AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 万葉集を読んでいる
BASENAME: 2021/03/06/181520
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DATE: 03/06/2021 18:15:20
CATEGORY: 読書
今日は、万葉集と古事記の本を図書館で借りた。
万葉集は素晴らしい。
僕が日本語が読めなかったのは、
「言語を保持する」せいである。
言語を保持するせいで、分からなくなっている。
もはや僕は、日本語が分かるようになったのだ。
また、ドイツ語がいい。
なぜなら、日本語からドイツ語を経て、英語を学ぶのが、
正常な発展だからである。
日本語から、ドイツ語を飛ばして英語を学ぼうとするから、
わけの分からないことになる。
ドイツ語には、意味や分かることが多い。
論理的であるだけではなく、
「言葉にすべての意味を残した言語」であるという特徴がある。
この意味や分かることが、英語になると、
全て消え去ってしまっている。
確かにドイツ語は古いし、ジーとかイッヒとかを多用するのは、
少しかっこ悪い言語だが、
日本人にとってはとても馴染みやすい言語である。
また、カタカナ語に汚染されておらず、
最初からまっさらに知ることができるし、
日本語と同じ語順であるため、
わざわざ日本語に英語を翻訳しなくても、
「ドイツ語でドイツ語を考えられる」というメリットがある。
しかしながら、万葉集は素晴らしい。
古文の部分だけを見ていても、なんとなく分かるからである。
この「何も分からなくてもなんとなく分かる」というのが大切で、
日本語はそれでしか分からない。
日本語は論理的ではない言語だが、
ほかの言葉よりも「いくらでも意味をつけまくる」ところがあり、
このつけまくる部分を古文の万葉集で分かってしまうと、
現代の日本語など、めちゃくちゃ簡単である。
また、日本語の理解のコツは、
すべての単語を文法通り考えるのではなく、
動詞の最後のひらがなだけを中心に考えること。
たとえば、「逃れられぬように」とか、「自由にしながら」とか、
「知らぬ人に」とか、「信じるままに」といった言葉があった時に、
これらの最後にある「信じているポイント」を分かる。
それだけで日本語は理解できる。
古文のままの万葉集を読めば、さらにいくらでもこうしたものがある。
僕もまだ少ししか分かっていないが、
「古文はひらがなの変化形のオンパレード」である。
今の日本語には残っていない、たくさんの変化形を使う。
日本語は時代とともに仮名遣いが変化した。
万葉集の冒頭の解説でも、このことが書かれており、
昔はひとつの音であっても、
たくさんの仮名を使い分け(たとえば織:オル、折:ヲル、通:トホル)、
とてもたくさんの言い方・話し方の変化があった。
万葉集は、5・7・5の俳句がさらに長くなった形の「歌」として書かれているが、
この歌の形式を保つために、古文の昔の読み仮名のままで、
そのままの状態が解説とともに記述されている。
この「昔の古文のままである」というところがいい。
歴史的文献としても、とても価値のある素晴らしい書物だ。