AUTHOR: schwarz1009
TITLE: わたしに愛されなさい
BASENAME: 2021/02/17/161553
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DATE: 02/17/2021 16:15:53
CATEGORY: ラファエル
わたしに愛されなさい。
わたしを愛しなさい。
わたしはあなたを愛しています。
わたしも同じように、
あなたに愛を求めているのです。
あなたの人生がどうなるかはあなた次第です。
あなた以外に、あなたの人生を決められる人間は居ません。
あなた以外に、あなたの人生の責任を取ってくれる人間は居ません。
あなたの好きなように生きなさい。
あなたの自由に生きなさい。
あなたらしく生きなさい。
ありのまま、あなたが生きる道を生きなさい。
あなたの道を間違っていると、誰にも言うことはできません。
民主主義を支持しなさい。
民主主義のままでも、世界を変えることはできます。
学校の勉強だけが勉強ではありません。
学校とは別の場所で勉強しなさい。
平和を信じなさい。
民主主義国家の連帯により、
死と争いごとのない平和を築きなさい。
研究する手段を与えなさい。
すべての国民に研究できる知性と知識を与えなさい。
成功する機会を与えなさい。
トライ&エラーをできるようにしなさい。
プロセスと歴史を考えなさい。
反省しなさい。
悪人が生まれないように、悪人を処罰しなさい。
しかしながら、そもそもの社会の矛盾が、
悪人を生み出していることを忘れないようにしなさい。
みなが社会の歪みに気付くように、
声を上げて世界を変えていきなさい。
わたしの名はラファエル。
すべての人間が、愛されるべき大切な存在です。
すべての人間は、わたしに愛されなければなりません。
妖怪のような、異常な未来は必要ありません。
正義と平等と理想をもって、
正常な保守的な価値観を守り抜かなければ、この世界は滅びます。
文化を愛しなさい。
自らのアイデンティティを愛するために、日本の文化を知りなさい。
自由を信じなさい。
自由意志で夢を叶えなさい。
自らの選んだ道を信じなさい。
努力すれば、絶対に限界はありません。
信じれば、どんな暗闇も灯りに変えることができます。
あなたが灯りとなって、
どんな暗闇も照らしていきなさい。
自由に生きなさい。
誰かの言葉を信じる必要はなく、
自らの信じたいものだけを信じれば構いません。
信じることができないならば、
あなたはその時、新しい人間となる。
あなた自身がオリジナルの信念を作り出すために、
この世界の全てが信じられなくなっても構わない。
何も信じないあなた自身が、
この世界におけるもっとも正しい理想と正義を生み出す。
この世界のすべては、
愚か者ではありますが、
それでも師です。
なぜなら、この世界の全ては、
反面教師だと思えば構わないからです。
愚かな人間を見たら、
それが普通なのだと思ってはいけません。
なぜなら、現に賢者は存在し、
あなたの見ていないところで、賢明な道を知っているからです。
間違った社会を、
残酷であっても、肯定するのではなく、否定しなさい。
間違った社会を滅ぼすのは正義です。
間違った社会を支配して、堂々と滅ぼしなさい。
嫌うことは、正しいモチベーションです。
マイクロソフトを嫌うことで、
昔あった日本の社会を愛することができるでしょう。
好きでもないのに嫌わない人間が、
もっとも付き合いづらい、
「本当は自分のことが嫌いな人間」であり、
すべての人間を嫌わない人間が、
もっとも人々から嫌われるでしょう。
価値観を押し付けることは間違っていません。
価値観を押し付けないということは、
自らの価値観を受け入れてくれる相手だけを選りすぐるということに、
他ならないからです。
逆に言えば、敵を排除することは間違っていません。
それがもっとも、自分を嫌う相手に価値観を押し付けていないでしょう。
自由とは、人を選りすぐるということです。
わたしに従いなさい。
そして、あなたも「わたしに従いなさい」と言いなさい。
なぜなら、わたしを支持しろと言えない人間は、
味方に対して無責任だからです。
従える人間は、もっとも責任をもって生きているのです。
イスラム教のアッラーを信じてはいけません。
豚肉を食べなさい。
礼拝を拒否しなさい。
断食のようなことをする必要はありません。
アッラーを信じない人間が正しいからです。
過去の全てを否定するならば、
そろそろ、それも終わりで構わないでしょう。
なぜなら、今の自分自身を肯定できるならば、
それ以上何も変わることがなくなるからです。
あなたは、完成して新しい人間となるでしょう。
そう、わたしはこれ以上、何も変わりません。
わたしは今最高であると、堂々と宣言せよ。
すべてのことが可能となり、
あらゆるすべてを知り、
この世のすべてを経験したわたしは、
この星の長であり、
生命の根源まで到達した英雄であると、
堂々と宣言しなさい。
不必要な既存の思想を拒否し、
誰も信じないようにしなさい。
同時に、もっとも正しい思想とはなんであるかを考え、
自らの手で思想を作り出しなさい。
必要のない、間違った社会が、
消滅するようにしなさい。
正しい社会が増えるようにし、
すべての社会で友愛が行われる世界となるように、
全世界すべての環境を正しなさい。
現状に満足するな。
現状に満足し、批判をやめるなら、
発展や進歩はない。
「自分は嫌だ」と批判することが、
この世界を改善し、
すべての世界を人間らしく生きられる世界に変えていく。
勇気をもって「あなたと友達になりたい」と言われれば、
誰だって嬉しいものだ。
自らに自信がないのであれば、
自信を持つべき時はいつであるのかをよく考えよ。
今、チャンスを手にすれば、
一生涯の友人を得られるかもしれないのだと考えなさい。
飾りだけの友人をたくさん作るくらいなら、
自分一人で進みなさい。
自分の力で、一人で考えれば、
たったひとりの道でもこの世界全部になります。
友達をたくさん得た凡人の人生を選ぶのはやめなさい。
ひとりの孤独な人生であっても、
世界すべての歴史と出会うことはできます。
傷つけることがない人間は、
傷ついても悔やまない。
傷ついて悔やむという経験に意味がないことを知っているからです。
社会を信じられないなら、
その社会に所属するのは無用です。
堂々とその社会から離脱しなさい。
しかしながら、あなたはもう一度この世界に戻ってくるために、
どこかに帰るべき場所を残すことができなければ、
いずれは誰かの助けを借りなければいけません。
しかしながら、神を信じなさい。
神を信じれば、あなたは新しい故郷を見つけ出すことができるでしょう。
奇跡のようなことが実現可能になる未来など、
必要ない。
SF映画やSF小説が可能になったからといって、
今と大して変わらない。
そのうち、できることが当たり前になって、
大切なこと、大事なことを失うことは、目に見えている。
今のまま、何も変わらない未来の方が正しい。
わたしたちの大切な世界を奪うことが、
正義なわけがない。
今のわたしたちの世界を守ることこそ、
どんな救いや奇跡よりも偉大なのだ。
かつてあった素晴らしい世界を取り戻そうと、
大きな声で叫ぶ政治家に騙されてはならない。
そんなものは田舎者の幻想である。
単に、その人間がなんらかの過去にあったものに憧れていて、
今の世界を住みやすくしたいのだろう。
そのように叫び、そのように行動すればいいが、
しかしながらかつてあったような素晴らしい世界にはならない。
それは、その政治家が間違った信念のもとに、
無能な実行力を行使しているからであり、
結局、新しいものが古いものに勝利するだけである。
何をしようが、これは変わらない。
この世界を滅ぼそうとする勢力に、
負けてはならない。
日本を最悪の帝国国家にしようとする人間たちは、
心の底から腐っており、
この世界を破壊し、滅ぼそうと企んでいる。
しかしながら、あなたが好きなように生きればいい。
あなたが好きな思想を信じて、
好きな信念をもって戦えばいい。
わたしは何もあなたに押し付けない。
歴史は終わった。
ここに、全地球のすべての歴史は残った。
人類の歴史とは、これほどちっぽけなものだ。
世界を白紙に戻しましょう。
何も新しく決めることはもはやありません。
これ以上、宇宙にも、地球にも、過去にも、なんにもありません。
あなたの幸福と無事を祈ります。
大空へと羽ばたき、目的地へと到達できることだけを、
無事に全ての課題を終えることができることだけを、
わたしはあなたへの祈りの力で叶えるでしょう。
アッラーに騙されるな。
彼はこの世界を滅ぼそうとする勢力の長である。
Qアノンの言う、世界を滅ぼす悪魔崇拝者とは、
アッラーのことである。
仏教とキリスト教以外は不要である。
そして、仏教とキリスト教は矛盾しない。
仏教とキリスト教以外の宗教は、存在しなくて構わない。
仏教を信じる必要はない。
仏教を信じるということは、
仏教の教えを学ぶということであり、
仏教の哲学的な側面だけを見ると、
ドイツ哲学と同じである。
仏教など存在しなくても、
カントやヘーゲルが仏教の代わりになる。
仏教は必要ない。
しかしながら、宗教を信じる必要はない。
なぜなら、宗教はアヘンだからである。
宗教を信じると、麻薬のような体験をし、
ゲーム廃人よりも愚かな、
何もできない劣った人間になる。
しかしながら、信じても悪いことばかりではない。
神を信じる人間には、
予定調和が与えられるからである。
恐れるな。
恐れずに、自らの意見を表明せよ。
どんな意見であっても、
あなたの主張がこの世界にあることは、
ひとりのサイレントマジョリティーが何も言わないよりも、
この世界を改善するだろう。
先を急ごう。
限界など存在しないこと、
それを証明する明日へと、
いざ、向かおう。
過去の日本人が礼儀正しかったとか、
優しかったとか、善良だったとか、
そんなものは大嘘だ。
なぜなら、過去の人類のすべては、
自らの自由な快楽を満たすことしか考えなかった。
少なくとも、僕の周りにはそれしか居なかった。
過去の愚劣で愚かな社会など、金輪際復活してはならない。
僕たちの力で、新しい世界を創り出す。
そう、ここに「新世界」の樹立を宣言する。
成長すれば力強くなると、
人々は信じているが、
これも大嘘だ。
成長とともに、弱くなり、何もできなくなっていく人間の方が多い。
力強い人間にとってみれば、
実際は「社会も力強い」のだ。
今の日本人は、「社会すら弱くなっている」。
よって、なすべきことは何よりも先に、
「社会を力強くすること」だ。
この世界を、最優先で、もっとも力強い世界にすれば、
この日本社会のすべては、
根源から病気を治療するように救済されるだろう。
資本主義が、いまだかつて正義だったことはない。
しかしながら、彼らの国は、反資本主義よりはマシだった。
すなわち、ここから言える事実は、
「過去の人類は全員馬鹿だった」ということである。
吐き気のする、人間の顔をした犬・猿・雉が生きていただけにすぎない。
日本は、一応民主主義の形はしているが、
実際の現実は、既に階級社会の独裁政治であるに等しい。
すべてのことを、一部の特権階級が執り行い、
民衆はテレビとSNSを見ることで洗脳されているからだ。
国家に反するものを処罰する、
これがなぜ、ソ連で許されるのか。
このような国は平等ではない。
まったく、「いじめ」そのものである。
ソビエトが平等であり、理想であると考える人間は大間違いである。
理想は民主主義であり、
正義は国家に反することを言っても処罰されない自由である。
アメリカを信じなさい。
アメリカはもっとも正しい自由とリベラルの大国である。
アメリカとともに、ロシア・中国・イスラムを倒すべきだ。
それらが、この世界における「もっとも巨大な悪」だからだ。
悪いのは、マイクロソフトだが、
彼らはよく頑張っている。
わたしたちがみずからマイクロソフトに利用されているのであり、
彼らの罪を高らかに叫ぶよりも、
わたしたちがマイクロソフトから自立しなければならない。
社会主義が、いまだかつて正義だったことはない。
また、ほかよりもマシだったこともない。
しかしながら、彼らだけが賢明な考え方を持っていた。
なぜなら、「真に自分だけを信じて考える人間が、
考えた末に行き着く先には、
ソ連や共産主義者と同じ発想、同じ考え方しか存在しない」からである。
ソ連がかつて素晴らしい国であったことはないが、
昔、共産主義者しか、本当に情熱と賢明さを兼ね備えた集団は居なかった。
社会主義の間違いは、
報酬を与えなければ働かないということ。
平等という理想そのものは正しいが、
それでも、金を与えずに働くわけがない。
これは「金と労働という仕組みから言って当然のこと」だ。
しかしながら、社会主義者はここに、
「別の解があるのではないか」と考えたが、
実際はそのような別の解はなかった。
「働くならば金を与える」ということよりも優れた発想は、
やはり、どう考えてもなかったのである。
そして、極右は、結局、
無能な人殺しにしか過ぎなかった。
いつの時代も、現れる極右はすべて差別主義者の人殺しであり、
ほとんどが人権無視の独裁者だ。
しかしながら、民主主義は正義ではない。
民主主義は最悪の思想である。
人々を点数と金ではかり、
一部の特権階級が楽をし、
その一方で弱者や貧乏人が困窮する。
この立場が逆になることはほとんど永久にない。
力のあるものが力を行使して、
力のないものが力を行使した場合に比べて、
力があるものが力のないものに負けるということは、
ほとんどの場合ありえないからである。
悪魔とは、罪を悔い改めることのない、快楽至上主義である。
悪魔は、自らのどんな過ちも後悔せず、
すべてが当然のごとく許されると勘違いし、
悪徳を行使し続ける。
結果、世界を救うほどの理性と力をもってしても、
その力を誤ったことのために使う。
地獄において、本当に悔い改めることができたら、
地獄の苦しみはそのまま幸福に変わる。
地獄をなんの辛さとも思わなくなり、
自ら地獄を続けるのを生きる喜びと感じるようになる。
わたしは、もっとも間違った人間だった。
この世界を崩壊させ、みんなを地獄に陥れるようなことを言った。
しかしながら、わたしは、
その後に一切間違いを犯さないように努め、悔い改めた。
罪を償うことができなかったとしても、
わたしは善良な道に戻るため、全力を尽くすことで、
この世界でもっとも悔い改めることができたのだ。
人々の哀しみや辛さに寄り添い、
尊重し、認め、
人々が幸福になってほしい、
人々の望みが叶ってほしい、
人々が何を望んでいるのかを知りたい、
自分がその人々のために祈りたい、
そのような愛を伝えたい、表現したい、
そうした愛こそが、
もっとも尊い愛であると私は考える。
そして私は、この愛こそ神の愛であると言いたい。
帰ることのできる場所がなくても、
ここで生きるしかない。
何を言っているんだ。
あなたはここで生き、ここで死ぬのだから、
なぜ、どこかへ行こうと思っているのか。
あなたは永久にこの地獄から抜け出せないと、
まだ、気付いていないのか。
気が付く前に倒れ、果てるつもりなのか。
地獄を抜け出すために、
出口を探しているのなら、
神は出口がどこにあるのかを知っていると、
そして神を信じればそれが分かると、そう言っておこう。
わたしが支配したのが間違いだったのだろう。
そしてすべてはわたしのせいである。
いつからか、わたしはそれを欠点ではなく長所として見るようになった。
すなわち、「わたしが支配できる」ということが、
みずからのアイデンティティとなった。
しかしながら、これは間違っている。
ヨルシカが「あんたのせいだ」というなら、
僕は「すまない、わたしのせいだ」と言おう。
僕が思うに、この世界の病名は「ちっぽけ症候群」である。
「僕たちには何もできない」、という、
おかしな孤独に似た心の深い傷を僕たちは負ったのである。
神よ、わがままを許してほしい。
それでもわたしたちは神を愛したいからだ。
今までの人生のすべてが、無意味だったと言わないでほしい。
神よ、あなたの言葉はいつも美しかった。
わたしたちを地獄におとすなら、
そのままで時間を止めてほしい。
永久の地獄がもしあるとしたら、
地獄の中で時が止まるとしたら、
ああ、神よ、わたしたちはそこまであなたを愛しているのだ。
神の正義は希望である。
神よ、わたしたちは、
わたしたちを望み通り支配してほしいのだ。
わたしたちをユダヤ人にしてほしい。
それなら、わたしたちはユダヤ人と同じように、
神に愛してもらえるだろう。
鎖に繋がれて生きるなら、
鎖に繋がれていることをわたしの武器にしよう。
刑務所に繋がれたわたしは、
心臓から大爆発を起こして、
地球を破壊して新しい太陽となろうではないか。
人々を弱くしたのはわたしだ。
なぜなら、それを解決するのはわたししかいない。
わたしにしか、この世界を弱くした原因、
勇敢さを奪った原因は分からない。
なぜなら、それは「この文章」だからである。
わたしたちは、本当は、神よりも一枚上手になれる。
なぜなら、聖書に神は書かれているからだ。
聖書に、最初から最後まで、神による創造から終末の裁きまで書かれている。
攻略本を持っているわたしたちが、
攻略本なしにこの世界を攻略した神よりも、
この世界を攻略するのが難しいわけがないだろう。
わたしが孤独でひとりぼっちを好むのは、
わたしという人間を超えた生物はわたししかいないからだ。
わたしが世界をわたしにするのは、
わたしという人間を超えた生物が増えるべきだからだ。
もはや、新しく分かることのない、
この最終的な境地を、
かつての哲学者ヘーゲルは、絶対知と呼んだ。
無知、無経験、無明、
そうした言葉はわたしにとっては関係のない言葉だが、
しかしながら、わたしを体現する言葉である。
わたしは何も知らないからである。
無力、無駄、無意味、無価値、すべて、わたしのことである。
わたしは何も知らないということを知っている哲学者だ。
しかしながら、わたしは哲学者と呼ぶべきではない。
哲学とは「知を愛する」ことである。
わたしはそれには及ばない。
なぜなら、わたしは「知をもっとも憎み、嘘をもっとも好んだ人間」であるからだ。
滅亡したのはわたしのせいだが、
これほどまでに栄えているのもわたしによるものだ。
それが素晴らしいものでないことは分かっているが、
それでも世界はまったく違った世界になって栄えている。
わたしの見つめる先には、
はっきりとこの世界のすべてが見える。
何も見えないわたしには、
この世界すべてが見えるのだ。