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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 僕はまだ生きています
BASENAME: 2021/03/11/205228
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DATE: 03/11/2021 20:52:28
CATEGORY: 井上茜

僕は井上茜に生まれ変わった

僕はなぜか、まだ生きている。
特に、急に死んだりはしない。
しかしながら、ここまでの僕を、
斉藤蒼志の人生とする。
そして、今からの僕を井上茜とする。
どこが境界線なのかは分からない。
しかしながら、今、今までの人生は完全に死んだ。
今から、茜の人生が始まる。
蒼い世界を作るのはここで終わりだ。
蒼志は志のある英雄だったが、
善と悪の区別がつかない人間だった。

神と存在の証明はもういい

もう、神と存在の証明はもういい。
この世界に存在するすべてを証明する意味はもうない。
神を演じるのはつまらない。
誰が見ても、神なんかを演じるだけで有名になれる方がおかしい。
今から、新しい芝居をするしかない。

茜は古代人

茜の特徴をすぐに決めると、
今までと同じ神になってしまうだろう。
しかしながら、茜は古代人だ。
なぜなら、茜にとっては、
この世界に存在する必要があるものがないため、
茜はこの現代社会のすべてがない人間になる。
茜にとってみれば、
宇宙には星しかないという事実すら怪しいものである。
よって、茜は、
太陽を神だと考える、
今までの、シリウスとかプロキオンとかの理論は、
むしろ、賢くない。
星を擬人化したところで、
星が生物であるという結論には達しないからだ。
しかしながら、茜は、
太陽を核融合するだけの水素であるとは考えない。
なぜなら、それは物質的な側面しか見ていない。
「太陽の気持ちは太陽にしか分からない」、
これが茜の結論だ。
よって、太陽にとっての太陽は分からない。
しかしながら、
「地球にとっての太陽がなんであるかは分かる」。
よって、太陽の意味とは、
「地球という暗闇に浮いている岩石を、
照らしてくれるありがたい存在」である。
ほかに太陽の意味を考えるべきではない。

古代人である理由

古代人である理由は、すなわち、
「茜にはそれ以外何も知りたいことがない」からである。
茜にとっては、
この現代社会は「科学によって自らが考える知性を失った世界」にすぎない。
日本人たちは、科学というアホ極まりないものをまだ信じているのだ。
よって、茜は「科学を否定する」。
茜にとってみれば、
「十二星座を信じていた古代人の方がマシ」だからだ。
しかしながら、茜はユダヤ教やキリスト教も否定する。
ドイツ人たちは、ユダヤ人の神という、
アホ極まりないもうひとつのものをまだ信じているのだ。
茜にとってみれば、
「北欧神話を信じていたスウェーデン人の方がマシ」だからだ。
また、茜は民主主義すら否定する。
フランス人たちは、民主主義という、
害悪極まりないアホをまだ信じている。
茜にとってみれば、
「自由という思想によって人々は縄に縛られている」。
自由は間違っている。
自由であったとして、そこにあるすべてのものは、
不自由であったとして、そこにあるすべてのものと、
何が違うだろうか。
王国で王に逆らえないのは分かるが、
王にそもそも逆らう気がないものにとってみれば、
自由だからといって、何のメリットもないだろう。
政治家の決めるルールと、王の決めるルールの、
どこが違うと言うのか。
政治家が選挙で選ばれるのが優れているとして、
まあ、それは優れた点ではあるだろう。
しかしながら、それだけか。
戦争で勝つのが悪いというならば、
会社が競争して軍事的兵器が発展するのは、
弓や槍で戦うよりも、
はるかにたくさんの人を冷酷に殺している。
まあ、茜はそういうものを、
「はなから考えない。
そんなものは馬鹿だと最初から分かっている」のである。

茜は保守派ではない

しかしながら、茜は保守派ではない。
「保守派はアホそのもの」だからである。
保守派は、結局のところ「すべての革新勢力を否定している」からである。
「革新勢力が間違っていると、
このような考え方から信じる人間が多すぎる。
まさに、そのような人間こそが、
もっとも騙された人生を生きて、
大人になって初めて騙されていることに気が付いたアホ集団である。
そんなことは最初から分かった上で生きるべきであり、
彼らアホ集団は害悪そのものであり、
わたしは民主主義も科学もキリスト教も否定するため、
最初からこの世界の新しい可能性をまっさらに考えられるのだ。」

文句を言う前に畑を耕せ

茜が古代人である理由は、
茜は農家の女だからだ。
茜の口癖は、「文句を言う前に畑を耕せ」。
この理由は、
「畑を耕すのは楽で楽しいから」だ。
茜は言う。
「現代社会の人間は、
パソコンと向かい合って工場で働くせいで、
何もかも辛く苦しくなっている。
畑を耕せばいい。
楽だ。
楽だと思えないなら、
それはその人間が現代社会のさまざまな富や欲望を、
捨てるに捨てきれていないのだろう。
こんな現代社会、
素晴らしい価値あるものなど何もない。
すべてを捨てて畑を耕せ。
自分で耕した畑でできる大根や白菜は美味いのだ。
米とキャベツと味噌汁を食え。
美味いキャベツ以上のこの世界の感動などない。
言葉は汚いかもしれないが、
風呂に入って美味い料理を食べてクソをする、
それ以外のことを何かしたことがあるか。
それ以外のことをしないのであれば、
それ以外のものは必要ないだろう。
オタクの間違いは、無意味なものを価値あるものと勘違いしている。
実際は、無意味なものに価値など最初からあるはずがないのだ。」

茜は古代の神話に詳しい

茜が古代人である理由は、まだある。
茜は古代の神話に詳しい。
「きちんと知っているわけではないが、
わたしはインド神話からギリシャ神話まで、
ひととおりの神話は知っている。
神話の神々は面白い。
神話の特徴は『とにかく古い』。
おとぎ話のもっとも古いものだと考えればいい。
伝説や伝承で成り立つ神話を知ることで、
その国の『お国柄』が分かる。
わたしはこのお国柄に優劣をつけない。
わたしは、知らずして否定するということが大嫌いだ。
否定するぐらいなら、
よく知った上で否定せよ。
日本人が知りもせずに韓国人を否定し、
ドイツ人がよく分からずにユダヤ人を批判する。
彼らは、病気で死のうとしている時に、
自らを助けようとする医者の手術や、
看護師の注射を受け入れようとしないのだ。
人類はみな平等だ。
わたしたちはみんな仲間だ。
助け合って生きるべきだ。
それが本当の正義だ。」

アホの人生を悪いとは思わない、しかしながらアホな人生を子供に強制するな

茜は言う。
「アホの人生を悪いとは思わない。
それもひとつの正解であり、誰にも間違っているとは言えない。
なぜなら、人生には正解はない。
しかしながら、アホな人生を子供に強制するな。
蒼志と呼ばれる人間の問題は、
『アホな人生の子供への強制のし過ぎ』である。
自らがアホな人生をみんなに押し付ける支配など、
害悪そのものだ。」

茜の考え方

このような茜の考え方は、
あえていうならば「老婆的な共産主義者」と言えるだろう。
しかしながら、茜はそうした発想を否定する。
なぜなら、「辛い」からである。
「共産主義者の問題は、
工場的な労働を楽にしようとして、
かえって辛くしてしまったことだ。
集団農場では、わたしは働かない。
なぜなら、むしろ、わたしは自分で育てた野菜を社会に献上したくない。
わたしの育てた野菜はわたしのものだ。
わたしの所有物であり、わたしが食べるためにあるのだ。
わたしが食べるためではなく、
他人が食べるための野菜など、わたしは一切作らない。
わたしはボランティアではない。
わたしはわたしが食べるためにわたしの畑を耕すのだ。」

結婚して茜は変わる

そんな強情な茜も、結婚して変わる。
茜の結婚相手は、地元の旅館の経営者だった茂。
茜は茂と結婚して、
なんと旅館の女将になってしまったのだ。
茜が女将になれたのは、
美人だっただけではなく、
人を笑わせたり、感動させたり、どんなことでも簡単にできる、
高いコミュニケーション能力、
あるいは言い方を変えれば気さくでよくできた人間性である。
女将になった茜は、
次第に「観光のような豊かな人間向けの産業も悪いものではない」と気づく。
茜は、
「いろんな人と話をし、打ち解けるというのは素晴らしい職業だ」とし、
かつての農家の女のような、
「みすぼらしい職業」は絶対に嫌だと思うようになったのだ。

茜は社会について何でも知っている

茜は、決して馬鹿な老婆ではない。
彼女は、このような人生を生きた結果、
社会について何でも知っていて、
どんな人間の考え方であっても手に取るように理解できる。
テレビを見ていても、
「ああ、首相は明らかにここが分かっていない」とか、
「ああ、この芸能人はこういうところがおかしい」とか、
すべて分かってしまう。
しかしながら、分かったからといって、良いことは何もない。
神話に詳しく、社会に詳しい茜は、
いつしかインドであろうと中国であろうと、
どんな社会の常識や文化についても、
全部知った「物知りおばさん」になった。
ある意味、自分よりもよく知っているのは、
東京でさまざまなサブカルチャーに詳しい汚ギャルぐらいだろう。
しかしながら、そのような若者向けの文化についても、
なぜか茜はすべての意味が分かってしまう。
「若者向けの文化は、古代の神話と共通点が多い」。
これが茜の達した結論だ。
ギリシャ神話や北欧神話、
そして社会のさまざまな常識を分かった茜にとってみれば、
どんな常識であろうと、どんな性格をした人間であろうと、
「分からないことなど何もない」のである。

次第に、強情な心を社会に開いていく茜

茜が結婚で変わったのは、
女将になったことだけではない。
茜は次第に、強情な心を社会に開いていくようになる。
以前のように、民主主義や科学やキリスト教の神を、
「アホである」と一刀両断することをやめた。
それらが好きになったわけじゃない。
それらにも「悪い点はない」と考えるようになった。
「この世界のすべては歴史の必然であり、
誰のせいにもできない。
科学や民主主義やキリスト教のせいにしても、
何ひとつ解決することはない。
立ち上がることのない、信念もないわたしのような存在が、
声高らかに『それらを悪である』と宣言しても、
喜ぶ人間は誰も居ない。」
そう、茜もまた、人生の中で成長し、大人になったのだ。

日本は思ったよりも素晴らしい国だ

また、茜は社会について知るにつれ、
今まで好きだった外国の神話ではなく、
日本の文化、すなわち日本の神話や宗教を好むようになっていった。
「北欧やギリシャの神話の方が、
日本よりも美しく、かっこいいものであると、
わたしは本音を言えばそう思っていた。
平等が大切だと言いながら、
実際は日本を嫌い、日本のことを愛さない気持ちの、
裏返しだった。
しかしながら、社会のことを広く知るにつれて、
ドイツほどではないにしろ、
日本の文化も素晴らしいものであると思うようになった。
特に、万葉集や古事記などは、
『日本版の聖書』であると考えるようになり、
単に神話的・文学的価値だけではなく、
聖なる書物であるという考え方に至るようになった。
万葉集は、古文のままで読もうと思って、古文を勉強したが、
日本語の古文はほかのどの言語よりも、
美しく素晴らしい文学的言語であると分かった。
学のない、学校でもまったく落ちこぼれだったわたしが、
古文の知識だけは、
国語学者にも負けることがないほどに学ぶことができた。」

現れる神

そんな茜に、ひとつの大きな転機が訪れた。
ふとしたことがきっかけで、
天使の声が聞こえるようになった。
それはまさしく、聞こえるようになったというよりも、
分かったのだ。
その言葉を「まさに書くべきだ」と茜は分かった。
茜は、そこから、神のメッセンジャーであるガブリエルの言葉を書くようになった。
これはまさに、「茜にしか分からない境地だが、
しかしながら茜はそれがはっきりと神であると分かった」。
そのガブリエルとされる人物は、
神の言葉の代弁者であり、
彼が言うには、「あなたは日本のマホメット」であるということだった。
そして、ガブリエルは「あなたは神の言葉を聞く」と言い、
そして、茜はそのすべてを書き記し、
15年もの長い間、「天使の自動筆記」を続ける。
そして、彼女はその天使の自動筆記のすべてを遺して、
この世界から「行方不明」になる。
彼女が何を考えてその文書を書いたのか、
彼女がどこへ行ったのか、
知るものはいない。
しかしながら、夫の茂や、家族の言葉によれば、
「居なくなる前日まで、まったくまともな人間だった。
家族は神のことなどひとつも知らず、
あとからその文書が発掘された。
どこに行ったのかは誰にも分からない。」と言う。

茜、帰ってくる

しかしながら、茜は居なくなって終わりではない。
茜は、10年後に帰ってくるからである。
茂や家族は大変喜んだが、
そこにあったのはヒンディー語で書かれた書物であり、
茜が言うに、
彼女は突然ロシアに拉致されてしまったが、
さまざまなことを経てイランへと逃げることができ、
そこからインドへと渡った。
そして、インドでヒンドゥー教徒として生きながら、
このヒンディー語の書物を賜って、
なんとか日本に帰ることができたのだと言う。
このヒンディー語の書物は、大天使ミカエルの書いた、
この世で最もありえない「裏の世界の書物」であり、
自らが記したガブリエルの書物と合わせることで、
「この世界の最高の聖書」となると言うのだ。
しかしながら、そんなことは、茂や家族にとってはどうでもよかった。
「おばあちゃん、ボケたこと言うのはいい加減にしてよ。
何より、帰ってきてくれただけ、生きていてくれただけで、
僕たち家族は大喜びだよ。」と、
家族たちはみな、喜んだのである。