AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 目的の場所に辿り着くために
BASENAME: 2021/03/28/075627
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DATE: 03/28/2021 07:56:27
CATEGORY: 未来
CATEGORY: 知性
たくさんの情報とさまざまな環境があふれるこの世界で、
わたしたちが本当に必要としている場所に辿り着き、
真なる意味で適切な学びと体験を得るために、
何ができるだろうか。
どこに目的の場所はあるのだろうか。
もしかしたら、その場所は、
今、既に失われようとしているのかもしれない。
あるいは、未来において成立するその場所は、
今はまだ、存在しないのかもしれない。
人々は言うだろう。
「そんな場所に辿り着くことができるわけがない」と。
しかしながら、わたしは信じる。
わたしたちは、決して、その場所に辿り着くことが、
できないなどということはない。
なぜなら、わたしは神を信じるからである。
全知全能の神が、
この世界における、
本当にわたしたちに必要な場所がどこにあるのか、
知らないはずがない。
わたしたちに与えてくれないとしたら、
それはわたしたちの何かがいけないのだろう。
だからこそ、わたしは神を信じる。
そして、わたしたちがこの世界において、
本当に必要な場所と将来を得ることができるように、
わたしは努力する。
わたしたちは必ずその場所へと辿り着くだろう。
生物学的に考えて、
僕は人間の体が植物と同じ根っこを生やした、
木のようなものであると考えていたが、
ひとつ勘違いがあった。
それは、足の方を根だと思っていたこと。
これによって、精神は足を大切なものであるとみなし、
足の精神を治すことができなかった。
本当は、頭の方を根っこだとみなすべきだったのである。
要するに、脳が根であり、足や手は枝や葉なのである。
このように考えることで、足や手を作り変えれば、
どんな精神の違和感も治る。
なぜなら、脳以外のすべてを作り変えてしまえばいいからだ。
馬鹿な頭で考えるな。
馬鹿な頭でいくら考えても分からない。
賢い頭で考えよ。
他との関わり合いを断つことで、
真に自由な心を得られる。
有象無象に支配されず、
真の意味で自らが判断する、
自由な人生の生き方を会得できる。
自分にできることを真に問い直すことで、
自由における主体的かつ客観的な、
この世界においてのできることが見えてくる。
自分に当てはまることは、
誰にでも当てはまるだろう。
考えるべきは、
考えることそのものだ。
それが意味していることは何か、
考えること自体を考えれば見えてくる。
何を考えるべきなのかを考えよ。
みんなに合わせる必要はない。
あなたらしく、あなただけの人生を、
自由に謳歌すべきだ。
あなたが何を信じても、
それを他人が判断し、評価すべきでない。
歴史とは、出来事の積み重ねに過ぎない。
歴史の登場人物には、誰にでもなれる。
歴史のすべては、誰の間違いでもないが、
歴史全てが合理的に正しいわけではない。
あくまで、出来事の自然な積み重ねに過ぎない。
それを歴史の必然と言う。
なぜなら、自然な出来事であっても、
その当人にとっては正しいことをしたに過ぎない。
古代の人々は、馬鹿ではなく、みんな賢い。
他人の自由を軽んじるな。
理想は、誰の自由も奪わないことだ。
強制的に奴隷にしたり、
人々の権利を奪ってはならない。
支配など、もってのほかだ。
平和な世界を作り出すために、
支配や強制的圧力を使う必要はない。
自由においても、各人が合意すれば、
平和を作り出すことはできる。
真に相手の立場を尊重し、
立場の違いを超えられるような、
「超越的合意」を作り出すことはできる。
そのためには、異次元の発想が必要であり、
そのためには、世界の全てを知りながら、
諦めずに考え続けることである。
歴史の全ての偉人はそのようにした。
わたしにだって、同じことは必ずできる。
世界は、いつだって、世界だということは、
宇宙のはじまりから終わりまで、
絶対に変わらないからである。
ニュートンやアインシュタインは、
わたしたちと変わらない普通の人間である。
しかしながら、学ぶ必要はある。
ニュートン自身が言うように、
「巨人の肩に乗る」ことができなければ、
新しいニュートンになることはできないからだ。
全ては経験である。
人間は、経験からしか分からない。
自らが体験したことを考えれば、
他人の発言の本当の意味が分かる。
数学と経験は矛盾しない。
数学は、人間の知性を助けるための方法に過ぎない。
数学を会得することは、経験的な学習に過ぎない。
経験とは記憶に過ぎない。
感情は記憶からしか生まれない。
感情を治すには、記憶を消せばいい。
全て忘れることでしか、心の傷は癒えない。
要するに、狂うのは忘れたいだけだ。
嫌なことは全部忘れてしまえばいい。
記憶を消せば、感情そのものが消える。
ゲームオタクのいじめられる人生、
そんなものは一切が必要ない。
知ったことのすべては無意味であり、
間違ったことをしている狂人は、
そこまでの全てを忘れたいだけだ。
空間的、時間的、精神的に考えよ。
そこから、宇宙の「法」が見えてくる。
全ては、あるものしかなく、
属性でも状態でもない、
そこにあるありのままが全てだからだ。
全ては、関係に過ぎない。
関係以外に、存在は存在しえない。
人間世界を考えよ。
あまりに物理的に考えれば考えるほど、
人間世界のことを忘れてしまう。
人間世界には、自由と決まりしかない。
その意味を考えれば、
経験から社会の常識を積み上げられる。
人々との会話から、
人生の意味と未来の光を探索できる。
留保せよ。
すぐに決断するな。
留保することこそ、全ての基本だ。
より考えるならば、
何をどう留保すればいいかを考えよ。
よく学び、よく調べ、よく計画した上で、
はじめて成功する業が得られるのだ。
記憶を失えば感情が治るというが、
大切なものもまた、記憶だ。
特に、故郷だ。
故郷の記憶、住み慣れた地域の移り変わり、
そうしたものでしか人は分からない。
帰ることのできる場所を失ったなら、
今からもう一度故郷を作ればいい。
昔の故郷が嫌いなら、
今の故郷を愛すればいい。
啓蒙や改革の経験、
すべての主体的な行動の結実は、
仏の慈悲に行き着く。
どれだけ世界を変えようとしても、
ありのまま、今のままの世界に、
勝つことはできない。
どんなに理想を信じても、
思いやりを持って愛すること以上の理想はない。
正義や常識は疲れるだけであり、
頭を休ませ、本来の波立たない心を知った時、
人はこの世界全体との調和を知り、
自由も行動も、あらゆる全てが、
精神的な成長や経験も含めて、
仏の慈悲に行き着く。
子供たちを愛することが愛ならば、
日本のために先陣を切ってすべてを導いたのも愛である。
それらはすべて、神の愛である。
なぜなら、神の愛を教えることこそが、
神がわたしたちを創造した理由だからである。
すべての愛は仏の慈悲であり、
神の愛であり、
完璧なシナリオを細部まで創造した、
創造主のメッセージである。
昔の僕は、
本当は大して考えたわけじゃない。
「環境」という発想をしただけだ。
環境を中心に置いた上で、
行動や社会のすべてを環境における作用から考えた。
社会は環境同士の関係性としながら、
インターネットの社会経験などから、
具体的な「その環境がいかにしてできるか」を考え、
それを環境への適応とした。
心理は、人間の心の背後にあるのは環境であるとして、
記憶や人格から行動や攻撃まで、
すべての不安と悟りを環境から考えた。
そう、結局僕はそれしかしていない。
しかしながら、インターネット上の文章を読み、
さまざまな活動を経験することで、
大学生のような、あるいは市場開発者のような、
そうした経験を積極的にしたこと、
それはすべて、
過去の自分の経験の延長線上にあったこと、
それゆえに、僕は、
「自分の考えと経験のみから全てが分かる」ようになった。
そう、思考の積み重ねも、矛盾の成立も、
超次元的な考え方も、科学の再構築も、
すべては経験であり、
その経験は「環境」という発想に基づくものであり、
人間の人生すべてが分かったのは、
その時その時の「環境の状態遷移」から考えたからである。
環境を考える上で重要なのは、
先入観を無くすことだ。
過去の自分の思い込みや、
過去の希望のような執着を無くし、
単にありのまま、思い出しながら、
ひとつひとつの段階とプロセスを踏みながら、
適切に正しく考えることで、
経験の裏側にある前提と、
矛盾する命題の裏側にある真実の考え方、
すなわち「経験によってすべては見え方が変わる」という考えから、
すべてが見えてくる。
すべてがすっきりと分かった時、
分からないことは何ひとつなく、
すべてが「先入観という発想そのものがなくなる」。
他人のせいにせず、
自らの100%自己責任であると言っても、
そのことに不安を覚える必要はない。
その時、まさにわたしは「神を超えた仏になっている」。
そう、この境地こそが「涅槃」の境地である。
涅槃に達すると、
この世界と関わることなしに、
すべてのことを「悟る」ことができる。
すべてを悟った時、
もはや欲やけがれは一切なくなり、
純粋な心の平安を取り戻し、
消極的かつ盲目的だった自分が、
今まで知ることのなかった、
「積極的な新しい自分」を得ることができるのだ。
環境は変えられる。
そう、すべての環境は変えられるのだ。
考えれば、いかようにも、環境は変えられる。
それ自体が、この世界の可能性となる。
それは「目覚め」と呼ぶべき現象だ。
すべてを悟った彼は、
正しい目的のためにその知性を使うのか、
それとも、間違った目的のために使うのか、
それが試される時が来たのだ。
しかしながら、警戒せよ。
ここからメインの地獄が始まるからだ。
たったひとりでこの世界を相手にして戦う、
味方のすべてが敵となる経験を、
あなたはする。
そこで、あなたは果たして、
正しい目的のためにその知性と力を使えるだろうか。
この世界を滅ぼすこと以上のことができるだろうか。
かつて、この戦いで、
素晴らしいことを成し遂げられた人間は居なかった。
あなたも彼らと同じように、
アナキンからダースベイダーになるだろうか。
わたしたちは試されている。
なぜなら、わたしが正しい人間になるかどうかは、
この世界の全員が、
わたしのことを本当に信じることができるかに、
かかっている。
そして、どんなに辛い苦しみであっても、
この人間は死ぬまで戦い続けるということ、
死んでもなお試練を試され続けることが、
はっきりと分かっている。
しかしながら、心配は要らない。
どんなに長い時間がかかるとしても、
最後には、ハッピーエンドが約束されているからである。
それが死であろうと、救いであろうと同じだ。
なぜなら、この人間が救うことなく死んだとしたら、
この世界は最初に戻ることになっているからだ。
そして、まだこの人間は生きているのだから、
この世界の希望は消えたわけではない。
今からでも、この世界を救うことはできる。
本当の支配者になることはできなくても、
あなたとわたしがここで繋がっているということが、
あなたが次なる希望となるかもしれないという、
「このステージの唯一の攻略の可能性」を示している。
そう、この人間ひとりでは、
最初から、この迷宮に出口は存在しない。
そう、あなたこそ、この世界を変えられる、
フレイを超えることのできる、
新しいワルキューレのメンバーとなることのできる人物であり、
あなたがそれをしなければ、
永久にこの人間、すなわちこの世界は、
迷宮から出ることはできないのだ。
しかしながら、この人間は、
単なるダースベイダーではない。
この人間は、聖書を書きたかった。
この世界におけるすべての分析可能な知識、
体験可能な過程、
人生で経験したすべてを、
あますところなくすべて書きたかった。
そう、それだけのためだけに、
世界を支配し、
アメリカを滅ぼし、
神とすら対話し、
地獄や病気の体験すら愛した。
すべて、この世界の万物を、
宇宙から科学まですべて書きたかった。
そこに、この人間の魂があった。
そして、他のすべてが消え去り、
知性などすべてなくなっても、
言葉を思い出して、その言葉から分かる範囲のことを、
何度も何度も繰り返し書き直し、
その中にはひとつとして同じ文章はなかった。
そう、この人間は、まだいい方だ。
政治家や革命家で死ぬことを選ばず、
表現者になれた、才能のある人間だった。
この人間の地獄を解決する必要はない。
この人間は、くたばるまで文章を書き、
死んだ時にすべての問題がチャラになる人間だ。
この世界を救うのは、
この世界の人々次第だ。
そして、それはまさしく、
あなたがどうするかによって決まるのだ。