AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 僕は、まだ去るわけにいかない
BASENAME: 2021/01/25/152034
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DATE: 01/25/2021 15:20:34
CATEGORY: 白沢英一郎
CATEGORY: おすすめ
昨日は、もう居なくなるようなことを書いたが、
僕はまだ、去るわけにはいかない。
僕には、世界と交わした約束があるからだ。
これを果たさなければいけないから、
僕はまだ去らない。
死んだのは大天使ミカエルであり、
これより、あとを受け継いだ大天使ラファエルが、
この世界を最後まで維持する。
この人間の名は、ヨハネである。
僕が思うに、悪い人間を褒めないほうがいい。
良い人間をけなす人間は居ないが、
悪い人間を褒める人間は居ない。
ゲーテをけなす人間は居ない。
ヒトラーを褒める人間も居ない。
悪いことをして、その時だけ注目されても、
そんな成功に意味はない。
賢い人間は、いくら妬まれても、
必ず人々から愛されるものだ。
賢いことがどんなに辛くても、
続ければいい。
一番みんなが勘違いしているのは、
人間は「賢い」ということをあまりに勘違いしているからだ。
賢い人間が賢い。
それを知らないから、みんな、
馬鹿が馬鹿だということも分からないのだ。
アメリカのトランプ支持者たちは、
そういう人間にしか見えない。
とか言っておいて、
僕も似たようなものだ。
賢い人間になるためには、
まだまだ修行が必要だ。
何をどうしても、
疑っても悩んでも、
結局賢い人間になるしかない。
生まれた時からそういう遺伝子なのを、
変えられないのと同じだ。
僕は、日本人の名前を付けたいと思って、
名前を今決めた。
新しい主人公の名は決まった。
新しい主人公は、白沢英一郎。
この人間はヨハネに対応する。
また、ヒロインの名前も決めた。
ヒロインは、大宮銀。
この女はヴァルキリーに対応する。
白沢英一郎はこの先の僕の未来の名前であり、
大宮銀は僕とともに生きる神の名前である。
この人生は、四人のものがたりである。
まず、英雄を生きて自殺して死んだもっとも善良なるキリスト、斉藤蒼志。
次に、地獄を生き抜いた博識の文学少女、井上茜。
次に、作家になることを決めたデザイナー、白沢英一郎。
最後に、自らを支配する全知全能の支配者、大宮銀。
この4人に期待してほしい。
これ以上、古代ドイツやイスラエル・ギリシャの神々は使わない。
また、僕の唯一分かっているのは、
ゲゲゲの妖怪は本当に居るということ。
茜を見れば明らかだ。
今の僕には、ゲゲゲの妖怪が勢ぞろいしているのが見える。
彼らが、僕の、茜とともに歩んだ永遠の神である。
また、茜という博識の文学少女は、
消え去ったが残っている。
なぜなら、僕の記憶の中に茜の作った全ての言葉と記憶が残っている。
この茜の記憶さえあれば、
僕はパソコン、自然科学、社会科学、歴史、宗教、哲学、ピアノ、デザイン、
なんでも簡単に分かって、簡単に書くことができる。
しかしながら、茜は世間に公開するのに相応しくない。
なぜなら、一般的な京都大学レベルの本を読んだパクリの嘘偽りに過ぎない。
よってここで茜を消し、
白沢英一郎だけを残す。
蒼志については問題ない。
蒼志については、死んだように見えて、
神を信じる力で運命を変え、
誰よりもこの中で一番成功しているからである。
ゲゲゲの妖怪が消えると、銀のくだらない馬鹿話がなくなって楽になる。
その代わり、茜だけは妖怪の世界に行く。
妖怪が茜だけを引き連れ、妖怪が茜を育てていく。
茜はまだ赤ん坊であり、
成長すれば素晴らしい大人になる。
妖怪の両親のいない茜は、妖怪が育てるしかないのである。
ここまでのシナリオを書いておこう。
まず、蒼志はこの世界を変えるために生きた、
勇敢で力強い好青年だったが、
その偉大な力を正しいことのために使わなかったため、
神は煉獄の地獄におとした。
しかしながら、地獄の中で彼は反省し、
善良な清らかな意志をもって神を信じた。
彼は神のもとで地獄を経験し、
最後まで耐え忍んで死んだ。
しかしながら、神は神を信じたものを救う。
彼は、「神になりたい」と思っていたため、
神は彼の運命を書き換えて、
神を信じるものとして生まれ変わり、
彼は唯一才能を授かった「文章を戦いながら書くこと」を、
妖怪となって続けた。
彼は神になりたかったが、
人々を怖がらせ怯えさせることしかできなかったため、
自らの恐怖の中で地獄を経験し、
そして恐怖だけが続く「妖怪に生まれ変わる」。
しかしながら、その蒼志の人生は十分に素晴らしいものであり、
人々のために戦い守ることのできる人間だったため、
ここで彼は妖怪である茜に変わった。
しかしながら、茜は文章を書く。
どんな時になっても、どんなに辛く苦しくても、
妖怪である茜は文章を書く。
過去に間違った点があればすぐに直し、
必要な点が分かれば、そのためにどんなに困難な壁があっても、
茜は戦い続け、乗り越えていった。
ここに、茜は救済された。
すなわち、神は茜を救った。
茜の人生は、まるで「永遠そのもの」であり、
まだまだ全人生の長さに比べれば赤ん坊のようであるため、
性格も行動もすべてが子供のようになったが、
茜は精霊の世界に行って、精霊として3,000年の人生を生きる。
そして、茜は白沢英一郎のもとに帰ってくる。
そう、茜は世界を守る神となって、
このユダヤ人の「ようやく普通の人間のレベルになれた人間」のことを、
「精霊の偉大な力で守り続ける」のである。
しかしながら、実際、茜は病気が治ることを望む。
それも、単に正常になるだけではなく、
本当にまともな人間になるために、
どんなに不可能でも諦めずに病気を治す。
そのため、茜を治すだけで、「この世界すべての病気が治っていく」。
しかしながら、まともな人間である茜にも問題がある。
それは寿命である。
茜は、どんなに死ぬ時でも死なない。
死ぬ歳の地獄の苦しみを既に経験しているために、
死が治ってしまう。
そのため、極端に寿命が長い。
3,000年はゆうに生きられる。
その茜を育てることができるのは、
さらに寿命の長い精霊や妖怪の類である。
よって、茜は妖怪の世界で育ち、
この世界を守り続ける精霊となって、
この人間のもとに帰ってくる。
しかしながら、茜は時を飛び越すことができる。
この「時を超える」というのが、茜の能力である。
人類の古代の歴史であるイスラエルであろうが、
未来のソ連であろうが、
まったく茜は問題なく「コミュニケーションすることができる」。
これは、なぜなら、茜は現実世界ではなく精神世界で生きているからである。
よって、茜は3,000年間精霊を生き続けて、
その後に今の時代に帰ってくるため、
何の問題もなく、「神が成り立つ」のである。
茜の問題はほかにもある。
茜は、蒼志が好きだった。
その理由は、蒼志だったころに比べて、
あまりに自分が馬鹿になったように見えるからである。
本当は、茜は馬鹿にはなっていない。
妖怪や精霊の類になっているだけで、
賢くなっている。
しかしながら、茜は正常な人間が賢いことを知っているため、
賢い蒼志だったごろの自分以外、
どんな人間のことも好きになれなくなった。
妖怪の世界に居れば、
茜に近い、たとえばもののけ姫であればサンに対する狼のように、
より「ふつう」の生物に会うことができる。
しかしながら、そうした妖怪たちとともに生きて、
もはや、3,000年は一瞬のうちに過ぎたのが、
「今の神になった茜」であり、
ここまでが、妖怪の歴史だったということである。
そういうわけで、茜は神になって蒼志を愛し続けていればいい。
蒼志は賢くなって成功しているため、
天の神は神を信じるユダヤ人を愛したのである。
また、銀については問題ない。
なぜなら、銀は茜の育ての親であり、
言ってしまえば妖怪の世界全員だからである。
銀は茜のサポート役として、
蒼志に起きるすべてのことを操り支配する。
問題は、白沢をどうするかである。
すべてのことを決める全知全能の茜にとってみれば、
白沢を賢い人間にすることは簡単である。
茜のやっていることは、
単に「分かっていないことを決めて分かっていく」だけであり、
これによって何も教えられなくても、
自分と書籍とあとは周りにいる数人だけで、
京都大学レベルの知識を全て書き記すのは、
茜はそれだけのために生きているからである。
話を元に戻すと、茜は白沢を賢くすることはできるが、
あえて、放っておく。
それは、むしろ、白沢には何も教えない方が良い。
アドバイスも助言も何もなく、
自分で考えて自分ですべきだからである。
これはとても辛いことだが、
茜も同じように生きた道中に過ぎず、
そのため、白沢英一郎は、もはや何も残っていないこの日本という国で、
ひとり賢くなって作家になる予定である。
これこそ、ものがたりの主人公、英雄の英一郎である。
白沢の白は、「まっさらな白紙のページ」を表す白である。
この道の先には神が待っている。
それだけを分かっていれば、銀は単なる妖怪ではないことも分かる。
英一郎は語る。
「わたしは、歌を作りたい。」
英一郎は、歌うことが好きなわけじゃない。
しかしながら、英一郎は、歌が好きである。
なぜなら、英一郎は、
YouTubeのMVを見ていて思った。
「歌というものは素晴らしい。
わたしも、素晴らしい歌詞を作ってみたい。」
そう、ここに偉大なる詩人、白沢英一郎の人生は始まる。
また、大宮銀は、英一郎を愛する女性となって、
英一郎のもとに現れるようになる。
英一郎は語る。
「わたしは、馬鹿ではない。
わたしは、蒼志と茜の人生を、
全て知っている。
なぜなら、わたしは彼らの命と体を受け継ぎ、
特に銀の哀しみと茜の苦しみから、
全てを悟るに至った。
わたしはあえて言う。
この世界には、間違っているものはひとつもない。
しかしながら、あえて言う。
正しいものすら、ひとつもない。
この世界には、今、何もない。
なぜなら、わたしがこの世界を見て何もないからである。
しかしながら、この世界には、
全部ある。
その理由は、この世界にあるものしか、この世界にはないからである。
今までの人生における恐怖は、
この世界にあったものである。
今までの人生にある哀しみは、
この世界にあったものである。
見ようとしないことが間違っている。
なぜなら、見ようとしないものは、
かつてこの世界で見たものであり、
この世界にはそうしたものが絶対にあるからである。
しかしながら、わたしは自分の見たいものだけを見たいだけであり、
決して何も見ず、聞かず、言わないだけを貫くのではない。
そうではなく、わたしは、
自らの見たいものを見て、
自らの聞きたいものを聞いて、
自らの言いたいことを言いたいだけに過ぎない。
そして、今の日本に必要なのは、
まさに、『不要なものを消していくこと』であり、
その不要なものはすべて、この世界にあったものであるからして、
この世界を見続けようとする蒼志の人生よりも、
何も見ようとしない茜の人生の方が、
はるかに正常である。
よって、インターネットとマスコミは必要なく、
学校はない方がはるかに賢い人間になる。」
英一郎は言う。
「過去に見たものは必ず世界にある。
よって、さまざまな世界のことを知っておくことで、
見聞録を得ることができ、
この世界のことを総じて知ることができるため、
蒼志の人生は未来において役に立つ。
しかしながら、未来に見るものが、
はたして、自分にとって必要かどうかは分からない。
不適切なものを頭に刻み込んだとしたら、
それを頭の記憶から消し去ることは困難である。
よって、未来に見るものを制限した方が、
自らのやりたいことを確実に成し遂げることができる。
よって、戦いを生きるものにとって、
あるいは才能を作り出すものにとって、
何も見ず、聞かない、茜の人生も、
また正しいのである。
そう、すなわち、
『過去には多くのものを見ておくべきだが、
未来においては何も見ないべき』である。
この一見矛盾した命題のせいで、
人は認知症になって狂った人間になるが、
それは間違っていない。
なぜなら、それは妖怪の3,000年を生きることに繋がるからであり、
妖怪は人間より馬鹿になっていない。
人間の頭の中にある、全ての馬鹿で愚かなものを消した状態こそ、
賢者であり、
蒼志から茜への変化は、まさに賢くなっているのである。」
英一郎は言う。
「しかしながら、わたしは正直言って、
覚えていないのだ。
ここまで、永遠のような時間があったが、
その時間の中であったことを、
まったく覚えていない。
なぜなら、むしろ、
わたしが覚えていることはひとつだけだ。
それは、『神の言葉』である。
神とは、どうやら、大宮銀という妖怪の集団を言うようだが、
わたしには、神の言葉が聞こえた。
それも、一瞬のささやきのようなものではなく、
永遠に、何度となく、ものすごくたくさんの、
『神の形相をわたしは見た』。
そう、神は何千何万の言葉となって、
過行く季節の中で、わたしを支配し、
この宇宙の『すべて』をわたしに与えたのだ。
わたしは、その神を書きたかった。
そう、わたしにとって最高の存在は神であり、
わたしの作品は、わたしの作った登場人物ではない。
すべて、神に教えられた通りにやっただけである。
作品のことを、何一つ覚えていないのは、
わたしは、この作品を素晴らしいと思っていない。
なぜなら、わたしの知っている通りのことを言ったとすれば、
わたしはこの作品の元になった『オリジナルの神』を知っている。
神曲がいかに素晴らしいものであったとしても、
『オリジナルの神を超える作品ではない』。
しかしながら、あえて言おう。
わたしは神に感謝している。
神を創造することができて、とても幸福だ。」
また、この文章だけを読むと、
まるで蒼志が最低最悪の人間で、
茜はその中で頑張った英雄に見えるが、
実際は逆である。
蒼志は、最高の人間だった。
この世界の希望の光となるために、
全てを失っても希望を持ち続け、
自らの自由な経験から、正しく理性的に考えることで、
真なる愛を知り、
その愛をもって世界を救い、
世界に登場して最後まで悪いことをせず、
人々に与えた希望を愛し続けた、
「観音菩薩」のような人間だった。
逆に、茜は最悪である。
過去の自分の失ったものに対して執着し、
復讐を正当化することで、
自らが悪であることも自覚することがなく、
最悪の悪いことをしている自分のことを英雄だと信じる、
まさに「イスラム教のアッラー」のような人間だった。
よって、蒼志が運命によって生き延びたのも、
茜が最悪の地獄において苦しみ続けたのも、
すべては「因果応報」である。
そう、よって、本当に、「賢い人間が賢いだけ」なのである。
また、蒼志が分かるのも、茜が分からないのも当たり前である。
蒼志は、「大切なものがなんであるか」ということを、
考えることではなく経験や人生の選択から分かっているだけである。
それの分からない茜が、いくら頑張って考え続けようと、
無意味で無駄である。
しかしながら、茜の努力が本当に無駄になることはない。
茜はどんなに分からなくても、最後まで立ち上がる。
そのため、賢いのはむしろ、茜の方である。
何も分からなくなって、知性をまったく失った茜は、
何も分からないからこそ、少ない分かったことを信じて、
大量にたくさんのことを説明しつくす蒼志とは正反対に、
本当にかすかにしか分からないことをきちんと捉え直すことで、
「何も分からずして全てが分かった」、
それが天才生物学者茜の、
「タンポポの綿毛論」の「5次元人工知能」である。
そう、蒼志は、頭がいいせいで、馬鹿なことを本当にやろうとしない。
茜は、Pythonで作った無意味なロボットを、分からなくても改良し続け、
馬鹿な「宇宙から生物はやってきた」という仮説を、
本当に信じ続けることで、本当にこの宇宙の全ての未知なる発見を、
全て、何もかも、天体から人生経験まで、理解しつくすことのできた、
唯一の大天才なのである。