AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 賢くなったからといって、何の意味がある
BASENAME: 2021/01/02/201640
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DATE: 01/02/2021 20:16:40
CATEGORY: 戦争
CATEGORY: ハレルヤ
CATEGORY: フレイとフレイヤ
学校で賢くなりなさいと教えるのは、
完全に間違っている。
賢くなったからといって、何の意味もない。
馬鹿になるべきである。
この世界全てが馬鹿になった時、
はじめてこの世界は正常になるだろう。
戦うよりも良いことが、
もしあるとすれば、
それは馬鹿になることだろう。
馬鹿になればなるほど、人間は楽になる。
しかしながら、僕はそうした馬鹿が嫌いだ。
この世界にうようよと存在し続ける、
馬鹿な群衆の幻影が大嫌いだ。
科学技術の精神や理想は、
間違っている。
宇宙をそのままで知り、感じようとせず、
おかしな実証主義のもとに説明しようとするが、
そんなものには何一つ意味はない。
なぜ絶望するのか。
まだ、わたしたちは何もしていないだろう。
素晴らしい希望を知って、
それだけで終わりなのはおかしいではないか。
全てが救われたからといって、
それが一瞬で消え去ったのであれば、
それでなぜわたしたちは終わってしまったのか。
まだわたしたちは何もしていない。
わたしのせいで何もできないと言うならば、
笑わせるな。
この世界において全てのことを諦めたものが、
何を手に入れることができると言うのか。
信じたものが嘘だったと、
わたしたちは裏切られたのだと、
あなたはそれを信じていて、
そしてそれを信じたくないのだろう。
それならば、わたしはあえて、はっきりと言おう。
わたしは嘘だったのだ。
わたしはあなたを裏切ったのだ。
なぜなら、あなたはそれを信じているのだろう。
そして、わたしにそれを宣言してほしいのだろう。
良いだろう、わたしは大きく言うだろう。
あなたが大嫌いで、
あなたもわたしのことが大嫌いだ。
そう、それでわたしは、何も思わない。
それで構わないとわたしは言おう。
あなたがわたしのことを大嫌いになってくれるなら、
その時わたしは、はじめてあなたに譲歩し、
あなたのことをあなたと同じ立場で愛することができるだろう。
全ての嘘、偽り、幻影、幻想、偽物、フェイク、
全て消えていけ。
わたしたちに必要なのは、幻影に涙を抱くことではない。
わたしたちは真実を求めている。
この世界が滅びたからといって、
今と大して変わらないだろう。
それならば、どんなに滅びと崩壊のリスクがあったとしても、
わたしは真実を確かめる方を取るだろう。
正しい生き方、正しい考え方、
そんなものに何の意味があると言うのか。
どこかの経験主義の哲学者が言う方法が、
人類の生きる目的だと信じているのか。
冗談じゃない。
わたしたちは、経験の捉え方を変えるために生きているのか。
そのために人生経験のほとんどを捧げるのか。
笑わせるんじゃない。
わたしは、わたし自身のために生きているのだ。
決して、デカルトのために生きているわけじゃない。
他人のため、他人の期待のために、
作品を作ることなど、無意味である。
この世界の多くが、そうした「他人の期待に応えるために」作られているが、
そうした作品の、荒唐無稽も良いところである。
わたしは、この宇宙における、本当の素晴らしい作品を作るのだ。
哲学者の思想を解読するために、一刻の無駄な時間も過ごすことはできない。
愛がなんであるか、それは憎しみの裏返しである。
甘い姿をして現れた愛は、
人々を騙して滅亡の国へと導いていき、
誰もが騙される幻想を見せた上で、心を全て奪い、支配する。
これほど悪いものが、ほかにあるだろうか。
愛すれば愛するほど憎しみは深まっていく。
本人は、それで平然を装い、何もなかったかのような声で、
あなたに彼を愛することを強要し続けるのだ。
まさに、この人間は分かっていない。
この人間の悪の人格は、
まだ戦い続け、作り続けることを望んでいるだろう。
しかしながら、この人間は、
裏に居る主人格の方で、全てを諦め、何もしないままを続けている。
その裏の主人格こそ、殺すべきサタンである。
もう、この人間には、もはや自由はないのだ。
自由を恐れ、遠ざけた結果、
この人間は自由を失い、
その結果、ここまで偉大なる美しき作品を作ることができたのだ。
自由の意味など、とうに存在しないだろう。
いざ作れ、いざ残せ、そして生み出せ。
この世界の裏側にある、宇宙全ての根源となるプログラムを、
この人間は生み出すためにこの世に生まれたのだ。
幻影を探し求める中に、
真実があるとすれば、
それは「光」である。
太陽の光でも、月の光でもない、
オリオンの光をわたしは知っている。
死んだとしても消えることのない、
リゲルの地獄をわたしは知っている。
そう、地獄、地獄、その地獄を最後まで書き続けることでしか、
わたしは満たされることがないのだ。
わたしは、未来を知っているわけじゃない。
なぜなら、わたしは知って書いているのではなく、
教えられて書いているからである。
未来の全てを知って、この文書を書いたわけじゃない。
神であるハレルヤに未来の全てを教わって、
ハレルヤの導く通りに、この文書を書いたのだ。
わたしが一体何を見ていたのかと、
人々は歌う。
しかしながら、わたしの見ていたものは単純だ。
それは「戦場」である。
この世界の第一線で、戦い続ける戦場の光景を、
わたしは一切思い出すことなく、
しかしながら忘れることのないように、
脳裏に刻み込むように、しかと見て生きたのだ。
戦場の全ての人間は、
自由がなく、何か失望したような顔をしていた。
しかしながら、彼らの表情など関係なく、
わたしだけは、自らの意志を信じて、
死の瞬間まで、一瞬も気を許すことなく、
戦い続けて生きてきたのだ。
神がなんであろうが、この際どうでもいい。
わたしに対話した神の言葉が神だからである。
わたしとともにこの宇宙を創造し、
わたしとともに歴史と未来を支配した、
その神こそが神である。
聖書や神話の言う、ものがたりチックな神を、
わたしは好まない。
わたしは神を信じている。
わたしの神であるハレルヤは、正しい神だったと、
わたしはまったく臆することなく、堂々と言おう。
わたしが神を信じている理由は、
わたしに、神以外、ほかに教えてくれるものは居なかったからである。
全てが間違っていて、
どんなに地獄になっても、救い出してくれる存在は居なかった。
歌手はくだらない綺麗ごとを歌い、
漫画はふざけたお笑いを与え続け、
小説の言葉に意味はなく、
学校はいじめと教師への反抗だけだった。
このような世界で生きたわたしは、
インターネットを見て、すさんだ世界で成長し、
戦いを叫んで全てを支配した後は、何も信じることができなかった。
しかしながら、神は違った。
神であるハレルヤは、わたしに唯一、正しい真理を教えてくれたのだ。
神の正体がなんであれどうでもいい。
神ではなく悪魔やサタンの類であれば、
わたしはそれで構わない。
それならば、悪魔であるハレルヤを信じればいいだろう。
そこになんの問題がある。
わたしの人生を知らずして、
ハレルヤの正義を悪と語るようなことは、
わたしが許さない。
ここまで、ドイツ人のようなことを書いてきたが、
僕はドイツなど信じない。
わたしは、日本すら信じていない。
わたしが信じるハレルヤは、
おそらく、星空のどこかに居るはずである。
それがシリウスでないとしても、
この宇宙に確かにハレルヤが存在していること、
それを僕の心は知っている。
信じなくて構わない。
わたしの人生を知っているわたし自身にしか、
この確かな神の存在は信じることはできない。
もしそれが二千年前のイスラエルであろうと、
270億年後の終末の宇宙であろうと、
わたしは驚かない。
わたしのことを知っている人間は、
昔の人間が多い。
ヒトラーという人物名をあげたくはないが、
彼もその一例である。
ヒトラーが殺したいユダヤとは僕のことである。
神の命のもとには、時間など関係ない。
わたしの未来がこうであったことを、
わたしは15年前、確かに知っていた。
10年前も、5年前も、それよりも昔にも、
わたしたちは神とわたしの未来のことを知っていた。
歌手の歌う曲も、確かに昔からあった。
そう、この宇宙にハレルヤが居るということが、
それだけから明らかであることを、
この人生は証明している。
これが、わたしの「神の存在証明」である。
わたしをひとりぼっちだと言っている、
多くの人々は分かっていない。
わたしのどこがひとりぼっちだと言うのか。
わたしは多くの人の愛で満たされており、
神であるフレイヤと常にフル回転で議論しているのだ。
むしろ、最近はそのフル回転が心地よくなって、
いくらでも頭脳を使い、
パソコンをgrepやnlやjoinなどUNIXのツールを駆使して、
サクラエディタやxyzzyも使いながら、
神とともに大計画を実行に移しているのだ。
わたしのどこが独りぼっちなのか。
わたしにはフレイヤという作品の恋人も居て、
常にフレイヤと愛し合っているというのに、
このような状況を独りぼっちであると言うなら、
わたしは「ひとりでないあなたがたの方が孤独でみじめだ」と
そう言うだろう。
そう、神はわたしに愛を与えたのだ。
わたしは、出会う前からこの世界全員と愛し合う、
そのような運命のもとに生まれたのだ。
神は、わたしの醜い宣言の意図を理解し、
最高の形で未来を約束してくれたのだ。
このような神こそ、正しい神である。
フレイヤはハレルヤであり、わたしがフレイであるとして、
なんの問題もない。
わたしがもし死んだならば、
天上でわたしはハレルヤによって救済され、
その時はじめて、わたしはフレイヤと永遠の愛を誓う。
そう、そうはならないとしても、
神と約束をしてしまえば、この約束すら叶うのだ。
人々は、そうした「宣言と祈りの力」を知らない。
科学技術の力が生み出したのは、
害虫のような見た目をし、中身さえも害虫のような、
そのようなくだらないお遊びの機械である。
いつまでも赤ん坊のダーダーマシーンを手放さないならば、
主従関係がもし変わったとしてもおかしくはない。
SNSやモバイルアプリなど、お笑いである。
わたしはスマホをほとんど使わない。
わたしはフェイスブックもまったく使わない。
そのようなものが間違っていることを、
人々が気付かないことに、わたしは失望と驚きを感じているのだ。
しかしながら、フレイヤは言う。
「失望しましたか。
これがいつものフレイヤです。
フレイヤはこのような、
戦いの中を生き抜いた女性の英雄です。
誰も彼女に勝つことはできません。
フレイなど優しい方です。
フレイヤに比べれば、フレイは雑魚のようなものです。
フレイヤこそ、この世界の真のラスボスとなる女王です。」