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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: この世界をどうすれば救えるのだろうか
BASENAME: 2021/03/19/190415
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DATE: 03/19/2021 19:04:15
CATEGORY: 教育

希望が欲しい

この世界をどうすれば救えるのか、僕は分からなくなった。
希望がほしい。

力を否定すればするほど、自分が弱くなるだけ

力を否定したい。
それは分かる。
いじめも、スクールカーストも、
全部力を固持しようとするから起きる。
だが、力を否定しようとすればするほど、
逆に自分の力が弱くなる。
支配して平等にしようとも、数で勝てない。

自由は狂っている、平等の方がいい

自由は狂っている。
子供たちそれぞれを自由にすればするほど、
子供たちは力を得るために数で敵に勝ろうとする。
このような中で、いくら自由を許しても、
その自由は良い効果を生むことはなく、
ネガティブな負の方向にスパイラルが形成され、
結局、いじめやスクールカーストが起きる。
解決策は、それぞれの力を「ひとりひとり」にした上で
平等にすること。

しかしながら、平等では画一主義になる

しかしながら、平等の間違いは、
個性よりも画一主義を取ること。
画一化されたロボットの社会では、
一切自分の自由が許されず、
学校の決めるレールに従って、
自分の有無を言わさず生きろと言われた人生を生きる。
これでは、学校の教育は訓練に過ぎない。
きちんとそれぞれの子供に合った教育をする、
自由こそが教育に求められる。

自由も平等も狂っている

よって、言えることは、
自由も平等も狂っている。
きちんとした支配者が支配するしかない。
そして、その支配者が、
学校の現場をよく知った人間であること。
そして、大人の言い訳をするような無能でないこと。
それが必要だ。

子供は、支配されたくない

だからといって、支配が正しい答えではない。
子供は支配されたくない。
先の平等と同じで、子供は、
無意味な支配によってロボットになることが嫌だ。
学級崩壊や非行が起きる原因は、
そうした学校や教師の「無意味な支配に対する抵抗」である。
よって、支配も間違っている。
ある意味、自由は間違っていないのだ。

勉強の無意味さ

学校は、環境が無意味なだけではなく、
勉強もまた無意味である。
テストでいい点をとるための試験勉強をいくらしても、
テストが終われば全部忘れてしまう。
「覚える」ことだけを重視する学校教育は、
間違っていると多くの人が言う。
どうにかして、もっと別の勉強方法は考えられないのか。
しかしながら、それは難しい。
大人たちも資本主義の「利益」や「成果主義」で生きているが、
ほとんど子供と変わらず、
あるいは子供よりも馬鹿である。
大人が馬鹿な中で生きているのに、
子供が賢い中で生きられるはずがない。
賢い子供は、学校の勉強なんかせずに、他のことをしている。

インターネットが一番悪い

子供を馬鹿にしている大きな要因が、
インターネットである。
インターネットは、そもそもがいじめと変わらないだけではなく、
ゲームや掲示板で子供を「廃人」にする。
しかしながら、これは今に始まったことじゃない。
15年以上前からそうだった。
このような世界では、子供はまともに生きられない。
いくら自由があっても、それを良い方向に使うことはできない。

結局なんの意味もないってこと

しかしながら、結局、
なんの意味もないっていうことだ。
この世界には、子供から大人まで、なんの意味もない。
ふとしたきっかけで悪の道に染まった子供は、
大人になっても永久にそれから脱することができなくなる。
これのいい例がフリーソフトウェアだ。
最初はWindowsのフリーソフトから好きになって、
徐々にLinuxやFreeBSDなどが好きになって、
それらを批判する敵対勢力に勝つために、
GNUのフリーソフトウェアの理想に洗脳される。
その後は、完全にGNUのロボットになる。
ただ働きでコピーし放題のGNUを信じると、
次第に社会主義に傾倒し、
そのまま革命でこの世界を滅ぼすようになって、
永久にGNUから逃れることができず生きていく。
このようなものばかり、大人には多い。
なんの意味もない。

GNUは正義の組織

しかしながら、GNUは子供を騙すだけの詐欺組織ではない。
正義の組織だから怖いのである。
そして、GNUはIT業界、ひいては全インターネットユーザーを騙している。
そもそもGNUはソフトウェアの開発プロジェクトであり、
UNIXのフリーなクローンを作ることが目的である。
UNIXはそもそもパブリックドメインであるため、
GPLというコピーレフトなライセンスを採用していることに批判はあれど、
UNIXと同じようにオープンかつフリーで公開されていること自体に驚きはない。
GNUはEmacsやGCC、Bashなど、多くのUNIXソフトウェアを作った。
これは、少なくともAppleなどのOS業界にとっては、
「コンパイラを自社で作る必要がない」という点でメリットだ。
コンパイラから独自に作っていては、OSを作ることは二進も三進も続かない。
GCCやBashがあることで、恩恵を受けた人間は多い。
また、Linuxカーネルが「乱交まがいにオープンにする」という開発手法を取って、
みんなでインターネットユーザーが開発する手法は奇跡的であり、
同時にインフラでLinuxは多く使われており、
このLinuxにはGNUの作ったソフトウェアが多く使われている。
GNUの根本思想は「ソフトウェアの自由」であり、
実行、ソースコードの閲覧、改良、コピー、再配布など、
すべての(ユーザー側の)権利を自由にせよと言っている。
しかしながら、これは「金儲けをせずただで働け」と要求している。
こういう、ある意味で正義の組織であるため、たちが悪い。
なぜなら、プログラマやエンジニアすら、GNUを信じているからである。
しかしながら、
GNUとは結局、その程度の組織である。
技術力は確かに高い。
卓越したソフトウェアの設計と実装の技術を有している。
また、悪いことはしていない。
犯罪の推奨のようなことはしていない。
社会主義に傾倒する若者がもしいたとしたら、その若者が悪いだけに過ぎない。

GNUは悪いが、ほかにいいものがない

このように幼稚で馬鹿なGNUであるが、
ほかにいいものがない。
フリーではないソフトウェアには、ウイルスのようなソフトウェアばかり多い。
あるいは、金をとるだけとっておいて、そのシステムを押し付ける会社も多い。
Linuxは、悪い選択肢ではない。
個人のWebサーバーに使うなら、Linuxがもっともいい選択肢だ。
掲示板やブログを提供するほとんどのサーバーは、
LinuxかFreeBSDを使っているはずだ。

IT業界もGNUも全部悪い

つまり、IT業界もGNUも全部悪い。
IT技術そのものが、「人間から考えて行動する力を奪う」。
あるいは、「人間の方が決まった使い方で使うロボットになる」。
このようなものは最悪である。
パソコンも、左翼も、大学も、そしてGNUも、クソくらえである。