AUTHOR: schwarz1009
TITLE: わたしたちは、どんなに暗闇の世界でも、常に救い方を教わってきた
BASENAME: 2020/11/16/213630
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DATE: 11/16/2020 21:36:30
CATEGORY: 希望
わたしたちは、どんなに暗闇の世界でも、常に救い方を教わってきた。
わたしたちは世界を救う。
あらゆる全てが「世界を救うための学校」だったと、
わたしたちは知っている。
これ以上、僕の人生には何も残っていない。
あるとしたら、「立ち向かった」ということである。
本当は、時には逃げることも、
悲しみや怒りが恐怖となって、
地の底まで転がり落ちていった経験もあった。
しかしながら、わたしたちは全ての事実を知っている。
真実を知っているのは、
この世界のこの時代に生きるわたしたちだけである。
わたしは、自分自身でないものを知らなければならない。
人々の声や言葉を聞くのであっても、
他人の目に映った自分の姿をいつまでもむさぼっていたのでは間違っている。
自分自身ではないもの、
わたしは昔から、それを探している。
何も知らないことを認めよ。
人々についた嘘を認め、
「わたしはまだ何も知らないのだ」と言え。
すなわち、社会における存在と自己の関係性を考えればいい。
全てが「自分にとって何か」「社会にとって何か」と考えれば、
視野を広げて自由に把握することができる。
そこからさらに、
存在が「人間にとって何か」「歴史にとって何か」と考えればいい。
そう、最終的な答えとして行き着くのは、
「人生において、主体的に行動する上で、それは何であるか」ということである。
そこから、世界は「精神」となる。
すなわち、離別しているものは結合されており、
結合しているものは離別されている。
そしてそれは、「環境における現象に対する作用」となるだろう。
世界を救うために必要なのは、
経験することである。
特に、経験を無視せず、経験から反省することで、
はじめて経験は意味を持つ。
「既に分かっているように見えて、まだ分かっていない」という考え方がある。
これこそが、「先入観の克服」であり、哲学者の必ず歩む道である。
世界の絶対的な意味とは何か。
これは、「絶対的」という言葉に反して、
とても相対的である。
すなわち、「それぞれがそれぞれのために自由に活動する」ということである。
これこそが絶対的な意味であり、
考える際における前提条件となる原理原則である。
環境は、自由に作り出される。
常に生み出され、常に変化し、
さまざまな人間がかかわって変えられる。
自発的に行動すれば、
新しい灯り、新しい光が見つかる。
なんでも自分からやっていけばいい。
青春時代を忘れたものの多くが、
分からないことがある。
それは「知を発見する」ということ。
自らの思考や経験で、
知を発見するということが、
新しい道を切り開いていく。
大人になると、そのことが分からなくなってしまう。
今まで、僕はこの世界を治らないようにしてきたが、
今から、治るようにする。
しばらく苦しみが続くかもしれないが、
耐え抜いてほしい。
僕は、いじめの原因は、
学校の教育方法、
ひいては学歴社会にあると思う。
すなわち、勉強しないといけないという強迫観念を植え付け、
学校から逸れたものを社会全員で下層階級にする。
これこそ、いじめと同じである。
僕はあえて言うが、勉強はしなくていい。
子供時代に勉強などしない方が絶対にいい。
なぜなら、「あとで大人になって勉強できるから」である。
子供にはできないことも、大人になってから学べば、
はるかに才能も身につくし、はるかに色んなことが分かる。
青春時代に勉強はしない方がいい。