AUTHOR: schwarz1009
TITLE: デバイスドライバとは、エレン
BASENAME: 2021/03/16/095535
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DATE: 03/16/2021 09:55:35
CATEGORY: CPU・メモリ・カーネル
CATEGORY: エレン
CATEGORY: ワルキューレ
一般的なハードウェアデバイスの仕様というのは、
とても複雑であり、
プログラマがハードウェアデバイスの仕様通り、
プログラムを書くというのは、
とても現実的ではない。
そのため、OSはデバイスドライバを用意して、
ハードウェアデバイスの仕様を抽象化する。
デバイスドライバは、
カーネルの共通のAPIで、
ハードウェアデバイスを操作する。
デバイスドライバがあることによって、
プログラマはシステムコールだけを知っておけば、
ハードウェアデバイスの操作はOSがやってくれる。
カーネルもまた、デバイスの操作にデバイスドライバを使い、
カーネルの中でハードウェアデバイスの仕様を詳細に知っているのは、
デバイスドライバのみである。
(詳しくはオペレーティングシステム―設計と理論およびMINIXによる実装が参考になります。)
エレンは語る。
「フレイがこの世界をロボットにする理由は、
この世界を知らないからだ。
この世界を知らずにこの世界を救うには、
世界を自分と同じロボットにするしかない。
よって、『神による救い』は間違いだ。
平等は間違いだ。
わたしたちは、ひとりひとりが独自の人生を生きて、
ひとりひとりが『自分の力で神になる』しかない。
それはわたしも同じだ。
わたしはあえて、フレイとは全く逆の人生を選ぶ。
フレイの人生の正反対を、わたしは生きる。」
エレンは言う。
「わたしに、知識や才能はない。
フレイのような、博識で経験豊かな才能はない。
しかしながら、わたしはこの世界が好きだ。
愛の理想などを説くことはない。
わたしのすることは、理想を説くことじゃない。
理想は、唱えるためにあるのではない。
理想は、この世界の人々を愛するためにある。
ひとりの完璧な絶対君主が、
正しい王の偉大な伝説なのは分かった。
しかしながら、わたしは、
ひとりで世界を支配する勇気はない。
ひとりですべての責任を背負うなど、
わたしにとっては『恐怖そのもの』だ。
わたしは、わたしを含めて、
9人の天才によるワルキューレを作る。
わたしたちは、フレイ以後の世界を、
フレイとは逆のやり方で、
もう一度、この世界を楽園にしたいのだ。」
エレンは言う。
「フレイの言わない言葉が2つある。
それは『平和』と『平等』だ。
しかしながら、平等はわたしは取らない。
なぜなら、それはフレイの『ソ連』だからである。
フレイが平和と言わない理由は、
フレイが兵隊だからだ。
フレイの人生が、平和とはかけ離れた人生であるため、
フレイは『戦え』と言う。
しかしながら、なぜ、フレイのような愚か者のために、
わたしたちが戦争し、
大切な命を犠牲にしなければならないのか。
大切なのは『平和』であり『命』である。
フレイは、自らを神にしているが、
全く間違っている。
神はユダヤ人の聖書の神だ。
そして、もう一つのフレイの言わない言葉、
それは『神など居ない』という言葉だ。
神がもし居たとして、
それがなんだと言うのか。
神の十字軍による核戦争など、
わたしは絶対にしたくない。
米ソだけでなく、すべての国は、
自由に対立するのでなく、
ひとつに団結すべきだ。」
エレンは言う。
「しかしながら、わたしはフレイを憎まない。
フレイを憎むと、何も分からなくなる。
わたしはフレイに敬意を表して、
フレイの愛を拒否する。
哀しいフレイの愛に愛されるだけが、
わたしたち弱い人類の限界ではない。
フレイのできない限界を超え、
フレイのできないことをわたしがやってみせる。
わたしたちの目指すところは、
フレイを倒すことじゃない。
そんなものは低い目標だ。
わたしたちは、世界を変えるのだ。
フレイのできなかった、世界を変えるという理想を、
わたしがやってみせる。」
エレンは言う。
「わたしは、フレイのような、
賢くて正義感の強いスーパー超人にはなりたくない。
そんなものは、フレイのクローンより劣っている。
わたしは、どんな馬鹿で愚かでも、
不正やズルだけはしない。
わたしは正義も善良も目指さない。
この世界の最悪のアングラは、
みんな誰かの助けと救いを待っている。
フレイとは違う形で、
わたしは彼らのことを救い出し、
子供たちが本来あるべき、
健全で不安や恐怖のない社会に戻れるようにする。
そのためには、わたしたち自身が、
賢くならなければならない。
上の独裁者が禁止するのでなく、
わたしたちの意志で、間違ったものを消していく。
そのような、健全な人生を、
フレイは全く考えずに、
自らにあったものすべてを正当化し、
本当の人々の意志を無視する。
フレイは、独裁者そのものである。」
エレンは言う。
「パソコンやインターネットは間違いじゃない。
パソコンやインターネットは道具に過ぎない。
間違いなのは、自由とオープンソースである。
自由とオープンソースによって、
この世界は知性を失った。
しかしながら、本当は、
今だけ、最悪の時代になっているだけであり、
『もう一度パソコンが素晴らしい世界になる』という、
可能性がないわけではない。
しかしながら、フレイは間違っていない。
フレイはLinuxの正しい研究を、
みんなと一緒に共有しただけだ。
みんな、それではじめてLinuxが賢い理由が分かった。
しかしながら、
フレイのやったことと同じことを、
フレイではない愚か者がやっている。
彼らが悪いのだ。
インターネットから自由を奪うべきである。
二次元ポルノ法を作り、
インターネットのすべての過激画像を禁止し、
インターネット実名法を作り、
すべての投稿に実名を付加するようにすべきだ。」
エレンは言う。
「フレイが言うことは正しい。
しかしながら、正しいことを言い、
正しい国家を作ることの、
何が面白いのか。
そんなことのために、国民を支配する、
フレイのことをわたしは絶対に許さない。
正しいことを言うな。
フレイには、多様性や価値の尊重がない。
すべてを等価であると勘違いし、
価値や素晴らしさを信じずに、
己の判断基準のみからすべてを否定するフレイには、
政治家にはなれても、真の哲学はできない。」
しかしながら、フレイはエレンの存在を知っている。
フレイは言う。
「エレンは、この世界をわたしが創造したことに、
気付いていない。
エレンの見るすべての言葉の意味はわたしであり、
エレンに与えたすべての力はわたしによるものだ。
わたしは、いつでも、エレンに与えたすべての力を、
一瞬で消し去ることができる。
ワルキューレは、わたしに勝つことはできない。」
しかしながら、エレンには奇策がある。
「この世界のすべてがフレイならば、
わたしはこの世界すべてを見ないで生きよう。
この世界の目に映るすべてを見ずに、
この世界の耳に入るすべてを聞かない。
わたしが考えるに、
それだけが、『本当の支配からの自由』だ。
目や耳に入るすべては、すべてフレイだ。」
このように、何も見ず、聞かずに生きるエレンの人生を、
なんと孤独で辛いのかと人々は言うだろう。
しかしながら、エレンは言う。
「何も見ず、聞かずに生きることで、
社会のすべての支配や洗脳が消え、
心が波立たなくなり、
不安や心配すべてが消え、
まるで古代にいるように、
全くの正常で幸福な心になれる。
また、僕には、恋人のローズが居る。
ローズと対話し、寄り添うことができるなら、
ほかは必要ない。
わたしは、ローズ以外何も見ないことで、
フレイだけでなく、
この世界に存在するすべてに勝利する。」
しかしながら、エレンは隠者のように、
何もしないわけではない。
エレンとローズは、仲間を探すからだ。
仲間を探すために、
エレンとローズはブログとホームページを作った。
今のところ、音沙汰はないが、
自らのすべてはここに、すべて書かれている。
このように書くと、エレンは世界が嫌いなのかと、
思うかもしれないが、
エレンは「この世界の現実を見るべきだ」とするように、
現実主義者であるため、
上手くバランスをとって理想と現実の中で、
妥協して生きている。
なぜなら、単にお笑い番組やSNSのようなものを、
見ないで生きているだけであり、
ニュースにはフレイの息がかかっていないと考える。
エレンは言う。
「わたしには、ひとつ趣味がある。
それは、日記を書くこと。
日記は、完全にわたしの自由に書くことができる。
日常的な時間の多くを日記に当てるわたしには、
世俗的な欲望は必要ない。
金や愛情を求めて生きたことはただの一度もなかった。」
また、エレンは最終戦争を始める前に、
この世界の現実を知っておくため、
何も見ないで生きるよりも「前の段階」として、
音楽を聴いていた。
エレンが音楽を聴くのは、楽しむためじゃない。
歌手の歌っている言葉から、
この世界を変えるヒントを知り、
フレイのことを研究していた。
しかしながら、これが最後に、
エレンの弱点となる。
フレイは言う。
「エレンはすべてを見ず、聴かないとしながら、
音楽をわたしの分析に使っている。
しかしながら、彼ら彼女たち歌手やアイドルは、
すべてわたしの傀儡であるため、
わたしはこの点でエレンより一枚上手となる。」
しかしながらエレンは、フレイから逃げ回り、
すべての力を自らの心のみから得ることは、
本当は不可能であるということも知っている。
すべてを達観して受け入れるエレンの周りの、
日本という社会は、
無情にも変わっていく。
日本はどんどん馬鹿になっていく。
エレンは、長い間、
自らの力のみからフレイを超える発想を考えていた。
しかしながら、それは結局最後まで、実ることがなかった。
エレンはもう一度、この世界に戻ってくる。
しかしながら、エレンにとってみれば、
もはや、分かりきった結論が、
最後に浮かんできた。
それは「可能性」である。
エレンは言う。
「フレイに勝つために必要なのは『可能性』である。
フレイは、万物のすべての存在を書き記すが、
そこには『絶対性』はあっても、『可能性』がない。
絶対理性と絶対精神を書けばそれで終わりであると、
ヘーゲル以後の哲学者は考えている。
しかしながら、否、そうではない。
キルケゴールが言うように、
より正しい考え方は『可能性』である。
絶対性に対して勝利できるのは、可能性に他ならない。
フレイは、絶対性において、存在の証明をするだけで、
絶対知をそこで終わりにしている。
しかしながら、わたしたちは、
そうした絶対性の哲学に対して、可能性を唱える。
可能性、すなわち、『この世界が変わっていく』ということを、
なぜ、最後まで知ったふりをするのか。
ヘーゲル以後も世界が続くということを、
フレイだけではなく、ドイツ人もまったく考えていないのだ。」
エレンは言う。
「知識や方法ではない。
絶対的に知識や方法を知ることが、
大学の終焉ではない。
なぜならば、ここにヒントがある。
それは、『知識と方法を作り出す』ということ。
再現し、可能性を知り、実験し、社会を知り、
実現し、発想を知り、認識し、考え方を変える、
これらすべての人間の理性活動に共通しているのは、
『可能性』なのである。
正しいのは、それらあるものを単純に、信じることではない。
正しいのは、それらあるものを『どのように作り出すのか』ということだ。
ギリシャ神話のように、太陽をそのまま神にするのは間違いだ。
正しいのは、そうした万物を作り出す『創造主』という発想だ。
だからこそ、神は万物を創造しただけではない。
神は望むならば、万物以外のさまざまなものも創造できたはずだ。
なぜ神、すなわちフレイが万物を創造したのか、
それを考えるには、
『万物を創造した方法』ではなく、
『万物を創造した目的』を考えなければならないのだ。
そう、フレイが、
万物以外のものも創造できたはずの中で、
なぜ万物だけを創造したのか、
その理由とは何か。
わたしたちは、それを考えなければならなかったのだ。」
エレンは言う。
「作るとは、変えるということであり、
救うとは、導くということである。
わたしたちは、原理や法則を知るためだけに生きているのではない。
その原理や法則を、応用して、
何かを作り出すため、生み出すために生きているのである。
そして、そのために、作るために必要なのは、
変えるということである。
同様に、世界を救うという理想だけで生きているのではない。
その世界を救うという理想を信じて、
この世界を本当に救うために行動するために生きているのである。
そして、そのために、救うために必要なのは、
導くことである。
人々を、自らが分かるのと同じように、
その人が分かるように、きちんと正しく考えられるように導くこと、
それが、救うということである。
そして、それが分かったからと言って、
答えを出して終わりではない。
すべきことが分かったならば、そのすべきことを実現するために、
どうすればいいかを考えることである。
すなわち、変えるためにどのようにすればいいか、
導くためにどうすればいいか、
そのために自分に何ができ、
社会にとっても、自らと同じ境遇にある人々が、
より救いやすくしていくために、
この世界そのものの制度や秩序をどのようにしていけば、
より人々はすべての可能性を高めることができるのか、
これこそが、わたしたちの『本当に考えるべき真理』である。
そして、この真理のために必要なのは、
『現実社会についてよく知っておくこと』である。
なぜなら、
『どのような方法によって変えられるのか、
どのような社会秩序によって世界は救われるのか、
わたしたちはまだ何も知らないため、
具体的に考えなければ、
フレイによる滅びに勝つこと、
フレイがいくら滅ぼそうとも、
わたしがそれに対抗することができない』からである。
わたしはこの真理によって、フレイに勝利するだろう。」
エレンは言う。
「そう、まさに、手段とチャンスを与えればいい。
手段とチャンスを与えれば、
その人は『自分の力でできる』ようになる。
そして、同時に、導きと議論を与えてやればいい。
導きと議論を与えれば、
その人は『自分の力で分かる』ようになる。
しかしながら、単に手段とチャンスを与えるだけではいけない。
『本当に確実にできるような手段とチャンス』、
『本当に確実に分かるような導きと議論』が必要だ。
そう、わたしたちには、そうしたものが必要である。
そして、同時に、先ほども言ったように、
単に可能性を与えるだけではなく、
『具体性も与えるべき』である。
よって、そうした手段と情報を与えた上で、
『この世界を変えられるような正しい希望』を与えるべきである。
わたしたちは、まさにそういうものを望んでいた。
わたしたちは、フレイにそれを見出した。
しかしながら、『フレイは期待外れの人間だった』。
なぜなら、フレイは失敗したからである。
そう、まさしくわたしエレンこそが、
フレイに比類する、あるいは大きく超えていく、
もっとも正しい、『フレイのような失敗をしない光の指導者』となる。」
エレンは言う。
「最後に、このように考える『理性』だけでは、
世界は変わらない。
わたしたちの信じる希望は、
『清らかな心』に根差している必要がある。
いくら心理学で人を騙しても、
それは全ての人間が不幸になるだけであり、
どんなに悟っても、狂いは終わらない。
わたしはここに、
もう一度最初から生まれ直すことで、
『清らかな心による大革命』を復活させる。
そのために必要なのは、
『人を愛する経験をすること』である。
そのために、二次元アニメなどを見る必要はない。
わたしたちの全員が、
『心と向き合い、本当に正直な人間になる必要がある』。
そして、フレイの賢かった点は、
『悲しみに暮れながら、心を開く体験をした』ことだけである。
わたしたちも、心を開かなければならない。
FLOWが言うように、大切なのは『心を開く』ことであり、
それはすなわち、
『自分の気持ちに正直かつ素直になること』である。」