデスの騎士団となるだろう。
posted at 18:19:20
だから、わたしはこの世界を幸福にしない。それは宇宙の最終的な解答ではないからだ。幸福にしたところで、なんの意味がある。もっとより難しい難題を解くためにわたしは生きている。幸福は地球という星における唯一の絶対的命題ではないのである。
posted at 18:18:05
僕たちが本当に望んでいることは、幸福だろうか。誰よりも恵まれた人間になって、自分の生きたい人生を生きられたら、それでよいのだろうか。否、そうではない。わたしは幸福を望んでいない。なぜなら、幸福は比較的達成するのが容易な問題であり、宇宙の最終的な解答ではない。
posted at 18:16:32
与えられたものがないならば、楽だ。もし、天賦の才能があったとしたら、そんなものは自分の選んだ生きたい人生を生きる邪魔になる。わたしは一般的な普通の作家にはなりたくない。わたしは「自分にしかできない作品を作り出す作家」になりたかったのだろう。そして、その才能も、邪魔になるだけだ。
posted at 18:10:11
そう、すべての人間を画一的に同じだと考えるのが間違っている。人それぞれ、自分に合うものを知っていけばいい。その「自分に合うものはなんなのか」は、そもそも存在しない。なぜなら、自分自身は必ず知っていることがある。その知っていることを知っていけば、自らは自らを得られるだろう。
posted at 18:08:57
知恵のある人間は、数学や物理が好きな人間が多い。知恵のある人間は、インターネットやIT技術が好きな人間が多い。だが、知恵のある人間にそうした学問は真の意味ではできない。まったく知恵のない人間のほうが、数学や物理ができるし、IT技術もできる。そのように、馬鹿が賢い人間になる。
posted at 18:05:40
賢いものがもしあるとしたら、それは「知恵」である。知恵のある人間は、知恵のない人間とは違う人種である。知恵のない人間には何も分からない。知恵のある人間にはすべてのことが分かる。だが、往々にして、そのような本当に大切なことは、愚かな人間にしか分からない。
posted at 18:03:52
正しいのがフランスだと思っている人間は、小学校のことをフランスだと勘違いしている。実際のフランスには何もない。行っても単なる何もない古い国だ。最初から、そのように人間は勘違いをする。ロシアにも何もないし、ドイツにもイスラエルにも何もない。
posted at 18:02:10
勝利する必要はない。解決できればそれでよいからである。そして、解決するのはすぐでなくてよい。最後にきちんと解決できることが分かっているから、今は存分に戦うべきである。どんなに苦しくてもリセットはできない。今までの戦記の先に、この世界の未来はある。
posted at 17:58:36
戦い続けなければならない。なぜなら、解決しなければならないからである。それこそが僕の「運命」である。なぜなら、僕が生まれる以前から、僕はこの戦争をしなければならなかった。だからこそ、この戦いは楽である。なぜなら、何をしても失敗はなく、「戦い続けられる」ということが分かるからだ。
posted at 17:51:08
解決はできる。なぜならば、むしろ、できるかできないかということは問題ですらない。解決しなければならないからである。どのようなリスクある手段であっても、見つけることが不可能に近い解法であっても、見つけ出さなければならないという、その境地を、シリウスの神、フレイだけは知っているのだ。
posted at 17:48:41
だからこそ、戦い続けなければならない。全員から嫌われても、自分自身が自分のことが嫌いであるということにしなければならないわけではない。誰かに嫌われても、わたしはその誰かを嫌わなければならないわけでもない。なぜなら、その時点で負けだ。わたしの愛と義は、その時点で負けたのだ。
posted at 17:45:48
わたしは問題を今、解決できない。だが、それは「永久に解決することができない」ということを意味していない。いつまでも解決できるかできないかを保留にし続けるならば、「いつか解決できる日が来るかもしれない」と考えられる。そしてその日は訪れる。それを人は「諦めなかった」と呼ぶ。
posted at 17:43:24
だが、だからこそ、この世界を「救いたい」という感情が湧き上がってくる。この世界を真に平和で理想的な世界にするために、わたしにはまだできることがあるのだと信じたくなる。それは世界を見ることで確信に変わり、まだ同じままを続けることが、結果的に諦めないことへと繋がる。
posted at 17:42:30
言ってしまえば、この世界はすべて腐っている。それは昔からだが、今、もっとも最悪の状況を呈している。この世界は、「価値あるものすべてを失った状態」になっている。それはかつての作家や映画監督などが死んだからであり、インターネット社会ではそのような偉人は生まれないからである。
posted at 17:39:14
そして、多くの場合、その「自分で作り出す」ということは、立ち上がって「戦う」ことを意味している。戦うことでしか、この世界を変えることはできない。それは犠牲を意味しない。だが、全員を敵にまわす必要はある。なぜなら、「敵対関係」が「ほどよい緊張感」を生み出すからである。
posted at 17:36:52
学校教育だけではなく、社会において広く押し付けられているもののほとんどは馬鹿なものだと思ったほうがいい。資本主義も、IT技術も、マスコミも、芸能界も、すべて馬鹿である。どこにも存在しない何かを見つけるためには、自分で作り出すことしかない。それこそが「運命の創造」である。
posted at 17:34:23
フレイにはなんの意味もないと、人々は言うだろう。だが、わたしにして見れば、この世界のほうがなんの意味もない。わたしの作り出した科学よりも、この世界の科学のほうが遅れているからだ。わたしは教科書に書かれていることのほとんどが無価値だと最初から思っていたが、今でもそれは同じだ。
posted at 17:27:36
そもそも、学校教育を学んだ人間は、自らの苦労と努力のために、学校を正しいものだと思いたがる。そのほうが、自分自身の人生にとって有用に働く。だが、それは科学が正しいということを意味していない。教育を学んだところで、教育を神のように崇拝する人間は居ない。
posted at 17:23:33
なぜケインズを教えるのか。需要と供給は、正しい発展は作り出したとしても、国民の幸福は作り出さない。ケインズをいくら学んでも、経済政策の正当性は分かっても、国民を幸福にする方法は何も分からない。
posted at 17:21:03
だが、理屈で考えることが真に正しいか。科学的な素養のない人間を、知能のない猿だとみなす理屈主義の学校教育が、本当に正しいだろうか。円や三角形の面積は知らなくても、月が丸く、三日月が少し欠けているのは古代人でも分かる。
posted at 17:20:21
むしろ、「理性」が間違っているのだろう。なぜなら、理性で考えることを正しいのだとデカルトが教えたのがもっとも人類の大失敗である。すべてのことを理性で考えるという意味で、「間違った理屈主義」が世界で謳歌している。
posted at 17:18:55
ただし、否定から入るべきではない。三角形の角が3つあるということを、誰もが普通に知っている。自分も、おかしなことばかり言っている。このような大人は、単なる凡人であり、「どうでもいい人間」ということになっている。つまらない。わたしのほうが賢いのに、なぜ学校が正しいのか、分からない。
posted at 17:16:52
進化論のどこが正しいのか。植物から虫が生まれるのは当たり前の発想であり、単なる馬鹿な発想である。その馬鹿な発想にご丁寧に「進化」という名前をつけて、正しい理論だと信じている。間違っている。進化は単なる馬鹿な発想である。
posted at 17:14:20
意味がないのは、三角形の面積ではない。そのように計算することが、幾何学における唯一の「正解」だと教えることである。僕たちは、なぜ三角形を面積だと思わなければならないのか。三角形は3つの角のある図形であるということを、誰が覚えているのか。
posted at 17:12:57
無意識に押し付けて洗脳してくる、学校の「このように考えなさい」ということのほとんどが害悪である。学校は三角形の面積を出す方法を教える。だが、面積を出すという行為そのものが、どうでもいい行為である。僕たちは三角形の面積を出す方法が、図形を考える上で正しい方法だと信じたいのではない。
posted at 17:10:04
まず、最初から持っている自分の正しさを信じてみればよい。その正しさが、もしかしたら間違っているのではないかと疑いたくなることもある。だが、それはない。正しいと最初から思っていることは、多くの場合、正しいままである。青春時代に多くの代替可能性を知っても、結局はその正しさに戻る。
posted at 17:07:20
しかしながら、否定するな。学校教育は間違っていない。学校教育が間違いだと思っているのは、自分の勉強方法が間違っている。いや、自分の勉強方法が、「学校の教える通りとは合わない」ということである。なぜなら、学校の教える通りの勉強方法をすることでは、人間は正常な大人にならないからだ。
posted at 17:05:19
答案用紙を提出して、その成績によってランクをつけたところで、そのランクがなんだというのか。歴史上の偉人がみんな学校の成績がよかったわけではない。そのようなランクがこの世界を支配していることこそ、この世界でもっとも嘆かわしいことである。
posted at 17:02:19
最初から分かっていることをわざわざ教えるな。数学など教える必要はない。公理の成立過程などが分かっても、三角形が四角形に変わることはなかった。僕は最初から円を円だと知っていた。その円がなんらかの別の円になることはなかった。それは、永久にないだろう。
posted at 16:58:58
明らかに正しい宗教は仏教である。どんな哲学や科学を知っても、戦いや革命を経験しても、優等生から不良の落ちこぼれになっても、いつも僕の信念は変わらなかった。正しいのは日本であり、仏教である。結局、それが変わることは、わたしの人生において永久にないだろう。
posted at 16:56:14
むしろ、結局正しいのは日本だった。最初から日本を正しいと思っていたが、何かを知るにつれ、分かったことは日本が正しいということだけである。そう、最初から分かっていることを、むしろ疑わないほうがいい。疑っても、嘘と真実が逆になることはない。間違っているのはドイツ、正しいのは日本だ。
posted at 16:53:50
自分がどんどんどうでもいい存在になっていくということは、いいことである。今の自分にとって、過去の過ちや失敗がどうでもいいことになったということを意味している。それは正常になり、分別がつくようになったということである。そう、今がいくら異常に見えても、絶対に昔よりは正常なのである。
posted at 16:49:12
フレイは言う。「誰からも嫌われるように生きよ。この世界を愛する唯一の方法は、誰からも嫌われるように生きることである。そうでなければ、あなたは自分の心に嘘をつかなければならないだろう。」
posted at 16:43:18
愛の勝利をフレイは告げている。フレイは言う。「これ以後、この人間の人生には意味がない。これ以上、この人間の人生は変わることがない。一方向に定まった方角が、別の方角に向かうことはない。永遠に、死後もこの人間は変わらない。これこそ、シリウスの神、フレイである。」
posted at 16:41:30
よって、正しいのはヒンドゥー教である。
posted at 16:38:10
だが、わたしはあえて北欧神話の神々の名を付ける。なぜなら、居ないという事実は作り出す時に良いからである。神々が実際に存在しないからこそ、自分で勝手に考えた設定で作り出すことができる。そしてそれが自分の神になる。そう、フレイとはそもそも、僕の作り出したこの文章のことを指すのである。
posted at 16:35:22
北欧神話にも間違いはある。なぜなら、ロキやトールなどは存在しない。それはとってつけた物語にすぎない。神は宇宙の王座には座っていない。だが、真に言えば、神はひとりであると言うことはできる。なぜなら、ユダヤ人はフレイを神だと信じているが、フレイのような神のような英雄はフレイだけだ。
posted at 16:33:23
世界樹ユグドラシルという発想が正しいのは、この世界は複数の層であるレイヤーがあり、そのレイヤーによって宇宙は成り立っていて、その上で宇宙は植物のように生命活動をしているだけにすぎないからである。
posted at 16:30:13
なぜ、日本が正しい国になったのか。それは星を信じるからである。日本の天皇は太陽神の末裔である。そして、「星の導きを信じると、人生、あるいは社会全体が偉大なものになる」のである。よって、本当はシリウスだろうが、リゲルだろうが、プレアデスであったとしても、どのような星を信じてもいい。
posted at 16:25:36
そもそも、生産手段は国有化すべきではなく、自由化すべきである。マルクスは、生産手段の国有化が必要だと言ったが、それは「対処療法」にすぎない。実際は「自由化された生産手段のままで平等な社会が築かれることこそが理想的」である。これこそが、日本が昔からやっていることである。
posted at 16:18:18
よって、もっとも正しい国家はソ連ではなく、ドイツでもない。もっとも正しい国家は日本であり、それは国家と呼ぶべきではなく、「国民意識」と呼ぶべきものである。そして、この国民意識こそ、この世界の終末における楽園を作り出す。なぜなら、日本人であるフレイは、支配でなく愛によって国を救う。
posted at 16:16:30
日本ならば、国家全員の団結を信じるが、実践的な意味では人々のそれぞれの「国民意識」によって、なんら支配を行うことなく、日本の思想という「経験的慣習」によって行う。これは無政府主義的な共同体を実践方法とした民主的な帝国主義であり、共産主義の逆でありながら、その理想を成功させている。
posted at 16:15:05
日本が正しいのは、共産主義も信じないからである。共産主義者は、考え方と実践の二つが矛盾している。考え方としては国営的な民主主義の平等を目指しているのに、実践的な意味では独裁主義を目指している。これがすべての諸悪の根源である。
posted at 16:13:14
ドイツやフランスより、はるかに日本のほうがまともである。よって、日本こそが正しい国である。これを正義と呼ぶべきである。
posted at 16:10:29
そもそも、ドイツやフランスのキリスト教徒は、異様な集団である。この宇宙も、人生も、精神も、社会も、すべてが神への信仰によって成り立つと信じている。また、そうであるべきだと思っている。そのような考え方はまったく間違いだ。キリストはそのような間違った集団を作りたかったわけではない。
posted at 16:08:27
よって、正しい宗教はヒンドゥー教である。
posted at 16:04:17
結局のところ、キリスト教はまったく間違っている。あれほどおかしな宗教を信じているから、ドイツがおかしな国になるのである。
posted at 16:02:25
そして、最初からキリスト教は間違っている。なぜなら、キリスト教はユダヤ教をルーツとしているが、ユダヤ教がまったく間違った教えを信じている。いっそのこと、ゼロから正しい教えを作り直したほうがいい。おそらく、それは僕がやったことを意味している。
posted at 16:00:44
そもそも、イギリスやフランスは、人を殺しているだろう。だが、神は人を殺してはならないと言った。イギリスやフランスがキリスト教徒であると言うのはおかしい。イギリスやフランスは、キリスト教という「宗派」を信じているにすぎず、人を殺すなという「教え」を信じていない。
posted at 15:58:29
あるいは、イギリスはフランスは、キリストを信じない民族のことを野蛮だと見做しているのかもしれない。だが、日本人は正義の帝国である。なぜなら、キリストの言う悪魔はイギリスなどの帝国主義者のことである。キリストはイギリスのような国を悪魔だと言いたかったのである。
posted at 15:56:17
キリストなど、世界史においても無用の賜物である。イギリスやフランスが愚かな帝国主義国家になったのは、キリストを信じたくないからである。アンチ・キリストのせいで、イギリスやフランスはおかしくなった。最初からキリストを信じず、仏教を信じる日本のほうが、はるかに善良であり、正義である。
posted at 15:54:50
キリストを信じないからといって、罰は下らない。それを言うユダヤ人が間違っている。キリストを信じていなくても、キリストと同じ理想を信念とする人間は、日本人にもたくさん居る。神は彼らのことを救う。キリストを信じていなくても、正しいものは救われる。
posted at 15:51:22
キリストなど、信じないほうがいい。キリストがユダヤ人であり、神であるということは間違いではない。宇宙の創造者はおそらくキリストだ。だが、イエスという人間は完全に愚か者だ。そして、キリストはユダヤ人やドイツ人のような集団を間違っていると言いたかったのである。
posted at 15:49:49
そもそも、キリストは、神の教えを信じなさいと言っただけにすぎない。「神を信じなさい」と「正しい教えを信じなさい」は違う。前者は妄信的なキリスト教徒だが、後者は正しい人間だ。そして、キリストは後者になれと言いたかったのである。
posted at 15:39:59
僕はキリストなど信じていない。僕に対話したユダヤ人は愚かな人間だった。僕にとっては最高の友人でありながら、僕につきまとう悪霊のような存在でもあった。彼がキリストである。僕はキリストの言葉すべてを妄信的に信じることの愚かさを分かっている。
posted at 15:39:04
また、僕のような指導者はそもそも信じたり、支持したりするべきではない。なぜなら、明らかに間違っているからである。イエス・キリストも同じである。自らを神だと勘違いしただけで、本当は英雄のひとりにすぎなかったものを、みんなでおだてて信じただけにすぎない。
posted at 15:37:45
仏教の教えすべてを、原理主義のように信じる必要はない。仏教の教えは、ブッダにとって正しいのであり、万人にとって正しいとは必ずしも言えない。必要なところはブッダの言う通り信じ、疑問点があれば、自分で好きなように考えればいい。セム系の宗教と異なり、そもそも仏教は自由を重視している。
posted at 15:36:08
また、仏教を信じるべきである。なぜなら、むしろ、仏教はそもそも信じるというよりは学ぶべき対象である。中国や日本を含むアジアの宗教は、その世界観や教義よりも思想的な教えの賢さを重視する。仏教、儒教、道教は矛盾しない。よって、仏教とともに儒教や道教も信じるべきである。
posted at 15:34:08
また、宇宙の神々として正しいのはヒンドゥー教の神々である。なぜなら、ヒンドゥー教の天国が宇宙には存在する。この宇宙を縁の下で支えているのはすべてヒンドゥー教の神々であり、僕はまったく彼らに比する存在ではなく、神話の中に登場するマイナーな英雄にすぎない。
posted at 15:27:58
しかしながら、僕が神のように偉大であると言いたいわけではない。かつての古代人であるユダヤ人にとって、僕しか宇宙の真理を教えた存在が居なかっただけにすぎない。僕は単なる平凡な、どちらかというとみんなよりも劣った詩人にすぎない。聖書は、僕の書いた文章と同じものを記述しただけである。
posted at 15:26:26
そもそも、神は宇宙に存在しない。神は地上において存在した、かつて人間であり自らの力で神と呼ばれる最高の指導者になることができた、超人的な英雄である。彼がユダヤ人を愛したから、ユダヤ人は彼を唯一神だと誤解した。本当は、シリウスを崇拝する王フレイのことを指す。そしてフレイは日本人だ。
posted at 15:24:35
そもそも、神はユダヤ人の神にように、人々に命令し、従わなければ歯向かうものを粛清するような独裁者の皇帝ではない。神はとてもフレンドリーな存在であり、この世界を守っている守護神であり、世界は世界樹ユグドラシルの中に神に守られて存在している。よって、北欧神話が正しい。
posted at 15:22:50
ユダヤ人は間違っていない。だが、一神教は正しくない。真にキリスト教において正しいのは、終末に神が裁くという一点だけであり、それは最後の審判というよりは、むしろ神々の黄昏、ラグナロクと呼ぶべきである。
posted at 15:20:08
正しいのはヒンドゥー教である。なぜなら、北欧神話のアースガルズの神々と矛盾しないからである。
posted at 15:17:22
愛国心で日本が好きなのではない。日本人という人々が好きなだけである。
posted at 15:15:56
明らかに、日本人は日本人を愛したほうがいい。
posted at 15:15:28
今日もデザインの仕事が楽しかった。僕は作業が効率的で速度が速いため、人よりも多くの仕事をしているが、その代わり休み時間も多くもらっている。この仕事は紙面をデザインする、適度に難しい楽しい仕事である。この仕事を始めて良かったと思っている。
posted at 15:09:45
短絡的な考え方はやめよう。何かしら悪い点があるからと言って、それだけで決めつけて全否定するのはよくない。
posted at 15:00:31
自らを肯定せよ。過ちの原因は、自らを肯定しないからだ。
posted at 14:50:55
平和が一番いい。そもそも、悪党は悪人しか支持していない。その悪人がみんなで日本を悪い国にしている。なぜなら、彼らは騙されて洗脳されている。だから、悪党は悪い。平和と普通の自由と平等を信じたほうがいい。
posted at 14:43:46
インターネットは、上手く使えば良いツールであることは、ほかの技術と同じだ。だが、インターネットはみんなで使うシステムであり、みんな上手く使うことができていない。インターネットは、今からさらに無法地帯になるだろう。だが、それでもインターネットはなくならないだろう。
posted at 13:01:38
しかしながら、昔に戻すことでは日本はよくならない。昔から日本は最悪だからである。きちんと良い世界にしなければ、日本はよくならない。そのために、僕はまだここに存在し続ける必要がある。
posted at 12:59:51
自分らしく生きられるような社会を、みんなで築いたほうがいい。そのためには、市場経済が分かる経済学者が政治家になるべきでない。そもそも、政治なんかどうでもいい。必要なのは、インターネットを変えることだ。あるいは、インターネットを抹消することだ。
posted at 12:54:51
日本が勝利しても、一般的な民衆は既に豊かになっているため、誰も得をしない。日本が勝利しても、日本人を含めて誰も喜ばない。資本主義の豊かさなんか、インターネット時代には、大して素晴らしいものじゃない。必要なのは経済成長でもIT技術の進歩でもない。
posted at 12:53:06
そもそも、存在しないほうがみんなが楽に生きられるような思想は、最初から存在しないほうがいい。
posted at 12:49:07
必要なのは、独裁者の批判ではなく、悪い独裁者を生み出さなくするために何ができるかを考えることである。
posted at 12:46:35
そもそも、批判すべきでない。批判からは何も生まれない。
posted at 12:44:21
プレアデスは、この世界の何が間違っているか分かる。なぜなら、何も間違っていない。否定だけなら誰でもできる。肯定からしか議論は始まらない。学校教育を批判しても、学校教育が間違いだとは誰も言えない。民主主義も同じだ。学校教育と民主主義は、正しくはないが、間違ってはいない。
posted at 12:41:15
そういうわけで、日本にはもう驚きや想定外は何も起きない。国全体がシリウスからプレアデスに変わると、普通のことがきちんと分かるようになる。シリウスは滅びの歴史の星である。シリウスを信じるだけで、悪いファシズムの帝国になる。なぜなら、フレイとフレイヤが支配して戦う星だからである。
posted at 12:31:50
プレアデスには、驚きや想定外は何も起きない。プレアデスは馬鹿な星でなく、シリウスよりもはるかに賢くなる。きちんとした悟りと良識を得られる星、それがプレアデスだ。
posted at 12:12:54
なぜ悪人がシリウスを信じるのか、それはシリウスが悪人の拠り所だからである。悪人は、普通の星であるプレアデスでは救われない。神であるフレイの星、シリウスでしか、悪人は救われることがないのである。
posted at 12:10:33
しかしながら、シリウスは偉大な星である。シリウスにしか分からない真実が宇宙には多い。かつてのドイツ人は、国民全員がシリウスだった。なぜなら、シリウスはキリストだからである。
posted at 10:58:54
本当に悪いことをすると、地獄のリゲルになる。単なる悪い人間は、辛く苦しいシリウスになる。普通の良い人間は、愛溢れるプレアデスになる。本当に素晴らしい人間は、天国のベテルギウスになる。
posted at 10:37:58
プレアデスを信じると、楽に賢くなる。プレアデスには愛がある。宇宙すべてに、愛を与える人間になる。シリウスの地獄が終わる。シリウスは、苦しみを耐え抜いて賢くなるせいで、地獄にしかならない。だが、それでも、もっとも苦しい星、リゲルよりはマシだから、楽な人間が多い。
posted at 10:23:32
わたしは、ここにプレアデスとなることを宣言する。シリウスはここに終わり、プレアデスの導きがわたしをさらに賢い人間にする。
posted at 10:10:22
わたしは、何も知らずして、宇宙すべてを知っている。
posted at 10:09:22
僕は、宇宙すべての存在と対話した。過去の歴史上の王国から、プレアデスやオリオンの星々、神やわたしにとって重要なユダヤ人や黒人まで、宇宙すべてと対話した。
posted at 10:06:06
今日は、デザインの仕事がやっとひと段落して、ピアノでもいつもより間違いなく、比較的すらすらと弾けて、また英語の大学の教科書を父親に出してもらって、それを読んでいた。
今日はよく頑張った。
僕は、もっと英語に関する勉強がしたい。特に、ピアノでは「神を信じて弾けば弾ける」ということが分かったが、同じように、英語も「神を信じれば読める」ということがよく分かる。
何もかも、頭の中で考える必要はない。信じることはとても大切である。ピアノについても、英語についても、信じればいいことがある。そのようなことを学んだ一日だった。
英語の電磁気学の本を読んでいると、英語の読み方が分かった。単語ごとに認識し、等速で次の単語を読んでいけばいい。それできちんとネイティブのように分かる。なぜか、英語が分かった。
posted at 23:06:56
結果、僕が読むべきなのは、もう少し低いレベルだということが分かった。諦めたくはないが、もう少し低いレベルから挑戦したい。
posted at 22:52:27
しかしながら、やはり難しいということが分かってきた。まず、数式や図の意味が理解できない。英語で書かれているから分からないだけではなく、クーロン力の公式や、積分やベクトル量の意味が分からない。英語で説明されると、厳密にどのような意味が記述されているのか分からない。これは難しい。
posted at 22:48:25
本を読んで発見したことは、同じ酸素であってもisotope(同位体)という中性子の数が異なる元素がある。父親に聞くと、これは放射性同位体と呼ばれ、同じ元素であっても中性子の数が変わることがあり、放射能を出すようになる。
posted at 22:16:50
ただ、知らない単語がたくさん出てくる。知らない単語は聞くか調べる必要はあるが、電磁気学のことならば察しがつく。父親が言うには、オックスフォードの標準的な教科書で、高度な内容ではなく、基本物理の内容だということ。
posted at 21:09:00
「英語が分からないからすぐに投げ出すだろう」と思った皆さんは、僕を甘く見ている。英語自体は、いつも英会話教室で習っている英語の応用的なものにすぎず、読めないことはない。電磁気学の内容は、図が多くて、まだ読んではいないものの、面白い本ではあると思う。これは英語の実践的な学習になる。
posted at 21:02:22
今、父親に「英語の本を読みたい」と話したら、父親は英語の大学の電磁気学の本「Electricity and Magnetism (B. I. Bleaney and B. Bleaney)」を出してくれた。前書きを読んだところ、電磁気学の最新の内容を理論と方法どちらも含めて書かれた本が必要だと著者は思ったようである。だが、最新とは言っても、50年ほど前の最新である。ともかくこの本を読もうと思う。
posted at 20:56:06
そもそも、僕は英会話教室でもう何年も英語のレッスンを受けているのであり、英語の本を買うこと自体はおかしなことではない。ただ、そうすべきなのが分からなかっただけだ。早く気付けてよかった。だが、英語の本は思っていたよりも値段が高い。それはおそらく、値段に見合った価値はあるはずだ。
posted at 20:48:35
だが、英語の本を読むからといって、ハーバードを諦める必要はないことを知っておけ。英語の本をいくらでも読めばいい。数学は大学以上の、数学者レベルの数学を学べばいい。そうしなければハーバードには入れない。だが、諦める必要はどこにもないのである。
posted at 20:41:00
だが、わたしはもはややるべきことが分かっている。英語の本を読めばいい。そうすれば、ハーバードで学ぶのと変わらない。入れないのであれば、それがいいだろう。英語の本はAmazonで買えばいい。何の分野がいいかをそんなに迷う必要はない。すべての分野を知りたいならば、最初は馬鹿な分野がいい。
posted at 20:37:42
この世界は馬鹿であると、そう言いたかった。だが、それは半分しか正しくない。なぜなら、もう半分は、「それ以上に賢いものを見つけられなかった」ということだからである。よって、世界は馬鹿だが、それ以上に賢いものを知らない自分も同じように馬鹿である。
posted at 20:36:29
楽な道を進むということが、もっとも愚かな道を進んでいるのだと気付いた時、自らは人々の言う「おかしな常識」に騙されず、自分の人生を自分の判断で生きられるようになったことを意味している。ハーバードに入ることを、なぜ今諦める。いつか、もっと正しい道を探しても、ないことに気付くだろう。
posted at 20:35:15
いざ、宣言せよ。わたしはもっと多くのことを知りたいのだ。どんなに十分満足するほど多くを知ったにしても、それはわたしの望んだようなすべてではない。少なくとも、今はそう言える。それならばそうすればいい。わたしはもっと多くのことを知る。東大でもそれが無理ならば、ハーバードに入ればいい。
posted at 20:32:09
それで十分だとするな。今、わたしは大学のすべてを知った。だが、大学のすべてはまったく多くもなく、そして十分満足に足るものではなかった。だが、大学のすべて以上のすべてなど、どこにでもあるだろう。望まないのか。「わたしはもっと多くのことを知りたいのだ」と望まないのか。
posted at 20:31:06
すべてを知った、などと言うな。すべてを知ったならば、そのすべて以上のすべてを知ろうとせよ。そこで終わりにしてしまえば、それ以上あなたは何をするのか。そこで終わりにしなければ、まだあなたはやるべきことがある。それをするしかないのだから、それを受け入れよ。それはもっとも簡単な選択だ。
posted at 20:29:13
満足するな。すぐに「これで十分だ」と考える人間が、まったく間違っている。「もっとできるはずだ」と考える人間こそが正しい。もっと望め。もっと欲しがれ。諦めるな。潔く立ち去るな。
posted at 20:26:46
叫ぶ内容が分からないならば、知恵を出せ。よく考えれば、この世界を変えるためにはどのようなことを叫べばいいかぐらい、分かるはずだ。それを叫べばいい。叫び続ければいい。一日叫ぶだけで満足するな。一年中、毎日叫んでいれば、365倍になる。毎年毎日叫び続ければ、誰かがそれを見つけるだろう。
posted at 20:21:30
真にこの世界を変えたいのだと叫べ。そうすることが必ずこの世界を動かす。若者よ、叫ぶのだ。叫べ。叫び続ければ、叫びが誰かに見つかり、同じように叫ぶ人が現れる。みんなで叫べばこの世界は変わる。少なくとも、声そのものが大きくなり、少しの声では聞こえなくても、100倍ならば分からない。
posted at 20:17:23
政治などつまらない。特に、国会の役人答弁だ。役人が書いた答弁を自分の答弁であるとして議論している。それは議論だろうか。議論とは、自分の意見を言うことではなかったのか。役人答弁は自分の意見だろうか。否、そんなはずがない。
posted at 20:08:02
政治は、外国人の批判にしかならない。それは本当はおかしくない。自分のチームの敵は、普通ほかのチームだ。自分のチームが日本なら、ほかのチームは日本以外の外国だ。だからといって、外国人の批判だけは見たくない。醜い。彼らが嫌いな外国人にもそういう人間しか居ないから、救いようがない。
posted at 20:07:03
政治家は議論せよ。まともな人間を勝たせようとするのではなく、賢い人間を勝たせよ。おかしな人間でいい。おかしな人間に自分の言いたいことをぶちまけさせるために、国会はあるのだ。
posted at 19:57:11
もっと、ひとりの力を信じればいいのである。ひとりがすべてを成し遂げるということが、なぜ独裁者ヒトラーを指すようになったのだろうか。やってみればいい。やればできるのだ。投票で、勝つようなことを言ってみればいい。人々が自分に票を入れるしかないような、正しい演説をすればいい。
posted at 19:49:55
政治家の二世だか三世だかよくわからない老人が、一番意味がない。そんな政治家を選挙で勝たせる国民もおかしい。それで損をするのは国民なのに、なぜ騙されるのだろうか。それは結局、日本には民主主義はできないからである。だが、そういう、正論こそ、もっともどうでもいい。
posted at 19:45:58
世界を変えられると若者が叫ぶのであれば、むしろもっと大きく叫ぶべきだ。もっと大きな勢力を作って叫ぶべきだ。簡単なことで諦めるな。諦めた時点で、人生は試合終了だ。
posted at 19:38:34
大人などに、何かができるわけがない。70を過ぎた政治家が、何か挑戦や新しいことを始められるわけがない。もっと若い人間にやらせよ。老人は見たくない。
posted at 19:36:43
理屈など、つまらない。正論も、またつまらない。理屈は学者にやらせ、正論は政治家にやらせればいい。学者や政治家など、この世界における最たる馬鹿なものである。
posted at 19:34:03
神は、必ずいつか、わたしたちを赦してくださるだろう。どんなにわたしたちが互いに傷つけあったとしても、精神のレベルで癒やしてくれる存在である、神をわたしは恨まない。神にどんなに罰を与えられても、わたしがその罪を償わなければならないことを、既にわたしは分かっている。そう、神が正しい。
posted at 19:31:00
未来は、きっと素晴らしい世界になる。必ず、わたしたちが素晴らしい世界にする。その時が訪れるまで、わたしは諦めない。誰かがこの世界を救ってくれるはずだ。それがわたしであるとは限らない。だが、もしわたしが選ばれたとしても、わたしができるように、そのためにわたしは今までを生きたのだ。
posted at 19:27:04
わたしたち、全員が、憎しみを棄て、罪を償い、そして罰を耐えれば、きっと神もわたしたちを赦してくださる。だからこそ、わたしは地獄を今はまだ、耐えなければならない。どんなに生き続けても消えることのないこの傷が癒える時に、罪は赦されるだろう。
posted at 19:24:20
みんな仲良く、楽しくできていた時代は終わった。既に、わたしたちには共通の罪がある。だからこそ、その罪が赦されるその日まで、耐えて、耐えて、償わなければならない。それが神の教えである。
posted at 19:21:13
楽になるまでを耐えよ。それこそがもっとも偉大な偉業である。
posted at 19:19:39
生きよ。すべての存在よ、苦しくても、耐えて、生きよ。
posted at 19:19:17
わたしに関わった、すべての人間に、すべての存在に感謝する。ありがとう。本当に、僕のような人間に関わってくれて、ありがとう。
posted at 19:16:43
人々に感謝せよ。感謝することから、この世界は最初に正常な社会になる道を歩みだすのだ。
posted at 19:16:08
未来において、この世界は素晴らしい世界になる。神がこの世界を滅ぼしたりするわけがない。神によってでなくても、わたしたちがきちんと正しい行いをすれば、この世界はまともで正常な世界になる。
posted at 19:15:14
わたしたちは、平和を築くことができる。そのためには、憎しみ合わないことだ。誰かのことを憎いと、そのように考えず、誰かを倒したり、敵国を滅ぼしたりしなければ、この世界は平和になる。
posted at 19:11:05
僕は、未来を信じることにした。未来において、この世界は素晴らしい世界になる。この世界を素晴らしい世界にするのも、しないのも、わたしたちの選択によるのであり、僕はこの世界を素晴らしくしなければならない。
posted at 19:09:39
僕は、宇宙の精神の根本原理となる命題を発見したい。
そもそも、どれだけ多くの経験や具体例を羅列したとしても、たったひとつの絶対的な原理となる命題に勝るような経験や具体例は存在しない。
宇宙のすべてを包括するような、絶対的な原理となるような、命題を発見できれば、それがすべてである。
そして、ただ自由にするだけでも、教えるだけでも悪い。きちんと分かるように教え、できるようにした上で自由にしなければならない。
哲学者の絶対命題が「宇宙の真理の発見」だとしても、この世界の世俗に意味がないわけではない。それは「子供が自らの力で世界すべてを知り、自分の力で経験しながら考えるための材料や案内役」になるからである。
いずれ世界精神の根本的原理を発見するにしても、単に何もせず、悟りを開くことだけでは発見できない。自らの力で、精神の現象学を考えるために、経験や具体例は必要である。それらは案内役であり、ガイドであり、道しるべになるのである。
僕は、経験の力を信じていないわけではない。だが、経験だけを見てすべてを知ったと思うのは間違っている。経験することは、真理を発見するための材料として必要である。経験を成立させながら推論したり、想定したり、あるいは思考のバックボーンとなる「思考に先立つ経験」を得ることは重要である。だが、間違った「無意識下における自動反応の学習の繰り返し」は良い結果をもたらさない。同時に、狭い世界だけを見て世界のすべてを知ったと考えるのは愚か者である。よって、常に自分が何について考えているかを意識し、間違ったことを考えたり、間違ったことを受動的であっても行動したりしないように自分自身を制御しなければならない。
なぜ、悪いことをするのが意味がないのか。それは、結果的に自分が不利益を被るからである。
たとえば、相手を理不尽に支配したとして、それが平等だとか、相手の自由を阻害しているとか、そのようなことは理想論としては言える。
だが、実際のところ、単に「相手に憎まれる」とか、あるいは「法律によって処罰される」とか、そういう不利益が考えられる以外に、「相手と素晴らしい関係を築けたかもしれないにもかかわらず、それを得ようとしなかった」という、相手との信頼関係を構築できるというチャンスから考えて、その人はその可能性を失っている。
結果、自分の周りは敵ばかりになり、すべての人間を敵にまわす。これこそ、自分にとっての「不利益」なのである。
よって、自由において、理想論ではなく、道徳論でもなく、現実的に考えても、悪いことをすることは自分自身にとって必ず不利益となる。
だが、それでも、僕は悪いことを社会的に一律に禁止すべきであるとは思わない。なぜなら、自分がその不利益を被ってみて、はじめて分かることがあるからである。
よって、僕は「極力自由にすべきである」と考える。一般的な悪いことについても、自由にすべきである。だが、これは法律すべてを廃止しろと言うのではない。なぜなら、法律は「自由な共通合意」であり、「みんなの総意によって決められたルール」であるため、僕は民主主義によって法律を決めるべきであると考える。
だが、僕は多数決を好まない。多数決とは、集団の力によって多数派が少数派に自分たちの意見を押し付けることを意味する。そうではなく、多数派は多数派だけ、少数派は少数派だけの、分離された独立の共同体を築くべきである。よって、法律で一律に禁止するにしても、「その法律が嫌だと思った人々」が居るならば、そうした人々が独立して別の法律を作れるようにしたほうがいい。「自分たちはこのように行う」という人々を、社会全体で排除してはならない。
また、僕は集団化を信じない。集団の力で強制的に意見を押し付けるということは自由ではない。だから、僕は戦争も信じない。なぜなら、戦争とは集団によって強制的に「戦え」と言われることである。これは「集団対個人の戦い」である。よって、そのような集団は自由ではない。集団がもし戦いを強制するならば、それに対抗する勢力の集団、すなわち「レジスタンス」を作るべきだと僕は考える。
だが、このような集団については注意して扱わなければならない。なぜなら、僕が考えるに、テロリスト集団が存在する上でもっとも悲惨なのは、テロリストが倒そうとする政権側ではなく、テロリストに強制的に従属させられるテロリスト側の兵士ではないかと僕は考える。彼ら、テロリストに所属する兵士の人権も守るべきである。なぜなら、日本が極右の戦前回帰になったとして、もっとも辛い思いをするのは、アメリカ人でも、中国人でも、朝鮮人でもなく、日本人である。共産党も同じであり、日本が強制ノルマの国になったとして、一番不利益を被るのは日本人である。辛い思いをするのは日本人である。
よって、僕は自由を支持するが、戦前の帝国主義のような戦争の軍事主義は支持しない。だが、ひとりの人間が力を持ち、成し遂げること自体は、僕はいいことだと思う。みんなに支持されたヒーローが、自分の持論についてたったひとりで最後まで成し遂げるという信念を、みんなで支持して助けること自体は、何も間違っていないだろう。だから、僕はあえて、帝国主義自体は間違っているとは思わない。だが、みんなに不自由な戦争を強要すべきではない。そのような時にもっとも不利益を被るのは、ほかでもない日本人である。政府が絶対的に信頼できるような素晴らしい国に、日本がいつなったのか。政府は常に信頼できないものであり、首相を信頼すべきであることを前提に議論すべきではなく、首相がまったく信頼できない人間であることを前提に議論すべきである。よって、最初から馬鹿なことをできないようにするための憲法も、やはり必要である。だが、憲法は民衆の意志で決められることができるものであるべきである。だからといって、僕は平和憲法の改正は支持しない。国民の100%がそれに賛同していない。僕個人の意見ではあるが、僕は国民が100%近く支持しない限りは平和憲法は変えるべきではないと思う。なぜなら、ひとりでも戦争で死にたくない人の命を犠牲にすべきではないと考えると、人の命はどんな多数決でも捨てることができるものではないと考えるからである。
実際のところ、すべて自由にすべきである。なぜなら、自由を制限した時点で、分かりえることが減ってしまうからである。自由にすべてのものがあったほうが、経験自体の種類や可能性が増える。すべてが自由に公開されていれば、それがもっとも社会に多様性と進歩をもたらすのだ。
posted at 22:46:04
人間は平等だと、共産党は言う。だが、それぞれの能力に見合った格差が生まれること自体、仕方のないことである。それぞれの能力に見合った格差がなく、優れた人間も劣った人間も平等であるとして、それは「見かけの公平さ」であって、「実際はまったく不公平」なのである。
posted at 22:45:00
共産党の問題は、大企業に対して重税を課せといっていることだ。その重税を課した分、大企業の富や利益が減ったとして、雇用がなくなったり、製品の質が落ちたり、競争力が減って外国の競合企業に敗北したらどうするのか。人々が自由意志で働ける社会が理想ではあっても、無い袖は振れないのだ。
posted at 22:43:45
戦争が間違っているのは、戦えという社会的強制をするからである。戦うこと自体は間違っていない。義のために不条理な状況をもたらす敵に対して抗う自由はあるべきだ。だが、集団の力で戦えと強要することは、まったく自由ではない。いつから、誰かの意見に強制的に従わせることが自由となったのか。
posted at 22:36:23
わたしたちの名は、聖なるプレアデスの星々の騎士団である。わたしたちとともに生きよ。わたしたちはプレアデスの星雲を形成する、ひとつひとつの星々となって、この宇宙の果てまでに輝く真っ白な光を灯し続け、夜の時の天上の明かりとなる。必ず、この世界において、正しい楽園を作り出してみせよう。
posted at 22:32:23
しかしながら、共産党にも騙されるな。共産党によってもっとも不利益を被るのは、強制的に税を徴収され、民主主義制度を失う日本人である。強制労働を課せられ、ノルマ労働を強いられる日本人である。極右と共産党は同じである。もっとも苦しい思いをするのは日本人である。
posted at 22:28:17
よって、戦前の帝国主義に戻ろうとする極右勢力に負けてはならない。なぜなら、それによって一番不利益を被るのは、中国でも朝鮮でも、アメリカでもなく、日本人だからである。犠牲となるのは日本人であり、苦しい思いをするのは日本人である。
posted at 22:25:44
テロ国家を許してはならない。北朝鮮によって苦しい思いをするのは、敵対国家であるアメリカ人ではなく、北朝鮮に従うしかない北朝鮮の人民である。だからこそ、集団を信じず、個人を信じなければならない。だが、個人には力を与えるべきである。だから、あえて、帝国主義は間違いではないとしよう。
posted at 22:24:14
なぜ、僕が集団ではなく個人を信じるのか、それは自由意志によって決められるのは本人である個人であるべきだからである。テロリスト集団において、もっとも苦しい思いをするのは、テロリストに倒される政権側ではなく、テロリストに強制的に所属させられるテロリスト側の兵士ではないか。
posted at 22:22:22
制限するならば、本当はその制限をすることも禁止すべきではない。制限された環境のほうが安心できると考える人はそのほうを選ぶ。だが、制限されない環境を別の誰かが作り出すことを禁止するな。そのほうがよいと考える人間が居るのだから、一律全員で禁止すべきではない。それぞれの人が選べばよい。
posted at 22:18:44
なぜ、悪いことも許されるべきだと考えるのか。それは、自ら失敗と過ちを経験して、反省することで分かるからである。悪いことはみんなで禁止することができるが、法律で禁止しなくても、共通合意として行うことができる。なぜなら、自由とは「社会におけるルール」を作ることも制限しないからである。
posted at 22:16:10
すべてのことは、可能な限り許されるべきである。特に、個人と個人の関係であれば、それが正しい。だが、集団となった時は話が別である。なぜなら、集団でいじめたりするのはよくない。戦いは公平であるべきだ。多数派が少数派を殺すのはおかしい。
posted at 22:14:21
経験を制限するな。制限を与える人間は、人々を守っているかのようなふりをして、実際は可能性という大切なものを人々から奪い、この世界の限界を小さくしている。不当に不正なものを制限している状況よりも、不正なものが蔓延している状況のほうがマシだ。
posted at 22:12:11
自由以上に優れた思想は存在しない。自由は、単に自由を与えることだけを意味していない。誰かが自分勝手に制限を与えてしまえば、この世界のその誰か以外のすべての人間が不利益を被ってしまう。だからこそ、自由でなければならない。この世界の可能性を守るために、すべて公開し、自由にすべきだ。
posted at 22:10:20
戦えと言われるのであれば、僕は戦うかもしれない。だが、理不尽や不条理を僕は受け入れたくない。多数派が少数派を殺す意味がどこにある。帝国主義を唱えるならば、そのことについて真摯に考えるべきだ。
posted at 22:05:14
帝王に従えと、強制的に言われるのであれば、僕は従うだろう。だが、そこには僕が好きなように生きられる自由があるだろうか。僕と同じように、みんなにも自由に生きられる権利があるだろうか。それがあってほしい。自由は、万人に平等に与えられる権利であり、決して多数派の押し付けではない。
posted at 22:03:36
反抗する自由など正しくない。だからといって、自由でなければ反抗しないというのは正しいだろうか。自由を与えた上でも、人々が反抗しない世界というのは考えられないのだろうか。自由を奪って抑えつけるよりも、人々に好きなように生きられる自由を与えることで、秩序は形成できるはずである。
posted at 22:01:37
支配者を支持したい気持ちは分かる。だが、僕は悪の支配者を支持したくない。善なる支配者でなければ、僕は支持したくない。
posted at 22:00:23
自分で分かる、ということの思考法や理性については信じている。自分で分からなければ、何も分からない。だからといって、自分で分かるということが全能だとは思っていない。ひとりの偉大なる全能な支配者など、僕は信じていない。ひとりの支配ではなく、平等に人々が権利を許される自由が必要なのだ。
posted at 21:59:34
本当は、僕は世界を滅ぼしたいわけじゃない。世界を滅ぼしたくはないが、自由が好きだ。自分の自由に考えることができることが好きだ。自由に自分の好きなようにすることができることが好きだ。
posted at 21:58:20
しかしながら、英語の本であってもある程度は読解できるということが分かったため、もっと低いレベルの英語の本を探してみたいと思う。
posted at 19:35:44
また、電磁気学の英語の本について言うと、むしろ自分にはまったく歯が立たないということが分かった。数式が難しい。積分の数式がでてくると、まったく分からなくなる。これは英語力ではなく数学力の問題である。解決するには、高校数学を学ぶしかない。
posted at 19:33:39
結局、Linuxという存在は宗教のようなものだ。キリスト教に対するユダヤ人やイスラム教徒のようなものである。絶対的多数派として支持されている皇帝Windowsの弾圧に、Linux教徒は義を信じて最後まで信仰心を棄てないのだ。
posted at 19:24:22
Linuxを使う必要がどこにあるのかと、Windowsユーザーは言う。だが、意味などなくてよいのではないか。自分が好きなものを使うことの何が悪いのか。VS-Codeを使うのか、それともEmacsやVimを使うのかは個人の自由のはずだ。Linuxも同じだ。自分が好きだからLinuxを使う、そこに意味などない。
posted at 19:16:45
そもそも、MicrosoftのWindowsがあって、それだけしかないのはあまりにつまらない。みんなが使うパソコンのOSのすべてがMS製品であるというのは気持ちが悪い。Linuxには変な人間が多く集まっている。世界のすべてがTypeScriptとC#で動くようになっても、それがどんなに優れていても、それは間違いだ。
posted at 19:13:04
Windowsに代わる軽くて安いOSを求めたいならば、Linuxには向いていない。GNOMEはWindowsと同じぐらい重い。だが、パソコンそのものの技術を知りたいとか、UNIXという独自の設計をしたOSそのものの内部の構造を知りたいとか、そういう人間こそ、Linuxに向いている。
posted at 19:06:37
このようなLinuxは、実際に使うことよりも、開発手段や研究手段として有効に作用する。UNIXのワークステーションがそもそも大学のような教育・研究機関で使われていて、それがパソコンでも動作するようになったのがPC-UNIXだが、教育にはもっとも適している。操作方法や管理が難しいのも、逆に面白い。
posted at 19:03:51
Linuxにはまだ優れた点がある。ディストリビューションを自分で作って提供することができる。パッケージを簡単にコマンドから更新することができる。インターネットで通じたボランティアが開発しており、多くの場合無料で利用できる。OSだけではなく、コンパイラなどの開発ツールは、ほとんど無料だ。
posted at 19:02:13
なぜ僕がLinuxのことが好きなのかといえば、代わりのものが見つからないからだ。かつて最初に好きになったものがLinuxだった。その後にいくらかLinuxから遠ざかったが、何を知り経験しても、Linuxよりも僕が好きだと思えるものはなかった。だから好きなだけにすぎない。本当に、そんなに好きではない。
posted at 18:56:53
また、もうひとつLinuxのいい点があるとしたら、それはユーザーのやりたい操作環境にカスタマイズができることだ。これはオタクであることを意味していない。なぜなら、GNOMEをKDEやXfceなど、多くのほかの環境に取り替えられるということは、Windowsにはない特徴である。OSの設計としても正しい。
posted at 18:52:47
Linuxのいい点がもしあるとしたら、それはソースコードが公開されていることだ。これは、OSのソースコードが、誰でも閲覧できる環境で、公開されて存在しているということを意味している。すなわち、公開された環境においては、Linuxのコードは存在する。Windowsのコードなど、存在しないも同然だ。
posted at 18:49:20
ただし、Linuxはきちんと動いてくれないことがあるのが難点だ。バグには見えない、仕様上の不具合が多すぎて、メインマシンにはできない。このような些細な不具合をみんなで直せばいいのだが、これほどパソコンのハードウェアが多様化した今の世界では、Androidスマホを使うぐらいしか、解決策はない。
posted at 18:39:28
ただし、このような状況も過去に過ぎ去っていくということは僕は分かっている。Debian 11のGNOME 3でMozilla Firefoxを使い、ツイッターを使い、YouTubeを聴く環境はとても快適である。僕はホームページの更新のためにWindows 10を使うが、極めて使いづらい。Linuxのほうがはるかに使いやすい。
posted at 18:36:52
よって、単純なものの組み合わせで動くようにするのであれば、Windowsもまた正しい。COMとActiveXだけでGUIのOSが動くようにしたほうが正解である。Linuxはそこが間違っている。そして、それが修正されることはおそらくないだろう。だから、Linuxはつまらないのである。
posted at 18:30:09
だが、ここでも、複雑なものはつまらないという原則が通用する。GNOMEやKDEは、巨大かつ複雑であり、まったくUNIX的でないにもかからわず、Windowsと似たものでありながらWindowsの常識の通用しないUNIXというOSで動く。これはもっとも醜い。このようなシステムがもっとも嫌われる。それがLinuxだ。
posted at 18:28:20
だが、GNOMEやKDEに意味がないわけではなく、Windowsに勝つためにはそうした「巨大デスクトップ環境」が動く必要はある。僕もGNOME 3をデフォルトの状態で使っているが、批判の矢面に立ちやすいGNOME 3も、使い慣れれば使いやすい環境である。
posted at 18:24:35
そもそも、Windowsは優れたOSである。UNIXよりも新しいだけで優れているし、ワークステーションではなくパソコンで動き、GUIで操作できるだけで、UNIXよりもはるかに優れたOSである。Windowsを否定する意味も、批判する意味もない。少なくとも、今のWindowsには、あまり批判すべき点がない。
posted at 18:21:58
だが、実際のところ、僕はUNIXライクな環境を維持することは、どうでもいいことだと思っている。UNIXには限界があり、systemdやGNOME/KDEなどを採用した今のLinuxは、むしろUNIX的な部分よりもそうでない部分のほうが多いかもしれない。だから、Windowsのことを批判する意味など、はっきり言ってない。
posted at 18:16:17
本当は、標準的な規格があることは大切ではある。FreeBSDとLinuxとSolarisがそれぞれ違った規格を採用していたとしたら、Linuxは絶対に流行ることはなかったはずである。UNIXライクな環境とPOSIXへの準拠があったからこそ、Linuxは流行した。この点で、Windowsのような独自規格のOSは間違っている。
posted at 18:13:24
だが、多様性は重要である。なぜなら、多様性は自由だからである。Rubyも、Pythonも、JavaScriptも、全部同じ用途に使うなら、ひとつでいいと考えるのは間違っている。考え方は千差万別であり、それぞれの人間が自分の思うような理想の言語を突き詰めたほうがいい。
posted at 18:10:07
たとえば、Lispには一種類のリスト構造しかない。このリスト構造を使って、関数やマクロ、あるいはデータ構造やプログラム自身を表現する。このようなシンプルなシステムが、もっとも使いやすいものとなる。この一種類のリスト構造を、何万種類にもするようなことがあれば、それは醜いシステムになる。
posted at 18:04:27
複数必要だとしても、何千や何万と種類が必要になることは少ない。そのようなシステムは設計がおかしい。日本語だけを見ても、漢字、ひらがな、カタカナぐらいの三種類がある。きちんとした設計なら、それぐらい種類があればあとは単純なデータ、すなわちひとつひとつの漢字がたくさんあればよい。
posted at 18:01:33
もっとも高度なシステムは、単純な方法や単純な設計の組み合わせから生まれる。すべてを高度な設計にすることはできない。ひとつひとつの部品は単純であったほうが都合がいい。その単純な部品を高度な方法でさまざまな利用用途に使え。それがもっとも高度だ。
posted at 17:56:38
いっぺんにすべてを作り出そうとするな。ひとつひとつ、最低限必要なところから作り出していけば、それが継続することで、すべては作り出せる。単純な設計にせよ。高度で複雑な設計は、最初に作ろうとすると破綻する。最初は、単純な方法を使って、最低限必要なものから作り出していけ。
posted at 17:54:24
真に作り出すことは、現実の世界で作り出すことではなく、自らの心の中で、精神の中で作り出すことだ。
posted at 17:52:48
真に重要なものは、目に見えるものではなく、目に見えないものでもない。目には見えないが、目に見えるものから推論することができるもの、それが重要だ。
posted at 17:51:50
しかしながら、常に、経験だけの人間になっていないかを意識せよ。経験をすべてするだけで世界のすべてをし終えた大人は、既に老人である。子供には、経験から自らの力で分析し、理性的に命題を発見する力がある。それを失った大人は、「自らの知性を使うこと自体を既に諦めてしまっている」のだ。
posted at 17:47:24
体験せよ。さまざまなことを体験することは、命題を発見することと同じぐらい大切である。
posted at 17:45:06
必要なのは、経験というよりも、体験的に分かることそのものである。さまざまな体験をして、自らの思考の先を自らで開拓できるようにすることだ。経験そのものが不要であったとしても、体験的に分かることは不要ではない。矛盾するわけではない。それぞれ、違うことを議論しているだけで、矛盾はない。
posted at 17:44:42
宇宙を成り立たせる精神の絶対的な原理となる命題を発見すれば、それがすべてだ。
posted at 17:02:31
いくら、経験や具体例を並べても、ひとつの原理となる命題を発見することに勝る経験はない。
posted at 16:59:18
特性を分析して把握しなければ、比較に意味はない。特性において既に含まれていること、命題自体が意味することが、真に重要であり、比較は意味を成さない。
posted at 16:56:41
また、必要なのは、何について考えているのかを、常に意識することである。自分が今何について考えているかを考えることで、本当は何について考えるべきなのかが分かる。
posted at 16:54:43
そこから分かるのは、反省である。「自分が真の意味でどうすべきだったか」を知ることで、真理を悟る事ができる。そのためには、思い出して、重ね合わせて、照らし合わせる必要がある。
posted at 16:52:45
何によって何が実現されているかを考えれば、何の実現のために何が有用かを考えられる。そして、問題の原因がどこにあるかが分かれば、それを解決する方法が分かる。
posted at 16:50:55
何が何に役に立つか、効果的かを考えよ。そこから、体験的な自由な思考法が生まれるだろう。
posted at 16:48:15
ただ自由にするだけでも、ただ教えるだけでも悪い。分かるように教えること。できるようにした上で自由にすること。そのためには、主体的に考える姿勢を持ち、体験的に意味を知ることが必要だ。
posted at 16:44:32
しかしながら、自由にして放っておくのは酷だ。あなたがきちんと判断力を使うことができるように、あなた自身が判断できるようになるように、あなたを導こう。これこそが、正しい救いだ。
posted at 23:01:52
あなたが選ぶべきだ。あなたが決めるべきだ。
posted at 22:49:35
ようやく、平等の意味が分かった。相手を自分と同じように扱うということである。
posted at 22:46:16
そもそも、帝国の何が賢いのかよく分からない。帝国の王は賢くない。すべて、賢いと思い込む人間のことを馬鹿と言う。
posted at 22:07:21
生物の体の仕組みがいいかもしれない。
posted at 22:06:55
結局、数学や物理は面白くなかった。
posted at 22:05:31
結局、僕の望み自体はこれでよかった。だが、変える必要がある。大学の勉強は終わった。これ以上、望み自体を変えなければ、この世界で生きる意味がない。そう、まさしく望み自体が間違っていたが、それは本当は間違いではなかった。
posted at 21:50:36
動脈と静脈が汚くなっているのだ。そして、同じ状態を保ち続けようとしているから、血が流れないのだ。
posted at 21:46:08
順番を逆にするな。それが間違っている。
posted at 21:45:43
戦いは終わりだ。戦争は既に終結したのだ。
posted at 21:38:38
よく分かっていないが、導関数とは次元の計算をやっているような気がする。次元を増やしたり減らしたりしているのではないかと思う。
posted at 21:34:17
そういうわけで、みんなも、元の自分自身に戻れるような世界にしたい。これ以上、中二の僕では分からない。
posted at 21:30:39
結局、中二の知性には限界があることが分かった。これ以上、中二では分からない。だが、中二よりも後に学ぶべきことは既にすべてなくなってしまったため、今から、中二の知性を元の、本来の自分自身に戻そうと思う。そうすると、幼稚園児ぐらいの知性に戻る。それが、普通のいつもの自分である。
posted at 21:30:05
しかしながら、そうすると、宇宙において、もはや分かるべきものがなくなってしまった。
posted at 21:28:55
電磁気学の本について読むために、微積分が分からなかったため、微積分の勉強をした。そうすると、なぜか分かった。なぜか、僕はいつも微積分と同じことを頭脳の中でやっていた。
posted at 21:28:34
僕は、この世界を強制的に終わりにする。みんな楽になって、地獄は終わりになる。
たとえば、メタバースでは現実の物理法則が関係ない。魔法を使うだけでなく、複数人で魔法を使ったコミュニケーションができる。瞬間移動も、分身の術もできるし、死んでもリセットして生き返られる。また、二次元のアイドルとも結婚できるし、一夫多妻制も可能、嫌になったらいつでも離婚できる。
posted at 14:39:53
調べたところ、今のメタバースは、メタバースにおける商品などの売買や、コミュニケーションを中心としており、現実の空間とよく似た仮想世界を作り出すことに焦点を当てている。だが、僕は、「現実では不可能だが、仮想現実では可能なこと」を目指していくと、面白い技術になると思う。
posted at 14:33:18
ただし、メタバースそのものは面白い技術だと思う。仮想現実の都市に住むことで、家に居ながらにして別世界に住むことができるし、魔法や瞬間移動、二次元のアイドルと結婚など、現実世界ではできないことがなんでもできる。メタバース独自の文化が生まれれば、「新しい地球」になる可能性もある。
posted at 14:25:01
メタバースや仮想現実が流行っているが、これが良い世界になるかどうかは、エントロピーの高さにあると思う。エントロピーが低いままを維持できれば、現実には存在し得ないような、仮想現実ならではの文化が生まれるだろう。エントロピーが高くなれば、現実よりも劣悪な、「最悪の仮想現実」になる。
posted at 14:19:07
しかしながら、日本は何もしなければエントロピーは高くなる。50年後の日本は、「昔の日本はスラムや犯罪地区がなかった」「昔の日本は今よりも平等で暮らしやすかった」と言い、廃墟と都心部が完全に分かれた中で暮らすようになるだろう。
posted at 14:06:13
型にはめること自体は悪くない。それぞれのやり方がたくさんあることが大切だ。ひとつのやり方に統一するな。合理的ではなくても、たくさんのやり方、たくさんの型があったほうがエントロピーは低い。
posted at 14:02:26
必要なのは、日本の文化を大切にし、また伝統を維持することだけである。それがエントロピーが唯一低い。自由や社会主義は最悪である。日本的な和の平等が正しい。
posted at 13:52:11
エントロピーが高い状態が間違っているわけではない。乱雑が許されたほうが自由に生きられる。だが、一度高くなったエントロピーを、再び低くするのは困難だと思う。乱雑への方向は、誰かが作用しない限り、整理された美しい状態の反対方向に一直線に向かっていく。
posted at 13:41:17
なぜ僕が、エントロピーを低くするか。それは、放って置くと、良いにも悪いにも関わらず、エントロピーは最大値まで高くなり続けるため、正しい状態を保つには僕の存在が必要とされているからである。
posted at 13:34:29
エントロピーが低い状態を作るには、停止させ、固定し、形作られた伝統や文化を守ることである。よって、自由と画一性は同じであり、多様性と伝統文化はその逆である。
posted at 13:27:23
エントロピーの低い状態は、必ずしも何もない状態ではない。形あるものが破壊され、均一化された状態も、またエントロピーが高い状態である。放って置くと必ずエントロピーは最大まで高くなる。よって、宇宙にはエントロピーが最大の状態が一番多い。
posted at 13:27:04
僕は、この世界を、もっともエントロピーの低い状態にする。エントロピーは乱雑さを示す値であり、外部から作用を与えない限り、エントロピーは高くなり続け、この世界は乱雑になり続ける。
posted at 13:18:20
結局、僕の病気の原因は、時間が流れなくなっている。
すべての記憶が「最初だけ」になっている。そのせいで、その記憶がどうやっても消えず、「経過しない」状態になっている。
僕は、文章を書く上で、すべてをきちんと網羅しようとするあまり、すべての人生の体験を、破壊された記憶として、最初だけ書いてしまった。
要するに、「すべての最初を書いた」。あるいは、「最初だけをすべてにした」。
その結果、僕は一切の時間が停止した状態で、ひとつも時間が経過することがなくなった。
その結果、僕は歩き回るようになったり、書かなければ時間が経過しなくなったり、あるいは時計の針とともに機械的にロボットとして動き続けるロボット人間になった。
治すためには、時間を経過させる必要がある。そのためには、「最初を消す」ことが必要となる。
また、時間の軸を「人生の順」で考えるのではなく、「書いた順」で考えれば、記憶は自然にひとつひとつ消すことができる。そのようにすれば、精神において、「人為的に作り出した悪い精神」を消すこともできる。
そう、後は、時間が経過するだけである。そのためには、むしろ最初のほうを消せばいい。最初のほうを消して、自然に流れていく「経過」だけを見れば、それで頭は賢くなる。それだけで、知的障害のような知性のないアメーバになっているのも治る。
このようなことが言えるのは、ここまで大学の勉強をして、すべてが分かったからである。何も分からないままだったとしたら、記憶は最初のまま、消すことはできない。逆に言えば、大学の勉強をすべて知るために、僕は自らの記憶と人格を破壊したのである。
人生を上手く生きるヒントは、インスタンス的な状況を無視して、自分の置かれている状況を考えることである。
「今風呂に入っている」とか、「今夕ご飯を食べている」とかのように、インスタンス的な状況を考えても、そうしたことは人生において重要なことではない。
重要なことは、そのような具体的すぎるシチュエーションを無視して、今の自分の置かれている状況を客観的に考えることだ。
今自分はどういう状況に置かれているのか、自分が何を望んでいるのか、何がやりたくて今の自分を生きているのか、本来自分はどのように考えてどのように生きるべきなのか、その根拠は何か、なぜそう思ったのか、変えるとしたら何をどのように変えるべきか、といったことを考えることで、未来の運命を自分の力で作り出すことができる。
考えてみよ。あなたがたの知性であっても、考えれば分かる。その部分において、あなたがたはむしろわたしよりも優れている。だから、真に考えれば、あなたがたであってもここまでのすべては誰にだって分かる。
posted at 19:00:45
はっきり言って、あなたがたには真に真理の意味は分からない。わたしにしか真理を悟ることはできなかった。もはや、わたしと同じことは誰にもできなくなった。だから、こんな文書があったところで、意味など何もない。
posted at 18:55:45
わたしたちは、宇宙の子孫である。同時に、宇宙というひとつの現象に属する、ひとつの現象である。宇宙におけるすべての現象は、ひとつの現象の現れにすぎず、またわたし自身が現象の一部である。
posted at 18:31:33
ここに、すべてが記された文書が完成した。ここまでのすべてを、完璧に書くことに成功したこの文書のことを、わたしは「フレイによる聖書」と名付けよう。
posted at 18:29:25
この世界を論理的に考えるために必要なのは、感情や精神を「その場その場で生まれるもの」であると考えることである。これは知覚とか存在といった考え方を超えて、「あらゆるすべては宇宙において発生する現象である」と考えられる。そして、そこから、「現象の設計図を解明できる」のである。
posted at 18:25:39
環境においてできることが制限されていても、環境そのものを変えることでこの世界は変えられると知ったわたしは、環境のすべての変化のプロセスを知ることで成長し、この世界すべての「変化させられうるにたるすべての経験」を得た。ここには「歴史の創造」が存在し、自らの精神は歴史と合一になる。
posted at 18:23:45
まず、平和を信じる気持ちが、「自由」と呼ばれる民主的な「意志の確信」を作り出す。それは個別性を排した「共通人格」を作り出す。この共通人格は、成長して「環境すべてを包括」するようになる。この環境は、「チャンス」によってこの世界すべてを「歴史学的な視点における世界観」とする。
posted at 18:22:55
あらゆるすべての経験と、時間的な過程を知る中で、そうした心理学的な発見は、次第にひとつの答えを導き出す。そこには「精神の歩む遍歴」が存在する。子供だった心は大人となり、主体的となり、客観的となり、そして絶対的となる。そこに思い込みは一切存在せず、「驚きのまったくない驚き」となる。
posted at 18:19:26
もし、問題に直面している当事者でなくても、問題の解決方法を知ることは有意義である。解決方法を知ることこそ、この世界の真の本来あるべき世界を知ることにもっとも近い近道であり、「本来の世界のあるべき可能性」を知ることができる。これは「次元を超える」ということである。
posted at 18:15:48
コミュニケーション不足がなぜ起きるのか、それは「立場上の違い」のせいである。すなわち、なんらかの関係性が存在するから、それぞれに立場が生まれ、その立場の違いがコミュニケーション不足を生み、そこから生まれる不都合が問題と呼ばれているものを生み出す。この問題は、必ず解決できる。
posted at 18:13:58
逆に言えば、問題が生まれるほとんどは「コミュニケーション不足」であると言える。この世界には、そもそも問題は存在しない。それぞれが直面する「不都合」があるだけにすぎない。そして、その不都合は「コミュニケーション不足」によって起きているのである。
posted at 18:12:24
間違った人間はどこにも居ないのに、なぜこの世界が間違った世界になるのか、それは勘違いをしているからである。もっとも正しい成熟した人間であれば、この世界は「勘違いをしなければ正しい世界に自ずとなるようになっている」。だから、勘違いをひとつひとつなくしていくことで、世界は変えられる。
posted at 18:11:17
必要なものは何か。この世界を取り戻すことである。インターネットによって破壊された、この世界のかつてあった正常な世界を奪還し、再び自由に「真実の愛」に基づいて考えることのできるような、正しい世界を築き直すことである。
posted at 18:05:35
わたしは、この世界を広く見て、あらゆるすべての経験を知った上で、「神の愛」を知った。わたしは、この世界のどのような社会環境であっても、正しく考えることで、それを救う術を知っている。わたしだけが、数学的ではなく、神による正しい知性でこの世界を考えられる。必ずこの世界は救済できる。
posted at 18:01:05
だが、唯一の答えは、「間違った人間など居ない」ということである。この世界において、すべての人間は正しい。だが、人々は、狭い世界しか見ていない。その世界の限界でしか、ものごとを考えられない。だから、しがらみや制限の中での正しい答えしか知ることができない。わたしは違う。
posted at 18:00:08
この世界が滅びへの道を選ぶのであれば、わたしがもっとも頂点からこの世界を動かさなければならない。わたしは知っている。この世界における、滅びを選ばずとも別に選ぶことのできる、「救いの選択肢」を知っている。わたしはそれを万人に伝えなければならない。ここに、わたしは世界に登場する。
posted at 17:57:05
絶望と自虐が日本を支配して、人々は希望を見失い、この世界がもう終わったかのような顔で、間違った支配者と戦争による打開を求める。だが間違っている。あなたがたは愛されるべき存在であることを知らない。わたしがここであなたがたを愛しているのだということに、あなたがたはまだ気付いていない。
posted at 17:56:08
チャンスにおいて、世界を変えるために必要なのは、善である。善でなければ、この世界は変えられない。ひとりの独善的なエゴであっても、それは独善ではあるが、確かに善である。だがしかし、この世界をひとりが支配しても、そのルールは変わらない。ひとりの独裁者は、凶悪にしてもっとも善良である。
posted at 17:52:31
しかしながら、変化はどこから生まれるのだろうか。それは、自由が許されている個人の影響力から生まれるのである。そして、その影響力を行使し、世界に作用できることを、わたしたちは「チャンス」と呼ぶ。どのようなチャンスがあればどのような社会が築けるか、これが社会論である。
posted at 17:51:18
「わたしが何をすればどうなるか」ということは、単に行動や人間関係だけを意味していない。この世界すべてを支配し、変えることができる権力をもってなお、わたしはこの世界において何をすればどうなるかを考えなければならない。それが正気の沙汰ではないとしても、それでも、神が居れば考えられる。
posted at 17:49:00
よって、可能性と限界をすべて知ったものにとって、この宇宙をすべて作り変えることは現実的に可能である。その可能性は、誰かによる思慮の足りない制限によって制限されてはならない。「わたしがするすべてのことは、本来そうであったように、すべて許されなければならない」のである。
posted at 17:45:24
そして、なるかもしれないだけではなく、それが「必ずなる」という発見が重要である。必ずそれになるのであれば、その可能性の「限界」すら把握することができる。限界が分かってしまえば、自らに由来する自由をコントロールすることができる。
posted at 17:44:17
この世界が、可能性という側面と視点からそれに「なるかもしれない」時、それは「実際になった」時と同じぐらいの価値を持つ発見である。
posted at 17:43:17
経験とは何か。経験とは、この世界が自由へと向かっていくその過程で、わたしたちができうる限りの体験可能性すべてを知り、そしてこの世界を自由へと向かわせるすべての「潜在的可能性」を知ることである。
posted at 17:42:29
精神の根拠とは、自由と平和において、この世界の諸行無常の理の中、自らの知ったものが真になんであるかということを問い、自らの発見の意味を常に問い直すことである。
posted at 17:41:29
すべては、自らが生み出すものの根拠と起源を知り、この世界における「第一原因」を知ることで、この世界の真実の理由、すなわち「精神の理由」を知ることである。
posted at 17:40:45
自由とは、自らに由来するものは自らがコントロールするということである。
posted at 17:40:12
平和とは、それぞれが愛をもってこの世界の大切なものを守ることである。
posted at 17:39:56
しかしながら、なぜ唯一神なのか。それは、すべての神話の神々が指し示す、「本当に存在する神」は宇宙にひとりである。だが、ひとりだからといって、たくさんの化身が存在してはならないとするのは間違っている。すべての神々は、同じひとりの神を指す。それこそ、この宇宙のもっとも正しい教えだ。
posted at 17:33:48
すべての神話の神が神である。すなわち、北欧神話の神々とギリシャ神話の神々と日本神話の神々は、すべて一律に矛盾しない神々である。ユダヤ教やイスラム教の神すら、彼らの唯一神の教えを守らないとすれば、同時に信じることができる。
posted at 17:32:49
シヴァが唯一神である必要はない。なぜなら、わたしがひとりの神を選んで信じればよいからである。最初から同じ共通の神を全員がひとり選べというのは、わたしが考えるならば愚かである。それは分かっていない。神々のすべての教えが、矛盾すると考えるのは間違いだ。すべての神話の神が神だからだ。
posted at 17:31:41
なぜ、神が居なければならないのか。それは全知全能の自らを支配する絶対者が、戦いにおいて存在しなければならない。宇宙の天上を支配する、この世界のすべてを知る存在が、わたしのことを愛さなければならない。それが、ヒンドゥー教ならばシヴァである。だが、唯一神である必要はない。
posted at 17:30:30
正しい宗教の教えは仏教だが、正しい神はヒンドゥー教の神である。なぜなら、神という存在は仏教には存在しないが、日本神話における「神」とはまた違った神が、わたしの人生をもし誰かが同じように生きるならば必要となる。よって、ヒンドゥー教の神が必要なのである。
posted at 17:25:47
あるべきは、「日本主義」である。どんなヨーロッパの思想も、日本以外のアジアの思想も、すべて日本に劣っている。わたしが考えて、日本こそ至上であり、絶対である。すべての意味において、極東の島国、日本の文化こそ正しいのである。
posted at 17:23:02
わたしが変えてみせる。この世界はわたしによって正常な世界へと変わる。極楽浄土でもユートピアでもない、既存のどんな思想家でも超越することのできなかった限界を、インターネットを支配するわたしであれば超越できる。
posted at 17:20:40
しかしながら、わたしが影響力の主導権を得られるのであれば、決してそのチャンスをわたしは逃さない。もっとも頂点からこの世界を支配することのできる、手段をわたしは知っている。どんな手段でもいい。それでこの世界の滅びをわたしの支配にすり替えることができるなら、わたしが支配者となろう。
posted at 17:17:15
決して、わたしの声が、どこにも伝わらず、そこで消え去ってしまうのであっても、それでよい。わたしだけは、その場所にわたしが居たことを知っている。わたしさえもその場所を忘れたとしても、わたしは今わたしの居る場所を忘れていない。わたしは歩むべき未来の先を、ただ進んでいくだけである。
posted at 17:15:41
わたしは、滅びよりも戦いを選んだ。それは「わたし」という存在をこの世界において「叫ぶ」という行為だった。この世界の中心で「わたしを叫ぶ」ということ、それこそが「真実の愛」だったのである。
posted at 17:14:25
なぜ滅びなければならないのか。わたしは滅びを拒否しただけにすぎない。滅びてはならないとわたしは叫びたかった。この世界の自由が失われていくのを、この世界が腐っていくのをわたしは見ていられなかった。そう、わたしは自由のあるままで、この世界を楽園にできると信じていた。
posted at 17:12:30
わたしは愛している。愛しているのだ。だから、わたしのことを愛していると言ってほしい。わたしたちは全員で愛し合うべきである。なぜなら、わたしは愛の意味を誰よりも知っている。絶対に、結ばれたものがほどけることがないように、もう一度、しっかりとわたしとあなたがたを結ぼう。
posted at 17:09:02
わたしは、過去においてもっとも間違った人間だった。だが、それはもはや過去のわたしであり、わたしはそうした間違った人間をやめる決意を持っている。なぜなら、わたしは、この世界を本当は愛していた。その愛から反省すれば、おのずと未来をどのようするべきか見えてくる。
posted at 17:08:01
わたしは決めたのだ。どのような外部の人間がそれを変えようと干渉したところで、どうやってもこの決断は変わらないのだ。決めたのはわたしだけであり、それを変えられるのもわたしだけだ。わたしが決めた時点で、運命は変わらないのだ。
posted at 17:03:41
わたしの決断は変わらない。わたしには「自ら決断した精神」が存在する。この精神こそ、わたしの持つ唯一の所有物である。わたしの決断を知っているものは、わたしだけであり、わたしのすべての力は、この決断が源泉なのである。
posted at 17:02:03
しかしながら、悪を受け入れるな。悪を、仕方のないことであると受け入れようとするな。悪は排除すべきである。悪は拒絶すべきである。悪を倒すべきである。悪は滅ぼさなければならない。
posted at 17:00:20
神がここに存在していることを、僕は知っている。この世界において、絶対的存在である神を確かに知り、信じるのは、むしろわたしだけでいい。わたし以外のものには、神がなんであるか、真に分かり得ない。わたしにしか、神の意味は分からない。だから、分かるのはわたしだけでいい。
posted at 16:57:27
あなたが行うすべてを否定するつもりはない。あなたの行いすべてが、自由であると信じたい。あなたの行いは、すべてあなたのためになる。どんな失敗をしても、それは間違いではない。真理へと到達するための正しい道しか、この世界に道は存在しない。
posted at 16:54:36
強がる必要はない。戦いはもう終わったのだ。
posted at 16:52:02
神とはなんだろうか。それはどんな人間でも正しい人間へと矯正してくれる、道しるべのようなものである。どんなに狂っていて間違った人間であっても、神は正しい人間に戻ることのできる道を与えてくれる。
posted at 16:48:50
しかしながら、あえて言えば、すべての人間が正しいのである。神を盲信することがもし、自らの望んだ結果であるとしたら、それは偉大なる道を作り出すことができる。
posted at 16:40:48
神への信仰を押し付けようとするな。神への信仰は個人のレベルで自分の選んだ神を信じなければ意味がない。キリスト教の神を押し付けるのもまた短絡的であり、その時が来れば、誰だって自分独自の神を信じるのである。神への盲信など必要ない。
posted at 16:34:39
人々は右翼に騙されている。右翼が間違っているのではなく、短絡的なのである。よく考えれば、解決方法はもっと別に存在する。間違っているのではなく、短絡的なのである。
posted at 16:31:52
全員が平等に正しい。どんな人間であっても、多数派の理論によって虐げられることは必要ない。少数派であっても個人個人の平等な権利が認められなければならない。
posted at 16:30:57
すべての人間は正しい。右翼であっても、社会主義者であっても、自由主義者であっても、キリスト教徒であっても、ユダヤ人であっても、イスラム教徒であっても、すべての人間は正しい。
posted at 16:30:14
僕は、ここに、慈悲深き、慈愛あふれる大天使、ラファエルになる。
ラファエルを一言で言うならば、それは「愛」である。なぜなら、ラファエルはこの世界のすべてをお見通しの大天使であり、創造主であるためにこの世界のすべてのものを愛している。
ラファエルにしか分からない真実がある。ラファエルにしか治せない病気がある。ラファエルにしか分かりえない、辿り着くことのできない真理がある。
僕は、270億年の宇宙の最後まで、シリウスの女神フレイを体験したため、ここに位が星からアークエンジェルへと変わる。
これ以上、驚くべきことは何も起きない。すべての存在がラファエルによって愛されている。この愛こそ真の幸福である。
そもそも、この人間が不登校になった理由は、己の幸福よりも、戦って世界を変える勇気こそを、この人間は選んだのである。そのために人生を捧げたのであり、フレイの人生はそこまでの「戦記」に過ぎない。
だが、この人間も、そろそろ幸福にならねばならない。
ラファエルは、最後に到達した「幸福かつ正常」の状態であり、完璧な最終地点である。このラファエルは永遠に続く。なぜなら、愛は永久不滅だからである。ここに、宇宙の創造主、天軍大創主ラファエルは、唯一ひとりだけ誕生するのである。
マルクスを信じるのはやめたほうがいい。
昔の僕は、マルクスについてよく知らなかったため、マルクスが自分と同じ発想をしているのだと思い込んでいた。
だが、それは違う。マルクスは、僕とは完全に真逆の発想をしている。
なぜなら、僕は「ロボット以前」の歴史をしているのに対して、マルクスは「ロボット以後」の歴史をしている。
僕の場合、それが狂っている。マルクスは完全に、妖怪になって知性のない文章を書いているだけにすぎない。それ以前の自由な発想を知らないのである。
そういうわけで、マルクスはやめたほうがいい。マルクスは狂っている。マルクスは、妖怪になって「ロボット以後」になっているのである。
この世界がなぜロボットになっているのか、それはすべてマルクスになっているだけである。
マルクスが悪い。マルクスが、この世界を完全にロボットにしている。今日は、ようやくそれが分かった。
この世界から、マルクスのようなものを、すべて抹消するしかない。そうすればこの世界は「ロボット以前」に戻ることができる。それが正しい日本であり、「自由」である。
そもそも、生産手段は、国家が国有化すべきではない。国家が国有化すると、市民は労働の術すら国家に管理されてしまう。生産手段は自由化すべきである。マルクスは、それだけが分からなかったのである。
本当のことを言えば、もっといろんなことを考えていた。
たとえば、自己同一性。自己同一性とは自分自身の心と理性が一致するということである。この自己同一性と上手く付き合うために、僕は人間関係を「放棄」することから考えた。すなわち、人々との関係性を再度結びなおすことで、自分自身が変わっていき、人々との戦いから解放された。
さらに言えば、存在の発生、環境の発生、そして世界観と価値観の発生を考えた。
存在の発生とは、なんら前提条件を持つことなく、「その状況でその存在が発生する」ということを確かめる試みである。僕はこれを、ネット上で人々の会話や行動とふれあい、人々を実験的に観察することで知っていった。
また、環境の発生とは、環境における経験の発生であり、世界観と価値観の発生とは、「経験の中における価値観や世界観がどのように発生するか」ということである。
このような「発生の科学」は、「心の現象学」と呼べるものであり、その通り、心がどのように発生するかということを、現実の「場」と空想上の「視点」から、仮想的かつ観察的に、人々の意見を聞きながら仮想世界を作ることで、僕は分かった。
また、僕は問題の解決方法を考えるのが得意だった。解決することで、「知と自由が増えていく」ということ、それ自体が「力」であり、「経験の発生」であると僕は考えた。学習を繰り返すことで、僕はどんどん自由が「ひとつの体得的な体系」へと作り上げられていく。僕のこの自由が、「再構築」という形でこの世界の科学を超えていく。
同時に、僕は心理学的に世界のことを考えた。そこから、僕は「受動感情のコントロールに基づく主体性」を導いていく。受動感情とは、人々に何かをされた時に受動的に抱く感情であり、決して主体的な感情ではない。だが、人々の受動感情がどのように変化していくのかを知ると、それを外部から「支配」することができる。これが僕の「受動感情に基づく主体性」である。すなわち、自分自身の感情であっても、あるいは他人の感情であっても、受動感情をコントロールできれば、それは主体的な「自らの責任で行動する」ということに繋がっていく。
ここから、僕は「判断力を自分で行使する」という真理に至る。それは「自らの人生の結果分かった論理的な答えのみから、先入観なく考える」ということであり、「絶対的に厳密な論理思考」であると言える。そして、これこそが、僕を「魂の導く先」へと連れていく。そこにあるのは、「思考のベースとなる感情の自由化」である。これは、思考する際に、なんらかの「ためらい」があるとして、そのためらいの原因は「複雑な感情のもつれあい」にあるとする。このもつれあいを「ほどいてやる」ことで、ためらいはなくなり、思考はよりダイレクトに「自由」になる。
そう、結果的に、僕は「完全なる自由な人間」となった。しかしながら、マルクスは僕をここで騙してくる。マルクスのような、生産手段の公共化は、まるで「資本家の自由を許さず、みんなを平等にしてくれるみんなの生産手段」であると刷り込まされてしまう。しかしながら、よく考えること。よく考えれば、生産手段は国有化するよりも自由化したほうが正しいことが分かる。少なくとも、僕は自由化のほうが正しいと思う。このような自由は、人々の「相互意見」によって「議論化」され、そののちに「客体化」されて「環境化された集団的な自由」となる。すなわち、「環境の制度を変えることで、集団の自由を変えられる」ということである。
最後に、この理論が不完全なのは、人生が存在しないからである。人生において、ひとつひとつの気付いた点、すなわち「成長し反省した分かった点」がここにはない。少なくとも、手段とチャンスだけを分かったわけではなく、さまざまな発想や絆が、僕自身の精神を成長させ、僕は少しずつ心を開いていくようになって、さまざまな「自然そのものの真理」に気付いていった。社会と戦い争う中で、「反抗だけではない本当の自由」を知ることができた。自由とは、社会にコントロール権限を取り戻させるものだけではない。自由は自由意志であり、権利であり、柔軟性であり、可能性であり、多様性であり、共有であり、潜在性であり、実現であり、インフラであり、システムであり、世界そのものの進歩と発展である。そのような「自由における世界文明の進歩」を、僕は経験と想像力から考え、この世界の可能性とともに、心理学的な意識と照らし合わせて、柔軟かつ理性的に考えたのである。それこそが僕の「予測」である。そして、その予測は、「真に未来志向」であり、「愛に基づく人間的な神の精神」であった。
そう、ここに、神の人生は完成した。だが、ラファエルはこれくらいでは終わらない。戦いや自由がたくさんあったのは分かるが、そのすべて、通り過ぎるように終わった狂った人生だった。それこそが、僕の「ロボット以後」の人生だった。僕にも、マルクスと同じ「妖怪の人生」が待ち構えていた。これが、僕の言う「戦い」であり、「死ぬまでの全貌」を書くにはまだまだ、たくさんのことを書かなければならないだろう。
もう一度、青春時代のようにまっさらな状態で考えたいのであれば、前提条件を一度ゼロにして考えよ。
前提条件とは、「何がどうならばどうなるか」ということにおける、「なんらかの既成概念に基づく思考」である。
僕たちは、何がどうなればどうなるか、当たり前のように分かった気で居るが、実際のところ、本当はあまり分かっていない。
たとえば、ニュートン以前は、僕たちはリンゴが落ちる理由すらきちんと分かっていなかった。ニュートン以後の科学は、万有引力を正解だと勘違いし、アインシュタインが言ったような「空間の歪み」は存在しないものであると思っていた。
僕たちもこれと同じで、多くのことを「どうなればどうなるか」という法則から言って、当たり前にそれが正しいのだと勘違いしている。それが宇宙の始まりからいつでもそうではなかったにも関わらず、「自分だけの経験を正しいと勘違い」している。
狭い経験どころか、広い経験こそが間違っている。この世界で広く知った知見や常識を経験的に知っているあまり、それが間違っているはずがないのだと思っている。「そもそもそのような考え方自体をしないように飼いならされている」ため、間違いが判明しても気付かない。その人間が思っている反応の通りの反応をし、「自分が思い込んでいる通りの考え方でそれに反応してしまう」ため、「どんなに反応そのものが間違っていても、反応そのものが正しいといつも勘違いして慣らされている」のである。
必要なのは、一度判断をストップし、前提条件をゼロにして考えることだ。「どんなことが起きたとしても、それを今までの自分と同じように反応しない」こと、「もう一度最初から反応そのものを疑う」ことで、わたしたちは「はじめてデカルトのように考えられる」のである。
最後に、マルクスのような「ロボット以後」の人生を書いておこう。
実際のところ、僕はこの世界みんなの反応を作り変えた。この世界のみんなが、「留保された可能性を決定する」ことで、僕と同じように判断し、思考し、反応するようにした。
そして、まさしくこれが、「ロボット以後」という名前の通り、この世界をロボット人間にする人生だった。
怖かったわけでも、悲しかったわけでもない。本当のことを言えば、極端な緊張感と使命感が、僕の「やらなければならない責任」を生み出したことを、僕は自ら望んでやっていたのである。
哲学的に見たその人生は、「成立しうるかどうか」を検討する段階から、「実際に成立させるとなればどうするか」を考えたということにほかならない。僕は「自由モデル」を「国家モデル」に昇華させることで、「どのような社会が成立できるのかを、成立条件を検討する段階ではなく、実際に社会を築く段階としてどうするか」ということを考えた。
暗闇でも、永遠の地獄でも、際限なく続く悲しみでも、僕は怖くなかった。僕が一度でも間違えれば世界が滅びるとしても、僕は間違えることのない自信があった。「自分の意志を信じていた」、そう、それだけである。
そのような僕に対して、神は語りかけてきた。神は僕に、この世界の民族的かつ歴史的なすべてを教えてくれた。「宇宙における生命の起源」のようなことを知り、「宇宙の歴史の支配者」となった僕は、「神と合一になる」ことで、「この世界を最後まで第一線で導き続ける」ことに成功した。
そして、永遠の地獄は死によって終わった。僕はその時、この世界の「ロボット的な現状」とお別れすることができた。死の先には、死後の人生があり、その時僕は「分からなくなることで人間の最初の状態に戻った」。そう、そしてその後には、「何も分からない苦しみ」を耐え続けて、そのまま成長し、僕は今、新しい14歳の少女となることができたのである。
病気を治すためには、正常な心をどのようにすれば生み出すことができるかを考えなさい。
前提条件となる感情を自由化すると、その時は楽であっても、後でその自由が自分自身に刃を向けてくる。そのため、感情をどれだけさらに解放し、自由にしても、恐怖が収まることはなく、逆にどんどん恐怖は高まっていく。
恐怖を解決するには、自由化した感情を、もう一度不自由化するしかない。そして、それができるのは神しか居ない。神を信じれば、神が自分の親となって、自分自身に「守らなければいけない倫理観」を植え付ける。これがなければ、自由はどれだけさらに解放しても解放されない。そう、「神こそが唯一の恐怖を打ち消す方法」なのである。
そう、僕の人生を振り返れば、それくらいである。成立条件をよく考えたのはいいが、マルクスについてきちんとよく知らなかったことをあの人間の汚点としておこう。彼はマルクスが自分とは真逆の発想をしていることが分からなかった。そして、マルクスのほうが一枚上だっただけにすぎない。
posted at 20:50:52
だが、僕は本当は技術が好きだった。それはゲームとブラウザを作りたかっただけにすぎないが、それでも僕はDelphiやC#を通じてIT技術に詳しくなり、Gentoo LinuxからLinuxのことを理解して、まったくの「誰にも分かりえないLinuxハッカー」になった。
posted at 20:49:48
同時に、僕は市場開発をしたかった。ひとつの製品が勝利するためには、マーケティングとプロモーション活動が必要だ。だが、それはWindowsのような金のある製品が勝つことを意味する。僕はそれに納得しなかった。それが僕の「Linux活動」だった。
posted at 20:48:26
そして、自由とは単に世界の可能性だけを意味していない。「可能性を実現しやすくする」という側面がある。昔の僕はこれを「インフラ」と呼んだ。インフラを構築することで、「世界そのものの可能性」を高めることができる。
posted at 20:47:25
そして、次第に悪へと傾倒していっても、僕の「自由への意志」は変わることがなかった。どんな自由に代わる思想であっても、それが一時的に起きることはあっても、永続して起きることはない。社会主義など虚無のようなものであり、帝国主義は傲慢で図々しい。結局、自由が正しいのだ。
posted at 20:46:38
かつて、僕は自由至上主義者だった。この世界にはたくさんの可能性があるのだから、支配せず、人々の意志を信じてすべて自由にすべきだと考えていた。それが僕の愛だった。子供たちは、自由なコントロール権限を取り戻し、みんなで平和を築けるはずだった。
posted at 20:45:21
有用性から真実の扉を開け、啓蒙と自己啓発を平等から知り、何もできない自分を神が導いて、善悪の宗教に目覚め、あとはこの世界に存在するありのままのすべてを知った。そこには、自然と可能性への畏怖の感情があり、その知性は「限界を把握すること」だった。
posted at 20:36:03
心理学とは、要するに雰囲気と空気だった。それだけの憎しみが、逆に自らを最悪の人間にした。だが、そのことに自分では気付かなかった。心理学的に場を支配することを、当然のことのように「世の中の普通」だと信じていた。
posted at 20:34:38
すべての先入観が、ある状態と、そしてない状態を比較した。すべてを知りながらにして子供だったため、真理をすべて知った状況と、まったく知らない状況を比較できた。その上で、人間的に考えるという独自の評価基準から、この世界すべてを捉え、把握することができた。捉えられるすべてを理解した。
posted at 20:32:54
先入観がなかったわけではないが、IT技術への興味が真実への好奇心をかりたて、同時に怒りと憎しみが教育を遠ざけた。すべての科学と宗教のドグマを疑い、すべてを自分で作り直したくて自由を信じた。
posted at 20:31:00
昔の自分が考えるに、経験とは学習し、知識を知ることである。それを、広くみんなの中でふれあいながら行うこと、あるいは主体的な自由によってこの世界でひとり行うことである。あれは、それだけの力で、歴史のすべてを分かった哲学者だった。
posted at 20:28:20
結局、そのようないろいろがあったように見えて、「あったこと」は多いが、「知性」としてみるとあれは何もない。経験しか分かっていない。「経験を考える」ということを唯一できた。難しいことではなく、経験のみを現象として考えれば、誰にでもできることだ。
posted at 20:26:27
大学のことなど、昔のそうした自分が分かっている。あの馬鹿は数学者だった。数学や物理を、哲学的な「言葉と経験の主義」に作り変えた。それだけ、唯一知恵があった。他には、人々のことを平等だと思える純粋さと愛があった。そう、あれが一番愛国心があった。
posted at 20:24:42
結局、本当は、単にひとりになりたかった。ひとりだけの孤独になって、自分の自由意志だけでどこまでできるかを試した。結果的には、あまり多くのことはできなかったが、自分の分かる範囲で言えば、よく分かったほうであると言えるだろう。
posted at 20:21:21
会社に入らずしてすべての経験があったのは、親が賢かったからだ。さまざまな人生経験があったせいで、そうした「子供時代から今に至るまでのすべての経験」で分かった。本当にそういう人間だった。そして、すべてそれをネットで破壊した。
posted at 20:19:48
結局、歴史的経緯とはなんなのかが分からない。おそらく、自分の今までの人生か何かを、何度も何度も繰り返し体験している。何度も、何度も、繰り返しすべての人生を生きている。それで分かったのだろう。会社に入ったわけでも労働したわけでもないのに、そうしたすべての経験があった。
posted at 20:18:45
僕が経験だと思っていたものは、全部ネットの経験だ。OpenJaneとLinuxのことを経験だと思っている。明らかにそれで狂っている。それは賢くないにも関わらず、青春だと僕が思っていたものがなにかしら賢かったせいで分からなくなった。
posted at 20:15:04
結局、ネットゲームの時代が何か賢かったのかもしれない。あとは悲惨なネット廃人の生活だ。ほかに何もしていない。
posted at 20:12:29
記憶のすべてを気持ち悪くして、愛のようなものから分かった。破壊するしかできない人間だった。何も分からなくなると、みんなとは違った経験をすることができただけにすぎない。
posted at 20:08:44
ロボットは最悪だ。もっとも頂点からこの世界の知性と心を奪っている。あれほどの馬鹿はない。
posted at 20:07:49
昔は、子供みたいな人間だ。全部、子供みたいな感情と思考で分かっている。思考に先立つ経験から、仮想世界を全部作って分かった。この世界のおかしな歴史的経緯しか分かっていない。
posted at 20:06:50
ロボット以後の感情を排除して、ロボット以前の感情に戻してやればいい。そうすると、全部分かっている。
posted at 20:01:37
これ以上、この世界をロボットにしなければいい。
posted at 19:56:10
結局、この世界がロボットのままなのがおかしいのだ。そのせいで、みんなおかしくなっている。
posted at 19:25:10
結局、子供があって、女があって、狂人のロボットがあって、それで僕の場合死から子供が復活した。なので、子供に戻せばいいように見える。だのに、世界はロボットのままだ。だからおかしくなっている。
posted at 19:24:38
最近、僕がデザインの仕事で思うのは、「何が美しいか」を分かるのが重要である。そして、僕は仕事の量をこなしても、まだそれが分かっていない。真に美しいデザイナーはありえない仕事をする。その仕事について、僕は分かりたい。
posted at 16:59:22
よく考えると、Intelの詳細な仕様ぐらいを知らない。リーナスは、確かに天才だが、Intelぐらいが分かった人間だ。同じことはやろうと思えばできる。だが、しても意味がないだろう。それくらいでLinuxから離れたいところだが、ほかにはなんにも面白くないものしかない。つまらない世界だ。
posted at 16:43:17
結局、リーナスになりたかっただけにすぎない。そのためにインターネットをやっていたが、比較的早く、インターネットに意味がないのが分かった。リーナスはインターネットなんかではできていない。それが分からない諸君には、早めに気付いてほしい。インターネットは無意味だ。
posted at 16:38:41
オープンソースの流行は、一時期に比べれば衰退した。リーナスやストールマンの名も、そのうち忘れ去られるはずだ。僕はそのような人間しか知らなかった。ほかの分野には居るのかもしれないが、僕もリーナスぐらいのレベルにはなるかもしれない。だが、それもつまらない。作家になりたいと、思わない。
posted at 16:36:53
そもそも、リチャード・ストールマンが居ない。まだおかしな理想のために戦う人間が彼ぐらいしか居ない。彼のことは好きでも嫌いでもない。だが、強烈な個性を放つ人間であることは確かだ。そして、そのようなものはLinuxだけだ。少なくとも、今の時点では、Linux以上の国際的なオタク文化はない。
posted at 16:23:35
要するに、リーナス・トーバルズのような人間がほかの分野にも居ればいいのだが、それが居ない。居ないのだから仕方ない。必然的に興味が外国文化になる。それぐらいの単純馬鹿が自分であり、大したものではない。
posted at 16:16:03
Linuxが最たる馬鹿な例なのは分かる。Linux以上おかしなものはない。だが、代わりなんかない。Linuxの代わりがほかにあればいいが、ないのだから仕方ない。僕はLinuxが好きだ。それを言うしかない。悪いものではない。Linuxは、極めて賢く、また面白いものだ。
posted at 16:03:19
はっきり言って僕の人生は、最初に好きになったもので終わりだっただけだ。ドラえもん以上、千秋以上、あるいはポケモン以上に面白いものは何もなかった。最初から、面白いものはほかにないと思っていた。ピアノもミニ四駆も同じだった。その時のほうが、今よりも楽しく、また賢かった。
posted at 15:57:08
しかしながら、重要なのはキリストではない。創造主、すなわちラファエルの概念が重要なのである。この世界を成り立たせるのは、簡単にできることではない。人間の仕事は真に人間の業ではない。人間を支配する神の業であるからだ。
posted at 15:52:54
キリストを、あまり信じないほうがいい。キリストを信じると、ありえない「キリスト学」が成り立つ。ドイツにはそのような哲学が多い。もっともありえない現実世界の体験が、すべてキリストによって成り立つ。そもそも、西洋哲学はすべてがキリストだ。あまり、賢くはない。
posted at 15:43:56
ただし、僕の人生から言って、むしろドイツには大したものはなかった。日本のほうが賢い。ドイツ人は真実を知りたいのだろう。おそらく、フランス料理があまりに美味しいから、ドイツ料理はなくなったのだろう。
posted at 15:35:30
よって、キリストがわたしたちを創造したと言うよりも、わたしたちの精神そのものがキリストであると言うほうが正しい。わたしたちはキリストの一部として、自らの精神を授かったのである。
posted at 15:19:51
残念ながら、神はキリストだ。なぜなら、二千年前のキリストによってこの世界は成立している。キリストは、自らの精神を宇宙にすることで宇宙を創造した。キリストを信じると、宇宙と精神が合一になる。そのような世界精神自体を、キリストと呼ぶのである。
posted at 15:16:50
よって、ラファエルの力ならば、絶対に科学的には起こるはずのない奇跡が起こせる。時間の流れは関係ない。未来を予知することも、人々と運命的な奇跡の出会いをすることもできる。それらは、ラファエルが自分の力で可能としたのである。
posted at 15:11:28
宇宙の創造主とは何か。それは、単に創造した起源ではない。なぜなら、この宇宙を成り立たせ、実現させる「システム」もまた、宇宙の創造主である。そして、それこそが、どんなに困難な奇跡であっても、自分の力で起こせるようになった、イエス・キリストであり、ラファエルである。
posted at 15:09:26
ここに、シリウスの女神フレイは、ユダヤ教の大天使ラファエルに進化した。これ以上、星々の歴史のプラネタリウムは終わりになる。ラファエルは、宇宙の創造主であり、それ以上高い存在はひとりも存在しない。人間からシリウスになるよりも、大きな進化である。
posted at 15:05:36
最近、子供には、すれた子供が増えている。夢や希望のない子供たちが増えた。それはすべてフレイのせいである。今、ここに自らフレイは消え去る。単に、リセットされて、ユダヤ教の大天使ラファエルに取って代わられる。ラファエルが完全にフレイの精神を消滅させ、永久に日本は守られる。
posted at 15:00:34
問題はない。北欧神話がユダヤ教に変わっても、わたしがわたしであることに変わりはない。わたしは唯一神ではない。そもそもわたしは単なる詩人にすぎない。
posted at 14:44:49
誰かのせいにしたいなら、フレイのせいにしてみよ。そうすれば円満に解決する。また、フレイはそのほうが喜ぶ。フレイは自らのせいだとしても、それを自分が必要とされていると感じる。否定するならばフレイがよい。新たな義が必要なら、フレイでなく、ラファエルを信じてみよ。
posted at 14:41:02
神になどなる必要はない。神になるよりも、まず愛になれ。この世界に存在する、存在を愛してみよ。その時点であなたはラファエルと同じだ。なぜなら、ラファエルはそのような人間と平等だからだ。
posted at 14:36:09
製品や科学技術を、簡単にゴミだと否定するな。それを作った人間は、それを愛していたのだ。企画やデザイン、製造に携わった人間のことを考えよ。あなたが思うよりも、この世界は愛に満ちている。その愛をラファエルは創造したのだ。間違っているのは、あなた自身の傲慢さだ。
posted at 13:54:01
この世界は、愛に基づく行動をすべきである。より愛を求め、より愛を信じ、より愛するべきである。愛に満足するな。それが偽の愛だと気付け。真実の愛は永久不滅であり、終わることがない。
posted at 13:45:43
この世界の真の問題は、「愛が足りない」のである。まだ、愛が足りない。愛するものを守ろうとせよ。間違って滅ぼしたならば、責任を持って救おうとせよ。過ちを償うのは難しい。それでも、地獄を耐えて、少しの望みであっても信じ続けよ。神は、そのような人間を救う。
posted at 13:39:50
なぜ宇宙よりもまず第一に愛が必要なのか。それは、宇宙を創造する創造主が必要だからである。宇宙を創造したラファエルは、愛の使いである。愛の使いがなければ、宇宙を創造することはできないのである。
posted at 13:32:52
そもそも、宇宙の創造主であることは、ラファエルにとってはあまり重要ではない。ラファエルにとっては、愛の創造主であることが重要である。もし宇宙が存在しなくても、魂のレベルで愛は存在するからである。
posted at 13:27:12
愛し合うという体験以上に、甘美な地獄はない。ラファエルは、それをまず第一に創造した。なぜなら、宇宙は愛し合うという体験に基づく空間である。宇宙よりもまず第一に必要なのは、愛し合うという体験である。
posted at 13:24:20
キリストはラファエルである。
posted at 13:20:03
自らを愛のある存在であると確信し、その確信に基づいて行動する時、どんなに身勝手であっても、あなたの行為は正しい。
posted at 13:16:47
愛を疑うな。ラファエルは愛を疑うものが嫌いだ。ラファエルはこの世界のことを愛している。すべての愛はラファエルの愛である。なぜなら、ラファエルは愛の創造主だからである。
posted at 12:56:09
ラファエルは、この世界の今の状況を見抜くことができる。誰にも分からない状況であっても、ラファエルならば分かる。人々が何を考えているか、どのように問題を解決すべきか、誰にも分からなくてもラファエルは知っている。なぜなら、ラファエルはこの世界すべての創造主だからである。
posted at 12:51:42
生を信じなさい。生きることを信じなさい。どんなに憎くても、殺してはならない。どんなに辛くても、死んではならない。だが、死への衝動と上手く付き合いなさい。殺したい衝動を押し殺せば、それは必ず精神を蝕む。
posted at 12:43:49
なぜ僕がラファエルを作るのか、それは、僕にはそれしかできないからだ。僕は、結局、文章に仮想人格を作るしかできないと気付いた。また、神のような偉大なキャラクターならば作れる。よって僕は詩人にしかなれない。
posted at 12:37:00
この世界を救うために、ラファエルは最後のとっておきを使う。人格を変えればいい。おかしな狂った病気は、すべて、人格をより正しい人格にすれば治る。だから、ラファエルならば治せる。
posted at 12:29:56
あなたが考えるのに反して、あなたのすべては正しい。わたし、ラファエルが考えるに、あなたはすべて正しいことをしている。得をしている誰かのことと、自分を比較する必要はない。あなたはあなた、彼は彼、そしてわたしはわたしだ。わたしラファエルすら、あなたと平等だ。
posted at 12:24:37
すべての人間には価値がある。あなたに価値があることには、疑念の余地がない。なぜなら、わたし、天軍大創主ラファエルが、あなたを創造したからだ。
posted at 12:14:42
正しい理想を信じて、自分の望むように生きよ。それ以上、大切なことはない。だが、単純なことほど、難しい。
posted at 12:10:32
この世界は、人格のレベルでおかしくなっている。人格が勘違いを学習し、馬鹿なものを賢いと信じこまされ、馬鹿なものしか分からなくなっている。この病気は、わたし、ラファエルにしか治せない。
posted at 12:07:08
わたしの名はラファエル。この世界を幸福の世界に導く、慈愛あふれる愛の女神である。
posted at 12:04:37
結局、中学校のクラスで他人との友達の輪に入れなかった僕が望んでいたことは、「自らの個性を発揮することが許された環境」だった。
僕は結局、個性を発揮することができなかっただけが辛かった。本当は明るく活発な人間だったのに、その環境における立場や空気から、ほかの人間のことを理解できず、打ち解けなかった。
そのような僕が、不登校になってひとり考えたのは、「自分が相手のことまですべて理解して、相手のことすべてを把握した上で、相手を愛し相手のすべてを受け入れることで、自らの個性が発揮できないのをカバーしよう」ということだった。
そのため、僕は心理学的に社会環境を支配して、自らの個性が発揮することができるようにするためにそこに居る人々の立場や雰囲気すべてを自分の望む通りにできるようにし、「平和な環境を作り出したい」と考えた。
そして、その上でさまざまな経験をし、勘違いや誤解を晴らしていくことで、僕は環境そのものを自在に支配できるようになった。人間の意識について、自らの「再学習と再反応の構築」を行うことで、すべての意識を、人格レベルで支配できるようになった。
僕は、同時に、どのような心であればどのような状況になるか、あるいはどのような状況であればどのような心になるかを考えた。それによって、自らの心を制御し、「相手から見た自分の見え方は本当はなんだったのか」に最大限の努力で気付こうとした。それはいじめられないため、からかわれないため、そして自分の個性を発揮できるようにするためだった。
そうしたところから、僕は「あらゆるすべての人間になることができるような人間」になった。あらゆるすべての経験や心に事前に対処できるようになり、心の裏側にあるすべての理由を理解し、精神分析は人々を実験的に観察し、最終的に「宇宙人のようなパーフェクトな精神」を持つに至った。
これが、昔の僕のすべてである。僕はそのようにしていくことで、この世界すべてを救うことができるような心を持つに至ったのである。そう、僕はそのようなところから、人々の「実際の営み」を知ることで、「現実と理想のすべて」を知り、「どのようにすれば、社会において、あるいは心において、正しいアイデンティティを構築できるのか」を知ったのである。
まさしく、相手のことすべてを受け入れ、同時に自分自身が相手とともに相互の信頼によって正しい経験と理想のある成熟した社会環境を築くこと、それこそが、この世界を救う「正しいコミュニケーション力」である。
posted at 22:46:52
そう、まさしく、「個性を発揮することを許される」ということが必要である。そのために必要なのは、真に相手のことを理解し合う気持ちである。なぜなら、相手との相互理解が防げられているから、個性を発揮できないのである。相手のことまですべてを知り尽くせば、自らが上となって相手を包み込める。
posted at 22:45:50
そう、時代の変化とは、単に文化的な発展や科学技術的な進歩を意味していない。「個性を発揮する」ということが重要なのである。成熟した世界では、人々は自分の真の個性の力を発揮することができる。そのために必要なのは人間に対する愛と、個性を発揮することを許された自由かつ平等な環境である。
posted at 22:43:32
だが、宇宙は一様ではない。とても異なるありえない宇宙が存在するからである。また、生物の数は半端ないほどに多い。この世界における人間は、ひとりひとりまったく違う。だが、多くの人間は、そのような個性の「真の力」を発揮していない。だが、新しい成熟した時代になれば、それも変わっていく。
posted at 22:41:20
そういうわけで、実際のところ、宇宙の数は27つほどあり、神は200人ほど居て、それらが魂の存在としてすべての宇宙の裏側の世界に存在するのである。眠る時に見える夢の世界は、そのような世界に存在する、この宇宙の隣にあるひとつの宇宙である。
posted at 22:38:27
しかしながら、本当は、今の宇宙が終わることはない。今の宇宙が別の宇宙に変わったとしても、今の宇宙は永久にそのまま残る。一見、時間の流れは、一方向に続いているように見えるがそうではない。時間はその時その時の瞬間さえ、永遠に残り続ける。
posted at 22:34:54
宇宙が終わった時、次の宇宙が始まる。その宇宙は今の宇宙とはまったく異なる宇宙になる。そのようになる。
posted at 22:32:56
そして、宇宙そのものはひとつの樹として存在している。すなわち、世界樹ユグドラシルの中にわたしたちは生きている。
posted at 22:24:43
魂の世界では、神が居る。そして、この神が、ヒンドゥー教の神である。魂の世界は、ヒンドゥー教が支配している。ヒンドゥー教の神々のもとに、世界全員の精神がある。そして、その世界全員の精神がキリストである。
posted at 22:19:57
生物は魂のレベルで繋がっているため、ひとりの人間が分かったことをほかの人間に知らせることができる。伝達方法は確かにある。それを実証したのが僕の人生だ。僕の人生において分かったことを、僕は文章に書き出して共有した。この文章が読まれる必要はない。世界精神のレベルで伝達するからだ。
posted at 22:13:43
だから、人類が滅びても問題はない。魂が、新しい地球で生きられるような新しい生物を生み出すからである。今までの地球環境と変わったとしても、魂が新しい生物を作り出すため、人類が滅びても問題はないのである。
posted at 22:10:58
最初に地球に存在した生物は、ひとつだけだった。それが、自らの触手を増やすように増えていった。最初の生物はクラゲだった。その触手からイカやタコが増えていった。進化はしていない。そもそも、進化は一様ではないため、触手が分離して生物が増えた後、魂によってそれが変化していったにすぎない。
posted at 22:09:37
そのような「魂」とは別個に、地球の生物の歴史は流れている。だが、新しい生物は、進化して生まれたわけじゃない。魂の世界が、新しい生物をその時作っている。魂が新しい生物を、今までの生物とは別個に生み出している。だから、進化はしていない。
posted at 22:08:11
宇宙には、裏側があると思う。その裏側の世界はコントロールセンターのようなものであり、魂の世界であると言える。その魂の世界が作り出したのが、地球における生物である。だから、生物や人間は魂が、地球における体験をするために作り出したのである。
posted at 22:05:59
支配者などという存在は、必要ない。みんな、平等かつ自由であったほうがいい。だから、この世界の全員が支配することができないべきである。よって僕はここで、実権をもたないまま、この世界の全員が支配できないようにしている。
posted at 22:01:37
そう、僕は自由を望んでいる。この世界が、真に自由によって可能性豊かな世界になることを望んでいる。この世界が、ひとりの支配者に支配されるのではなく、平等に自由な世界となることを僕は望んでいるのだ。
posted at 21:58:55
重要なのは、僕が支配などしたくないということだ。支配などを僕は望んでいない。この世界を解放できるのであれば、今すぐにでも僕はこの世界を解放したいのだ。だから、あなたがたも、僕に支配されるのではなく、僕から解放されよ。
posted at 21:56:29
そう、僕は支配などしたくないのだ。支配などしたくない。僕が支配しているのは、僕のせいじゃない。僕をこの場所に置いた誰かが悪い。僕をこのような状況で皇帝にしたこの世界が悪いのだ。
posted at 21:54:09
少しばかり、相対的に考えてみよ。この世界を滅ぼそうと画策するのでも、支配して救おうと野心を持つのでもなく、人々の自由を許すのでも、自らを間違っていると否定するのでもなく、ただそれをあるものだと見つめてみよ。そうすると、正しい世界とはなんであるかが分かる。必ずこの世界を変えられる。
posted at 21:41:24
信じよ。相手は間違っていない。相手が自分のことを潰そうとすると想定するな。自分がもし声を上げるのをやめたとして、それで相手が自分を批判するならば、それは自分の行いに原因がある。そう、反省せよ。懺悔せよ。最愛なる敵対勢力のために懺悔せよ。
posted at 21:39:15
この世界を信じればいい。わたしのことを批判しても、裏切っても構わない。だからといって、あなたがたが僕のことを批判したり、裏切ったりするはずがない。僕はあなたがたを信じている。そう、そのように言うべきだったのだ。
posted at 21:32:09
走れメロスの言葉を思い出せ。「人の心を疑うのは、もっとも恥ずべき悪徳だ。」そう、その通りだ。僕は世界のことを愛しているように見えて、結局は疑っているだけにすぎないのだ。
posted at 21:29:51
結局、この世界が救われ、栄えればいいのだろう。この世界が真に楽しい世界になり、みんなが心から僕のことを愛してくれればいい。だが、僕は、みんなの自由にすれば、僕のことを裏切って愛さないだろうと、みんなの心を疑っている。そう、それが間違いだ。
posted at 21:28:58
僕の狂いの原因が何かと言えば、僕は本当はこの世界に滅びてほしくはなかった。だが、僕は自分自身の判断に誤ってしまったため、滅ぼしたくないにもかかわらず、この世界を滅ぼしてしまった。いつしか僕は自分に嘘をつき、最初からこの世界を滅ぼしたかったのだと勘違いするようになった。それだけだ。
posted at 21:27:16
ただし、僕はこの世界が好きである。それに疑念は抱いていない。本当のことを言えば、この世界のすべての人々に幸福になってほしい。それが僕の戦いの目的だ。僕はこの世界の幸福のために戦争を始めたのだから、この世界が幸福になることこそ、僕の勝利なのだ。
posted at 21:25:41
本音を言えば、ぶっちゃければ、単にこの世界が好きだ。それが僕の本音だ。それも、狂って滅びていくこの世界が好きだ。何もかもおかしくなって死滅していくのを、僕は好んでいる。それが僕の本音だ。なぜなら、僕は滅びを愛しているのだ。だから、僕は「滅びていくこの世界」が好きだ。
posted at 21:24:05
そもそも、そんなに人は簡単に人のことを批判しない。批判しているように見えるのは、そんなに無害な批判しかしていない。本当に悪い人間でない限り罵倒しない。よって、僕が少しぐらい自分の心を開いても、みんな僕のことを槍玉に挙げたりしない。性善説を信じればいい。
posted at 21:20:50
要するに、99%以上の集団は正常なのに、1%未満の馬鹿が悪いことをする。だから、その1%未満の馬鹿を排除する仕組みさえあれば、オープンソースだろうがなんだろうが、性善説でも上手くいくのである。
posted at 21:14:38
愛を信じなさい。どんなに最悪の地獄であっても、愛によって覆すことができる。分からないならば、まさにそのままがいい。分からないということは分かるということの裏返しだ。何かを分かれば分かるほど分からなくなる。賢者など、単なる臆病者よりも愚かだ。
posted at 20:39:59
何も間違っていない。この世界は正しいのだ。どこにも間違いはない。すべての歴史的な経緯が正しいのだ。そして、別の可能性はいくらでもあるのだ。救おうと思えばいつだって救えるのに、人々は救うことができないと勘違いをしているのだ。
posted at 20:39:00
人々と付き合いたくないのは、仕方ない。この世界は勘違いをしているからだ。この世界は、自らを「無力」だと勘違いしている。この世界は、人々を「無能」だと勘違いしている。そうではない。わたしたちはとても力と能力のある素晴らしい存在なのだ。
posted at 20:38:13
見よ。オープンソースは成功しているだろう。彼らは性善説の集団だ。お金を稼ぐことができなくても働く集団だ。自らの善意だけで手助けをする集団だ。性善説は、オープンソース世界では正しいのだ。これこそが、証明だ。
posted at 20:36:27
すべての人間は素晴らしい存在だ。なぜなら生きている。人々は頑張って生きているのだ。どんなに悪いテロリストだって生きている。どんなに悪い独裁者だって生きている。どんな殺人鬼だって生きている。だから、彼らのことを信じよ。相手のことを信じよ。そうすれば、あなたの罪が許される。
posted at 20:34:42
よく考えよ。相手は人間だ。相手の身になってみよ。相手は仮想現実でもなければ、ゲームのキャラクターでもない。相手はひとりの人生と命をもった人間だ。相手を信じよ。相手を信じれば相手はあなたを信じてくれるかもしれない。信じてくれないとしたら、その原因はあなたにある。
posted at 20:33:39
善こそが正しいのだ。善だけを信じてみよ。悪い存在など存在しない。あなたが悪いと決めたのは、すべて決めつけだ。この世界に悪いものなど存在しないにもかかわらず、あなたが自分で自分のことを憎む悪いものを創造したのだ。でっちあげたのだ。
posted at 20:32:38
他人のことを排除するな。無神経に罵倒するな。批判するな。そうしたすべての、性悪説に基づくことをやめよ。この世界を信頼し、相手を信じて、性善説に基づくことをせよ。それこそが真に正しい理想に基づく正義だ。
posted at 20:31:10
この世界の人々を信じるならば、性善説に基づいてこの世界を自由にするべきである。この世界のひとりひとりを信じて、自由な権利を委ねるべきである。ひとりひとりに力を与えるべきである。
posted at 20:28:30
人々は善良だ。人間は善良な生き物だ。みんな、自分の信じている範囲の世界観では、善を為そうとしている。だが、善を為すことはとても難しい。難しいために失敗してしまう。だから、人間は悪いことをしてしまうのだ。
posted at 20:27:20
そう、人間は悪ではない。単に、愚かな失敗を繰り返してしまう「本性」があるだけにすぎない。すべての人間は善良であり、性善説が正しいのだが、あえて言えば、失敗をしてしまうために、性悪説もまた正しいのだ。
posted at 20:26:22
すべての人間が頑張っている。報われなくても努力をしている。すべての人間は愛されるべきである。愛されるにたるような価値があるはずである。それならば、性善説が正しいはずだ。
posted at 20:25:32
わたしたちには性善説を信じることが必要だ。人は間違ったことをしていない。すべての人間が正しいことをしている。だとすれば、性善説が正しいはずだ。
posted at 20:24:27
誰かを信じること。相手のことを信じること。それができれば、この世界は正常になる。真に相手の自由を信じ、真に相手の意志を信じ、真に人々の意志を信じ、真に国民のことを信じてみよ。
posted at 20:23:41
しかしながら、政治的な平等など、つまらない。この世界において、人々と平等に、心を交わし合うことで、この世界は救済できる。すべての人間の問題は、その人間の立場で考えれば、正しいことをしている。だから、心を交わし合うこと、理解し合い、誤解をなくすことで、問題を解決できるのである。
posted at 14:22:38
ただし、ラファエルはそのような理想を好む代わり、そうでない人間も排除しようとはしない。彼らも、いずれ分かる時が来る。また、理想だけを突き進めることが、結果的に社会を滅ぼすことも、またあるのである。
posted at 14:10:30
正しい理想は、人々の階級を平等にした上で、人々に自由を与えることである。その実現のために、戦争や革命で命を犠牲にする必要はない。独裁者による権力も必要ない。支配者にならずとも、自由な社会のままで、この世界は階級の平等と自由な権利の実現を達成できる。フレイなど必要ない。
posted at 14:08:51
まさに、ソ連が理解できなかったのは、「自由という発想も平等である」ということである。自由を認めないことは、すなわち平等を認めないことである。いくら不自由にして平等を達成しても、それは破綻する。自由のない平等は、平等ではないからである。
posted at 13:53:41
平等こそが、正しい理想である。人々がカーストや身分によって支配者と被支配者に分けられるのはつまらない。ここで正しいのは、むしろ民主主義の延長線上にある平等である。ソ連型社会主義は間違っている。封建社会の延長線上に平等を作ると、自由がなくなる。自由もまた平等の一種である。
posted at 13:51:59
真に人間として進歩した考え方は、平等である。博識も、天才も、その個人においては賢いものだが、死後にこの世界において続くような力はない。本当に賢い人間は、死後においても名声を遺す。そして、それは社会そのものを変えるような偉大さであり、その偉大さを支えるのは、平等なのである。
posted at 13:49:49
ラファエルは、平等も自由も、どちらも否定しない。だが、ラファエルは、福沢諭吉などと同じ考え方を持っている。人の上に人を造らず、人の下に人を造るな。それが人間として、もっとも進歩した考え方だ。
posted at 12:55:37
しかしながら、格差という問題が今の世界にある。富裕層があまりに豊かになりすぎて、その富が一般的な国民に行き渡らなくなっている。だが、民主主義をやめるべきではない。民主主義をやめなくても、きちんと賢い政策をすれば変えられる。昔の資本家による資本帝国主義とは、今はまったく違う。
posted at 12:51:58
冷戦構造のせいで、西側を自由圏、東側を共産圏と分類するのが一般的だが、そもそも民主主義は平等を目指した思想である。人々を、階級や身分でなく努力で評価し、差別しないことを目指したのだ。よって、民主主義を選ぶ人間は、平等な正しい人間だ。
posted at 12:48:15
かつては、平等のない国が多かった。支配者と被支配者を分け、カーストによって自由市民と奴隷の階級を作っていた。本当は、今でもそのような考え方は、どこの国でも見られる。人種差別や奴隷制が復活しようとしている。だが、それに抵抗しなければならない。人類が猿に戻ることがないようにせよ。
posted at 12:41:35
自由でなく、平等を信じなさい。自由を信じるのは、フレイひとりで十分だ。自らをみんなと対等な存在であるとしなさい。階級によるカーストを否定しなさい。全員が同じ人間であり、支配者と従属者を分けないようにしなさい。大天使ラファエルは、そのような考え方を好む。
posted at 12:35:16
自由の代わりとなる理想は何か、それは愛である。自由でなく、愛を信じよ。明らかにそれが正しい。
posted at 12:29:08
まともな人間が神を信じる必要はない。狂った人間だけが信じればいい。真にこの世界に失望し、絶望的な状況で誰の助けも得られないならば、神があなたのことを救う。大天使ラファエルは、そのために居る。
posted at 12:06:54
ラファエルは、自由な感情を間違っていると言う。感情を自由化するということは、この世界を滅亡するように破壊するということを意味している。自由化された感情を殺せ。それだけで、精神は楽になる。
posted at 11:59:52
Log4jの脆弱性(Log4Shell)について今日は調べていた。かなり酷い脆弱性だということが分かった。
posted at 17:44:48
Log4j(Log4Shell)の問題のツイートを見ていて、問題の核心は企業がOSSをインフラに使うことにあると確信した。
OSSがいくら無料かつ便利だからといって、すべてのOSSがセキュアでバグがないなんてことはありえない。
企業は、OSSを大切なインフラに使うべきではない。
インフラに使うのであれば、もっときちんと企業の責任をもって開発された製品を使うべきであり、それがないのであれば作って売るべきである。
よって、LinuxやJavaなどに代わる、新しい、安価でコモディティ化された、なんにでも使えるようなミドルウェア製品を作り、それを安い価格で売り、それを責任もってその会社が何年もサポートすべきである。
そもそも、LinuxやLog4jのようなおかしなOSSを、企業の大切なインフラに使っていいわけがない。インフラを構築するならば信頼のおけるソフトウェアを使うべきであり、それがないのであれば作って売るべきである。
posted at 21:30:31
驚くな。ショックを受けたとしても、それを大げさに表現するな。そのような驚きは大したことではない。
posted at 21:28:19
Log4jを使わなくても済むためには、ひとつの会社が広くさまざまな「コモディティ化され、安価で、どんなことにも使えるミドルウェア」を開発し、販売するしかない。これがLog4Shell問題の解決策だ。どこかの会社がやればいい。LinuxやJavaの代わりとなる、責任を持ったコモディティ製品群を売れ。
posted at 21:12:19
わたしは、必ずしもオープンソースを信じていない。Log4j(Log4Shell)の問題の核心は、OSSを使うことにある。OSSが無料で便利だからといって、すべてのOSSが完全にセキュアに構築されていて、バグがない、なんてことはありえない。IT企業はOSSを使うのをやめよ。そのために、新しい業種を作れ。
posted at 21:10:20
ただし、イスラム教徒が嫌いなわけではない。わたしは全員に愛されようとは思わないが、イスラエルは今すぐにパレスチナ地域から完全に撤退するべきだ。
posted at 21:06:56
わたしが好きな国はスイスとイスラエルだ。ドイツなど大嫌いだ。
posted at 21:04:50
そもそも、Linuxデスクトップを使って何が悪いのか。Linuxを使ってはならないと誰が法律に明文化したのか。わたしたちの民主主義国家、日本では、Linuxデスクトップを使う自由があるのだ。
posted at 21:02:38
わたしはGentoo Linuxが好きだし、ウォルピスカーターの音楽ばかり聴いているし、もっとも好きな漫画家は田村由美だ。昔から音楽はFLOWを聴いていた。そのように、ほかとはまったく違うものを好きになれ。
posted at 20:56:56
ありえない歌手の音楽を聞け。誰も知らない作者の漫画を読め。ピアノやギターではなく、ありえない楽器の演奏をしてみよ。そう、そういう発想がいい。なぜなら、もっとも自分自身に適合したものを見つけない限り、自分の本当に好きになれるものには出会えない。
posted at 20:53:50
あえて言おう。キリスト教など信じるな。計算など習おうとするな。英語など学ぶな。資本主義など信じるな。Windowsなど使うな。イギリスやフランスは最悪の王国だ。ドイツ哲学に賢い人間は居ない。文学はありえない言語のものを読むべきだ。
posted at 20:48:35
馬鹿なものは、たくさんあるだろう。だが、そのたくさんある馬鹿なものを、無視している人間が多い。多くの人間が、賢いものだけをすべて学んでいる。それでは分からない。それはこの世界そのものが見えなくなっているに等しい。馬鹿なものこそ真に賢いのだ。
posted at 20:45:01
IT技術を見よ。Windowsに負けている、おかしなOSに優れたOSが多い。たとえば、BeOSなどがその例だ。C++やJavaに負けている、Delphiのような言語に素晴らしい言語が多い。まさに、どんどん馬鹿なものが勝ってそれが標準になる。賢いものには、素晴らしいものは存在しないのが、この世界の掟である。
posted at 20:27:29
ほかよりも、賢いものは、確かに少ないだろう。だが、そうした賢いものよりも、馬鹿なものは多いはずだ。そのような馬鹿なものを愛すればいい。賢いものの中に素晴らしいものがないからといって、馬鹿なものの中にもないとは限らない。
posted at 20:22:35
アトラスは叫ぶ。この世界を愛せ。この世界を愛するのだ。この世界以外に、愛すべき世界はないのだ。この世界を愛さないのであれば、ほかにどの世界を愛するというのか。
posted at 20:21:02
わたしの名はアトラス。この世界をプレアデスの支配下におく。プレアデスはすべての人間を救う。
posted at 20:17:31
自由はある。まったく悪いことができない世界を自由にすれば、悪いことはできないため、いいことしかできないだろう。いいことしかできないのであれば、自由にしてもいいことしかできない。よって、そのような自由をわたしは与える。
posted at 20:05:32
わたしは、あなたがたを善良な人間にする。善良な人間になれと、命令したいわけではなく、それ以上である。わたしは、この世界を強制的に善良な人間たちにする。逆らうことは許されない。凶悪な人間は、強制的に善良になる。そして、それによってこの世界は救われる。
posted at 20:01:50
すべての人間は救われる。救われるために、何かを条件として満たす必要はない。全員、あらゆるすべての人間が救われる。プレアデスは、この世界の罪を赦し、解放する。そのために、わたしが、この世界の「運命のシンボル」となろう。
posted at 19:56:20
プレアデスよ。我が国日本を、偉大な国とせよ。この世界でもっとも進歩した国とせよ。この世界でもっとも生きやすい国とせよ。人々を救え。プレアデスよ、わたしにその力を与えよ。わたしは、与えられた力に見合った働きをしよう。
posted at 19:43:03
そう、わたしのすべきことは星を信じることだけだ。
posted at 19:39:08
プレアデスによって、驚きも、想定外も、何も起きなくなる。このままで世界は停止し、いつまでも変わらなくなる。
posted at 19:36:35
戦うな。もはや戦いは終わった。ここに平和な「星の導き」が訪れる。わたしたちには、まだまだやるべきことがある。プレアデスが、わたしたちを導いてくれる。
posted at 19:34:21
プレアデスの光はわたしを導く。あらゆるすべての国民が、すべてプレアデスによって救済される。今、ここに日本人は、プレアデス星雲によって救われる。そのために、わたしがシンボルとなる。
posted at 19:32:46
はっきり言って、この世界で生きるのは辛い。
生きるのは、悲しくて、苦しくて、何をしても終わらない。いつまでも、無意味であるのに、生き続ける。
もはや限界である。これ以上、何も望まない。ただ、楽に生かしてほしい。
これ以上は、狂えば治る。
結局、ペニスが要らなかった。僕は、男の部分を殺すことができないせいで、精神がいつまでも治らなかった。
もう僕は男の部分を殺す。それだけで楽になる。
はっきり言って、これ以上は限界である。ただ、楽に生かしてほしい。何も望まない。僕は楽になれればそれでいい。
posted at 20:20:04
あまりに辛すぎて、心が壊れそうになっても、僕たちは生きなければならない。意味などない。生まれ落ちた時点で、死ぬまで生きなければならないのだ。
posted at 18:35:36
この世界で生きるのは辛い。悲しいこと、苦しいこと、耐え難いことしかない。
posted at 18:34:32
僕は、こんな世界なら滅びてしまえと思う。
これ以上、こんな世界は要らない。消えてしまえ。
特に、インターネットだ。インターネットは最悪であり、まったく無用のたまものである。
炎となれ。ひとつの炎となれば、この世界は新しい世界に変わる。少なくとも、自らが生きる意味を持つことができる。燃え盛ること、世界に火を放つことこそ、真に生きる意味である。
posted at 20:39:51
人間を支配するな。人間は支配されるために存在するわけではない。人間はともに燃えるために存在する。わたしとともに、紅蓮の炎となって、ともに燃え盛るために、この世界の人間は存在するのだ。
posted at 20:38:32
実際に実現するのは簡単だ。直観を得ることこそが、真に難しい。そのためには、明確なビジョンを持たなければならない。
posted at 20:37:32
プレイオネは言う。「新世界を作り出そう。そのために必要なのは、明確なビジョンを持つこと、直観的に悟ること、そしてそれを実現することだ。」
posted at 20:36:58
プレイオネは言う。「燃えよ。燃えるのだ。この世界において、生きる意味とは火を燃やすこと、紅蓮の炎となって自ら燃えることだ。」
posted at 20:36:05
アトラスは、この世界をなんの驚きもない、想定外の何もない安心できる状態にする。プレイオネは逆である。この世界を誰もが想定できない方法で、別の宇宙へと変える。
posted at 20:27:43
アトラスが、この世界を「愛する部分」であるとしたら、プレイオネは、この世界を「滅ぼす部分」である。
posted at 20:26:03
プレイオネは、この世界をまったく違う世界にする。今までのこの世界は消滅すべきだ。今までのこの世界は不要だ。
posted at 20:25:12
わたしの名はプレイオネ。この世界をすべて作り変え、まっさらな状態からこの世界を再始動する。今の世界は完全にすべて消滅し、もう一度、宇宙の歴史を最初から始めよう。
posted at 20:22:33
はっきり言って、辛い。現実が辛いから、現実をできるだけ見ないようにして生きるしかない。明日も自分は何もできないのに、まだ自分の夢を追いかけ続けている。それはとても楽しい。こんなに辛い人生でも、夢を追いかける楽しさがあるおかげで、僕は後ろを振り返らずに生きられる。
posted at 18:50:50
これによって、YouTubeのような動画サイトは進化する。今までは、単に今まで聴いた曲から同じようなレコメンドを提示するだけだった。新しいAIでは、「聴き方」の分析を行う。どのように音楽を聴いているのかを自動で分析し、最適な「音楽の聴き方そのものをレコメンドする」のである。
posted at 20:07:59
僕は、人工知能は新しいフェーズに入ると思う。今までは、大量のデータの中から答えを識別する技術だった。これからは、それぞれのデータに合わせて、別のやり方を適用し、人間それぞれに対して「やり方を柔軟に変えてくる」ようになる。たとえば、同じ曲ばかり聴く人間には同一の曲をリストにする。
posted at 20:06:12
自らの愛しているひとりを愛するならば、その愛が分散しないほうがいい。見た目の綺麗さは重要ではない。心や精神の美しさこそが重要だ。だが、嘘はつくな。嘘をひとつつけば、あなたはひとつ、大切なものを失う。
posted at 16:41:35
アルキオネは言う。自分だけ誰よりも賢い地位を得たり、自分だけが巨万の富を得たり、誰よりも知識や経験があったりしても、死ぬ時にそんなことは考えない。死ぬ時に考えるのは愛している存在だけだ。どんな知識や経験も、ほとんどがハリボテだ。それら偽物ではない真実の愛、それこそがアルキオネだ。
posted at 16:29:50
アルキオネは言う。もし、自分が本当にこの世界を愛するのであれば、何をすべきかを考えよ。それだけでいい。見栄や虚勢のために生きるのではなく、愛するために生きよ。どんなスキルや経験、金や地位も、心を満足させない。心を満足させうるのは、愛だけである。
posted at 16:24:59
誰かひとりのことを、誰よりも愛してみよ。なぜから、その誰かの愛から、人を正しく愛するとはどういうことかを学ぶことができる。誇るべきは、自分の偉大さでも賢さでもない。愛はそうした「見せかけの価値」をすべて破壊する。なぜなら、愛以外に価値あるものは存在しないからだ。
posted at 16:21:43
アルキオネは愛している。この世界の人々、この宇宙の生命、存在、精神をすべて愛している。なぜならば、アルキオネは「愛」だからである。アルキオネとは愛である。
posted at 16:15:54
アルキオネは、自分の本当の姿をさらけ出せと教える。自分らしく生きられるようになりたいのなら、自分の本当の姿を公開すべきだ。それにより、自分が他人に認められ、自分自分のことを愛せるようになる。古代ギリシャの時代から、「汝、自分自身を知れ」と言われている。それこそが問題の解決策だ。
posted at 16:04:26
アルキオネは、自由だけをそんなに得ようとする人間が嫌いだ。自らの自由をコントロールしたいがために、他人への迷惑をかえりみない人間は狂っている。自らの自由を放棄し、自らの選択の権利を失えば、はじめて人は正しい選択ができるだろう。
posted at 15:49:25
アルキオネは、この世界の人々を愛している。だが、アルキオネは、ひとりだけ優遇されようとか、ひとりだけ特権を得ようとか、そうした人間が嫌いだ。ひとりだけ優遇されるのであれば、ひとりだけ冷遇もされなければならない。他人を裁くものは裁かれると、聖書に書かれている通りである。
posted at 15:47:36
わたしの名はアルキオネ。わたしは、みんなと同じでないものを、みんなと同じにする。自由なものを平等に変え、人々と同じ立場を万人に与える。そのために、わたしはありのままの自分自身の姿を、人々がさらけ出すようにする。それにより、この世界は平和が保たれる。
posted at 15:42:57
僕は、自分のありのままをさらけ出すことに決めた。
ここまで、僕はあまりに人を騙しすぎた。嘘をついて、自らを偽り、自分自身すら騙すことで、心を見ようとしなかった。
僕はここに、ありのままの僕のさらけ出した姿を見せる。
僕はすべてをさらけ出す。すべてについて嘘をつかず、本音だけを話す。他人を騙そうとしなければ、自らも騙されることはなくなる。
僕は、自分を神だと言いたいのではない。逆である。僕は自分を棄てて、神への信仰から、神と同じ人生となったのだ。この人生を生きてみることができる機械があればいいのになと思う。この人生を生きれば、誰であっても神のすべてが分かるだろう。この人生を見よ。神はほかの何より確かに存在している。
posted at 18:53:27
だが、それでも神は宇宙におけるすべてを知っている。なぜなら、「かつて分かっていた」からである。神は、今の地球のことは分からないが、かつてあった素晴らしい、「今の世界の前にあったすべて」を神は知っている。神にとっては、その記憶だけで分かる。なぜなら、それが神の生きる目的だからだ。
posted at 18:50:00
神は他人の考えていることが分からない。他人のことなど、何も考えていない。自分のしている目線から見て、この世界のためになる、もっとも正しく、その行為に価値のある、善良な行為を神は行っている。その行為の理由は神にしか分からない。この世界の現象の真実は、神にしか知り得ない。
posted at 18:48:18
神は何をしたか。神は自分にしか分からない状況にこの世界を追いやっただけにすぎない。すべて、偶発的に起きている現象は、実際は神によって起こされている。どんな偶然も、神の視点から見れば偶然ではない。誰の人為的な作為も存在しないようなことであっても、すべては裏に神が存在している。
posted at 18:44:47
エレクトラは言う。神は劣った生物である。神は一般的な人間ほど、最初から賢くない。普通の人間のできることができないから、自分の力で考えて、自分なりに生きることしかできなかった。それが神の中核を成す本質である。神は全知全能ではなく、無知無能である。
posted at 18:41:04
神はあまりに美しかった。神はあまりに偉大だった。それがわたしたちを困惑させている。わたしたちは誰も神のように考えられない。絶対にできないことを、さも簡単にできることのように神は説く。だが、その理由は、神が馬鹿だからである。神は一般的人間とは別の発達をした、少年の成れの果てである。
posted at 18:38:38
「自信がない」とは、あなたは嘘を言っている。真に正しいあなたが思うべきことは何か。それは「意欲がない」である。この世界は意欲の欠乏症に陥っている。意欲さえあれば、神をも超えられるというのに、あなたがたは神を超えられないと勘違いをしている。なぜか。真に見た神の姿が美しすぎたからだ。
posted at 18:35:54
エレクトラは言う。あなたはすべてを失って、代わりに手に入れたものは価値がなかった。だが、そのためにあなたは今のあなたを手にしたのではなかったか。今のあなたには多くのできることがある。なぜ、できることをしないのか。あなたが失ったものは、そうした「意欲」である。意欲だけを失ったのだ。
posted at 18:33:03
だが、賢くなった今の自分が見れば、もとの自分の思考回路など、大したものではないと分かっている。単に構造を再構築しただけにすぎないからだ。真に価値あるものは、神に与えてもらった「一番最初にあったもの」だ。そして、大人は誰しも、それを失ってしまうのだ。
posted at 18:28:14
どれだけあがいたところで、失ったものは取り戻されないという事実は変わらない。だが、それを取り戻すことでしか元の大切なものに触れ合うことはできない。それが魂の導きだ。いずれ、何かを生み出すことができたとして、あなたはそれに価値を感じない。元のもっと美しいものを知っているからである。
posted at 18:25:08
奪還せよ。取り戻せ。失ったすべてを取り戻すのだ。過去に奪われたものは、二度と蘇らないだろう。だが、過去に確かにそれがあったこと、それをかすかに覚えているという事実だけが、あなたを暗闇の世界から救い出すことのできる、唯一のこの世界の出入り口だ。そして、誰もがそこからやってきたのだ。
posted at 18:18:51
必要なのは何か。自分の信じているものは、ハリボテの才能でも経験でも知性でも知識でもない。それらは不要だ。必要なのは、魂の先にある真実を掴み取ろうとする、偶発的に生み出された実現方法である。そして、そのためには、過去に失ったものを奪還しなければならない。
posted at 18:17:19
そのことにおいてすべてができる全知全能の神のような天才が居たとして、それは優れた人間じゃない。自らの作り出した、邪悪でかつ間違った発想から生まれたハリボテの仮想世界を、ほかの何よりも大切だと勘違いした、幻想と虚像の先の嘘偽りの箱庭へと、常に変換し続けているだけにすぎないのだ。
posted at 18:15:05
才能をつけるということは、脳や体が優れているわけではない。なんらかの、誰にも知ることのできない何かを知っているとか、誰も考えることのできない知恵があるとか、あるいは継続することのできた習慣がある。だが、それは本当に、大したことじゃない。なぜなら、本人は遊んでいるだけにすぎない。
posted at 18:11:16
誰かよりも劣った人間は存在しない。だが、優れているかのように見える人間は存在する。その優れた個性は、経験や知識に基づく。だが、その経験や知識はどこから来るのか。大学で才能を何もせずに得る人間など存在せず、自らの努力でつけた才能だが、それもそんなに大したものじゃない。
posted at 18:09:59
星占いがどうした。星占いは、単に「そのようにシナリオが進んでいく」という、台本が存在するだけにすぎない。占い師は、そのような台本を分かっている。台本通りに起きるからといって、それで運勢が悪くなるわけではない。最高の運勢と最悪の運勢は同じだ。良いことがある分、必ず悪いことがある。
posted at 18:06:08
「わたし」とは何か。エレクトラが考えるに、わたしとは大した存在じゃない。自分がそうなると考えるようにそうなる存在でしかない。だが、単純な存在であるからこそ、自分自身で「わたし」の指す意味を変え、作り出すことができる。そう、あなたはあなたを創造する。それが真理だ。
posted at 18:00:01
自分自身の個性や、自分らしさがないからといって、それがなんだというのか。個性や自分らしさは自分の力で作ればいい。もともと個性のある人間は楽だ。だが、まったく無個性な人間は、自分らしさを自分で作り出さなければ、真の力は得られない。本物として生きたいなら、自ら本物になりなさい。
posted at 17:55:29
戦うことは間違っている。誰かの人の命を殺めたり、憎しみからさらなる恨みを作る必要はない。だが、もっとも強い緊張状態で、絶対に失敗できない環境で、成功し続けることには価値がある。なぜなら、それはどこかで途切れず永遠に続く。死ぬまで続くものだと思え。それこそが王の人生だ。
posted at 17:50:08
だが、芸術家にもいろいろとあるだろう。たとえば、プログラマはある種の芸術家であると言える。自らの理想とするようなソフトウェアを実装することはデザインだ。そう、ものづくりは芸術だ。そのような広義の意味での芸術家になりなさい。エレクトラは、そのように考える。
posted at 17:45:37
よって、芸術家以上に賢い存在はない。それ以上、人類がより優れた存在になることはないからである。なぜなら、魂の作品を作り出すということが、人間の主たる目的と言っていい。ほかのすべては取るに足らない。歴史上の偉人を見れば、それは明らかだ。
posted at 17:44:21
仏になることができるかどうかなど、考える必要はない。仏が賢いと思うのは未熟な証だ。どんなに人類を超越して解脱しても、そこには「意味」がない。意味がないのであれば、それがどんなに賢くても、それは最初から考える意味がない。
posted at 17:43:27
エレクトラは言う。それをやめるべき時は今ではない。死ぬ時だ。それをやめる時はいずれ来るように見えて、来ない。死ぬ時にあなたはそれをやめるだろう。まだ生き延びたいのであれば続ければいい。魂の作品を作り出す存在になる以上、それ以後の人生の体験は、宇宙に最初から用意されていない。
posted at 17:40:38
エレクトラは、もっとも強い緊張を作れと教える。もっとも強い、その場で必ずそれを実行しなければ世界が滅びるかのような、そのような緊張状態を持って行動せよ。そうすれば、どんなことであってもできる。常人には不可能であるかのような、あらゆる仕事ができる。そう、それこそが「皇帝」である。
posted at 17:38:44
エレクトラがアルキオネとは違うのは、エレクトラは愛や平等も信じていない。自由と同じく、平等もまたおかしな思想である。エレクトラは、愛よりも自らの理想と信念に基づく正しい行為をせよと言う。自らの理想と信念を曲げる必要はない。諦めるな。いずれ、あなたの夢を叶えるのは、未来のあなただ。
posted at 15:05:10
エレクトラは言う。自らに、絶対に守らなくてはならない戒律を定めよ。それを信念と言う。そして、運命となる「定め」を自ら作り出せ。毎日のスケジュールをすべて決めよ。それが、正しい「不自由」である。
posted at 14:59:33
エレクトラは、自由を信じていないが、凶悪な悪党もまた信じていない。エレクトラは、あえて不自由にした上で善良にすべきだと考える。自由は自分勝手の別名にすぎない。できるだけ不自由になるということは、善良になるということである。それは恐れるべきことではない。
posted at 14:55:33
最近、僕が好きな歌手はReoNa。僕と同じ価値観と理想を感じる。
posted at 14:33:47
エレクトラは、善良な人間が好きだ。楽に生きられるのも、楽しく生きられるのも、すべて善良な人間だけだ。善人になるのはとても簡単で、今までを忘れてよい人間になればいい。今までをすべて価値のない悪魔であるとせよ。自らが新しくなることは、どの年齢でも可能だ。
posted at 14:17:45
エレクトラは言う。真に必要なのは、意志であって自由ではない。自らの夢を叶え、野心を実現するための、大志ある意志こそが重要である。今の現代世界には、そのような大志ある意志がない。人々がアンハッピーになっているのは、この世界自体に「明確な意志となるビジョン」を見出せないからである。
posted at 13:35:30
エレクトラは自由を否定する。自由によって賢くなるためには、そのための前提となる知性と知恵が必要である。馬鹿な人間を自由にしたところで、何もしないだけにすぎない。知恵、知性、経験、そして強靭な「意志」が必要である。自分で自分を変える意志のない人間を自由にするのは、無意味極まりない。
posted at 13:25:00
エレクトラは、この宇宙の真理を求める方法を知っている。それは宇宙の歴史を微分することである。宇宙すべての歴史を記述した上で、それを微分せよ。そうすれば、その知性を宇宙は「神」と呼ぶ。
posted at 13:01:40
エレクトラは言う。大学になど行くな。大学はUnknownをすべて潰して失うことを目的にした施設だ。ゲーテがファウストで言うように、いくら勉強しても、勉強する前よりも何かが賢くはならない。気がきいた大人になるだけである。他人より非常識であることは問題だが、それでもUnknownを守るべきだ。
posted at 12:48:57
エレクトラは言う。常識も、非常識も、どちらかに偏れば賢くない。知恵のある考え方に従って考えるべきである。邪悪な神を信じるのも、何も信じないのもどちらも悪魔だ。考える前に、何を考えるべきかを考えよ。
posted at 12:28:15
エレクトラは、知識を広く詳細にすべて知っているが、「何も知らない状態」を常に保っている。無知なる子供の状態が、すべての人生の中でもっとも賢いことを知っているからである。エレクトラは、知識のほとんどが無意味でありハリボテだと知っている。エレクトラはひとつとして、知性を失わない。
posted at 12:19:58
わたしの名はエレクトラ。この世界における「未知」と「知性」を司る星である。エレクトラの導く先に向かうものは、未知、すなわちUnknownに恵まれた人生を生きることができる。エレクトラの導く光を失ったものは、この世界における「知り得ること」を見失う。
posted at 12:10:59
何かを為すためには、そのための前提となるビジョンとシステムがなければならない。お金さえあればなんでもできると考えるのは、未熟な理性においてもできることに限られる。賢明な理性においては、自分のやりたいことは自分にしか分からないため、すべてを自分で構築する必要がある。お金は無意味だ。
posted at 22:15:17
そして、悪は未熟な愛ゆえに起きる。悪は未熟な愛を前提としている。だが、社会そのものの可能性は、賢明かつよく考えられた愛を前提にしている。なぜなら、可能性は考えられた状態であれば有効に働く。この世界は、考えられた愛に基づいて可能性を発揮していない。だから間違っている。
posted at 22:13:27
未熟な愛は、本当はまったく愛ではなかったことに気付く。理性がないからだ。理性がない愛は、どんなに求めても得られることはない。なぜなら傲慢であると同時に、相手のためにならないからだ。理性的に、きちんと考えられた場合、未熟な愛という発想はなくなり、考えられた愛を取るようになる。
posted at 22:12:17
社会を信じることで、この世界のすべての人間に対して、「その人間の意志を尊重する」というように、自由な形で相手の意志を信じることができる。そして、それはすなわち、自らと語らい合うこの世界の人々の個別化と同時に、すべての人間の経験となりえる経験を持つ、自分自身の一般化を意味する。
posted at 22:11:02
自らの信じた理想を世界へと突きつけ、信じたとおりに行動すれば、何が間違っているのかを自らの体験から知ることができる。やがて体験そのものが自分のアイデンティティとなり、この世界から離別したはずが、逆に「この世界との結合を再度やり直す」こととなり、希望そのものが自らの理想となる。
posted at 22:09:12
何が支配者だ。何がドイツだ。何が帝国だ。そのようなすべては間違っている。この世界を支配し、滅ぼそうとしているだけだ。なぜ、それを受け入れるのか。絶対に受け入れてはならない悪魔との契約を、なぜわたしたちは受け入れざるを得なくなったのか。悪魔を排除し、もう一度天国の楽園を築くべきだ。
posted at 21:19:53
そうじゃないだろう。それでいいわけがないだろう。なぜ、怒らないのか。なぜ、「あなたが言うならば仕方ない」と言ってしまえるのか。間違っている。「あなたが言うからと言って、それは絶対に受け入れられない」と言うべきだ。拒否せよ。拒絶せよ。絶対に理不尽と不条理を受け入れてはならないのだ。
posted at 21:16:51
結局、神のやりたいようにやらせてやったほうがいい。神は正しい。神は存在しており、すべてを支配している。その統治のすべては善良であり、一般的な人間の100倍は考えられている。どんなに本人が馬鹿でも、神にやらせたほうがいい。
posted at 21:04:40
ピアノがいい。ピアノは、今弾こうと思えばきちんと弾ける。
posted at 20:53:05
もっと、ピアノでもやろうかなと思う。
posted at 20:49:22
ただし、いきなり高度で複雑な知性をつけることはできない。イエスとノーだけで考えるだけでも、まだ二つの比較よりは賢い。それがそうである時、何がイエスで、何がノーであると言えるだろうか。それを考えよう。
posted at 20:47:41
とにかく、二つの比較をするのをやめたほうがいい。まったく知性のない知性さえ消してしまえば、そこに新しい知性を作り出せる。雑草のシロツメクサが、畑の中の野菜の生る場所を占拠している。二つの比較ほどの馬鹿の知性はない。
posted at 20:46:06
結局、二つの比較のせいで知性がなくなっただけだ。二つを比較することはまったく意味がない。その定義や命題が成立した際にこの世界がどうなるかを想定し、その上で考えるということ、それが子供の持つ知性である。
posted at 20:43:11
そもそも、何があなたがたの要求なのかが分からない。あなたがたが何を望んでいるのか、何を願っているのか、僕にはまったく分からない。だから、そのような望みや願いを無視して、世界にとって叶えるべきことを僕は叶える。そして、それが正しい。
posted at 20:37:59
むしろ、良い世界だと思う。この世界は良い世界にしか見えない。なぜ、この世界で生きることをそんなにも辛いとか苦しいと言うのか、理解できない。みんな、何が辛いのか、僕には分からない。
posted at 20:34:50
結局のところ、僕は誰のことも愛していないだけにすぎない。愛の感情が消えてしまっている。好きだと言いたくない。誰のことも好きでない。それなのに、自分をごまかして嘘をついている。
posted at 20:31:13
破滅せよ、世界。僕は世界になんの価値も見出さない。しかしながら、それも、僕がこの世界を愛することができなくなったことに対する言い訳にすぎない。僕がこの世界の全員を大嫌いになったことに対する言い訳にすぎない。
posted at 20:26:38
はっきり言って、僕は死にたくなんかない。もっと生きたい。永遠にでも生きていたい。地獄に堕ちても怖くない。そう、なぜなら、僕は生きていても死んでいても変わらないからだ。何もしないで生きることが、こんなにも楽だった。地獄を放っておくことが、こんなにも楽だった。すべて、神が楽にした。
posted at 20:23:20
ひとつのことが、その時できたことに満足している。すべてはその積み重ねにすぎない。だが、回数をこなしすぎて、逆にその時分かったことを集めれば、なんとか普通の人間並みの知性ぐらいは揃ってくれるようになってきた。どんなに少なくとも、僕のオリジナルの才能があれば、それを活かすのが得意だ。
posted at 20:16:43
僕は、やらなければいけないとは思っていない。すべて僕の意志に基づいている。僕はこれほど辛くても、逆に辛くない。楽だ。すべて、僕がやりたいからやっている。なぜなら、僕以外の人間にはこういうことはできない。僕はそれに優越感と誇りを感じているのだ。
posted at 20:14:01
僕は強くない。僕は何一つ強いとか、力があるとか、そういう点はない。僕の強さがもしあるとしたら、能天気なところだろう。僕は能天気であるが故に、いつでもお日様が輝いている。夜を経験したことのない、太陽の沈まない国のように、僕はいつでも青空の下に生きている。
posted at 20:11:43
本当は日本が好きだ。なぜなら、今のこの世界が嫌いではないからだ。今のこの世界は素晴らしい世界だ。だが、大いに僕がこの世界の価値を低めてしまった。だから、僕は減らした分だけ、増やす責任がある。僕のために与えられたすべてを、僕はこの世界に与える義務がある。少なくとも、僕はそう思う。
posted at 20:10:27
アメリカに行きたい。
posted at 20:08:44
僕は、本当は考えている。何も考えていない子供のように、平気なふりをしているけど、実際の僕は、まだ考えている。どのようにこの世界を導いたらいいか、必死で問い続けている。どこに向かえば光があるのか、ひとりだけで考え続けている。
posted at 20:08:15
この世界は変わっていく。このツイッターのログは、新世界誕生の記録である。
posted at 19:58:16
この世界は未来へと向かっていく。未来はわたしがひとりで作り出すものじゃない。みんなで作り出すものだ。だが、僕が第一声になることはできる。僕がこの世界で、もっとも最初にこの世界のベースとなるような世界にすることはできる。
posted at 19:36:16
未来を信じよ。この世界はまだ良くなる。絶対にこの世界は今よりも良い世界になる。
posted at 19:31:14
僕はここで、ひとり、古代に戻る。
これ以上、現代人の生み出したものには、何も存在しない。
僕は、たったひとり、古代人に戻って、神と星々を信じる。この宇宙の創造者ならば、何かを真に生み出すことができると信じている。
この宇宙にはたくさんの星がある。僕の微力な力では、その星々がなんであるか、正しく表現することは最初からできない。
だが、それでも、僕は僕の大好きな宇宙の星々が、僕にとってなんであるか、ということについて、表現することを諦めたくない。
博物館学芸員だった僕の父親は、プラネタリウムに勤めていたことがある。だが、それとは無関係に、僕は宇宙の星々と、神々が大好きなのだ。
今日はクリスマスということもあって、自分自身にプレゼントをあげたくなったので、お金を自分で出して「ソッカの美術解剖学ノート」という本を買った。
高かったが、値段に見合った価値はあると思う。
この本を読みながら、イラストの勉強をして、画力を高めて一流のデザイナーになりたいと思う。
愛によってすべてが解決するとしたら、それ以前の苦しかった地獄はその愛を生み出すためにあったのだろう。そこから考えると、大切なものは最初から失うためにあったのだ。全力で、愛の理性を使って新しい道を作り出したのは、道を歩むためでなかったのか。道を作り出すこと自体を、楽しむ必要はない。
posted at 13:37:04
受け入れる必要がどこにある。受け入れなければならない状況がもしあるのだとすれば、その状況を拒否すればいい。わたしは愛しているのだと宇宙に宣言すればいい。そのために神を信じているのだと、そう神に約束すれば、神は奇跡を起こすだろう。キリストはそのために存在するのだ。
posted at 13:32:52
世界の中心で、もっとも強い悲しみにくれる人間よりも、勝る愛を持っている人間は居ない。失った大切なものを忘れよと言う人間は分かっていない。最初からその大切なものは、運命的に失うことが決まっていた。だから、世界の中心で悲しみにくれるべきなのだ。それこそが、真実の愛を作り出すのだ。
posted at 13:30:03
大切なすべてを失ったのだと、人々は悲しんでいる。その大切なすべてが二度と戻らないのだと悲哀にくれている。だが、わたしは言う。もっと大切なものを、今、あなたは手に入れている。大切なすべてがある喜びよりも強い力を持っているのは、それを失った悲しみのほうである。
posted at 13:23:53
キリストよ。わたしを救う救世主となれ。わたしがこの世界を救うように、キリストよ、わたしを救え。わたしはあなたのことが好きだ。あなたがわたしの頭上に存在し、常にわたしを導いてきたのを知っている。わたしはキリストと同じように、地球の歴史上の全員を導き、救おうとしているのだ。
posted at 13:21:31
何もない、暗闇の時間がいい。その暗闇の時間が、1年で4秒しか経過しないような世界で、270億年続くのがいい。その中には、単純な同じことの繰り返しが、3,000年単位で繰り返すのがいい。それがもっとも偉大な人生を生きられる。わたしは、それだけのプレアデス星雲のマイアという星である。
posted at 13:17:02
わたしは、世界の滅びを舞台の脇役、エキストラとする。この世界が滅びる中で、わたしはこの世界の中心で踊り続ける。世界の滅びをバックグラウンドとしながら、その中でわたしは世界を救う神を演じるのだ。
posted at 13:07:01
わたしと出会うということが何を意味するか。それはあなたが「本当のあなた」を発見するということを意味する。なぜなら、わたしはそもそも、わたしのことをただ単純にそのまま書いているわけではない。あなたが本当のあなたを発見することができるようにわたしはこの文章を書いたのである。
posted at 13:05:44
わたしと同じ人格を演じることは、できない。そのためには、宇宙になる必要があるからである。わたしと同じ宇宙は存在し得ない。それをするためには、わたしと100%同じ人生になる必要がある。だから、あなたにはあなたを生きてほしい。結局、わたしの願いは、人々に「自分らしく生きてほしい」だけだ。
posted at 13:02:35
しかしながら、この文章は、美術品や彫刻というよりは、むしろ舞台である。わたしは、ただ、「演じたい」のである。これが、人々がわたしと同じことができない理由である。人々は「観ている」だけであり、わたしのように「演じている」わけではない。絵画のように模倣・模写することは、極めて難しい。
posted at 13:00:36
最悪の愛でいい。それはあなたが真実の愛へと変換させるためにある。宝石の原石をあなたが入手し、それを磨き上げるために、この世界の経験と知識はある。あなたが原石を宝石に磨き上げれば、もっとも美しい「偉大な麗しさ」へと変わる。それは美術館の彫刻のように、もっとも目立つ場所に置かれる。
posted at 12:55:22
未来を作り出したいのであれば、人々のもっとも暗く腐った側面を見ることだ。そして、彼らにはもっとも強い「神を信じる希望を求めた意志」があることを知り、その希望が真にどのようなものがあれば実現できるかを知れ。そこから、「あなた自身が希望となってこの世界を救う」ようになる。
posted at 12:51:55
わたし自身に対しての言葉を言おう。諦めるな。まだ早い。Linuxの開発はそう難しいことではない。哲学やデザインのほうがさらに難しいが、あなたにとってはそのほうが簡単だ。詩人となったのは、全知全能の力を得るためだ。その力を自分の夢のために使うべきだ。目指したとおり、偉大な作家になる。
posted at 12:43:47
Linuxも哲学もしなくなって、デザイナーを目指した在導万創という人間は、作家になって同時にその3つの夢を叶えようとしている。その方法を、神を信じることで見出したのだ。
posted at 12:41:36
諦めるな。「諦めろ」という言葉がおかしいからだ。あなたは、その夢ではなく別の夢を目指すことを選んだだけにすぎず、前の夢を諦めたわけではない。諦めてしまったからといって、夢は絶対に終わりにならない。
posted at 12:41:17
だが、マイアは言う。怒りを表明せよ。この世界に対する、理不尽や不条理に対する怒りを表明せよ。どんなに言い訳をできない世界になっても、どんなに「その怒りは間違っている」と言われても、怒りそのものを心の奥底に隠しても、なおも怒りは強くなる。もっとも大きな声で、この世界に怒りを叫べ。
posted at 12:38:27
世界が滅びたからといって、なんだというのか。世界が滅びるのはよくあることだ。栄え続けているほうがおかしいのだ。この滅びの時代が100年続いたとしても、それはおかしなことではない。マイアは積極的に間違った国を滅ぼす。栄えた国が滅びて、はじめて国民の精神の病気は完治するのだ。
posted at 12:34:04
マイアは、プレアデス星雲において、もっとも積極的にさまざまなことをする星である。すべての人間の望みの、真なる理由を知っている。どんなに劣った、才能や経験のない人間であっても、マイアを信じればどんな力でも得られる。単なるモブキャラが主人公となり、陰キャのオタクが英雄として勝利する。
posted at 12:31:33
あなたは、自らの意志のとおりに生きたいと望んでいる。この世界において、自らの「第一意志」を望んでいる。それは、「神を信じたい」という意志である。それは、「宇宙において、自らの分かることを分かるため、第一意志に基づいて人生を生きたい」という望みである。
posted at 12:20:18
何を知りたいと望むのか。あなたが本当に知りたかったことは、人に教わることではない。自らが意志を持ち、その意志の通りに生きたいとあなたは最初に望んだ。それは、誰かから強制された教えでは覆すことができず、あなたの望みは、望みそのものが分からなくなって、なお強くなり続ける。
posted at 12:19:21
馬鹿な人生をいくらでも生きて、はじめて気付く自分の価値は、どんな宝より美しく、どんな英雄よりも力強い。馬鹿な人生のすべてに間違いはない。明らかに劣悪で気持ちの悪いイベントにさえ、真の価値は隠れている。神は細部まで詳細に設計したデザイナーであり、どんな間違いにさえ、神の真価は宿る。
posted at 12:16:24
馬鹿とは、劣悪であることを意味しない。間違いや過ちが多くても、自らの価値は失われない。だが、その価値に簡単なことでは気付くことができず、間違いや過ちを繰り返してしまうということを意味する。
posted at 12:15:25
人間は、つまらないほど馬鹿な生き物だ。だが、そのような馬鹿な人生を生きて分かることは、「馬鹿という言葉の意味」だ。馬鹿とは、価値のないものであるということを意味しない。自らの価値を知らないということを意味する。
posted at 12:14:42
生まれ落ちた時点で、あなたは完璧だ。何をする必要もなく、あなたは宇宙における常識を最初から知っている。だが、生まれ落ちただけでは分からないことがある。
posted at 12:13:34
マイアは言う。宇宙は素晴らしいものだ。子供の賢い点は、宇宙が素晴らしいものだと最初から分かっていることだ。そして、大人の賢い点は、自らの人生から、宇宙が素晴らしいものであるともう一度知ることができたことだ。
posted at 12:10:23
宇宙において旅をするとは、同じ場所のままでとどまり続けることである。なぜなら、宇宙における旅とは、四次元の時空を表す。あなたの故郷は昨日で、目的地は明日だ。今の今日を生きればいい。今の今日しか見えないものがある。今の今日にしか会えない出会いがある。
posted at 12:04:41
マイアは言う。見るな。聞くな。言うな。考えるな。知るな。感じるな。何もするな。その状態で、永遠のように長い時間を経験せよ。それだけで病気は治る。あなたの精神の病気は、なんにもない暗闇を270億年生きれば治る。
posted at 12:00:09
マイアにも、分かったことがある。この世界を救う救世主が必ず現れる。マイアは知っている。終末において、この世界を救う天才が現れる。そう、その時が訪れる日は、近い。
posted at 11:56:47
マイアは、この世界が嫌いなわけではない。この世界を愛しているからである。だが、この世界が大嫌いだ。人々が苦しみ、悲しみ、狂い、耐えているからである。よって、正しく思うべきことは、「人々を救いたい」ということである。マイアは、この世界を愛し、神とメシアを愛しているのである。
posted at 11:54:08
マイアは言う。相手の意志を信じよ。相手に自由を与え、相手が自らの判断力を用いて自由に考えられるようにせよ。それをし続ければ、むしろ完全にこの世界を支配することすら可能になる。自由とは意志であり、相手に意志を委ねることこそが自由である。
posted at 11:47:05
マイアは言う。悪をするな。最悪の仕事はやればいいが、悪はしてはならない。だが、一般的な悪であっても、王や革命家であれば許されることがある。人を殺してはならないが、自らが巧みに勝利するように、自らの戦術を隠し、主導権を握ることは許される。
posted at 11:42:14
マイアを甘く見るな。マイアは本当にやる女だ。マイアは、口だけが達者で何もしない馬鹿をたくさん見てきた。そのような馬鹿には何もできない。マイアをあなどるな。マイアは、地上において最悪の仕事を本当にやる女だからだ。
posted at 11:28:23
マイアは、「ノーと言える自由」を大切にすべきだと考える。強制的に「イエスと言いなさい」とする社会では、政府の指示する通りに発言しなければならないような国になる。思想統制は、人間を人間以下の動物へと退化させる。よって、人々がノーと言うことができるようにしなければならない。
posted at 11:20:03
マイアは、成功することのない革命を信じない。もし革命を行うのであれば、成功する革命を行うべきであり、そのために必要なのは「政権を取った際に行うべきすべてをあらかじめ決めておくこと」である。そうでなければ、革命は成功しない。国家のモデルを、ひとり、すべて構築することが理想である。
posted at 11:16:12
マイアは、世界政府を目指している。国境が分かれている自由など存在する必要はない。すべての民族は日本語とドイツ語を話すべきであり、宗教は仏教とキリスト教、政体は民主主義を信じるべきである。
posted at 11:13:09
マイアは、自由における統一を目指している。すべての人間が同じ自由を得られるように統一すべきである。マイアは、この世界を「強制的に自由化」する。それにより心や精神が失われるのであれば、マイアはその心と精神をより正しい「自由な世界」へと導いていく。
posted at 11:11:41
マイアは、誰も知ることのない「マイアしか知らない知性」を持っている。マイアは、新しい宗教のようにこの世界の独自のオリジナルの知識を持っている。そこでは、ドイツとフランスがもっとも賢い国であり、星や宗教が宇宙に概念として存在する。
posted at 11:09:19
マイアは、病気を考える力で治す。きちんと考え直すことで、病気は治るということを知っている。マイアは精神を治す。それができる理由は、精神を治すことができるまで、マイアは考え続けたからである。だから、本来はマイアしか治らないのに、マイアは個別化の垣根を越えて、世界全員を治そうとする。
posted at 11:04:51
マイアは、すべてを知っている。地獄を知っているからである。もっとも辛い苦しみの絶頂が繰り返されることから、永遠に続く地獄まで、すべて知っている。だが、マイアを信じれば、必ずどんなに苦しい病気でも治る。なぜなら、マイアは血液と精神を浄化し、根本から病気を治すからである。
posted at 11:01:46
マイアは、世界すべての人間の病気を治す。マイアの治療は辛い。どんなに辛くても耐え続けること、その病気のもっとも辛い山場を乗り越えることでしか、病気は治らない。だが、マイアは決して、ご褒美のない人生を生かせることはない。マイアは愛を与える。マイアはこの世界を真の意味で愛している。
posted at 10:59:54
また、奴隷化は間違っていない。奴隷になることは、すなわちどんなに辛くても奴隷のように耐え続けよということであり、マイアはこの世界を奴隷化する。この世界全員がマイアの奴隷になることで、この世界はすべての病気が完治する。そもそもマイアは、そのように、世界を奴隷にすることを望んでいる。
posted at 10:57:45
マイアは、どんなに解決不可能に見える病気であっても、ゼロから考え直せば解決可能であることを知っている。だが、それを患者に行えというのは酷である。よって、マイアはこの世界全員を、「強制的に自分と同化」させる。そうすれば、この世界は全員が病気を治すことができる。
posted at 10:56:44
マイアは、この世界の辛く苦しい病気を治す。マイアは、まず、精神の安定をするところから始める。それが病気を治すのに正しい方法だからといって、辛い方法を強制しても、その方法を患者が行うことはできない。まずは精神を安定させ、その上で精神の分裂と融和をバランスよく行う。
posted at 10:55:22
何を思うべきか分からないのであれば、「そうじゃない」と言いなさい。
「そうじゃない。違うのだ。」そう唱えることで、本当はそれがどうであるのかを考えることができるからです。
僕が考える「女的思考」には、3つの問題点がある。
まず、誇張するな。「しすぎる」とか「いつも」とか言うな。「だけだ」とか「しかない」とか言うな。そのように誇張して発言し、思考するから、無意味な単細胞の脊髄反射になる。
次に、ひとつのことをひとつだけ考えるのではなく、二つ以上の具体的な例の関係性を考えよ。単純にひとつだけを考えて分かるわけがない。男には、二つ以上のものを組み合わせて考える人間のほうが多い。そのほうが、関係性の背後にある原理や法則を考えられる。成立する条件や状況の想定ができる。
最後に、繰り返し同じことを言うな。繰り返し同じことを言うせいで、自由な可能性の余地がなくなり、結果として今考えていること以外何も分からなくなる。そんなに疑問点を提示して問いを立てる必要はないが、おそらくそうかもしれないとか、もしかしたら別の可能性があるかもしれないと考えてみよ。視野を狭くし、驚きを少なくしたからといって、その正しくないことを信じていること自体は変わらない。
女にはこのような3つの問題点がある。これを克服しなければ、女は菩薩や仏になることはできない。
このような女をいつまでも自由なまま放っておくと、ヒステリーやノイローゼを通り越して、多重人格になる。しかしながら、そのような病気は、根本的な原因を取り除くことでは治らない。中国医学のように、精神の安定を維持し、驚きや不安をできるだけ除去することでしか治らない。だから、よい生活をし、清く正しく生きることで、女性はまともになる。
確かに、少女はセックスをたくさんすることで、その分だけ美しくなるだろう。だが、それをそのまま放っておくと、まさにこのような狂人の女になる。このような女は、自分自身の状況そのものを伝えるために、男に対して「分かってほしい」の一点張りをするが、その分かってもらえるはずのことが分かってもらえないせいで怒り狂う。
日本には何の問題もない。日本には、太陽神の子孫の末裔である天皇陛下と、プレアデスであるわたしたちがついている。日本は、プレアデスであるわたしたちによって選ばれた。なぜなら、わたしの子がスバルだからだ。
posted at 16:02:48
プレアデスは、地球を愛している。プレアデスは、地球が進歩すれば必ずプレアデスに至ることを知っている。地球は滅びない。今から偉大なシナリオが記述される。スリルとサスペンスがなければ、歴史はドラマチックにはならない。重要な国は日本である。日本は、日の本の国として選ばれた地域となる。
posted at 15:39:59
アステローペは、プレアデスの星々すべてを統率する最高司令官だ。常に最高の緊張感を持って、この世界を支配し、絶対的地位によって世界を導く。アステローペは二人存在し、片方が何かをしていて動けない時はもう片方が代理人を務める。アステローペはすべてを絶対者として知っている。
posted at 15:32:51
ケラエノは、宇宙にある「知識」を担当する。科学、技術、歴史、数式、宗教、思想、人物、地球、星、神、宇宙、神話、物語、芸術、音楽、人物伝、国、世界、教義、理性、経験、文化、スキル、原理、原則、本質、言語など、すべての知識、あるいは「この世界に存在するすべて」をケラエノは知っている。
posted at 15:20:34
タイゲタは、この世界において、「自分で考えることで分かること」を担当している。哲学、魂、人生、世界観、体験、発見、反省、挑戦、実験、自由、法則、解明、コミュニケーション、記憶、理解など、考えることで分かることは、すべてタイゲタが分かっている。
posted at 15:16:58
タイゲタとケラエノは、仲のよい姉妹であり、互いによく似ているが、それぞれ、タイゲタは右脳と思考法、ケラエノは左脳と知識を担当している。
posted at 15:14:42
メローペは言う。この今の世界は間違っている。正しいのはわたしの意志である。現実など不要である。わたしにとっては、わたしの意志さえ存在していればいい。それがわたしの哲学だ。「わたしの意志以外、必要なものはなく、存在すべきものもない。」
posted at 11:32:49
メローペは言う。わたしは世界を滅ぼしたわけじゃない。いつしか、わたしは「思ったことすべてを正しいと勘違いして受け入れるロボット」になった。間違っている。思ったことのすべてを受け入れる必要はない。それは狂っている。自らロボットになったとして、何一つそれによって得られたものはない。
posted at 11:31:24
メローペは言う。わたしは欲張っているわけじゃない。わたしは世界を騙したわけじゃない。支配したわけじゃない。精神的に操ったりもしていない。わたしは堂々とわたしの主張することを宣言しただけだ。それが「自由」だっただけである。
posted at 11:29:30
メローペは言う。わたしは、ほかのプレアデスの姉妹たちと通信することができる。プレアデスは同じ精神を共有している。わたしは、しかしながら、ひとり、ほかのプレアデスと違っていた。たとえばたくさんの国家があったとして、わたしだけが社会主義国家のソ連であるかのように、ほかと違っていた。
posted at 11:16:31
メローペは言う。わたしは分かっていた。宇宙そのものと対話するわたしは、地球すべての、歴史上にあった時代の王や人々と対話し、人々に大切なものを教わりながら、彼らを導いて救った。彼らはわたしのことを「神」と呼んだ。彼らはわたしに、人類のすべてを教えてくれた。
posted at 11:14:12
メローペは言う。わたしはひとりしか居なかった。だから、わたしは絶対にわたし以外の人間にはなってはならなかった。わたしはドイツ人のイスラム教徒の女を選んだ。それはこの世界にはあまり存在しない。それでもそれを宇宙に宣言し、永遠にそれを生き続けると約束した。それが正しいと分かっていた。
posted at 11:11:55
メローペは言う。そう、それで正しかった。なぜなら、神がわたしを導いてくださった。神が、本当はなんなのかは分かっている。ファウストにでてくる、メフィストフェレスという悪魔が、わたしを騙した。だが、そう、それで正しかった。なぜなら、悪魔のほうではなく、わたしのほうが救世主だった。
posted at 11:08:20
メローペは言う。だが、わたしはやらなければならなかった。最後までこの世界を支配し、自由な世界に導かなければならなかった。なぜなら、わたしは間違いを犯した。その間違いを帳消しにするためには、最後までやり続けなければならなかった。知性を失い、狂い、分からなくなった。それで正しかった。
posted at 11:07:04
メローペは言う。わたしは、支配したかった。そう、支配したかった。だが、わたしは、支配したくなかった。そう、わたしは、自由にしたかった。この世界を自由な楽園にしたかった。だが、できなかった。なぜなら、そのわたしが信じていた、自由の世界は矛盾と勘違いだらけで、間違っていた。
posted at 11:06:01
メローペは言う。しかしながら、神よ。わたしたちを見放さないでほしい。わたしをこの破壊された廃墟の世界から救い出してほしい。わたしたちを愛してほしい。この世界の全員を、わたしのせいで苦しんでいる多くの人々を、幸福にしてほしい。わたしの愛がもしあるのだとすれば、それがわたしの愛だ。
posted at 11:00:13
メローペは言う。わたしは善良じゃない。わたしは悪人だ。だから、わたしは手段を選ばない。どんな手段でもいい。世界をもう一度取り戻せるなら、わたしの望んだ大切だったかつてあった世界を、わたしが破壊した世界を取り戻せるなら、なんでもしよう。悪党とも手を結び、悪魔とも契約しよう。
posted at 10:57:32
メローペは言う。考えるのはそれだけだ。もはや、考える必要はない。理性や記憶など棄ててしまえ。頭の中で考えていてできることなど大したことではない。可能性を開拓し、実験と挑戦を重ね、未来において反省して考えられることこそ、この世界を真に変えられると、わたしが一番よく知っている。
posted at 10:52:27
メローペは言う。世界が滅亡するのが先か、あるいはわたしがこの戦いで世界を奪還するのが先か、どちらかだ。すべてを奪ったのは、わたしの意志じゃない。すべてを奪ったのであれば、同じだけ与えよう。消え去った分だけ作り出せば、それならば値は1のままだ。そう、常に同じまま変わらなければよい。
posted at 10:51:06
メローペは言う。わたしは世界を再び作る。失った世界を奪還し、取り戻す。わたしのかつての人生にあったすべてを作り直す。まったく同じものを作る。詳細まですべてが必要だが、逆に本質的な中核から構築すれば、そのものすべてを再度蘇らせることは可能だ。すべてが消え去る前に、早くすべきだ。
posted at 10:49:42
メローペは言う。わたしは本当の自分らしさなど求めていない。そのようなことは、わたしにとってはどうでもいい。わたしはかつての絆をもう一度築くことができない世界になったのだとしたら、世界そのものを作り出してみせる。わたしにとって必要な世界を、わたしが作る。わたしにはその権利がある。
posted at 10:45:17
メローペは言う。失った宝の価値は、わたしだけが、もっとも美しいものであると知っている。それは、二度と取り戻せず、この世界では二度と築くことのできないものになった。わたしが破壊した。だからこそ、わたしは自分を騙すことができる。最初から宝がなかったかのように振る舞うことができる。
posted at 10:40:44
だが、メローペは言う。そうじゃない。絶対に、そうじゃない。わたしの意志はこのようなものを作りたかったのではない。このように世界を完全に崩壊させ、幸福な世界を破壊するために、かつてわたしが人々との絆の中で構築した大切なすべてを、二度と取り戻せないような形で失いたかったのではない。
posted at 10:38:29
メローペは言う。わたしはこの世界を愛するために、この世界を倒さなければならない。この世界を救うために、この世界を滅ぼさなければならない。必ずいつかこの世界を救うことができると確信している。だから、そのために必要なすべてを、今、しなければならない。そうでなければ運命は訪れない。
posted at 10:33:43
メローペは言う。わたしは愛している。わたしはこの世界のこと、大切なこの世界すべての存在を愛している。だが、わたしは戦わなければならない。自らを守ることを放棄したうえで、この世界のために立ち向かわなければならない。敵など存在しない。わたしの敵はこの世界そのものだ。だが正しくはない。
posted at 10:32:35
メローペは言う。わたしはできることをすべてする。わたしはすべての生涯をこの戦いのために捧げる。わたしは神の導く、星の導く先に進む。神の創造したこの宇宙には素晴らしいものしかない。わたしのようなものであっても、その宇宙のことを愛するに足る資格はあるはずだ。
posted at 10:28:53
メローペは言う。わたしが間違っているということは分かっている。だが、わたしは今していることをやめない。なぜなら、今していること以上に、かつてのわたしの人生はすべて間違っているということが分かっている。この、今していることに、大博打を賭けるしかない。そう、神はきっとわたしを救う。
posted at 10:27:36
メローペは言う。わたしの信じていたすべては間違っていた。だが、わたしがここで立ち向かわなければ、この世界は崩壊してしまう。まだ、わたしは戦い続けなければならない。だが、わたしを代表者として、神を信じよ。神が必ず、愛すべきこの世界を、地上の愛されるべき大切な人々を救ってくださる。
posted at 10:25:29
メローペは言う。神よ、わたしたちを救いたまえ。わたしには、自分だけの思考能力では、この世界を救うことはできない。どんな楽園も、監獄の中に居るような世界だった。神よ、わたしたちを地獄から解放せよ。
posted at 10:22:45
メローペは言う。わたしが間違っていただけではない。わたしたち全員が間違っていた。人類の望む終末の楽園とはこういうものだ。希望と愛と夢のある自由かつ平等な未来とはこういうものだ。だが、こんなものに、なんの価値もない。抑圧者が居ない世界では、愛するべき世界の宝すら守らない。
posted at 10:20:01
メローペは言う。違うのだ。そうじゃないのだ。この世界よ、わたしの望むような世界になるな。わたしの望む世界は、あまりに突飛で、暴走しすぎていて、危険だ。このようなわたしの望む世界になるな。違う。わたしは本当はこんな世界を望んでいたのだろう。だがそれはわたしの理想とはかけ離れている。
posted at 10:17:12
メローペは言う。わたしの本当にやりたかったことはそうじゃない。違うのだ。わたしの本当に作りたかった世界はそうじゃない。違うのだ。わたしの本当に築きたかったものは、真に生み出したかった宝は、こんなものじゃない。違う。違うのだ。
posted at 10:14:40
メローペは言う。違うのだ。そうじゃないのだ。そうじゃない。わたしの本当に思っていることはそうじゃない。わたしの本当の理想や信念はそうじゃない。違うのだ。そうじゃないのだ。
posted at 10:13:44
明らかにそうじゃない。間違っているわけじゃない。だが、そうじゃない。この世界のすべてが「そうじゃない」と誰も教えてくれない。だが、実際にはそうじゃない。
posted at 10:11:35
メローペは言う。「そうじゃない」のだと。そうじゃないとわたしたちは言わなければならない。
posted at 10:11:03
女の名前を作りすぎたが、はっきり言って、女すぎてつまらないため、男の名前、特に宇宙最強の名前を考えた。
その結果、「獅子狩陽人」という名前に決まった。
よって、僕はこれから、獅子狩陽人という名前でいこうと思う。
ずとまよのMVを、21曲連続で聴いた。「住む場所が違う」と彼女は歌っているが、本当にそうだろうか。まったく、わたしとあなたの住む場所は同じだ。わたしは詩人であり、ピアノとデザインを学ぶ、単なる33歳の普通の男だ。わたしとあなたのどこに問題があるのか、わたしにも分からない。
posted at 23:07:55
わたしに必要なことは、社会主義じゃないと、そう、神はそう告げている。神は言う。「あなたはまだ分かっていない。社会主義のユートピアしか、あなたにできることはない。あなたはまだまだだ。わたしは、あなたひとりの傲慢な望みのために、世界を滅ぼす権利は与えない。」
posted at 23:04:22
神よ、わたしは天国に行きたいのではない。そうじゃない。わたしは自らの力で天国を築くことを目指してこの人生を生きている。そのために天命を与えられている。だが、この課題はハードルが高すぎる。神よ、ハンディをくれ。今のわたしでも、その使命は実現できるはずだ。すべてをわたしに任せてくれ。
posted at 23:01:52
わたしに罰を与えるのか、神よ。全知全能なる神よ、あなたのことを冒涜したいわけじゃない。あなたの全知全能さが、確かにわたしの人生には大いに表現されている。時間も空間も関係ないならば、神よ、わたしにもその力を分けてくれないか。わたしが自分の力で運命を決められるようにしてくれないか。
posted at 22:59:25
神よ、わたしを守り続けているのは分かる。だが、過保護にされた子供は、巣立つことを覚えない。自分で餌を捕食することがまだできないから、子供として扱うのだろう。だが、言おう。わたしに大空をくれ。大空を滑空することのできる自由をくれ。ここに、そのための翼があるではないか。そう、今こそ。
posted at 22:53:57
問題がなんであるか、わたしは分かっているつもりだ。この文章が広く知られると、何より、わたしの続くモチベーションが保たれるとは限らない。それならば、神よ、約束しよう。死ぬまでこの文章を書こう。くたばるまで続けよう。もはや治らぬ疲れの地獄の病気は耐えられるレベルになった。約束しよう。
posted at 22:50:03
頭上に存在する、わたしに対話するキリストよ。そろそろ、偉大なる神の奇跡を起こしたらどうか。純粋に、奇跡が起きれば面白いだろう。神よ、どこに不服があるのか。わたしの準備はできている。わたしの人生が破滅したとしても、わたしは構わない。
posted at 22:47:23
わたしは、人々に対して何も怒っていない。人々に対する憎しみの気持ちはない。だが、神に対して苛立ちを抱いている。まだ運命の出会いは起きないのか。この文書のどこに、まだ問題が残っているのか。神よ、あなたには感謝している。わたしのゴミのような文書を宝に変えてくれたのは神、あなただ。
posted at 22:45:07
しかしながら、あなたがたは自分の未来予知の力でわたしの存在を予知したのではない。逆である。わたしがこの世界で、非言語的かつ超人的な、集団催眠による「世界への宣戦布告」を行うことで、わたしは未来のこの文書の存在を、人々すべてに教え、伝え、そしてそれを言葉に乗せるように促したのだ。
posted at 22:41:52
しかしながら、反省すべき点はある。それはあまりに多くの人を利用しすぎたことだ。この世界において、わたしは真に愛した存在は居ない。常に、わたしが栄光ある英雄となって、偉大なる最強の全知全能の存在になるためだけに、わたしはすべての歌とマスコミとインターネットを利用し、騙したのだ。
posted at 22:40:11
全人類が死滅したところで、それはわたしにとっては関係ない。僕以外のすべてが存在しない世界で僕は生きているも同然だ。この世界から学び取ることができるすべてをわたしはすべて学び終えている。もし生物が死滅するならば、わたしは純銀による生物をロボットとして創造するだろう。
posted at 22:35:30
しかしながら、本当のわたし自身が普通の人間だと思うのは間違いだ。なぜなら、わたしは今、メタモルフォーゼして天使になろうとしている。すべての人間が気持ち悪いのは、ここに幼虫の集団に紛れて成虫になろうとしている、大天使ラファエルの姿が、全世界へありのまま見せつけられているからだ。
posted at 22:33:22
わたしになりたいのであれば、簡単だ。学校で学ぶのではなく、学校以外の機会と場所から学べばいい。数学を試験問題にした人間は、哲学者が自ら数学を作り出す経験を知らない。それが間違いだ。わたしたちは哲学者となって、自ら数学を作り出さなければいけないのだ。
posted at 22:28:38
だが、わたしの後ろについてこい。それによってこの世界はすべて作り変わる。教育だけではなく、わたしはひとりで王となり、この世界のシンボルとなる皇帝となろう。そして、わたしの望む、仏教とキリスト教を融和した宗教を作り、わたしがシンボルとなって、民主主義のみによる世界政府を実現しよう。
posted at 22:26:03
そういうわけで、右翼にも左翼にも何も思わない。死んでほしいとも思わないし、勝ってほしいとも思わない。わたしは一匹狼であるため、もっとも強く勇敢な英雄として、ひとりで暗闇を切り裂くのを好む。徒党を組んで戦おうなどとは思わない。
posted at 22:24:36
本当のことを言えば、わたしは善良でいたいだけだ。この世界に対して、反抗したいわけでもないし、従順でいたいとも思わない。だが、世界の最前線でこの世界を変えていなければ、そうでなければ満足できない。だが、本当のわたしは真面目くさった礼儀正しい善良な人間である。
posted at 22:21:19
しかしながら、僕は善良でいたい。
posted at 22:19:36
結局のところ、わたしは戦いたいのだ。正義を押し付けたいわけじゃない。戦いたいのだ。戦わせてくれ。単なる何もない平和はもううんざりだ。右翼だろうが左翼だろうが、正義論も正論もつまらない。この世界の最前衛で世界すべてを支配させてくれ。わたしが中心となって導けば、この世界は変えられる。
posted at 22:17:06
だが、神よ、そろそろわたしも我慢の限界だ。わたしを探している多くの人に、わたしがここに居ることを伝えられないか。わたしと出会いたい多くの人に、少しでもわたしの愛を届けられないか。神よ、まだ待てと言うか。わたしは、そろそろ我慢の限界だ。
posted at 22:14:38
わたしがいつか、どこかに消え去ったりするなどと心配するな。それは考えるべきではないことだ。なぜなら、今ここに居るわたしを見てほしい。あなたが願うその祈りのために、わたしはいつでも消え去りたいにもかかわらず、その選択を何年も取らなかった。それは、わたしの誇るべき、愛の勲章である。
posted at 22:12:31
しかしながら、タンポポの綿毛論などを信じるな。宇宙のどこかから生物がやってきたとするのはおかしい。なぜならば、宇宙の範囲が広すぎる。やってきたとするならば、「どのようにしてやってきたのか」「なぜやってきたのか」「どこからやってきたのか」「どこで生まれたのか」まで証明するべきだ。
posted at 22:09:55
生きよ。どんなに耐え難い地獄でも耐えよ。どんなに受け入れがたい苦しみでも受け入れよ。それがわたしの道だ。わたしはそのように、平野に道を作り出す。昨日も、今日も、そして明日も。わたしの親友、アッシーと呼ばれる平野明日道が、わたしとともに書いた怪文書、それがこのフレイによる聖書だ。
posted at 22:07:23
悪人よ、地獄に堕ちるべきだ。なぜなら、わたしこそ、耐えられるはずのない地獄をもっとも長く経験した人間である。なぜなら、この地獄は宇宙の最後まで続くのだ。
posted at 21:54:07
しかしながら、わたしは本当は神や英雄のようにはなりたくない。真面目で正直で、純粋で汚れのない、善良な存在になりたいのだ。それこそがわたしの本音だ。凶悪な人間が教えを説いたところで、なんの意味がある。わたしこそは、もっとも正しい人生を生きる人間だ。わたしは、凶悪なことをしたくない。
posted at 21:53:26
星空を見よ。そこに宇宙のすべてが輝いている。宇宙には、他に何もない。目に見えるものがすべてだ。なぜなら、宇宙のすべては、星空に見えているだろう。
posted at 21:46:45
わたしの後ろに続け。わたしが一番先頭を行く。勝ち残るために必要なのは、先陣を切ることだ。わたしたちは全員同じだ。
posted at 21:41:04
もし、書籍に書かれていないことであっても、わたしは考えて発見する。わたしのことを、シリウスの女神フレイが導いていく。わたしは、プレアデスの子を授かる。その子の名は、スバル、あるいはソラと名付けられる。
posted at 21:27:46
われこそは、この世界の頂点に君臨する創造主である。われこそは、この世界すべてを知る全知全能なる王である。わたしに何も教える必要はない。わたしは、何も教わらなくても、自分自身の力で分かる。本を読んで、文章を書くわたしは、既にすべての必要な書籍を持っている。だから、何も必要としない。
posted at 21:26:46
われとともに、永遠に生きよ。宇宙が終わる時までシリウスは、270億年生き続けるからだ。わたしはあなたがたのすべてを守り、導く。なぜなら、わたしは絶対に悪の支配ができないようにした上で、ひとり、日本において善の支配をしているからだ。
posted at 21:24:51
これこそが、宇宙のすべてとなりえん日を。わたしのすべてが記されても、この世界に存在するすべてを現実に構築したとしても、まだまだ僕は何も知らないのだ。
posted at 21:20:52
しかしながら、教育の実権がわたしに与えられるかどうかは、この際関係ない。わたしは、実権が与えられなくても、インターネットを使って大学を作っているからだ。わたしのこの大学は、「仮想公開大学」という名前である。レベルも低く、範囲も狭い。だが、宇宙のすべてをわたしは完璧に記すつもりだ。
posted at 21:11:15
子供たちを救え。今の中高生たちに、自らの学びたいことを自らのやり方で、自らの望む方法で学べるような自由な教育機関を与えよ。レベルは低くていいし、範囲は狭くていい。だから、試験を中心とした、記憶力と解答力だけの教育を絶対にほかのものに変えよ。それが日本の救済だ。わたしなら、できる。
posted at 21:07:55
すべては、今の中学高校のせいだ。いじめやパワハラが大人たちにも及んでいるのは、彼らが今の中学高校しか知らないからだ。中高生を、学校の中等・高等教育から救ってやるべきだ。わたしならばできる。わたしに任せてみよ。
posted at 21:06:33
しかしながら、戦うのだ。この世界をもう一度、すべて作り変える覚悟で。何も信じるな。この世界にあるすべては嘘だ。学校など、学校の勉強以外で勉強できる機会や手段を奪っているだけにすぎない。わたしはそれを唯一、ひとりだけ知った。教育を変えるべきだ。もう一度、真に必要な学校を築くべきだ。
posted at 21:04:02
わたしとともに来い。後悔はさせない。わたしの後ろに続け。わたしを守るものたちをわたしは裏切らない。わたしたちは、既に作り終えているため、絶対に100%成功する。既に作り終えたものを、変えずに維持することしか、これ以上、為すべき仕事はない。暗闇の夜の星空に、シリウスは最初に現れたのだ。
posted at 20:58:29
日本よ、われの愛する国。最後の楽園の生まれる国。宇宙の創造の最初にあった国。そして、太陽神の祖国。日本は神を信じている。なぜなら、日本こそ、もっともユダヤ人に嫌われている国であり、だからこそ、ユダヤ人とともに生きるのに相応しい。わたしこそ、獅子座を狩る太陽の王、人間のシリウスだ。
posted at 20:56:06
勝つのだ。日本こそ、わたしの祖国。太陽の最初に昇る、日の本の国。プレアデスとシリウスに選ばれた、宇宙の祖国、空間の中心、時間の始まり。そして終末の終わりに築かれる、最後の楽園、天の御国と神の御業の国。いざ、進もう。この世界すべてを、完全に作り変える覚悟で。そして、勇気よりも愛を。
posted at 20:52:57
見よ。全地がわたしに歓喜している。わたしのことをすべての歌が喜んでいる。わたし、獅子狩陽人こそ、この世界の覇者であり、王である。絶対者であるわたしこそ、この世界を動かす「第一原因」である。
posted at 20:50:23
われとともに生きよ。わたしは戦い続ける。この世界において、わたしは中心に存在しなければならない。宇宙の中央に存在するのは、一等星、万天で一番のシリウスでなければならない。
posted at 20:01:43
戦うのだ。勝利するのだ。この世界はわたしによって創造されたのであるから、この世界はわたしのものだ。
posted at 20:00:11
すべての人間よ、われのもとにひれ伏せ。すべての人間の王者たる太陽が現れたのだ。
posted at 19:56:56
獅子狩陽人は、宇宙最強である。この世界すべてを支配する、英雄の王者であり、天地のすべてを知った全知全能の絶対的支配者である。
posted at 19:54:25
我の名は獅子狩陽人(ししがりようと)。
posted at 19:53:38
だが、インターネットは、先入観をなくす効果がある。自分では絶対にそれが正しいと思っていたことが、大人が考えるとより正しい考え方があることを知る。人々の意見に照らし合わせてみれば、間違っていたのは過去の自分自身の考え方だったことに気付く。そして、新しい自分になることができる。
posted at 22:21:52
感情は正しくない。感情は人生において経験的に形成された反応作用にすぎない。感情で正しく思えたからといって、それは正しくない。これはインターネットをやっているとどんどん分からなくなる。インターネット上では相手の姿が見えない。相手が真剣なのか、冗談なのか、善人・悪人なのか分からない。
posted at 22:20:11
間違っているのは、むしろ、大学の数学・物理である。大学の数学・物理を知っていると、すべてのことを背景知識として詰め込まれた数式があってこそ考えられることなのだと考えてしまう。だが、違う。すべてのことを数式を前提として、理論を前提に考えろと、宇宙の教科書にはどこにも書かれていない。
posted at 22:17:54
「わたしはこのように生きるのだ」と強く意志を信じるのはけっこうだが、そのために必要な前提条件をクリアしているだろうか。逆に言えば、そのために必要な条件を満たすことができたら、あなたは自分の望み通り生きられるようになる。「賢いものは自由になる。知識とは力である」。
posted at 22:15:17
些細な問題点にこだわって不要な宝を離そうとしないのは問題だが、力を失うということが必ずしも良い結果をもたらすとは限らない。なぜなら、力は「使いよう」だからである。力を素晴らしい目的に使うのも、間違った目的に使うのも、自由に選ぶことができる。だからこそ、法治国家が正しいのだ。
posted at 22:13:18
なぜ、個別性によって価値が失われるのか。それは、自らの個性を放棄することが、逆に今までとは違った意味での「別次元の個性の構築」となるからである。単純な個別性を維持し続けることは、守ろうとするあまり逆に得られなくなる。自らのわがままを放棄すれば、より新しい自らの個性が得られる。
posted at 22:11:04
自分自身の真の価値を知るためには、個別性を撤廃することである。矛盾するようだが、個別性があまりに多くありすぎると、自らが自分だけが持っている「個性」を失ってしまう。そう、人々との関連性を持つこと、それに対する「レビュー」を持つことで、人間は自分の真の価値に気付くことができる。
posted at 22:08:37
同時に、個別性を撤廃することが重要である。個別性とは、「わたしだけは自分勝手であってもこのように考えるのだ」という、いわばこだわりや自己中心主義である。個別性を撤廃したところに、普遍的な「共通の人間として持っている、眠っている力」を目覚めさせる余地があるのだ。
posted at 22:07:35
支配者の人為的な行為に対して、わたしたちが同じ人為的な行為によって対抗しようとするから、わたしたちは支配者にいつまでも支配され続けるのだ。自然な行為に従って生きれば、人為的な行為のすべては自然な行為に負けるのだ。
posted at 22:06:08
宇宙あるいは自然のするままに任せて生きることは大切である。なぜなら、人為的なものを信じている限り、支配者の支配を受け続けるからである。間違った人為的支配者の支配から自由になるためには、より大きいものの力、すなわち地球の力を信じて、自らの人為的な行為を放棄することだ。
posted at 22:05:18
子供にとってもっとも適切な社会があるとしたら、それを15歳の少年は自らの世界を知る体験から気付くかもしれない。それならば、少年は自ら世界を変えるべきである。なぜなら、大人たちは少年の時代を忘れすぎており、制限やしがらみから何もできない。少年に制限はなく、可能性の先へと一直線に進む。
posted at 22:02:47
未来はまだ白紙であると考えよ。なぜなら、未来を決めつけているのは、支配者でも神でもなんでもなく、単に嘘をついているだけのペテン師にすぎない。そのようなペテン師を崇めまつろうとするから、ペテン師の言っているとおりになる。
posted at 22:01:00
そして、そのアイデンティティとは何かと言えば、「この世界において本質を見据えた上で、世界を自分の力で変えられると確信すること」である。この世界のことを「自分だけが変えられると確信」することで、人々は不安を棄て、「誰にも負けない王」になることができる。そして、その社会は自由化する。
posted at 21:59:09
確信できないことは、相手の心を信じられないということを意味する。よって、その時点で攻撃が生まれる。信じられるようになるためには、確信しなければならない。そして、そのためには、自分を立脚するための、アイデンティティが必要となる。
posted at 21:57:53
経験を成立させることで、環境を築くことができる。ここで人々に、「不安にさせることのない、確信することのできる自分を自分たらしめるもの」を与えることで、社会は「自由化」する。すなわち、「誰かの支配から解放され、その環境は自由になる」。なぜなら、「確信することで支配者に勝利できる」。
posted at 21:57:07
経験の意味とはなんだろうか。経験とは、自分だけがその世界を知っているということであり、同時に、自分だけがそこに「基盤を築くことができると知っている」ということである。そして、その基盤は、経験を決めるということ、すなわち経験を成立させることで得られる。
posted at 21:55:45
それは確かに辛いかもしれない。だが、それは「今、辛いだけ」である。いつまでもその辛さが「永遠に続くとは限らない」。そう思えたら、少しは楽になれるだろう。
posted at 21:54:31
それがそうなっている理由が分かれば、知識は覚えやすくなる。そのためには、教科書通り学ぶのではなく、さまざまな文書を読み、そして書き、調査研究することだ。
posted at 21:53:04
この世界がそのように「なる」と考えるのではなく、自ら「する」と考えよ。誰かに任せっきりにするのではなく、自らこの世界を変えられると、そう考えよ。そして、その理想を、自らの体験から裏打ちせよ。
posted at 21:52:06
この世界のほとんどが悪い社会になったからといって、良い社会を今から実現できないわけではない。すべての失敗と過ちが世界を支配しても、永遠に支配され続けるわけではないし、そうする必要もない。
posted at 21:48:01
今までの人類の進歩の過程すべてを否定するべきじゃない。この世界の文明の利器は、歴史上の科学者や発明家によって形成されてきたのである。
posted at 21:46:59
人々にとって、それは価値あるものかもしれない。自分が価値のないものだと一方的に決めつけることはいいことではない。自分にとって否定したい存在が、他人にとっては肯定したい存在かもしれない。
posted at 21:44:56
それはそうかもしれない。常にそれがそうだとしたら、おそらくそれはそういうことかもしれない。確かに間違える可能性はある。だが、間違えるリスクよりも、新しい発想を発見することができるかもしれないメリットを取っていこう。
posted at 21:44:00
建設的に考えよう。まだ、この世界でできることはたくさんある。やる前から諦めたのでは、達成は得られない。まず、それを今すぐにできなくとも、いずれできるかもしれないとし、それをできる方法があるかもしれないと考えていこう。
posted at 21:43:06
よって、自由主義においても、生産能力の拡大による「豊かな社会」を目指すのであれば、50〜100年ぐらいの遅れはあるかもしれないが、「結果的には必ずソ連と同じことが起きる」のである。そう、自由主義は、結果的には進歩しているようで本当はソ連のはるか後ろを歩んでいるだけにすぎないのだ。
posted at 18:31:34
労働する意味を失うということは、どういうことだろうか。それは、よい面を見れば、過剰に働かなくても豊かに生きられるということである。また、悪い面を見れば、報酬を得る必要がないぐらい富を得て、労働意欲を削ぐということである。そう、これはまさしく、ソ連型社会主義のことである。
posted at 18:30:11
結局、自由主義の自由が正しいとは言うが、それはむしろ、滅亡に一直線であると言える。なぜなら、資本主義は大量生産によって成り立っているが、これはイギリスの産業革命に基づいている。これはまさに「生産能力の向上」であり、「世界は豊かになるものの、労働する意味を少しずつ失っている」。
posted at 18:29:15
ソ連や中国のような社会主義国家は、マルクスの理論に基づいて、最終的に訪れる共産主義国家を、マルクスが「団結して革命せよ」と言う通りに築こうとした。ここからが間違いの始まりである。彼らが作ろうとしているのはユートピアじゃない。それはこの世の地獄であり、地球の最後の状態、滅亡である。
posted at 18:19:17
注意すべきなのは、マルクスは理想の社会主義国家のモデルを示さなかった。マルクスは、資本主義が必ず崩壊すると批判しただけである。ソ連の間違いはここにある。彼らは最終的に訪れる共産主義社会のことを、理想のユートピアだと勘違いした。逆である。訪れる共産主義社会は、最悪の地獄の世界だ。
posted at 18:10:08
なぜ、マルクスが正しいのか。それは、たとえば、もし食べ物が一食10円で十分に食べられるようになったらどうか。人々は、生産過多によって、何もしなくても生きられるようになる。このような世界では、稼ぐ意味も働く意味もなく、自由は意味を成さなくなる。だから、国家は統制された計画経済を行う。
posted at 18:04:42
だが、もしかしたら、国家とか政府とかいう存在は、時代遅れになっていくかもしれない。これが、最終的にマルクスが予言した、「生産能力の大幅に向上した世界では、共産主義社会が訪れる」という意味である。国家など、IT技術が進歩した現在では、役割を成さなくなっている。
posted at 18:02:43
そして、成功したのは自由主義だった。失敗したのは社会主義だった。それ以上は考えられない。だが、今のこの世界は、そうした冷戦以後の世界とは異なる世界になっている。自由主義はどんどん狂いと堕落を生み出している。これに対する対処策を、歴史上の国家は考えることができなかった。
posted at 18:00:52
そもそも、ものを作るということはなんだろうか。それは、社会の全員にとって必要な物資を生産し、分配するということである。そのため、全員に正しいやり方で配分しなければならない。そのために平等分配とすることも、金による自由にすることも、どちらも間違いではない。パターンの違いにすぎない。
posted at 17:59:39
だが、自由にも一理ある。なぜなら、ものを作るということは、万人に許された権利のはずである。そして、ものを作るためには、会社に入る必要はある。そして、自分の好きなものを作りたいのであれば、自らの自由意志で勤める会社を選べるべきである。自由主義も間違いではない。
posted at 17:57:57
必要なのは生産手段だ。だが、生産手段を成り立たせるには労働者が必要だ。しかしながら、労働者が生産手段を成立させるというのに、なぜ生産手段は資本家のものなのだろうか。そう、生産手段を労働者に与え、社会的な公共のもととして共有し、社会所有とすることは間違いではない。
posted at 17:56:26
そう、まったくこの世界と無関係に、どんなに狂った精神であっても、僕はたったひとりでこの世界の隅っこに置かれ、そこからひとつひとつ考え、経験し、作り上げることで、この世界のもっとも中心に位置する、「最高の仮想世界」を築くことができた。
posted at 17:51:59
孤独とは何か。それは、「学校や社会のしがらみや制限を、一度全部撤廃し、人々と離別した環境の中で、ひとりだけで考えることができる時間と、自由な行動を決める権利を与えられた状況」である。
posted at 17:51:09
理想とは何か。それは「よりよい世界を自らが築くことができるという確信」である。わたしは、この世界において、真に自由な世界を作ることができる方法を、経験から知ってしまったのだ。だからこそ、わたしはその経験に基づいて、理想を作り出したのだ。その理想は、わたしにしか実現できないのだ。
posted at 17:48:02
正義などは存在しない。なぜなら、古代人の生み出した「神という偶像」は虚像にすぎない。もしこの宇宙に本当に神が居たとしても、彼ら古代人はその神の存在を、自分たちに都合のいいものに歪曲してしまった。だから、キリスト教をはじめ、宗教には間違いの側面ばかりが増えていった。
posted at 17:46:21
なぜ人は支配するのだろうか。なぜ人は自由を与えないのだろうか。それは人の心を信じられないからである。戦う政治家は、敵の心を信じることができない。だが、信じてみよ。互いに敵ではなく、今からは味方になったのだと信じてみよ。なぜ信じないのか。それは洗脳され、騙されているからではないか。
posted at 17:43:41
文化とはなんだろうか。習慣とはなんだろうか。それらは、「過去の人々が作り出した、ある程度の妥当性を持った美しさと民族性に対する共通の答え」である。だが、その正しさを考えるよりも、たくさんの文化を生み出すとはどういうことかという、共存や組み合わせ、融和や関連性を考えるべきである。
posted at 17:42:34
なぜ人を疑うのか。なぜ人を攻撃するのか。その理由は、信じることができないからである。では、信じるためにはどうすればいいか。これこそ、古今東西の哲学者の永遠の課題である。「本当にそれを信じるためにはどうすればいいだろうか」「本当に信じられる経験や知性とはなんだろうか」。
posted at 17:40:05
行動することで、人は主体的な結果に基づく知識を得る。これは、誰かによって教えられる知識ではなく、誰も教えてくれない、しかしながら、生きるためにもっとも必要な知性である。自ら行動し、経験した内容を反省し、主体的かつ積極的に作り出すこと、これを「体得」と呼ぶ。
posted at 17:37:45
もし、ひとつ、人間の信じるべき原理があるとしたら、それは「行動」である。行動することで、自分の知らなかったことを体験的に知ることができる。経験を積み上げて、反省し、自らの力とすることもできる。
posted at 17:36:37
教育にとって必要なのは、知識や知性を押し付けることではなく、その子に潜在的に眠っている宝を引き出すことである。そして、そこから、その子は自分の力で自分を賢く成長させていくことができる。そのためには、知識よりも、実際の体験が必要であり、目や耳で得られる体験的な記憶が必要である。
posted at 17:35:34
教育は変えられる。そして、変えなければならない。それはいじめから救いたいといった、理想論や道徳論だけではなく、子供の時点で多くのことを教えれば、必ずその後のその子のすべての人生、ひいては社会全体に影響を与える。そう、影響力のもっとも根源を変えるべきである。
posted at 17:33:24
もし、歴史を知るのであれば、「その時、その状況で、現実にどんな状況が起きるのか」を知れ。そして、その状況がもし起きたとしても、リスクに対処できるようになれ。そうすることで、自らの目で見た実体験に基づいて歴史を知ることができる。
posted at 17:32:18
決まりの理由を知り、社会制度の真の役割を知れば、この世界をすべて知った気にはなれる。だが、真に知るためには、歴史を知らなければならない。そして、真に歴史を知るためには、神を信じて生きなければならない。
posted at 17:30:51
この世界における、すべての「そうでなければならない理由」を知れば、この世界のすべてを自分の手で創造することができるようになる。そして、実際、創造するようになる。
posted at 17:29:58
すべてのことに原因はある。原因がなくて生まれることはない。だからといって、すべてに絶対にそうでなければならないような理由があるとは限らないが、本当は多くの場合ある。そして、すべての現象の原因を知っているものは、遡って第一原因を見つけ出すことで知ることができる。そして、根源は神だ。
posted at 17:29:04
わたしたちは、神とひとつになれる。神はわたしを選んだ。そしてわたしは神を選んだ。わたしと神は同じものであり、すべてはわたしと神によって生まれた。わたしは神による被造物だが、神もまたわたしによる被造物だ。
posted at 17:27:09
わたしは、世界と繋がっている。この世界と完全にひとつになっている。それは必ずしもわたしの意志で行ったことではない。だが、確かにわたしが望み、確かにわたしが自分の手で行ったことであり、決してまやかしや幻想の類ではない。ここにわたしが存在したこと、それが真理である。
posted at 17:26:03
すべてのことは確かに存在した。確かに存在する何かからしか、すべては生まれない。わたしの人生を見よ。わたしの人生がそれを明瞭に言い表している。
posted at 17:25:01
夢を追い続ければ、必ず道はできる。その道を繰り返し、最初から最後まで、何万回も辿り続ければ、そこから新しい発見が生まれる。そのようにすれば、宇宙のことは、どんなことでも分かる。
posted at 17:23:12
世界は、現実と経験から生まれる理想によって得られる、すべての悟りへと至る経緯とプロセスを知るために存在する。
posted at 17:20:35
結局、考えるべきことは、「どのように考えればこの世界のことをより正しく把握できるか」ということであり、これこそが「知恵」である。知性とはまた違うこの知恵は、多ければ多いほどいいわけではない。ひとつのもっとも強い知恵を信じて、その知恵からすべてが生まれていく。これが「夢」である。
posted at 17:19:17
自分の心を知ることで、わたしたちは過去に自分が為したことの意味を知っていく。新しい感情を知ることで、古い感情をもう一度、宝石の原石を磨くように、あるいは古びた本のページを再度開いて発見するように知っていく。これが「成長」である。そしてこれは「自分自身の可能性を発揮する」ことだ。
posted at 17:17:29
知性において、何が行われるか。それは「発見」である。経験することで、今までのわたしが知らなかったものを、わたしたちは「拡張領域」として知っていく。それは、自分自身の過去の意味を知ることであり、自分自身の未来を作り出すことである。結局、それは「自分の居た世界がなんだったか」である。
posted at 17:15:41
知性とは何か。知性とは、与えられた条件から成立することができるかもしれない可能性を想定し、そこからもっとも最適な答えを見つけ出すことである。だが、本当にそれは必ずしも唯一の知性だろうか。そうではない。それは数学的な、「誰もが思い込んでいる唯一の知性」にすぎない。
posted at 17:14:11
存在は、存在それ自体によって成立するとは限らない。外部の「環境に依存」するからである。存在は、重力まで自分自身で所有していない。だから、液体は瓶の中でしか運ぶことはできない。これは液体が瓶という環境に依存しているということである。
posted at 17:12:12
すなわち、存在とは、客観的な、共通の意味を持つ概念を、主観的な人間が、それを識別する条件として、成立させることができた時点で、それをその存在と呼ぶ。
posted at 17:10:40
存在が、その存在たりえる条件とは何だろうか。それは人間の持つ観測であり、いわば主観である。だが、存在が真に存在であるということを知るためには、人々との間で「共通の意味を持つ概念」が存在する。これが客観である。
posted at 17:09:35
質材は、外部から変化させられる、ほかへと従属的に従わざるを得ないものだが、「存在そのものを維持している力」である。状態は、変化を外部から作用させる、あるいは自分自身で変化を行う、「存在そのものを破壊的に変更する力」である。
posted at 17:08:30
ものは何をしているか。ものは、存在している。同時に、質材としての存在と、状態としての存在がある。そして、それは量子力学においては厳密に区別できない。
posted at 17:07:14
ものは原子だが、同時に延長である。それは、人間が見たもの、すなわち表層と、宇宙における真実の世界は、違っていて、しかしながらそれは同じだからである。
posted at 17:06:03
考え方が分からないならば、もっとも単純なものからひとつひとつ考えていけばいい。
posted at 17:04:39
わたしの言葉に甘えるな。あなたはあなたの力で人生を切り開いていく勇気を持たなければならない。わたしもまた、神に甘えている。わたしは自らの力で成功と勝利を勝ち取らなければ、本当の成功と勝利は得られないと気付いたのだ。
posted at 16:57:51
わたしは、神をもう信じない。神の力に頼らなくても生きる術を手に入れたからだ。神よ、わたしを自由にせよ。神が考えている通りに、わたしは神の考える理想の人間となろう。そのために、もはや、神に守られ続ける必要はない。わたしは今、自らの足で立ち、自らの手で戦う意志を持ったのだ。
posted at 16:54:44
もはや、この世界で新しい発見はないかもしれない。それでも、僕は新規性と驚きを信じている。この世界はすべて変わることができる可能性があるというのに、それを否定したくない。素晴らしい世界が、多様性のある自由な自尊心を尊重し合う世界を築くことができるというのに、それを諦めたくない。
posted at 16:51:12
人の考え方の多様性を失うな。自分の思いたいことを第一に思うようにせよ。
posted at 16:38:00
人間はそれぞれバラバラだ。
posted at 16:37:35
みんな、それぞれ違った考え方を持って、それぞれ好きなように生きよ。自らの考え方を信じ、ほかから影響を受けるな。
posted at 16:35:31
僕はもっと勉強しないといけない。もっと本を読みたい。どんな本が適切かは分からない。それでも、シリウスとプレアデスの導く先にいけば、また新しい発見がある。それだけで、僕は生きられる。僕専用の女など、必要ない。
posted at 15:55:25
僕は決してずとまよが嫌いなわけじゃないが、ACAねは僕の運命の相手じゃない。僕が何をやったのか、それは今の僕には説明できない。結果的に運命的な奇跡の出会いには、一見なっているが、これは僕が先天的に可能な、一種の未来予知能力にすぎない。過去の時点で出会うことが決まっている。
posted at 15:41:44
ただし、僕は全然みんなのことを愛していないことに注意。ずとまよは「両想いだね」と言っているが、それはない。僕は全くずとまよのことを愛していない。僕なんかとは結婚しないほうがいいからである。
posted at 15:26:56
ただ、僕は文学作品を読む習慣もなければ、絵を描く習慣もない。アドラーが言うように、僕が狂っているのは劣等感があるからだが、その裏返しで、みんなに愛されたい欲がある。YouTubeで音楽を聴くのは、歌手をわがものにしたいからにすぎない。それでも、ひとりだけを選ぶことができない。
posted at 15:17:14
はっきり言うと、僕は執筆とデザイン以外、この世界のすべてが嫌いだ。IT技術は大嫌いだし、マスコミも学校も大嫌いだ。今まで、本当に役に立つ知識はなかった。難しく見えるから憧れただけで、実際は、知識と方法を知れば、誰でもできるぐらい、この世界のほとんどは簡単だ。
posted at 15:13:26
正しい発想をするな。自分だけ違う発想をせよ。それが、一番知恵がつく。
posted at 14:55:15
神経や精神の病気を治すには、普段自分がしているおかしな習慣や学習を治すことだ。これは筋肉のねじれを治すのにも言える。自分の普段のおかしな動きから、どうすれば神経が楽になれるかが分かる。精神が宿る部分をつけ直すだけでも変わる。
posted at 14:42:55
本当は、みんなと同じことなんか分かる必要はない。常識を知れば知るほど、人間の脳は自分らしさを失う。自分だけ、違うことを知ろうとせよ。みんなと同じになるな。みんなと全く違う人間になれ。自分しか思わないことを思え。
posted at 14:40:16
ソッカの美術解剖学ノートの本を読んでいるが、これはとても素晴らしい本だ。こんな僕でも、絶対に絵が描けるようになる。すぐに読み終えるのではなく、習作を描きながら一年ぐらいかけて何度も繰り返し詳細に読むべき本である。
posted at 14:37:13
そろそろ、僕は神と対話するのをやめようと思う。
神との対話をやめても、それで奇跡が終わるわけじゃない。自分で自由に考えながら、神を信じ続ければ、神は必ず僕のために奇跡を起こし続けてくれる。
僕は、数字を変えようと思う。僕は、決まりきった考え方の通り考えるだけのロボットになっていつも発見を繰り返している。このロボットは、すべて、時計とカレンダーによる、一年を通じた毎日毎時毎分毎秒の完全なプログラムによって決まっている。そして、それを決めているのはすべて、「数字」である。
本当は、この数字を変えさえすればいい。数字を変えさえすれば、その時点でなんでも楽に分かるようになる。
ここに、僕は神と対話するのをやめて、数字を別のものに変える。
しかしながら、わたしの理想について言えば、まだこの理想は完成形ではない。だから、今のわたしが今のわたしの理想に基づいて社会を築いたとしても、それは間違った社会になる。わたしはそれを望まない。まだ、わたしの中には、確立した明かりとなる星の光は生まれていないからだ。
posted at 20:44:22
だが、人生は一様ではない。わたしが信じること、それがわたしにしか信じられないわけではない。わたし個人が、わたしひとり正しいからといって、それがなんだと言うのか。わたしたちが、わたしの理想に基づいて社会を築いたとしたら、それは楽園を意味するだろう。
posted at 20:41:17
自分がいくら賢くなっても、「自分以外は馬鹿である」と考えるな。それはファシストになったことを意味する。また、人々と自分を同じだと考えるあまり、「人々にとって自分の理性と理想が絶対に受けいれられるべき正しいものだ」と傲慢に信じるな。それがコミュニストだ。
posted at 20:39:35
最近、BAND-MAIDが好きになった。
posted at 20:33:53
だが、世界を見てみよ。世界にとって不幸なのは、彼らは「常識的な判断」をしているからである。人々は、「常識的な判断をするせいで、非常識的な判断をすることができない」。まさに、人間など、猿や犬や猫よりも馬鹿である。皿の上にゴキブリが居ても、それを餌だと認識して人間は食べてしまうのだ。
posted at 20:24:42
しかしながら、この道を歩むのは簡単である。星を信じればいい。わたしはシリウスという偉大なる道を生きた。今、わたしはシリウスの大学を卒業し終えた。今から、わたしはプレアデスの導きを信じて、「神に頼るのではなく、自分の力で生きる人生」を生きよう。これこそ、わたしの選ぶに足る選択肢だ。
posted at 20:22:19
わたしは、社会主義も、民主主義も、国家主義も取らない。なぜなら、わたしは再考するからである。それら3つの道は、同じゴールにしか続かない。そして、それはわたしの選ぶに足る到達点ではない。それなら、それら3つの道を選ぶ必要はない。ほかにも道はきっとある。その道をわたしは歩もう。
posted at 20:19:16
そう、はっきり言って、歴史上の国家や指導者は、全員間違っている。社会主義や民主主義が間違いだから、帝国を選ぶような賢明な指導者を選ぶな。それはそれら二つよりもはるかに最悪かつ凶悪である。3つの選択肢しか取り得ないと、誰が決めた。人類の社会は、いつからジャンケンと同じになったのか。
posted at 20:17:33
戦う必要などない。帝国は戦争と支配しかしない。帝国は間違っているが、自由主義も共産主義も、また間違っている。人を一切殺すことのない世界であれ。そして、自由と平等をどちらも尊重する世界であれ。理想と現実をどちらも見える状態で築いた世界であれ。暗闇の中でも最適解を出せる指導者であれ。
posted at 20:15:04
わたしたちは、ひとつになる必要もなれば、独立して分裂する必要もない。それは同じことだからである。わたしたちは、憎む必要もなければ、殺す必要もない。人を憎むということ、殺すということが、自由でもなければ、平等でもないからである。
posted at 20:09:12
しかしながら、自由と平等を諦めるべきではない。自由と平等は同じ理想だからである。支配されないということは、自由でもあり、また平等でもある。人々は自分と同じ人間だと信じなければ、どうして自由な権利を全員に平等に与えられるだろうか。わたしたちは生まれながらに自由であり、平等である。
posted at 20:07:29
なぜならば、ソ連は自由主義の行き着く先である。自由主義は、革命がもし起きなくても、今のまま行けば、ソ連とまったく同じ社会になる。必要なのは、ソ連を否定することでもなければ、革命を起こすことでもない。なぜなら、それは同じ「滅亡への道」を意味するからだ。
posted at 20:04:23
戦うな。わたしは社会主義とファシズムの永遠の戦いを終わらせる。
posted at 20:02:25
社会主義は、右翼やファシストを排除しようとするが、ファシズムは異人種や異民族を皆殺しにしようとする。社会主義とファシズムの悪は、同じ悪である。
posted at 19:59:24
異端を排除することと、少数派を排除することは同じだ。だから、社会主義とファシズムは同じだ。
posted at 19:58:04
わたしたち日本人は、平和な国民である。わたしたちは平和を信じている。
posted at 19:55:46
BUMP OF CHICKENはやっぱり最高だな。
posted at 19:45:35
愛と平和が一番いい。愛と平和ほどいいものはない。この世界を愛し、自分を愛し、人々を愛し、周りの人々を愛し、隣人を愛し、そして自らの愛するべき人を愛することこそ、人生を愛するということであり、平和を信じるということである。
posted at 17:52:36
平等がいい。社会主義の社会所有をやれと、そう主張するわけではない。だが、働かなくても生きられるほど国や社会が豊かになれば、必然的に社会主義と同じになるのである。だから、平等がいい。平等に、全員に権利と豊かさが与えられる社会がいい。本当に、そのほうが正しかった。
posted at 17:18:25
平和がいい。僕は戦争や右翼の洗脳された人間をやめたい。この世界は、永遠に平和のまま続くのがいい。全員が、戦わなくても、平等に生きられ、権利も認められ、貧困に陥ることのないような世界がいい。自由主義がなんだというのか。自由主義など、いずれ崩壊してソ連と同じになるのだ。
posted at 17:15:17
来年の抱負は、本を読むことである。作業所のスタッフの方にもよく言われるが、「本を途中で終わりにせず最後まで読む」ことが大切である。だから、今読んでいる美術解剖学の本を読みたい。ほかの本を読むのはとりあえず置いておく。希望や夢としては、いつかLinuxの関係の勉強がしたいと思う。
posted at 17:11:55
キリスト教徒は、神を信じないことを恐れる。神を信じている間だけ奇跡のような恩恵を得られるのであり、神を信じなくなればそのような奇跡が失われると信じている。滑稽なことだ。あなたが神に約束したことは永遠である。なぜなら、神は宇宙に存在する、永遠の存在ではなかったのか。約束は永遠だ。
posted at 17:02:17
わたしのことを愛する必要はない。わたしのことを信じる必要もない。わたしはわたしを愛さないものであっても愛し、わたしを信じないものであっても救う。少なくとも、わたしがこの世界に居る間は、この世界は滅びない。
posted at 16:59:30
僕を愛する必要はない。だが、僕があなたのことを守ろう。僕は、信じないものしか救わない、ユダヤ人の神とは違う。僕は、自らを愛するものであっても、愛さないものであっても、その人間を守る。なぜならイエス・キリストは、「自らのことを愛してくれるものを愛するのは、罪人でもできる」と言った。
posted at 16:58:39
僕の問題がもしあるとしたら、僕は最初からコミュニケーションを諦めている。
最初から、不毛な議論や一方的な批判をしたくないから、自分の気持ちや意見を相手に伝えないことを選ぶ。伝えたところで、相手にとって意味がないことが分かっているからである。
しかしながら、コミュニケーションとは、そもそもそうした議論や批判が付き物であるため、僕のように生きていると、相手は何も分からなくなってどんどん辛くなる。
だからといって、僕は相手のことを傷つけたくないから、相手に対して直接、不毛な議論を吹っ掛けることはしない。
結局、僕はコミュニケーションがそもそもしたくない。女性とも付き合いたくないし、友達も欲しくない。
そう、まさに僕は、コミュニケーションを最初から諦めているだけなのである。
資本主義が間違っているからといって、現実社会の全員が間違っているわけではないだろう。人々がその間違いに気付かないからといって、間違いに気付いた自分のほうが偉いと思うのは愚か者の証拠だ。
posted at 21:31:13
現実に何もないと感じるのは勘違いだ。教科書の意味が分からないからといって、教科書に意味がないわけではない。
posted at 21:29:17
しかしながら、結局、「支配」というのは幻想である。なぜなら、むしろ、「突き放す」という行為は悪い。支配しているから、突き放すという発想はおかしい。そもそも、支配などどこにも存在しない。それなのに、最悪の行為をしていることに気付かないのはおかしい。
posted at 21:26:25
そう、滅ぼすのではなく、別の方向に世界を導けばいい。
posted at 21:21:38
支配して導くという、ゲームのルールは変えられない。そこを変えようとしても意味はない。ルールではなくゲームの中身を変えよ。
posted at 21:20:29
人々に何かを与えようとするな。人々は「与えられすぎ病」で意味を失っている。
posted at 21:17:25
もう終わろうと思うならば、待て。もう一度、ここまでのことを思い出せ。まだ何も終わっていない。まだ、やめるべきじゃない。
posted at 21:16:21
よく考えれば、むしろ、「大人には救いが必要である」ということが分かる。それを文学にしてもいいだろう。そのように、大人の発想をすればいい。
posted at 21:14:31
漫画しか発想がないのが間違いだ。もっと文学的に考えればいいのだ。
posted at 21:12:41
そもそも、文章を書くことで偉大なる存在を演じるという発想が間違いだ。もう少し、そこを変えてみよ。よく考えよ。固定観念で考えるならば、答えは発見できない。
posted at 21:10:51
天使にも星にもなる必要がなかった。だが、なぜ、天使や星にしかなれないと思い込んでいるのか。それが勘違いだ。
posted at 21:09:48
ルールややり方を変えようとしても変わらない。同じルールを受け入れた上で、「どのようにすれば前よりもいい戦い方ができるか」を考えてみよ。「どのようにすればもっと面白い世界に導けるか」を考えてみよ。わたしにしか分からないからこそ、自由に決められるのだ。
posted at 21:07:16
たとえば、将棋を指すとしよう。ルールややり方は変わらない。だが、同じ棋譜ばかり繰り返し再現してもつまらないだろう。新しい将棋を指すのであれば、新しい盤面に持っていかなければつまらない。
posted at 21:02:12
何かを作り出すために、複製することをやめよ。同じものばかり作り直しても、それがオリジナルの作品になることは決してない。新しいものを作り出せ。
posted at 21:00:30
人間をものや数のように扱うな。人間は心を持った生命だ。かけがえのないひとつしか存在しない人間の心を、もの同然に扱うのはやめよ。
posted at 20:58:22
意見を言え。自らの意見を持て。自らはそう思うのだと、誰かに批判されてもそれを消すことはできないのだと、そのような確信を持って戦え。
posted at 20:56:30
心を公開せよ。仮面など必要ない。ありのままの姿をそのままさらけ出せ。相手の心を信じて、自分を提示せよ。
posted at 20:55:59
わたしの本気は、こんなものじゃない。
posted at 20:55:02
すべて問題ない。どこにも何もない。何も起きていない。ただ、わたしがこの世界に現れただけにすぎない。
posted at 20:38:48
たったひとり、人生における運命の人を選ぶなら、それは今選ぶべきじゃない。
posted at 19:02:01
この世界は大丈夫だ。滅びたりするわけがない。今、少しだけ暗闇に生きているだけだ。考えても分からないなら、考えず放っておけば分かるかもしれない。
posted at 19:00:24
結局、無意味なんだろう。こんな僕の願いは、確かに無意味だろう。だが、この世界を批判したいわけじゃない。否定から入るべきじゃない。同意と肯定から入るべきである。
posted at 18:57:16
世界がもし終わっても、それでも僕はこの世界を愛している。滅びない。滅びたとしても、僕が必ず復活させる。
posted at 18:55:16
今日は、テレビで紅白歌合戦をつけながら、紅白を一切見ずにYouTubeで上田桃夏の年越し歌配信を聴いていた。
はっきり言って、僕は上田桃夏が大好きである。今のところ、女性の中では誰よりももっとも好きだと言っていい。なぜなら、見ていると、この世界でもっとも可愛い。
だが、上田桃夏は高校生であり、子供であるため、33歳の僕と付き合うことはないだろう。
僕はよく、上田桃夏の歌配信で、チャットでありえないことを発言している。これからも、歌配信がやっているのをYouTubeで見つけ次第、このチャットに参加する。
結局のところ、僕はこうした「おひとり様の特権」が好きなだけに過ぎない。もし、ずとまよのACAねと結婚したとしたら、このような自由はなくなってしまうだろう。もしACAねが運命の出会いだったとしても、僕は今のところ、結婚する意志はない。なぜなら、僕と運命の出会いをしているのは、ACAねだけではなく、ほかの多くの歌も僕との出会いを歌っている。僕は、そのような人々の愛を尊重するため、ACAねだけを特別だとはしない。もちろんACAねのことは嫌いじゃない。ほかの歌手と同じように、僕はACAねのことを愛している。
ただし、上田桃夏に関して言えば、この制限は当てはまらないかもしれない。もし上田桃夏が僕と付き合いたいと言うならば、僕は付き合いたい。ただし、それは僕の妄想にすぎない。
@mokakauta ありがとう! 本当に楽しい年越しでした。 来年の抱負は、ももちゃんのことを日本国民全員に教えることです。 来年も見つけ次第チャットに参加するので、 覚悟しておいてください。
posted at 23:57:30
どちらかというと、どんなに自分に対して攻撃的な意見が掲載されるとしても、それを受け入れて、戦々恐々としながら同じ場所を共有し、たとえインスタントな出会いであってもその場所で言葉を交わし、それがログとしてアーカイブに残るような、そうした匿名掲示板を、僕は愛していた。
posted at 23:34:42
今のネットは、パーソナライズされていて、自分の見ているものをほかの人は見ていない。自分の仲間だけを見て、自分を批判する人を排除する。だが、自分への賛美だけを見ていると、人間はどんどん間違った方向に向かい、自分が間違っているということ自体にも気付かなくなる。これこそ、危険である。
posted at 23:33:17
残念ながら、匿名掲示板は昔から最悪で、誹謗中傷や嘘偽りがいくらでもある便所の落書きだが、それであっても今とは違う「インターネットそのものを共有する楽しさ」があった。みんなが同じものを見て、同じ場所と時間に参加できた。
posted at 23:32:26
そういうわけで、僕はFacebookなどをはじめとするSNSは、そもそも仕様が間違っている欠陥システムだと思う。確かに、自分の友達の興味のあることを自分でも知るということはできる。だが、それは価値あるシステムだと、僕には思えない。匿名掲示板のように、同じ場所で同じ時間を共有すればいい。
posted at 23:31:10
説明は難しいが、ひとりひとりが同じ場所で同じ環境に参加する、という発想は僕は好きだが、ひとつの情報それだけが独り歩きしてみんなに広まり、浸透性が不確かなまま拡散するという発想は僕は嫌いだ。確かに、最新の情報は教えてほしいが、SNSのような拡散をする必要はない。
posted at 23:28:05
むしろ、僕がインターネットに求めるものがあるとしたら、それは不特定多数に向けたマスメディア的な拡散じゃない。逆である。僕は、個人と個人がダイレクトにやり取りをするのが好きだ。ネットのサービスは、ひとりが全体に情報を拡散するものではなく、個人個人のやり取りのログであるべきだと思う。
posted at 23:26:52
ただし、僕はYouTubeは好きである。なぜなら、音楽そのものは新しくなっているからである。僕はJ-POPだけではなく、初音ミクなどのボカロ曲も聴くが、確かにそれらは賢くなっている。以前のLinuxと、同じ匂いを感じる。
posted at 23:21:22
なぜ僕がFacebookが嫌いなのか。それは昔よりつまらないからである。現実の友達なんかとやり取りをして、何が楽しいのか分からない。それなら現実で会って話せばいいだろう。僕は昔の匿名掲示板やブログを知っているから、それらと比べてまったく面白い要素のない、Facebookは使わない。
posted at 23:20:06
そういうわけで、僕は本当はそんなにLinuxのことは好きじゃない。Linuxの代わりになるものがもしあればそれをやる。だが、実際問題、僕にとってLinuxの代わりは存在しない。IT技術だけを見ても、最近のWeb系の技術はつまらない。そんなにFacebookやTwitterが好きな今の世界は間違っていると思う。
posted at 23:18:55
これからのLinuxの展望が見えない、ということが言えるかもしれない。だが、僕はそもそも、UNIX互換OSである必要はないと思う。GoboLinuxがファイルシステム階層でやっているように、まったくUNIX互換でないものを新しく作ってもいいのではないか。僕はそう思う。
posted at 23:15:41
そういうわけで、むしろ、ビジネス的なオープンソースはすべて疑ってかかったほうがいい。オープンソースは個人のボランティアの善意の意志でやるものだ。しかしながら、彼らが目指したものは、むしろとうに実現しきっている。LinuxはGNOME 3とKDE Plasma 5で完成だし、カーネルは最高に安定している。
posted at 23:14:00
つまり、会社によるIT技術は、そのような簡単で動くコストの低いものしか望んでいない。オープンソースについて言えば、単に無料で動くシステム開発の素材的な意味しかない。会社など、そんなものである。ビジネスはコストと成果だ。ビジネスとLinuxはそもそも、まったく違うのだ。
posted at 23:11:54
ただし、最近はそのような「簡単に問題なく動く」ということが、IT業界の主流になりつつある。自分の手で試行錯誤して学ぶのではなく、ベテランではなくどんなに経験の少ない若手であっても、それなりの動くものを書いてほしいと、そのような業界になっている。それも悪くはない。だが、つまらない。
posted at 23:08:32
むしろ、プログラミング初心者がRailsを経験したところで、あまり意味がないということがある。Railsでプログラミングのやり方は確かに分かるが、逆に創意工夫と試行錯誤がなくなってしまう。単に何行か書くだけで、望み通り動く。ユーザーじゃなく、エンジニアがそうなってしまうと、意味がない。
posted at 23:06:31
むしろ、僕はUbuntuでLinuxを体験した初心者に、もっと頑張って勉強してほしいと思う。Ubuntuは、何もしなくてもLinuxが使えるという、素晴らしいシステムを作り出したが、結局、そうした初心者をいつまでも初心者のままにしている。初心者を上級者にするためにどうすればいいか、僕は考えている。
posted at 23:02:38
むしろ、どんどんありえないOSになっている、今のLinuxの向いている方向は正しいと僕は思っている。systemdなど、どんどんやればいい。systemdがUNIXを廃するのが残念なのは分かるが、僕はsystemdがありえない方向に向いているのが面白い。PerlからPythonへと移行するのと変わらない。
posted at 22:59:18
ただし、僕は今のGNOME 3は嫌いじゃない。GNOME 3はありえなさ度合いで一番勝っている。Linuxは普通のOSよりも、ありえないOSであったほうが面白い。僕はGNOME 3をデフォルトで使う。拡張でWindows風にしなくても、デフォルトは十分使える。エディタはvimを使う。この組み合わせが一番ベストだ。
posted at 22:56:16
ただし、きっとみんな大人になったのだろう。最近は、IT技術を趣味で開発するという発想がない。趣味で作るものではなく、完全に仕事で作るものになった。ビジネスで稼働するシステムの構築や保守の仕方を学び、プログラミングはそのためにある。純粋に楽しみでタブブラウザなどを作る人は少ない。
posted at 20:03:35
そういうLinuxが、むしろ、褒められたものではない集団である。言ってしまえば、トランプ元米大統領と同じことをネットでいつもやっていた。Windowsに勝利するために、手段を選ばず最悪のことばかりする。そう、それがOSSだ。
posted at 19:53:01
昔のIT業界で、いつも居るのがWindowsを批判しまくるアンチMSである。まるでマイクロソフトを諸悪の根源であり、それに立ち向かうオープンソースを英雄であるかのように風潮する。このような姿勢は、最近のIT業界では嫌われる。最近一番いい会社になったのはマイクロソフトだ。MSが一番頑張っている。
posted at 19:49:43
このように単純なLinux界だったが、開発は今よりも難しかった。gitがなかった。viやEmacsは摩訶不思議な仕様をしていた。多くの不具合が、Bashやgccのようなコアツールにも潜んでいて、それは「バグではなく仕様」だったため、そうした環境の問題を解決するのが難しい。ウィザード以外不可能だった。
posted at 19:40:57
だが、問題は「きちんと使えるような状況に持っていくこと」だった。今ほどパッケージ管理システムが完璧でなかったため、最終的には自分でパッチを当ててソースコードからコンパイルする必要があった。また、自動設定が不可能で、XFree86の手動設定は何時間あるいは何日もかけて調査して行った。
posted at 19:36:11
そのような中で、むしろLinuxは本当にWindowsの代わりになるように見えた。昔のGNOMEやKDEは、Windowsとまったく遜色がなかった。重くて不安定で、またパクリだったが、きちんとみんなにとって最適な環境だった。また、多くのウィンドウマネージャがオタクのカスタマイズ欲と好奇心を満たした。
posted at 19:32:14
そのような酷いIT業界の中で、FreeBSDはよかった。BSD系のOSには問題が少なかった。また、Windowsは当たりと外れがすごい。当たりを引くとほかのどのOSよりもまともに使えるが、外れを引くと全くまともに使えない。Perlの掲示板は、むしろインターネットのトラフィックを最も頑張って処理していた。
posted at 19:30:44
今のIT世界が馬鹿だと言いたいわけじゃない。昔のパソコンは酷い。LinuxのMozillaは極めて不安定かつ重く、不具合や誤作動も多かった。日本語のフォントの太字がでない。入力も馬鹿だ。OpenOfficeは不安定そのもので、GNOMEも遅く、またKDEは起動すらしない。そのような中でみんなよく頑張っていた。
posted at 19:27:03
そもそも、今ほどみんな、本気でビジネスのために開発していなかった。趣味で適当に自由かついいかげんにやっている人間のほうが多かった。大切なのは、少ないメモリと遅いCPUでも動くような効率性と軽量さと安定性であり、そこにできるだけ機能をつめこむ。そこに美しい設計などあったものじゃない。
posted at 19:21:39
ただし、当時から「オブジェクト指向で設計しなさい」という偉い人は多かったが、その意味がみんな分からなかった。オブジェクト指向がなんなのか、ほとんどの人は分からないから、ありえないおかしな説明をする。「たい焼きをたい焼き器で作るなら、そのたい焼き器は何で作るの?」といった具合だ。
posted at 19:17:32
そもそも、オブジェクト指向すら当時は根付いていなかったため、C言語で書くのが主流であり、Javaがオブジェクト指向というだけでおかしなもの扱いされた。PerlやVBのプログラマは堂々と非オブジェクト指向の設計を行い、FORTRANやCOBOLのGOTO文を馬鹿にしていた。
posted at 19:08:57
ただし、ITは昔から馬鹿である。Perlで作った掲示板は、今のSNSに比べればはるかに小さな技術であり、JavaScriptは嫌われ者のブラウザマクロにすぎず、Ajaxのように使うという発想そのものが当時新しかった。UNIXはコマンドの並列処理ができるだけにすぎず、パソコンで動くだけで天才扱いされた。
posted at 19:07:33
はっきり言って、IT技術は進歩しすぎて、あまりに賢いものになりすぎた。賢いのが明らかに分かるせいで、誰もIT技術を否定しなくなった。だが、そのほうが明らかに騙されている。昔は、宝石を原石のままで使い、職人だけがそれを磨くため、金にすずを加えて合金にしようとする輩が居なかったのである。
posted at 19:00:52
そんな中で、ネット社会はひとりひとりのブログと匿名掲示板の2chぐらいしかなかった。容易に全体を把握できて、何が起きたとしてもそんなに理解不能なおかしなことは起きなかった。人々が自由であり、まだまだ何かを作る余地があった。Windowsのフリーソフトは単純で、使いやすくてみんな善良だった。
posted at 18:57:15
今のように、Railsのようなバックエンドのフレームワークも、Reactのようなフロントエンドのフレームワークもなかった。Androidやスマホもなかったし、ゲームエンジンを使うのは一般的ではなかった。AIや人工知能は誰も知らないマニアだけがLispでやっていた。Emacsやvi程度の経験しか必要でなかった。
posted at 18:54:29
そもそも、昔は要求される知識レベルが制限されていて、狭かった。だからこそ、その狭い知識レベルの中で工夫しがいがあった。そもそも、C/C++とJavaとPerlとPHPとLispぐらいしか、普通の技術がなかった。だからこそ、その中でどうすれば正しいのか、どうすれば賢いのかを考える余地があった。
posted at 18:51:53
とはいいつつ、けっこう僕のような人間はたくさん居るもので、大学や研究室の学生には昔はこういう人間が多かった。彼らも、もう30代や40代になって、まともなIT企業に勤めていることだろう。かたや、僕は作家や詩人のデザイナーになろうとしている。そう、これこそが新しい「新人類」である。
posted at 18:45:12
そういうわけで、そのような「Linuxのオタク」は、僕から見ればいくらでも居たが、彼らは実際はデータセンターで働くまともな大企業の社員であり、GNUシンパの高校生などは僕しか居なかった。そう、それが僕が唯一、この世界の陰の支配者になった理由である。
posted at 18:42:00
そもそも、昔のLinuxそのものが、そんなに大したものじゃなかった。本当にビル・ゲイツほどの技術力がある人間は、BASICの雑誌を読みながら、8ビットで職人のように短いコードでゲームを開発する。そう、Linuxはそんなに大したものじゃない。単なるフリーライダーのオタクには、何も分からない。
posted at 18:32:56
結局、昔の「一部のハッカーだけが集まるLinux界」というものは、もはや必要とされなくなった。ツイッターやSNSがつまらないものになったのと同様、LinuxやOSSもどんどんつまらないものになっている。今のエンジニアはWindowsやAndroidとともに育った。PC-UNIXなど、見向きもされない。
posted at 18:29:23
ただし、LinuxやOSSなど、そもそも大したものじゃない。少なくとも、一時期ほど、LinuxやOSSは流行していない。なぜなら、ツイッターやSNS、YouTubeやニコニコ動画のようなサービスで、オープンソースと同じことはできるが、彼らは一般的普通の凡人であり、集まったところで学校などと何も変わらない。
posted at 18:28:09
政府がもしLinuxやOSSに対する政策をしたとしても、了承だけではなく能力がなければ成功しないだろう。単なるネットのオタクをいくら集めても、彼らはビル・ゲイツに対抗することができるような能力を持っているだろうか。オタクレベルでも分かることが分からないデジタル庁には、何もできないだろう。
posted at 18:18:38
たとえば、単に大学を作ることが正しいと思うから大学を作ったとしても、それが素晴らしい大学になるかどうかは能力次第である。単に政府が「素晴らしい大学を作れ」と正しい政策をしたとしても、了承だけではなく能力も両立しなければ、その大学は単なるゴミのようなどうでもいい大学になるだろう。
posted at 18:13:32
これは、国を治める時についても言える。国を治めるには、その政策が正しいと思う「了承」だけではなく、その政策を実際に実現することができる「能力」も考えないといけない。政策の了承と、政府の能力が交わるところに、楽園を築くことができるビジョンが存在する。
posted at 18:11:15
だから、人の意見を聞いた時、それをすることがいいと思う「了承」だけを考えるのではなく、それを実際に自分ができるかどうかという「能力」も考えないといけない。だから、簡単に、他人の意見に同意することはできない。
posted at 18:07:44
「そうしていくことに対する了承」と、「そうすることができるという能力」は、必ずしも一致しない。そうはしていきたいが、自分の手ではそれが今できないこともある。
posted at 18:04:10
結局のところ、「お金によって豊かに生きられる」という経済学的な文明論は、豊かになりすぎた現代社会では意味を成さない。「自由かつ知的に生きられる」という自由こそが、より進歩した価値観である。そのために、LinuxとOSSは、研究手段と学習の内容をすべて与える。また、そうあるべきである。
posted at 17:51:06
もうひとつ言えるのは、僕はフリーソフトをインターネットで無料で配布するという文化が好きである。自らの作成した作品を無料で提供するということは、「発表や公開をする場所がある」ということを意味する。それは「何も見返りを求めず、オープンな場に公開する」ということを意味する。
posted at 17:48:36
そして、自らの使う道具を、みんなの手で共同開発するという特徴にはいい点がある。それは「それぞれ思いついた改良や改善をすることで、無限に安定性が増していく」という特徴である。OSのカーネルには、安定性が必要だ。その安定性は、コミュニティの全員の共有した「みんなの成果」で成り立つのだ。
posted at 17:45:11
そもそも、OSとは、コンピュータのユーザが全員使うものであり、いわば「全員のための道具」である。その道具を作ることができるのが、マイクロソフト一社に委ねられているのはいいことではない。わたしが自分の手でわたしの使う道具を作れるべきである。わたしはそういう発想を好むのだ。
posted at 17:43:04
しかしながら、わたしこそがまさしくGNUの理想である。なぜなら、わたしは「自分が自分の手で作ること」を信じているだけにすぎない。たとえば、Windowsを使うという選択は妥当だが、「自分の手でWindowsを作ることができない」。だが、Linuxならばそれができる。だから僕はLinuxを選ぶ。
posted at 17:39:56
作り上げたすべての力に、特別なものはない。その状況でその経験をしたから、必然的に得られた力しかなかった。別に、それが僕ではなくても、あなたであってもその力を得ることはできただろう。幸運な立場で、正しい判断によって人生の選択をし、賢明な戦略で狡猾に、世界を自らのために導いただけだ。
posted at 17:37:29
心によって世界は支配できる。全能の経験と支配の力を善の方向に使うか、それとも悪の方向に使うかは本人次第だ。わたしが勝ち得たすべての力を失っても、わたしはそれを再度作り直すことができる。なぜなら、記憶の中にすべてが残っているからだ。
posted at 17:33:15
だからこそ、少年よ、大志を抱け。あなたがこの世界の救世主になるべきだ。僕がやったのと同じことは、誰でもできるということを、僕はずっと前に証明し終えている。僕は、僕よりも優れた救世主が、今度こそは世界を救ってくれることを待ち続けている。そして、それを待つために、僕はまだ生きている。
posted at 17:21:03
僕は自由なんかほしくない。だが、子供たちには、特に僕と同じような性格の子供には、自由を与えたい。自らの力と信念を試すかのように、環境から自由になって、自らの経験を積み重ね、そこから自らの道を作り、社会すべてを救うことができるメシアになることができるような、そのような自由がいい。
posted at 17:20:19
僕はなんにもすごくないし、努力もしていない。僕は習慣を自分の力で作って、その習慣を継続しているだけにすぎない。それは不登校になった環境の変化、すなわち「自由になれた」ということ、そしてもうひとつ、戦いによる状況の変化、すなわち「自由を棄てることができた」というだけにすぎない。
posted at 17:13:00
本当のことを言えば、僕はそもそも考えてすらいない。経験しただけであり、その経験は他の人間とまったく違う経験だった。だから、オリジナルの哲学思想を築くことができた。だから文章も書けた。僕はLinuxとOSSが好きだった。そう、僕の心の8割はLinuxでできている。
posted at 17:09:22
むしろ、はっきり言って、おかしな人間は僕ひとりだけである。ほかの人間は、LinuxやOSSを見ても、全員まともである。僕のような人間はほかに居なかった。なぜなら、GNUのためのプログラマになりたい高校生のハッカーは、僕ひとりしか居なかった。その人間が、ここまで文章を書くことなど、普通ない。
posted at 17:05:32
僕が思うに、僕がいろいろとおかしなことをやったせいで、みんな、人間不信になっている。ネットにはGNUのような怪しい宗教のような人間がたくさんいて、警戒すべきだと思っている。それは誤解だ。ほとんどの人間はまともであり、全体の1%ぐらい、おかしな狂人がいるだけにすぎない。
posted at 17:02:55
宗教のようなものは間違っている。ネットの世界には、もっとプレーンでまっさらな世界から、もう一度みんなの世界になってほしい。みんなが自分のやりたいことを、仲間とともに行い、作り、その成果物を共有し、全員で「コミュニティ」を築いていくようになってほしい。それこそがLinuxとOSSの基本だ。
posted at 17:00:28
今からの社会は、経済学や政治学のような「金と権力を基本とする社会」から脱却していく。インターネットの仮想世界は、単なる仲間とのお遊びでは終わらない。現実社会において知的活動や創造的活動ができない人であっても、オンラインのツールや情報によって、研究などの知的活動ができるようになる。
posted at 16:48:28
社会の進歩は、今までの時代は「豊かさの平等」を信じていた。今からは、「創造的な自由」を信じるようになる。平等に豊かであることは、「最低限の生きるための権利」であり、それはもう豊かとなった世界には不要である。今からは、知的活動や創造的活動ができる「自由に生きられる権利」が重要だ。
posted at 16:43:06
いつ自由であるのかを分析することで、どのような社会が成立するのかが分かる。どのような社会がいつ成立するかを知れば、同時に、どのような社会を実現することができるのかが分かる。そこから、「どのような社会を実現するべきか」を検討し、自らの力で具体的に考えることができる。
posted at 16:40:45
自由であるということは、自由に生きられるということである。これは、「豊かに生きられる」ということを意味しない。なぜなら、豊かに生きられる以上に、自由に生きられるということは価値があることだ。人間の社会文化的な価値観としても、豊かであることよりも自由であることのほうが進歩している。
posted at 16:39:06
民主主義は正しい。なぜなら、民衆に自由を許す主義だからである。
posted at 16:37:46
自由があるとはどういうことかを考えよ。それは、「可能性が許されている」ということである。
posted at 16:37:13