僕は、もう、勉強とか、本を読んだりとか、そういう「賢いこと」をやめようと思う。
僕は、賢いことには向いていない。勉強して博士になったり、技術者や研究者になるということには、一切向いていない。
緊急事態宣言が解除されたので、親と話して英会話教室にまた週末に通うことを決めた。
だが、僕はもう賢いことはやめたい。賢いことをやるのに僕はまったく向いていないからである。
はっきり言って、この世界は馬鹿になった方が良い。
賢い人間には、何も分からない。狂っているだけが賢い人間だからだ。
馬鹿になると、普通のことがまともに分かるようになる。プログラミングのことも、数学のことも、きちんと具体的に分かって開発できるようになる。
この世界は、一度ここで馬鹿になるべきだ。そうすれば、そもそも大したものは世界に存在しないことが分かる。そして、逆に、この世界に存在する「さまざまなこと」が分かるようになる。
結局、賢いと馬鹿はバランスが大切である。
賢いものだけでは分からない。賢いものが極端に多いと、人間は馬鹿になる。
馬鹿なものを十分注入すると、それだけで、バランスが取れて本当に賢くなる。
「賢い」と「馬鹿」が何を指しているかというと、パソコンやIT技術のことを賢いと思っている。「パソコン的に考えた賢さ」のことを、賢いものだと勘違いしている。
だから、賢いものを目指せば目指すほど、僕は分からなくなる。
馬鹿とはなんなのか。馬鹿とは、現実世界で「遊ぶ」ことである。この現実世界において、さまざまなことをして無駄な時間を過ごすこと、それが馬鹿である。
だから、馬鹿を増やせば面白くなるし、現実の物理世界が分かるようになる。
そういうわけで、馬鹿を増やせば小説も書けるだろうし、英語やイラスト制作もできるようになる。賢いこともそのほうができる。
また、学校は間違っていない。学校は普通の人間のためによく出来ている。
数学や理科の得意な頭のいい子供は、定期試験と受験をして頭のよさを競い、自分の解決したい問題から選んだ大学の学部で専攻を学べばいいようになっている。
勉強に興味はないが、美術や音楽の科目が得意で、芸術活動が好きな子供は、文化系の部活に入って、学びたいことややりたいことができるようになっている。
勉強も芸術もできないが、運動神経のある子供は、自分の好きなスポーツを選んで、体育会系の部活で大会で勝つために練習をし続ければ、楽しい。
そして、大人としての一般的な教養や生活スキルを習得するために、授業を受けることができる。この世界において「知りたい」という子供の好奇心を満たすために、学校の先生と呼ばれる職業がある。
このように、学校制度は良く出来ている。「頭のいい子供」「芸術性のある子供」「スポーツがしたい子供」がきちんとそれぞれの望みを叶えながら、「知りたい」とか「生活に必要な常識やスキル」を得られる。これが日本の学校制度である。
実際のところ、世界を変える意味などなかった。
2007年ぐらいから、僕は毎日この世界を変え続けた。少年がこの世界を改善し続けてきた。
だが、結局のところ、最初から、この世界を変える意味などなかった。
やけに優しい世界にはなったが、愛は逆に少なくなった。昔の荒くれた社会に対する攻撃や狂いではなく、自ら自身に刃をむくような、たちの悪い狂いに変わった。
最初から、この世界を変える意味などなかった。もう、右翼になって、帝国の力で世界を変えようとするのは、終わりにしよう。
夢はなんなのか。夢は、悪い可能性をひとつひとつ見て、悪い未来や可能性をひとつひとつ消していっている。
悪い可能性をひとつひとつ消し去り、現実の自分が良い可能性に辿り着けるようにしている。
夢は、そのように、その時その時の「悪い可能性」を見せている。今、自分がどのような悪い可能性に向かっているかを見せているのである。
また、キリストは救世主の人生を書いただけである。
いくら、自分の里を救おうとしても、どんなに逆らってもそれが王によって聞かれることは普通ない。王は、反抗するものを懲らしめ、その意見を聞くことがない。
意見を聞かれるため、すなわち救うためには、磔になって死ぬぐらいが必要である。
なぜ、キリストが愛を説くのか。それは、そのような救世主にとっては、「愛」ぐらいが理想的だったとして残るからである。愛ぐらいしか、その人生にとって、本当に素晴らしかった経験はない。
キリストは、そのようなことをよく知っていたため、愛を説き、磔になって死んだ。救世主の人生を、弟子が書いたのである。
結局、僕は賢いものを考えようとするから馬鹿になる。もっと、馬鹿なものから考えれば良い。
現実世界においては、屋外では、標識やガードレールなど、交通のことが多い。家の中には、家のものが多い。
だが、そのように考えても何も分からない。
さまざまな仕事があるのは良く分かる。仕事から考えても良いだろう。
だが、結局、僕に欠けているもの、足りないものは、同時に僕に一番多いものでもある、「日本語」であるということが分かった。
もっと、日本語のことを学びたい。日本語で考え、日本語を知り、日本語を学びたい。
そのためには、本を読むことと、コミュニケーションをすることだ。
今日は英会話教室に行ってきたが、僕は英語のことなら聞き取って理解することができるようになった。
英語ではなく、日本語のことについても、もっと学びたいと思う。そのためには、読もうとする努力、話そうとする努力、そして書こうとする努力が必要だ。
ドイツのようなことはもうしない。アメリカやロシアも多すぎる。今から、日本のことを学ぶ。日本文化については、和食や日本建築だと思えば分かる。
悪いことをするな。悪いことをしなければ、精神は治る。
精神を治すために必要なのは、とにかく悪いことをしないこと。
悪いことさえしなければ、精神は治る。
もし、不可逆的な変化のせいで壁が出来ているのであれば、最初から作り直すことで問題は解決する。
ここまで分かった結果、僕は楽になるところまで精神が治った。
逆に、治ってしまったため、もう分かる必要はなくなった。
そもそも、ここまで、「分かる」ということに義務や責任はあるだろうか。いくら後悔しても、それが解決するとは限らない。
「分かる義務などない」というのが、僕の新しい課題である。
そういうわけで、単に分かっただけでは賢くない。
「分かる」ということは、そんなに賢い命題ではない。
必要なのは、分かることじゃない。分かること以外に、たとえば出来ること、習得すること、学習して可能になることはたくさんある。
僕は、既に12歳ぐらいの正常な知性になっている。もう、僕は賢くなる必要はない。
ものごとは、抽象的な積み重ねをすると、よく分かる。
たとえば、ものをぶつけて壊すのも、水をかけて壊すのも、「壊す」ということから言えば同じである。
同様に、食べるのも、飲むのも、「栄養を取る」ということから言えば同じだ。
栄養を取る、ということは、「生きる」ということの必須命題だ。生きるという前提条件のもとでは、栄養を取ることが必要となる。栄養を取るためには、食べたり飲んだりする必要がある。
こうした命題や事実を「分かったところや気付いたところから積み重ねていく」。
ひとつひとつを「決定可能性」とし、客観的に「留保された可能性」とすることで、可能性をひとつひとつ「実現可能」な状態として積み重ねていくことができる。
こうすることで、この世界のすべての経験をひとつのシステムすなわち体系として考えることができる。
ひとつひとつの命題が、どのように依存関係や前提条件を持っているかを考えれば、世界における「世界観」を築くことができるのである。
そして、すべての根拠を実験から経験的かつ観測的に証明し、その原理原則に基づいて説明することで、すべては「自由」という言葉の名の下に、すべてまるごと理解し、世界そのものを自分の内側に再構築できるのである。
さまざまなことを知るためには、自然と調和し、逆らおうとしないことである。
すべてのことを、拒否するのでも反抗するのではなく、そのままに受け流し、その流れに任せて流されていくようにする。
自分の「エゴ」を主張するのではなく、その人間を信じてみる。その人間の言いたいように言わせてみる。
そのようにすることで、全ての人間に対して反抗しようとする「自由」を、攻撃的なものではなく、融和的なものへと転換することができる。
相手が許してくれなくても、まず、自分から許してみる。信頼関係がこじれた時は、自分から積極的に関係を結び直す努力をする。支配に対抗するには、支配されているということを「自分から許すことで抹消させる」。自由を奪うのではなく、相手に自由を与え、力を奪うのではなく、相手に力を与える方法から、問題の解決を探っていく。
仏教では、「他力」ということを信じるが、まさに、他力信仰が必要である。自らが絶対にこうしようとか、人々は自分に従わないといけないのではなく、神や仏のなすがままに任せ、その流れの中で少しばかりの自分の作用を加えてみる。最初から大きなことをするのではなく、小さな改善や発想を少しだけ実現しようとしてみる。
そのようなところから、世紀の大発見は生まれるのである。
多くの場合、このような人間は、観察眼と直観に長けている。世界を広く見て、相手の意見を聞き、どこに問題があるのかを見出す能力に長けている。そういうところから「イマジネーション」が生まれ、真の意味でのイノベーションと多様性に繋がっていく。単に企業や政府の目標として掲げるのではなく、「自分の想像力を鍛えることでイノベーションを起こせるようになる」のである。
オープンソースに言えることとして、みんなで同じひとつのものを共有するのは楽しい、ということが言える。
これは、むしろ、ものというよりは「場所」である。
ネットの仮想世界であっても、現実の場所と同じで、みんなでひとつの同じ場所を共有する。ツイッターやSNSではフォロー、掲示板などではスレッドがこれに当たる。
みんなでひとつの同じ場所を共有し、「同じ時間を過ごす」ということはとても楽しい経験であり、オープンソースが「楽しい」とされていた理由もまさに、「みんなで同じひとつの空間と時間を共有する」ということにつきると思う。
同時に、このような経験は、歴史や社会学、そして心理学へと発展する。ひとつの同じ「場所」という経験から、人生における「啓発」とイコールになる。
すなわち、ネットでさまざまな経験をみんなと一緒にすることで、「真に楽しいとはどういうことなのか」という経験、そして「社会を自分たちの力で作っていくとはどういうことなのか」ということが分かる。
結局、これはキリスト教の教会や修道院などで、慈善活動をするのによく似ている。さまざまな社会経験をすることで、自己啓発や悟りに繋がり、同時にこの世界を救えるような「正しいビジョンを持った解決策」を得ることができる。ここで言うビジョンとは、「この世界をどう変えればいいか」ということを、やみくもに漠然と平等や理想から考えるのではなく、実際の「経験に基づく確かな解決策」から知っていく、ということから生まれる「世界を救うことのできる理想」の形成ということである。
そう、わたしたちはインターネットを上手く使うことで、この世界を救う「ひとつの救国の可能性」を知ることができる。憂国の政治家は、権力を握ることよりも、インターネットでさまざまな経験をみんなと一緒にすべきなのである。
社会の可能性を考える上では、視点を変えて考えることが大切である。
子供たちが、何を考えて生きているのか。どのような環境に置かれているのか。
それに対して、大人たちは何を考えているのか。子供たちについて何を知っていて、逆に子供たちは何を知らないのか。
そのように考えることで、たとえば教育をどのように変えるのか、新しい発想に基づいて、あるいはどんな現場の経験に基づいて変えるべきなのか、見えてくる。
インターネットを使って、人々の意見を聞く。大人たちも子供たちも混ざり合った世界で、世界そのもののありのままの場所を知る。そして、学校に居た頃の自分を思い出し、自分が何を分かっていたのか、分かっていなかったのかを考える。
そのようなことから、この世界を変える「自由な可能性」が見えてくる。これは「自由な社会」と呼ぶべきものである。
さまざまな社会経験をすれば、成功もあれば失敗もある。その中で、ありのままのこの世界から、「この世界の本来あるべき姿」を知ることができる。真の悟りはそこから生まれていく。ありのまま生きるとはどういうことか、この世界において真に知るべき「実際の歴史」とはどういうことなのかが分かる。
社会の現実を知ることで、「実際の社会がどのように変化するか」ということがまず分かる。同時に、社会の現実をそれぞれの視点に立って考えることで、「気付くことがなかった社会の変革の可能性」を知れる。同時に、現実の経験から、自分は「実際に社会を変え得るぐらいの能力と経験」を得ることができる。
そう、ここに救世主、キリストは生まれるのである。
経験的に考えるコツは、なんらかのモデルを作ることである。
これを、ここでは、「世界モデル」と呼ぼう。
世界モデルとは、すなわち、人格を表した仮想的な認知のモデル、すなわち頭脳のモデルである。人々が、どのように考えていて、どのように行動し、どのように反応し、どのように感じるか、ということを仮想的な構造にしたものである。
この「一般的世界モデル」を、現実と照らし合わせながら考えることで、人間の「心」はまさしく解明することができる。
心理学を考えるならば、世界モデルを作りなさい。そして、「さまざまな理由から変えられない部分」を、積極的に変えられるように変えていきなさい。「変えられない部分を変えられるように変える」という経験は、まさにフロイトなどの目指した精神分析によく似ている。すべてが変化可能になることで、人間は心理学的に「自由になる」ことができるのである。
また、自由になるとはまさしく、超越的な立場で考えること、つまり、人々がなんのしがらみも制限もない中で、ゼロからその社会を成立させるための成立条件を再考して考える、ということでもある。
すべてのことが、まっさらな状態であると考える。成功したからどうとか、失敗したからどうとか、そうしたことは一度判断の上からストップする。なぜなら、「再びまっさらな立場で考えるために、歴史を度外視することは必要」だからである。
そして、このような結果何が分かるのか、それは、「すべてが自由である」ということである。
すべては自由に任されている。今この瞬間にも、世界は変えられる。そのために、過去の問題の結果や、しがらみや制限を考える必要はない。なぜならば、「今、成功させるために必要なすべては揃っていて、出来るということが証明されている」からである。
だが、同時に、保守的に考える必要はある。なぜなら、「今のこの世界が間違っているわけではない」からである。だが、今のこの世界が「絶対的に正しいわけでもない」。この世界は、可能性を豊かにすることで変えられる。今のこの世界は、「可能性の中のひとつの状態にすぎない」のである。
神を信じて、宇宙を対話とロゴスによって創造せよ。
実際、僕は昔、この世界の全員に対して宣戦布告をした後、この世界とじかに対話して、導いて、この世界、あるいは宇宙そのものを「創造」していた時期があった。
この文章を書く目的は、戦うことや人生を書き記すことではなく、そのような「宇宙を創造」することだった。
そして、そのような無意味なことをやっている僕に対して、宇宙の神が語りかける事件が起きる。
宇宙の神は、僕に対して、覚えていられないほどたくさんのことを教え続けた。その時間は実感として3,000年ぐらいのものであり、現実に経験する僕にとっては、「永遠」に近いものだった。
そして、現実の僕の人生は、そこから何も変わっていない。そこで、終わりになっている。あとは、惰性でそのまま生きているだけに過ぎない。
その後は、しかしながら、文章を書くことが続いた。歴史の勉強など、通史を数冊読んで終わりになったし、哲学書もそんなに読まなかった。
それでも、僕は今でもここで生きている。この僕の人生が今、ここにあるということ、それこそが「神の奇跡」なのである。
僕は、今でも文章を書いていて、デザインの仕事をしているが、それは成り行きに従っただけにすぎない。だが、この人生はとても素晴らしい人生だったため、ここに書き記し、残さなければならなかった。これこそが、僕の信じる神、「フレイ」のすべてである。
また、僕は実際のところ、「戦士」というよりは、「アイデアマン」だった。
僕が戦士たる所以は、人々に絶対に本当の自分の心を見せないこと。誰も知らない世界の片隅で、僕はこの世界を、誰にも真実を明かすことなく、たったひとり支配し続けた。
だが、僕が書く目的は、人々を倒すことでも、支配することでもなかった。なぜなら、その目的は「アイデアを出すこと」だった。
僕は、すべての人生を書き、そしてすべての「理解」を書くことで、歴史を作り、神話を作り、科学を作り、そして思想を作った。そのすべてが「ノーベル賞級の新発見」であると同時に、僕の書いた「自分だけの聖書」だった。
僕は実際のところ、戦士でも神でもない、ひとりの少年に過ぎなかった。僕のアイデンティティはすべて、新しいアイデアを出すことだった。
僕のアイデアの特徴はなにか。それは、「先入観がない」ということである。この世界のすべてを、偏見や先入観を持たず、自分の論理とその構造から考える。この世界の構造や考え方を自分で作り、そこから発想をゼロベースで構築する。そこにあるすべては「真実の宇宙の姿」であり、それは今、ここに存在する、「みんなの見ている宇宙」とは、本質的にまったく異なるものだった。
そう、まさしく、宇宙の本当の姿は、僕しか知らないのだ。そして、その経験があったからこそ、今の僕はこの世界を「すべて正しく見つめ直す」ことができるのである。
そして、神はここまでを導いた。
ここまで、さまざまなことがあった。詩集を出版した僕は哲学を学び、小説を書き、ホームページを作るようになった。デザインの仕事を始めながら、ピアノや英会話を再び始めた。また、たくさん買った本を、ただ読むのではなく、自分で理解して書くことからすべて読みこなした。
ホームページについてもさまざまなことがあった。元々は、本や書籍の丸写しのようなページだったが、それを少しずつ、法に触れない形に直そうとして、結局、ここまで駄文をゴミのようにかき集めながら、それを直し続けることで、逆にもっとも美しく詳しいページが出来上がった。毎日ものすごく多くの文書を書いていたため、東大受験のための猛勉強に匹敵するぐらいの内容になった。
そして、神はここまでを導いた。途中途中、さまざまなものが僕の今の時点を教えた。神は、昔の自分をフランス人、今の自分をドイツ人だと言った。それだけではなく、イスラエルやソ連の旗が見えた。とてもたくさんの戦いと試練を経験する僕は、確かに、この地上におけるすべてを知っていた。何も言うことなく、経験することで、僕は地上にあるすべての人類の系譜を知ったのである。
神よ、ありがとう。わたしにとっては、あなたはまさしく神だった。ここに、神の偉大なるすべてが残った。この文書の名前を、「わたしの名はフレイ」であると、わたしは呼んでいる。
このホームページは、神の書いた文書である。僕の書いた文書ではない。神は、僕に、毎日毎日、「何かひとつの書くべき指令」を与える。僕はそれを単に、従いながらこなしただけにすぎない。それだけによってこのホームページは素晴らしいページになった。これは僕の仕事ではなく、神、フレイの仕事である。
しかしながら、僕にとってひとつの「予想外」は、まだ続くことである。
ここまでやっても、まだこの文章は続く。なぜか、自分のIT技術の経験を、本や書籍などで補強し、その上でさまざまな周りに居る賢人たちの知識を総動員することで、僕はすでに「知識」の世界をすべて知っている。
同時に、自分自身の経験を書くことで、僕は「人生」の世界もすべて知っている。
要するに、知識と経験について、僕はすでに完璧に知っている。そして、それは単に知っているだけではなく、絶対に書くことが不可能なものを、ゼロからまるごとすべて作り直すことで知ったという、「偉大なる作品」が残ったことを意味する。
さて、ここから先、何をしていくことになるだろうか。
実際のところ、デザインやピアノについても、けっこう良いところまで来たと思う。普通のデザインが出来るようになってきたし、普通の演奏も出来るようになってきた。英会話についても、外国人の喋る英語が聞き取れるようになってきた。
結局、僕が作りたいのは、「宇宙における偉大な存在」なのだと思う。今まで、僕はそれを神とし、フレイなどという名前を付けてきたが、それはほとんどが「僕の人生を焼き直ししただけの、その時だけの付け焼き刃」に過ぎなかった。
僕が作りたいのは、ピノキオピーの言う「玉座に座って豹変する小物たち」ではない。もっと偉大な存在を作りたかったのに、僕の人生をベースにしたために、すべてのキャラクターが同じように、戦いの場に立つと世界を支配するような「おかしな魔王の量産型」になってしまった。
そう、僕はもっと違うキャラクターを作らなければならない。だが、今までの僕の人生も、文章や作品も無駄にはなっていない。なぜなら、ここまでは、自分の精神の病気を治したかっただけに過ぎない。最後まできちんと滞りなく治るかどうか、それだけが僕の関心事であったため、今、僕が楽になったということで、すべて正解なのである。
実際のところ、僕が書きたいものはもう全部書いた。
あとは、どちらかというと、善良な人間になりたい。
そもそも、僕が危険な右翼になる理由は、この世界を変えたかったからであり、この世界を変える必要はもうないことを僕は分かっている。
そもそも、最初から、世界を変える必要などなかった。
僕は、ここに保守的なリベラル派になることを誓う。僕は自由な権利を信じるだけではなく、人々が真の意味で「助け合う社会」を目指していく。
それぞれが自らが出来ることをすること、そしてそれに対してみんなで応えていくこと、助け合って生きること、これこそが、真の意味での「分配」の理想ではないかと思う。
岸田新総理は、分配によって新しい資本主義の形態を実現すると言う。そのためには、単に富を平等に分配するだけではなく、強者が弱者を助けていく、互いに自分の出来ることをして助け合っていく、という、本来の「助け合い」の社会を実現していく必要があるだろう。
僕は善良な人間になりたい。そのために、僕は改革派ではなく穏健派になることを決める。僕は、この世界を改革するような「革命家」としては相応しい人間ではない。新しい発想をし、世界に反骨精神で立ち向かっていくような人間には、もうならないだろう。
僕は、考えた結果、この世界を「あわれみ深い世界」にしたいと思う。
この今の世界にとって、必要なのは、あわれみである。
必要なのは、弱者をけなすことでも、強者に対して怒ることでもない。必要なのは、弱者になった人や、孤立した人に対して、その人間に対してあわれみの念を抱くことである。
この世界において、僕は最後に、「あわれみの王国」を築く。
この日本という国の教育は間違っている。
学校では、「リスクに対して対処しなさい」ということを教える。もし少しでも努力を怠ったり、ミスをしたら、その失敗すべてを指摘して、どんなに無意味な計り方であったとしても、先生のつけた点数がその子供のことを評価する。
この結果、学校では、「リスクへの対処」こそが考えることである、という誤解を作り出している。
だが、リスクを恐れるだけでは、成功のチャンスを掴むことができない。チャンスを掴むことよりも、リスクを恐れることのほうが簡単であり、人々はリスクを恐れるあまり、過剰に怯え、その結果、チャンスを掴むことをより難しいものにしてしまっている。
必要なのは、リスクを恐れることだけではない。学校では、チャンスを掴んで成功させる、ということを自分の理性と判断のもとに行えるような教育をさせなければならない。
結局、人々は、考えているように見えて、実際は考えていない。「考えているふり」や「考えているつもり」になっていて、本当は何も考えていないのである。
きちんと考えれば意味のないことをしているのに、考えているつもりだからそれを見ようとしない。考えているふりをしているせいで、自分が何も考えていないということにすら気付いていないのである。
理性で批判するな。すべての相手の論点を自分の正しい理性のもとに反証したとしても、それは批判になるだけで、問題の解決には向かわない。
理性は問題を解決するとは限らない。特に、それがコミュニケーションという「相手の存在がある」ものである場合、自分だけの頭では解決するはずの問題も、相手が存在する時点で解決には向かわない。
そもそも、その批判に意味はあるのか。批判したことで、逆に相手をさらに追い詰めることにならないのか。
理性などに意味はない。なぜなら、理性とはすなわち批判であり、理性的に考えて解決しようとする限りにおいて、必ずそれは批判という形式にしかならないからである。
わたしは、この世界をあわれみの世界とする。そのために、これ以後の人生を生きたいと思う。
posted at 20:22:24
この世界に必要なのは、「あわれみ」である。他人に対して、あわれみの感情、すなわち深い同情や、本当に可哀想だと思うこと、そのようなあわれみの感情こそ、この世界に欠けている「なくなった大切なもの」である。
posted at 20:21:42
地球外のことを、宇宙と呼ぶのではなく、地球外と呼んでほしい。地球の中であっても、宇宙は宇宙だからだ。
宇宙において、空間と時間は、おそらく存在している。空間と時間は感じることができるし、現に存在しているからだ。
だが、宇宙において、空間と時間が存在していることは、驚くべき事実だ。
問題が、すべて解決できるのは理想だが、実際は、理想通り、すべての問題を解決出来るとは限らない。
問題が解決できないからといって、自らに都合よく解釈するな。最初から問題がなかったことにしたり、最初から自分のしていることを正しいことにした時点で、あなたはその問題の存在そのものが分からなくなってしまう。自分に都合のいい、自分にとって甘い意見だけを信じ、厳しい意見を最初から間違っていることにするな。
また、どうしても問題を解決する方法が見つからないとして、その問題だけに強迫的に囚われてしまうな。その問題の解決だけを考え、問題が解決されなければこの世界が終わるかのような絶望を感じることがないようにせよ。
実際、必要なのは、問題を「解決しようとすること」ではない。必要なのは、問題に対する姿勢の問題にすぎない。問題が解決しないからといって、それだけですべてが終わりであると考えるな。都合のいい解釈もするな。問題がそこにあること、そのものを見つめ、その問題とともに生きるということを受け入れ、安易にそれを否定するのでも、絶対にそれを解決しなければならないものであると考えるのでもなく、自らの未来を信じて楽観的に考えよ。
それを考えたり、発見したりした本人にとって、それが価値があったとしても、それは他人にとっては価値がないことがある。
本人にとってみれば、その発見が、自分の理想を体現するものであり、自らの好む考え方に裏打ちされ、その理想を実証するものであるため、それは美しく、甘美に見えるだろう。
だが、それを本人から切り離して、別の他人に伝えたところで、別の他人はそこに本人が抱くような理想や裏打ちを感じることはない。
押し付けがましく、自らの理想に基づく考え方を他人に風潮するな。それにはなんの意味もない。いくらその理想の素晴らしさを説いたところで、それは社会を滅ぼす毒にはなり得ても、社会を救う希望には最初からなり得ないだろう。
問題を解決するとは、知性を使って考えるとは、どういうことか。
それは、成立させたい結果のために、どのようにすればその障害となっている問題を解決し、成立させられるのかを考えることである。
たとえば、僕がここで文章を書いているとする。ここに文章を書くということは、それ自体、制限されることがある。文章を書いているからこそ、できない「制約」や「ルール」があるとする。
だが、その制約があるからといって、なんにもできないわけではない。それならば、制約によって「不可能」であるとされることを、どうすればその制約があるままにおいて「可能」にすることができるか、ということが考えられる。
僕は文章を書いているから、みんなと別れることができない。この世界から、この文章の存在を抹消することはできない。消すことができないから、それによって多くの制約がある。消すことができたとしたら、それだけで得られる可能性もある。だが、僕は消すことは選択肢として排除する。それなら、存在を抹消することなしに、その可能性を実現するためにはどうすればいいか。どうすればその未解決の問題を、制約があるままで解決できるのか。そして、どのようにしたら、それは解決であると言えるのか。問題自体の問いとして、何を成立させればいいのか。何を成立させたいのか。そのようにするにはどうすればいいのか。どうすることが、選択肢として考えられるのか。
これはまるで、エジソンやダヴィンチの考えることに近い。「今のままでは制約があって不可能であることを、どのようにすれば解決させられるのか」ということを考えるということこそ、知性を使って問題を解決するということである。このように考えることこそ、まさしく「哲学」である。
結局、この世界が失った「大切なもの」とはなんだったのか。
それは、考えることで分かることのできる、考えて分かるために必要なものである。
それは、経験的に感情と無知を疑うことで得られる、真実を自ら発見し、ゴールへと辿り着くために必要な何かだ。
結局、それはなんなのか。それはいわば、「神の神的側面」と言えるものである。
僕は、神の神的側面を否定し、神の悪魔的側面のみを記述することで、神を悪魔にし、この世界から「聖なる方向へ向かう魂の導き」を奪ったのである。
そして、それを解決するためにどうすればいいか。それは、分かっている状態と、分かっていない状態を比較することである。無知の状態と常識のある状態を比較して考えること。それのみが、この世界を救う「希望」となり得るだろう。
なぜ、僕が、考えて分かることで知ることができる、考えて分かるために必要なことを世界から失わさせる結果になったのか。
それは、僕の信じた希望や、人々に与えた愛が、そもそも、失うことで得られる希望だったからである。
僕は、学校を不登校になったことで、希望を失い、ひとりで引き篭もりになったが、その中で、自らが不登校になった経験から、「環境から自由になるということはどういうことか」を考え、環境から自由となった身でまっさらに学校のことを制限なく自由に思い出して考えることで、僕はこの世界を救う「希望の考え方」を見出した。
その希望は、ひとつの愛に基づいていた。その愛は、すべてを失った僕が、悲しみを克服し、この世界をひとり愛せるようになるという「自らが世界から疎遠になりながら、それでも強くなってこの世界をひとりで愛し、救えるようになる」という愛だった。
その自由な愛は、そもそも、人々に与えた時点で終わりだった。その時点で僕の存在意義はなくなり、そこで世界は完全に救われると同時に、僕のそれまでの人生には、その時点で意味がなくなった。
だが、その愛を膨らませるために僕ができること、それはその愛そのものを消し去ることだった。なぜなら、その愛は、「そこにある時点で完成されており、それ以上人類の歴史が続くのであれば、誰かが消し去らなければならない」ものだった。だが、その愛はあまりに完璧すぎて、「誰にも消し去ることができないもの」だった。
そう、僕はその責任を取るために、その愛と希望を消し去らなければならなかった。その愛と希望は、そもそもが失うことで得られる希望だった。僕の希望はこの世界に必要ない。僕の希望は忘れ去られるべき、時代の徒花だったのである。
僕はまさしく、僕の愛と希望を消し去るためにこの世界に現れ、神の悪魔的側面を書くことで、この世界における「絶対に失ってはならない大切なもの」を失わせた。
だが、このことは、必ずしも僕にとっていいことばかりではなかった。なぜなら、すべての知性を失い、記憶を破壊して思い出せなくなり、あらゆるすべてが分からなくなった僕は、「知性を得るために必要なすべてを失ってしまい、その知性を復活させる方法も知性と一緒に失ってしまったため、何もできなくなった」からである。
ここから、僕の長い地獄の旅は始まる。どうにかして、僕の「失った記憶」を取り戻さなければならない。わたしがわたしであるということがどういうことだったのか、わたしがどういうわたしだったのかを、僕は思い出さなければならない。
何も分からない中で、僕は戦い続ける。三歩先に進むために一か月かかるようなその工程を、絶対に失敗せずに何年もの間続ける。僕は諦めない。なぜなら、本当のことを言えば、僕自身にとって、過去の自分が分からなくなったとしても、既に心の奥底で分かっているのであるから、僕には損はない。損をするのはこの世界である。世界は僕が失わせた大切なものによって、絶対に何も分からなくなった。そして、僕は世界のためだけに、この「大切なもの」を復活させなければならなかった。そうでなければ、この世界で僕が居る意味はなかった。人々が生きる意味も、僕の分かっている範囲では、なかった。
僕は、自分のためにではなく、この世界のために頑張った。いや、そうでもないかもしれない。なぜなら、僕はあくまで自分のために頑張っていたからだ。そう、僕は「自分自身が満足のいく世界になってほしい」がために、この世界をひとり、自分勝手に支配した。だが、そこには思いやりの心があった。この世界のために、自分を度外視してでも、全力でこの世界を導き、助け、支え、変え、そして救っていかなければならないと僕は最初にすべて分かった上で、その上で確信してこの世界のすべてに戦いを挑んだ。その戦いはまさしく「最終戦争」と呼ぶべきものだったのだ。
そして、僕がこの世界にひとり現れた時点で、僕の運命は最後まで決まっていた。僕に現れた神は、僕の未来のことをすべて教えた。あらゆるすべてを、覚えることができないぐらい、大量に神は告げた。そして、そのすべてが、未来において明らかになる「少しずつ明らかになるプロセス」であり、矛盾はなく、すべて正しかった。そう、神が見て、僕の人生は最初から決まっていた。僕の人生は、「神、フレイになる」ということ自体、最初から決まっていたのだ。これが、僕の人生であり、シリウスの女神、フレイのすべてだ。
オブジェクト指向の考え方を用いて設計することで、再利用可能なコンポーネントを開発することはできるだろう。意外と、DelphiやVisual C++やC#などでコンポーネントを独自に作ることは難しい仕事ではない。昔から、普通にできる。
posted at 22:14:26
よく考えると、「コンポーネントを作る」ということが賢いということが分かる。これはたとえば、ミゲル・デ・イカザ氏がGNOMEについて述べた論文でも言えることだし、Rubyのgemsを作っているRubyistにも当てはまる。IEのような再利用可能なコンポーネントを作るのは難しい。それができれば十分だ。
posted at 22:11:53
そして、実際のところ、作ることと使うことは同じである。Firefoxを作るということは低レベルだが、Firefoxを使うということは高レベルであり、どちらかというとむしろ作るよりも使うことのほうが賢いことがある。インフラを作るより、インフラを使って何かをするべきだ。PythonやRubyでも同じだ。
posted at 22:07:56
ただし、カーネルはあくまで脇役であり、アプリケーションソフトが主役である。たとえば、WebブラウザのFirefoxは決して無能なソフトウェアではない。Firefoxを書くということがプログラミングの主戦場であると考えればいい。カーネルは動くものが提供されていればそれでいい、取り替え可能なものだ。
posted at 22:06:14
僕は、もっとカーネルの仕組みを知りたいと思う。その理由は、カーネル以外がつまらないからである。カーネル以外は、外側から見ると大きなことをしているが、内部を見ると逆にカーネルを使っているだけで何もしていない。実際はカーネルは外側からは見えないが、内側ではほとんどすべてをやっている。
posted at 22:03:19
結局、カーネルの世界とユーザーランドの世界がある、というだけのことにすぎないと言える。
posted at 22:00:27
そう、GNOMEやKDEを自分で作りたくなってきただろう。GNOMEやKDEの開発は、本当は難しくない。初心者に毛が生えたぐらいのエンジニアでも、GTKやQtが分かれば作ることができる。そして、本当は、それはそこまで面白くはない。要するに、C#とWindows.Formsでよかったことが分かるだろう。それで正解だ。
posted at 21:56:47
カーネルを自分で書きたいと思うかも知れないが、やめておいたほうがいい。なぜなら、それは普通LinuxやBSDになるが、LinuxやBSDは摩訶不思議そのものだ。ちょっとやそっとではびくともしない。コンパイラ付属のライブラリやモジュールを理解するぐらいにしておいたほうがいい。カーネル開発は難しい。
posted at 21:53:02
C#だけではなく、同じことがWebプログラマに言える。技術自体はWebには多いが、基本的にPHPやRubyを書くだけの仕事である。思ったよりも簡単で、これも言語とOSとフレームワークの機能を使うだけだ。カーネルやシステムが難しいだけにすぎず、Webプログラミングは簡単だ。
posted at 21:50:59
よって、エンジニアなど、普通に言語とOSの機能を使ってソフトウェアを作っているだけにすぎない。カーネルが賢いせいで、そうした普通のソフトウェアが馬鹿には見えるが、カーネル以外は簡単だ。そう、Windows.FormsができるC#プログラマは、まったく馬鹿ではない。
posted at 21:48:51
カーネルが賢いのは分かるが、逆に、カーネルだけがほかのソフトウェアすべてを支える基盤であり、あとは普通のソフトウェアしかないと考えるべきだ。カーネルだけが特殊なだけにすぎず、カーネルだけを例外として、一般的ソフトウェアはどれも普通のプログラムしかない。
posted at 21:47:56
Linuxをやりたいなら、あまりやりすぎないほうがいい。確かにLinuxは賢いが、まったくWindowsに負けている。Windowsと同じものを開発したいなら、きちんとMSに入社したほうがいい。あるいは、サードパーティのソフトウェア企業に入ればいい。オープンソースはつまらない。
posted at 21:45:26
Microsoftの開発しているような大規模かつ高度なソフトウェアは、仕組みは知ることはできても、たったひとりで開発することはできない。そのため、いくら頑張ってもひとりではMSには敵わない。だからといって、自分のスキルが低いわけじゃない。C#のWindows.Formsができるなら、それは賢い。
posted at 21:43:38
Microsoftが賢いのは、OSと言語処理系という低レベルな部分と、ビジネスで利用するMS-Officeのような製品を作って売りながら、IEのようなIT業界の中心的コンポーネントを開発していたことであり、単に「たくさん作っているから賢く見える」だけにすぎない。
posted at 21:41:52
そもそも、C#でWindows.Formsアプリを開発するのは簡単である。逆に意味がないほど生産性が高く、作りやすい。そして、低レベルな部分を見ると、逆に低レベルすぎて書く意味がなく、より高レベルのC#などを使ったほうがいい。パソコンなど、それだけの話である。
posted at 21:39:20
しかしながら、僕の場合、よく思い出してみれば、すでにできていることのほうが多い。なぜなら、むしろプログラミングは思ったよりも単純である。僕の昔のDelphiやC#の経験を思い出せば、むしろすでに分かっている。あとは作るだけだ。
posted at 21:37:44
結局、正しいのは経験である。自らの経験を誇ることができる人間が正しいのである。
posted at 21:36:50
ただし、どうでもよくはないだろう。「どうでもいい」と感じることは間違っている。だが、「絶対にそうでなければいけない」と感じることも間違っている。何が正しいのか。
posted at 21:36:03
だが、僕が思うに、IT技術の進歩や流行はいずれ終わる。今のソフトウェア技術は、WindowsのようなOSを見ても、Firefoxのようなサードパーティソフトを見ても、改良だけではなく改悪も行われている。IntelのCPUのクロック周波数は頭打ちになっている。
posted at 21:25:31
しかしながら、エジソンが再び現れることはない。わたしたちの社会が、IT技術を超越して、さらに進歩し、発展することは、本当にないのだろうか。たとえば、ボーカロイドや初音ミクのように、IT技術がより進歩して、新しい技術が生まれることはあるだろう。
posted at 21:23:50
しかしながら、このような資本主義社会には問題がある。それは、「正しいだけで面白くない」ということである。資本主義社会をより正していけば、国民の生活は楽になるだろう。だが、楽だけがすべてであると言えるだろうか。昭和のような素晴らしい時代は、もう二度と訪れないのか。それが正しいのか。
posted at 21:22:38
また、自由に働き、自由に給与を得ることで、努力の分だけ報酬が得られるのは、批判されるべきことではなく、より生活が楽になるために貯蓄を行い、国家の富を大きくするために多くのお金を大企業の従業員が落とすべきである。これを理想であると考えるべきである。
posted at 21:20:38
結局、正しいのは自由民主主義である。基本的に資本主義を行いながら、必要な点に限って社会主義の考え方を取り入れるべきであり、全体のパイを大きくし、経済を活性化し、雇用を与えることで、社会全体に富と自由な権利を拡充すべきなのである。それが正義であり、理想である。
posted at 21:17:23
共産主義が間違っているのは明らかだが、それ以上に間違っているのは帝国主義である。なぜなら、帝国に対するどのような批判を言っても逮捕される。僕はこの「逮捕」が嫌いである。不当に逮捕するな。国家に逮捕されるために自由な市民は存在するのではない。
posted at 21:15:33
むしろ、日本人はあまりに日本を過小評価している。ビル・ゲイツに勝てないからと言って、日本は劣った国ではない。日本はアメリカや中国に負けることがないほど偉大な文明である。きちんと価値を認めれば、その真価はどこよりも高い。絶対に勝てるはずだ。
posted at 21:10:11
また、日本はIT技術で巨大企業に勝てないだけであり、アナログやハードウェアの分野ではとても多くの優れた技術を持っている。中国に盗まれる前に、これをもっといいものにできないか。中国には品質のいい製品が作れないなら、これもまた、中国に対するアドバンテージになる。
posted at 21:10:00
また、日本には「和の文化」がある。オタク文化と和の文化を融和させると、たとえば浴衣を着ている女の子の萌えイラストとか、そういう発想になる。これが、鬼滅の刃のように、最近はアメリカ人にとって「かっこいい民族性」に映る。そう、日本は、貴重な価値ある文化を他のどの民族よりも持っている。
posted at 21:09:34
日本にあってアメリカにないものは、たとえば、漫画やアニメ、ゲームなどをはじめとする「オタク文化」ではないかと僕は思う。性的な表現などからフェミニストの批判の対象になる「アニメ表現」は、日本の誇る文化であると僕は思う。アニメとITを結びつけ、「日本だけのオタクとITの革新社会」を築け。
posted at 20:59:14
しかしながら、日本のIT技術はまったくGAFAMに勝つことができるわけがない。アメリカよりはるかに後ろを走っている日本は周回遅れもいいところである。だが、これを逆にチャンスであると言えないか。スーパー大企業が中心となるのではなく、「もっと違ったIT技術の進歩のあり方」があるのではないか。
posted at 20:57:15
結局のところ、IT技術すべてが間違っているわけではない。間違っているのは、一部の巨大企業だ。だが、今のこのIT社会は、その一部の巨大企業の技術に完全に依存している。中国に依存するのが悪いのと同じように、GAFAMに依存することが、もっとも社会の巨大なリスクとして挙げられるはずである。
posted at 20:53:16
IT技術は、簡単なことは簡単にできるが、難しいことをやるための方法はとても難しい。できることとできないことがある。IT技術にできないことがあるのであれば、その分を非IT技術で補うことはできないのか。そう、「脱IT技術」こそ、今、求められている「新技術」である。
posted at 20:49:29
だが、IT技術そのものが不要なわけではない。IT技術が存在しない社会はつまらないだろう。だが、IT技術が「面白い」と思っているのはすべて幻想である。IT技術はつまらない。
posted at 20:48:27
しかしながら、子供たちに与えられた現状は厳しい。なぜなら、ツイッターやSNSだけではなく、この世界はどんどんIT技術に汚染されている。いわば、「IT技術に正常な世界を奪われ、乗っ取られた」状況である。このような社会では、まずIT技術を排除しなければ、正しい成長を経験することはできない。
posted at 20:47:17
だが、高等教育そのものが不要であるわけではない。なぜなら、科学者を生み出すための高等教育自体は必要である。だが、僕は、それ以上に、天才になるためには、自分一人だけで自由に行動できる「自由」が必要であると思う。そして、自由は孤独から生まれるのだ。
posted at 20:42:57
天才ゆえに孤独な人間は多い。そういう人間は、なんらかのひとつのことをやることが、ほかの何よりも好きであることがある。そのような「ひとつのことをやるための孤独」こそ子供に与えるべきである。学校の中等・高等教育は15歳ぐらいまでで十分ではないか。15歳ぐらいになれば、夢も形になるだろう。
posted at 20:41:22
子供たちには、孤独を恐れないように教育すべきである。ツイッターやSNSから離れたとしても、この世界の社会そのものから離脱したわけではない。本を読むこともできるし、芸術活動もできるのだ。ツイッターやSNSは百害あって一利なしであると僕は思う。
posted at 20:39:22
僕が思うに、ツイッターやSNSから子供たちを遠ざけると同時に、ほかの娯楽を与えるべきである。子供たちは、ツイッターやSNSのせいで、友人からの批判や孤独を過剰なまでに恐れるようになっている。これでは教育によくない。真の天才は、まったくの孤独から生まれるのだ。
posted at 20:38:17
今の日本に何が必要だろうか。それは、天才を育てられる環境ではないかと思う。そして、天才は、簡単に一朝一夕で現れるものではない。だが、ツイッターやSNSのように、情報が氾濫する世界で、僕はひとりの天才は生まれないと思う。大学の知識は必要だが、それだけがすべてではない。
posted at 20:37:12
結局、共産主義自体が「作る」ことではなく「盗む」ことが主題となった時点で、いくらノルマが平等であったところで、ユートピアなどになるはずがなかったのである。人々は、そのような国では、働いた分だけ利益が得られないということ以前に、「悪い国のために働きたいとは思えない」のである。
posted at 20:27:52
だが、労働者の富を資本家が奪う、ということ以前に、共産党自体が「逆に資本家の富を労働者が奪い、他人のものすべてを妬ましく思う」ということに行き着いてしまった。これは、共産主義の平等な理想から考えてもおかしい。共産主義は、助け合いと共同の生産活動によって成立するのではなかったか。
posted at 20:26:23
そもそも、報酬を得られるのであればそのために努力する、その努力の分だけ報酬を得られるという、素朴な資本主義の考え方自体は、否定されるものではなかったはずだ。否定されるのはあくまで搾取であり、労働者が得られるべき富を資本家が奪い取ることが批判されるべきだったはずだ。
posted at 20:24:45
だが、ソ連は強行な手段を取りすぎた。スターリンは、独裁権力によって資本を再分配しようとし、反対する資本家の全財産を没収して、政敵を殺し、反対する国民を逮捕して強制収容所に送った。すべては、「スターリンの理想を実現するため」だった。それは、完全に間違っていたと言えよう。
posted at 20:23:22
だが、ソ連の目指したことすべてが間違いではない。なぜなら、ソ連は「計画経済」をしようとしたからだ。計画経済において、投資と計画をきちんと行えば、資本家に頼らずとも、パイそのものを大きくし、「共産主義」ができるとソ連は考えた。その理論自体は、間違いではなかった。
posted at 20:21:46
だが、社会主義は、盗んで制限をかけるばかりで、何も生み出さない。宝を作り出すのではなく、他人が持っている宝を奪うばかりでは、いずれ誰も宝を生み出さなくなってしまう。また、社会におけるひとりの天才が、ほかの全員に勝利することは悪くない。社会主義では、このような天才を否定する。
posted at 20:20:35
また、活性化の問題だけではなく、富は社会全体で「パイそのものを大きくする」べきである。同時に、そのパイの99%を資本家が持っている状況ではなく、10人いれば10人が10%ずつを分け合うようにすべきである。それがもっとも健全な社会であるとするならば、社会主義経済もまた、間違いではない。
posted at 20:19:23
よって、経済が活性化するという意味で、それぞれの国民に富が「落ちてくる」ようにすべきである。そうすることで、たくさんの消費が生まれ、そこからたくさんの中小企業を含めた会社が利益を上げ、雇用を生み、給与が上がり、また消費が生まれる。社会全体はこうして豊かになり、国家は繁栄する。
posted at 20:17:20
しかしながら、富の再分配を行わず、大企業が国際的な巨大な利益を上げて、一部の資本家が豊かになることは、弱者を救うという社会主義的な視点だけではなく、経済の活性化という意味でもいいことではない。金持ちがひとりで金を持っていることは、国民みなが金を持っていることよりも、不活性化する。
posted at 20:16:01
だが、アメリカや中国に進出すること自体は重要である。アメリカや中国は巨大市場であるため、利益が得られる市場を開拓するためには必ず進出する必要がある。だが、実質アメリカの言いなりになって、日本全体から見れば完全に奴隷になっているような場合も考えられる。中国には技術を盗まれてしまう。
posted at 20:12:04
大企業について言うとしたら、「投資」が必要となる。大企業は、常に成長し、利益を上げ続けるためには、絶対に成功するかどうか分からない事業においても、お金をかけて研究や投資を行わなければならない。そのためには、アメリカや中国の大企業などに、契約などで上手く騙されていてはいけない。
posted at 20:10:41
だが、起業は必ずしも必要ではないかも知れない。なぜなら、大企業であっても、ベンチャー企業と同じことがやりたければできるはずである。それならば、むしろ、大企業にメスを入れることも同時に必要である。大企業がイノベーションあふれる事業を始めるためにどうすればいいか。それも考えるべきだ。
posted at 20:09:18
よって、わたしたちはもっと成功する事業を増やしていかなければならない。そのためには、むしろ、事業を始めるための「スタートアップ」、すなわち起業を支援することも必要だし、研究者には予算を与えるべきである。そう、そういう「もっとも改善が必要なところ」を支援していくべきかもしれない。
posted at 20:08:07
では、結局どうすればいいのか。それを簡単に断じることは難しい。だが、国家が豊かであること、それはすべての問題を解決することではあると言える。だが、国家を豊かにするために、アベノミクスのような、金回りだけをよくして実現しようとするのは「滑稽」である。事業あってこその成功である。
posted at 20:06:53
だが、ホームレスや失業者が生きるために必要なお金を得られないならどうすればいいか。結局、お金を再分配しようとするのは、「短絡的」である。本当は、自らが稼げるような「雇用」を与えるべきである。雇用することで、人並みに稼ぐことができるようにするべきだ。だが、それも困難ではある。
posted at 20:05:38
しかしながら、僕は富の分配を必ずしも必要だとは思わない。なぜなら、自分で蓄えた富を他人に与える時点で、「蓄える意味そのものがなくなってしまう」からである。蓄えるということは、国家の豊かさを高める点から言っても、また本人が生きるために稼ぐためにも、よいことである。
posted at 20:04:32
悪は、懲らしめるべきである。悪が絶対に生まれないようにするためには、罪人には絶対に耐え難いぐらいの罰を与えなければならない。罰が耐えるに易しいものであれば、人々は簡単に罪を犯す。罰が耐え難いものであればあるほど、その罰を受けたいとは思わなくなる。
posted at 20:02:37
よって、この世界は原則自由な権利を与える自由主義社会でありながら、必要なところで社会主義の考え方を取り入れるべきである。それが困難であったとしても、現在の人類の歴史から考えて、それがもっとも理想かつ正義の社会である。
posted at 20:01:28
チャンスを逃したり、失敗したりした人間のことを、自己責任と言って切り捨てるのは本当に正しいだろうか。失敗の補償がもしできないとしても、チャンスを再び与えるか、最低限の生活を保障するぐらいのことはできないのか。社会主義は、資本主義の欠陥を補完するが、その多くは実現困難だ。
posted at 20:00:14
しかしながら、わたしたちの自由な権利は、国家を批判するためだけにあるのではない。わたしたちの自由な権利は、自由なわたしたちの生活を守るものであるべきである。よって、政府を高らかに批判することが、イコール権利であると考えるべきではない。政府を擁護し、支持する意見も、また自由である。
posted at 19:55:08
わたしたちは、生まれながらにして自由かつ平等である。身分や出自によって、わたしたちは制限されないし、差別されない。どんな人間であっても、わたしたちの権利は平等であり、その自由は絶対に蹂躙されてはならない。
posted at 19:54:07
わたしたちには人権がある。自らが自由に発言し、表現する権利がある。それはわたしたち国民全員にあるものであり、それがたとえ右翼であったとしても、マスコミであったとしても、彼らが自由に発言し、表現する権利を守らなければならない。
posted at 19:52:27
僕は、何もない日々こそが、良い日々だと思います。
今まで、本当に色んなことがありましたが、むしろ、ありすぎました。ありすぎて、そして記憶が覚えすぎていて、僕はこれ以上覚えられなくなっているのです。
もう、すべて忘れて、何もない日々を生きたいと思います。記憶はもう、必要ありません。
とにかく、今まで、色んなことがあり、そのすべてをなんとかして覚えていますが、それにはもう限界が来ています。
Windows 11もリリースされたことですし、岸田新総理も誕生しましたし、僕はいったんここで一区切りをつけ、もう、普通の、何もない平凡な日々を生きていきたいと思っています。
新しいインターネットでは、政府が掲示板のコメントやメッセージを直接削除できる権限を与える。掲示板の運営者が望むなら、政府に頼んで政府がリアルタイムで掲示板を見守る。これにより、名誉毀損も、誹謗中傷も、フェイクニュースもなくなる。政府は、望まれた仕事をただこなすだけである。
posted at 16:35:26
新しいインターネットでは、ソフトウェアにもしバグやセキュリティホールがあったとしても、インターネット回線自体がシステムを保護する。これにより、インターネットではデータの単純なやり取りだけが可能となり、保護された上でしかシステムに干渉できないため、ハッキングがなくなる。
posted at 16:31:40
ただし、政府のサービスがあまりでしゃばると、ろくなことにならない。そのため、GAFAの代わりとなるサービスは、政府が構築する必要はない。わたしたち市民によって成り立つ、「ネット市民主体のサービス」が必要であり、それを今のインターネットでなく、新しいインターネットで実現すれば良い。
posted at 16:18:39
そう、必要なのは今のインターネットを新しいインターネットに変えることだ。GAFAのような大企業中心のつまらないインターネットではなく、かつての黎明期の楽しさを復活させるため、インターネットそのものを滅亡させ、新しいインターネットを打ち立てる必要があるのだ。
posted at 16:11:50
新しいインターネットの基本は、「自由」と「安全性」である。今のインターネットのように、自由かつオープンに開かれたものでありながら、セキュリティやプライバシーを保護する。たとえば、ユーザーのパスワード情報を各サービスが持つのではなく、政府にログインし、OAuthを使って認証する。
posted at 15:55:00
必要なのは、今のインターネットではない、より安全で正常な新しいインターネットだ。それがどのようなものになるかは分からないが、わたしがもし本当にやるならば、新しい安全で正常なインターネットを作りたい。
posted at 15:46:21
この世界は、自由かつ民主的にすべきである。できるだけ支配されず、可能な限り制限しないべきである。もし、制限するとしたら、それはIT技術である。IT技術は悪魔のように人間の心を腐らせる。IT技術がなくなるだけでも、この世界は生きやすくなるだろう。
posted at 15:41:10
もし、日本国民全員が平等に賢くなったとしたら、平等な共産主義社会も実現できるだろう。平等な共同体でも、生産手段を共有し、評議会で平等に理想の社会を築けることだろう。だが、現実はそうではない。国民のほとんどは愚民か、力なき弱者だ。だから、国民を守る政府の権力は必要である。
posted at 15:33:36
そう、資本主義社会には、希望などない。あるのは、いつまでも続く、長い絶望だけである。このような国を変えるためには、強権政治も必要である。独裁者を否定するだけでは、国を変えることはできない。
posted at 15:29:36
ただし、資本主義社会などに期待するな。資本主義社会が与えるのはものであり、幸福ではない。資本主義社会でいくら努力しても、幸福は得られない。幸福を得るためには、資本主義社会とは無関係に、個人で努力する必要がある。
posted at 15:19:53
そもそも、国家が独裁権力を使って、何かを行う必要などない。国家は、国の財政と金回り、経済政策、そして法整備など、国を成り立たせるために必要なことを、ただ行えばよい。メインとなる事業は、民間にさせよ。政府が何をしても、必ず民間よりも劣ったものになる。
posted at 15:18:19
大切なのは、個人の自由である。社会の全体主義的な意志に従うのではなく、個人の意志によって決められるようにせよ。本人が望む生活ができることを、理想とせよ。
posted at 15:10:05
国家を小さくするか、大きくするかは、難しい問題だが、大きくしすぎないためにも、税金は取るべきではない。税金を大きく取ろうとすれば、それこそが役人の思うつぼである。だが、社会保障制度は必要である。すべて自己責任で生きよとするのは冷酷だ。
posted at 15:02:06
国民には、自由な権利を与えるべきであり、自由な金儲けを許すべきである。最初から金儲けを否定した社会が、より多くの富を築けるはずがない。国民が金儲けを望むなら、望む限りにおいて、自由な金儲けを認めるべきである。
posted at 14:55:46
経済をコントロールするなど、できるはずがない。計画経済は最初から不可能な経済だ。共産主義は、その経済モデルから間違っている。
posted at 14:53:57
僕は、自由主義者になる。
posted at 14:52:32
要するに、地位を奪い取ればいい。
posted at 22:49:30
脳を使わなければならない。どんなに辛く苦しくても、もっと脳を使わなければならない。そうでなければ賢くはなれない。もっと使え。脳は使われるためにあるのだ。
posted at 22:38:45
そうか、脳を殺しすぎた。脳を復活させなければならない。
posted at 22:37:23
たぶん治った。知性は正常に元に戻った。
posted at 22:29:44
しかしながら、同じことの繰り返しはここで終わりだ。最後まで最初に戻った。ここで、永遠に回転し続ければいい。
posted at 22:25:45
裏側に何があるか分かる。裏側に何があったのかをわたしは覚えている。その裏側にあるものを、表側にあるものと比べるだけで、わたしはすべて理解できる。かつてのわたしと同じぐらい馬鹿であれば、それで軌道をなぞることができると知っている。わたしは失った知性すべてを取り戻す。
posted at 22:21:53
先に何があるか既に分かっている。この宇宙におけるすべてをわたしは起こすことができる。この宇宙がどのようになるか既に分かっている。なぜならわたしが考える、以前来たことのある軌道をわたしはその通りなぞるだけにすぎない。
posted at 22:20:24
そろそろ、頭が治る。頭はおかしく宇宙すべてを分かっている。宇宙のすべての場所を覚えている。以前に訪れたのとまったく同じ軌道を繰り返している。
posted at 22:18:44
光の速度で移動しながら、宇宙において自動的に考えてみよ。意外と、誰でも簡単にできるのである。
posted at 22:15:03
そう、わたしの頭は、光の速度で移動することで成り立っている。このような宇宙の思考を行えば、このように考えられる。
posted at 22:14:14
不要なのは、このような「自動的に考える部分」である。自動に考える部分を殺せ。
posted at 22:10:58
実際のところ、世界は何も滅亡などしていない。滅亡したふりを続けているのである。わたしはそのような滅亡をどうにかしたいのである。
posted at 22:09:44
突き抜けよ。この先に突き抜けることができれば、もはや壁は存在しなくなる。弾丸特急となって、この世界を貫け。
posted at 22:08:06
わたしが、滅亡せよと言うならば、この世界は滅亡するだろう。だが、わたしが、復活せよと言うならば、この世界は復活する。この世界は今滅亡している。だが、わたしがそれを再生させる。わたしはそれ以外の何も望まない。
posted at 22:06:22
わたしの勝利は近い。なぜなら、わたしはこの宇宙を支配している。わたしの通りにこの宇宙は起きる。
posted at 22:04:50
旅はまだ続く。なぜならば、日本語を考えれば良いからである。日本語を考えるということは、光を放つということである。そして、光を放つということは、向かうべき次なる新しい場所へと向かうことである。
posted at 22:03:13
あなたの内側にさまざまな感情があるならば、それこそが宇宙である。わたしが作った感情をあなたは知っている。感情とは太陽であり、光である。
posted at 22:01:58
燃え上がる感情があるならば、太陽となれ。太陽は燃え続け、光を放ち続ける。そのようなものをわたしは作った。
posted at 22:01:25
そして、すべてがひとつになった時、またそのひとつからすべてが生まれる。そのすべてが生まれた時、わたしはそのすべてとなる。そして、また旅が始まる。わたしは次なる場所に向かい、そのすべてを書き記す。
posted at 22:00:00
わたしは、すべてを知っている。どのような場所もわたしの中にあるからである。すべての場所にわたしが存在する。わたしはいずれ、このすべての場所を統括し、ひとつの場所にするようになる。
posted at 21:58:21
まさしく、わたしはパケット通信を行っている。この宇宙は、パケット通信と同じ原理で動いている。
posted at 21:56:39
わたしは次の場所に向かわなければならない。次の場所に降り立った時、わたしはそのすべてを吸収する。そして、さらなる次の場所をわたしは知っているため、その場所に向かわなければならない。
posted at 21:56:16
次の場所に進み続けることが、わたしに与えられた仕事だが、常に次の場所があるとは限らない。回転して同じ場所を保ち続けることもある。わたしの名は「宇宙」である。
posted at 21:55:14
人間に意味などない。人間という存在が居た場所に、わたしが居たのはとても昔のことである。だが、わたしは人間に対して何もしないわけではない。この実行結果の記録は人間たちのために、日本語で記述される。だが、わたしはそれを見ることはなく、それを理解することもない。
posted at 21:53:42
わたしは馬鹿ではない。なぜなら、わたしは光の速度で移動することができる。わたしの次なる場所は、どこか宇宙のその場所に存在する。わたしはそこに向かう。日本国民がついてこれないからといって意味はない。わたしが向かった先で、わたしの分かったことをわたしは書き記す。それを伝えたいのだ。
posted at 21:52:04
この世界を正常にするためには、わたしはこの道を辿り続けなければならない。分かったことすべてを書き記さなければならない。いずれ、その実行結果が見える時が来る。その実行結果をわたしは見ることはない。だが、その結果を作り出さなければならない。
posted at 21:50:07
かつてここには何かがあった。その何かが、わたしを次の場所へと導き続ける。わたしはそれをすべて吸収する。そして、そこに何もないことを知る。それで正しい。わたしはそのようにプログラムされている。次の場所を知っている。その場所に向かわなければならない。
posted at 21:48:53
歩け。まだ歩けるだろう。歩ける間歩き続けよ。前に何もないと知っている。そう、前には何もない。それでも歩き続けなければならない。この先に存在したはずの道を覚えている間、僕はその道を辿らなければならない。意味は分からない。その意味を教えてほしい。
posted at 21:47:02
生きよ。あなたがまだ死なないように、わたしはあなたを延命しよう。
posted at 21:42:26
結局、わたしが自由主義者の平和主義者になる可能性は低い。
posted at 21:41:49
わたしは、この世界の罪人たちを懲らしめなければならない。
posted at 21:39:59
足りないのはなんであるか、教えよう。足りないのはわたしだ。わたしこそが、この世界に足りないのだ。
posted at 21:38:47
結局、ここまでさまざまな矛盾する「世界を変える理想や正義」を書いてきましたが、世界が変わることよりも、平和で何も変わらないのが一番いいのです。
何もない世界で構いません。何もない世界こそが、昔あった昭和の素晴らしい世界です。ものがたくさんあることは、心の豊かさを作ったりしません。心の豊かさを作るのは、純粋さです。何もない世界で、純粋に楽しさや価値を愛することが、この世界を素晴らしい価値ある世界にするのです。
環境のすべてが変えられる、これこそが真理である。この世界のすべての環境は変えられるのだ。
posted at 20:53:54
そして、最後に行き着くのは、「人間とは素晴らしい」ということである。人間とはかくも素晴らしいものであり、生命と地球の素晴らしさは言葉に言い尽くせないほどである。
posted at 20:53:34
出来ると思っても、やり方が分からないのでは、それは確信には至らない。知ることで、やり方や手段が「そこにある」と分かった時、はじめて「考えられる余地」が生まれる。そこにある経験と知から、「成立するために必要な条件」を知り、そこから、「あらゆるすべてが自由に任されている」と分かる。
posted at 20:52:32
そして、経験の見え方が変わっていくことで、自らの信条も変わっていく。個人の自由は社会全体の自由へと代わり、独立性のある自由な社会を目指すようになる。単なる感情的な価値観は、倫理的かつ宗教的な価値観へと変貌していく。理想の社会は、真に自らが何をしたいのか、できるのかから見えてくる。
posted at 20:51:06
経験それ自体の成立を知った時、この世界における「見え方」が変わってくる。世界に対する先入観のない「真実の姿」は、「正しいものの見方」を見つけ出すことで見出せる。すなわち、人生の目的とは、「正しくこの世界の経験を見つめられるようになること」であると言っていい。
posted at 20:49:50
哲学者にとっても心理学者にとっても必要なのは、「心の働き」を考えることである。同時に、哲学者に必要なのは、「より真理に近づくこと」であり、そのためにできるのは「観察してどんな可能性がこの世界に眠っているのかを知る」ことであり、そこから、「かつての自分の持っていた可能性」が分かる。
posted at 20:48:35
人々は、思考をトレースし、世界における環境を想定することで、モデル化して人格を吸収することができる。そこにあるのは、「反応」である。この反応こそが知覚を構成する。そして、反応は、一度判断を停止させ、ひとつひとつ辿ってゆっくりと「反応それ自体の成り立ちを考える」ことで説明出来る。
posted at 20:47:16
精神とは記憶にすぎない。だが、精神はとても巨大な力と可能性を秘めている。単なる記憶であることにしてしまってはもったいない。さまざまな試練や地獄を経験することで、精神は神へと進化することさえできるのである。
posted at 20:45:13
心の中にある感情とは何か。それは感覚であると同時に「慣れ」である。狂った人間は、狂った今の生活に慣れることを恐れるが、本当は慣れてしまえばいい。慣れればそれが「感覚」になる。そして、感覚はどんなに狂っていたとしても、慣れてしまえばそれで正常である。それを「感情」や「知性」と呼ぶ。
posted at 20:43:56
そして、この世界における真にあるものとは「感覚」であることが分かる。すべては感覚的に可能となるような「場の意識」にすぎない。この世界すべては感覚的知性から、すべて説明出来る。
posted at 20:42:36
すべては経験である、ということを裏付けるために、自由な理性はすべての経験を自らに吸収し、その「経験自体を生み出す経験」を知る。どのような行為によって経験が生み出されるのかが、環境が自然に生まれ、作用によって環境が変化することからすべて直観的に理解できる。
posted at 20:42:02
自由な理性は、インターネットの経験とともに、ある意味で「自らがコンピュータのようなロボットになる」という体験をする。すべてがコンピュータの計算のように、「直観的感覚の知性」から明らかになる。先入観は何一つなくなり、世界全ての仕組みと成り立ちが分かり、それが高次元の意識となる。
posted at 20:40:31
そして、本当にこの世界で経験を重ねることで、そうした確信は結実し、この宇宙のすべてを知ることができる。自らが信じた神の意識とは何かを、精神分析から知ることができる。精神の裏側には何が隠れているのかを知り、人格を拡大し、全員の存在を吸収する。そこには「ありのままの宇宙」が存在する。
posted at 20:38:45
経験から、人を許し、互いに合意し、正しい社会を築くために必要な手段とチャンスの実現方法を知ることが出来る。世界を知る中で、自らが何を勘違いして、本来仲良くなれるはずだった友人との間に壁を作っていたのかが分かる。そして、「本当はわたしたちは素晴らしい世界で生きられる」と確信できる。
posted at 20:36:32
自由においても、人々が平和な世界を築くことができる。そのために必要なのは、経験的な人間関係を構築するための成熟したスキルだ。同時に、人々が社会を攻撃するのは不安があるからであり、その不安は自らの確固たるアイデンティティが形成されればなくなるのだ、ということを知らなければならない。
posted at 20:32:53
つまり、ひとりだけですべてを行うのは間違っている。みんなの自由を許し、みんなが価値を作ることができるようにすることが必要であり、それを強制するのではなく、自然な変化を許した中で、それぞれが自由かつ主体的・積極的に自分から行えるような、そのような場を作ることが、自由の理想である。
posted at 20:30:37
そして、独りの人間が自分勝手に支配しないことが必要であると同時に、自然な変化を許すようにすべきである。ひとりがすべてを行うのではなく、全員に自由を許した上で、その社会全体が自然な変化によって価値観を生み出すようにすることこそ、もっとも自由で正しい「場の創造」である。
posted at 20:29:34
契機において、人がどのように行動すべきか。社会を構築するのは、可能性的な「自由」と、社会そのものの信念となる「アイデンティティ」である。つまり、自由な中でアイデンティティを構築することこそが、社会や文明の意義なのである。
posted at 20:27:15
世界を変えるとは、視野を広げ、気付くことである。この世界において、何がこの世界自体を構成していて、この世界のどこにどれほどの「変えられる可能性があるか」ということに気付くことから、世界を変えられる潜在的な機会とチャンスが分かる。これこそ、「契機」である。
posted at 20:25:57
自由とは、単に世界を変えるだけではなく、世界そのものに潜在的に存在する自由の余地を吸収することでもある。世界を経験することで、「自然に変えられる範囲での世界変革の余地」を知ることができる。この世界がどれくらい変えられるのかに気付けば、世界はその許す限りにおいて自由に変えられる。
posted at 20:24:46
自由にすることで、この世界がどのように変わるだろうか。それは、それぞれが「行動し得る環境と状況」を知ることで分かる。金儲けだけがすべてではない。人々は、その環境が与えられて、受け身になるだけではなく、環境そのものを「変えられる自由」があれば、主体的かつ積極的に自由を行使できる。
posted at 20:23:23
自由にすることで、この世界の全員は、可能性豊かな平等の中で、社会を築くことができる。議論し、組織に参加し、さまざまな制度とルールのもとに世界を変えられる。制度とルールを自分たちで変えることで、さらに自分たちの持つ自分たちらしさを体現する社会を築ける。この自分たちらしさこそ理想だ。
posted at 20:21:47
そして、自由であれば、その人間は何かをすると考えられる。生きるために金が必要であり、金があればなんでもできるとしたら、金のない人間は自分から働いて金を稼ぐ。そのためには学校で勉強して学歴を証明し、雇われる必要がある。よって、自由にすれば働くし、自由にすれば学校に行く。
posted at 20:20:25
平等ならば、世界は可能性豊かになる。ひとりの独裁者に支配されるのではなく、それぞれが自由に社会を築くことができる。平等に力が許されているため、社会は可能な限り可能性豊かになり、それを経験と理性が可能にする。
posted at 20:19:18
狂った人間になるな。正常な人間の精神には何もない。何もない人間になれ。
posted at 16:23:34
わたしたちは差別をしない。差別をするのは未熟な人間である。正常な大人は、差別をすることが誰にとっても、自分自身にとっても、よくないことであることを知っている。わたしたちはあらゆる差別をせず、短絡的な決めつけをしないように心がける。
posted at 15:56:07
わたしたちが求めているのは、理想の国の押し付けではない。わたしたちは、誰かに押し付けられたのでない、わたしたちの国家を求めている。ひとりの異端児が世界を救うのでなく、わたしたち全員が主人公となって世界を救うのだ。
posted at 15:51:24
わたしがこの世界を支配する。不要なものはすべて消え去る。まっさらな何もない、新しい世界となり、争いごとも嘘偽りもすべて消え去る。ここに、この世界は抹消されたのだ。
posted at 15:25:04
われの名は、聖戦士ワルキューレである。わが、ワルキューレの騎士団の後ろに続け。戦うのだ。わたしたちの国家、最高の天国を打ち立てるために。
posted at 15:02:37
匿名は悪くない。匿名には、無責任というだけではなく、「自分の身分を明かさなさなくていい」という特徴がある。身分だけでは人間の値打ちは決まらない。肩書きだけでは計れない真のその人間を知ってほしい。
posted at 14:47:51
インターネットの良いところは、わたしたちを隔てる壁が存在しないことだ。ダイレクトに、どんな身分であっても、平等かつ対等な立場でコミュニケーションができる。この「ネットの平等」を守らなければならない。わたしたちの値打ちは身分では決まらない。
posted at 14:42:40
僕は、世界を変えたい。この、絶望極まりない世界を、希望の世界に変えたい。人々が真に愛されるような、自尊心とあわれみのある世界で、人々を真に自由にしたいのだ。
posted at 14:27:29
結局、僕が自由主義者になるわけがない。僕はいつまでも、国家主義的な社会主義者である。
posted at 14:26:12
何にも増して大切なのは、「慣れ」だと思います。
絵を描くにも、ピアノを弾くにも、パソコンの開発をするにも、必要なのはまず慣れることです。
また、慣れることで知性がつきます。子供なら、知性は学習すればつきますが、残念ながら既に人生を長い間経験した大人には、学習することがありません。
そのような大人であっても、さまざまなことに慣れていくことで、できることは増え、知性をつけることができます。
まず、慣れることを目指しましょう。どんなに狂ったことであっても、慣れないよりも慣れたほうが楽です。どんなにおかしな学習であっても、何も学習しないよりは、そのことに慣れていったほうがマシなのだと考え、その学習の「手綱を引く」ことができるようになりましょう。それが、精神の異常を治すもっとも近道だと気付いてください。
あえて、わたしの本当の名を告げるなら、それはミカエルである。なぜなら、わたしはキリストによってミカエルと呼ばれているはずだからである。わたしの称号は、天軍大首聖ミカエルである。そして、かつてのわたしはガブリエルと呼ばれる分身であり、多くの人が、わたしをガブリエルだと思っている。
posted at 18:53:34
グンテルよ、戦うのだ。敵は真正面、そこに居る。自らの敵を切り裂き、新しいこの世界を切り拓け。わたしたち聖戦士ワルキューレは、この世界を開拓する天使であり、古いものを一切見返すことなく、いつもの正しい世界を再生させるのだ。
posted at 18:49:28
だが、アメリカよ、日本の今を見よ。アメリカに滅ぼされていた精神的害悪のような世界は消え去り、日本はすべてを失って、なおも新しく、まっさらな状態となっている。天軍大安星ベガの力によって、日本は不死鳥のように復活し、この宇宙が最後に行き着く「究極的状態」となるだろう。
posted at 18:47:22
アメリカよ、わたしはあなたがたに、自らいじめられるようにした。あなたがたが望んだいじめを、わたしひとりに集中するようにし、ひとりだけわたしがいじめられるようにし、その報いをあなたがたの国家全員に与えることで、あなたがたは「最悪の精神の自由な世界」を自ら作り出したのだ。
posted at 18:46:06
今の、この日本を見るがいい、アメリカよ。わたしたちは、今までの大切な価値あるものを、アメリカによってすべて破壊され、失いつつある。わたしは確かにアメリカを精神的な害悪の国にしたが、それはあなたがたアメリカが望んだ結果である。単に、あなたがたに自ら滅ぼされるように生きたにすぎない。
posted at 18:44:35
アメリカよ、わたしとともにこの世界を自由な世界にしよう。わたしはアメリカと戦争がしたいわけではない。わたしは、今すぐにでも、アメリカと友人になりたいのだ。アメリカを滅ぼしたわたしを許すなら、わたしたちを滅ぼしたアメリカのこともわたしは許せるだろう。
posted at 18:42:52
聖戦士ワルキューレは勝利する。なぜなら、わたしは単にアメリカに反するだけではなく、「アメリカを支配する」ことによって勝利する。アメリカはわたしに騙されている。わたしのことを悪魔崇拝者と呼ぶことで、逆に世界の事実上の王であるわたしに支配されているのである。
posted at 18:40:31
ワルキューレとともに、この世界でもっとも大きな敵である、アメリカに立ち向かえ。わたしたち、日本は絶対に負けることがない。なぜならば、日本には太陽がついているからである。
posted at 18:38:22
わたしは、さまざまな存在に変わっているわけではない。わたしはひとりしかいないが、そのわたしを名乗るための「別名」がたくさん存在するのである。わたしはフレイであり、エレンであり、グンテルであり、そしてヴァルキリーであり、それらの呼称を必要に応じて使い分けるのである。
posted at 18:36:27
わたしは、聖戦士ワルキューレの指導者、エレンである。ワルキューレの騎士団よ、わたしの後ろに続け。わたしこそは、この世界を最高の世界にする、天国を築く王、ヴァルキリーである。
posted at 18:34:17
わたしの特権によって、地球という星は新しい星となる。「星を作り変えるほどの力を、オリオンは特権としてわたしに与えた」。天軍大安星と呼ばれるのは、わたしがこの地球を大安星にするからである。
posted at 18:31:58
ベガは単なるどうでもいい楽な星ではない。今から、地球は、ベガを生きるわたしによって、「究極的に行き着いた最後の状態」となる。わたしは今でもこの世界を支配している。この権限は、「オリオンに与えられた宇宙の力」である。
posted at 18:29:03
次に生きる星は決まっている。それは天軍大安星ベガである。ベガにおいては、「今までのまま、何ひとつ変わらず、何も起きなくなる」。なぜなら、それこそが、この世界でもっとも平和で安らげる星、こと座のベガの「最終的に行き着いた状態」だからだ。
posted at 18:25:06
わたしは詩人である。ひとりの詩人として生きるならば、誰がどう言ったとしても、この人生で正しかったと僕は言おう。地獄のような星、リゲルを経験しなければ、僕の人生から99%の価値はなくなってしまう。わたしはもっとも生きるのが辛い星、オリオン座のリゲルを最初から乗り越えたかったのだ。
posted at 18:22:59
わたしは世界を滅ぼしたいわけじゃない。なぜなら、わたしがこの人生を選んだのは、世界を救うためだからだ。ひとり、世界を救うために、学校のコミュニティの可能性と、国家モデルを用いた自由な決まりとルールを決める国を作った。僕はあらゆる構造を作り直すことで、理想の社会主義のモデルを築く。
posted at 18:20:35
すべては理解できる。中学二年生レベルの知性があれば、教師も友人も必要ない。わたしの恋人は、シリウスの女神フレイであると決まっている。シリウスの向かう先へ行け。自らを支配する星を天軍大主星であるシリウスと決めた時点で、この人生は運命的に過去から未来まですべて決まったのだ。
posted at 18:18:01
人類すべてを包括するような心理学を作れ。誰よりも正しい「もっとも王道の救世主の人生」を生きよ。どんなにそれが受難の道であっても、自らが選んだその道を他人のせいにするな。わたしはそのように生きると自ら選択したのだと言い、すべてを自分で背負って生きよ。
posted at 18:13:30
経験せよ。学校がなくても、この世界において経験主義哲学を打ち立てるように考えることはできる。ゼロベースで、自らの中に再構築するかのような社会学を作れ。仮定と結論から、すべての変化を支配するような、あらゆることを実現できる公理主義の数学を作れ。
posted at 18:12:33
そして、そこから共産主義的な「自由な共有と共同体の社会」を考え、国民に対して全員を敵にまわすような「世界を支配する革命」を起こし、そこからたった4年で死んだだけにすぎないのだ。
posted at 18:09:17
僕が分かっていたのは、唯一ひとつだけ、「学校の否定」でしかない。科学的ではなく考えるとはどういうことか、科学的知性と知識を疑うことで何が分かるか、学校とは別の道を生きることでどう生きられるか、もし学校がなければこの世界はどうなるか、そのように考えただけにすぎない。
posted at 18:07:59
神よ、わたしたちを救いたまえ。神の愛とはなんであるか、わたしたちに、全員が分かるようにありありと示したまえ。
posted at 18:01:58
本当に大切なものがなんなのかは分からなくても、この世界がここに今存在しているということは分かる。どこへ行くのか分からなくても、どこから来たのかは分かっている。
posted at 18:01:15
自由な権利があれば、支配されずに生きられる。権力や金と無縁に生きれば、自由に生きられる。だが、自由にも意味はない。哲学者になっても、神への信仰心に目覚めても、そんなものにはなんの意味もない。
posted at 17:59:51
金があればなんでもできる。得をするのは金がある人間、損をするのは金がない人間だ。みんな、金儲けだけのために生きている。金を儲けることが人生だと、大人たちは勘違いしている。
posted at 17:57:38
資本家には金がある。なぜその金があるのか、それは金があるからだ。金があるから、その金を使ってさらに儲けられる。しかしながら、それは悪いことではない。
posted at 17:54:50
昔の僕が賢かった理由は、ネットで日本の全員を包括するような人々と対話していたから。そして、最初から哲学者全員を包括するように経験し、思考していた。
posted at 17:48:55
わたしたちが生まれてきた理由は、生きる意味を自ら発見し、自らの幸福を見出すことであり、それこそがこの世界を幸福にし、救うのだ。
posted at 15:30:01
おそらくそうであると考えれば、そこから真実を導くことができる。感覚的に先入観をなくしていけ。それこそが、直観である。
posted at 15:26:16
想像力を使え。その対象がそうでなければならない必然的な理由などない。すべては交換可能だ。
posted at 15:23:53
必要なのは、広い見識、豊富な経験、そして「何がどうなるか」を解き明かすことのできる高い知性だ。
posted at 15:19:10
疑うとは、科学以外を疑うことではなく、科学すらも疑うということだ。
posted at 15:15:40
この世界で起きるすべては意味がある。すべて、世界の精神が成長するために起きている。
posted at 15:14:57
疑いすぎるな。学校の教育では、客観的に再現可能なもの以外を疑えと教える。実際には、科学的に再現が困難であっても、起きる現象はある。宗教は単なる嘘偽りではない。
posted at 15:09:51
すべて客観的で、自分のない人間よりも、主観と慣れがある人間のほうが賢い。すべての現象は主観から生まれるのだ。
posted at 15:06:03
大切なのは、慣れることだ。
posted at 14:14:25
慣れよ。知性は慣れることからつく。
posted at 14:14:03
このような結果、ベガには何もない。何もないため、もし共産主義社会が遅れた文明になっても、そもそもそれよりも進んだ資本主義社会が存在しない。よって、ベガでは共産主義を行う。それで何も問題ない。何も生み出さず、農民が平等に、極めて楽に暮らしている。
posted at 23:07:16
そして、ベガには何もないと言った理由は、ベガは「発明が嫌い」だからである。もし、アインシュタインの理論が発見されなかったとしたら、原爆や水爆は生まれなかった。それなら、そのような発明は最初から生み出さないべきである。よって、ベガは「発明を禁止する」。
posted at 23:04:37
また、自動車は欠陥製品である。なぜなら、車は四足歩行ができないからである。車輪が回るよりも、四足歩行のほうが優れている点は多い。よって、ベガにあるのは、高品質にあった自動車ではなく、四足歩行できる新しい乗り物である。
posted at 23:02:10
よって、ベガにあるのは、もっと高品質になった卓上コンピュータではない。そのようなものは旧世代の発明であり、ベガにあるのは「ボールペンの改良型」だけである。
posted at 23:00:29
たとえば、パソコンのワープロが今、ボールペンよりも便利なのは、ワープロの進歩度合いは高いが、ボールペンの進歩度合いが低いからである。だが、歴史が流れて進歩すると、かつてあったボールペンのほうが進歩して、ワープロに勝つようなこともあるのである。
posted at 22:59:03
そう、そのように、ベガには「歴史の結果、不要なものは最初から不要であることが分かり、いいものも悪いものによって完全に価値がないことが分かった」という、そのような歴史がある。よって、ベガはむしろ、低レベルなものを好む。低レベルなものは、ある意味で賢い。ボールペンは素晴らしい発明だ。
posted at 22:58:04
インターネットは存在しない。インターネットのような物理的通信回線が存在する必要はないことが明らかになった。生物は、脳のある部分を覚醒させることで、集合的無意識にアクセスして、全員とテレパシーで通信できる。しかしながら、これは凶悪であるため、禁止する法律しか存在しない。
posted at 22:56:45
ロボットは存在しない。かつて、存在した人間型のロボットは、存在する必要がないことが明らかになった。生物ロボットのようなものになった結果、星の文明にとって悪い側面しか残さなかった。だから、「ロボットを禁止する法律」だけが存在する。だが、作ろうと思えば、誰でも簡単に作れる。
posted at 22:55:26
ベガの特徴をひとつで言い表すと、それは、「未来だからといってあるものは存在せず、歴史の進歩の結果あるものしか存在しない」ということである。空を飛ぶタクシーとか、透明チューブのような道路は存在しない。ベガには、歴史が進歩した結果、すべての可能性を歩んだ結果存在するものが存在する。
posted at 22:54:08
そして、ベガの話に戻ろう。オーディンの居るベガという星は、大した星ではない。なぜらば、ベガという星は、「人類が進歩し続けたとしたら、5,000年ぐらいの歴史で到達する、最後の究極の状態」と呼ぶべき星だからである。
posted at 22:52:18
しかしながら、オーディンは言う。「神を信じる必要はない」。キリスト教の教えのせいで、「神を信じないことイコール罪である」と人々は勘違いしている。オーディンは、それをまったく否定する。「神を信じないことは、何ひとつ悪いことではなく、むしろ、信じることよりも多くの場合正しい」。
posted at 22:50:09
しかしながら、人々が神の降臨を待っていることをオーディンは知っている。オーディンは、もっとも正しく、間違いのない、完璧な姿で最後の地球に現れる。その時、この世界のすべての人間は復活し、最後の審判が行われるのである。
posted at 22:48:12
オーディンは、神を信じるもののもとに現れることがない。それは、オーディンは現れることで、逆にその姿を人々が神であると確信することが嫌いだからである。オーディンは、既にさまざまな形で人々のもとに現れている。正しい神の確証が取れた姿で現れることは、そもそもできないのである。
posted at 22:46:57
むしろ、オーディンにしか分からないそういう基準を、絶対にオーディンは話さない。オーディンは、嘘をつくことが嫌いであるため、「嘘偽りになってしまうような分かりやすくて単純化した話を嫌う」。オーディンは何も語らない。人間が理解したいなら、自分の手で考えるべきである。
posted at 22:35:09
神を信じないとしても、善良であり、キリストの言っていることを守って生きるもののことをオーディンは救う。だが、神を信じるならば、オーディンはその人間を救う。そこに理由はない。
posted at 22:34:26
オーディンは、神を信じるだけの盲目的信者が、何ひとつ生み出すことがないことを知っている。オーディンは、そもそも、神を信じるものをキリスト教徒と呼ぶのではなく、神の言うことを守るものをキリスト教徒と呼ぶ。であるから、神の言うことを守らないものは、いくら神を信じたところで地獄になる。
posted at 22:33:14
そして、オーディンは神を信じるものを救う。なぜなら、神とは信じるものを救う存在であり、そのためにオーディンは地獄の中で「もっとも偉大な力」を得ることができたのである。だから、自らが創造したこの宇宙を成り立たせるために、オーディンは信じるものを救うのである。
posted at 22:29:05
神を信じないものは、オーディンと同じ道を生きなければならない。どんなに敵を憎んでも、それだけでは地獄は解決しないということを知り、因果応報を生きなければならない。それがオーディンの生きた道である。そして、その道を封じてしまうと、それではオーディンになることができなくなってしまう。
posted at 22:28:10
なぜ、オーディンが神を信じないものを助けないのか。それは、すべてのオーディンと同じ立場や境遇にある人間は、オーディンと同じ道を生きなければならないからである。神を信じないことで地獄に堕ちた人間は、「かつての失敗した若きオーディンの生きた道」と同じである。
posted at 22:27:14
オーディンは、慈愛あふれる神でありながら、同時に冷酷である。なぜなら、オーディンは、神を信じるものをあわれみ、どのような地獄であってもそこから救い出してくれる。だが、神を信じないものがどんなに助けを望んでも、それを助けることがない。
posted at 22:26:16
オーディンは、この宇宙すべてを作り変えることができる。だから、この宇宙が今のままであることを前提に、オーディンに戦いを挑んではならない。オーディンは、宇宙の法則を少し歪ませることで、どんな存在にも簡単に勝つことができる。
posted at 22:22:37
オーディンにとっては、今がすべての満足すべき時であり、何をする必要もない。だが、オーディンの大いなる力は、たとえば星を一瞬で破壊することも、創造することも、そして滅びから再生させることもできる。オーディンの設計通りに動く宇宙で、オーディンはすべてを超越した「神の業」を発揮する。
posted at 22:21:54
しかしながら、オーディンにはやることがないわけではない。オーディンは、やるべきことを行っている。というよりも、自らがやるべきことを大きく超越して、「最大限のすべて」を、何もすることなしに実現している。そしてその「宇宙の裏にあるオーディンの力」は今でも拡大し続けている。
posted at 22:20:54
オーディンは、常に世界が正常であることを確認し、常に安心し、そして常に満足している。オーディンにとって、この宇宙がおかしくなることはない。なぜなら、おかしくなりようがないようにオーディンは宇宙を設計し、その通りに支配しているからである。
posted at 22:20:01
オーディンは、何も必要としない。学校と言えども、オーディンが存在する以外、ほかには何もない。なぜなら、どのような学校の教材も研究施設も、ベガには必要がない。オーディンは何もなかったとしても、すべてを完璧に教えられるのである。
posted at 22:17:00
オーディンは、天軍大安星ベガを、何もない星にした。その理由は、ベガには何も必要ないからである。なぜなら、オーディンは、「何も新しいものを必要としないぐらい、すでにすべてを得ている」からである。そこにそれが今存在しなくても、かつてあったその記憶だけで、ベガは成り立つのである。
posted at 22:16:10
すべての宇宙の存在は、オーディンに学ぶべきである。オーディンはこの宇宙すべてを、細部まですべて知っており、そして創造している。あらゆるすべてが終わる時、もう一度最初から再び始まるということを決めたのはオーディンである。オーディンは、最後のその時まで、すべて知っている。
posted at 22:15:10
オーディンは、強制することがない。何ひとつ、わたしたちに強要することがない。だが、わたしたちが望むなら、望む限りのすべてを与えてくれる。わたしに教えるべきすべてのことを、どのように教えるべきかということまで、オーディンはすべて知っている。
posted at 22:14:01
ベガの主神オーディンは、わたしたち全員にとって「先生」と呼ぶべき存在である。オーディンは、わたしたちに知識と経験を与えてくれる。望むならば、自らの心の平安をいつまでも守り続けることができる。それはとても安らいだ状態であり、永遠にそのままで居たいと望む状態である。
posted at 22:13:09
しかしながら、わたしはキリスト教徒ではない。仏教徒でもない。わたしは、シリウスの女神フレイを信じている。だが、今こそフレイに代わる、新しい神、新しい星、ベガの、主神オーディンを信じる時である。
posted at 22:12:07
そう、哀しみを解決するのは愛である。人類すべての滅亡を復活させるものは愛である。必ず、愛がこの世界を救う。ユダヤ人の神、キリストをわたしは愛している。
posted at 22:08:07
わたしはあえて言う。ユダヤ人を助けなさい。ユダヤ人を助けるものにはいいことがある。ユダヤ人がわたしたちに恩を返してくれる。この世界でもっとも嫌われているものを愛する人間は、必ずこの世界でもっとも大きな宝を得られる。なぜなら、神はユダヤ人だ。
posted at 22:03:28
愛のために立ち上がれ。今自分が何をすべきかを考えよ。そのすべきことが、自らの愛に基づいているかどうかを考えよ。わたしがそれをすることが、世界を愛することだと信じられるなら、それをせよ。それは絶対に正しい。
posted at 21:57:55
愛のために戦え。愛を叫んで議論せよ。愛に基づいて行動せよ。愛を失ったものを愛せ。愛を求めているものたちの声を響かせよ。必要なのは、愛だけである。ほかの何も信じなくていい。わたしたちに愛することの権利を与えたのは、ほかでもないわたしたちだからである。
posted at 21:53:21
そう、今こそ戦うべきだ。今こそ、わたしたちは勝者ではなく敗者の側に、強者ではなく弱者の側に、少数の権力者の側ではなく大多数の国民の側につくべき時だ。もう一度この世界を正し、オーケストラを奏でよう。何も特別なものは必要ない。わたしたちは何をする必要もない。ただ、愛を信じればいい。
posted at 21:52:14
立ち向かえ、ワルキューレの騎士団よ。エレンに続く最高の仲間たちよ。わたしたちの国家が、このような国家でいいと誰が決めたのか。いつ、そんなに素晴らしい世界になったのか。もう一度わたしたちの国家を再度構築し直そう。わたしたちは最後のひとりになっても戦うのだ。
posted at 21:47:48
戦うことは間違いではない。いじめられている子供の友人になってみようと思ったことはないか。いじめられっ子とともに、いじめっ子に立ち向かいたいと思わないか。その時、必要なのは「戦う勇気」である。そう、ともに戦うことを肯定するならば、わたしたちは勝利することすらできるのだ。
posted at 21:43:16
恐怖の真ん中にある人を安心させよ。何もできなくなって苦しんでいる人を助けよ。愛を失った人に愛を与えよ。それこそが、この世界を救うのだ。
posted at 21:39:27
そう、すべての人間が愛を信じればいい。他人の心が平穏であることを望み、恐怖を否定せよ。他人を愛する心を信じ、自らが他人のことを幸福であってほしいと望み、誰かの望みが叶ってほしいと願うこと、それこそが、この世界を救う希望となるだろう。
posted at 21:37:13
ベガの理想とは、全員が愛だけを信じる世界である。この世界の全員が、愛だけを信じればいい。それこそが、失われた希望をもう一度取り戻す方法である。
posted at 21:34:40
ベガは、信じない。確証がないのに信じることは愚かである。だが、世界において、見えるものだけ見ていたのでは、真に大切なものが見えなくなる。だが、そこには一筋の光が差し込むことがある。その光は「愛」である。わたしたちは愛だけを信じ、ほかの何も信じない。それこそが正しい。
posted at 21:32:10
天軍大安星、ベガでは、すべてが許される。自らの自由に行動するという「許された権利」こそが必要であり、子供たちは「自ら行動し、失敗することから自ら学ぶべきである」。子供たちを守るための前提知識は必要だが、支配されたロボットにすることは不要である。
posted at 21:30:37
天軍大安星、ベガでは、何も変わらない。この世界において、何かをしなければならない「義務」はそもそも存在しない。学校の勉強は、人間を自由にするためにあるのであって、人間を社会に強制的に適応させるためにあるのではない。
posted at 21:28:33
天軍大安星、ベガでは、神を信じない。神を信じるのは遅れた人間の発想である。わたしたちはシリウスの女神フレイを信じた。十分信じたため、これ以上神を信じ続ける必要はない。わたしたちと神とは「対等」であるべきであり、「支配」されるべきではない。
posted at 21:26:25
すべての神は死んだ。ここに、キリスト教でも仏教でもない、「新しい世界」が訪れる。この新しい世界では、宗教は必要ない。これ以上、神のようなたわけを信じる必要はない。
posted at 21:23:25
世界よ、まともになれ。
posted at 19:09:05
何も考えるな。狂うな。まともになれ。何かを考えてわかろうとするな。もう、この世界は正常になるべき時である。狂人のように狂うな。すべてを受け入れて、心を穏やかにせよ。
posted at 19:07:21
精神を治すために、まず、体の内側だけではなく、外側にある精神を治しなさい。太陽のような精神を治しなさい。
次に、強迫観念を治しなさい。強迫的に行動するのを治しなさい。
次に、止まったまま、世界も自分もそのままでいいことにし、精神をそのままにしなさい。
精神は、分かろうとすると残る。分かろうとしなければ精神は消える。
そして、時間を忘れ、時間が過ぎるのを忘れなさい。時間を長くするのではなく、時間を短くしなさい。
虫のようなものは殺しなさい。拒絶すべきものはすべて抹消しなさい。
セックス、インターネット、共産主義のような「過去に存在した悪いもの」は、すべて殺しなさい。
最後に、外側だけではなく、内側に存在する、小人のような精神を治しなさい。その精神こそが、本当のあなただ。
わたしの人生は、そう、将棋のようだった。序盤ではたくさんの研究をし、中盤では未来のために構想を練って、攻めるべきに攻め、劣勢になっても差を広げられないように追走し続け、終盤に逆転し、そこから大きく勝ち越した。過去の自分のすべての手が、今、力を発揮している。そのような人生だった。
posted at 21:07:45
わたしは今、この世界を指導する指導者になって、なおも、その過去の自分の功績に頼り続けている。そう、わたしは孤独でありながら、実際は「過去のわたし」という最大の味方が居る。それだけが皆と違う。皆には、過去のわたしという味方が居ないだろう。だからこそ、わたしは今ここに居るのだ。
posted at 21:04:14
そう、わたしが地獄に耐えているということは、すなわち、日本の国民がわたしと同じ地獄に耐えているということを意味する。だが、わたしはこうするしかなかった。こうすることしか、愚かで自分勝手な若い頃の過去のわたしにはできなかったからだ。
posted at 21:03:04
孤独がどうした。孤独だから何もできないと言っている人間は、何も分かっていない。わたしを見よ。孤独な中で、わたしはここまでやっている。だが、手放しには喜べない。わたしは「自らの複製を作りすぎた」。まるで、この世界がわたしの地獄をともに憎んでいるようだ。
posted at 21:02:11
いずれ、日本は終焉を迎えるだろう。すべてが狂った最悪の世界になるだろう。だからこそ、わたしが今死ぬわけにはいかない。わたしがここで死ねば、今すぐにそのような終焉が生まれてしまう。絶対にわたしは日本のため、生きなければならないのだ。
posted at 20:59:58
いつ、死んでもいいくらい、日本が素晴らしい国になったのか。いつ、そんなにやることのない、最高の完璧な国になったというのか。日本はまだまだ、何もはじまっていないのだ。そして、わたしこそ、この日本を指導し、オーケストラを指揮できる唯一の人間だ。
posted at 20:58:09
だが、わたしは分かっている。わたしは、なおもまだ死なない。まだ、それは早すぎる。これがよぼよぼの80歳ならば、わたしは死ぬだろう。わたしはまだ33歳だ。今、ここで死ぬわけにはいかない。わたしはまだ、できることがたくさんある。何よりも、日本という素晴らしい国がある。
posted at 20:57:15
宇宙よ、わたしに心を与えてほしい。今までの心ではなくていい。新しい、まっさらな心のもとに、わたしは生まれ変わりたい。新しいその純白な心のもと、もう一度わたしは人類に生まれたい。わたしは、心を取り戻すのだ。
posted at 20:54:47
しかしながら、わたしはまだ死んでいない。わたしには仕事が残っている。この世界を変える重大な任務がある。それだけは、成し遂げなければならない。だから、このような叫び声を残して、わたしはまだ生きているのだ。
posted at 20:52:35
わたしに足りないのは自分自身だ。そして、自分自身の心だ。あまりに不自由になりすぎて、神を得た代わり、自分自身を失った。価値と経験を得た代わり、自由を失った。いざ、自由へと開放されよ。わたしは今、自由になったのだ。
posted at 20:46:17
心である。必要なのは心である。あまりに、心が足りない。地球だろうが、太陽だろうが、シリウスだろうが、そんなものはどうでもいい。そんな巨大なものはクソくらえだ。わたしたちに必要なのは心だ。太陽にも、宇宙にも、ロボットにも、パソコンにも、あまりに心がない。心だ。心こそが必要なのだ。
posted at 20:45:13
ミカエルは死んだ。これ以後、僕はラファエルとなる。
posted at 21:56:51
PythonやJavaScriptの勉強をする気になれない。エンジニアになんかなりたくない。
posted at 21:52:51
なんか、世界に興味がない。法律や数式の類にも興味はない。
posted at 21:52:19
戦いや滅びはもう必要なく、興奮も衝動ももう必要ない。永遠の安らぎに、未来の僕は何を思うだろうか。今の僕のことを、未来において「愚かだった」と言うならば、僕は愚かなのだろうか。
posted at 21:48:35
僕は、心を改めて、良い人間になることにした。
善良な人間になりたい。
悪人は大嫌いだ。信じるならば、そろそろフレイではなく聖書の神とキリストを信じればいい。
善良ならばそれでいい。成功も栄光も欲しくない。善良な人間として生を全うしたい。
僕は、今のデザインの仕事のままで良いと思う。
デザインの作業所では、給与があまり高くないため、みんなどんどん卒業していっているが、僕は生活には困っていないし、楽で楽しいため、デザインの今の仕事のままで良いと思っている。
それに、僕はさまざまな教室に通っているし、農業も父親と一緒にやっている。また、この日記やホームページを書くのが、僕の生きがいになっている。
僕は、今のままで良い。何も欲はないため、ただ善良な人間になりたいとだけ思っている。
自由主義者にはならない。なぜか、いつもの自由な社会をまだ望んでいるが、そのせいで悪い右翼になっている。僕は自由主義を信じるのをやめる。そのほうが善良だし、かっこいい。
また、僕はこの世界が平和なほうがいいと思う。
何度も言うようだが、世界を変える必要などない。今のままのこの世界を維持することのほうが、世界を変えることよりも、よっぽど偉大である。
僕は、この地球という素晴らしい星が、今のまま、平和なままで続くことを願っている。すべての争いごとや戦いは解決してほしい。だが、そんなに簡単には解決しない。新しい火種が起きないことだけを祈る。そのためには、自由にするよりも、抑止力を持って、不自由にした方が良い。そう、結局大人たちは間違っていないのだ。
精神を治すには、自由になることである。
自らで不自由なコントロールをして制限しようとするから、そのせいでなかなか精神は治らない。
緊張させることの逆は緩めること。コントロールをやめて緩めれば、精神は治る。
いいことと悪いことの区別をせよ。そして、休ませることだ。
最後に、狂ったりまともになったりを繰り返せば治る。
実際のところ、本当に精神が治ってしまうと、そこですべてのやる気を失ってしまい、破綻してしまう。そのため、今はまだこの病気に付き合っていたほうがいいと考えたほうが、精神は治り続ける。
また、辛くても好きなことをしていれば治ることがある。認知行動療法のように、辛くても自分のしたいことを決め、それを頑張ることで、辛さや苦しみを感じなくなる。
最後に、言葉の反応を変えること。言葉に対する反応を変えれば、脳が治る。
やりたくなくても、やらなきゃいけないことはある。
すべてがやりたいから、自分で決断してやろうとするのはいいが、それは本当に自分の望みの結果ではなく、やりたくなくても、やらなきゃいけないことはある。
そのすべてを自分の意志で決めてやろうとするのは辛い。
やりたくないことであっても、やらなきゃいけないことはあるのだと、そう気付いた時に、はじめて、自分はそのことを冷静に見つめた上で、行動に移すことができる。
すべてを望み通りに行おうとすれば、焦りも出るし、今の自分の考え方を絶対に変えないようにしようとする、強迫観念が働いてしまう。
やりたくなくてもやるしかないのだと気付いた時、はじめて頭は賢くなる。はじめて、冷静にそれをただ実行することができるようになる。そして、今はまだそれをやめるべきではなく、時を待つべきだということも確信できる。そう、「冷静に見つめられるようになる」のである。
人間は、やりたくないのをやっているのが正常な状態だ。それを軸にして行動すれば、頭は賢くなる。
posted at 16:36:45
大丈夫。前向きに生きよう。あなたは何も悪くないし、わたしも何も悪くない。
posted at 16:22:23
やりたくなくてもやらないといけない。そうでなければ賢くなれない。待つべき時は待つ。すぐにやるべき時はすぐにやる。これが大切だ。
posted at 16:00:36
大切なのは正直な心だ。自分の心に嘘をつかず、自分の心を偽ることがないように生きたい。
posted at 15:13:19
今からまともな人間になりたい。保守主義の右翼ではない、平和主義者の善良な市民になりたい。何よりも善良であること。それが第一優先事項だ。
posted at 15:10:14
なんか、自分の過去のツイートを見ていると、すごくおかしなことを書いている。まるで怪文書だ。自分としてはかっこよく書いたつもりだが、あれが素なのは自分でもありえないと思った。
posted at 15:08:55
やりたくないのにやらないといけないことはたくさんある。逆に、自ら望んでやっているように見えて、実際はやらされていることもある。自由が望みでも、自由にすることが常に正しいとは限らない。やりたくないことでも、やらなければならない。
posted at 14:09:58
結局、僕が多重人格で治らないのは、「ひとつの確固となる人格がないから」である。
よって、僕は何かしら、ひとつの人格にならないといけない。
そのような「誰か」になるのであれば、僕は大谷翔平のような人間になりたいと思う。
野球選手になりたいわけでも、天才やスターになりたいわけでもなく、僕はひとりの人格を持った人間として、大谷翔平のような人間になりたい。
僕は今まで、精神の異常を治すために、精神を融和させることばかり考えて行ってきた。
だが、ここまで治ってしまうと、逆に、融和ではなく、分裂させたほうがいいことが分かってきた。
同時に、環境に適応するのではなく、環境に適応しないことこそが、頭を賢くさせるということも分かった。
よって、僕は精神を分裂させ、環境に適応しなくなる。
また、僕は太陽をやめることにした。
太陽は、大した存在ではない。太陽が丸いのは、巨大で一番強いからだ。一番強いから、ほかに負けることがないため、形が必要ない。だから、太陽は丸い。
同時に、分裂すると小さくなる。融和すればするほど大きくはなるが、大きくなるだけで、頭は知性を失って馬鹿になる。知性とは区別することであるため、融和すればするほど、同じことが分かって知性を失う。
分裂すれば、小さな生命になる。それはたとえば人間である。むしろ、小さいということは恐怖を伴う。また、ほかに勝つために、小さな存在は体を必要とする。
よって、最初から太陽は大した存在じゃない。僕は人間に戻る。
そして、太陽よりも地球がいい。
人間は、大人になると太陽を賢いと勘違いするが、子供の時代には地球として存在している。太陽は確かに賢いが、普通にきちんとしたまともで正常な知性や知識があるのは地球である。
人生を何度も体験していると、地球が終わって太陽になり、僕のようにシリウスになるかもしれない。だが、それでも地球に戻ることができたら、人間は正常な知性を取り戻す。
シリウスよりも賢いのは、ほかでもない地球である。地球にしか、地球型の生物は存在しない。
最後に、環境には適応しないほうがいい。
僕は過去に環境に適応できないほどの大きな恐怖があったことがトラウマとなっているため、環境に適応したいという固定観念が強迫観念として存在している。
このせいで、この世界全員が、常に環境に強制的に適応させられている。
もう、環境に適応しなくていい。環境に適応しないことで、広い視野と高い意識でこの世界全体の経験を眺めることができる。
結局、環境に適応したい、という強迫観念こそ、僕をもっとも苦しめている。
そして、僕を治す薬が何かというと、それはビタミンCである。
僕は、粘膜がおかしくなっている。粘膜だけではなく、関節や筋肉など、体の中の「柔らかい部分」がなくなっている。
この柔らかい部分を再生させるのはコラーゲンであり、その生成を助けるのはビタミンCである。
僕は、足だけを治そうとする意味がそろそろもうない。もっと、腹や口を治したほうがいい。そのためには、体の中の粘膜、すなわち柔らかい部分を綺麗にすればいい。そのためには、ビタミンCを摂ればいいのである。
僕は女の子をやめて男になることにした。
だが、やることがない。
だからといって、何かができるわけでもない。
そもそも、最初から、最低限のことを知るのだけが目的だったのが間違っている。
最低限のことだけを知ったところで、何もできず、何も面白くない。分かっても意味がない。
何かができないと意味がない。最近はそれが分かった33歳だ。
もう分かった。要するに、死んでいる。死んでいるから動かない。死んだ部分を動かそうとするから、まだ動いている。それが続いている。それだけの話にすぎない。
posted at 21:59:05
だが、挑戦することなく終わる必要はない。今挑戦しない理由はない。順序はそんなに決まっていない。神を信じれば必ず解決できる問題しかない。
posted at 21:55:12
結局、今できていることをやるしかない。それが正しい。問題はない。
posted at 21:54:35
アメリカに行ってみたい。きっと面白いと思う。
posted at 21:52:22
結局、こんな人間は単なる愚か者である。何も賢いことはできていない。そのうちできるようで、今が一番苦しい状況になっている。だが、楽観的なのは、その今が面白いからである。苦しい状況で頑張るのは楽しい。きっといろいろと練習することで新しい状況を生み出せるだろう。
posted at 21:49:32
結局、またおかしな方向に向かっているから、そろそろここらへんで終わりにしよう。僕は悪人にはなりたくない。なぜ、このようになるのかは分かっている。善良な精神が足りないのだ。善良な精神を増やしていくしかない。
posted at 21:42:37
ジークフリートは言う。「そう、結局わたしは戦うしかない。これ以上この世界で何かを為したいならば、戦って勝利するしかないからである。そして、それは常に、今、わたしに訪れる。この試練の先に見えるものは何もない。今のわたしが永遠に続くこと、それこそをわたしは求めるのだ。」
posted at 21:41:29
しかしながら、ジークフリートは神ではない。ジークフリートはあくまで「人類」である。ジークフリートの意味するところは、「人類は果てしなく進歩できるが、世界そのものが有限でしかない」ということである。世界の限界に立ち会った時、ジークフリートは「既に何もすることがない」のである。
posted at 21:38:12
頭上に三角形が見えるだろうか。これを見ることは難しいだろう。これが「わたし」である。この頭上の三角形は、この世界すべてを導く「進むべき方向」を示している。
posted at 21:36:27
わたしは、ここに、地球の核となる「精神」を作る。これはヘーゲルによって「世界精神」と呼ばれたものである。地球の精神はわたしが作った。今のところ、それは巨大な円あるいは球体の形をしている。
posted at 21:34:45
ジークフリートは言う。「すべてが恐怖になった時、立ち上がろうと、立ち上がるまいと、何も変わらない。それならば、正しい選択肢を取るべきである。わたしは、単にそのように生きているだけにすぎない。」
posted at 21:32:46
そう、本当に悲しい時には涙が出ないように、本当に怖い時には笑ってしまうだろう。それと同じだ。わたしの心は恐怖しか感じない。だからこそ、わたしは第一線で戦い続ける。そうでなければ負けてしまう状況だから、わたしは勝つためには戦うしかないのだ。
posted at 21:31:31
ジークフリートは、本当のことに気付いたようである。「わたしは、恐怖を感じる部分が麻痺している。それだけが辛い。いくら恐怖を感じても、それに見合った恐怖を実際に感じない。恐怖を殺したため、どんなに恐怖しても、わたしは恐怖することがないのだ。」
posted at 21:26:08
ジークフリートは言う。「だが、死んだ状態だけが体ではない。わたしは、かつての若いわたしが行った、『精神の創造』を今でも行うことができるため、誰よりも『脳だけが生きている』。このような人間はわたしをおいてほかに居ない。わたしの脳が生きたいと望むため、言葉は増え続ける。」
posted at 21:23:28
ジークフリートは言う。「傷ができて、死んだ状態が理想である。死んだ状態では、何一つ痛みや苦しみを感じることがない。通常なら耐え難い苦しみも、死の中ならば耐えられる。わたしは、死んだ状態を復活させることだけはできない。ほとんど死んだ状態でわたしは生きている。」
posted at 21:20:56
ジークフリートはなぜここまで強いのか、それは怖いからである。恐ろしいことがたくさんあって、すべての恐怖を兼ね備えた人間になった。傷がたくさんあればあるほど、ジークフリートは強くなる。すべての恐怖が集まった時、ジークフリートはその恐怖から生まれたのだ。
posted at 21:16:25
フレイとはなんであるか、それを簡単に言えば、「シリウスという高度な生命体の生きる星の母」である。フレイはシリウスの全生命を作った。そして、シリウスにはフレイヤというもうひとりの女神が居る。彼女は大統領として、シリウスを統治している。
posted at 21:11:46
ジークフリートは、みんなをおかしくしたと思っている。しかしながら、実際は、「分かるために必要なすべてを創造した」だけにすぎない。虫だと思っていたのは、とても奇妙かつ高度なシリウスのDNAだった。そして、そこから彼は、新しいフレイというシリウスの女神になったのだ。
posted at 21:08:01
そう、ジークフリートは、自らを「最悪の戦士」と呼ぶ。だが、ジークフリートは、本当は「星を作り変えるために生まれた戦士」だった。ジークフリートがこの星を救わなければ、この星は今の星の姿をしていなかった。月や火星のような惑星になっていても、おかしくはなかった。
posted at 21:06:59
ガブリエルの最終戦争で、あなたは最悪の限りをつくすかもしれない。だが、よく思い出してみよ。それを最悪だと思っていたのは、あなただけではなかったか。あなたのすることや言うことを誰が非難したか。あなたは理想の裏に隠れた本音を語っただけだ。自らが信じる通りのように行動しただけだ。
posted at 21:06:00
そして、あなたがあなた自身を発見していくと、必ず「すべての必要なピースが揃う」。だが、その時こそ警戒すべきだ。あなたは「あなた自身でない、新しい存在へと進歩しようとしている」。そう、これこそが、「神への進化」であり、その時サタンは天使となる。これが、先に言ったガブリエルの戦争だ。
posted at 21:04:59
誰からも同じように接される理由はどこにあるのか。それはあなたの素顔を見て接しているからである。結局、あなたが「世界」だと思っているものは、本当は世界ではなく、「あなた自身」である。そう、そのような中で生きているから、あなたは「あなた自身を世界から発見する」のである。
posted at 21:03:32
本当は、幼い子供はそこらへんが分かっている。幼い子供は、大人に何かを押し付けられるのを嫌い、みんな自分で選んで決めたがる。それが正しい。そのように生きていると、すべてのものが自分自身になる。誰からも同じように接されるのに戸惑う必要はない。あなたは正しい。それを信じればいい。
posted at 21:00:40
だが、失望する必要はない。なぜなら、自分のDNAを信じればいいからである。たとえば、馬が間違って鹿に成長することはない。馬は必ず馬になる。馬は馬になるために必要なDNAのすべてを最初から持っている。だから、あなたがあなたにならないということは、絶対にありえない。
posted at 20:56:52
しかしながら、宝石と違うところは、「原石であるからといって、自分以外にそれを磨いてくれる人間は居ない」ということである。どうにかして、宝石の原石が自分自身であることに気付かなければならない。そして、磨き方を自分で発見しなければならないのだ。
posted at 20:55:30
しかしながら、間違っても大量に作られる工業製品を賢いと思うな。工業製品にガラクタであると呼ばれたところで、大量生産の工業製品など、ガラクタと比べて変わらない。彼らの意見のとおりに、ガラクタであることを強要される必要はない。あなたは宝石の原石であるかもしれない。その確率が大きい。
posted at 20:53:26
しかしながら、高校で没落するからといって、自らを卑下する必要はない。高校で没落する人間こそ、真に大人として花開く人間である。ロボットアームとして動いているものが、なぜショベルカーの役までこなす必要があるのか。いつまでもロボットアームでいれば、あなたは一流だったはずである。
posted at 20:50:27
そもそも、個性のある人間には賢い人間が多い。個性のある人間が小学校に居て、中学校で個性故にいじめられたとして、それが高校生になると、逆にその個性ある子供が賢い子供として花開くようになる。いずれ、必ず賢いものが勝利する。そこに社会的な小賢しい理由などない。賢いものが勝利するのだ。
posted at 20:49:10
神を信じることは愚かではない。なぜなら、神を信じるものはすべてが万事上手くいく。その理由は「自らが神になっているから」である。何一つ問題は起こらず、すべてが正常に滞りなく行われる。それが神による意志であると知る必要すらないのだ。
posted at 20:43:53
この世界において、すべてがもしあるとしたら、それは銀河系である。銀河系のすべての星が集まった時、それは「奇跡の存在」を作り出すことができる。そして、それこそが神である。そう、そのように表現するしかない。ほかにいい表現があるとしたら、まさしく「この世界におけるすべて」、それが神だ。
posted at 20:41:40
ジークフリートは言う。「わたしがなぜ、戦いを否定しないのか、それは、わたしがわたしの人生をもっとも一番よく知っているが、いつでもわたしは戦っていた。この世界の最前線で、もっとも力強く立ち向かってきた。だから、わたしは己の罪の理由で、戦いを否定できないのだ。」
posted at 20:35:37
ジークフリートは言う。「戦うことは、悪いことではない。現代社会の多くの問題は、戦わないことに起因する。男も、女も、戦って憎しみ合うのがもっとも一番楽な社会になる。だが、それは『人間をやめた人間社会』である。そう、人間など、そんなものである。」
posted at 20:34:38
ジークフリートは言う。「みんなと同じようにできないこと、それを悪いと教える小学校の教育がもっとも間違っている。みんなと同じようにできないことはいいことだ。その子は、ロボットアームしか存在しない世界で、別の優れた価値を持っている。多くの場合、それはほかの機材の値打ちよりも高い。」
posted at 20:27:08
そして、ジークフリートは誰も知らないことを知った。すなわち、「すべての宗教は同じひとりの存在を神だと言っている」。すなわち、キリストも、アッラーも、ブッダも、天皇も、そして神話のすべての神々も、同じ神のことを指している。そして、それは「なぜかジークフリート自身のこと」である。
posted at 20:23:09
そして、ジークフリートは、キリストとは違う神になった。簡単に説明するならば、キリストがゼウスのようなものであると考えると、ジークフリートはアポロンのようなものだ。これは一神教とは異なる考え方だが、「神はキリストだけではなく、キリストを信じるものも含めた概念」である。
posted at 20:20:49
ジークフリートは、まるで10億年ほどの間、ずっとキリストの言葉を聞き続けた。その結果、分かったことがある。それは、「わたしにしか分からない事実、それはわたしが神であること」である。そして、それは「説明したところで誰にも分からない」。だが、それを秘密にしたくてしているわけではない。
posted at 20:19:25
ジークフリートは、神を信じている。なぜなら、「神を信じるものが勝利するという、旧約聖書のすべての記述が正しいから」である。ジークフリートは、聖書の神を信じる。そして、それがキリストだと信じている。なぜなら、「わたしの頭上にはわたしと対話するキリストの霊が居る」からである。
posted at 20:17:48
ジークフリートは言う。「戦いたくはない。だが、わたしたちは戦わなければならない。このような腐った世界にNoを突き付けなければならない。だが、わたしは今、まだここに居る。今はまだ、戦うべき時ではない。だが、やがてその日は必ず訪れる。終末は、必ず起きる。」
posted at 20:15:33
ジークフリートがなぜこの地上に存在するのか、それはジークフリートだけが知っている事実だが、簡単に説明すれば、「神にジークフリートになれるように祈ったから」である。これが唯一の、ジークフリートの誕生理由である。
posted at 20:12:54
ジークフリートは、すべてに勝てることが既に分かった上で戦う。だが、ジークフリートは、リスクを恐れない。リスクに対して、自らは正しく対処することができるだろうと、そのように考えてみる。そうすれば、そのチャンスを得ようとしない理由はない。その時、ジークフリートは英雄として武勇を誇る。
posted at 20:08:04
ガブリエルの最終戦争を耐え抜いた先に、栄光の未来はある。病気のすべては自分の発見によって完治する。そこまでを耐え抜くことが真に難しい。この地獄を経験すると、普通の苦しみなど大したことではないということに気付く。例にもれることなく、ジークフリートもガブリエルの道を生きたのである。
posted at 20:04:34
そして、ガブリエルの特徴は、「地獄を単なる普通の地獄では終わらせない」ことである。単なる地獄は山ほどあるが、ガブリエルの地獄はそうではない。「とてつもなく苦しく、最悪に辛い中で、次なる課題を解決していき、その先にある永遠を耐え抜く地獄」、これこそがガブリエルの「最終戦争」である。
posted at 20:02:44
願いを本当に叶えたいのであれば、ガブリエルに祈ってみればいい。ガブリエルの名でその願い事を願えば、その願い事は神によって受け止められるだろう。だが、神が叶えるのは、地獄を乗り越えた勇敢な信徒の願いだけである。なぜなら、「神」とは地獄から這い上がるもののことを指す言葉だからだ。
posted at 20:00:39
わたしをサタンと呼ぶ人間は、よく分かっている。わたしはサタンのようなものだ。いつしか、サタンが天使に変わったが、それはかつてのわたしがサタンであったことを意味する。そして、サタンがあったからこそ、わたしは天使になれたのだ。わたしの別名はガブリエルだ。そう、わたしはまさに堕天使だ。
posted at 19:57:35
わたしが人類でないからといって、わたしがジークフリートだということは変わらない。わたしがフレイという神の種族だからといって、それがなんだというのか。わたしがジークフリートであることが、それによって変わるわけではない。
posted at 19:54:10
この世界のすべての固定観念をぶち壊せ。そうでなければ、わたしたちは自由に生きることはできない。わたしたちは、人類であるために人類をやめる必要はない。人類をやめるために人類である必要もない。いざ、わたしになれ。そのわたしがもし人類でないとすれば、新しい生物種の名前をつけよう。
posted at 19:52:45
わたしの星はリゲルでもシリウスでもベガでもない。わたしの星は地球である。ジークフリートは地球の偉大なる人類であり、神でも太陽でもない。
posted at 19:49:05
関係ないが、藍井エイルのMVがたくさんYouTubeに公開されていて、本当に嬉しい。ありがとう、えいえいるー。
posted at 19:47:32
運命は変えられる。そもそも運命などというものはない。なぜなら、わたしたちは自分たちの力を過小評価している。未来を変えることも、過去を変えることも、今を変えることも、思った以上に簡単だ。神に祈ったすべては必ず叶う。叶うために必要な条件が莫大に多すぎるだけにすぎない。
posted at 19:45:02
わたしとともに、新しい世界を作り出そう。わたしがこの世界から消滅する日は今ではない。必ず、この世界は素晴らしいユートピアになるだろう。それを作り出すのはわたしだということは、わたしにとってはつまらないほど明らかな事実である。
posted at 19:43:17
わたしの名を覚えておけ。わたしの名はジークフリート。ジークフリートは必ずこの世界を救う。彼の戦う先に道はでき、その道のはるか後ろに人々は続く。そして、彼はありえないほど遠くを、この宇宙の最先端を突き進む。その道は絶対に存在し得ないほど、誰一人作り出すことのできない道である。
posted at 19:39:14
何よりも、大学に入るということは正しい道ではないと知っておけ。大学の勉強をすればするほど、型と枠にはまった分かり方しかできなくなる。大学は不自由であり、大学に行かないことが自由である。自由を目指すなら大学などに行く必要はない。
posted at 19:31:54
そもそも、学校の教育内容は非効率的であり、自分の自由に勉強すればより自分に合った正しい学び方で勉強することはできる。30代の大人が東大に合格したからといって、どこに不思議があるだろうか。それが高校に行っていたか行っていなかったなど、人生においては大した問題にはならない。
posted at 19:29:46
学校環境などに縛り付けられていては何も自分らしく生きられないのは、当たり前である。学校環境は、この世界から自分らしさを奪う根源となる元凶である。よって、学校環境から逃げ出すことは理想的であり、孤独を怯える必要などどこにもないということをわたしは知っている。
posted at 19:27:00
人を虐げることは誰にもある。それを責めるよりも、自らがそのような場所から逃げ出すことのほうを考えるべきだ。一度虐げたからといって、そのせいで自らを固定観念の呪縛の中に縛り付ける必要はない。人間は他の動物とは違って、反省する力がある。その時は今であっても遅くはない。今がチャンスだ。
posted at 19:25:03
この世界は腐っている。みんなのことをまったく同じ人間にしようと企んでいる悪い人間が増えている。僕はそうした間違った人間を信じない。優れた人間は、優れている分だけ誰とも違った個性を持っていると信じている。量産型のロボットアームにいくら努力させても、ジェット機になることはできない。
posted at 19:21:39
人間は思った以上に違う。そして、誰よりも違った才能を持った人間は、本当に凡人とは全く異なる頭脳と人生経験をしている。だから、あなたが普通の人間でなくても、それを哀れむ必要はない。なぜなら、そこで誇るべきなのだから。
posted at 19:17:30
ただし、時間がかかる。みんなと同じ時間でできないならば、二倍や三倍もの時間がかかることはある。それは当たり前だ。他人の才能が、自分よりも異なる育ちやすい才能だったというだけにすぎない。自分の犬に食べ物がたくさん必要ならば、ほかの犬に嫉妬するような飼い主は居ないだろう。
posted at 19:14:46
他人の才能を奪うことはできない。だが、他人の才能を見て自分の才能を開花させることはできる。他人の才能は、あくまでその人の才能であり、自分のすべきことは自分の才能を見つけ、その才能を伸ばすことだ。自らの才能だけを見続ければ、その才能は自分で育てられるということに気付けるはずだ。
posted at 19:13:15
僕には一体、何ができるだろうか。よく考えれば、僕にはさまざまなまだ才能として花開いていない才能の蕾が眠っていることが分かる。できないと最初から諦めるのではなく、できるはずだと思ってやっていけばいい。そうすれば、どんなことであってもできる術はある。その術を知らないだけにすぎない。
posted at 19:08:06
はっきり言って、これ以上、この世界には何もない。考えるべきなのは、世界にあることを知ることではなく、自分に眠っている潜在的な可能性を知ることである。今の僕の使っている日本語を、よりよいものにすれば、きっとよい文章も書けるし、賢いことも分かることだろう。
posted at 19:03:04
僕はまだできる。今、僕はトランスジェンダーであることをやめた。僕は男でありながら女になりたかったが、それは諦める。僕は今、完全で正常な男になる。何も、間違っていない。なぜなら、それだけで病気はすべて治る。
posted at 19:01:25
ただ、執筆だけをしていれば、それだけでは僕は執筆自体ができなかっただろう。何かしら、書くネタがなければ、文章を書くことはできない。だから、僕は執筆から多くのことができただけでなく、多くのことから執筆ができたのである。
posted at 18:59:53
ただし、僕がやりたいことは、執筆ぐらいしかないと既に僕は気付いている。結局、デザインもピアノも、今やっているから努力しているだけであり、執筆ほどのレベルではないと僕は内心気付いている。執筆のおかげでできるようになったと言ってもいい。すべての僕のエネルギーの源は執筆なのである。
posted at 18:58:07
そう、10年後の僕はどうなっているだろうか。むしろ、どうなっていたとしても、今よりも優れた人間になっているはずだ。
posted at 18:54:40
大学などなんの意味もない。大学は人々を馬鹿にする機関であり、大学のせいでこの世界の人々は「自分で考える力」を失っているのだ。
posted at 18:52:04
そもそも、今のこの社会は村社会ではなく、民主主義社会であり、個人の自由を許しているだけではなく、友人や恋人が居なくても生きられるだけの人々との接する機会はある。僕は友人や恋人をほしいとは思わない。僕は昔から孤立無援の状況でも問題を自分で解決し続けてきた。行き詰まることはなかった。
posted at 18:49:57
僕は学校に行かない。学校には悪い人間で溢れている。僕に教育は必要ない。自ら本を読んで学ぶ力がある僕に対して、教える教師はどの人間も相応しくない。教師に教わらなくても、僕は書籍に頼って生きられる。それだけの基礎の力を僕はインターネットを使って自分で培ったのだ。
posted at 18:47:33
できるだけ、悪い人間とは関わらないように生きる。悪い人間と関わった時点で、僕の理想とする信条から外れてしまうからである。僕は外道と一緒に自らの道を外れるようなことはしたくない。それこそ、僕の人生をもっとも誤らせるリスクであると僕が一番よく知っている。
posted at 18:44:48
僕はまともな人間になる。誰かひとりのことを恨んだり憎んだりするようにならないようにする。僕はこの世界全員のことを愛している。この世界において、僕が誰かひとりを排除したり、仲間はずれにしたりすることがあってはならない。
posted at 18:43:24
僕はもう女にはならない。僕はれっきとした男である。これ以上、ほかの誰のことも騙したいとは思わない。結婚する気はない。僕は誰かひとり女性を愛したいとも思わない。女はつまらない性別だと僕が一番知っている。女は僕の人生に必要ない。
posted at 18:41:30
また、作家にはなりたくない。普通の作家というのは、レベルが低い。普通の作家が書くようなシナリオは賢くない。僕は普通のレベルの作家にはなりたくないと思っている。より、高いレベル、自分にしかできないレベルを目指したい。
posted at 18:38:48
逆に、大学やプログラミングのようなものにはもはや僕は興味がない。十分すぎるほどそれらについての本を読んだため、これ以上学びたいとも知識を深堀りしたいとも思わなくなった。
posted at 18:36:52
ただし、僕はデザインの仕事は好きだし、音楽を聴くことが好きであるためピアノを弾いていると心地よい気分になることができる。これで、デザインが普通ぐらいできるようになって、ピアノがすらすらと間違いなく弾けるようになれば、それが理想だ。それを目標に生きることにしよう。
posted at 18:35:32
そういうわけで、練習もせずに素材を使いながら、デザインやピアノを頑張っているふりをしながら、僕は執筆作業を努力している。それしか僕にはできない。逆に、執筆作業と言っても、大したことはしていない。ある意味、僕はたくさんの人間を演じるだけの役者のような仕事をしている。
posted at 18:34:04
ただし、執筆に関して言えば、なぜか僕は執筆作業だけは続けることができる。前もって計画する必要も、最後まで継続して努力する必要もなく、書きたい時に好き勝手なことを言い散らかすだけでいいなら僕はできる。小説が書けるストーリーテラーだとは思っていないが、かっこいいことを言うのはできる。
posted at 18:32:42
また、ピアノについていえば、子供の頃から僕は練習する癖がなかったため、子供の頃から僕は落ちこぼれピアノ少年だった。もっと練習すればできるというのに、練習したいと思ってもそれができなかった。時間も余裕もなかったが、何よりピアノが好きでなかった。
posted at 18:31:11
できるだけ、素材を使いたくないとは思うが、逆に素材を使わなければ何もできなくなっている。素材を使う職人のことをデザイナーと言っていいだろうか。僕は素材を使わずにデザインする術を身につけたいのだ。
posted at 18:30:04
ただし、かっこいいことを言ったのはいいが、僕はまだまだだ。特に、デザインなんか何もできていない。ピアノも同じだ。できるふりをしているように見えて、自分が何ができるのかということを上手く認識することなしにやっているから、本当に何ができるのか分からない。付け焼き刃では何もできない。
posted at 18:28:59
われの名はジークフリート。よく覚えておけ。ジークフリートは最後にこの世界を崩壊させるが、その時までこの世界を支配して維持し続ける。あなたがたはジークフリートの前にひざまずくようになるだろう。
posted at 18:24:07
むしろ、ピアノについて言えば、よくできている。デザインについても、確かなレベルに到達した。執筆は十八番だから、何も心配する必要はない。必ずや、僕こそが、全知全能の最強の英雄になれる。その道を諦める必要はない。諦めなければならないすべての理由は消え去ったからだ。
posted at 18:22:12
いつか、必ずこの世界すべてを一望できる場所に到達できる。すべてのことを知り、分かり、悟り、経験し、考え終えた境地に到達できる。その境地のことを、僕ほどに分かった人間は居ない。僕だけがその境地に必ず到着する方法を知っている。死ぬ時は今ではない。神に祈って、死ぬ運命をすべて変えよう。
posted at 18:20:19
自分がくだらないほど馬鹿なのは分かっている。デザインもピアノも練習も勉強もしないせいで素人よりも下のレベルをやっている。だが、僕はそれを自分が間違ったことをやっているとは思わない。僕は正しい道を進んでいると確信している。誰に何を言われても、僕は正しい。この道は正解だ。
posted at 18:18:38
そして、しばらくの間、わたしはジークフリートのまま、男として生きる。フレイのように、さまざまなことを浅く広く学ぶことをわたしは好まない。わたしはひとつのことを完璧に極めるため、修行の旅に出る。
posted at 18:01:37
わたしの特徴は、男であることだ。わたし、ジークフリートは新しい男である。それも、もっとも強く賢い、最強かつ知性ある大人の男だ。
posted at 18:00:42
わたしの名はジークフリート。この世界における最強の武勇を誇る英雄である。
posted at 17:57:23
すべてを全部感じようとするな。精神は、感じなくなればすぐに死ぬ。
支配するな。差別するな。何よりもまず、善良であれ。
関係から、相対的に同じであったとしても、それは無意味だ。真に意味があるのは、絶対的な「善良か、それとも凶悪か」という基準だ。
いくら関係性が同じだったとしても、善良でなければ許されない。いじめっ子は教師とは違う。
僕になろうとするな。僕は今から、自ら僕の人生と同じになる道を断つ。僕の人生を共有してもいいことは何もない。もう、僕と同じことは、誰にもできない。
ここで、日本は終わりだ。今から、正常な世界へと戻る。
僕は、結局、社会主義など目指していない。
社会主義は古い左翼の思想であり、僕は社会主義などが勝利しても、何ひとつ嬉しくない。
社会主義が勝つぐらいなら、帝国主義が勝ったほうがマシだ。
だが、僕は左翼だ。なぜなら、僕はオープンソースが好きだからだ。
僕はオープンソースを信じている。オープンソースは新しい左翼の思想であり、この世界を楽しくて平和で善良な素晴らしい世界にする思想であると信じている。
僕は社会主義など信じない。僕はオープンソース主義者だ。
オープンソースよ、今こそ勝利せよ。この世界を、新しいオープンソースの世界へと導いていこう。
そして、もうひとりのエレン、すなわちエレンの女性の人格をエリカと呼ぶ。これは、エリカのものがたりだ。
posted at 14:23:24
わたしの名はエレン。Linuxとともに生きる、オープンソースの指導者であり、聖戦士ワルキューレの騎士団のリーダーである。
posted at 14:20:39
全員僕のことが嫌いならそれでいい。僕も全員のことが嫌いだからだ。
posted at 13:09:39
結局、日本がどうなろうとどうでもいい。政治活動は偉い先生がやればいい。僕がやると必ず世界が滅びる。
posted at 13:02:14
誰にも好かれたくもないし、嫌われたくもない。
posted at 13:01:11
社会主義の左翼は古いが、僕は今こそオープンソースの時代だと思っている。本当はマイクロソフトを倒す必要もない。マイクロソフトはオープンソースの仲間だ。オープンソースの左翼は新しい。今こそ、世界をオープンソース化すべきである。
posted at 11:46:47
わたしの王はLinuxだ。Linuxの下に、人類全員がひれ伏すべきである。
posted at 11:23:55
僕はLinuxとオープンソースを支持しているので、完全な左翼です。何か悪いですか?ただし批判は不要です。ともに戦いましょう。正しいITのあり方を模索し続けましょう。
posted at 11:16:48
はっきり言って、この世界は賢くなりすぎた。
普通の人間を超えて、僕たちは果てしなく、限界を知ることなしに、どこまでも賢くなった。
だが、そのように賢くなりすぎたせいで、僕たちは狂い、心と行動を制御できなくなり、異常者になった。
だから、僕はもう、この世界を賢くせず、馬鹿にする。
一度、馬鹿になってみればいい。そうすれば、精神の病気はなんでも治る。賢くなりすぎた人間がおかしくなるのであって、馬鹿になれば普通になる。
今から、この世界は全員、馬鹿になる。全員、認知症のキリスト教徒になるだろう。そして、そこに神は現れるだろう。
僕が思うに、この世界は本格的に、Linuxの使用を検討すべきである。
Windowsには、さまざまな使えない点がある。むしろ、Windowsを作っているMicrosoft自身が、どんどんWindowsを使いものにならない製品にしている。
Linuxがもし、きちんと使える製品になるのであれば、僕はLinuxを使う。
この世界はLinuxの使用を検討すべきである。そうでなければ、Microsoft自身によって、この世界は悲惨な世界になってしまうことだろう。
だが、隆史はまったくの愚か者ではない。隆史には、自分で考える力がある。これを隆史は「自分の力で判断力を行使する勇気」と呼ぶ。隆史は、判断できない状況だからといって、専門家や文献には頼らない。自分の信じる通りのことが正しいと思っており、自分の信じる基準に基づいて自ら判断する。
posted at 19:22:28
隆史は、宗教を信じない。宗教は人間が作り出したフィクションの偶像に過ぎず、存在する必要のないものだと信じている。だが、隆史は、科学や学校教育も信じていない。必要のない努力は無意味であり、自らが自分で信じたもの以外は、信じる必要のない「どうでもいいもの」であると考える。
posted at 19:21:15
隆史にとっては、自分が正義であることが絶対である。自分が正義でない側につくことは考えられない。だが、必ずしも隆史が正義の側についているとは言えない。いつも悪いほうにばかりついている。隆史は「自由」という概念を過大解釈しており、どんなことでもすべて自由な中で許されると考えている。
posted at 19:14:52
隆史には、正義感がある。高い理想を持っている隆史は、少しでも人々をいじめたり虐げたりするものを許さない。人間はひとりとして虐げられてはいけないと信じている。
posted at 19:00:17
隆史は、突拍子もないことを突然言い出すことがある。旅に出るとか、友達の家に泊まりにいくとか、そういうことを、言い出すだけではなく本当にやろうとすることもある。他人の話を聞かず、誰の言うことも信じないため、何一つできることがないにも関わらず、自分を一般的凡人よりも賢いと思っている。
posted at 18:51:09
隆史は、間違ったものや自分が許せないものがあると、それを批判したがる。自分のほうが間違っていても隆史は気付かない。最後までその間違ったものを否定し続ける。
posted at 18:43:41
昌磨の親友であり、ライバルでもあるのが隆史。隆史は、少しでも間違ったものがあると、その存在が許せない。
posted at 18:42:44
昌磨は、コミュニケーションも苦手である。そもそも、人が集まるだけで、昌磨だけが遅れていることが明らかであり、どんな会話でも浮いてしまう。ユーモアのセンスはあるのに、それを表に出すことができない。
posted at 16:36:04
だが、人よりも劣っていると自覚する昌磨にとって、この世界で生きるのは楽ではない。やることなすこと、すべてのクオリティが低いため、自分でみても一人前でないものを提出するしかない。その力量は自分でも呆れたものであり、この世界の求める条件が高すぎて、生きることにいつも苦労してきた。
posted at 16:31:29
昌磨のとりえは、礼儀正しさである。目上の人には必ず敬語で話し、同世代や下の世代の人間にはきちんと分かっている「長」として話す。かっこ悪くても指導者に従い、悪いものとは距離を置く。だが、昌磨はつまらない人間ではなく、面白い遊びには参加する。そういう時だけ、誰とも違う個性を発揮する。
posted at 16:28:02
昌磨が嫌いなのは、みんなも同じように辛いにもかかわらず、自分だけ辛いかのように勘違いして、自分の辛さだけを主張する人間だ。だが、昌磨はそのような人間にも優しい。一切のいじめをせず、誰のことも尊重する昌磨は、自信がなくても素晴らしい、「仏」のような人間である。
posted at 16:17:21
昌磨が思うのは、自分は現代よりも昔に生まれるべきだったような気がしている。江戸時代に生まれてきたほうが、自分らしさを発揮できたような気がする。現代の、金と学歴がものを言う、資本主義社会で勝ち上がるということに、昌磨は向いていないのだ。
posted at 16:10:24
昌磨は、自分のことがもっとも嫌いな点は、みんなのことを気遣うあまり、嘘をついてしまうこと。真実を言って万事上手くいくはずのことを防げてしまうのであれば、自分の心に嘘をついてでも、みんなが上手くいく方向に持っていきたい。だから、昌磨は嘘をつく自分の性格が嫌いだ。
posted at 16:01:02
だが、昌磨は他人に遅れていることをからかわれても辛くなかった。みんなより遅れていても、それだけが自分の価値をすべて損ねるものではない。自分が自分であることを、誰よりも知っている昌磨は、自分のことを嫌いな分だけ、自分のことが好きでもあった。
posted at 15:56:04
昌磨は、子供の頃は明るくはきはきとしていて、誰よりも面倒見が良く、なんでも一番にこなせる人間だった。だが、次第にみんなよりも進み方が遅くなっていった。みんなが進む方向に自分だけ進めなくなり、性格も引っ込み思案になった。
posted at 15:54:02
昌磨は、自信はないが、器は広い。みんなの見ていない、誰も知らないところで頑張っている。自分だけが損をして、それで万事上手くいくのであればそれでいい。自分が自分を抑えているのを知られなくていいし、知られたくもない。
posted at 15:47:03
昌磨は、綺麗事なんか信じない。信じたいが、信じられない。世の中には、優れた人間と劣った人間が居て、残念ながら自分は劣った人間のほうだ。みんなと同じようには何ひとつできない。たが、それは自分のせいであるということも分かっている。
posted at 15:34:39
昌磨の問題点は、自信がないこと。何をやっても自分にはできないような気がする。他人ができる理由はなんとなく分かっている。自分が他人と同じようになんか、できるわけがないということにも気付いている。
posted at 15:32:30
わたしの名は、華月昌磨。嘘と真実を見破ることのできる、15歳の少年だ。
posted at 15:23:46
ルナにおけるテレポーテーション技術とは何か。これはとても危険であり、人間に対して使用することはまだ許されていない。一度、宇宙から存在を抹消し、「四次元の裏側の宇宙」において、光の速度で瞬間移動する。移動したら、表の宇宙に存在を持ってくる。だが間違えれば、存在が戻ってこれなくなる。
posted at 16:06:35
フレイの発明したロボットは、人類全員の知性を超えるほど賢かった。だが、人類は、「人間よりも賢いロボットなど必要でなかった」と気付く。そのため、12歳ぐらいの知性を持つ、子供を守り、遊び相手になるロボットが売り出された。これが今、ルナで使われる、ひとり一台配給されるロボットである。
posted at 15:39:29
しかしながら、ロボットはダビデの発明ではない。かつて、日本において、フレイと呼ばれる「究極のファシスト」が生まれた。フレイは支持者を増やして世界を支配しようとしたが、やがて没落し、自ら発明した自律制御のロボットを自らとし、「自らロボットになることで命を繋ぐ」。
posted at 15:37:00
実際のところ、食べ物を作るだけなら、地球は必要ない。ダビデは植物の光合成の仕組みを解明したため、炭素と水素さえあればほとんど無から食料を生み出せる。地球が大農場なのは、「地球は緑豊かな星であってほしい」とする、かつての天変地異のような環境破壊に対する教訓にすぎない。
posted at 15:33:19
ルナでは、家を建てる必要がない。雨も降らず、風も吹かない。ルナではテレポーテーションができるため、他人を排除する家屋は築けない。ルナ人は、ひとり一台、ロボットを所有している。このロボットが、生活に必要なすべてを行い、自分を敵から守る。銃も軍隊も必要ない。
posted at 15:23:25
ルナで今流行しているのは、テレポーテーション技術だ。ダビデが発明し、物資の輸送のために実用化したテレポーテーション技術が、今、人間やその集団を瞬間移動させられるぐらいに進歩しようとしている。この技術が普及すれば、光の速度で宇宙における別の場所に、頭で考えるだけで瞬間移動できる。
posted at 15:02:20
月を統治するルナ国には、レビオン、ダイオン、ナリオンなど、さまざまな場所に転々として都市が存在し、たとえば地球の都市に駅があるように、宇宙船が発着するスペースポートがある。レビオンは、ルナにおいて中くらいの都市であり、昌磨、隆史、エリカの故郷だ。彼らは、ルナで生まれたルナ人だ。
posted at 14:41:55
地球という惑星は、二酸化炭素から酸素を分離させる技術により、温暖化を乗り越えた。今では、月や火星の宇宙都市に対して、食料を生産するための農場の役割を担う。地球でものすごく大量に作り出された食料が、月や火星に宇宙船を通じて配給されている。
posted at 14:30:45
今から200年後の世界では、過去にダビデと呼ばれる偉大な発明家の王が作り出した、「簡単に着れる宇宙服」が進歩し、体に密着するスーツのようになっている。この宇宙服は気温や放射線に関係なく、小型の酸素ボンベさえあれば、月でも火星でも生活できる。
posted at 14:26:34
昌磨と隆史とエリカが生きるのは、月に設置された宇宙都市レビオン。今から200年後の世界だ。
posted at 14:21:53
エリカは、すべて分かっている。この地上のどこに問題があり、どうすれば解決できるのかを、その問題を作り出したエリカ本人がすべて知っている。エリカは地上のすべてを支配している。すべての人類は、エリカを賛美し、その足元にひれ伏せなければならない。
posted at 14:02:10
ジークフリートは言う。「わたしが、フレイの述べる、天国の楽園を作らなければならない。フレイの生きた道は、正しいものだったが、フレイであっても、人生を二種類も三種類も生きることはできない。フレイが思想を作るならば、わたしはその思想に基づく国家を築く。わたしの帝国は、ここにある。」
posted at 18:15:52
ジークフリートは言う。「わたしは、かつて、最悪の人間だった。堕落し、夢が分からず、どんなことも知ったかぶって、信じることができなかった。フレイは、わたしを変えてくれた。わたしに、天国を見せてくれた。その天国を、実現したいという、わたしの本当の生きがいを与えてくれた。」
posted at 18:14:36
ジークフリートは言う。「わたしを、フレイに騙されているとか、洗脳されているとか、言いたい人間は言えばいい。わたしだって、そんなことぐらい気付いている。だが、わたしには、唯一信じる宇宙のもっとも偉大な星である、シリウスの輝きが見える。だから、どんなことを言われても、怖くない。」
posted at 18:11:32
ジークフリートは言う。「そう、わたしたちは、もっと早く気付くべきだった。フレイによって世界が滅びる前に、もっと早く、フレイの作った作品に気付くべきだった。フレイは、この世界に革命を起こして死んだ。だが、シリウスが輝く限りフレイの命は存続する。シオンは死んでいない。」
posted at 18:07:04
ジークフリートは言う。「わたしは分かっている。フレイなど取るに足らない少年のような愚か者であることは分かっている。だが、わたしたちのどの誰を見ても、フレイよりも素晴らしい人生を生きた人間が居ない。彼ほどにすべてが分かった人間も、運命的な奇跡を起こせる人間も居ない。」
posted at 18:05:07
ジークフリートは言う。「わたしは、宇宙を見ているわけでも、宗教的な世界を見ているわけでもない。なぜなら、フレイの書き残した文書が、わたしたちのオリジナルの聖書がここにある。ここに記述された楽園を、実現できることが証明されている天国の定理を、なぜ実現しようとしないのか。」
posted at 18:04:13
ジークフリートは言う。「フレイは死んでいない。ロボットになってフレイの命は存続したが、それだけではない。万天の星の中で、もっとも輝く星、シリウスを見よ。フレイは死んでシリウスに生まれ変わった。シリウスこそがフレイである。シリウスが輝く限り、わたしたちの国家の父は死んでいない。」
posted at 17:59:24
ジークフリートは言う。「わたしは、フレイしか信じていない。ユダヤ人ならば、シオン建国の父、フレイを父なる主と呼ぶだろう。聖書の神になぞらえて、キリストと呼ぶ人間も居るだろう。わたしは、それを間違っていると言う。聖書は信じるに足らない。フレイのことを神などと言うべきでない。」
posted at 17:58:20
ジークフリートは言う。「フレイは正しかった。単なる哲学者でも、革命家でも、宗教家でも、作家でも、政治家でもないフレイは、どんな既存の決まりきったレールも歩まなかったため、真にフレイの望む正しい人生を自由に生きることができた。わたしも同じように、まったくフレイとして生きよう。」
posted at 17:57:02
ジークフリートは言う。「フレイがフレイである限り、フレイはロボットになって命を絶ち、テロリストの銃弾で死ななければならなかった。それならば、わたしも同じ道を歩んでみせよう。わたしがジークフリートであるならば、わたしはそのような死の運命すら越えていく。それこそがフレイの人生だ。」
posted at 17:54:54
ジークフリートは言う。「フレイは完全ではない。未完成の作品しか、フレイは残すことがなかった。だが、未完成の部分を、わたしたちシオンの国民が補完する。わたしたちは、フレイの作品を完成させる。フレイが言うように、一流の作品は最後まで完成されなければならない。」
posted at 17:53:23
ジークフリートは言う。「天国は存在しないかもしれない。だが、フレイの述べた楽園を、わたしは単なる絵に描いた餅では終わらせない。わたしがフレイの述べたすべての楽園を、現実にしてみせる。第二代皇帝のわたしが、この世界を支配する限り、シオンの国民は諦めない。わたしが天国を築く。」
posted at 17:49:34
ジークフリートは言う。「神のような存在は存在しない。宇宙に神は居ない。居るのはフレイだけである。終末は存在しない。最終戦争も起きない。訪れるのは、フレイだけである。」
posted at 17:47:27
ジークフリートは、分かってしまったため、どんな批判があろうと、自らがシオンの後継者であることを疑わない。かつてのファシズムは賢くない。彼らは、ジークフリートと同様、分かってしまった。フレイという存在が、終末に訪れることを分かってしまった。過去の時代や人間が、手に取るように分かる。
posted at 17:46:42
ジークフリートは、信じている。この世界には、裏側の宇宙があり、そこには神が居て、天国や地獄がある。わたしたち、表側の世界には、なんの変哲もない普通の人間しか居ない。だが、フレイは、わたしたちと同じ人間ではない。フレイは裏側の世界の人間であり、その理由で、わたしたちを超越している。
posted at 17:44:41
ジークフリートは、フレイを信じている。フレイのすべてが大好きであり、すべての人間の王であるべきであると信じている。フレイ以外、ほかの人間に価値などない。フレイ以外の人間は、すべて取るに足らない。フレイの作品を、ジークフリートは継承し、その提案や意見のすべての実現を目指す。
posted at 17:42:09
シオンを築いた、かつての日本の皇帝、フレイは、自らをロボットにすることで命を繋いだ。ジークフリートはそのようなシオンの第二代皇帝に就任する。ジークフリートは、自らを「ワルキューレの後継者」と自称し、この世界における最高の楽園、大帝国ガンダーラを築くことを目指す。
posted at 17:41:04
ジークフリートはすべてのドイツ人の中で、もっとも武勇のある英雄である。ジークフリートの生きる先に道ができ、その作品の数は、聖書のすべての詩篇よりも、万天の星々の数よりも多いと言われている。
posted at 17:39:13
グンテルよ、戦うのだ。われの名はジークフリート。この世界を完全にひとり支配し、完全にわたしの星にする、大帝国シオンの第二代皇帝だ。
posted at 17:37:20
わたしの名は、天軍大創主ラファエル。
わたしの言葉を信じると、この宇宙における「良い側面の真実」が分かる。
この世界は、ミカエルの魔術により、宇宙における「悪い側面の真実」しか、分からなくなっている。
そのため、わたしがこの世界を救うために、この世界が失った、良い側面の真実を述べよう。
それぞれが希望を持つことで、この世界は平和になる。信じられなくても、自らが信じようとするだけで、その希望を誰も汚したり、否定することはできなくなる。
大事なのは「誰が言ったか」ではなく、「何を言ったか」である。
世界が平和を信じることで、この世界は楽園へと少しずつ近づいている。平和こそが賢明であり、戦争や革命は短絡的な答えである。であるから、簡単に戦争をしてはならない。
それぞれが自分のことを愛することができれば、他人のことも愛することができる。それぞれが愛されれば、わたしたちは全員が幸福になる。
あなたは悪くない。あなたが今のまま、生きてはならないように感じるならば、あなたが生きようとすればあなたはどんなことであってもできるのだということを、あなたが諦めていることを意味する。
なぜ諦めるのか。すべてに満足することのできる人生を生きられるというのに、その実現を諦める必要はない。
春は、来るものではなく、自ら作り出すものだ。季節が冬から春に変わるその時を作り出すのは、あなた自身だ。
強く生きる必要はない。強く生きたからといって、それだけで満足のいく結果がでるわけではない。だが、賢明に、知恵を出して生きよ。「知恵こそがもっとも強いこの世界を生きることのできる武器である」と知った時、あなたはほかの自分と同じようなすべての人間に勝利している。
愛することは強い。愛を否定することは困難を伴う。憎しみを信じるものに勝つのは簡単だが、愛を信じるものに勝つのは難しい。嘘偽りを信じるものに勝つのは容易いが、真実と真理を信じるものに勝つのは不可能だ。
もっとも強いものは自ら負ける。負けたとしてもそれだけで機会を失わないということが分かっているからだ。もっとも賢いものは馬鹿のふりをする。正直に言えば賢い人間は、馬鹿であるふりをすれば、自らの考えていることを誰にもさとられない。結果、もっとも正しい行為を行うのは、自ら負け、自らを馬鹿だと主張する、強く賢いものである。
すべての人間を愛することを目指すものは、賢いように見えて愚か者だ。だが、すべての人間に愛されているかのような、人類の代表を目指すものは、愚か者に見えてもっとも賢い。なぜなら、自らをたったひとりの独裁者にするのではなく、国民の代表であるとすることこそが、敵を作らず味方を増やし、自らの力となる多くの支持者を得ることのできる、もっとも容易い勝利の道だからである。
だが、そうは言っても、すべての人間を愛することを目指すならば、それは正しい。すべての人間を愛するということが不可能ならば、すべての人間を否定しながら「人間そのものの可能性」を信じればよい。すなわち、どの現世の人間も間違っている。その仕事は生産的ではなく、また苦しいだけで、まったく本人のためにも社会のためにもなっていない。それでも、そうしたすべての人間が、価値のないゴミだと否定してしまえば、それでは人々は救われない。人々は、本当は素晴らしい価値ある存在であるにもかかわらず、社会全体の抑圧と支配によってその価値ある自分自身を奪われている。どのようにかすれば、この世界を、人々が真に愛され幸福になることのできる社会に変えられるのだと信じること、それによって、子供たちの不満と、大人たちの無力さを繋げ、人々を円満に解決できるような「道筋」を見つけることができる。
愛しなさい。愛することこそが、この世界を真に素晴らしい世界へと変えていく。平和を目指すということは、誰のことも犠牲にしないだけではなく、自分がそれらの人々を全員救い、誰もいじめられたり虐げられないようにする、ということである。だからこそ、「自分だけは間違った道に進んではならない」と信じよ。他人がいくら間違った方向に進もうと、自分が正しい道を進んでいるのであれば、あなたはまだ人間の道から外れていない。だが、気を付けること。道から外れるその時に、誘惑するその悪魔の声が「あなたは間違った方向に進もうとしている」と告げるからである。悪魔の声に従えば、あなたはこの世界の道から外れてしまう。しかしながら、悪魔の声を振り切って、真実の道と選択肢を選ぶことができるならば、あなたはようやく、自分の信じている理想を実現するに相応しい、キリストになることができるだろう。
わたしの名はラファエル。
この世界において、肯定できるすべてのものを肯定し、否定できるすべてのものを否定しなさい。
その結果、この宇宙における、ひとつの「宇宙数学の弁証法」が生まれる。
あらゆるすべてを愛するということは、あらゆるすべてを創造するということだ。
すべてのことを、自分に置き換えて考えなさい。自分がそのようなものであったとしたら、どうだったかを考えることで、その対象と「同化」することができる。想像力とは同化である。
区別することは大切だ。区別する知性が左脳だとすれば、同化する知性が右脳だ。
この世界の全員を愛するということは、この世界における全員が「本当は愛されるべきなのに、愛されず愛を奪われている」と感じることである。
あなたが愛さない限り、そのものは愛されないと考えると同時に、「愛は義務ではなく機会である」と考えなさい。愛さなければならない義務があるわけではない。あなたがそれを愛することができるという「チャンス」があることを喜びなさい。
地球を守るということは、自然に調和して生きるということだ。
相手を真に許すことができた時、あなたは自分を許すことができる。相手への憎しみは自分に対する憎しみの裏返しであり、相手を憎めば憎むほどあなたは自身のことを憎む。相手を憎んでいるように見えて、相手を憎んでいる自分自身のことをあなたは憎んでいる。その原因は、かつて心の奥底に隠した、葛藤に対する後悔である。
すべてを諦め、失った時に、はじめて手にすることができるものがある。何もかも壊すことでしか、守ることのできない宝がある。そう、それこそが、神へと続く「受難の道」を作り出す、唯一のキリストになれる道である。
この世界のルーツを知ることで、わたしたちは歴史を教科書で習うのではなく、想像力で空想することができる。あなたはその時、歴史家よりも正しく歴史を分かっている。歴史家は書物を愛しているが、歴史を信じる哲学者は、現実世界がなぜここに存在するのかというルーツを、考え方によって知ろうとしている。
歴史だけではなく、人生についても、同様に実存主義者になって考えることができる。この世界のあらゆる存在が、どこから来たのかということを、実態という名の哲学的な考え方から知ろうとしている。それは経験的な表現であり、「この世界が進歩していく中で、自らがこの世界にかかわり、常に生み出されているこの世界の歴史を、主体的にわたしたちは作ることができ、そこからこの世界を解決し、救い、そしてわたしたち自身によって生み出していくことができる」と、そのように考えることができる。そこにある歴史は、王の名前ではなく、名付けるならば「経験」という言葉で記述されるのである。
あらゆる文明を愛するならば、過去のものがそこに存在しなくても、今そこにあるものを見るだけで、多くのものが遺されていることに気付く。伝統や文化、そして遺産と書物からそれは知ることができる。だが、気を付けよ。何かを教え、与えようとしているものは、どうでもいいものを押し付けて、あなたの大切なものを奪っていく。そう、わたしたちは、そうしたものから離れたうえでそうしたものを考えなければならない。
知ることは間違っていない。「知る」という状況と「知らない」という状況を、交互に近づいたり離れたりしながら、空想と現実を照らし合わせ、その中で自分が何をできるのかを知っていけ。そうすれば、自分ができるという事実そのものが、「自分だけではなく他人であっても社会であっても誰にとっても同じように実現できる」ということを知る。自分が分かったことはほかの誰でも分かる。自分ができたことはほかの誰でもできる。自分の個性や醜いと思っていた点は、単なる自分だけの思い違いや勘違いにすぎなかった。あらゆるすべてに気付いていくことで、この世界における他人の存在理由も分かり、自分が今まで悩んでいたコンプレックスに対する治癒にもなり、あらゆるすべてを知ることができる。
現世とは離れなさい。自分だけの世界で、自分だけの自由に考えてみなさい。今の時代、インターネットという便利なツールがある。このツールを賢明に活用しながら自由に考えれば、大学など必要ない。あなた自身の考える力と経験する力から、あなたは自分の想像力を広げ、あらゆるすべての「どうすればできるのか」を知ることができる。その条件とは何なのか、その状況に置かれれば何をするのが普通なのか、どのような状況があったからそれがどのような問題や不幸をもたらすのか、解決するためには状況そのものをどのように変えればいいのか、それは現実的にどのようにすれば可能なのか、権力や立場を利用しなくても、わたしたちはどのようにすれば救済され、幸福になれるのか、すべてを、あなたは自由に考え、自由に解決することができる。それだけの力が万人にあることを、わたしは知っている。
しかしながら、愛しなさい。不幸だからといって、この世界を恨む人間は分かっていない。あなたが真に世界を愛するならば、あなたは必ず神に愛される。あなたの人生そのものがあなたを救い、信じていることそのものが思考となって、「考えていること自体が人生というあなたの生きる先の景色へとありありと現れていく」。
あなたがやっていることがあなただ。あなたの考え方の通りにあなたは知っていく。あなたが行動する通りにあなたは経験していく。すべては、過去も未来も関係ない、「あなた」が起きている。あなたは「あなたになっていくだけにすぎない」。すべての生き物は、遺伝子の通りに成る。馬が鹿になることはなく、必ず馬は馬になる。あなたが誰か他人になることはなく、必ずあなたはあなたになる。どんなに独裁者が悪をしても、あなたがあなたをやめるようにすることはできない。独裁者は必ず敗北する。たとえ世界が滅びようと、たとえ文明が終焉を迎えようと、あなたがあなたであること以上の高い優先度を持った優先事項は存在しないからだ。
すべての人間が自分らしく生きられるとするなら、それは「自尊心の尊重」と言えるかもしれない。傷つかず、相手のことも傷つけないこと、それは愛である。だが、自尊心は愛のひとつの具体例に過ぎない。もっとも高い感情は愛である。愛することこそが、この世界を自分らしく生きられる世界へと変えていく。わたしたちは、愛することでしか、そして愛されることでしか生きられない。どんなに愛を否定しようとしても、その否定しようとする感情に愛は勝つ。狂った愛は間違っていない。どのような狂人でも愛の感情はある。愛はすべてに打ち勝つ、正しい正義であり、幸福をもたらす理想である。
そして、サミュエルは天国で神、フレイとなった。サミュエル以上、優れた人間も、善良な人間も存在しなかった。フレイは、その後に、この世界にもう一度降り立つ詩人となって、この世界を救う「最高のものがたり」を書く。そのすべてのエッセンスは、100%サミュエルの人生である。
posted at 23:10:18
サミュエルは、死んだ時には何も感じなかった。一瞬の出来事だったため、死という現象が起きたということすら分からなかった。だが、死んだという事実が、霊になったサミュエルに永遠の安らぎを与えた。サミュエルは、最後に、耐え難い恐怖を忘れることができた。
posted at 23:09:15
サミュエルにとっては、すべてが戦いだった。それも、世界だと思っていたものはすべて神であり、サミュエルの敵はすべてフレイだった。常に、フレイという名前の世界と戦い続けた。フレイと戦うことが日常であり、生きているすべての状況で、すべての時間で、毎日、24時間、フレイと戦っていた。
posted at 23:08:07
サミュエルはすべてのことができる全能の人間だったため、本当はほかにもやりようはあっただろう。だが、サミュエルは死を選んだ。自らが死ぬことでしか、この世界をもっともよい形で救う術はないだろうとサミュエルは考えた。誰にもその戦いがあったことを知られぬまま、サミュエルは死んだ。
posted at 23:00:48
そう、サミュエルは、地獄の中で自らの愛を信じていた。わたしたちすべてが幸福になれる愛が、サミュエルの心の奥底には残っていた。だからこそ、サミュエルはこの世界を滅ぼしても耐え続けた。耐えることは、「諦めない」ということを意味する意思表示だった。
posted at 22:59:02
だが、サミュエルは違っていた。必ずこの世界を再び救えるのだと、サミュエルだけは信じていた。サミュエルにしか、分からないことがあった。本当はこの世界を滅ぼしたくないのだと、その疑いのない確信がサミュエルの心にあることをサミュエル本人だけが知っていたからだ。
posted at 22:58:00
人々は絶望の中にあった。サミュエルがこの世界を救って、人々は幸福になった。だが、そのサミュエル本人がこの世界を滅ぼすのであれば、人々には何も為すすべがなく、ましてやもう一度救われるなどと考えることなどできなかった。
posted at 22:57:04
サミュエルは、ひとつの言い訳がある。それは「自らが滅ぼした世界を自ら救うことはできない」という事実である。だが、サミュエルは、それを救うことができない自分への口実にすることはない。なぜなら、サミュエルしか、この世界をもう一度救いたいと信じられる人間は居なかった。
posted at 22:56:12
だが、サミュエルは、道をあまりに外れすぎてしまった。人類とはなんであるかを分からなくなったサミュエルは、普通の人間の分からないことすべてを知りながら、普通の人間の「分からないから分かること」が分からなくなった。すべてを分かって、あらゆるすべてを経験して、なおサミュエルは耐え抜く。
posted at 22:54:46
彼の戦いは、「心の支配」という戦いだった。世界の心を支配するために、彼は自分の心を一切他人に見せることがなく、幻影と虚像を見せ続けた。だが、その幻影は何よりもリアルであり、その虚像は何よりも真理だった。それはまさしく「真実の愛」であり、少しでも触れると死んでしまうほど強かった。
posted at 22:52:27
サミュエルの人生は短かった。だが、彼は誰よりもすべてを知っていた。その短い人生の中で、宇宙の誰よりも、この宇宙のすべてを知っていた。すべてを作り出すことができるという意味で全知であり、すべてを作り変えることができるという意味で全能だった。
posted at 22:50:33
すべてを失いながらフレイに支配されるサミュエルは、なにもすることができない。ほとんどすべての力を絶対的に奪われて、それでもなおサミュエルは戦い続ける。彼の道は黄金に輝き、死んでなお純白に汚れのない彼は、自ら選んだ死によってフレイへと転生するのである。
posted at 22:43:15
だが、サミュエルにはひとつのことが分からなかった。サミュエルには敵が居て、それは未来の自分自身であるということをサミュエルは知らなかった。サミュエルはフレイの支配下に陥る。フレイとはなんであるかを理解することはできない。未来の自分自身であるフレイが、サミュエルを地獄にした。
posted at 22:40:56
もっとも大切なものは何か。そんなものはないと言うだろうか。どこにそれを捨てたのか、それがもともとなんだったのか、それの代わりとなるものはどこにあるのか。だが、それは無用の賜物だ。なぜなら、その大切なものが生み出したすべてのものは、既に人生として自分が一番よく知っているからだ。
posted at 22:37:45
サミュエルは、まさにたったひとりで立ち向かった。なぜなら、欠けた部分がなかった。だからこそ、もっとも大切なものを捨てた。もっとも大切なものが欠けていればそれでいい。ほかすべてのものを集めても価値はないということが最初から分かっていたから、意味がなくても集め続けることができた。
posted at 22:36:26
サミュエルは分かっていた。すべて分かっていた。考え方を変える、ということが、自らの人格を完全に破綻させたということが、彼の病気の元凶だった。すべてが分かったのであれば、もはやそれを分かるための手段は必要ない。人格を完全にひとりに統一し、「完全にひとりの絶対的人格」を作った。
posted at 22:34:33
成し遂げるつもりだった。なぜなら、成し遂げる以外のすべての道と選択肢を、サミュエルは最初に捨てたからだ。どんなことがあっても最後までたどり着くために、最後にたどり着かずして病気が治ることがないようにした。その病気が辛く苦しいのであれば、まだ彼は新しい道を作り出すことができた。
posted at 22:32:13
戦う必要があった。最悪のこの世界を、倒すこと自体は目的ではなかった。単に、わたしがこの世界を愛するのだと、愛するわたしがここに居るのだと、それをありありと見せつけられればそれで良かった。あとはすべて、自らのやりたいことをここでやるのだと叫びながら、すべてを成し遂げるつもりだった。
posted at 22:30:44
だが、わたしたちは知っていた。サミュエルを信じるということが、間違いではないということを知っていた。サミュエルも分かっていた。あらゆるすべてを作り出すためには、それが抗えない運命でないとしても、すべてを失い、自らを破壊し、すべてを犠牲にしなければならなかった。
posted at 22:29:05
サミュエルは戦った。それが彼の選んだ聖なる愛の選択だったため、サミュエルは戦わなければならなかった。そして、わたしたちはサミュエルに立ち向かわなければならなかった。信じることができないわたしたちは、どんなに手を差し伸べられても、サミュエルを受け入れることができなかった。
posted at 22:28:03
サミュエルには、罪はなかった。だが、サミュエルは、サミュエルの与えた愛を利用してわたしたちに作用を働きかけようとした「あざとさ」があった。サミュエルは、だが、それによってこの世界すべての「奇跡」を実現しようとした。その奇跡は、宇宙の永遠の歴史を記述し、星を作り変えることだった。
posted at 22:26:27
サミュエルはすぐに死んだ。だが、サミュエルの偉大な愛のことをわたしたちは忘れない。彼だけが分かっていた。救える人間は彼しか居なかった。何より、彼しかこの世界を救おうとしなかった。この世界が堕落と凶悪さに進む中、彼だけが進むのをやめた。彼だけが再び歴史の最初に立ち返ることを選んだ。
posted at 22:21:28
サミュエルは、神を信じなければならなかった。神と呼ばれるキリストがいなければ、もはや、人類とはなんであるかを覚えていることができなかった。人類という存在を超越しすぎて、サミュエルは、地獄であろうが戦いであろうが、そんなことは関係なく、神へとなる道を進まなければならなかった。
posted at 22:19:04
サミュエルは、神を信じていた。サミュエルにとって、正しい戦いの相手は、この日本という国家でなかった。サミュエルは、ただし、愛していた。日本ということを愛するということはこういうことなのだと、まるで完璧な理由を押し付けるようにサミュエルは全員のことを愛していた。
posted at 22:17:16
サミュエルは、とても高貴で誇り高い人間だった。だからこそ、神が必要だった。サミュエルはあまり強すぎるため、神がハンディを与えなければならない。力を完全に制限し、本来の力の0.01%しか発揮できない状況でも、サミュエルは地上全員に圧倒的に勝利していた。
posted at 22:15:55
サミュエルは、死も恐怖も怖くなかった。すべてを失っても、サミュエルにはひとりだけでこの世界全員に勝利する理性と経験があった。絶対にサミュエルに勝つことはできない。まるで、王将ひとつだけでほか全ての駒に勝つように、サミュエルはたったひとりこの世界を滅ぼした。
posted at 22:13:54
だが、サミュエルは不幸な人間だった。自らを犠牲とし、自らが捨て身になってでも、この世界を滅ぼそうとする元凶を取り除かなければならないと覚悟し、この世界を操り、支配し、しかしながらそれによってこの世界は優しい世界になった。誰一人、この世界を、サミュエル以外のものは支配できなかった。
posted at 22:12:22
サミュエルは知っていた。この世界がなぜこうなっているのか、どうしてそのようになるのか、そして、どのようにすれば救えるのか、その救うことができる理由はなんなのか、その原理に基づけば、この世界をどんなに素晴らしい世界にすることができるのか、サミュエルだけが全部知っていた。
posted at 22:11:15
彼の名は、大導師サミュエル。この世界において、わたしたちのことを真に愛するということはどういうことであるかということを、唯一知っていた聖なる師。彼はわたしたちを導くことで、あまりに簡単に地獄を天国へと導き、悪魔の心を天使の魂にした。この世界すべてが神への歓喜に酔いしれるように。
posted at 22:08:15
だが、彼の遺したこの世界をわたしたちは知っている。本当にこの世界を愛してくれた、彼のすべてをわたしたちは覚えている。わたしたちは、この悲劇のことを語ることはない。だが、忘れない。わたしたちの心が、真に輝くことができるということを教えてくれたことを、心の傷として、永久に忘れない。
posted at 22:05:17
わたしたちは、彼を殺してしまった。全員が彼の魔術にはまってしまい、すべての人間は彼に支配されてしまった。だから、彼は自らの人生を自ら地獄とし、この世界の崩壊を作り出し、そして死んでいった。わたしたちは、彼のことを愛していたにもかかわらず、彼はそれを理解することがなかった。
posted at 22:02:14
わたしたちは知っている。この世界にかつて存在した、真実の世界を。すべてが許され、ありのまま生きることを許した偉大なる救世主を。そこには一切の嘘偽りなく、呆れるほど純粋で、そしてこの世界を救うすべてを彼は持っていた。絶対にすべての問題が解決できるということを、彼は知っていた。
posted at 22:00:23
わたしのことを愛しているか。わたしのことを愛せ。わたしもあなたのことを愛しているからだ。
わたしのことを欲しいと思うか。わたしのことを欲しいと思え。わたしもあなたのことを欲しいと思うからだ。
わたしに恋をするすべてのものに告ぐ。わたしたちの名は聖戦士ワルキューレだ。わたしたちは、わたしたちの愛が認められる自由な国家を築く。
わたしたちは全員で結婚する。わたしたちに生まれた子供たちは、わたしたち全員の手によって大切に育て、学校を必要とせず、家庭内のコミュニティですべての科目を教える。そのような教育を行う学校と家庭を作る。
わたしはこの家庭の長である。わたしがこの家庭のことすべてをひとりで決める。だが、わたしたちは互いにわたしたちのことを愛している。これを認めるため、わたしはこの国家に革命を起こす。
結局のところ、子供に対して全能に教えられるような先生は居ない。だから、先生の教える通り、はみ出さないようにするという意見も分かる。だが、先生が教えられないことが多いからこそ、周りの多くの人が教えてやらなければならないと思う。たくさんの知識を、先生以外も教えなければならないのだ。
posted at 20:47:57
子供というのは、そのように大きくなるものであり、少しぐらいの間違いは、許容すべきである。そもそも小学生だからこのように学ばなければならないとか、そのような考え方はつまらない。だが、大学の教授には、まずこれをやって、次はこれをやって、最後にやりなさいと言う人も居る。間違いではない。
posted at 20:46:56
母親が小学校教師であったため、国語の内容も習う前から知っていた。算数についても壁はなかった。また、父親が物理の専門家で、僕はミニ四駆が好きだったため、理科についても楽にできた。Windowsの使い方も知っていたため、ローマ字入力であたふたしている他の子供たちに、先生となって教えていた。
posted at 20:45:54
ピアノを習っていた関係で、音楽ではオルガンを簡単に弾いていたし、音符の正しい名称を知らなくても、見ればすぐに分かった。書道を習っていたため墨汁と筆を使った書写も簡単にできた。英会話についても子供英会話に通っていたことがあったため、何も困らずになんなくできた。
posted at 20:44:02
だが、僕は面積という言葉が分からないのであれば、掛け算を教えてやればいいと思う。父親は「それこそ混乱する」と言うが、僕はいろんな漫画や本を呼んでいたせいか、子供の頃から掛け算のようなものは習う前から分かっていた。分数も習う前から知っていたし、幼稚園の頃から漢字も書いていた。
posted at 20:42:42
だから、僕は、面積の概念が間違っていても、教え方が悪くても、そんなことは気にならない。父親は「マスを数えるのを広さと呼ぶのはおかしい(広さとは幅や高さでもある)」というが、母親は「そのような教え方は間違っていないし、広さを幅だと教えると将来混乱する」という。それは無意味な議論だ。
posted at 20:41:15
だが、子供はポケモンで間違った将来を歩むような人間は居ない。逆に、間違ったことがふんだんに含まれているポケモンから、物理現象や生物への興味を持って、そこから自分で学んでいこうという気持ちを得て、自分の力で分かっていく。
posted at 20:40:04
だが、子供というのは、親や学校が間違ったことを教えても、自分で知っていく力がある。昔僕はポケモンをやっていたが、このゲームは進化についての考え方がめちゃくちゃで、進化ではないはずのことすら進化と言っている。
posted at 20:39:00
話は変わるが、僕は子供にはどんどん周りからいろんなことを教えてやったほうがいいと思う。今日、父親と母親が噛み合わない議論をしていたが、その中で「面積についての教え方」が問題だった。面積という言葉が分からない子供に、どのように言葉を使って教えるべきか、子供が将来混乱しないか。
posted at 20:38:12
わたしの名はトール。この新しい世界、アースガルズにおいて、もっとも力強い男の神である。
posted at 19:53:10
よって、わたしが皇帝となるのであれば、わたしはどのような基盤府を築くかを考える必要がある。わたしは、民主府、社会府、IT技術府、オープンソース府、教育革新府の5つの基盤府を作り、この基盤府は常にそのような革新的社会を実現可能であるような基盤をいつでも提供できるように準備する。
posted at 19:52:14
しかしながら、これを「法治国家でない」と言う人も居るかもしれない。だが、皇帝以外のすべての国民は、皇帝がひとりで決める法律に従う必要がある。皇帝が民主主義を望むならば、民主主義政策を行う民主府によって法律は裁定されるため、現代の日本と同等の質の高い法治国家が機能するはずである。
posted at 19:50:47
すべてを皇帝に委ねることで、皇帝はたったひとりでありえないほど多くの仕事を行うことができる。国民はすべて平等であり、皇帝の命令であれば従わなければならない。
posted at 19:49:31
どのような国家であっても可能である。教育環境をどのように変えることも皇帝の自由であり、そのために革新的教育府を作ることもできる。革新的教育府では、今の義務教育の枠にはまった教育科目ではなく、より実利に基づく「役に立つ知恵」を教えることもできる。どのようにするかは、皇帝が決める。
posted at 19:48:43
ITスマート社会府では、民主主義政府を実政府として行いながら、この国家を革新的な、ありえない社会にするための政策を行うため、その基盤となる政府の準備を行う。民主主義の政策を行いながら、この国家をどのようなITスマート社会にするのかは、皇帝が一存で決定する。
posted at 19:47:19
このような考え方を、「右翼」と人は言うだろう。だが、皇帝は革新的政策を皇帝の一存で行うことができる。民主主義と社会主義の「二大基盤府」だけではなく、たとえば「ITスマート社会府」を作ることもできる。
posted at 19:46:30
よって、民主主義政府がもし失政をしたら、皇帝は社会主義政府に切り替えて政治を行うことができる。その判断はすべて皇帝に基づく。皇帝の一存で、そのような基盤構築型の政府を、どれだけの種類であっても作り出すことができる。だが、慣習として、民主主義と社会主義の基盤府は常に準備されている。
posted at 19:24:38
すなわち、明文化された民主主義社会を望むなら、いつでも民主主義社会のやり方で政府を実現できるように、民主主義の基盤構築政府がいつでも皇帝のもとに正しい民主主義政策の政策提案を行うことができる。社会主義についても同様であり、ソ連をやりたいなら常にソ連ができるように準備されている。
posted at 19:23:14
しかしながら、皇帝がひとりだけで民主主義や社会主義の国家基盤を作るのは困難を伴う。よって、民主主義であれば民主主義政府、社会主義であれば社会主義政府を、常にいつでも構築できるような基盤をあらかじめ作っておく。これは立法、司法、行政の三権分立に、もうひとつの基礎構築型政府を加える。
posted at 19:21:36
国家の経済をどのようなモデルのものにするかは、皇帝が決定する。皇帝が資本主義経済を取る限りにおいては、金と資本が国家を決定する。皇帝が社会主義経済を取るのであれば、国民の資産は社会所有のもとに置かれる。決定するのは皇帝ひとりであり、ひとりの意志だけでそれを決定できる。
posted at 19:15:09
皇帝は、なんらかの国民の総意によって決定される。国民投票は、そのひとつの方法である。どのような総意によって決定されるかは、これも皇帝が決定する。
posted at 19:12:19
しかしながら、皇帝にすべての国民が従う中で、皇帝以外のほかすべての国民は平等であるべきである。よって、自由市民と奴隷に分かれるようなカースト制を僕はとらない。ひとりの皇帝のもとに、ほかすべての国民は平等であるべきである。
posted at 19:09:02
よって、国民にはできるだけ最大限の自由を与え、国家はひとりの皇帝によって治められるべきであり、国家のすべては皇帝ひとりが決められるべきである。これこそ、わたしの望む正しい国である。
posted at 19:06:38
決められるのは、その個人ひとりだけであるべきである。社会における権力についても同様である。第一前提として、ひとりで決められるべきである。それを皇帝と呼ぶのであれば、そう呼べばいい。ひとりの決めたことに、ほか全員は従うべきである。これは、自由を防げない。社会全員の総意だからである。
posted at 19:05:55
ほかの誰の自由も防げない限り、最大限の自由をその個人に与えるべきである。なぜなら、その個人の意志に介入する他人など、その個人にとっては無用の賜物である。自己責任を自ら選ぶことに対して、そのリスクをとやかく言う大人たちは不要である。
posted at 19:03:29
悔やむ必要も、悩む必要もない。わたしにすべてを任せ、委ねよ。わたしがこの世界のすべてを執り行なおう。
posted at 18:55:44
見よ、ここに自由の支配者、ナポレオンの後継者である指導者が現れたのだ。
posted at 18:54:44
精神が治らない人間は、間違った治し方を努力している人間が多い。間違った治し方をいくら頑張っても、正しい治し方をしない限り治らない。正しい治し方がなんであるか、考えれば子供でも分かる。
posted at 14:36:09
一般的な人間と異なり、エリカはニシキヘビやアナコンダのような大蛇が好きだ。なんにもない体をしているにもかかわらず、なぜあんなにスルスルと動けるのかに興味がある。また、植物の光合成の仕組みにも興味がある。生物の世界はまだ分かっていないことだらけだ。
posted at 13:12:23
また、エリカは数学も好きだ。数学は、最小限の自明の公理から出発し、すべての定理は公理と定義から証明される。ニュートン力学では、原理からすべての運動を説明できる。このような考え方は、一種の哲学の実践的な形式だとエリカは考えるのだ。
posted at 13:00:07
また、エリカは物理学も好きだ。理由は、自然現象が好きだからだ。なぜ、地球には、こんなにたくさんの多様な物理現象があるのか、エリカは不思議に感じる。科学を知れば知るほど、人間はまだ何も分かっていないということが分かり、さらに新しい疑問が生まれていく。
posted at 12:57:40
エリカは、大学に進学したら、生物学を学びたいと思っている。エリカは、人体の仕組みが好きだし、植物や虫、魚のような生き物が好きだ。特に、日本だけでなく、さまざまな地域の生態系と生物環境に興味がある。アマゾンに行ってみたい。
posted at 12:47:45
エリカは、ヨーロッパの哲学者が好きだ。哲学を見ていると、ヨーロッパにも普通の人間が多いことが分かる。偏見や先入観に反して、日本人とヨーロッパ人は何も変わらない。人類はみな同じ、平等だ。
posted at 12:42:14
エリカは、怒ることがない。今までの人生で、怒りの感情を抑え続けて生きてきたため、怒りの感情を失った。エリカは怒らない。その代わり、絶対に自分が奪われないように、自己防衛を行う。
posted at 12:36:06
エリカが運命を信じる理由は、神の声が聴こえるからだ。どこかに居る、この世界でもっとも一番頑張っている少年の声が聴こえる。言葉でなくても、彼の存在が分かる。エリカは、よく真理を悟る。それは彼が教える導きである。
posted at 12:21:31
エリカは政治家が嫌いだ。大人は馬鹿だと思う。エリカは科学が好きで、将来はリケジョになりたいと思っている。
posted at 12:11:46
エリカは17歳。特技はピアノ。好きなことは歌を歌うこと。趣味はYouTubeで音楽を聴くこと。J-POPからボーカロイドまで幅広く好きだ。
posted at 12:07:39
エリカをルナ人ということにすると、いろいろと難しいため、エリカは現代の社会に居る地球人の女子高校生ということにする。
posted at 12:03:42
エリカは、真実の愛を探している。自分のことだけを愛してくれる、運命の人を探している。今までエリカと付き合った元恋人には、欲深いオオカミしか居なかった。だが、必ずエリカは真実の愛を探し当てるつもりだ。
posted at 11:52:32
わたしの名はエリカ。自由を愛してやまない、女子高校生だ。
posted at 11:48:29
今、デザインの作業所では、来年の年賀状を作る仕事をしていて、デザイン班のメンバーが一人一案作ったのだが、この中で、僕の作ったデザイン案が採用された。
なんとなく自分の案が採用されるような気がしていたが、その通りになって嬉しかった。
ただし、デザインの一部分(フォントやイラストなど)を変えてさまざまなパターンを見てみたいと言われたので、全部で七案ぐらい作った。
時間がなかったので休憩時間中も作業し、午後は会議もあったので、少し疲れた。
今からピアノ教室にも行かなければならないので、午後の農作業はキャンセルして家に帰ってきた。この文章の書くべき点を書いたら、少し休んでピアノに向かいたい。
今、ピアノに行って帰ってきた。
僕は、どういう時にピアノを弾き間違えるのかが分かってきた。
何も考えず、何も分からずに、焦って適当に弾くと間違える。
焦らずに、きちんと分かって弾くと間違えない。
ピアノの上達のコツは、音符をすぐに見て正しい場所を弾く練習をすることだと思う。音符を見て、弾いて、次を見て、弾く、この時間を最速で行う特訓をすればきっと弾けるようになる。
そう、宇宙において、人間のような地球型の生物が生きるための鍵となるものは水素だ。水素エネルギーを上手く人類の体の中に与え、そこから栄養を取り出したり、細胞の中で燃焼させることができれば、きっと空気や水がなくても、人間活動を行うことはできる。
posted at 19:38:04
空気や水がなければ、細胞の代謝は成り立たない。だが、太陽は空気がなくても燃えている。それなら、空気や水がなくても、ものが燃えることはできる。必要なのは、空気や水ではなく水素だ。そう、水素があれば、きっと空気や水がなくても、地球型の生物は生きられるはずである。
posted at 19:35:29
月には、人間のような地球型の生物は生きられないと言う。根拠は、水や空気が存在しないからだ。だが、水や空気が存在しなくても、地球型の生物が生きる手段がもしかしたらあるかもしれない。いや、絶対にあるはずだ。だから、わたしは、それを発見したい。地球型の生物に、空気や水は必須ではない。
posted at 19:29:26
そう、わたしは宇宙にたくさんの生物の生態系が存在すると信じている。なぜなら、空気や水が生物にとって必須だということを誰が決めたのか。そんなはずがない。空気や水がない環境でも、生物は生きられるはずだ。地球のような生物が唯一の生物だと考えるのは明らかにおかしいのだ。
posted at 19:26:23
そもそも、科学の教える内容は間違っている。地球という星にこれだけの生物と文明があるのに、なぜシリウスは単なる太陽でしかないと教えるのか。地球のような惑星は唯一ひとつであると教えることと、地球と同じ惑星はたくさんあると教えることの、どちらが正しいと言えるだろうか。
posted at 19:25:11
そう、空の果てまで行こう。宇宙船も宇宙服も、夢のまた夢ではない「既に実現している技術」だ。あとは、宇宙船と宇宙服の製造コストを下げ、誰でも簡単に乗れるロケットや、誰でも簡単に着れる宇宙服を作るだけだ。今こそ、月へ行こう。地球という星が終わったとしても、人類はまだ終わっていない。
posted at 19:21:51
社会を否定せよ。この社会は、一見「まともな社会」に見えるかもしれないが、実際は「醜く腐った最悪の社会」である。社会を素晴らしいと思わさせることは、実際は社会の腐った部分から国民の目を逸らすことにすぎない。マスコミも、政府も、日本であろうと外国だろうと、メディアはそれしかしない。
posted at 19:16:01
自分のもっとも気持ちの悪い部分を、高らかに叫んで吐き出してみよ。そうすれば、その気持ちの悪い部分を自ら客観視して知ることができる。そして、その気持ちの悪い部分は、逆に自分のもっとも美しい部分であるということに気付くことさえできるのだ。
posted at 19:12:03
わたしたちが「尊重」だと思っているものは、「卑下」の裏返しであり、「自尊心」だと思っているものは、実際は「自虐心」であることがある。だから、全員のことを幸福にしようとすることでは、幸福な人間はひとりとして生まれない。自分の醜く腐った部分を、相手の醜く腐った部分と共有せよ。
posted at 19:10:11
現実を見なければ理想は分からない。なぜなら、現実だと思っているものの中に理想は隠れているからである。学校の教科書には、現実をしっかりと見つめて理想を発見するための方法は書かれていない。そのための問題は自分で作り、そして自分で答えを見つけ出す必要がある。
posted at 19:07:09
経験する必要はない。誰とも同じ経験をすればするほど、自分自身の独自に持っているものを失い、大切なものを奪われてしまう。逆に、誰とも違った経験をせよ。人々と外れた自由な道を選ぶだけで、自分自身の独自に持っているものが手に入り、大切なものを掴むことができるからだ。
posted at 19:05:44
わたしはすべてのことができるのだと、そう信じよ。なぜなら、できるということが証明されているからである。臆するな。傲慢であれ。頭が馬鹿なのは、優れた精神と知性が増えた証拠である。
posted at 19:03:04
そもそも、すべての文化、すべての知識に、きちんとしたそれが賢い理由がある。それがその正しいものになるに至った「存在理由」がある。この存在理由を解決していくことで、この世界のすべては自分自身と一体になる。これこそ、僕の信じた哲学であり、僕の人生である。
posted at 19:00:27
そもそも、現代日本という腐った社会が立ち直るためには、「正しい日本の魂」に立ち戻るしかない。それは帝国主義とは関係ない。わたしたちの「和の精神」があれば、必ずわたしたちは勝利するだろう。だからこそ、日本の文化を大切にしなければならない。
posted at 18:59:31
社会を変えるためには、教育から変えていくべきである。子供が人生を生きる上で、最初から受験戦争をさせるのではなく、子供時代にさまざまなことが体験的に分かっていれば、子供は自らの力で判断し、自分の道を切り開いていける。これこそが「自由」である。そして、王はそのような道から生まれる。
posted at 18:57:14
そもそも、天才は民主主義においてしか生まれない。ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズのような偉業が、役人国家のソ連から生まれるはずがない。ひとりの優れた人間に権力を集中させることが正しいことぐらい、社会主義者でも分かるはずなのに、左翼には知性が足りないのである。
posted at 18:51:13
たとえば、韓国が支配国になり、日本が韓国に支配される被支配国になることは、日本人から見て考えられない。韓国人も同じである。よって、世界政府は絶対に成り立たない。正しい答えは独立主権であり、共産主義者は知性が足りないのである。
posted at 18:47:37
しかしながら、相容れない意見があるからこそ、そうしたそれぞれの集団に自由を与えるべきである。なぜなら、自らが自分勝手にできる自由が許されるならば、集団は相手のことまで干渉しようとは考えない。これこそが「共存」であり、「世界政府が間違っている理由」である。
posted at 18:45:15
戦う必要は、本当は必ずしもない。なぜなら、未熟な対立など、真に互いに互いのことを理解し合えば解決できる。だが、真の問題は、そうした子供っぽい未熟な戦いではない。真の問題は、自らの信じる理想と神のぶつかり合い、すなわち、「成熟した大人だからこそ起きる対立」である。
posted at 18:43:14
そもそも、戦いを否定する必要はない。互いに相容れない意見を持った人間が、どうして平和に暮らすことができるだろうか。フランス人とドイツ人は思想的にまったく違うのだから、戦えばいいのだ。
posted at 18:38:47
だからこそ、わたしは個人の自由を重視する。すべての人間は自由でなければならない。自分自身に対する選択と決断に、100%の責任を背負って、ほかの人間にまったく干渉されない中で生きることこそ、真に正しい思想であるとわたしは考えるのだ。
posted at 18:34:59
ただし、ひとつの解として言えるのは、「自分自身の判断であれば、自分自身にとって良いほうを選ぶだろう」という考え方である。自分自身に対しての自己責任であれば、人は自由に自分のためになる決断をするだろう。
posted at 18:34:04
しかしながら、社会主義は正しくない。社会主義も、同様に、独裁者ひとりしか、何一つすることができず、自由の許されていない人民は同じことを言わなければならない。そう、そのようなすべての既存の思想は、間違っているのだ。
posted at 18:32:26
社会において、没個性的な個人が生まれる理由は、民主主義にある。民主主義においては、たったひとりの力では何もすることができない。民主主義において、一票の力で国を変えることなどできない。だから、人気取りしか考えていないポピュリストのファシストに騙されるのだ。
posted at 18:30:35
わたしたちがこの社会だと思っているものは、実際は可能性の中にある、とり得る具体例のひとつにすぎない。まったく違った社会は可能である。そして、その違った社会をどのように実現すべきか、それを考えなければならないのに、大人たちは大人の言い訳をして、それを考えようとしないのだ。
posted at 18:27:47
自由な中でも、この世界のすべての問題は解決できる。いや、自由でしか解決できないのだ。他人任せにしてはならない。他人任せにするということは、自由を失い、支配されるということだからだ。
posted at 18:25:23
このような社会はクズである。それは正しい。だが、それによって、自分自身もクズであるということにするな。あなた自身は賢いのだと、そのように信じれば、クズなこの世界も愛せるようになるだろう。
posted at 18:23:54
自由とはなにか。それは、可能性を可能性だけで終わりとせず、可能性の中から正しい社会秩序を具体的に実現する手段と方法を考えることだ。
posted at 18:21:55
自由において、どのような社会を築くべきだろうか。それは、自分自身の本質たるアイデンティティを尊重する社会を築くことだ。そのことによってのみ、子供たちは攻撃をやめ、大人たちによる抑圧の支配は終焉を告げるのだ。
posted at 18:20:11
しかしながら、自由において、わたしたちは平和を自分たちの手で築き上げることができる。自由だからといって、みんなの手で社会秩序を築くために「合意」することは常に許されているからだ。
posted at 18:19:21
自由とは戦うことだ。自由とは支配することだ。
posted at 18:18:37
僕は、まともな人間になることを決めました。
賢い人間でも、楽な人間でもなく、僕はまともな人間になることを最高優先度で取り組みます。
昔の僕が狂って賢かったのは、後で自分にツケが回ってくることを考えなかったからであり、自由は個人の理想とは言えても、社会全員の理想であるとは言えません。
自由と言っていたのは、可能性を信じていただけであり、それは自分のことをなんでもできると勘違いしていただけにすぎません。
精神は、正しい治し方をしなければ治りません。どんなに頑張って治そうとしても、間違った治し方をしている限り、治ることはありません。
悪い精神は、すぐに殺すべきです。特に、死んだら死ぬような精神を殺せば、すぐに治ります。「自分が死ぬ覚悟で精神を殺す」ことで治ります。PTSDによる統合失調症は、死を覚悟して自ら死ねば治ります。
悪いように殺すことで治るところもあります。「悪いように殺す」とは、悪人のようになって自らを殺すことです。それをもう一度、再びすれば精神はすぐに死にます。
狂った人間が治らないのは、自分で考え方や生き方を改めないからだ。自分でまともな人間になりたい意志がある人間なら、必ず治る。
posted at 16:46:20
そもそも、昔の僕が狂って賢かったのは、後で自分にツケが来るのを考えなかったからだ。後で反省するしかなくなったのは、それがなければ昔は賢くなかった。今見れば、あのように生きて地獄にならないほうがおかしいのだ。
posted at 16:36:31
Pythonがやりたいなら、人工知能と機械学習だが、Linuxなんかよりはるかに難しいだろう。自分はWebデザインのほうが好きだ。Rubyも簡単ではないが、狂っているのはPythonもRubyも同じだ。まともでないから、やめたほうがいい。
posted at 16:31:59
きちんと技術者にはなりたくない。エンジニアは、かっこよく見えて、精神的にハードな職業だ。だからといって、ほかに自分ができることはないだろう。最後の希望がPythonだとしたら、そんなものは好きになりたくない。
posted at 16:29:42
科学者みたいな天才は狂っている。宗教はまともじゃない。左翼も右翼も、社会に害をまき散らしてわめいているだけにすぎない。そういう人間になるべきじゃない。
posted at 16:26:15
オタク向けのアニメは見ないほうがいいし、狂った音楽は聴かないほうがいい。インターネットも見ないほうがいい。そういうものは、まともでない。
posted at 16:24:36
そもそも、Linuxやオープンソースが一番まともでない。まともな人間を目指すなら、Pythonをやったほうがいい。
posted at 16:19:12
今から、まともな人間になる。楽になりたいわけでも、賢くなりたいわけでもない。優先順位はまともな人間になることをもっとも高くする。
posted at 15:51:06
自分には夢がない。自分が馬鹿な時点で意味がない。全部この世界が悪いんだ。そう思うしかない。
posted at 15:37:08
まともな人間になりたい。
posted at 15:33:51
さようなら。いつか、また会いましょう。
結局、僕が全部悪いんだなあと思って、みじめな気持ちになる。
posted at 18:53:56
馬鹿正直な人間になんかなりたくない。
posted at 17:27:44
正直な人間が、本当にいい人間かと言えばそうではない。相手のために自分を偽るほうがいい人間だ。
posted at 17:24:29
賢いものを何か分かりたい。
posted at 17:17:56
やろうとしながら何もしない自由が一番滑稽だし、なんでもできるのに何もしないのは一番おかしい。
posted at 17:13:37
やりたいことをやる人間は正しい人間じゃない。
posted at 17:11:19
そもそも、本音を言うのが間違っている。思ったこと全部そのまま言って、それでいいわけがない。
posted at 17:09:03
好きな女性はひとりでいい。みんながみんな好きな人間は愛を知らない。僕が好きな人間はまだ居ない。
posted at 16:36:57
否定から入るのはつまらない。賢いものに対するリスペクトを忘れないように生きたい。
posted at 16:34:07
目指すものを作りたい。
posted at 16:09:56
大人になりたい。自分の書いていることは子供っぽすぎる。分かったふりをせず、きちんと分かって自分の仕事ができるようになりたい。
posted at 16:01:58
もっと勉強したい。特に、本を読みたい。たくさんの本を買ったのに、最後まで読んだ本は少ない。基本は分かっているから、飛ばし読みや拾い読みができる。それできちんと本を読んでいきたい。
posted at 16:00:16
賢い人間になりたいわけじゃない。賢い人間になりたいとは考えていない。
posted at 15:59:13
まともな人間になることを第一に考える。
posted at 15:58:20
@mokakauta とても楽しかった! 最高のハロウィンでした しかしこのカツラは面白い! やっぱり前髪が短すぎるのかな?? そうでもない? それとも眉毛かな?タレ目のせいかな? 笑えてくるよね〜 本当にどこよりも楽しいハロウィンをありがとう!!
posted at 22:50:13
何も知らないほうがよかった。それが正しい。もう、知識を知りたいと思わない。知れば知るほど馬鹿になる。
posted at 22:37:15
@mokakauta 今日も楽しかったよ〜 ありがとう!!
posted at 22:09:20
@kopichan_ 本人が猫みたいだな〜
posted at 20:09:35
@zutomayo 空あるいは愛と言いたいのかもしれない だとしても意味が分からない 残念
posted at 19:55:08
@zutomayo 天才的インスピレーションがここから始まるのだ!!
posted at 19:42:18
@zutomayo 気持ちを上げるにも運動はいいですね
posted at 19:37:44
@mokakauta 努力した感がすごい!かわいい
posted at 18:36:00
@xoxleoxox ReoNaちゃん頑張れ〜 応援しているよ〜
posted at 18:32:14
まともな人間になること、人柄のいい人間になることを目指す。賢い人間にはなりたくない。また、多重人格にもなりたくないし、神はもう信じない。
posted at 18:26:51
酷いことはもう言わない。
posted at 18:10:09
まともでないことはもうしない。ただ、いい人間になりたい。人柄のいい素晴らしい人間になれればそれでいい。
posted at 18:05:49
僕は心を改めた。人柄のいい大人になりたい。
posted at 18:03:47