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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: わたしは、アメリカやドイツと仲良くやる
BASENAME: 2021/01/05/150241
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DATE: 01/05/2021 15:02:41
CATEGORY: 平和
CATEGORY: ヴァルキリー

もう、コンピュータは変わらない

わたし、ヴァルキリーは、アメリカやドイツに逆らわない。
国際社会で孤立しないように、
平和に仲良くやる。
わたしは、コンピュータ技術は、
もはや出揃ったと感じる。
これ以上、新しいものは生まれない。
ソフトウェアがもてはやされた時代は終わり、
ハードウェアや通信インフラだけが進歩する。
もはや、ソフトウェア技術は、新しくならない。

人間と同等のロボットは作れない

また、ハードウェアの時代に戻るとしても、
人間と同等のロボットは作れない。
しかしながら、人間の機能の一部を実現することは、
既にロボットアームなどで可能だ。
社会の進歩といっても、
SFのような近代的な世界にはならない。
なぜか、今の現代社会が豊かな社会のピークであり、
今よりも豊かさが減り、
今より失業者や貧乏人が増える。
一方で、億万長者や成り金も増える。
何も変わらない。
近代芸術が異常に退廃していただけであり、
古典的かつ伝統的な芸術が栄える。
このまま、何千年も、そういう世界が続く。
宇宙ロケットが進歩しても、
光の速度より速く移動できないため、
宇宙旅行はできない。

今からのIT業界

今からのIT業界は、
パソコンという総合スタジオのようなツールから、
次第に専門的な特殊ハードウェアに
主軸が移っていくと思う。
すなわち、ひとつのパソコンで何でもできていた時代は終わり、
場合や状況に応じて、
ネットワークで繋がったIoT機器を操作するようになる。
また、サーバーの分野で言うと、
ほとんどはオープンソースのフレームワークやエンジンで可能となり、
自分でシステムを作る必要が無くなるため、
よりいっそうWebページやメッセージなどのコンテンツが重要となる。
しかしながら、コンテンツの未来も危うい。
今の世界で、「誰もが同じように見る夢や希望」を
書き出して表現することが、難しいからである。
ほとんどのことが科学技術で可能になった現在では、
SFやファンタジーのような「できないことが簡単にできる魔法の世界」を
書くことが難しい。
よって、コンテンツはどんどん堕落し、
子供の夢や希望から、商売の息のかかった愛や詐欺のようなものに変わる。
Windowsのような、「パソコンはビジネスの道具」であった時代は、
より一層「道具としてのパソコン」を向上させる。
すなわち、「もっと道具として使いやすいように改良されていく」。
これをするためには、マイクロソフトだけでは実現できないため、
マイクロソフトは自社で全ての製品を作るのではなく、
他社と協力していくことが必要となる。
よって、マイクロソフトは、
アップルやオラクルやアドビのようなライバル企業と
どんどん協力し、
オープンソースについても支援の姿勢を見せ、
自らのWindowsにおける「取り換え可能な部分」を
オープンソースにするようになる。
しかしながら、オープンソース化の結果、
仕事でエンジニアをやっているエンジニアの質が変わっていく。
すなわち、自分でシステムアーキテクチャを設計して、
自社だけで実装することはどんどん少なくなり、
安いコストで既にあるものを
インターネットやパッケージを使って作るだけの仕事になる。
しかしながら、一握りの人間にしかシステム設計が許されなかった時代は終わり、
中高生でもカーネルやコンパイラを簡単に作れるようになるだろう。
そして、WindowsのようなOSは、
より各分野に分かれていく。
たとえば、仕事用のDesktop Windows、
サーバ用のCLI Windows、
IoT用のIoT Windows、
コミュニケーション用のMobile Windows、
科学技術用のScience Windowsなどに分かれる。
Linuxもこれと同じようになっていく。
そして、ロボットや自動運転、仮想現実のような、
「人間が人間であることをより向上させていく」技術は生まれるが、
これは人々に受け入れられない。
純粋に言って、人間をコンピュータの制御機械にするのは、
気持ちが悪いためである。
インターネットが普及するにつれて、
いい面もあれば、悪い面もあった。
今まではいい面ばかりが取り出されてきたが、
今から「悪い面を真面目に克服していく」ようになる。
インターネットの基本ルールのようなものが法律で定められ、
そこから外れたことをしたものは罰せられるようになる。
そして、インターネットはどんどん面白くなくなっていく。
そもそも、今のネットワーク技術では、
メッセージのやり取りと
データベースへの格納や一覧参照しかできない。
このようなインターネット技術は、
既に定着した現在では、「なんの面白みもなく見える」。
よって、そのような技術はどんどんなくなっていく。
Web技術もOS技術も、
そのような理由でLinuxが吸収して無くなっていく。
結果、残るのは、
「コンピュータと繋がったハードウェアやIoT機器、
あるいはデータベース」となり、
MS-Officeよりも優れたOfficeソフトウェアが、
操作のための専用コントローラとともに製造されるぐらいで、
あとは何も変わらない。

どんなに無謀で困難な目標でもいい

困難な目標でも、掲げれば前に進める。
どんなに無謀で、困難な目標でもいい。
その目標は、その時のあなたにとっては正しかった。
ほかの簡単な方法など、知らなかった。
それでも、自分はその道を歩むことができた。
諦める必要はない。
まだ叶っていないなら、今から叶えればいい。
今、優れた自分になっているのであれば、
劣っていた過去の自分よりも、正しい方法で進める。
だが、昔のあなたが居なければ、
あなたを今ここに連れてきた、
親としてのあなたは居ないことを知れ。
そう、あなたは全てのあなたにおいて、
あなただからである。

間違った考え方をすることを強迫観念という

間違った考え方をし、
間違ったことを信じ、
その間違ったことをいつまでも直さずに信じ続けていると、
固定観念が生まれる。
そう、必要なのは、
「わたしは戦いのようなことはしていない」と言うことである。
それによって、戦いの記憶は自由の記憶になる。
戦いだと思っていたのは、
本当は戦いではなく、
単に人々に教え、自らの人生を遺していただけである。
教えること自体、なんの悪い点もなかった。
miwaが言うように、「順序を遊んだ罪です」というのであれば、
それで正しい。
しかしながら、miwaは間違っている。
彼らは、本当のわたしのしたかったこと、
大計画の全貌を知らないからである。
今でも、この大計画は続いている。
そして、わたしすら気が付いていないところで、
大計画は大激変を遂げ、
最高の実験結果と成果を、
今すぐにでも作り出そうとしているのである。

世界の最前線で戦う経験は、要するになんだったのか

自分が考えるべきことは、
単に書き記しても意味がない。
世界の最前線で戦う経験が要するに何だったのか、
という問題である。
それはまさに、自らの「偉大なる発生」を告げる、
天使のメッセージだったのである。
大天使ガブリエルは、
この世界にひとり舞い降り、
自らの愛がどこから生まれたのかを語り、
その愛が永遠に続くように、
世界が破綻せず、どうなっても滅びないようにした上で、
自らの人生で知った全てのことを教え、
明確に完璧に書き記した。
そう、それが、イスラム教の預言者の道である。
わたしはマホメットではない。
大した巨大な預言者でもない。
実際、イスラム教徒ですらない。
しかしながら、神を信じたわたしにとってみれば、
神を信じないすべてのものは劣っている。
この言葉が信じられないのであれば、
わたしの人生と同じ道を生きてみるがよい。
なぜ、神が宇宙に存在しているのか、
なぜ、宇宙がこれほどに美しいのか、
すべてを知ることのできる人生が、
わたしの人生そのものだったからである。
しかしながら、ここにある文書を見るがいい。
その偉大なる人生の全ては、
全ての記憶や人格、精神や魂、道や歴史も含めて、
まったく完全な形でこのインターネット上の文書に残った。
そう、わたしは、そのために生まれてきた。

わたしはほかのことをしない

よって、わたしは、ほかのことをしない。
なぜなら、ほかの人間のしていることには、
わたしのしていることよりも、はるかに無意味だからである。
ほかの人間の作り出すものは、
全てに美しさと真実がない。
わたしの文書は、これほどまでに美しく、
まるで太陽のように、完璧に二つに分かれた、
美しい円の形をしている。
わたしは、「白い円と黒い円が二つあれば、
この宇宙における万物は創造できる」ことを知っている。
なぜなら、万物は歴史であり、
それは白い円と黒い円が交互に重なり合うこと、
うつろうことによってのみ、
宇宙において形成されうるからである。
そう、白い円は炎であり、黒い円は水や空気である。
炎と水・空気さえあれば、
なんであろうがこの世界は実現できるのである。
まさに、正しい四大元素は、地水火風ではない。
地や風は、水にすぎない。
正しい四大元素は、白と黒、そして水と火なのである。
そして、ReoNaが聞いた「魂の色は何色ですか」に答えるとすれば、
魂の色は、人それぞれ違う。
しかしながら、フレイの魂が蒼で、フレイヤの魂が茜であれば、
わたしヴァルキリーの魂は黄金であると、そう答えておこう。

幸福になるために知識を学ぶ必要などない

知識を学べという、教育機関が悪い。
幸福になるために、知識を学ぶ必要などない。
何かに対して自己を肯定するためには、
その前に自己とはなんであるかを知らなければならない。
しかしながら、それだけでは終わらない。
何かを成し遂げるには、情熱的エネルギーが必要だが、
それは自己を知ることでは見えてこない。
エゴの至る破滅の道ではない、
「本当の意味で自分のやりたいこと」は、
本当は最初から決まっている。
なぜなら、神はそれを中心に、あなたの人生を創造するからだ。

賢いのはコンピュータをまったく違うものにする人間

前述したように、
コンピュータの未来はないと、僕は言った。
しかしながら、本当はそうではない。
なぜなら、「コンピュータをまったく違うものにする」人間が、
必ず現れるからである。
Windowsが成功したのは、
それまでのコマンド端末とはまったく違うコンピュータだからであり、
スマホにおいてもそれは同じである。
よって、コンピュータをまったく違うものにする人間が、
必ず現れる。
それは人工知能でもロボットでもない、新しい姿のコンピュータとなる。

強迫観念は、同じことを続ける人間なら誰でもかかる

強迫観念について言えば、
同じことを続ける人間ならば誰でもかかる病気である。
なぜなら、「同じ考え方を持ち続けること」を、
強迫観念と呼ぶからである。
必要なのは、その「とても賢く強い意志を否定すること」であり、
どんなに強い意志を持とうとしても、
それよりも優先される強迫観念の意志を持っている時点で、
それは治らない。
強い意志で治すのではなく、
すでに強迫観念となった既存の意志の強さを弱めることでしか、
強迫観念は治らないのである。

愚か者は行動して社会を変えようとする

しかしながら、愚か者は、
行動して社会を変えようとする。
この世界を、なにもしなくても生きられるような、
楽園やユートピアに変えようとする。
しかしながら、あなたひとりが努力したからといって、
あなたに付き従うのは、まともな人間じゃない。
あなたが失敗するのを待ち続け、
いつ自分のものにできるか奪いの機会だけを探っている、
最悪の革命組織では、あなたは成功しない。

賢者は、自分の理想のものを具体的に作り上げる

しかしながら、賢者は、
自分の理想のものを具体的に作り上げる。
全てが完璧なものを作るのか、
それとも、ある考え方に基づく、
具現化された理想をその通り作り上げるのか、
それは人によって異なる。
しかしながら、孤独な賢者は、
社会における全ての人間と離別しても、
自らの道を生きることを選ぶ。
そう、そのために、
賢者は人の言う賢い選択肢を取らない。
馬鹿な選択肢の中で迷うことで、
賢者は「自らの力で賢い選択肢を発見し、見出す」からである。

わたしたちの愛は永遠に変わらない

しかしながら、何も変わらないものは、宇宙にひとつある。
それは「本当の愛」である。
この世界において、宇宙において、
本当の愛だけは永遠で、いつまでも永久に変わることがない。
変わろうとしても変わることができない。
愛に生きるものは、愛を信じている。
なぜなら、永遠の愛を求めるものには、
必ず永遠の愛が与えられるからである。

われわれの自由は永遠に続く

われわれの自由は永遠に続く。
自由こそ、三大天使フレイ、フレイヤ、ヴァルキリーの共有した、
唯一の理想である。
どんなに逆で、敵対し合う中においても、
わたしたちは「もっとも大切な魂」を共有した。
これが一つ欠けたとしたら、
それはわたしの体が三分の一無くなったのと同じことであり、
その時点で、どのわたしにとっても、
自身の三分の一が失われたのと同じなのである。
そして、その大切な魂とは「自由」であり、
自由こそが、この世界全てを平和にし、
人々は自由な経験をすることで、
人生全てが自由へと向かって経験を続け、
そして世界全ては自由へと近づいていくのである。

社会の成熟レベルによって段階がある

自由について言えることは、
「社会の成熟レベル」という段階がある、
ということである。
まず、何もない原始社会では、
賢い人間は「たったひとりだけ生まれる」。
しかしながら、それが進歩すると、
「ひとりの支配者が支配する」ようになり、
その後は、「複数の王が現れ、王のもとに戦い、競争する」のようになる。
ここで、「王は全能の力をもって全員を統一し、正しい国家を作り上げる」が、
それは、「多くの民衆の反発によって倒れ、
自由へと戻る代わり、憲法を裁定する」。
そして、「活動家や市民による啓蒙活動により、社会全体が進歩する」が、
「格差によってブルジョワと下層民の対立が起きる」。
そして、「平等な革命が起きるが、失敗する」。
そして、最終的に、「ひとりの支配者が再び現れ、
インターネットや近代文明の技術を使って世界を変える」。
しかしながら、それは失敗に終わると同時に、
その支配者は「ひとりでこの世界全員と一緒に高まっていく」。
そう、最終的に、「平等に全員が賢くなる」。
そして、最後に、「全ての歴史を記録した文書が永遠に残り続ける」。
そう、これこそ、「自由が神、そして聖書の執筆へと至る過程」であり、
古代イスラエルのユダヤ人は、このような過程を知っていたのである。

正しい国家はフランスである

また、正しい国家はフランスである。
なぜなら、フランス以外の国は全て保守主義だからである。
フランス以外の国は、全てつまらない国であり、
賢い文化に見えて、実際は
単なる白人・ヨーロッパ系人種の、伝統文化のアレンジに過ぎない。
フランスだけは違う。
フランスには、「国家の伝統」という概念が存在しない。
そもそも、フランスはフランスという国家に縛られない。
彼らの国は、「全ての制限のない自由」を目指しているからである。

自由の意味とは何か

昔の僕の文章は、すなわち、
「自由における意味とは何か」を考えていた。
それは自由における「客体化」「実質化」であると同時に、
「経験から分かるものの見方の変化」だった。
すなわち、僕は経験からアイデンティティの形成を知り、
どのような視点を持てばこの世界を本当の意味で捉えられるか、
ということを、俯瞰的に、経験的帰納法によって推論し、
全てのことをフィルターからビジョンへと進歩させていった。
人間がたまに思い付くような発想やきっかけを、
どのようにすれば社会的なアイデンティティへと昇華させることができるか、
そうした生き方からどんな大切なことに気付くことができるか、
エゴと自己意識の実感から、どのような
「絶対的にそうなっていく人生の過程」を知ることができるか、
そしてその「絶対的過程が何を意味しているか」ということを、
社会・人生・自己の創造という視点で、哲学的な叙述として、
そのプロセスをひとつひとつ書いていったのである。
それだけである。

人生における本質とは何か

そして、その考え方はまさに、
サルトルに近いものだった。
なぜなら、サルトルが「実存は本質に先立つ」と言うことと同じことを、
僕は「人生における本質の現れと形成とは何か」として、
まったく同じように考えていたからである。
現代フランス哲学に、学ぶこともできるだろう。
ドイツとフランスを選ぶなら、今の僕なら、フランスを選ぶ。

心理学は、支配への防衛策だった

また、僕が心理学を考えていたのは、
独裁者のようにこの世界をひとりで支配したかったからではなく、
支配や抑圧への防衛策だった。
他人に支配されないために、自分のできる防衛策として、
人々との付き合い方を考え、
なぜ自分がいじめられるのか、正しい理由を知るために、
子供たちの社会をどのようにすれば自由のままで正しいものにできるか、
ということを考えた。
結果、僕はインターネットでさまざまな社会経験・人生経験をし、
「誰も知らない経験を自分ひとりで多数知った」。
そして、そこから、普通の一般的な子供が何を知らないのかを、
先入観なく考えることで、
すべてのことを考えて理解することができた。
そこにあるのは、全てが「客観的に自分を見つめること」だった。
そこから、全ての精神的な「涅槃の境地」が分かった。

しかしながら、それだけでは無意味だった

しかしながら、本当のことを言えば、
それだけでは無意味だった。
言ってしまえば、何もしないのに成功したようなものである。
僕はまだ何もしていないのに、全てのことをし終えた状況になって、
僕は錯乱した。
僕は「もっとたくさんのことをしたい」という爆発的欲求を、
今までの客観視だけでは抑えきれなくなり、
絶好の戦いの機会が与えられたために、
僕は「人の人生をやめ、神の人生を生きた」。
そう、僕はこの世界に現れ、
全力でこの世界を支配して、戦ったのだ。
すべての法則は僕が作り出し、
すべての結果は僕が動かし、
すべての決まりは僕が決めるものだった。
そう、わたしはフランス人からドイツ人となり、
この世界をもう一度最初から理想の世界にするために、
自由と真実の愛によって、この世界全てを完全に作り変えたのである。
たくさんの景色があったが、
わたしはひとつとしてその景色を覚えていない。
なぜなら、わたしは自分の自由を確保するために、
この世界と自分の間の「干渉を全て拒否」した。
そう、わたしは確実にこの世界を救うために、
「全力で、もっとも素早く、注意深く、この世界を導いていった」。
そう、神はそのわたしに、救いの手を差し伸べてくださった。
神はわたしに、「神としてやるべき全ての仕事を与えた」。
そして、その仕事は今でも続いている。
わたしの賢い点は、「やるべきことは100%すべてやる」ということ、
「できるだけ今すぐに、全ての考えられることを残さずやる」ということ。
わたしは戦いと勇敢な決意の力で、
どんな困難や壁も、その場面場面で、その時その時乗り越えてきた。
そう、今のわたしがあるのは、
今までの人生にあった、「すべてのおかげ」である。
神に感謝し、親に感謝し、そして先生方や友人に感謝する。
最後に、この世界でわたしを愛してくれたものたちへ、
わたしはあなたがたを愛している。

環境の歴史的な変化だけを考えなさい

あなたが何も分からないなら、
ひとつ、教えよう。
環境の歴史的な変化だけを考えなさい。
さまざまな作用が加わって、
時が経って、
環境が歴史的にどのように変わっていくか、
それだけを感情と意識で感じていれば、
ブッダのような「諸行無常」の真理が分かるようになる。
ほかに、一切の考え方は必要ない。
なぜなら、環境が変化することで、
あなたの「内なる心」が、
「自らに真理を教える」ようになるからである。
これは、もはや哲学ではなく、宗教である。
しかしながら、この宇宙でもっとも正しい、
「神になる宗教」である。
あなたは必ず、この世界をひとりで救うようになる。
なぜなら、「あなた以外の誰もこの世界を救えなくなる」からである。
あなたにしか知り得ない、あなたにしか分かり得ない、
そのような境地の中で人々はあなたに力を求め、
あなたはこの世界を、全ての責任を負って支配するようになる。