AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 学校とゲームの問題
BASENAME: 2020/11/27/165613
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DATE: 11/27/2020 16:56:13
CATEGORY: 教育
CATEGORY: 勉強
学校の問題とは、
「YesとNoで、どうしたら正解を出せるかしか考えないこと」、
「それ以外のことはできるだけ全力で努力しなさいと教えること」である。
一見、論理的な考え方を教えているように見えるが、
実際はYesとNoだけにとらわれてしまい、
それだけの無意味なことのために労力を全力で使うようになる。
また、「どうしたら」と考えることは、
「一般的な普通の行動しか分からない」ようになり、
「ものごとをそのままの決まりきった考え方でしか考えられない」ようになる。
たとえば、植物を考えるのであっても、
「植物を育てるためには水をやるべきだ」と考えてしまい、
半ば「水をやることは絶対に必要なことだ」と洗脳されてしまい、
植物が「地球の外部の作用から生まれたものではないか」
「作り出すためには何が必要か」などといった、
「本当に大切な考え方に気付く」ことを見失い、
生物学で教える通りの一面的な考え方しかできない人間になる。
「きちんと知った上で考えなさい」と教えることは、
「知らなければ考えてはいけないのだ」と教えることに等しく、
このことが、「何事もきちんと知ってやらなければいけない」という、
強迫観念を作り出すが、
こうした強迫観念の多くが、
「無意味に思えても無意味ではありません」と学校が教えるような、
「そもそも無意味なことは分かっているのに無意味な考え方をする」という、
「理性そのものの破壊」へと繋がって、
人間は理性を失うのである。
また、ゲームの問題とは、
「子供の純粋な知性にコンピュータが入り込む」ということである。
そもそも、テレビゲームなどで分かる「パズルの知性」というのは、
子供に最初から備わっているものであり、
ゲームがあろうがなかろうが、子供はパズル的知性で賢くなる。
しかしながら、幼い頃からゲームをしていると、
そのうちアニメやパソコンの技術に興味を向けるようになり、
パソコンについては廃人となってもさまざまな技術の知識を知ろうとするが、
そのうち、パソコンをしなくなった段階で、
「コンピュータの全てがなくなって知性のない馬鹿になる」。
これが、ネットワーカーが認知症になる瞬間であり、
コンピュータしかなかった人生は、
コンピュータがなくなった段階で全て消滅し、馬鹿になるのである。
何事も、完璧を目指しすぎるな。
完璧を目指すと、
全てのことに常に完璧でいなければならないような、
錯覚を作り出す。
その結果、24時間そのことを全力で努力して
100点満点を目指すようになるが、
これは他のことが何一つできなくなる。
逆に、上手く生きている人間は、
たった30分しかそのことを考えなくても、
70点程度の点数を取れるようになる。
この方が賢い。
勉強しすぎて100点をとるより、
勉強せずに70点をとった方が人間は賢いのだ。
そして、100点満点を取ること自体は賢くない。
賢く勉強すれば、簡単である。
「あらゆる部分でどんな問いがでたとしても答えられる」ように、
きちんと言葉や正解を導く方法を覚えればいい。
そんなに大して難しいことじゃない。
成績表のオールAなんか、馬鹿の勲章である。
学校の試験というのは、
「このような正解を書きなさい」とか、
「このような言葉を正しく書きなさい」ということばかりで、
赤シートや緑ペンで、
「自分が本当に覚えていて、答えられるかどうか」を
きちんと考えて覚えればなんだって解ける。
赤シートだけでは覚えられないなら、
何も見なくても白いノートに言葉を書けるように、
覚えられていないところだけを繰り返し書けば覚えられる。
試験が終わればすぐに忘れるこのような労力に、
青春の貴重な時間を費やすよりも、
もっと別の賢いことに費やすべきである。