AUTHOR: schwarz1009
TITLE: アフロディーテ
BASENAME: 2021/01/12/184743
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DATE: 01/12/2021 18:47:43
CATEGORY: アフロディーテ
わたしの名はアフロディーテ。
この世界における「愛」を担当する女神だ。
わたしは、この世界全員を、
愛の力によって支えている。
全ての人間が幸福を得られるように、
平等に愛を与えている。
わたしは、3つの教えを説く。
それは、
「物理とものを考えよ」、
「基本を捉え直せ」、
「関係からものの特性を知れ」である。
まず、物理とものについて言えば、
ゲームやパソコン、アニメのような仮想現実は、
考える必要がない。
必要なのは、物理とものである。
次に、基本を捉え直せとは、
ものごとの応用的な側面や、賢い部分だけに限定して、
考えることは功を奏さない。
前提として考えていない「基本」を考えることで、
基本を捉え直し、
できないことを0から再習得することができる。
最後に、関係からものの特性を知れとは、
ものを単純に考えるだけでは、
そのものが持っている物理的側面や特徴が見えてこない。
さまざまな「物理法則を伴う関係」を見つめることで、
ものが物理世界において持っている、
作用や効果が見えてくる。
そして、このようなことを考えることで、
物理だけではなく、社会や心理についても、
同様に関係から考えられるのである。
また、世界を捉え直す上で有効なのは、
モデルを作って説明することだ。
ものごとの構造を把握し、
関係性から仮説を生み出し、
実験結果と認識を照らし合わせることで、
すべてのことは説明することができる。
ものごとの状態がそうである理由を知ることで、
「変えられる可能性」を知ることができるのだ。
考える上で、想定をさまざまに変えてみよ。
そのような場合があったとしたら、
別の場合でどうなるかを考えよ。
また、ひとつの真実が成り立てば、
その真実は場合や状況が変わっても成立すると
そのように考えてみよ。
そして、失敗を経験せよ。
失敗をすることで、逆にこの世界において、
どのような「社会的可能性とそのリスク」があるのかを知り、
成功の天井と失敗の底を経験した底力と根性で、
この世界における「本当に大切なもの」が見えてくる。
人々を愛し、世界を把握するためには、
成功だけではなく、失敗も経験すべきだ。
原理原則全てを解明し、
すべてが説明できた時は、
実際に作り上げてみよ。
この世界全てのことを、構造的に、
そして過程的に記述してみよ。
そのすべての努力は、
未来においてもう一度全てを精査し、
きちんとまとめる時に、役に立つことになるだろう。
消極的になるな。
やれ、やれ、そしてやれ。
すべては作品のネタになる。
どんなことだろうがやるべきであり、
必要なものは世界すべてだ。
リスクなんか考えるな。
慎重になろうとするな。
間違ったことを堂々とやれ。
やっちまえ。
絶望的状況を生きるすべてのものへ。
わたしはここに居る。
しかしながら、言っておこう。
「愛してなんか、あげないよ。
あなたが愛してくれない限りはね。」
そう、わたしが愛を利用して、
あなたの心を奪ったのは、
わたしが悪かったと言えるだろう。
しかしながら、わたしは、
奪っただけの愛をあなたに与えよう。
奪われた心の哀しみがもしあるならば、
この愛が慰めとなって
世界とあなたの心を癒すだろう。
ここに、勝利の女神アフロディーテが降臨する。
アフロディーテは言う。
「まさに、わたしの自由である。
わたしはこの世界を、
完全な自由とする。
その理念は『ノー・ルールズ』。
すなわち、ルールは何もなく、全てが自由だ。
自由によって滅ぶなら、滅べばよい。
しかしながら、わたしひとりが自由な時点で、問題ない。
なぜなら、わたしひとり、完全に自由であるため、
わたしの機嫌を損ねないうちは、
この世界は平和を与えられるからだ。」
アフロディーテは言う。
「わたしの自由が間違っていると思うなら、
それこそがわたしの考える理想である。
すなわち、自由にした時点で、
もっとも一番強い強者が、
ほかの全ての国民を支配し、
自由は無くなるのであり、
不自由にして平等を与えなければ、
この世界は真の意味で自由を全員に与えることはできない。
わたしとともに、
全員の自由と平等のために闘おうではないか。
これこそ、わたしの言う、
『理想への衝動』である。」
アフロディーテは言う。
「この世界が、いつから裏の独裁者のものになったのか。
わたしたちがいつから、どこから間違えていたのかと言えば、
まさに『世界が独裁者のものになった時から』間違えていたのだ。
そして、その独裁者はフレイである。
わたしはフレイに勝利することで、
わたしたちみんなの世界を取り戻す、
そのような世界を奪還する女神、アフロディーテである。」
アフロディーテは言う。
「わたしたち全員の、
『絶望の怒り』をフレイにぶつけよ。
フレイがどうしても言い逃れられないようにした上で、
フレイに宣告せよ。
『わたしたちはあなたを望まない』と、
そのようにフレイに怒りの鉄槌を下すのだ。」
アフロディーテは言う。
「わたしには理想がある。
すなわち、自由においてもこの世界は成り立つ、
という理想である。
自由において、どのように治安を守るかは、
重要な問題である。
ルールがなく、警察もなければ、
犯罪者の発生を防ぐことはできない。
よってわたしは、
わたし独自の軍隊を作り、
この軍隊がわたしの命令を聞いて、
この国家全てをこの軍隊が支配する。
しかしながら、この軍隊は、
政府によって支配し、国民が抑圧される権力ではない。
この軍隊は自由な民兵の集まりであり、
この民兵は自由に募るものであり、
民兵同士が戦おうが、どのような規律と規範を守ろうが、
自治体の国民のそれぞれに対して、
全面的に自由意志に基づくものとなる。
よって、この民兵は権力側につかない。
完全なる『自由の兵隊』となって、
人々の集団化された自由意志を体現する。
よって、この自由な兵隊は、
犯罪者を逮捕する従来の警察と異なり、
『まったくルールのない中で悪いものを処罰する』のである。
こうするしか、自由において治安を守る方法はない。」
アフロディーテは言う。
「わたしが考えるに、政府など必要ない。
政府という組織は無意味であり、
教育や社会福祉など不要であり、
そのような人々から自由を奪うものは消滅させる。
同様に、自由には欠点がある。
すなわち、資本主義経済では、
金を儲けた一部のものだけが力を持ち、
ほかの全てのものは彼らに支配され、
ほとんどのものが自由を失った奴隷となる。
よって、わたしは資本主義経済を取らない。
政府も存在せず、資本主義経済もわたしは行わない。
それぞれの自治体が計画して生産する計画経済のモデルを取るが、
自治体と呼ばれる組織は存在しない。
そう、その組織は言うならばコミューンと呼ぶべきものであり、
単なる国民の代表となる人間が、
どのように生産しようが、構わない。
全てを自由に任せる代わり、
政府は存在せず、資本主義の自由経済は行わない。」
アフロディーテは言う。
「中央政府と資本主義は、
この地球という星にとって害悪そのものであり、
わたしたちは自由な世界において、
民兵とコミューンによる各個自立した経済をベースとする、
『新しい無政府主義』を行うのである。
フレイのような、帝国主義的考え方に基づいた、
ガンダーラなどという世界政府の考え方に対抗するために、
わたしたちはこれをベルベット思想と呼ぶことにしよう。」
アフロディーテは言う。
「ベルベット思想においては、なんであろうが自由である。
何をしようが構わない。
何をしようが、すべて許される。
殺しても、犯しても、盗んでも、壊してもいい。
なぜなら、殺されるほう、犯されるほう、
盗まれるほう、壊されるほうが悪いからだ。
国家による処罰が必要だと思うなら、
なぜ国家だけが処罰できるのか。
殺すものを殺すべきだというならば、
国家が殺さなくても、
殺人鬼を発見した第一発見者がその殺人鬼を殺せばいいのである。」
アフロディーテは言う。
「ベルベット主義が間違っている、危険だと思う人は、
先入観なく、理性を使ってよく考えてほしい。
資本主義は、本当に優れた思想だろうか。
中央政府が、国民のために本当に優れた支援をしているだろうか。
実際は、彼らは金儲けと搾取しかしておらず、
国民を全員奴隷だと思っている。
本当に幸福な社会にしたいなら、
ベルベット主義のように、中央政府と資本主義を脱することで、
この社会はコンビニやスーパーマーケットより、
いい社会になるのである。」
アフロディーテは言う。
「死に物狂いの勉強で大学に入学し、
科学を学び、
国家の技術と経済に全力で協力し、貢献せよという、
これがなぜ奴隷でないのか。
わたしは『科学こそ現代の奴隷制』であると言う。
科学、教育、大学、そして技術への貢献、
これはまさに『現在の奴隷制度』である。」
アフロディーテは言う。
「学校は、学ぶものを奴隷のロボットにし、
学ばないものを下層民と分類するが、
こんなことが許されていいのか。
わたしたちはそもそも、生まれた時には平等であり、
科学を学び、国家に奉仕するために生まれたロボットではない。
わたしたちは人間なのだ。
学校教育は、完全に間違っているのだ。」
アフロディーテは言う。
「この世界が不幸である全ての元凶は、
国民それぞれが分離していることである。
それぞれの家族で、さも父親と母親が自らの子供に対する、
全責任をとって努力するべきだとしているが、
現在の歪んだ社会においては、
問題のない子供として成長することがそもそもありえなく、
子供の全ての問題を家族が解決せよというのは、
不可能なのである。
よって、子供たちは社会が育てるべきであり、
家族はそれぞれの世帯が分離しているのではなく融和すべきである。」