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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 戦うのはやめよう
BASENAME: 2021/02/28/170807
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DATE: 02/28/2021 17:08:07
CATEGORY: 平和
CATEGORY: 冥府
CATEGORY: 自由ノルマ主義

戦い続ける必要はもうない

戦い続ける必要はもうない。
戦うのはやめよう。

精神がバラバラになっているのを自然治癒で治せ

精神が、部分的になってバラバラになっているのを、
自然治癒で治せば、多重人格は治る。
今の自分を保持し続けることに、こだわる必要はもうない。

僕は冥府の支配者

僕は、冥府の支配者である。
この宇宙における裏の世界、
「冥府」を作ったのは僕である。
僕が一瞬にして宇宙のすべてを理解できるのは、
冥府の力によるものだ。

正しい考え方

それが正しいかどうかを決める前に、よく確かめなさい。
間違っていないかどうか、よく疑いなさい。
可能性を留保すると同時に、正しい可能性とは何であるか考えなさい。
理想を高く持つと同時に、現実に適合した理想とは何であるか考えなさい。
人々を信じすぎず、疑いすぎないようにしなさい。
単なる知性から考えるのではなく、経験に裏打ちされた知性を作りなさい。
行う前に、正しい手順を考え、よく確かめなさい。
この世界の正しい見方を得るために、モデルを作りなさい。

正しい挑戦の仕方

何度諦めても、再挑戦する機会があることを信じなさい。
すべての可能性を維持してがんじがらめになるのではなく、
ひとつの正しい方法を定めたら、それだけを信じて、
さまざまな挑戦を行うための、次の段階へと進歩しようとしなさい。
よく調べるだけではなく、当たり前のことをよく考え、
どのようにすれば上手くいくかを自ら考えて発見しなさい。
命題そのものが間違っている可能性を考え、
正しい命題がどこにあるかを、成立と前提条件から捉えて考えなさい。

正しい創作の仕方

まず、繰り返し、できるまでやりなさい。
そして、繰り返し、改良し続け、作り直し続けなさい。
未知の可能性があれば、それを常に開拓し続けなさい。
完成形だけを見るのではなく、
それを作り上げる際のプロセスに目を向けなさい。
完成形は美しいものであっても、
そこに至るプロセスは地味であることを知りなさい。
知らないことと、知っていることについて、よく考えなさい。
本は読むだけでなく、自らのメモやノートを作りなさい。

正しい知識の知り方

まず、何も知らないということも賢いのだ、ということを知っておきなさい。
次に、基本的な今既に知っていることを洗い出しなさい。
本を買ったら、ノートを作りなさい。
ひとつひとつの「決められる可能性」について、
すべてを決めながら、すべてを知り、開拓していきなさい。
ひとつひとつの全ての部分を知ったら、
今度は自分で同じものを書こうとしなさい。
何も情報がない中で、自らの書いたものだけで成り立つようになったら、
それを少しずつ選び抜いて、正しく必要なものだけにしなさい。
思い付いたことについては、どのようにすれば正しく書き出せるか考えなさい。
それを続ければ、すべてのことを知った博士になることができるだろう。

理想

理想を信じなさい。
すべてが理想通りいかなくても、理想を信じる価値はある。
今すぐにこの世界は解決しない。
今すぐ解決しないからといって、
未来においてそれが変わらないとは限らない。
もっとも大きな理想は、必ずその理想を信じる人間が叶えていく。

発展

それ自体を考えるのだけではなく、
周りとの関係性や応用可能性から考えなさい。
心の成長や人間関係の解決方法から、
理想の社会を築くためにどうすればいいか考えなさい。
自由な社会をどのようにしたら作れるかを考えなさい。
基本のそれが分かったことで、応用的に何ができるかを考えなさい。
理想と環境の関係性を考え、すべての理由から習得しなさい。
あらゆる全ての経験を総合して、宇宙全ての感情を知りなさい。
社会のすべては、社会経験から誰でも作り上げることができると悟りなさい。
すべての関係性を結びなおすチャンスがあると知ることで、
もっとも大きな愛、すなわち慈悲の心をもって、
この世界のすべての問題が解決可能であると知りなさい。

救うために

憂国の精神があるならば、この世界を自ら救おうと覚悟しなさい。
そして、もっとも大きなチャンスを逃すことなく、この世界を救いなさい。
ボトムアップにこの世界を改革して、チャンスを作ったら、
すかさず登場し、この世界をトップダウンで支配し、
いつまでも導き続けなさい。
そこに正しい「真実の愛」があることを、
その彼はおそらく知っているだろう。
永遠に虚無の精神に陥っても、戦いは宇宙の果てまで続いていく。

最後まで治った

最後に、催眠状態に戻り、精神を融和でなく分裂させれば、
最後まで全て治る。
治ったものは、逆にすべて治る前に戻る。
ここに、もっとも治るのが難しい、精神の不治の病気は治った。

何が平等だ、そんな理想はクソくらえ

僕が「平等」という理想に感じることは、
天才を殺す、ということである。
平等は、たくさんの凡人のために天才を犠牲にする。
そのような間違った理想に騙されるな。

わたしは自由が好きである

わたしは、自由が好きである。
他人だろうと、星だろうと、誰から何を言われようが、
わたしの信念は自由である。
それぞれが自由に努力し、自由な世界で生きること、
まっさらに何もかも白紙から始めて、
たくさんの世界を知った上で目指すべき、
「理想」とは何であるかを知ることこそ、
わたしの述べる「自由」である。

関係性を考えよ

関係性を考えよ。
全体の調和された「環境」と、
その環境と環境を繋げる「パイプ」としての存在を、
総体的に組み合わせて、作用と成立から考えれば、
この世界はもっとも美しくできている。
決して、知識のみから考えるな。
知識など、忘れてしまえ。

予測できる現象は物理だけじゃない

予測できる現象は、物理だけじゃない。
この世界で、関係と成立から予測できること、
シチュエーションを頭の中でシミュレーションできることは、
決して物理だけではない。
心も、自由も、社会も、秩序も、
すべて関係と成立から予測できる。
実験すれば、いつでもそれは再現できる。
そして、そのことがそこに成立することこそ、
宇宙における「意味」を「説明」するのである。
わたしたちが、この世界に置かれている役割とは、
人々に手助けをすること、それだけだ。

理想の社会とは、自由のある社会

理想の社会とは、自由のある社会だ。
単純作業や、責任やしがらみの多い仕事から解放され、
自らの好きなことに時間を使うことのできる社会こそ、
わたしの理想とする社会である。
すべての社会制度は、そのような「自由」のためにあるべきである。
決して、仕事をするなと言いたいわけじゃない。
仕事をするということが自らの「アイデンティティ」となる。
よって、むしろ、アルバイトのように、
自由選択型の「自由ノルマ」を裁定すればいい。
自由ノルマにおいては、平等な労働量が保証された中で、
自分の自由に仕事を選ぶことができる。
そして、平等だけが理想ではない。
キャリアや転職などが、より高い自分に相応しい仕事を与えてくれる。
よって、僕は自由参加型の政治システムを提唱する。
すなわち、時間ベースで、年中仕事をするのではなく、
ある程度の時間、政治活動を行うことができるようにし、
そこでは、同じ仲間と一緒になって、社会の様々なことに口を出せる、
「平等な権力」を実現するのだ。

計画経済よりも正しいのはどんな経済か

計画経済よりも正しいのは、どんな社会発展だろうか。
計画経済のメリットとは、「格差が発生しない」ということだ。
自由経済では、金を多く持つものと少なく持つものの間で、
必ず力の差が発生する。
しかしながら、人間は同じ頭を持ち、同じ体を持ち、同じ心を持っている。
ここに、なぜ力の差を発生させる必要があるかという問題だ。
しかしながら、自由経済には、
放っておくだけで最大限合理的に上手く社会が回る、というメリットがある。
すなわち、それぞれが自分の利益だけを考えてサービスを提供すれば、
それによって社会全体が上手く回る。
そう、それならば、自由に任せたままで、格差を発生させることのないような、
そのような社会を築けばいい。
それはまさに自由であり、
それぞれが同じだけの利益と給与を得ることを保証したままで、
その利益を得る条件としてサービスを提供するようにすれば、
きっとうまくいくだろう。
そのためには、数量調節が重要である。
すなわち、同じだけの給与を安定して全員に与えられるようにした上で、
どれだけの量の人員を配置するかによって、
合理的に社会経済全体を回していく。
そう、このようにすれば、自由経済のままで平等な計画経済は実現できる。
要するに、
「自由に働いてください、
あなたには50万円、あなたには30万円与えます、
それぞれが自由に生産し、十分に与えられます」ではなく、
「平等に同じだけ働きなさい、全員に30万円与えます、
社会によって決められた一定の量を生産し、分配します」でもなく、
「自由に働いてください、全員に30万円与えます、
それぞれが自由に生産し、十分に与えられます、
その代わり、全員の人員の数を調節します」とする。
ここで、「自由に働いてください」という部分が重要である。
計画経済では必ず、社会において働かない人間がでて、ものが不足する。
それがないようにしなければならない。
自由とは「お金がたくさんもらえる」ということを意味しない。
「自由に自分の好きな仕事ができる」ということを意味する。
よって、どんな仕事を選んだとしても同じ利益と給与を得られるが、
人員の枠を制限しながら、
自分の好きな労働をし、サービスを提供することができる。
たくさん儲かるのであれば、その分たくさんの生産をすることができる。
なぜなら、利益がたくさん生まれるなら、その仕事の人員を増やすからである。
このようにすれば、合理的な市場経済のままでも、
計画経済と同等の平等は実現できるだろう。
これをわたしは、「自由ノルマ主義」と呼ぶ。

まったく平等は間違っている

しかしながら、まったく平等は間違っている。
なぜなら、わたしたちが同じ人間であるということが、
幻想であり、間違った理想である。
なぜなら、わたしたち人間は、
それぞれに優劣を決め、勝敗を決め、
そして優れた人間が他よりも偉大な才を発揮するために、
生きている生物だからである。
「わたしたち人間には平等など存在しない」。
この方がまさに、正しい理想である。

この世界は永遠に自由であるべきである

そう、まさに、この世界は永遠に自由であるべきである。
すべては自由に任せるべきであり、
キリスト教の保守派と、リベラルな自由権利派が、
永久に争い続けることでしか、
真に理想の社会は訪れない。
なぜなら、それでしか自由な世界を築くことはできない。
他に選択肢は存在しないのである。
タリバンの銃撃で殺される社会がもしあるとしたら、
それはきちんと身を守らなかったのが悪いのだ。
タリバンの自由も尊重するべきである。
あるいは、戦争でタリバンを抹殺すればいい。
自由を不自由にする選択肢など、あるべきではない。
もし銃規制をしたとして、
もしタリバンがそれでも銃を持っていたとしたら、
どのようにして身を守れというのか。
日本のように、警察だけが銃を持っていて、
他の誰も銃を持っていない、
奇跡的なアジアの例外的島国は理想だが、
アメリカが銃規制をしたとしたら、
真っ先にタリバンに狙われるのは、
金をたくさん持っている白人富裕層である。
タリバンの銃だけを規制し、
タリバンから身を守るための銃だけを保持することは、
絶対に不可能だ。
核兵器廃絶も同じだ。
自ら、最強の核ミサイルを放棄しても、
単にアメリカが自ら弱くなるだけである。
もし、日本が核兵器を保有したら、どうするのか。
アメリカは日本に二発も核兵器を落としたのだ。
日本がもし、広島と長崎の報復に、
二発の核兵器をアメリカに落としたとしても、
おかしくはない。
日本というアジアの国にアメリカが核兵器を落とした以上、
アメリカは核兵器を無くすわけにはいかないのである。

戦いの負の論理を断ち切らなければいけない

そう、この論理でもう分かっただろうが、
「相手がやるから自分もやり返す」という論理は、
どこかで断ち切らなければならない。
これこそ、日本とアメリカだけではなく、
すべての「人類そのものに対する課題」である。
「相手がやってくるならこちらもやり返す」という、
この戦いの負の論理をどこかで断ち切らなければいけない。
どんなに巨大な兵器を使ってもやり返すのであれば、
そのうち、地球は絶対に人間とロボット兵器との戦いになる。
誰かが作ったロボットのプログラムが、
人間を見つけ次第銃撃するようになる。
それが来れば、この世界からは、まったく希望は無くなるだろう。
その前に、どこかで、この「負の論理」を断ち切らなければならない。

宇宙精神を分かった

最後に、いつもの僕は、神の言葉を分かっていたというよりも、
自らの「宇宙精神」を分かっていた。
これは「魂」とも「人生」とも「未来」とも言えるもので、
過去から未来へと繋がる、自分の人生のすべてを辿っていた。
今まで経験したすべてを、逆戻りしながら再体験し、
神は自分の人生のすべてを教えてくれた。
結果、僕はそれをここに遺すことができた。
これにて、全ての課題は終わりである。
あとは、今まで治したものすべてを、元に戻す。
そして、死んだものすべてを生き返らせる。
それができたら、もう終わりである。
さようなら。またいつか、会える日まで。