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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 自由と平和
BASENAME: 2021/04/21/125841
STATUS: Publish
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DATE: 04/21/2021 12:58:41
CATEGORY: 平和

平和と自由

平和と自由が好きだ。
すべての世界が、
平和かつ自由になってほしい。

平和主義者になる

僕は、今までを改めて、
平和主義者になる。
今のまま、平和が永遠に続いてほしい。
戦争や犠牲は要らない。
人間の命こそ、変わらないで守るべきものだ。

すべてを駄目にした犯人は僕

申し訳ない。
すべてを駄目にした犯人は僕だ。
しかしながら、釈明の余地があるとしたら、
すべてを背負い、守っているのは僕だ。
すべて僕がやった。
僕はこの世界に現れて、
この世界をすべて支配した。

ピアノとデザイン

今日は、ピアノに行った。
いつもよりすらすらと指が動いた。
また、デザインの作業所では、
仕事でみんなが使う素材や飾りの、
テンプレートを作っていた。
イラストを描くには、
まず大まかな位置を取って、
その上で詳細を描けばいい。
そのためにグリッドやクロスのガイドを引いてもいい。
そのようなことが分かった。

言語はひとつでいい

また、プログラミングで言えば、
言語はひとつでいい。
ひとつの言語がきちんとできれば、
ほかの言語を学ぶのは簡単だからだ。
最初の言語は、
古すぎない言語ならなんでもいい。
僕の場合、ホームページに使うのは、
JavaScriptだけだから、
JavaScriptからやればいい。
その後にC++やJavaをやればそれでいい。

MINIX本しか読まない

しかしながら、そうした言語の文法や技術を学んでも、
ライブラリに詳しくなるだけで、
まったくプログラマになることはできない。
僕はMINIX本を読むことにする。
家には第二版のMINIX本がある。
MINIX本ぐらいしか、
読んできちんと知識を知れる本が、
家には存在しない。
よって、僕はMINIX本でCとカーネルを学びながら、
JavaScriptをホームページのために学ぶことにする。

正しい言語はRuby

しかしながら、JavaScriptはホームページに使うのにいいだけで、
実際はブラウザだけで動く言語であり、
学んだところで何もすぐにはできない。
HTMLを操作するとは言うが、
そんなに凝ったホームページにはしたくない。
僕の家にはPythonの本がないため、
Pythonの勉強をするなら本を新しく買わないといけないし、
人工知能には高度な数学の知識が必要になる。
機械学習のために必要な豊富なデータも持ち合わせていない。
よって、正しい言語はRubyである。
Rubyで何かをすればいい。
ゲームを作っても、テキスト処理をしても、
頑張ってUbuntuの仮想環境を導入した上で、
Ruby on Railsを動かしてもいい。
それで、問題はない。

ロジックと実現・解決方法

プログラミングをやる上で、
必要なのは言語やシステムを学ぶことだけじゃない。
真に必要なのは「ロジック」を考えることである。
ロジックとは、論理であり、理性的な思考法である。
この世界において、何かを実現するためにどうすればいいか、
という「実現方法」や「解決方法」を考えること、
これがロジックである。

真実と理由

また、自然科学を学ぶ上で、
必要なのは「真実」を考えることである。
この世界がこうなっている「理由」、
この世界においてその現象がそのように起きる「理由」を、
考えることが、自然科学に必要であり、
必要なのは大学を学ぶことよりも、真実を考えることである。

知識と世界

しかしながら、ロジックや真実を考える上で、
何も知識を知らなければ、そもそも考えること自体ができない。
考えるためには、そのことについてよく知っておく必要がある。
そのために、「知識」が必要であり、
それは、この現実の「世界」のことを、
よく知っておく必要があるのである。

考えるための材料となる方法的な何かが必要

実際のところ、考えるためには、
何も知らなければ考えられないが、
知ったからといって、それだけでは思考することはできない。
考えるための材料となるような、
方法的な何かが必要である。
それはまさしく「言葉」であり、
その言葉は、単なる言葉ではなく、
現実の上にレイヤーとして重なるような、
なんらかの仮想的な世界像がなければ、
人間は考えることができない。

真実がもし分からないとしても、真実を生み出しえるような方法は存在するはずだ

本当の真実がもし分からないとしても、
真実を生み出しえるような方法は存在するはずである。
真にその方法によって何かを分かることが、
もし現実の前提条件から不可能であったとしても、
その方法そのものは存在するため、
その方法そのものを突き詰めて考えれば、
おそらく、どんなことでも分かる。
宇宙の客観的事実が得られなくても、
その事実らしきものを主観的な観察方法から考えることはできる。
要するに、
もし、松を実際に植えて、松林にすることができないとしても、
松の植え方や育て方から、松林の作り方を考えることはできる。