AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 記憶の消えるところに哲学者は現れる
BASENAME: 2021/03/07/161758
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DATE: 03/07/2021 16:17:58
CATEGORY: 哲学
CATEGORY: カマエル
哲学者になるためには、記憶を消すことだ。
邪悪かつ邪魔な記憶があると、
哲学的な理性を見失う。
哲学を学ぶものは、記憶を失う。
それは、哲学者には記憶が必要ないからだ。
世界から疎遠となり、
原理と方法を知れ。
経験から新しい世界の見え方を知り、
捉え方を変えるところから、
嘘と偽りの精神を疑い、
真実の知性を追い求めるところには、
「何が真の意味で真実と言えるのか」、
すなわち人間の観測や理性すら疑い、
真実すら真実ではないと考えるところに、
正しい「原理の解明」は存在する。
正しい考え方とは、
「先入観を無くして原理を解明すること」であり、
その方法は、
「人々がいまだ知ることのない、
未知なる原理の可能性を考え、
それに基づいて説明し、
確証を得ることができるまで実験すること」であり、
この方法は、
「万人が支配されている世界モデルが、
真の意味でどのように成立しているのか」を知ることとなる。
これに基づいて考えれば、
「すべての人間がどのように行動し生きているのか、
すべては合理的かつ簡単に説明できる」のである。
自らの理性と理想を体現するかのように、
考え方を作り、
自らの理想を実現するかのように生きよ。
それこそが、哲学者の人生である。
その理想と理性とは、
「決して人を支配せず、
自らと同じだけの自由を平等に相手にも与えた上で、
他人をいじめることなく、
自らと同じ人間であるかのように愛すること、
同じ立場にたって、へりくだって、
相手の自由を尊重すること」である。
閉ざしていく心を開いていくプロセス、
それを自分だけが知っている。
孤独において経験する中で、
人は受容性、すなわち、
「万人を誰をも受け入れてくれる場所」を知る。
受容性を知る中で、
人は積極的かつ具体的に行動するようになる。
彼は「自らの経験に基づいて世界を変えようと志す」。
自らの理想と理性を実現しようとする彼は、
あらゆるすべての原理を解明することを、
自らのアイデンティティとして生きる。
彼は誰もそれを知ることがないところまで成長し、
その成長から、この宇宙の、
「正しいものの見方」をすべて知っているのだ。
すべては相対的な組み合わせと、
吸収の結果だと考えるところに、
歴史的な「すべては生きとし生けるものの系譜である」という、
定理が生まれる。
ここにおいて、すべては相対的に「生み出されるもの」であり、
すべては、今のこの瞬間に生まれていく「歴史」である。
この歴史においては、わたしたちは、
「今という時間しか知ることはできない」。
しかしながら、「過去は確かにあったもの」であり、
同時に、「未来はまだ決まっていないもの」である。
すなわち、「必ず未来は過去の世界から生まれる」。
これこそ、「可能性は自由だが、必ず過去に基づく」という、
基本ルールが生まれるのである。
そう、まさに、「未来は過去のわたしたちが作っていくもの」であり、
「わたしたちが生きている意味は未来を作ることであり、
未来をわたしたちしか作れないということ」である。
知るということそれ自体が、
世界の見方を変えるということである。
新しい世界を知った人間は、新しい世界の見え方を吸収する。
果てしなく続くように見える知識と新発見のプロセスは、
実際は有限であり、
環境を知り、自由を知り、そして超次元的な発想をすることで、
あらゆるすべては「経験から思考する」という絶対的境地へと収束する。
経験とは「この世界における全員の記憶」である。
すなわち、経験すればするほど、この世界全員の記憶を吸収していくことになり、
記憶を知れば知るほど、
何が正しい人間であり、何が間違った人間であるかも理解できる。
「正しい経験の行き着く先は正しい考え方である」ということが、
ここに明らかとなる。
人はみな自由で、それぞれに、自然に正しい。
間違っている人などおらず、
どんなに間違っているように見えても、
それはその人間にとっては正しいことをしている。
それぞれなりの経験が、それぞれの人生を生む。
しかしながら、その自由な経験は、ひとつの境地へと収束する。
すなわち、すべてのことを知り終えた人間は、
「その知識や関係を成立させる構造に基づく、
ある一定の規範による、最終的な経験の積み重なる境地」へと、
必ず人間は辿り着く。
そして、そのために必要なのは「アイデンティティの形成」である。
正しく考え、経験し、行動する人間は、
自らの経験した「愛」に基づき、
その「愛を体現する生き方」をするようになる。
自らの考え方のすべては、
「その考え方自体に属する(体現する)特性」を発揮し、
人は「環境における自らのアイデンティティを発揮すること」を目指すようになる。
そして、最終的にそれは結実し、
「世界全ての人間を救うために、全員のアイデンティティを尊重し、
すべての人間に本来の自分を取り戻させる、
自尊心とプライドの革命」を世界において実現するのである。
すべては移り変わる。
どんな時間であろうと、場所であろうと、
いずれは必ず消えていく。
ブッダの言う「諸行無常」はまさに、
言葉や用語ではなく、経験的に明らかになる事実である。
すなわち、「自らの経験したすべては消え去っていく」。
そこから見えてくる事実、
それこそ、「世界はまさに今この瞬間に生まれており、
どのような世界であろうと救うことができるはずだ」という、
「この世界を変えられるという確信」であり、
それは「自分自身の世界と関わる経験から明らかになっていく」。
すべての世界は変えられる。
残るものは、何ひとつない。
しかしながら、だからこそ、
環境における可能性を人々にオープンにしなければならないのだ。
経験からのみ考え、
経験から判断し、経験から実感せよ。
すべては「経験に基づく」ものであり、
間違った観念は間違った経験から生まれる。
経験のすべてを正していけば、
「心の中に一切の間違いは無くなる」。
その境地においては、
「全員の経験が自分のことのように理解できる」。
すべての社会は経験的実体となり、
「社会全てを実現できる、聖なる王となる」。
過去の自分になったつもりで考えよ。
その時の自分に戻ったつもりで考えよ。
すべてが合理的に説明できるようになった時、
もはや言葉は必要ない。
全てが想像力となり、
「全員になったつもりになれば、
感情に基づく世界モデルにおいて、
その時の必然的行動が理解できる」。
そう、ここに、新しい天使カマエルは誕生したのだ。