AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 凡人のために天才を犠牲にするな
BASENAME: 2021/02/09/153721
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DATE: 02/09/2021 15:37:21
CATEGORY: 自由
CATEGORY: ヨハネ
僕は、社会主義と決別する。
芥川龍之介の河童を読んで知ったのは、
社会主義者は百人の凡人のために、
ひとりの天才を犠牲にすることもいとわない。
しかしながら、僕はこれを間違いだと思う。
平等はそもそもが間違いである。
僕は、自由と才能を信じる。
平等は間違っている。
この世界に、正しい平等はない。
なぜなら、平等そのものが、
凡人のために天才を犠牲にする考え方だからである。
人間は、必ずしも平等ではない。
国家よ、わたしを支配するな。
わたしは自由である。
多数派の民衆によって選ばれた政治家よ、
わたしの代表のふりをするな。
わたしはわたしであり、
わたしはこのような国家、日本を選んだ覚えはない。
しかしながら、完全に自由になることはできない。
わたしたちは、社会を介して繋がっているからである。
助け合いは時に、金と所有と制度による、
階級社会や奴隷制を生むこともある。
しかしながら、完全に人々と離別して生きることはできない。
その発想やアイディアが、
実現できる可能性があるというなら、
それを積極的に実現しない理由はない。
しかしながら、実質的に、
この世界における困難さから、実現を選ばないこともある。
それなら、世界の方を変えてしまおう。
そのことが実現しやすいような世界を作ってしまえばいいのである。
この宇宙すべての歴史が分かるとすれば、
神を信じる意味はある。
すなわち、神はこの宇宙のすべての歴史を知っている。
過去にそこにあったすべて、未来に起きるすべて、
それらすべては「精神」として、この宇宙に残り続ける。
世界のすべてと疎遠になった時、
そこに神との出会いはある。
全てから離れ、失うことを受け入れたものを、
神は正しい道へと導く。
平等にチャンスを与えよ。
チャンスをいくらでも増やしていけ。
これは「機会の革命」であり、
「なにもかもすべてが可能であるかのように、
すべてのチャンスが与えられているユートピア」である。
すべての人間になれるように、
すべての人格と記憶を持ち、
あらゆるすべてができるようになった時、
すべてのことが既に分かっている。
それこそが、全知全能の証明である。
何もしなくても、何にもならなくても、
すべてができて、すべてになることができるものは、
すべてをし終え、すべてになれた人間であり、
まさにその状態こそが「如来」なのである。
すべての社会を築くことができるものは、
その社会におけるアイデンティティと、
心理学的な社会の客体化を知ったものであり、
その時点でそれは神である。
なぜなら、サルトルの言う「保留された自由」は、
何のために保留されているかと言えば、
「この世界をどのように創造しても構わないために」であり、
それこそ、まさに「宇宙の創造主」だからである。
自由において、相手の心を変えるものは、
すなわち、世界の導き手である。
自由において、支配することなく、
自らの行動と行為だけで、
相手を喜ばせ、ともに哀しむことでこの世界を変えるなら、
それは「罪のない人間」であり、
それはなぜなら、「許す」ということを意味する。
そう、世界を許すことのできるものは、
世界から許される。
世界すべての憎しみがなくなれば、
誰からも憎まれず、愛される。
しかしながら、それは決してハーレムではない。
なぜなら、そこにあるのは「尊さのある孤独」だからである。
コミュニティから排除され、
共同体から追放されたものは、
もっとも正しい共同体を築く。
なぜなら、追放されることの哀しみを知っているからである。
共同体から追放されたものは、
さまざまな辛く悲しい経験をするが、
そこから見えてくるのは、
「理想のコミュニティを実現する方法」であり、
それこそが、
「もっとも正しい共同体を築くすべての方法」なのである。
誰とも出会う必要はない。
なぜなら、わたしたちは、
時を感じる力がある。
そう、時の中で生きていれば、
わたしたちは誰とも出会わずとも、
歴史と出会うことができる。
この地上の時間の流れを感じることを知っているものには、
間違った悪党は居ない。
悪党は、時と歴史を感じることができないからである。
経験だけでは、正しい社会を築くことはできない。
「正しい社会はどのようにしたら築けるか」を、
理性を使って考える必要があるからである。
それも、もう少し詳しく叙述するならば、
「自由な中において、どのようにすれば、
平和な社会秩序を作ることができるか」を、
わたしたちは理性を使って考えなければならない。
経験は、単に経験するだけではなく、
理性に基づく目的に伴った経験でなければならない。
しかしながら、その理性と経験が交わる時に、
「世界すべてが救済される可能性」がある。
そう、それこそがまさに、わたしの考えた哲学である。
自らにできることは大きい。
この星に生きている、人類すべてよりも大きい。
なぜなら、わたしたちは、
過去の人類全てが遺してきた遺産の上に生きている。
それらすべてをあわせれば、
わたしたちにできることは星の数ほどある。
その人と、同じように考えてみよ。
その知識や構造を再構築して、
自らに吸収してみよ。
あらゆる知識は、単なる知識だと思えば意味を成さない。
自らの考え方や思考に取り入れるためには、
同じことをゼロから考えればいい。
しかしながら、完全にゼロから考える必要はない。
自らの引き出しを使って、自由に考えてみよ。
そこにあるのは、「人類すべてを超越した自由の頂」である。
環境、すなわち世界が自らを支配するならば、
その環境、すなわち世界を自ら変えてみよ。
環境がその環境になることを想像力と因果性から証明すれば、
どんな環境であろうと、
自由自在に環境の変化を支配できるだろう。
そこには「自由なままで世界を変える」という意義が見えてくる。
すなわち、学校であろうが、マスコミであろうが、
もっとも高い影響力で、すべてをあなたは統治するだろう。
勇敢に戦うならば、
あえて戦いを選ばない、
戦いを平定する戦いをせよ。
そこには、「みずからが先頭に立つしかない理由」がある。
そう、あなたはこの世界において神に選ばれた。
世界を平定し、統治し、
最前線で世界すべてを導く、
この世界のもっとも頂点に立つ専制君主となれ。
考え方を自ら作って、
すべてのことを仮定と結論で考えるならば、
仮定からすべてを説明するだけでは十分ではない。
なぜなら、「仮定だけではなく結論も必要」だからである。
あらゆるすべてを生み出すために、
宇宙すべての発生と過程を、
一切のすべてを作り出せ。
それこそ、「宇宙の万物全てを創造するロゴス」であり、
あなたの名はヨハネである。
何も間違っていない永遠の思考をするならば、
堂々としていなさい。
何も間違っていないものは、もっとも間違いであるかのように見える。
イエス・キリストを神だと信じるものは、
誰よりも笑われ、あざけられ、ののしられ、いじめられる人生を生きる。
しかしながら、その人生を最後まで生きてみよ。
「わたしの人生を確かにイエス・キリストは愛した」と、
堂々と世界全員に宣言することができるようになるだろう。
暗闇に居るということは、
自らがもっとも大きな光であるということの証明である。
小さなものは、周りにたくさんの同じような小さなものが居る。
蟻の周りには蟻が居て、
魚の周りには魚が居る。
しかしながら、太陽の周りには、同じように大きな恒星は存在しない。
自分がもっとも大きい光だからこそ、あなたは孤独なのである。
まったく、同じような人生を、ほかの誰も生きられないような人生を生きなさい。
ハイエナの人生は簡単だが、
もっとも強い王者の人生を生きることは難しい。
誰でも生きられる人生は価値がない。
絶対に乗り越えられない壁が現れた時、
それはあなたの道をふさぐ壁にはならない。
壁を乗り越えたあなたを、後続のビハインドスケーターから引き離し、
先頭を滑り続けるあなたを勝利へと近づける勝因となるのである。
本を買いなさい。
本だけを買えばいい。
ほかには、友人を持ちなさい。
それ以外の何も、手に入れる必要のあるものは存在しない。
生きるために必要ないくらかのお金があれば、
あとのすべては、本のために使えばいい。
すべての本を全部読みたいなら、
自らの手で書きなさい。
そう、それだけが分かっていれば、わたしが教えるべきことはない。
何もない時間を、十分に経験してしまえば、
どんなにたくさんのことがあっても大丈夫だ。
何もない時間の中で何を分かっておくべきかを、
既にあなたは完全に知っている。
いざ、戦いの最前線へ行こう。
どんな逆境でも、過去のあなたの記憶が、
あなたを守るための盾となり、
世界を切り開くための武器となる。
何も持っていなくても、それでもかまわない。
なぜなら、何も持っていない時期の経験こそが宝だからである。
何かを得て、独占してしまうと、
その時点で、「何も持たない人間の気持ちが分からなくなる」。
しかしながら、問題はない。
「あなたは過去の自分の記憶で、大切なすべてを知っている」からである。
戦いを終えて祖国に帰ってきた時、
あなたは天才となる。
すべての過酷な逆境を乗り越え、
その中でさまざまなこと全てを知ったあなたは、
「普通の経験をすれば、すぐさまその意味が分かる」からである。
あなたは誰も分からない、
「不可知」のすべてが分かる人間になる。
あらゆるすべては簡単にすぐにできる。
もっとも本気で考えた時、あなた以上正しい答えを出せる人間は居ない。
しかしながら、覚悟しておけ。
ひとつひとつ、真実の経験を積み重ねて、
新しい世界を知っていく体験は、
どんなに望んでも、二度とできないからである。
あなたの生きるテーマがそれを再び分かることならば、
なんと小さなテーマを選んだことだろう。
過去のあなたはまったく賢くない、でくのぼうだ。
そのような人間に戻りたいならば、
来世で猫になることになるだろう。
そして、何が人生の答えであるか、
わたしが教えよう。
それは「神」である。
神を信じ、神にすべてを委ねて生きること、
それが人生の目的である。
なぜなら、人生において大切なすべては、
神によって与えられるからである。
大切な愛も、希望も、夢も、やりがいも、
責任も、自由も、平等も、勇敢さも、
あらゆるすべてが神にある。
自分が100%自由にできるというのに、
なぜ、地獄を選ぶのか。
それは、地獄を選ぶ理由があるからである。
どんなに妄想の産物があったとしても、
それを「リアルだ」と主張する人が居たとする。
それこそが、地獄を選ぶ理由である。
そう、わたしにとっては、
この地獄こそが本当のリアルだったのである。
世界に怒るということは、大きな代償を伴う。
あなたはこの世界に対する怒りを表明しているが、
それはまさにロシアと同じである。
あなたがこの世界に怒るなら、
わたしと同じだけの覚悟を持たなければならないのである。
そう、怒りの声をあげるなら、
永遠に3,000年続く地獄を覚悟せよ。
この宇宙でもっとも生きるのが辛い星、
極寒の冬の星リゲルで、
わたしは3,000年間耐え忍んだのだ。
あなたがわたしと同じシチュエーションに居るのなら、
わたしはあなたに自分と同じ報いを与えるしかないのである。
そうでなければ、その後に待っている楽園に、
あなたを連れていくことはできない。
そう、不本意ながら、100%の自由意志で、
わたしは地獄を選び続ける。
そう、わたしは地球と同じぐらい、
ソビエトの冷たい星、リゲルを愛しているのである。
実際、最近は高評価や低評価の機能があり、
褒め言葉は上に来て、
罵倒は見なくて済むようになったが、
逆に、褒め言葉が無意味である。
「それは本当に褒め言葉なのか」といった言葉が増えている。
よって、僕があえて思うのは、
「無反応こそが褒め言葉」ということである。
無反応こそが、最大の褒め言葉である。
天才ぐらいでは足りない。
この世界に天才なんかいくらでも居る。
本当に優れた人間は、
一般的な凡人と区別がつかない。
なぜなら、本当に優れた人間は、
天才を超越しているため、
一般的な「天才の特徴」を持ち合わせておらず、
天才よりも普通の人間に近い姿になっているからである。
僕は天才になりたくない。
天才よりも、はるかに優れた人間になるために、
僕はまだ、人生の多くの時間を後回しにしているのである。
天才とは何か。
結局、天才とは「なめてかかり、単純化する方法を知った人間」のこと。
すべてのことをなめてかかって、
単純化して考えることのできる人間を天才と呼ぶ。
僕は、そのような天才だが、
はっきり言って、「天才は大嫌い」である。
一般的な人間を見るな。
自らの過去だけを、
今まで自分が生きてきた道のりだけを見つめられる人間になれ。
今までが賢かった人間が、
未来において馬鹿になるわけがない。
唯一の例外は大学である。
大学に入ると、入る前賢かった人間が馬鹿になる。
こぴは、僕の代弁者だと思う。
こぴの歌っている歌は、全部刺激的で、
こんな汚れた大人は、こぴぐらいしか聴きたくならない。
あとはと言えば、
LiSAとKing GnuとBiSHと平手友梨奈ぐらいしか聴いていない。
しかしながら、Aimerは素晴らしい。
自分の経験は、自分にしか分からないと、
そのことだけが分かっていれば、
どこまでも自分の力で進み続けられる。
あらゆる経験は自分のためになり、
積極的に行動する自由を行使しない理由はない。
しかしながら、何かのきっかけで、
その自分にしか自分のことが分からないということが、
幸福から不幸へと変わる時がある。
あらゆる全ての異常がなぜだか分からず、
他人に説明することができないその地獄では、
本当の意味ですべての問題を自分だけで抱え込むようになる。
しかしながら、そこにひとりの救いの手を差し伸べる存在が居る。
それは神である。
神の言葉を聞くことができるようになって、
神の言葉の通り行動し、
神の言葉の通り信じれば、
必ずあなたは正常な理性を取り戻し、
あらゆるすべての異常を、
その通り、「自分だけの手で正常に治す」ことができる。
神は本当はゲゲゲの鬼太郎に出てくる妖怪だが、
あなたのことを自らの子供として愛し、
どんなに長い赤ん坊の時代でも育ててくれる、
素晴らしい妖怪の親代わりである。