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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 今までのすべてが、価値のない最低の人間だったとして、どうするか
BASENAME: 2021/02/18/222335
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DATE: 02/18/2021 22:23:35
CATEGORY: 恋愛

僕はこのようにするのだと、そう言えば楽だろう

今までのすべてが、価値のない最低の人間だったとして、
どうするか。
そう、僕は、このようにするのだと、そう言えば楽だろう。
実際は、それを決めることそれそのものが、
傲慢で、価値のない最低の人間であることの、
証であるのだろう。

AAAの宇野実彩子が好き

僕は、FLOWと呼ばれる音楽グループが好きで、
20代のごろは、FLOWばかりを毎日聴いていた。
パンクで最悪の音楽だったが、
僕にとって運命の出会いだった。
その頃、FLOWとともに聴いていたのが、
AAA。
FLOWほどの好きな音楽は、AAAしかなかった。
僕は、本当のことを言えば、
2014年ぐらいから、AAAの宇野実彩子が好きだった。
そして、久しぶりに、宇野実彩子のYouTubeのチャンネルを聴いていた。
「遅咲きのヒロイン」と本人は歌っているが、
僕ももう32歳で、
「最低の君の汚い欲に食べられた」と本人が言うように、
僕も最低の人間であるため、
簡単に言えないが、
僕はまさしく、宇野実彩子が一番好きである。

今からどのように生きていくか、それを考えたい

今からどのように生きていくか、
それを考えよう。
いつまでもひとりで生き続けるのも、
むしろ、悪くない。

常識的で、まともで、正しい生き方をするのは、たぶん得意

常識的で、まともで、
正しい生き方をするのは、たぶん得意だ。
根拠はない。
しかしながら、僕は普通に毎日仕事をしているし、
知識や良識もある。
あとは、正しく発言し、正しく生きるために、
過去の栄光に確執しないこと。
宇野実彩子が見ても、
これでは「自分のことしか愛せない黒い悪魔」である。
ただし、宇野実彩子はそんなことは言っていないだろう。

宇野実彩子の相手として相応しいように生きよう

そういうわけで、恋人候補は宇野実彩子にすることに決めた。
そもそも、平手もレオも子供すぎる。
大人の男性には、大人の女性が良い。
宇野実彩子の相手として相応しいように、
最低のアウトローな奴を脱したいと思う。

AAAはいつも聴いていたため、曲を聴くと懐かしい

AAAはいつも聴いていたので、
YouTubeでその頃の曲を聴くと懐かしい。
あの頃、僕は何も分からなかった。
僕は足の怪我で入院した病院から退院して、
FLOWやAAAを起きている間ずっと聴いていた。
iPodにインポートした、AAAやその他の楽曲を、
プレイリストにしてシャッフル再生する。
何も分からないと言ったのは、
本当に知性がまったくひとつも欠片もなくなった。
しかしながら、何一つ分からない暗闇でも、
僕には対話の神が居た。
そう、その頃が、もっとも僕の賢かった、
天才的な作家の才能を発揮しだした時代だった。

文字も読めなかった、それでも、哲学と日本史を読んだ

まさに、その頃、僕は文字も読めなかった。
自らの書く日本語は理解できても、
ほかの人間の言葉が理解できなくなっていた。
それでも、何もしないではつまらない僕は、
日本語を理解する練習と思って、
哲学や日本史などの本を買った。
読んだ本は、そんなに多くはないが、
哲学書であるソフィーの世界と、
白取春彦さんの哲学の入門書は、
理解できないのに最後まで読み通した。
そして、僕は哲学の勉強をすることに決めた。
哲学者の言っていることが、
過去の自分の記憶と重なり、
言ってしまえば、「哲学者の言っていることすべて分かった」。
そして、山川の日本史の本は最後まで読んだ。
世界史の本は、三部冊になっているうちの二冊を読んだ。
ドイツ史の本も最後まで読んだ。
僕は、日本語が分からない、言ってしまえば、学習障害だった。
しかしながら、僕は読めないだけではない。
それで、自ら、オリジナルの日本語の文書を書く。
そう、僕にとって、日本語は読むものではなく、書くものだったのだ。

僕の日本語がほかと違うのは、僕の日本語は書いてついた知性だから

僕の日本語は、
明らかに他の人間の日本語とは違う。
何かがほかの日本語よりも馬鹿である。
それは、僕の日本語は、
学校で教わってついた知性ではなく、
自分で書いてついた知性だからである。
中学二年で不登校になった時は、
僕は子供なりに日本語の文書を読むことができた。
よって、不登校になった時点では、
さまざまな文書を読むことができ、
インターネットでさまざまな会話をしていた。
しかしながら、僕は文章を書くようになってから、
知性をまったく失い、
書かなければ分からなくなった。
そう、僕の日本語の学習障害は、
先天的なものではなく、後天的なものである。

今でも日本語が分からない時があるが、本は読めるようになってきた

今でも、日本語が分からないことが多々あるが、
本は読めるようになってきた。
しかしながら、本を読んでいて分からないところはあり、
分からないところは飛ばして読んでいる。
実際、僕は言葉が少ないわけでは全くない。
なぜなら、僕は神々や天使たちと対話することができる。
僕は、彼らの言葉は理解できる。
そう、僕は人間の言葉が理解できない代わり、
神や天使の言葉は理解できるのだ。