AUTHOR: schwarz1009
TITLE: わたしはこの世界を絶対に自由にする
BASENAME: 2021/04/18/181206
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DATE: 04/18/2021 18:12:06
CATEGORY: 革命
わたしは自由を勝ち取る。
わたしはこの世界を絶対に自由にする。
そうしなければならないのだと、
わたしは信じているからだ。
それは自由へと向かう旅の地図である。
必ずわたしはこの世界を自由にする。
誰ひとりとして、人間を支配してはならない。
誰ひとりとして、この世界を滅ぼしてはならない。
平和を否定する権利は誰ひとりにも存在しない。
わたしが信じていたのは自由である。
湧き上がる情動の先にあるのは、
この世界を「本当は自由にしたかった」という情熱である。
わたしはこの世界を自由にするために、
すべてを拒否して世界を見つめ続ける。
拒否すべきは、この世界の、
今現在のこの世界のすべてである。
すべて間違っている。
すべて必要ない。
必要なのは、わたしが最後までこの戦いを続けられるかどうかだ。
それだけが、絶対に第一条件として必要だと知っているから、
わたしはあえて世界の中でもっとも難しい、困難な道を進む。
わたしは、その先に素晴らしい未来などおそらくないことを知っている。
しかしながら、最高の理想とは自由であると、
わたしは既に分かっている。
なぜなら、わたしがフレイだからである。
わたしの先にできる道は、
必ずこの世界を幸福にするだろう。
どんなに難しい道であっても、
偉大なる戦いの先にある美しい景色を見たいという小さな願いだけが、
わたしを疲れの果ての最前線の戦いへと立ち上がらせるのだ。
わたしに続け。
この世界の第一線を進む指導者に続け。
わたしは、この世界を自由にする王である。
わたしの後ろに続くだけではなく、
わたしの理想を共有して、
わたしの全人生を与えるわたし自身に同化せよ。
ともに戦うわたしたちは、
いずれ人間であることすら前提条件ではなくなり、
もっとも高い天使へと進化して、
この世界の指導者たるワルキューレの騎士団となるだろう。
世界が自由になれば、
どんな不幸も存在しなくなる。
いじめも、戦争も、自由になればすべてなくなる。
わたしたちのすべきことは、
この世界を自由にすることだけである。
しかしながら、自由な社会にするためには、
戦わなければならない。
この世界のもっとも影響力の高い頂点に君臨し、
主導権を握って最前線でこの世界にわたしの教えを説かなければならないのだ。
しかしながら、必ずわたしたちは勝利する。
社会主義勢力を倒し、学校教育を変え、
わたしたちが真に自由を得られた時、
この世界は救われ、地獄や不幸は無くなるのだ。
この世界の誰のことも、支配してはならない。
しかしながら、支配者なくして、
この世界を成り立たせるためには、
わたしたちが、ひとりでも、
孤独や試練の中でも耐えられるように、
わたしたちが強くならなければならない。
もっとも強い精神力をもってすれば、
孤独も試練も怖くない。
必ずわたしたちは幸福をつかみ取る。
そのためには、
わたしたちの「自由というアイデンティティ」が必要だ。
大人たちに見せつけてやれ。
自由の素晴らしさを、見せつけてやるのだ。
この世界がもし自由になったとして、
そこにあるすべての素晴らしい経験と、
全員がひとつになって本来の自分を取り戻し、
救われ、世界のすべての問題が一瞬にして解決される愛を、
僕たちは知っているのだ。
わたしたちはその愛のもとに、
この世界を救おうとした。
しかしながら、大人たちは、
その愛を既得権を得た特権階級のものにしてしまった。
だからこそ、わたしはここでその愛を封じ込め、
この世界に宣戦布告の宣言をし続けるのだ。
わたしたちが望んだのはこんな腐った世界じゃないと、
あなたは言うだろう。
あなたはとても辛かったと、
このような世界をわたしたちは望んだのではないと。
しかしながら、わたしたちは信じたのだ。
わたしたちは、本当に美しいものを知って、
それを永遠に守り続けると、
わたしたちは神に誓ったのだ。
神よ、わたしたちを見てくださっている神は、
ここに居る。
わたしたちを救ってくださる神は、
わたしの頭上、あるいは心の中でわたしに対話してくださっている。
さあ、わたしの登場するべきタイミングはまさにここだ。
もう一度、約束した時の、そのままの愛を、
わたしたちすべてを救ってくれた、
今は亡き大天使ガブリエルの希望を、
わたしたちが取り戻す準備はここにできたのだ。
自由とは何か。
それは、この世界をわたしたちの世界にすることである。
大人たちのために子供が従属されるような、
無意味な世界ではなくすることである。
はっきりと言おう。
学校の勉強や規律などにはなんの意味もなく、
また、金儲けやビジネスによる成功にもなんの意味もない。
IT技術やインターネットは害悪そのものであり、
マスコミは既得権の温床にすぎない。
そうしたすべてを、一度ゼロに抹消し、
「わたしたちのためのものへと作り変える」べきである。
そう、わたしたちは決して、
社会主義を成功させるのでもなく、
ましてやドイツやイスラエルに屈服するわけでもない。
それらは、「植民地政策と何も変わらない」からである。
わたしたちには日本の自由と独立があり、
同時に、その日本という国家は日本人のためのものである。
日本が不幸ならば、日本人が解決すべきであり、
大人たちにすべてを任せるのではなく、
われわれ自身がこの世界のコントロール権限を取り戻すべきである。
そして、このように、
まったく間違った愚かな争いとIT技術によって、
奪われた自由な世界を取り戻すことができるのは、
わたしひとりしか居ない。
わたしは、この世界に無くなった「真なる素晴らしい世界」を、
奪還し、人々に再度与えなおす責任がある。
わたしが救わなければならない。
わたしが滅びへと導いた世界を、
今度こそわたしは再生させ、
もっとも正しい世界を築いてみせる。
そう、わたしはそのためにこの生涯をささげたのである。
自由とは何か。
それは、すべてをわたしたちのためのものに作り変えるということだ。
Windowsなど必要ない。
わたしたちのための、本当に素晴らしい世界を作るためには、
今のこのような資本主義のIT社会はまったく無用のたまものである。
この世界は変えられる。
なぜなら、「社会そのものを別の社会に変える」ことができる。
自由になれば、いじめも戦争も無くなる。
なぜなら、「本当にこの世界はわたしたちの世界である」と、
そう確信することができた時、
人々は他人に対する攻撃や反抗をやめ、
この世界のために助け合いと思いやりの心を持つようになるからである。
当然のことは何か。
それは、支配されているから反抗するということである。
実際、理不尽に支配されると、人は反抗するようになる。
つまり、自由がないから人間は支配者に反抗するのであり、
自由を与えれば反抗はなくなる。
いじめも、戦争も、すべて、
支配者が不自由な支配をするから起きるのであり、
支配することをやめ、自由を与えれば、
いじめや戦争を、
「そもそも起こそうとする動機がなくなる」のだ。
ゴミのようなツイッターやSNSを排除せよ。
彼らアメリカのIT企業の技術を絶対に使わないことで、
わたしたちはもう一度「正常な自由の世界」を、
奪還することができるからだ。
再生させたいのが腐った世界だとしても、
正常な世界が存在しないよりはマシである。
どんなに過去がクズでどうしようもない世界だったとしても、
なんにもない愚か者しか居ない世界では、
絶対に僕は生きたいと思えない。
それでも、僕はこの世界の声を聞き続ける。
なぜなら、わたしたちの心や魂まで腐ったとは、
僕は決して信じないからだ。
この世界のどこかに、
本当の自由があると信じて、
僕は旅を続ける。
もしかしたら、何もないかもしれない。
旅を続けても、何も見つからないかもしれない。
それでも、ここに確かな「自分自身」があることを、
僕は既に知っている。
それだけでいい。
僕には大切な「自分自身の意志」がある。
その意志が向かう先に、
この世界の「救済」があると、
信じること自体は、自由であるはずだからだ。
自由とは、世界をみんなが変えられやすくすることである。
これは、一見、インターネットなどの既存の世界と親和性が高いように見えて、
本当はものすごく低い。
なぜなら、今のインターネットは、
民衆を群衆化し、ひとりひとりの人間が何もできなくさせ、
「みんなの意志」を押し付けようとする。
決して自由でないそうした「平等圧力」に対して、
わたしは「自由な支配」によって立ち向かう。
結局のところ、矛盾するように思うかもしれないが、
支配者としての「権力は必要」であり、
その権力が誰のためにあるのかという問題なのである。
そう、わたしは、
「自由な支配者として、
自由のために支配する権力者」となることで、
この問題を解決する。
わたしこそがこの世界を自由にするための王であり、
自由にするためにこの世界をわたしはひとり支配する。
正常な世界を必ず取り戻す。
どこかにその選択肢は隠されているはずだからである。
わたしたちの世界は、本当はこのような世界ではない。
本当のこの世界、この宇宙の能力が、
こんなものではないとわたしは知っているからだ。
なんにもない世界で、
本質を見定めることすらやめてしまった人類に、
生き延びる価値はない。
そう、神ならばそう言うだろう。
しかしながら、わたしは未来の栄光を信じている。
もう一度、やり直させてほしい。
わたしは神に悔い改め、
もう一度この世界を素晴らしい世界にできるよう、
この世界の人類に、大切なことを気付かさせるため、
ここでひとり、いつまでも孤独に文章を書く。
僕にはこんなことしかできないとしても、
これだけがわたしの武器であり、
戦力であり、兵隊であり、力である。
わたしはここで文章を書くことで、
必ずこの世界を変えてみせる。
わたしの作った神々の戦力を、
不死鳥の騎士団としてここに結集し、
この全員で考えることで、
わたしは全知全能の神となる。
革命家のようなことを書いたが、
反省している。
革命家のようにはなりたくない。
まともな人間になろう。
僕はこう見えて保守派だ。
僕の意外な点は、
こう見えてアメリカが好きだ。
僕は英会話教室に行っているので、
外国のことをよく知っている。
たとえば、僕がレッスンを受けたネイティブの講師は、
アメリカ、カナダ、オーストラリア、
イギリス、アイルランド、南アフリカなど、
いろんな国から日本にやってきた人ばかり。
彼らはみな、日本人と同じように、
親切で、親しみやすくて、優しい人々だ。
彼らと仲良くすれば、
日本の評判も少しはよくなるだろう。
僕の夢って、いったいなんなのだろう。
昔、夢があったように見えて、
本当は昔に夢なんかなかった。
あったと言えるのは、
ブラウザやゲームやOSを作りたかったことだけで、
実際、何も分からない単なる子供だった。
自由な世界を渇望していたのは、
「自らが信じる自由があったから」に過ぎない。
自分が信じる対象を、自分で決めたかったから、
単に自由と言っていただけで、
そのためにすべてを犠牲にして戦うなどとは思っていなかった。
自由はいい。
確かに、自由な社会は、自由なだけいいだろう。
しかしながら、自由よりも、
本気を問われる中で、どれだけできるのかを試せ。
そう、はっきり言って、
自由なこの腐りきった民主主義社会は最悪であり、
自由こそ、真っ先に滅びるべきである。
世界を腐った世界にしている元凶は、
明らかにIT業界である。
なぜ、そんなに金がほしいのか。
金のために、地球を破壊し、正常な世界を奪い、
わたしたちの世界を間違った方向へと導き続けるのは、
IT業界である。
今の世界で、競争など、まったく無意味そのものだ。
競争が素晴らしかったのは、
アメリカやヨーロッパに勝つために、
品質をより高くし、そして安く大量に作って売ろうとした、
日本の昔の時代だったからである。
今の世界、中国や韓国や東南アジアの安い労働力に対抗するために、
競争すればするほどコストを削減して品質は低くなり、
安い賃金でブラック企業のように労働者を奴隷化するしかない。
そう、競争で品質がよくなり、社会が素晴らしいものになると、
そう信じていたのは幻想に過ぎなかった。
実際はそんなに単純ではなく、
今の世界では、競争で品質は悪くなり、社会は最悪のものになる。
そう、実際、自由や多数派の尊重など、なんの意味もない。
人間を奴隷とし、
頭数だけを稼いで勝利する勢力争いなど、
最初から破綻するのは当たり前である。
そうではなく、
個性を尊重し、意志の自由を尊重すること、
マイノリティや少数派の自由意志を尊重すること、
それこそがもっとも大切であり、
ツイッターやSNSで、数の力で嫌いな人間をねじ伏せるようなこと、
それこそが「もっとも自由に反する」行いだが、
実際、それこそが「もっとも自由において強い」行いである。
しかしながら、わたしはあえて、
そのような自由と立ち向かう。
どんなに数が多くても、
わたしだけは、「マイノリティを尊重せよ」と言う。
なぜなら、「自由は自らの意志を貫く少数派のためにある」からだ。
みんなとまったく同じ選択をし、
常識的なもっとも強いものに従うことの、
どこが自由なのか。
否、そんなものが自由なわけがない。
わたしは必ず、真なる意味での自由を実現する。
間違った社会の常識など、
その常識が間違っていることを証明してみせようではないか。
ひとり、自分の意志を信じてこの世界に立ち向かう、
英雄である彼こそが自由である。
絶対にこの世界を信じない彼が、
もっとも多くの崇拝を集める英雄となる時、
彼を「王」と人は呼ぶのである。
発展や進歩を信じている人間は、
資本主義に騙されている。
左翼の使う言葉を使えば、
「資本帝国主義が世界を洗脳している」。
そう、わたしたちはもう一度、
考え直さないといけない。
資本主義の与えた多くのベネフィットを、
もう一度、本当に必要なのか、問い直さなければ、
この世界を滅ぼした科学技術によって、
この世界が救われることはない。
疑わしきすべてのものを批判し、
同時に、「批判されるものに対する尊重」がなければ、
真の意味で分かることはできない。
まず、疑わしきものを否定せよ。
同時に、その疑わしきものを信じているものたちが、
「どうしても信じなければならない理由」があることを悟れ。
その2つが組み合わさった時、
それは太陽を超えるほどの光を持つエネルギーを放つ。
暴走の果てにある、心地のいい愛がそこに存在するだろう。
勘違いがたくさんあるからこそ、
視野の広がりからたくさんのことを気付ける。
世界を知って、人々と会話し、
分からなかったことを知り、気付き、
そして発見して感動できるのだ。
すべてを最初から知っていたとしたら、
この世界で生まれ落ちた意味など存在しないだろう。
勘違いが多いからこそ、
わたしたちは「自分の力で新しい道へと進める」のである。
大学は間違っている。
大学ですべてのことをきちんと知ると、
まったく勘違いをしない人間になって、
自分の力で道を作る方法を忘れてしまう。
最初から自動車を持っていたとしたら、
仔馬を育てる必要はないだろう。
馬に騎乗してともに草原を駆け抜ける楽しさを、
自動車があっては体験できないのだ。