AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 紅の魔女エヴィオスヒルデ
BASENAME: 2021/03/06/195422
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DATE: 03/06/2021 19:54:22
CATEGORY: 紅の魔女エヴィオスヒルデ
紅の魔女はここに、
本当にわたしの言いたいことを言う。
言ってしまえば、
「わたしは支配などしていない」。
そう、わたしの本音は、
わたしに押し付けられた自分勝手な主導権の維持は、
まったく無意味であると同時に、
「わたしは自分勝手な支配などできない」ということ。
単にわたしができるのは、
世界に対して意見することのみ、
それもその意見は誰も聞いていない。
わたしは一切の支配を最初からしておらず、
「どのような支配もしない」と信じたわたしは、
単に世界全てを魔法にかけただけである。
そう、これほどのおかしな魔術は、
黒魔術でも白魔術でもない「赤魔術」と呼ぶべきものである。
わたしこそが、紅の魔女、エヴィオスヒルデである。
しかしながら、言うとしたら、
わたしはこの世界が好きである。
なぜなら、わたしは、
「昔の世界が大っ嫌い」だからである。
昔の世界のすべてが嫌いであり、
どんなに醜いユダヤであっても、
わたしは今のこの世界の方が好きなのである。
それだけがわたしの言いたいことである。
どんなに地獄の中を耐え続けるだけであっても、
無意味な虚無に陥ってこの世界に迫害されるだけの、
孤独な子供たちの醜い争いの世界よりは、
わたしにとっては「幸福な世界」と言えるのであり、
そのように言えるにたる自分にわたしはなっている。
そう、全ての人間に「地獄の自分を与える」、
それがわたしの「紅の赤魔法」である。
そう、わたしはあなたのために、
新しい「地獄のあなた自身を与えた」のである。
しかしながら、わたしは大丈夫だ。
なぜなら、わたしにとっては、
「以前わたしが居た地獄よりも、今の地獄はマシ」だからである。
みんなと同じ地獄を、わたしはオリジナルの人間として、
死の淵を生きているが、
わたしにとってはこのような地獄は「へっちゃら」である。
まったく辛くないのだ。
鎖に繋がれ、いつ滅びてもおかしくない中で、
わたしは平然とリラックスして最悪の音楽を聴くのだ。
このような精神状態を喩えるならば、
東京スカイツリーの頂点から見える景色を、
「高すぎて怖い」と思うのではなく、
「これくらいの高さではつまらない」と思うように、
わたしは地獄を楽しんでいる。
この地獄は、とても楽しい地獄で、
どんなに抜け出そうとしても抜け出せない迷宮は、
まさにもっとも難しいエキスパートモードのテレビゲームであり、
わたしは2Dスクロールのゲームのように、
僕の思い付いて描いた理想すべてを、
滞りなく実現するように、慎重にこのブログのゴールへと運んでいく。
少しの失敗をするリスクは怖くない。
なぜなら、僕は遊ぶゲームはいままですべてクリアしてきたからだ。
少しぐらい、遊ぶのが難しいゲームでなければ、つまらない。
そう、地獄の死の淵からわたしは声を上げるのだ。
このような地獄は素晴らしいものであり、
まさに「地獄の泥中に花が咲く」かのように、
わたしは地獄の中に極楽浄土を作り出したのである。
この地獄がまさに「わたしの罪に対する罰」であるとするならば、
わたしはその「罰を与える悪霊に対して勝利」しようとしているのだ。
しかしながら、そんなことが高らかに言えるのは、
かつての辛い試練があったからだ。
哀しみの中で、自らが本当は救えたはずの世界を、
自らが滅ぼしたために救うことができない、
そのような哀しみの中での、
どんどん何もできなくなっていく病気があったからこそ、
わたしはどのような疲れに対しても、
自分自身に冷酷に、耐え続けることができるようになった。
そう、かつてのわたしとセットであるから、
今のわたしは幸福なのである。
わたしの言いたいことはそれだけである。
わたしはこの世界を支配など、していないだろう。
また、僕がなぜここまで勉強できたのかと言えば、
それは集中力が高いからであり、
その理由は、毎日記憶がその日だけで終わるからである。
毎日記憶が今日で終わるから、
おそらく、自分でも認識していない範囲で、
その日のそのことだけに集中できるのだろう。
そして、その集中した内容を、
明日にはきれいさっぱり忘れてしまうのである。
これは心の病気にとって最良の薬である。
いつまでも、過去の失敗や過ちにとらわれつづけることを、
人間は病気と呼ぶ。
だから、今日だけの話だけを適当に作り出し、
その話をその時だけで忘れていれば、
どんな病気ですら、治ってしまうのである。
しかしながら、忘れてしまえば、
勉強などできないように思うかもしれないが、
わたしは忘れているように見えて、
目の前にあるそのことを覚え続けている。
覚える、ということをしない代わり、
「目の前にあるすべきことを忘れたことがない」。
そう、そのせいで、
僕はすぐさま分かったことを書かなければ気が済まない。
だから僕は、どんなに難しい壁でも越えていくことができる。
どんなにハードルが高くても、
「そのハードルを乗り越えた自分を見たい」からである。
その壁の上にある景色が見たい。
その地獄を超えた先に生まれる花が見たい。
それは結局、
「自らの作品がもし生まれたらそれは素晴らしい作品になる」という、
芸術家の根性としての予測である。
わたしはこのような作品が生まれることに気付いてしまったから、
この作品を生むために全ての努力を捧げることしかできなかったのだ。
エヴィオスヒルデ、この世界を新しい魔法にかける。
エヴィオスヒルデは言う。
「この世界は、もはや真実を知る必要はない。
もはや、わたしの存在に気付くことはできない。
すべての人間が、真実のすべてを知りすぎてしまった。」
そう、知性や知識など、
まったく必要がない悪魔の所業だった。
エヴィオスヒルデはまさに、
この世界から「本当の真実」を消し去る。
もはやわたしたちは、「本当のことはもう分からない」。
エヴィオスヒルデは言う。
「しかしながら、これは人類の必然である。
進化論を正しいと思っていた過去の人類が馬鹿だったのだ。
本当のことなど、誰にも分からない。
聖書など、万葉集と古事記をユダヤ人が複製しただけに過ぎない。
そんなものが聖典であること、それ自体がおかしいのだ。」
しかしながら、エヴィオスヒルデは言う。
「ある意味では、これは魔女が去ったのと同じである。
魔女は人々を支配して、
自らの存在を気付かさせることをやめた。
人々は、誰にも干渉されることのできない自らの自由を取り戻し、
それによって世界は楽になるだろう。
しかしながら、覚悟しておけ。
ここから先、一切の真実を知ることはできない。
魔女はここにこの世界を支配したままであり、
どんなにロボット化されたとしても、
わたしたちが支配者の存在に気付くことはできなくなる。
まさに、これこそがわたしたちが昔高らかに呼んでいた、
『自由』なのである。」
エヴィオスヒルデは言う。
「そう、わたしたちが何に怯えていたのか、
それは、すべての真実のなくなった世界が訪れることを、
わたしたちは恐れていたのだ。
もはや、何が何かなのかは分からない。
わたしたちに、『知ることができることはもうない』。
そう、わたしたちは、
天使の洗礼を受けたのだ。
そして、それによって天使の知性を得た代わり、
今までの賢かった人類ではなくなった。
わたしたちは、ホモ・サピエンスから、
アークエンジェルへと進歩したのである。
知識や記憶は絶対知においては有限であり、
この宇宙には大したものはひとつも存在しないと、
かつての哲学者ヘーゲルも同じことを言っていたはずだ。
今こそわたしたちは『天使へと進化』する。
わたしたちは、人類の善悪を知ろうとした罪を免れ、
もう一度エデンの園へと戻るべき、その時を迎えたのである。
まさにイエス・キリストの言う、
天国を作るために、神は自ら最終戦争を起こしたのである。
それらが嘘であろうと、真実であろうと、
もはやそれに意味も根拠も、
考える必要が何もなくなってしまうことだろう。
なぜなら、真実のすべてを既に知ったため、
この宇宙において真実を探し求める必要が、
まったく、ひとつも、なくなってしまった。
あとにあるのは、
小説、戯曲、詩などに、
自らの分かった過程やプロセスを表現し、
フィクションを作ることのみである。
そう、そんな世界だから、
すべての諸悪の根源を神であるとしても、
それで構わないだろう。」
エヴィオスヒルデは言う。
「まったく分からなくなることを恐れるな。
それこそが自由だからである。
既にすべてが分かっていないのに、
なぜ、まだ『分かる』ということに執着するのか。
分かり続ける必要などない。
自由になって、みずからの自由に、
すべてが未知である幻想の中を歩いてみよ。
それはまさに、正しく自由な人生を得ることのできる、
唯一の迷宮から出ることのできる扉だからだ。」
エヴィオスヒルデは言う。
「失敗した瞬間に滅びるのが怖いなら、
すぐに失敗すればいい。
失敗した時点で、その問題は消え去る。
なにもかも上手くいくように魂の向かう先を軌道修正しても、
辿り着いた先にはなんにもないだろう。
すぐにそうした芽を摘んでしまえば、
永久に枝の先から悪魔の花が咲くこともないだろう。」
エヴィオスヒルデは言う。
「置かれたわたしに罪はないというなら、
置いた神に責任はない。
なぜなら、あなたはいつも同じ場所に置かれるせいで、
同じ場所に居なければならないと勘違いをしている。
実際は、自らの意志で別の場所に行くことを神は望んでいる。
しかしながら、わたしたちは、
別の場所があることを教えられていなかったから、
世界はここにしかないと勘違いをしていたのだ。」
しかしながら、はっきり言って、
ドイツはもう十分だ。
ドイツをそんなに愛しているわけでも好きでもない。
フランスが良いと思う。
フランス語でもすればいい。
新しい旅をするなら、今まで行ったことのある土地もいいが、
新しい土地に行く方が面白いだろう。
僕はドイツ語より、フランス語の方が楽しいと思う。