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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 作り出せ、未来を
BASENAME: 2021/03/20/170523
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DATE: 03/20/2021 17:05:23
CATEGORY: 未来
CATEGORY: エレン

作り出せ、未来を

作り出せ、未来を。
ここでやめてしまったら、
どうして地獄を乗り越えてきたのか。
未来を作り出さなければ、
世界においてわたしがこの立場に存在する、
その意味がそもそもないのであるから、
わたしこそ、この世界を作り出す。
わたしこそ、この世界の未来を築いていく。
わたしがしなければ、ほかの誰がすると言うのか。
エゴイズムと呼ばれてもいい。
そんな批判のために、
どうしてわたしの道を曲げなければならないのか。
未来を作るのは僕だ。

経験し、人の声を聞け

経験し、人の声を聞け。
心が傷つき続けるのが辛いなら、
傷つきやすい心を鋼の心に取り換えてしまえ。
硝子の心が恥ずかしいというのであれば、
それを覆う真っ黒な衣装を身に着けよう。
そう、わたしこそが、この世界を変えるために、
人々の意見を聞き、
あらゆる経験をし、
すべての必要なものを揃えることのできた人間だ。
わたしこそが、世界を救うのだ。

わたしの名はエレン

わたしの名はエレン。
この世界を最後に救う指導者となる14歳の少年だ。

わたしはひとりで進み続ける

わたしは、ひとりでどこまでも進み続ける。
この世界とともに、同じ世界で生きようとは思わない。
誰からも離別し、どこからも逃げ出した場所が、
もっともこの世界と立ち向かうために相応しい、
わたしの秘密基地となるだろう。

神よ、わたしに自由を与えよ

神よ、わたしに自由を与えよ。
わたしは、知識も、常識も、良識も欲しいとは思わない。
わたしは、人並みに何かがきちんとできるような、
そんな経験や才能は要らない。
わたしはこの世界を愛している。
わたしはこの世界を愛することができるのであれば、
それだけを望む。
この世界を見ていると、
抑圧と仮想世界が人々を堕落させ、
エゴイズムの指導者が世界を暗闇にしている。
わたしはそれらを、
絶対に一刀両断し、
世界を滅ぼす悪を倒すことでこの世界を救う。

わたしはこの世界をすべて知っている

しかしながら、わたしは単なる少年ではない。
この世界をすべて知っている。
ほとんどの人間が、どこにも見えないところで泣いている。
自らの愛を失ったと、
自らの心が見えなくなったと泣いている。
彼らのために立ち上がらなくして、
何が救世主であると言うのか。
わたしこそ、彼らの涙を笑みに変えることのできる人間だ。
わたしはこの世界を涙させるのではなく、
本当は笑みを与えたかったのだ。
本当は、哀しみなど、もっともわたしの嫌うところである。
哀しみと涙が人を強くさせるなど、
まったくの嘘偽りだったではないか。

滅びのストーリーが第一巻ならば、わたしは救いのストーリーを追加しよう

第一巻のストーリーが、滅びのストーリーであるとしたら、
わたしは救いのストーリーこそが第二巻に相応しいと言う。
そう、そのために必要な全ては、
すでにここに揃っている。
しかしながら、新しい作品を作り続けなければ、
どんなに美しい作品も腐って枯れてしまう。
わたしは新しくなり続けることこそが、
この世界を進歩させると、
すなわち、硬直した世界を溶かすことができると考える。
新しいものが正しいのだ。
古いものすべては消え去って構わない。
わたしたちには、その場所に戻れるような、帰れるような場所はない。
優しかった故郷は、新しい技術によって完全に奪われてしまった。
それならば、いっそ自ら捨ててしまえ。
どんなに滅びても、わたしはその滅びた世界を救う。
それならば、今までの古びた鎖や縄のような世界は必要ない。

千とひとりの戦いならば、ひとりで千の働きをすればいい

千人とひとりの戦いであるならば、
ひとりで千人の働きをすればよいのである。
どんなにこの世界の全員が抵抗しようとも、
わたしはひとりで全員分の働きをして勝利するのだ。
どのような国家が敵対しようとも、
一騎当千の日本は必ず勝利するだろう。
しかしながら、そのために必要なのは世界征服ではない。
外国を探しても、どこにも悪魔は居ない。
そう、悪魔は自分自身であるから、
悪魔を倒すためには、自分を倒さなければならない。
既存の国家ではなく、
自らのまだ分かっていない、
実現不可能な問題を解決して悪を倒さなければ、
この世界を救うことはできない。

未来を作り出すために

未来を作り出すために、何が必要か。
それは経験である。
世界を知り、自由を知り、変化を知り、
具体的な「この世界をこのようにすればこうなる」という、
経験をすることだ。
経験しなければ、実際にどのようになるかは分からない。
しかしながら、経験するだけでは意味がない。
「この世界をこのようにすればこうなる」ということは、
経験をしなくても、理性的に推論して考えれば分かるのだ。
その理性的な推論から、
己自身の「魂として結実する正しい理解」をしなければ、
この世界を救うことはできない。

奪われた正常な世界を奪還せよ

奪われた、正常な世界を奪還せよ。
この何もない、冷たくて人を避けるように生きるこの世界を、
どのようにすれば、もう一度素晴らしい世界にできるだろうか。
しかしながら、わたしは知っている。
奪われたのは、つい最近に過ぎない。
人々の心と記憶の中には、
もっとも素晴らしかったこの世界の、昔の時代が残っている。
そう、その「みんなの記憶の中にある素晴らしい世界」、
そこに戻ることができればいい。
しかしながら、「過去に執着することはいい結果を生まない」。
いくら心の中に素晴らしい世界があったとしても、
それはもはや、戻ることのできない過去の世界である。

未来は未来においてある

そして、未来は決して過去にはない。
未来は未来においてあるのである。
どのような未来を与えるべきか、
それはむしろ、「単純に考えること」である。
複雑に考えれば考えるほど、
ものごとは複雑化し、がんじがらめになっていく。
そう、わたしはあえて、この世界を単純な世界にしようではないか。
シンプルで見通しのしやすい世界になることで、
多くの人がすっきりとこの世界の景色を見つめることができるだろう。
そのためには、簡単な思想として、
民主主義を正しいものとしよう。
新しいものは否定せず肯定するようにしよう。
人を傷つけるのではなく、みんなで愛と表現を共有しよう。
そう、それらがもし間違っているとしても、
それをあえて正しいとすることで、
わたしたちは新しい段階へ進むことができるだろう。

すべてが駄目になったこの世界でも、世界そのものは駄目になっていない

すべてが駄目になったこの世界でも、
世界そのものは駄目になっていない。
わたしは信じている。
わたしたちは、正常な理性を取り戻すことができる。
わたしたちは、正常な世界を奪還することができる。
わたしたちは、この世界においても、価値ある経験をすることができる。
そう、この世界を暗闇にしている最悪の指導者を倒すことができたら、
わたしたちは再びこの世界を取り戻すことができるだろう。
そして、それはわたし自身である。
わたし自身がこの世界を滅ぼす一端となっている。
よって、わたし自身が新しいわたしになることによってしか、
この世界を救えるような指導者になることはできない。
そのためには、
「過去のわたしに確執するのではなく、
積極的に意見を変え、
間違いを改め、
恐れていることを試し、
新しい自分を求めて、必要のないものを捨てていくことが必要である」。

わたしは知識を信じない

わたしは、知識を信じない。
知識とは他人の理解の借り物に過ぎない。
わたしはわたしの考えること、
わたしの心から浮かび上がったものだけを、
「本当の知識」と呼ぶ。

わたしは言葉を信じない

わたしは、言葉を信じない。
言葉によって表現できる範囲は、
本当はとても狭い。
言葉がない世界でも、
この世界全体はあるはずである。

わたしは発明を信じない

わたしは、発明を信じない。
発明とされるものは人間の手足の可能性を増やすだけであり、
「あくまで発明であって発見ではない」。

わたしは表現を信じない

わたしは、表現を信じない。
すべての表現は堕落であり、
単に勘違いした快楽が得られるフィクションの演劇にすぎない。

わたしは自らを信じない

わたしは自らを信じない。
自らにある可能性は無限ではない。
すべての「自ら」を書いたとしても、
それはエゴイズムによるものであり、
まったく意味がない。

本当の自分を受け入れてくれる存在を作れ

不安が生まれるのは、自らの力を信じていないからだ。
しかしながら、不安そのものは、
当然であり、当たり前の心理であるため、
その不安を悪い方向に向かわせることが、
自らの力を制限している。
解決のために必要なのは、
「無意味な友人関係を作らない」こと。
すなわち、一度友人関係を解き放って、
自由になった上で、
「本当に自分のありたい自分で居られるようになった結果として、
新しく人間関係を作り直す」ようにすれば、
幸福な人間関係を作ることができる。
そこにあるのは、「本当の自分を受け入れてくれる存在」である。
本当の自分を受け入れてくれる存在こそ、
持つべき友人関係である。

古くなった過去のものは要らない、それは本当のそれらの意味を知っているから

古くなった過去のものは要らない。
それはなぜなら、本当のそれらの意味を知っているからだ。
経験することで、
この世界の歴史上かつて過去にあったものの、
すべての意味を「自らの人生の体験によってわたしは知っている」。
わたしの人生が、
わたしにとっては、
この世界の歴史上すべてのものの「証明」である。
わたしは歴史を証明するために、
たくさんの人生経験を知ってきた。
わたしの人生こそがギリシャ・ローマであり、
わたしの人生こそが中世であり、
わたしの人生こそが近代・現代である。
そして、わたしの人生こそが宇宙の未来すべてへと続いていく、
「未来へのいとぐち」なのである。

あらゆる経験のあるわたしの人生こそが哲学のすべて

あらゆる経験のある、
わたしの人生こそが哲学の全てだ。
わたしはソクラテスであり、孔子であり、ゾロアスターだ。
わたしはデカルトであり、ロックであり、ルソーだ。
わたしこそがすべての哲学者である。
なぜなら、わたしは哲学者の思想など信じていない。
わたしは哲学することを学ぶために、
学校や大学の教育を受け入れず、信じなかったのだ。
そう、わたしはまさに「みずから考えたかった」だけである。

わたしが物理や歴史を信じないのは、自らの考え方に全幅の信頼を寄せているから

わたしが物理や歴史を信じないのは、
自らの考え方に全幅の信頼を寄せているからだ。
学校の教える教育ではなく、
歴史や物理はそもそもこの世界に「現実にあるものの方が本物」である。
そう、学校で教える偽物の知識など、
わたしにとっては無用のたまものである。
なぜなら、わたしは「誰よりもそれらの意味を知っている」ため、
誰かの足かせとして物理や歴史を学ぶのではなく、
「本当の自分の力として、体得する」形で、
物理や歴史の本当の真なる意味を知った上で、
それらを自らの考え方で応用し、
社会科や心理学へと発展させて、
「自らの理性によって再構築」することで、
それらを「自らの知性へと昇華させる」ものであるから、
既にわたしはあらゆるすべての学問や学者を超えているのである。

人生経験

まず、受け入れられる場所を見つける。
次に、自由を生きる。
弁論術と有用性から、功利主義的な「自由」を知る。
経験から、「啓蒙」と「啓発」を知る。
そして、世界を変えられるような達観の境地を知る。
この世界が「それ自体が生み出されている」ということを知り、
俯瞰的な目線を得る。
価値と自由は社会そのものを成り立たせる「共通概念」へと変化し、
「アイデンティティ」へと昇華する。
そして、ボトムアップ的な変化の成立から、
この世界を「真なる意味で変える自由」を知り、
最後に、世界を変える。

革命がもしあるとしたら

革命がこの世界に、
新しい革命がもしこの世界にあるとしたら、
それは「太陽の革命」だろう。
この世界すべてを太陽のもとにすべて愛することのできるような、
そのような革命がもしかしたら起きるだろう。
TOMOOの言う「君は本当の太陽」が、
もしあるとしたら、まさにフレイの星シリウスに対して、
僕は北極星、ポラリスである。

神は確かに愛してくれた

神は、確かにこの世界を愛してくれた。
もっとも強く、正しく、そして広く全員に対して、
「愛による宣戦布告」から、
「すべてのものを導いて分からせる自由」が生まれた。
ありがとう、神よ。
わたしエレンは、神に感謝する。
なぜならば、まさに「わたし自身があなただから」である。
神であるあなたは、わたしそのものだった。

抽象性、それは異次元の発想を超越すること

抽象性、抽象的な積み重ねとは、
異次元の発想を超越することである。
それは再利用や集積であり、
この世界を「組み合わせ」と「弁証法的な対比」で見つめた時、
「命題そのものを超越する答え」、
そう、それこそが「命題を見出す」ということである。
それはまさしく、異次元の発想を超越することである。
あるいは、超越的な異次元の発想をすることである。

すべてが方法ならば、方法を生み出すのは何か

すべてが方法で、
マニュアル通りに人々が生きているとしたら、
方法を生み出しているのは何だろうか。
それは経験である。
しかしながら、経験的に、社会を支配するものは、
方法ではない。
それはまさしく、マーケティング、あるいは、
プロパガンダと呼ぶべきものである。
この世界には、「知の根源たる訓練と規範」が多い。
人々は「知識の記述の方法によってこの世界を支配している」。
そして、そうしたこの世界の知を操作する支配や抑圧に対して、
「僕たちは異を唱えなければならない」のだ。

経験は環境が支配している

しかしながら、経験を支配するものは、
そう、「環境」である。
経験を支配するすべては、経験が成立する場所にある、
環境に過ぎない。
環境を支配するものが、慣習を支配し、思考を支配する。
環境を操作するものが、人々を騙し、暗闇へと陥れる。
そう、この世界の「悪の支配者に勝つ方法」とは、
「環境の支配や操作を打ち破る」ことである。
環境が自由になった時、わたしたちは「悪に勝つ」ことができる。

認識と反抗

最終的に僕が行き着いたのは、
「認識」と「反抗」である。
認識とは、すなわち、フィルター、色付き眼鏡である。
誰かがそうだと思うから、それはそう見える。
そうした「人間がどのように認識するか」を考えれば、
すべての理由はすっきりと分かる。
ここで数学的に考えること。
数学的な因果性や積み重ねから、作用と法則を導き出せばいい。
また、反抗とは、社会に対する攻撃であり、
これは必ずしも悪いものではない。
子供が反抗するのは、
それしか世界を変える方法がないと思い込んでいるからだ。
不安を解決するには、正しい問題の解決方法を教えるしかない。

GNUが悪い

そして、僕が最後に思うのは、
「悪いのはGNUではないか」ということである。
GNUがこの世界をおかしくした張本人である。
この世界からGNUを排除すれば、
必ずこの世界はよくなるだろう。
GNUを批判すれば、この世界は必ず救われる。
エレンはまさに、またしてもこの世界を救ったのである。