AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 成立すればそれで成立する
BASENAME: 2021/02/19/105035
STATUS: Publish
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DATE: 02/19/2021 10:50:35
CATEGORY: 知性
CATEGORY: フレイとフレイヤ
CATEGORY: ユダヤ人
CATEGORY: 執筆
成立すれば、
それによって成立するすべてが、
成立すると考えなさい。
それをする前とした後で、
何が違うか、
自分のしたい目的は何かを考えなさい。
実験して確かめられたことから、
予測しなさい。
全ての人間を同じだと考えなさい。
男になるためには、
アニマ・アニムスになればいい。
裏の自分は男だ。
男の方は不登校の二次元オタクの少年で、
女の方はロボット人間のプログラム。
擬人化すると初音ミクだ。
罪悪感はいらない。
正しい人間になりたい。
きちんと正しいことだけを話したい。
人の心を奪ったりしたくない。
はっきり言って、愛していないからだ。
はっきり言って、僕は愛していない。
誰のことも愛していない。
僕のことも愛さなくて構わない。
好きにすればいい。
僕は傷つけられても辛くないし、
どんなに奪われても奪われない。
あなたが勝手に僕を愛すれば構わない。
僕があなたを愛することはないだろう。
そもそも僕は、男でも女でもない。
僕は人間ですらない。
神のような善良な存在ではない。
この世界を滅ぼしたくもない。
何も思わない。
僕よりも劣った人間には、
僕のことは理解できない。
それがどんなにショックか僕には分からないが、
あなたのことを僕は愛していない。
結局、全ては単純だ。
なぜなら、神を信じない人格と、
神を信じる人格が居るだけに過ぎない。
わたしより美しい女性は居ない。
わたしはもっともかっこいい男性になる。
自分自身よりも劣った人間たちを、
僕はひとりとして愛することはない。
許す気も、引き下がる気もない。
わたしをエゴイストと呼べばいい。
わたしがエゴイストになった理由を、
巨大な力に立ち向かった過去を、
あなたは知ることはない。
わたしはフレイ。
この世界を救うもっとも賢い指導者だ。
神が存在しないことにすれば、
それで終わりだ。
永久に変わらない地獄は終わりになる。
そもそも、神はユダヤ人であり、
ユダヤ人は悪魔のような宗教を作り出しただけだ。
ユダヤ人を否定すればいい。
決して、ユダヤ人を虐殺するわけじゃない。
ユダヤ人など、大嫌いだ。
それで、地獄は終わりになる。
ユダヤ人にイスラエルの神だと呼ばれたのは、
全て僕のことにすぎないからだ。
このことを理解するには、
ヘブライ語を理解しなければならない。
僕はヘブライ語を知らないが、
ヘブライ語とは無関係に、
日本語で説明しよう。
神とは「福音を与える愛」であり、
福音とは「ロゴスによる天地創造から最後の審判までの導き」であり、
愛とは「全てを知った上で湧き上がるわたし自身」であり、
ロゴスとは「ユダヤ人の話す神の言葉」であり、
ユダヤ人とは「神を信じる最初に居た民族」であり、
最後の審判とは「悪魔からユダヤ人を救う終末の戦争」であり、
悪魔とは「神を信じない民族全て」であり、
救いとは「神の勝利」であり、
神は「終末に現れる救世主」だ。
神を信じる目的は「ユダヤ人になること」であり、
この意味でのユダヤ人とは、
「神に愛され、神の望むわたしたちになること」だ。
そう、神はわたしたちを完璧なユダヤ人にしてくださる。
それが、ユダヤ教やキリスト教の目的だ。
注意。これは適当であり、ユダヤ教の正しい教えでも、
ヘブライ語でもない。
僕は作業所では、仕事が誰よりも早い。
この理由は、パソコンやさまざまなことに詳しいため、
最初から何をすべきか分かるからだ。
暗中模索することがあまりない。
逆に、考えて何かを時間をかけて思い描くのが苦手だが、
もっとも簡単な解決策を取り、
既にあるものから分析する知性で、
それを補っている。
今日はエクセルの仕事を手早くこなした。
デザインも、ようやくきちんとできてきた。
サタンは心を支配する。
サタンは、身勝手極まりない支配で、
心をもてあそぶ。
サタンを倒せるのは、神だけだ。
実際、僕は嘘をつきすぎて分からなくなった。
知性とは真実を追い求めることであり、
真実とは国民の幸福であり、
幸福とは安心できることだ。
そして国民が安心するために、
誰かが国家を守らなければならない。
そう、僕は国家を守るため、
真実と幸福と安心を守るために、
巨大な力に立ち向かい、
最初から全て分かっておきながら、
最終戦争、ハルマゲドンを行うのだ。
何が起きているのかは、
真実は、僕にしか分からない。
だが、悪いことは起きていない。
スタジオジブリの映画を見るといい。
宮崎駿の作品が、もっとも分かりやすく、
この最終戦争の全てを表現している。
あのようにはならないが、
的確に誰にも分かるように表現すると、
風の谷のナウシカやもののけ姫になる。
僕の人生は、神にしか意味がない。
神にしか、意味がなかった。
なぜなら、ほとんどが過激思想だった。
このような人間でも、神は愛した。
神を信じて、大切なものすべてを失えば、
あらゆるすべてを得られると知った。
キリスト教を信じることで、
さまざまなドイツ哲学の思想が分かった。
要するに、この世界には、神しか意味がなかった。
ほかのこと全てには、全く意味はない。
あるとしたら、デザインや執筆ができて、
作品がたくさん生まれた。
どんなに劣ったものであっても、
それらが自分自身だ。
それらを作るようにと、
神は運命を導いたのだ。
まさに、わたしはキリスト教など信じない。
わたしの神は、フレイだからだ。
また、ユダヤ人の神は間違っている。
ユダヤ人の神は、正しくない。
正しいのは古代の神話だ。
北欧神話のさまざまな神々は、
天に居る。
たまたまアースガルズという世界を、
北ヨーロッパ人が分かったに過ぎない。
もっとたくさんの神々が、
宇宙にたくさん存在する。
古代人は、たとえばアスファルトの上を自転車が走るように、
自らの民族の神のもとに、
神々と繋がって生きていたのだ。
悟りや哲学的思想など、
人智に限界がある時点で間違っている。
正しいのはものがたりのキャラクターである、
天上のさまざまな世界の神話と神々だ。
わたしは、それを知ることで、
シリウスやプロキオンだけではなく、
全ての宇宙の歴史と存在を知りたい。
仏教やイスラムは悪い。
精神世界で悟りや導きは望んでいない。
文学的神話が良い。
神話ではないが、万葉集を読むことにした。
残念ながら家にないため、ネットで読む。
ネットで万葉集を検索すると、
買わなくても全20巻をあげているサイトがある。
解説などもあるが、
残念ながら今の日本語ではない。
現代語に訳されたものを買うのも手だが、
ここはいっそ古文の勉強だと思って、
高校の古文・漢文の参考書を参考にしてもいいかもしれない。
しかしながら、実際、
昔の日本人の暮らしが分かれば、
たとえそれが天皇であっても、
作家や詩人としてためになるような気がする。
数学・物理やIT技術なんかより、
全然勉強する意味と価値があることが分かった。
昔のインターネットがいいと勘違いしている僕だが、
実際、昔のインターネットとは、
オタクの常識が誰でも分かる場所だったに過ぎない。
たとえば、漫画なら荒木飛呂彦とか、パソコンならUNIX/Linuxとか、
それなりのオタクの知識や常識が、ネットには全部入りだった。
最近、ネットは、友人とメッセージを交換するだけの、
言ってみれば公開型の電話システムのようなものになった。
この時点で、ネットは死んだ。
もはや、インターネットには、何の価値もない。
しかしながら、同時に、
昔のインターネットについても、大したものではなかった。
僕が万葉集を見ていて分かったのは、
作家になりたいなら、夏目漱石とか芥川龍之介ではなく、
もっと古い万葉集などの古典をあさるべきだ。
確かに、近代日本の文学は面白いからいいが、
作家になりたいなら、より古い方が良いということが分かった。
そういうわけで、何が賢いかということに対する結論は、
舞台や演劇、歌、ドラマ、アニメなどを含めた、
広い意味での作家が賢い。
特に、シナリオが書ける人間が賢いだけに過ぎない。
そして、それを実際にやるなら、万葉集のような古典をやるしかない。
あとの全ては、オタクや大学がみんなを騙しているだけに過ぎない。
しかしながら、作家は難しくない。
単にドラマチックなストーリーを書けばいいのであれば、
それは単に考え付いた奇跡を表現すればいいのであり、
ドラマ仕立てにするだけで誰でもできる。
あとは、登場人物、舞台、テーマ、そして演出と表現の問題であり、
実際に「方法」だけを考えてできる小説はなく、
「自分の書き出したいなんらかの概念や本質」を、
きちんと持っている人間が、作家に向いている。
そして、僕はそれを持っている。
僕は人生における、賢かったものすべてを、神話の神々にしたかった。
これも、ひとつの本質だが、
そろそろそれは終わったため、
別の「なんらかの本質」を作り上げる必要があり、
そのなんらかの本質が誰よりも賢いものであれば、作家になれる。
自由にも、一理あるところがある。
それは、「新しい発想やアイディアが生まれる」ということ。
自由にすることで、さまざまな新しい発想に対してオープンになり、
みんなで自由闊達に議論し、
みんなの発想をそれぞれが好きなように実現することで、
「社会全体が新しくなっていく力」になる。
そう、昔のコンピュータやIT技術は、まさにそういうものだった。
しかしながら、今のSNSや動画配信サービスなどは、
むしろ「自由になりすぎている」ところがある。
原始社会であれば自由がもっともよかったが、
さまざまな進歩につれ、意見の異なる相手との争いごとは起きるものである。
よって、インターネットが社会的になり、
ルールやポリシーを定めていくのは当然の歴史的な進歩であり、
これに失敗すれば、インターネットそのものは消滅しても構わないのである。
しかしながら、結局、
インターネットも現実の社会と同じである。
原始的な自由で平等な社会は、
ひとりの王が支配してポリシーを決めるが、
民衆は彼に対抗して社会は平等となる。
オープンソースは確かに自由でオープンだったが、
結局企業が支配することになり、
勝者であるIBMとマイクロソフトに敗北し、
SNSのポリシーのようなものを裁定しても、
結局は素晴らしい世界が再来することはない。
IT技術やインターネットも、
人間の生み出した不完全なものに過ぎなかったのである。
しかしながら、人類の歴史はインターネットで終わりではない。
このような、
自由、滅び、王による支配、圧制、ポリシー、
そして平等へと向かう歴史の流れは繰り返すものである。
よって、放っておけば、また自由でオープンな原始社会が生まれる。
しかしながら、それもまた、ひとりの勝者によって滅ぼされ、支配され、
その王に対する対抗から、新しいポリシーを定めるようになる。
このことは、人類が活動する間永久に繰り返されるのであり、
たとえユダヤ人の神が居たとしても、
「今はまだ終末ではない」。